Wikipedia:井戸端/subj/ガイドラインの編集について
表示
< Wikipedia:井戸端 | subj
|
ガイドラインの編集について
[編集]ガイドラインは「基本的にみんなが従うべきルール」だと理解しているのですが、そのガイドラインの文言を編集することは許されているのでしょうか。みんなが従うべきルールである以上、みんながそのガイドラインを参照するわけです。些細な編集であってもみんなにかかわることですから、影響範囲は広いと思います。普通の記事なら個人が自分の意思で編集してもとやかく言われないでしょうが、ガイドラインを編集するならせめてノートで合意を取ってからにすべきだと思うのですが……? 通常の記事と同じく独断で編集しても問題ないことになっているんでしたっけ?
(念のため)Bugandhoneyさん以外のみなさん、アドバイスお願いいたします。(当事者に聞いたところで意味がないので)——以上の署名の無いコメントは、111.188.20.36(ノート・履歴)さんによるものです。--Bugandhoney(会話) 2012年10月22日 (月) 15:40 (UTC)
- コメントPorcupineWorksと申します。新参者ですが、よろしくお願いいたします。新参者なので、いろいろガイドラインで勉強中ですが、ガイドラインの編集の手順については、Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順あたりが参考になりそうだと思います。ここには、事前の合意の方法として、「ノート」ページだけでなく、Wikipedia:コメント依頼やプロジェクト:プロジェクト関連文書/リストでの議論も推奨されているような気がします。私は、これらの方法で合意した場合は、ノートで再度議論する必要はないと理解しているのですが...
- 具体的に、どのガイドラインの編集を問題になさっているのかよくわかりませんでしたが、ノート以外に上記のページもご覧になったほうが良いかもしれません。(あと、発言には署名をなさった方が良いかもしれません。)見当違いの回答でしたらご容赦ください。--PorcupineWorks(会話) 2012年10月22日 (月) 10:55 (UTC)
- コメント問題になっている場所がお話だけですと分からないのですが、もしかしたらWikipedia‐ノート:曖昧さ回避#2012年9月27日の編集の内容の案件ことでしょうか? --水野白楓(会話) 2012年10月22日 (月) 12:24 (UTC)
- コメント あくまで一般論として。「ガイドラインを独断で編集するのは許されるのか?」という質問については、答えは「イエス」です。正確には、Wikipedia:方針とガイドライン#内容の修正に『方針を修正するには、(必須というわけではありませんが)修正する前にまずノートページで提案してください。』とあるように、「事前に提案しておくことを推奨するが、必須ではない」です。些細なもの、完全に正しいもの、趣旨を変えることなく内容をより良くするもの、システムや法令等の変更による修正、などであれば提案なしでまったく構わないでしょうし、むしろかかる手間や時間とリスクを考慮すると「提案なしでさっさと修正すべき」というケースもあり得ますので、『些細な編集であっても(中略)せめてノートで合意を取ってから』という意見には賛成できません。--氷鷺(会話) 2012年10月22日 (月) 12:33 (UTC)
- 手続き的なことにこだわるよりも、修正するなり差し戻すなりしたほうが早いと思いますけど。私も、ものによってはWP:RFCを使って「プロジェクト:プロジェクト関連文書/リスト」にリストするときもあります。--Bugandhoney(会話) 2012年10月22日 (月) 15:40 (UTC)
- コメントあくまで感想ですが、Wikipediaの決まりではそうなっているかもしれませんが、医学方面ではガイドラインを勝手に変更することは考えられません。--Ichiro Kikuchi(会話) 2012年10月23日 (火) 02:24 (UTC)
- それってプロジェクト:医学のことではないですよね...。ひょっとして、Wikipedia:Manual of Style/Medicine-related articlesのことかもしれないですけど、英語版のガイドライン文書でも編集作業を通して合意に至ろうとしているのは見かけたことがありますよ。--Bugandhoney(会話) 2012年10月23日 (火) 14:45 (UTC)
- Wikipediaの世界ではない方の臨床医学です。--Ichiro Kikuchi(会話) 2012年10月23日 (火) 17:24 (UTC)
- 「手続き的なことにこだわるよりも、修正するなり差し戻すなりしたほうが早い」との発言は、共同プロジェクトにあるまじき主張だと思います。共同プロジェクトである以上、参加者はコミュニティのきまりごとをある程度尊重して行動しないと収拾がつきません(もちろんルールを盲信せよとはいいませんが、少なくとも尊重すべきでしょう)。きまりごとが皆無であれば混乱するばかりで、プロジェクトが目指すネット上でのオープンな百科事典の達成は遠のくばかりでしょう。「手続き的なことにこだわるよりも」などと手続きやきまりごとを軽視するかのような発言をするのは問題でしょうし、コミュニティのルールの改定について「修正するなり差し戻すなりしたほうが早い」などと合意形成を否定するかのような発言は、明らかに方針無理解でしょう……。(というか、ガイドラインの改定って、いつから「提案なしでいきなり改変OK!差し戻し上等!」になったんでしょうか……。)仮にこのような思想信条に基づいて本文を編集しているなら、即座に無期限ブロックでも差支えないと思います。--111.188.47.10 2012年10月26日 (金) 17:47 (UTC)
- 具体的にどのページを想定しているのかとのお問い合わせがありましたが、それはBugandhoneyさんが改訂したガイドライン系ページ群を想定しています。また、氷鷺さんからのアドバイスを拝見し、なんでもかんでも提案必須とまでは言えないことが理解できました。とはいえ、事前の提案が「推奨」されているなら、些末な修正はともかくそれなりの改定なら提案するのが無難だから提案しとこうよ、というくらいにとらえておいたほうがいいでしょうか……。まぁいずれにしても、些末な誤字脱字の修正ならともかく、一般論では「手続き的なことにこだわるよりも、修正するなり差し戻すなりしたほうが早い」というのは、コミュニティに無用なトラブルを招きかねない方針無理解な主張のように思います。本質的に他者との共同作業に向いていない発想でしょう。--111.188.47.10 2012年10月26日 (金) 17:47 (UTC)
- コメント お話は「方針」ではなくて「ガイドライン」ですよね? 方針文章であれば少しセンシティブでもいいでしょうが、ガイドライン文章は「方針文章で定めた目標達成に対して、どのようにアプローチするか」といった運用論になってくるので、方針文章で示された目標趣旨に従っている範囲であれば編集して構わないと思います。官公庁の世界だと政府は民間にこうして欲しいなぁと考え、努力取組を期待しているぐらいの意味合いですし。…ところで、現状ではどうも日本語的に「ポリシー(方針)」と「ガイドライン(順守事項)」では、二者の重み付けにあまり差が付いていないような感がありますから、もう少しコントラストが明確な言葉を使った方がいいかもしれないですね。適当な思いつきですが、例えば「綱領」と「推奨事項」など、もっと重みが露骨に違う言葉を選んだほうがいいかもしれません。--Tondenh(会話) 2012年10月27日 (土) 13:09 (UTC)
- コメントウィキペディアの方針文書やガイドライン文書は、記事ページなどと同じように自由に編集可能です。事前に「必ず」議論、ノートでの提案が必要というわけではありません。なぜならウィキペディアの方針やガイドラインは参加者のコンセンサス(合意形成)によって決まるため、文書に書かれている文章の変更がただちにウィキペディア全体のルールの変更になるかというと、そうではないからです(参照:en:Wikipedia:Policies and guidelines#Content changesやWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説など)。これが官公庁や医療などの通常の世界の規約・規則文書との大きな違いです。それらの世界では文章の変更が直ちにルールの変更を意味するため、遥かに厳格な手続きが必要なのは言うまでもありません。ウィキペディアのルール自体の大きな変更にはノートでの提案が必要ですが、文書自体の変更には提案が必須というわけではないということです。--Afaz(会話) 2012年10月28日 (日) 01:41 (UTC)
- コメントただ、文書の変更と言えども、修正の仕方によっては(編集者の意図の如何に関わらず)あたかもルール自体の大きな変更が既に実施されたような誤解を変更後の文書を読んだ第三者に対して与えてしまう可能性も否定できないのではないでしょうか? 文書の変更を行う場合にその事に関する説明責任を果たす必要があると私は思いますが--水野白楓(会話) 2012年10月31日 (水) 14:40 (UTC)
- コメントそれはその通りです。他の参加者から疑問が呈されたら、編集した人は説明責任を果たす必要があります。--Afaz(会話) 2012年10月31日 (水) 23:22 (UTC)
- コメントただ、文書の変更と言えども、修正の仕方によっては(編集者の意図の如何に関わらず)あたかもルール自体の大きな変更が既に実施されたような誤解を変更後の文書を読んだ第三者に対して与えてしまう可能性も否定できないのではないでしょうか? 文書の変更を行う場合にその事に関する説明責任を果たす必要があると私は思いますが--水野白楓(会話) 2012年10月31日 (水) 14:40 (UTC)