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Wikipedia:井戸端/subj/「無知に訴える論証」に基づく記事の投稿は可能なのか。

「無知に訴える論証」に基づく記事の投稿は可能なのか。

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最近、いくつかの記事でみられる投稿なのですが、「投稿される文章」の意味や定義が示されず、加筆者が、「どのような内容か判断できない」、あるいは「独自研究となる」ため具体的な説明はできないものとする。ただ、出典に同一の言葉があるということを根拠とし、加筆者は投稿しているものがあります。このような、理論に基づいて、加筆者が投稿・編集することに疑問があります。私は、このような無知に訴える論証に基づく記事が、百科事典としてふさわしいとは思えません。しかし、まずは自分の意見だけではなく、多くの方のご意見を頂き、その上で私の考えや投稿の方針を定めたいと思います。ご多忙な中申し訳ありませんが、ご意見をお願い申し上げます。--Koshi2016会話2016年5月9日 (月) 05:03 (UTC)[返信]

ちょっと意味をつかみかねるので、もう少し詳しく説明してみてもらえますか? --Ks aka 98会話2016年5月9日 (月) 06:24 (UTC)[返信]
コメント 追加--失礼しました。詳しく説明させていただきます。
私は[[宗教右派]]にて、議論を交わしていました。そこで私は、定義がはっきりと示される状況であるアメリカの「キリスト教右派」に関わる内容を記事とすることは問題ないと発言していました(これについては、議論に参加した者全て同意できていると判断しています。)。
一方、その中で日本の「宗教右派」の記事にて、長い議論が交わされなかなか終結されませんでした。問題となったのは、日本の「宗教右派」を定義やその意味が示されていない状況で、具体例の維持は可能か、あるいは削除するべきかということでした。
私は、日本の「宗教右派」の定義やあるいは一般論とまでは言わずとも意味が説明できなければ、日本の「宗教右派」の具体例とする記事は削除するべきと考えました。なぜならば、日本の「宗教右派」の定義や具体例が示されなければ、宗教右派の定義として示されている北米のキリスト教的な「概念」と、提示しようとしている日本の具体例がどのような共通点があるのか、あるいは違いがあるのか判断できないからです。したがって、定義あるいは意味の説明ができずに、出典に「宗教右派」という言葉が同じでだけで具体例としてと投稿・編集することは推定、憶測、「将来の歴史」になるので、投稿するべきではないと判断していました。
具体例の現状維持を考えていた方は、「定義の説明がなくとも具体例の提示はできるという」意見に基づいて、現状維持を主張していました。定義の説明が必要としない根拠は、定義あるいは説明は、加筆者には判断できない、あるいは 加筆者が使用している意味を引用することは独自研究になるためできないとのことから、定義や意味の説明はなくとも、(日本の)「宗教右派」が記述された出典さえあれば、具体例の投稿はできる。というものでした(私は、この考えは「無知に訴える論証」となると判断しました。)。
私は、「宗教右派」の中に、北米を中心とした記事と、日本を中心とした記事が入っても構わないと考えています。ただ、記事としてなりたたつためには、定義とまで言わずともどのような意味で使用したものか説明できなけば、言葉の羅列でしかなく、北米「宗教右派」と日本「宗教右派」についてどのような関係があるのか判断できません。また、定義や説明がなければ何の具体例なのかも判断できません。したがって、定義や説明の提示がなくとも具体例の投稿はできない(除去すべき)と考えています。
現在、日本の「宗教右派」についての定義あるいは説明は示されたことから、議論は終結に向かっていると思います(いくつかの問題はありますが)。しかし、定義や意味の説明ができなくとも、記述された出典さえあれば、具体例の投稿はできる。との考えには納得できていません。
是非ともみなさんのご意見をお待ちし、今後、投稿において考えるべき方針の参考にしたいと思います。--Koshi2016会話2016年5月9日 (月) 07:48 (UTC)[返信]
  • コメント「できるかどうか」で言うと、できちゃいますよね。ウィキペディアの場合には検証可能性によって、「この文献がこれをイヌだと言っている」という形で証拠を示すことが求められているので、「信頼できる情報源」と組み合わせることで「これこれのものはイヌと呼ばれている[1]」と書くことはひとまず可能です。
  • 「ベターかどうか」で言うと、(きっとケースバイケースですが)ベターではないと思います。
  • たぶん根本的な考え方は一緒なんだろうと思いますけれど、Koshi2016さんは「定義」が必要とおっしゃていますが、必ずしも「定義」は必要ではないと私は思います。社会学ではおなじみですが、たいてい、いろんな学者が現象や概念に対する「定義」を試みて、それでもはみ出る部分があるとか、この側面を捉えていないとか、諸学説に対する諸批判が林立する、ということになるはずです。宗教#定義はその典型ですよね。ヘタをすると、ヘタな定義を示してしまい、「これはその条件にあってるから追加していいよね」みたいになんでもかんでもぶちこまれる、なんてことにもなりかねません。
  • 私が慣れ親しんでいる分野での実例を紹介しておきます。連対率100%の競走馬一覧を見てください。「定義」は明確に示されています。(定義に対する出典は無いですけれど。)そしてその「定義」に該当するとして、データベースを出典として「連対率100%のもの」が列挙されています。これを良いと思うかどうかですけれど、私は「”連対率100%”を包括的に扱った文献」の中で取り上げられている実例をもってくるならありだと思いますが、1戦0勝2着1回のものを「定義にあっているでしょ」といってかき集めてきてもねえ、と思います。
  • おそらく、Koshi2016さんが求めていらっしゃるのは、それらを包括的に取り扱う文脈(文献)があるのか、ということだろうと思います。明確な定義が示されていないとしても、『世界の宗教右派』という文献に登場するものは「宗教右派」という記事のなかで取り扱ってもいい。逆に、何らかの定義に適合しそうだからと言って『世界の宗教右派』で取扱われていないものを「これも宗教右派ですよね」といって付け足すのは、ウィキペディア的には不適当かもしれない。
  • ここらへんに対応する方針文書を探してくるとなると、WP:NOTEVERYTHINGWP:WEIGHTにあたりかなあと思います。主題を包括的に扱った文献の中での言及の軽重にあわせて、ウィキペディアでもバランスよく扱うべき。
  • たとえばイヌという記事の中でホットドッグ狛犬犬山市を扱おうとしたとします。イヌという記事を生物学的なアプローチで構成しようとしたなら、これらはちょっと余計です。しかし言語学とか社会学の見地でアプローチするならば、ありうるかもしれません。そこらへんは合意しだいで、イヌではなく「イヌに関するほにゃらら」とかって記事を切り分けてしまうほうがやりやすいかもしれません。100ページぐらいしかない『イヌ百科事典』には狛犬やホットドッグは触れられていないかもしれないけれど、全30巻・各巻1000ページの『イヌ大全』だったら犬山市やホットドッグのことも1ページぐらい取り扱っているかもしれず、それならばイヌのなかで全体の1/30000ぐらいのボリュームで言及してもいい。イヌが15万バイトの大記事ならば小さく言及してもいいし、イヌが2000バイトしかないのに500バイトを狛犬の言及にあてたらバランスを欠く。たとえば『狛犬のすべて』という文献でイヌについての言及がいくらかあったとしても、それをもとにイヌに詳述するのはバランスを欠くことになり、狛犬に書くべきことかもしれません。(そこを詳述することが「イヌ」の理解に役立つのであれば、書いてもいいでしょう。)
  • で、ここからは宗教右派の固有の話ですが、現状の「その他」節はまあ、違和感は感じます。現状の「その他」に集められているものは、「宗教右派」というよりは、「右派」の中から宗教っぽいものをチョイスしてきただけ、という感じでして、そこが違和感の原因でしょうねえ(たいていの場合、「その他」っていう節名は怪しい。)。記事の前半は「アメリカの」「キリスト教社会の」というアプローチで組み立てられていますから、その文脈に関する文献に登場しないものなのであれば、(合意形成は必要ですが)何らかの方策で整理したほうがよさそうに思います。『世界の宗教右派』っていう文献があるのなら、大きい記事にしてもいいし、そういうのが無さそうなら、切り分けてもいい。右派のなかに宗教に関する節を設けて収める、という方法とか。そうでなければ、「関連項目」ぐらいでしょうか。--柒月例祭会話2016年5月9日 (月) 10:07 (UTC)[返信]
  • (追記)包括的な文献の存在は、その記述の関連性の証拠にもなりますよね。たとえば神社という記事で、「神を祀る場所だから」という理由でパルテノン神殿とかの話を始めると、普通は「ちょっと待て」ということになるでしょう。だけど外国の文献ではもしかすると「shrine」という観念で一括りにして、日本の神社とギリシャの神殿とイスラムのモスクを論じているかもしれなくて、そういう文脈では「あり」になるかもしれない。そういう場合には「この記事では日本の神社のことを書きますよ」「いろいろな文化における神を祀る場所のことについては○○という記事で書きます」と決めごとをすることもできます。この例で言うとen:shrineではwar memorialのようなnon-religiousのものも含むとあったり、en:Shinto shrineは別項で、とあったりします。--柒月例祭会話2016年5月9日 (月) 11:40 (UTC)[返信]
  • コメント 宗教右派についての話ですが、宗教右派の記事に、なぜか、不完全な「保守的な政治運動を行っている日本の宗教団体と、その勢力が支持していたり類似的な思想である政党と社会運動団体リスト」がつくられていたのです。その団体が宗教右派であることを示す出典は皆無のままです。除去したら即座にリバートされたので出典を出してくださいといったら、「宗教右派」という言葉を使ったが名誉棄損だと猛反発を受けた実例と、「宗教界右派」とたんに右派であることを示すだけの実例のみ。政治学者や宗教学者が「宗教右派」と記した実例はなし。つまり、宗教右派ではないものしか見つからないのです。それを宗教右派に記すべきではないと主張し続けているのですが、書きたい人は「宗教」と「右派」という言葉が使われていれば、誤用であろうがなんであろうが書くべきだの一点張りです。それでは用例集にすぎず、さらに、宗教右派ではないものをいくら集めても宗教右派の説明にはならず、せめて、宗教右派であるものを集めるのならまだ理解できるということです。--ぽてから会話2016年5月10日 (火) 03:48 (UTC)[返信]
      • 返信 (柒月例祭宛) 。--柒月例祭様、貴重なコメントありがとうございます。「ベター」ではないけどルールに反したものではない。とされる説明は、やっぱりそうなんだなあと認識しました。「定義」に揺れがある事、また一般論としてまとまっていないことは十分わかるので、例としてあげられた「宗教#定義」については「連対率100%の競走馬一覧」についての説明は理解できます。
      • しかし、今回のケース(「宗教右派」)の投稿の方針や良好な記事とするための投稿としての考えは柒月例祭様がよくまとめてくださっています。大変感謝しています。
      • 「宗教右派」についても、「包括的に取り扱う文脈(文献)があるのか、ということだろうと思います。明確な定義が示されていないとしても、『世界の宗教右派』という文献に登場するものは「宗教右派」という記事のなかで取り扱ってもいい」というコメントの通りです。逆に、何らかの定義に適合しそうだからと言って『世界の宗教右派』で取扱われていないものを「これも宗教右派ですよね」といって付け足すのは、私はウィキペディア的には不適当ではないかという考えで賛成します。
      • また、「現状の「その他」節はまあ、違和感は感じます。現状の「その他」に集められているものは、「宗教右派」というよりは、「右派」の中から宗教っぽいものをチョイスしてきただけ、という感じ」と受け取られる点は、賛同します。
      • 私が「宗教右派」の議論にて意見や、今回の井戸端への投稿させていただいた理由はそこにあります。
      • ただ、検証可能性だけを根拠とし、何の意味も分からない(あるいは説明できない)こと定義に基づかず(示さず)投稿することは、投稿者が独自に判断して同一の「言葉」を投稿していることは、独自研究に違反するものであり、また、「中立的な観点」から書かれているべきだ、というもの(中立性の基本的な概念)となり3大方針の2つに従っていないものとはならないかと考えますがいかがでしょうか。
      • 従って、ウィキペディアの3大方針も考慮しながら、「加筆者には判断できない、あるいは 加筆者が使用している意味を引用することは独自研究になるためできないとのことから、定義や意味の説明はなくとも、(日本の)「宗教右派」が記述された出典さえあれば、具体例の投稿はできる」という「無知に訴える論証」は可能かということについて、御意見を求めたいと思います。--Koshi2016会話2016年5月10日 (火) 17:19 (UTC)[返信]
  • コメントえっと、辞書的に考えるなら、「宗教右派」ってのは、「宗教」に関係した「右派」という意味であって、それ以外ではないと思うのですね。ここに「アメリカに限定した」「キリスト教の」とかいう意味は内包されていない。そういう一般的な語だと思う。ただ、主にキリスト教右派、特にアメリカのキリスト教右派を指す形で使われているので、ただ単に「宗教右派」と言う時は、その意味を指していることが多い。「イスラム教の右派」を「宗教右派」とはなかなか言わないみたいなのは、そこらへんもあるんでしょう。だとすれば、百科事典としては「一般にはキリスト教右派を指し…」というような書き方が妥当ではないでしょうか。「宗教右派」のほうがやや広い概念なので、イコール「キリスト教右派」とするくらいなら、キリスト教右派は「キリスト教右派」の記事にまとめるほうがわかりやすい。
en:Religious rightでは、The term religious right may refer to religiously motivated right-wing or conservative movements such as:Christian right, Jewish right, Islamism, Hindu nationalismってことになってる。インドとか[1](ヒンドゥとか[2])、南アフリカとか[3]でも、Religious rightの用例はある。日本語でも、「これらの背景には、ウガンダでみたように、欧米のキリスト教保守派と各国の国内の宗教右派・伝統主義者が「反同性愛」で連携を強化している状況がある[4]という用例があります。堀内「アメリカにおける宗教右派の政治化」ほか以前に挙げた論文などは、アメリカの宗教右派を主題としていて、だからこそ宗教右派の定義の中では「アメリカの」という部分がこぼれおちているという面もある。アメリカ以外の国でも、キリスト教以外の宗教でも、「宗教」に関係した「右派」に対して「宗教右派」という言葉は使われる、と。
読者のことを考えるなら、どこかで「宗教右派」という言葉を見て、これは何だろうと思って調べるわけです。とすると、普通は宗教右派とはアメリカのキリスト教右派で、その歴史とかなんとかの知識が得られることが期待される。とはいえ、その他の用例もそれなりにあるのならば、それを見て調べようとする人もいるわけですから、「こうした用例もある」くらいのことは書かれていたほうが親切でしょう。日本の団体に対して宗教右派と位置付ける用例があれば、そのように使われている例がある、と書く。政治学者や宗教学者ではなくとも、そのような用例があることは書けるけれども、その団体が宗教右派である、と書くためには、より権威のある、信頼できる情報源が必要となってくる。自認しているような場合でもなければ注意した書き方が必要です。en:Christian rightでも、冒頭部は、けっこう回りくどい書き方ですね(Christian right or religious right is a term used - mainly in the United States - to label right-wing Christian political factions that are characterized by their strong support of socially conservative policies. )。
そのような意味では、「定義の説明がなくとも具体例の提示はできる」し、「定義がなければ書けない」ということではないと考えます。単純に語義から受け取られる意味を超えて限定する場合には、そのような定義が必要であり、そこでは定義が示されている場所、文脈についても慎重に検討する必要がある。「包括的に取り扱う文献」があればいいんですが、百科事典で取り上げる項目で常に得られるわけでもないと思います。井戸端に持ち出しての一般論としては、Koshi2016さんの意見はちょっと言い過ぎてる感じがします。同時に、[5]あたりが、ぽてからさんのいう「保守的な政治運動を行っている日本の宗教団体と、その勢力が支持していたり類似的な思想である政党と社会運動団体リスト」なのだとしたら、これは「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」になるのではないかと思います。現在の「その他」の節は、まあこんなもんじゃないでしょか。ヒンドゥー・ナショナリズムと日本会議のところは残したほうがよさそうで、赤旗のところはほんとに用例ってだけなのでなくてもいいかなあ、くらい。--Ks aka 98会話2016年5月10日 (火) 16:25 (UTC)[返信]
返信 (Ks aka 98宛) --Ks aka 98様ありがとうございます。具体的な例などから、宗教右派について説明していただいたので、私は大変納得です。今の方針としては、宗教右派を説明づけることに無理はなく、有効であるということが理解できたので広義に捉えたいと思います。大変参考になりました。ありがとうございます。
一つ質問があるのですが、今まで残されていたイスラム原理主義についてはいかがでしょうか。--Koshi2016会話2016年5月10日 (火) 16:45 (UTC)[返信]
日本語でも英語でもその他の言語でもいいから、せめて「右派」という言葉が用いられている出典がなければ、書くべきではないでしょう。あんまりちゃんと調べてないけど、原理主義と右派は違うでしょうし(上で署名を忘れているっぽいですよ)。--Ks aka 98会話2016年5月10日 (火) 17:07 (UTC)[返信]
コメント 追加--宗教右派については確認できた点については一部自分の意見を変える予定です。ただ、「無知に訴える論証」に基づく記事の投稿については、続けてご意見を求めたい思います。--Koshi2016会話2016年5月10日 (火) 17:18 (UTC)[返信]
返信 (Ks aka 98宛) 追加--Ks aka 98様のコメントをもとに[6]を確認しました。私はさきほどイスラム原理主義についての説明に対し質問させていただきましたが、Ks aka 98様の「あんまりちゃんと調べてないけど、原理主義と右派は違うでしょうし」とお答えしています。しかし、[7]にある、「一方イスラム世界においても、急進的な「イスラム原理主義」とよばれる宗教右派が存在する」との説明は矛盾しています。
また、「右派」が全て、「宗教右派」の中の説明に入れてよいというのもちょっとおかしい話です。「せめて「右派」という言葉が用いられている出典がなければ」なのではなく、「せめて「宗教右派」という言葉が用いられている出典がなければ、書くべきではないでしょう」とするべきではないですか。「右派」という言葉が用いられている出典により記述するべきなのは、「宗教右派」の中ではなく、「右派」で取り上げ説明づける項目でしょうし。--Koshi2016会話2016年5月11日 (水) 02:36 (UTC)[返信]
リンクで示された版にあるイスラム原理主義の記述は、除去したほうがいいと考えていますし、そのように書いています。1)その他の節ではないですから、これは「その他」の節は、まあこんなもんじゃないでしょか、と書いたものの対象外です。2)「一方イスラム世界においても、急進的な「イスラム原理主義」とよばれる宗教右派が存在する」と主張しているのは、ぼくではありませんから、矛盾ではないです。この出典として示されているEIKMEIER 2007で「権利」以外の意味で用いられているrightは存在しないようです。この文は、自明の属性として「宗教右派」とできる団体があるような書き方ですが、その時点で適切ではないでしょう(なお、これ以前の記述は出典のない、いかにも独自研究なものだったので、出典を示しての書き換えの行為を否定したいわけではないです)。
「右派」が全て、「宗教右派」の中の説明に入れてよい、と主張するつもりはありませんし、そのように書いたつもりもありません。「右派」「right」という言葉がなければ、よほど丁寧に読んだ上でなければ取り上げる必要はない。せめて「右派」という言葉があれば、記事に含めるかどうか検討には値する、検討の上で書かないという選択肢は当然ありうる、というくらいの意味です。「右派」なり「保守」なりというのは本来相対的なものですから、国が違えば逆転することもありえます。イスラム教国において、アメリカ合衆国のキリスト教右派団体は、その国における「宗教右派」とは呼ばれないでしょう。「同種の政策を支持する」からといって「右派」「保守」とは限りませんし、「その国における保守派」だからといって「右派」と呼ばれるとも限りません。
前の説明での書き方で言えば、「宗教右派」ってのは、「宗教」に関係した「右派」なので、主にキリスト教右派を指すことが多く、そのように定義されることもあるが、キリスト教右派以外の意味を持つし、個々人なりメディアなりがキリスト教右派以外に当てはめることもありうる。キリスト教右派以外に用いられている例が十分あるなら、その例も含めて説明したほうがよい。しかし、そのような用例の集合体として、その言葉には「宗教」に関係した「右派」というだけではない様々な意味が付与されていくのですし、それらも含めて言葉の意味になるわけです。ウィキペディアにおいて、ウィキペディアの執筆者が、そのような当てはめをすることは独自研究であり、ウィキペディア以外の現実の用例が必要になる。しかしそこで「宗教右派」という文字列の有無だけで機械的に判断するべきではなく、用例のコンテクストは十分読みとらなければならなくて、「宗教右派」と使われていても用例が少なく従来の意味からかけ離れたものなら記事としては扱わなくて良いでしょうし、逆に宗教と密接に関わりがある団体かどうかは外形的に判断できることもありますから「宗教右派」ではなくとも「右派」という言葉があり、ニュアンスとして宗教右派と相当重なるものなら、無下に排除するべきでもないだろう。ただ、似たようなニュアンスでも、「右派」という表現を用いるときのニュアンスは、「原理主義」「伝統的」「保守」とは違うと思うんですよね。これは、ぼくの感覚と、語義それ自体の意味からの意見で、それ以上に、「宗教右派」に関係する文脈でのこれらの言葉の違いについての分析などは読んだことがない。「あんまりちゃんと調べてないけど、」と書いたのは、そうした文献なり報道記事なりを探していない、という意味です。--Ks aka 98会話2016年5月11日 (水) 05:15 (UTC)[返信]
返信 (Ks aka 98宛) --Ks aka 98様、詳細な説明ありがとうございます。イスラム原理主義の記述については、私と同意見である事が確認できました。
「右派」と「宗教右派」については、大いに納得できるところです。ただ、それぞれの執筆者の判断で揺れるところとなるかなと思っています。
「宗教右派」の言葉の有無から機械的に判断するというのは好ましくないとする場合、「「宗教右派」の言葉が無いからはじきます」も適当とは言えず、また「「宗教右派」の言葉があるから(何であろうとも)載せます」も問題ありといえます。
用例のコンテクストを読みニュアンスから別の「言葉」が使用されている場合でも載せるとする場合、「ニュアンスとして宗教右派と相当重なる」から有効と判断できる。という意見については、「独自研究」にあたり適当ではないとして、これを弾こうとする意見(反論)があがると思います。
「宗教右派」の議論はこの2点の無限ループであったのではと思っています。機械的に判断は好ましくないけど、コンテクストからニュアンスを読み、有効性を判断することの是非についても問題が揺れると思います。最後に、「あんまりちゃんと調べてないけど」は批判や疑問の意図であげたわけではなく、単に引用してきた時に加えてしまった一部になります。質問に対し、詳細な説明ありがとうございます。--Koshi2016会話2016年5月11日 (水) 06:22 (UTC)[返信]
コメント議題とはずれてしまうのですが、Ks aka 98さんの「この出典として示されているEIKMEIER 2007で「権利」以外の意味で用いられているrightは存在しないようです。」が気になったものですから調べたところ、先の出典は2015年11月24日の編集で追加されているのですが、出典の参照日が2014年4月だったり2012年2月だったりしています。まさか3年以上前に確認した情報を張り付けているということはないでしょうから、どこかからのコピペなのでしょう。内容についてもきちんと確認された上で張り付けているのか少し不安を覚えました。--122.134.188.55 2016年5月11日 (水) 06:44 (UTC)[返信]
en:Religious rightからIslamismへ進んだところにありますね[8]。Deckman2004はChristian rightのほうでしょうか[9]。英語版を参照しての加筆ってことでよいのではないでしょうか。--Ks aka 98会話2016年5月11日 (水) 07:38 (UTC)[返信]
返信 (Ks aka 98宛) --説明の意図が分かりかねます。もう少し説明を加えていただけないでしょうか。--Koshi2016会話2016年5月11日 (水) 07:50 (UTC)[返信]
参照日が同じで、日本語版の宗教右派を編集するつもりならアクセスしやすい場所にあることから、「どこか」は、おそらくリンク先の二か所と考えられる、という部分はよいですか? 
参照日の確認をしやすいように書誌情報などがある注の部分へのリンクをしていますが、それらを元に書かれている記述部分を参考にして翻訳なり要約なりをしたのであれば、Accessedやretrievedの日付が古くても変ではないですし、論文や記事の内容をきちんと確認していなくてもしょうがないところもあります。それによって、「不安」は払拭できるのではないか、という意図での説明です。
また、もちろん、きちんと確認しておくほうがよく、それに応じて日付を改めるのが最善ですし、翻訳でライセンス違反か参考に留まるか創作性なしの翻訳かとか、せめて出所は示してもらえた方がいいとかもありますけれど、それをしていない利用者もたくさんいて、翻訳記事などでそれを常に求めるのはハードル高すぎる。「内容についてもきちんと確認された上で張り付けているのか少し不安を覚えました」というのは、隠れた主語となる「加筆者」への、推測を元にした批判を含みますから、ここでの、ぼくの意見から、加筆者への批判は慎んでほしいと思います。「英語版を参照しての加筆ってことでよいのではないでしょうか」というのは、そんなニュアンスを込めようとしました。--Ks aka 98会話2016年5月11日 (水) 08:35 (UTC)[返信]
返信 (Ks aka 98宛) --Ks aka 98様、貴重なコメントありがとうございます。感謝もうしあげます。--Koshi2016会話2016年5月11日 (水) 09:43 (UTC)[返信]