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Wikipedia:井戸端/subj/「太平洋戦争」「大東亜戦争」の表記

「太平洋戦争」「大東亜戦争」の表記について

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IP:219.25.162.64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisが、記事中の「大東亜戦争」あるいは「太平洋戦争大東亜戦争)」「大東亜戦争太平洋戦争)」の記述部分を「太平洋戦争」に書き換える編集を続けています。こういうのを独断で機械的に書き換えというのもどうかと思いますが、これに関する何らかのガイドラインや合意はあるのかどうか、あるとすればどこに記載されているのかお伺いします。

WP:NPOVに従うならば、すべての記事で「太平洋戦争(大東亜戦争)」のような併記とするのが適切な表記方法ということになるのでしょうか。なお当方は近代史・軍事史などに疎いため特に意見は持ちません。宗治 2008年8月1日 (金) 09:31 (UTC)[返信]

併記してあるのまで手をつけるとは酔狂にも程があると言うか・・・
履歴をざっと眺めて見ましたが大東亜省の関連項目から大東亜戦争を削除(本文中に大東亜戦争への直接のリンクは張られていない)してたり、たまたま私が立項した見晴台遺跡で一寸だけ触れている高射砲陣地跡に関する記述でまで置き換えてたりとか、兎にも角にも大東亜戦争という記事へのリンクを無くしたいと思っているとしか受け取れませんねぇ。--KAMUI 2008年8月1日 (金) 10:31 (UTC)[返信]

「大東亜戦争」と対置される名称は「太平洋戦争」よりも十五年戦争じゃないかと思います。 -- NiKe 2008年8月1日 (金) 10:53 (UTC)[返信]

概ね宗治氏と同じく、「太平洋戦争(大東亜戦争)」が妥当な線。ただし出典に大東亜戦争と書かれているのなら、その名称を使うのが引用する際の礼儀。というか、こういった独断による一律書き換えは、言葉狩り以外の何者でもない。記事改竄またはプロパガンダに相当すると思う。--カイの迷宮 2008年8月2日 (土) 09:48 (UTC)[返信]

大東亜戦争と太平洋戦争は完全イコールではないこと、また歴史的経緯により公的には使われていないこと、大東亜戦争の勃発年には論議があり1941年とは限らないことに注意をして使うことが前提。ガイドラインはありませんが、公的には使われなくなった語ですので、右派的意味合いを持つようになっていることが問題。それでも、歴史・政治面の記事には大東亜が使われる可能性があるが、他は太平洋の語を優先、状況により併記を妨げないといったところでしょう。いつだったか、アメリカの兵器に大東亜戦争で使われたとの記載されたときはいやになったが。--Los688 2008年8月2日 (土) 12:30 (UTC)[返信]
「大東亜戦争」ということばは、歴史学の分野では、史料引用以外でまず使わないことばであることをどこかに書いてあってしかるべきことばでしょう。少なくとも査読論文クラスで研究者自身のことばとして使用している例をほとんど知らない(あれば具体例とその量を示してほしい)。査読論文などで使われないことばを説明無く単に両論併記すると、知識のない読者が呼称について「大東亜戦争」という呼び名を支持する(査読論文を書くクラスの)研究者が多いのではという誤解を与えかねない。それは「複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません」というWP:NPOVに反している。よって特に両論併記する必要性を感じない。--118.105.192.117 2008年8月2日 (土) 14:15 (UTC)[返信]

戻します。「大東亜戦争」の表現は各記事の内容によって柔軟に使用されるべきであり、一律に「使用しない」とか「併記する」と決められるものではないと思います。例えば、大東亜戦争軍票の定義には併記が必要だと思います。そこまで書き換えているのを見ると、当該IPユーザーは何も考えず機械的に書き換えているとしか思えません。--uaa 2008年8月2日 (土) 19:54 (UTC)[返信]

一部差し戻しした者です。メディアや学会では使わないと仮定しても、今現在も「大東亜戦争」を著作名に使っている書物が流通しています。古い文献には、当然使われているでしょう。「現在使われない=記事から抹消」は、明らかに行き過ぎた行為だと思います。Los688氏の「大東亜戦争と太平洋戦争は完全イコールではない」のは判りますが、少なくとも今回無条件で書き換えられた部分は、元に復帰させるのが妥当では?その上で、各記事の内容によって、柔軟に運用されるべきかと。--カイの迷宮 2008年8月3日 (日) 02:09 (UTC)[返信]
フランクリン・ルーズベルト差し戻された方ですよね? 一応確認ですが、あれは「各記事の内容によって、柔軟に」の結果ですか? martin 2008年8月4日 (月) 04:26 (UTC)[返信]
「少なくとも今回無条件で書き換えられた部分は、元に復帰させるのが妥当では?その上で、各記事の内容によって、柔軟に運用されるべきかと」と書いてますが、何か?--カイの迷宮 2008年8月4日 (月) 13:25 (UTC)[返信]
いえ、たまたまブックマークしてる記事で妙な差戻しがあった(ルーズベルトの記事で「大東亜戦争(連合国側の呼称は太平洋戦争)」なんて、違和感を通り越して滑稽ですよね)ので、おかしいと思っていたら、ここの議論を見付けたので御尋ねと言うか確認しただけです。内容を全く考えずに機械的に差戻されたと言うことでしたら納得です。ただ、内容を考えずに差戻すのは荒らしと見分けが付き難いので、せめて要約欄にでも理由を示して頂けると良かったとは思います。martin 2008年8月5日 (火) 21:02 (UTC)[返信]
それは、申し訳ありません。履歴を見て頂けると判るのですが、最初は要約欄に書きながら戻していたのですが・・・途中から手を抜いてしまいました。やはり、機械的に戻すのは弊害も有るということですね。--カイの迷宮 2008年8月7日 (木) 12:01 (UTC)[返信]
ごめん。今回はそれの筋があんまりよくない。ここの全員に言えることだが、件のIPに先に議論誘導を行っていない。IPの編集はあまりよい編集とも言えんが、議論誘導も行わずに、その後に無条件差し戻しはいかがなものかと。--Los688 2008年8月4日 (月) 14:21 (UTC)[返信]
ご苦労様です。IP氏が来ることを願いますが、結局、後始末はどうするのでしょうか?私が一律復元と言ったのは、今回の対象が300~400件ぐらい有るからです。当然、Los688氏の言うように個別に対応するのがベストでしょうが、果たして実際に可能でしょうか?。このまま放置という結果になったら、「やったもの勝ち」ということになる。それが一番心配。--カイの迷宮 2008年8月5日 (火) 11:58 (UTC)[返信]

この度は御迷惑をおかけして誠に申し訳ありません。私としては、このような議論の対象となるとまで至るとは考えておりませんで、深くお詫び申し上げます。意図としては太平洋戦争が「戦争」の記述を説明とした内容にあるのに比して大東亜戦争は「戦争の呼称」を記述してあるものに気づいた上に、とりわけ、内部リンクをしてあるものについては大東亜戦争を太平洋戦争に変更したものが閲覧者が利用し易きものと考えたことによります。つまり、閲覧者が大東亜戦争を読んでも直ちに戦争の内容が容易に理解できない不案内なものであると感じました。第二次世界大戦における日本と米・英などの連合国間の戦争(真珠湾攻撃から終戦まで)以降の戦争については、『ウィキペディア(Wikipedia)』内で検索を行うと、大東亜戦争が約500件に対して太平洋戦争が約5000件の呼称が多いので、太平洋戦争に統一を図ったほうがよいと感じ、余りの大差であるので独断で編集を行ってしまいました。その点につきまして、軽率な編集行動であり、問題提起をして議論を行うことを提案すればよかったものと反省をしております。しかし、記事改竄またはプロパガンダ、誘導、大東亜戦争の標記の削除が目的というものは全くの誤解であり、あくまで、ウィキペディア内の各々の太平洋戦争大東亜戦争の内容と検索件数から考えたものです。例えば、『大東亜戦争』という標記ならば「太平洋戦争」を付記しないと戦争そのものの内容を理解できるページに進めませんが、『太平洋戦争大東亜戦争)』の場合は「大東亜戦争」を付記しなくとも戦争そのものの内容は理解でき、文面が簡潔になるものと考えましたことによります。--219.25.162.64 2008年8月5日 (火) 12:15 (UTC)[返信]

コメント、感謝します。これからどう解決するかの議論に参加していただけませんか?--Imuzak 2008年8月5日 (火) 12:27 (UTC)[返信]

WP:RSに「より信頼できるのは、学術団体が関与しているものです」「歴史の情報については他にも多くの情報源がありますが、権威はさまざまです。最近の傾向は、歴史的な事項に特化した百科事典が急増していることです。学者に記事執筆を依頼した専門家によって編集されており、品質を維持するためにそれぞれの記事がレビューされています。これらは、ウィキペディアのための権威があると考えられます。」とあるのだから、査読研究やそれをまとめたものに拠りながら編集すべき。それ以外はいかに多く流通していようとも素人・好事家の著作だから優先的な地位は与えられないでしょ。まずそこから踏み出すべきかと。--118.105.210.18 2008年8月5日 (火) 14:19 (UTC)[返信]

118.105.210.18118.105.192.117と同じ人ですか?こういう論議にはログインして参加してほしいです。ウィキペディアは研究論文集じゃないんだから、学会での表記に合わせる必要は無いでしょう。逆に、こういう言葉も残すことが百科事典の役割でもあると思います。--uaa 2008年8月6日 (水) 17:28 (UTC)[返信]

とりあえず、原因のIP氏が来てくれたことに感謝。この後の対応としては、どうしたものでしょうね? 私は、一つずつ吟味しながらの復旧は現実的ではないと考えるが、他の方の意見をお願いします。--カイの迷宮 2008年8月7日 (木) 12:01 (UTC)--カイの迷宮 2008年8月7日 (木) 12:01 (UTC)[返信]

一律差し戻しに賛成します。--uaa 2008年8月8日 (金) 14:26 (UTC)[返信]

前にも言いましたが、(私も含めた)参加者全員の筋が悪かったので、一律差し戻しは気が進まない。一律差し戻しを「保留」にした上で、短期(20日位か?)に簡易な条件(絶対に大東亜にすべきでない、もしくは太平洋にすべきでない)を作成し、それ以外は一旦戻すでどうか。簡易な条件の叩き案として、記事名に「大東亜」がつくものは両方併記、西欧人名記事・西欧兵器記事については太平洋といったところでどうか。--Los688 2008年8月10日 (日) 03:17 (UTC)[返信]
御案内頂戴して参上しました。一律差戻しだと、上に挙げたフランクリン・ルーズベルトのような例も出て来るので、小生も賛成致し兼ねます。Los688さんの御提案(「叩き案」- 前段は議論があるかも知れませんが、後段は多分皆一致できると思います - 小生は前段も賛成です)が現実的と思いますが如何でしょうか...... martin 2008年8月10日 (日) 14:27 (UTC)[返信]
ご案内ありがとうございます。私は、各々の項目・記事ごとに『太平洋戦争』又は『大東亜戦争』の選択、さらに、併記の必要などを丁寧に検討を重ねたほうがよいと考えています。ただし、『大東亜戦争』と表記をする場合には、その意味を内部リンクすることができませんので、『大東亜戦争』と表記する場合に限っては『(太平洋戦争)』という併記又は付記は必要に感じます。
【以下:参考意見】
私ごとですが、経済学で学位を取得した者ですが、事実上は歴史学(近代西洋史)を専攻しました。歴史学を学んだものとしての立場からの個人的な参考意見として申し上げますと、確かに学術論文等で『太平洋戦争』又は『大東亜戦争』について記す場合は『太平洋戦争』を選択します(学問を離れた個人的な見解では『大東亜戦争』も『太平洋戦争』、『アジア太平洋戦争』、『昭和戦争』、『十五年戦争』などなど、何れも充分に説明できるものではありませんが…)。
『大東亜戦争』という表記される方たちの多くが、「歴史」は科学ではないと主張している傾向が否定できませんので、科学として歴史学を学んだ立場の者としては違和感を感じています。ただし、百科事典として考えた場合は、どの程度まで学術的な傾向や立場の主張を加味すべきかまでは見解を示すことはできません。--219.25.162.64 2008年8月10日 (日) 14:51 (UTC)[返信]
議論を拝読しました。私も参加いたします。
(一旦戻す際の必須事項)一律にせよ一部にせよ、本件書き換えを一旦戻す際は、(要約欄に)「暫定的な差し戻しである」ことを明記すべきだと思います。単に「井戸端における議論により」などとしてしまうと、「記載内容を検討した結果、差し戻すこととなった」という誤解を招きます。
(Los688さん方式に1票)300~400件と多数であるなら、むしろLos688さんご提案の「簡易条件作成→残りを一旦戻す」が良いかと思います。もちろん、カイの迷宮さんご懸念の「書き換えたままで長期間放置」にならないよう、タイム・リミットは設ける前提で、ですが。
今回書き換えられた件数をT 件とし、結果的に戻さなくてよい=「太平洋戦争」だけがよい ものがA 件あるとします。
  • うちB 件を簡易条件でふるい出すと、戻すべき件数はその分へって(T - B) 件、再書き換えとなる件数もその分へって(A - B) 件。
  • 一律で戻してから、という方法だと、戻すべき件数はT 件丸々、再書き換えとなる件数もA 件丸々。
  • A が多数であるほど、また、ふるい出せる割合が高いほど、前者がより効率的となります。
(他の言い換え候補に消極的)「十五年戦争」との言い換えは無理があると考えます。(この用語は1931年の満州事変あたりからを、他方「太平洋戦争」「大東亜戦争」は開始時期を早いほうに解釈しても1937年の盧溝橋事件あたりからを指すと思われます。)「アジア太平洋戦争」はまだ普及していないようですから、文中で別途、言及するぐらいが丁度いいでしょう。
--Dumpty-Humpty 2008年8月11日 (月) 02:56 (UTC)[返信]
  • (Los688さんとDumpty-Humptyさんの提案に賛成) 遅くなりました、今までの経緯は読ませていただきました。私は歴史については専門的な知識はありませんが、一律差し戻しはあまりいい方法で無いとは思います(例外になるものが絶対にあると思うので)。だからこの意見は解決策となると思いました。--Imuzak 2008年8月12日 (火) 07:47 (UTC)[返信]

(コメント:脚注の利用)「零式艦上戦闘機」の先頭部分では、本文に「太平洋戦争」と書いておいて、それ以外の表現を脚注にしています。

本文: 日中戦争の半ばから太平洋戦争[1]の終戦まで
脚注: 1. 第二次世界大戦の太平洋戦線。当時の日本での呼称は大東亜戦争

場合によっては、このような記述方法もあるでしょう。とくに編集合戦になるような場合に有効かもしれません。[私が括弧書き(第二次世界大戦、大東亜戦争)を7月29日にコメント化したのに対して(8月2日に)復活があり、IPアドレスの方が8月3日に脚注にしてくれました。その後、当該箇所に編集は起こっていません。] --Kazov 2008年8月12日 (火) 08:30 (UTC)[返信]


(まとめ)

  • 一律差し戻し。(カイの迷宮の提案)
  • 記事名に「大東亜」がつくものは両方併記、西欧人名記事・西欧兵器記事については太平洋。それ以外は一旦戻す。(Los688氏の提案)
  • 各々の項目・記事ごとに検討。ただし、『大東亜戦争』と表記する場合に限っては『(太平洋戦争)』を併記又は付記。(219.25.162.64氏の提案)
  • 本文は「太平洋戦争」、それ以外の表現を脚注で。(Kazov氏の提案)
  • 差し戻しの場合、要約欄に「暫定的な差し戻しである」ことを明記。(Dumpty-Humpty氏の提案)

色々な案を提示していただき、本当に感謝します。今のところLos688氏の案への賛同者が3名で、私もこの案が現実的かと思います。本来は219.25.162.64氏の言われるように個別に検討すべきであろうし、Kazov氏の案も将来的な事を考えると有用な提案に思えますが、なんせ対象の数が多いので、個々の対処に時間がかかるのは躊躇を覚えますし、表記自体の議論については「太平洋戦争に関する表記を考える場」を別途設けて、そこで本格的な議論を行うのが最善ではと考えます。また、今回の対処はあくまでも「一律書き換えに対する暫定対処」であって、個々に適切な表現に変える事を妨げるものではありません。

あと、一律差し戻しに賛成して頂いたuaa氏にも感謝。ただ、一律差し戻しは一番手間がかからないのは確かですが、当初より多くの方が弊害を指摘しておられるので、代案があるのなら避けたいと思います。

皆さんに呼び掛けた手前、勝手にまとめましたが、Los688氏の提案を採用し、差し戻しを行う場合はDumpty-Humpty氏の指摘に沿って、要約欄に「井戸端での議論の結果、暫定的な差し戻しを実施」と書く、で、どうでしょうか?

異論が無ければ、具体的な条件の確認と対象記事の選別に入りたいと思いますが。(世間一般には盆休みの期間なので、来週前半ぐらいまでは待ちたいと思います)--カイの迷宮 2008年8月13日 (水) 06:06 (UTC)[返信]

僕はLos688様のご提案に賛同したつもりだったので異論ありません。--219.25.162.64 2008年8月15日 (金) 01:50 (UTC)[返信]

選択は人によって千差万別なのでなかなか難しいものもでてきそうですね。支那事変と同様に、日本での正式名称が占領政策と戦後教育によって徐々に一般化していつの間にか正式名称であるかのような錯覚が起こっていることから、立場によっても年齢によっても呼称は異なるので中立的な観点と難航を避ける意味でも原則両呼称併記が方針に適っていると思います。カイの迷宮氏の提案とLos688氏の提案を足したような感じでどうでしょう。

現在、一般的に「大東亜戦争」という用語を使用しているのは、ほぼ右派的・保守的な心情を持つ人々に限られていると考えます。一方、「アジア・太平洋戦争」という用語もありますが、こちらを使用しているのは、ほぼ左派的・リベラル的な心情を持つ人々に限られます。それ以外の中庸的・無思想的な人々が使用しているのは、ほぼ「太平洋戦争」のみと言って良く、最も一般的に使用されている言葉でもありますので、この「太平洋戦争」という用語が最もWP:NPOVであると考えます。よって、どうしても「大東亜戦争」「アジア・太平洋戦争」という用語を使わなければ説明できない部分のみを、その用語と「太平洋戦争」の併記とし、それ以外の部分は「太平洋戦争」のみとするのが百科事典として最も適切な記述であろうと考えます。--210.138.182.133 2008年10月3日 (金) 06:34 (UTC)[返信]

下で理由は書きましたが、論外です。--uaa 2008年10月4日 (土) 10:38 (UTC)[返信]
下に反論を書きました。--210.138.182.133 2008年10月4日 (土) 15:52 (UTC)[返信]
結局IPさんの主張は「今では太平洋戦争の呼称が多用されているから、大東亜戦争の呼称を削除すべきで併記もするべきではない」と言っているわけですね?論外です。Impact one 2008年10月5日 (日) 17:03 (UTC)[返信]
なぜ論外なのかをきちんと記述してください。--210.138.182.133 2008年10月5日 (日) 17:18 (UTC)[返信]
中立的な観点より。以上です。Impact one 2008年10月5日 (日) 18:31 (UTC)[返信]

基本的意見は上に書いたとおりですが、もしどうしても併記するというのなら「大東亜戦争」だけではなく、「アジア太平洋戦争」も併記するべきなのではないかと思います。3つも用語を併記するのは煩雑なのであまり推奨できないのですが、先日、図書館で最新の歴史教科書を見たところ、「アジア太平洋戦争」という用語がかなりの程度で言及されており(大東亜戦争と同程度か、やや上回るほど)、そのような普及度などを考えると「大東亜戦争」だけを併記して、「アジア太平洋戦争」を併記しないのも問題があるのではないかと思いますので。--210.138.182.133 2008年10月18日 (土) 19:42 (UTC)[返信]

かつて正式名称だったものとマスコミ造語を同列に扱うとは論外ですね。あなたはImpact oneさんの発言をブロック破りという理由で消しましたが、ログインしていないあなたの発言も同様に価値のないものです。これ以上愚にもつかない屁理屈でコミュニティを混乱させるのはやめて下さい。--uaa 2008年10月19日 (日) 09:54 (UTC)[返信]
日本政府の公称と一般的通称の問題については、下の「日中戦争と支那事変」の項で私だけではなく他の方々も散々書いておられるので、あえて繰り返しはいたしません。また、履歴をよく見ればわかると思いますが、Impact oneさんの発言を消したのはLos688さんとImuzakさんで、私はその消し忘れに同様の処理をしたり、インデントの修正をしただけです。それと議論にはきちんと議論で対応してください。感情的になって本筋とは関係のない暴言で他人の発言を封じようとするのはおやめください。--210.138.182.133 2008年10月19日 (日) 12:37 (UTC)[返信]

議論する相手の資格は本筋と関係ないどころか大前提です。そのようないい加減な立場で”併記も可”ということで落ち着いた議論を、”偏った思想を持った者が使う言葉”とか”マスコミ造語も併記せよ”というような的外れな理論でかき回さないでくれと言ってるんです。そのようなわけで、以後のあなたのこの場での発言は無効と考え、以前の同意を有効と考えて編集していきたいと思います。--uaa 2008年10月19日 (日) 14:47 (UTC)[返信]

繰り返しになりますが、「あなたの発言も同様に価値のないもの」「愚にもつかない屁理屈」「いい加減な立場」「的外れな理論」などの決め付けによる暴言はおやめください。議論で不利になったからといって、発言そのものを封じようとしたりするような真似はおやめいただくようお願いします。また、下の『日中戦争・支那事変』の項における他の方に対する発言でも、具体的な反論をせずに「偏見に基づくあまりにも無茶苦茶な理論」「まともにコメントする気にはなれません」などと勝手に議論を打ち切ったりすることをせず、反論するならきちんと反論をしていただくようお願いします。--210.138.182.133 2008年10月19日 (日) 15:32 (UTC)[返信]
無視するつもりでしたが、謂われのない侮辱を受けたので2点言っておきます。私は再三に亘りログインした上で議論に参加するようにお願いしてきましたが、あなたは無視していますね。また、今回の議論の発端となった、”大東亜戦争”や”支那事変”が右派の使う言葉と言う点について根拠を示すように要求しましたが、なされていません。根拠が示されない以上「愚にもつかない屁理屈」とか「偏見に基づくあまりにも無茶苦茶な理論」と扱われても仕方がないでしょう。--uaa 2008年10月19日 (日) 16:02 (UTC)[返信]
今のところログインするつもりはありません。それが理由で無視するというならそれはそれで別にかまいませんが、具体的な内容を伴わない反論を書くようなことはやめていただきたいのです。そういうものを書くのなら、何も書かないでいただきたい。「右派が使う言葉」云々については、これも『日中戦争と支那事変』の項で書いたことの繰り返しになってしまうのですが、「右派・左派というよりも、少数派であることが問題」ということです。例を挙げると、amazonの和書で検索するとヒットするのが、太平洋戦争は10240件、大東亜戦争は448件、アジア太平洋戦争は316件。また、日中戦争は3361件、支那事変は123件です。太平洋戦争や日中戦争に比べると他の用語が少数派なのは明らかだと思います。それから上にも書いてあるのですが、あなたが「偏見に基づくあまりにも無茶苦茶な理論」「まともにコメントする気にはなれません」としているのは、私ではなく他の方(johncapistranoさん)です。--210.138.182.133 2008年10月20日 (月) 15:08 (UTC)[返信]

議論の途中で具体的な内容をすり替えたのはあなたでしょう。少数派云々については、それを理由に一律除去は行なわないということで、以前の議論において合意されています。その後であなたが右派云々を持ち出してかき回したんでしょう。最後に私の意志を明確にしておきます。

  1. 少数派・多数派について明確に計る基準が存在しない。
  2. 仮に少数派だとしても、それを理由に一律除去には反対。(理由は以前の論議の通り)
  3. 仮に思想信条で使う用語が異なるのならば、両方併記しなければ中立性違反となる。
  4. 利便性を考えて記述を統一するべきだとするならば、日中戦争は全て正式名称である支那事変にするべきである。

以上の理由と提案者がIPユーザーであることから、今回の提案には同意できる部分はありません。--uaa 2008年10月20日 (月) 16:58 (UTC)[返信]

百歩譲って前の3つには同意するとしても(ただし3番目の論理なら「アジア太平洋戦争」も併記すべきという結論になってしまいますが)、最後の1つには同意できません。これも『日中戦争と支那事変』の項で私や他の方が散々書いたので繰り返しませんが、利便性を考えるのならば最も流通しているものを使用するのが当たり前の論理(利便性のみを考えれば正式名称云々など関係ない)ということと、そもそもなぜ「日本政府の公式名称(=正式名称ではないと思いますが)」だということが優先されるべき理由になるのか?ということを指摘しておきます。--210.138.182.133 2008年10月20日 (月) 17:46 (UTC)[返信]

横から失礼。IP氏の『「大東亜戦争」という用語を使用しているのは、ほぼ右派的・保守的な心情を持つ人々に限られていると考えます。一方、「アジア・太平洋戦争」という用語もありますが、こちらを使用しているのは、ほぼ左派的・リベラル的な心情を持つ人々に限られます。』という前提の根拠が不明ですし、下にも書きましたが、Uaa氏も仰るようにこのような場合は両論併記がもっともNPOVとなるものと考えます。--Dondokken 2008年10月20日 (月) 23:05 (UTC)[返信]

「当時の正式名称」にこだわると、「鎌倉幕府」や「平安時代」の表記もできなくなります。そうしたことも考えて、記述をきめていかないと、混乱するだけだと思います。ある意味、「交戦国一方の政府の決めた名称」自身が、POVになるという危険性を秘めていることを考えられたほうがいいのでは。 --ねこぱんだ 2008年10月20日 (月) 23:19 (UTC)[返信]

なるほど。ただ、「交戦国一方の政府の決めた名称」を記載せず、戦勝国の名称のみを表記するのもPOVの危険性があるとも言えますね。--Dondokken 2008年10月20日 (月) 23:27 (UTC)[返信]
よく読んでいただきたいのですが、私の論の中心は最初から「右派か左派か中庸か」ではなくあくまで「多数派か少数派か」にあります(誤解させる文だったのなら申し訳ありませんが)。上に数字を書いて示しましたが、そのことについてはいかがお考えでしょうか? また「正式名称」にこだわると、「イギリス」という通称にもすべて「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」という正式名称を併記する、ということになってしまいます。それから、あなたの言う「両論併記」とは、「太平洋戦争」「大東亜戦争」だけではなく「アジア太平洋戦争」も含めての併記に賛成ということでしょうか?--210.138.182.133 2008年10月21日 (火) 14:54 (UTC)[返信]
いや、ご自身の発言『「大東亜戦争」という用語を使用しているのは、ほぼ右派的・保守的な心情を持つ人々に限られていると考えます。一方、「アジア・太平洋戦争」という用語もありますが、こちらを使用しているのは、ほぼ左派的・リベラル的な心情を持つ人々に限られます。』の根拠が不明だと申したので、まず根拠を出してから語らないと無意味な感想文ではないかな、と。根拠を出せない感想だけで、はっきりとどれかを決められない状況ならば、カッコ書きでも併記の方向へ持っていくのがPOVにかなうものではないかな、と。--Dondokken 2008年10月21日 (火) 20:40 (UTC)[返信]

(インデント戻し)いや、だから私は言いたいのは「右派・左派云々」ではなく「多数派・少数派」だと言ってるんですが……。わかりました。その部分は取り下げます。というかよくよく考えましたら「あくまで一律書き換えに対する対処の討論」という話のようですので、Los688さんの提案に賛同いたします。ただ「西欧」の部分は「外国」とすべきかと思います。「米国」を抜かしたのはうっかりかと思いますが(「欧米」と言いたかったのではないかと)、「太平洋戦争」は非常に大きな事象なので、他にもアジアやアフリカ・南米などのものにも記述されている可能性があると思います。--210.138.182.133 2008年10月22日 (水) 15:44 (UTC)[返信]

私の結論としては基本、両語併記。上記の中でこちらの案を[1]支持させていただくことを表明しておきます。--Dondokken 2008年11月14日 (金) 06:54 (UTC)[返信]

どれを支持しているのかちょっとわかりにくいんですが、Impact oneさんの意見を支持ということでしょうか?--210.138.182.133 2008年11月14日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
そうです。--Dondokken 2008年11月15日 (土) 06:10 (UTC)[返信]
「太平洋戦争」という言葉は「太平洋」という言葉を文字通り解釈すれば、日本が起こした太平洋での海戦を主とした戦争というニュアンスを抱きますね。
でも、太平洋だけでなく、ビルマとかスリランカ付近やマダガスカル付近も戦場になっているんですよね。それらをも内包して「太平洋戦争」と一括りにするのはどうかと思います。
例えば、セイロン沖海戦マダガスカルの戦いは太平洋戦争に内包されているけど、セイロン沖やマダガスカル付近ってもうインド洋じゃないか(笑)? スリランカやマダガスカルが太平洋に面しているんですか(笑)? このように聞きたくなるんですが?
アメリカ関連記事では1941年から1945年までの対日戦争は「太平洋戦争」でいいと思う。--経済準学士 2008年11月21日 (金) 17:54 (UTC)[返信]
勝手に上のインデントを一部変えました。拙かったら戻して下さい。
それを言うなら「東亜」でもないのは明らかなんで「第二次世界大戦」で括るしかないことになりますが、そのテの例は結構あると思うので、拘らなくて好いんじゃないかと思います。「世界大戦」と言っても参戦してない国の方が多い筈だし、百年戦争だってずっと戦争してた訳じゃないし......
小生としては前にも述べたようにLos688氏の案に賛成です。取敢ず異論がないと思われる「西欧人名記事・西欧兵器記事については太平洋」部分だけでも先行して実行しませんか? 今までにこの部分に反対を表明された方はないですよね? martin 2008年11月22日 (土) 00:10 (UTC)[返信]

「日中戦争」「支那事変」「日支事変」「日華事変」の表記について

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uaa氏が支那事変日中戦争で同様の表記統一に対してリバートをかけていますが、これも同様に議論すべきでは無いでしょうか。日中戦争から日華事変へリバートしているページもあり、リダイレクト処理の観念無しに、編集されたからとにかくリバート、という姿勢はどうかと思います。基本的には支那事変も大東亜戦争と同様呼称に関するページですので、こちらにリンクする必然性があるページは少ないはずです。--R-H 2008年8月13日 (水) 19:25 (UTC)[返信]

確かに、日中戦争日華事変は議論すべきかもしれませんでした。しかし、支那事変はとりあえず一律リバートすべきと考えます。「太平洋戦争」は現在正式な名称となっていますが、「日中戦争」は正式な名称ではなく、日本では「支那事変」が正式名称です。だから、「支那事変」と表記された記事の出典資料が「支那事変」となっているのではないでしょうか?また、昭和14年から従軍記章の制定や金鵄勲章の論功行賞が行なわれており、正式な停戦はなくてもある程度区切られているようです。そのため、「大東亜戦争」(太平洋戦争)と区別するニュアンスで「支那事変」が使われている場合も多いと思います。例えば、軍人や出征した有名人の戦歴とか兵器の開発経緯の説明等では狭い意味での「支那事変」として年代を理解することが出来ます。本当は[[日中戦争|支那事変]]にするべきなのかも知れませんが。--uaa 2008年8月13日 (水) 20:24 (UTC)[返信]

「「日中戦争」は正式な名称ではなく、日本では「支那事変」が正式名称です」という根拠提示希望。「正式」の意味合いも。ちなみに、ここ数十年歴史学会では中国を舞台とする戦争は「日中戦争」または「十五年戦争」と呼称するのが普通。--118.105.196.245 2008年8月14日 (木) 13:40 (UTC)[返信]
あなたは118.105.210.18118.105.192.117と同一人物か?こういう論議にIPのまま参加されても混乱するので、アカウントを取得して参加してほしい。昭和12年9月2日閣議決定により「支那事変」が政府の正式名称とされており、現在でも政府が公式に使用している。大東亜戦争については政府も太平洋戦争に表記を変更しているが、「支那事変」については政府が公式に「日中戦争」とする旨の通達はされていないはず。もしあったら、それを提示してもらいたい。上でも述べたが、歴史学会での通称が「日中戦争」であるからといって百科事典の表記をそれに合わせて統一する必要はない。私個人としてはこのような場合、学会で主流になっている表記より政府の公式文書の表記が正統なものであると考える。--uaa 2008年8月15日 (金) 10:26 (UTC)[返信]
支那事変日支事変日華事変を、日中戦争に変更した者です(ただし、純粋な引用や、文章全体の流れからそのまま残すべきと判断したものについてはもともと変更をしておりません)。現代日本においては、百科事典や一般書籍・年表類・歴史教科書などを見ても「日中戦争」が最も一般的な呼称です。「支那事変」という呼称を使用しているものはごく少数の一般書籍で、「日支事変」「日華事変」はさらに少なく、そのような語句を知らない人も多いのではないかと思われます。wikipediaも一種の百科事典なのですから、現在の日本社会で最も一般的に使用されている呼称を採用するのが利便性の意味からも妥当だと考えます。なお、つけくわえておくと、複数の呼称が混在している項目を表記統一したものに関しては、リバートされてしまうと不統一な表記状態に戻ってしまうという弊害があることも指摘しておきます。--210.138.182.133 2008年8月14日 (木) 13:53 (UTC)インテンド変更しました。--uaa 2008年8月15日 (金) 10:26 (UTC)[返信]
戦史や軍人の経歴、著名人の従軍経験を読むと、その多くが「支那事変」を”太平洋戦争勃発以前の日中戦争”、特に”盧溝橋事件からの一連の戦闘行動”というニュアンスで使っています。あなたが変更した中から例示すると、歩兵操典では「その後、満州事変、支那事変の戦訓や(中略)により草案が発布され、1940年に最後の歩兵操典が制定発布された。」と書かれています。ゆとり世代の子供達が理解できないと御心配のようですが、知らなかった言葉を覚えるのも百科事典の役割ではないでしょうか?--uaa 2008年8月15日 (金) 10:26 (UTC)[返信]
Uaaさんは「日中戦争」と「支那事変」を別の事象として認識しておられるのでしょうか? 「日中戦争」と「支那事変」(および「日支事変」「日華事変」)が、基本的に同じ事象に対する別の呼称だということは、当の「支那事変」の項目にもちゃんと書いてあると思うのですが。支那事変が「大東亜戦争」に吸収されたように、日中戦争も「太平洋戦争」に吸収されたという解釈が現在の日本では一般的でしょう。繰り返しになりますが、純粋な引用と、「支那事変」でなければ文意が通じないような場合以外は、現在の日本において最も一般的な呼称である「日中戦争」とするべきだと考えます。僕はそれを吟味した上で変更すべきと判断したものを変更しましたが、あなたは一つ一つを吟味せずに一律にリバートをかけてしまっています。--210.138.182.133 2008年8月15日 (金) 15:17 (UTC)[返信]
あなたは219.25.162.64と同じ人ですか?こういう論議にIPのまま参加されても混乱するので、アカウントを取得してから参加して下さいね。このように表記の一律変更を行なう場合、Wikipedia:ウィキプロジェクト 歴史Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史、或いはこのWikipedia:井戸端のような場所で合意を経てからするべきなのに(このサブページの上の方にその辺のことが書いてあります。)、いきなり編集を強行されたあなたが差し戻した私を非難するのですか?失礼ながら、私は前記の理由からあなたが吟味したとは思っていません。ところで、「支那事変」は大東亜戦争(太平洋戦争)における特定の時期と場所を指す言葉として使用されていますが、「日中戦争」という言葉もそのようなニュアンスで使われているのでしょうか?--uaa 2008年8月15日 (金) 17:32 (UTC)[返信]
私は219.25.162.64という方とは別人です。合意形成をしてから編集すべき、ということについては、申し訳ありませんでした。ところで、「「支那事変」は大東亜戦争(太平洋戦争)における特定の時期と場所を指す言葉として使用されていますが、」という部分がよくわからないのですが。前の文章では、「「支那事変」を”太平洋戦争勃発以前の日中戦争”、特に”盧溝橋事件からの一連の戦闘行動”というニュアンスで使っています」と書いてますよね? 私は、支那事変は、盧溝橋事件に始まる日本と中華民国との戦争に対する(当時の日本側の)呼称であって、大東亜戦争勃発とともにそれに吸収された、と認識しております。日中戦争も同様であって(盧溝橋事件に始まる日本と中華民国との戦争に対する呼称であって、太平洋戦争勃発とともにそれに吸収された)、戦後になって支那事変という呼称が忌避されたため、日中戦争という呼称が一般的になった、と認識しています。--210.138.182.133 2008年8月15日 (金) 18:07 (UTC)(名前記入忘れ追記)[返信]

(インデント戻し)割り込むようで申し訳ないが、過去と現在で一般的な呼称が異なる場合、利便性のみで「現在では一般的な呼称」に統一しようとするのは、記事の正確性・時代性や出典からの正確な記述を担保する上で、非常に大きなリスクを犯す行為だと思う。従って、「大東亜戦争と太平洋戦争」にしろ「日中戦争と支那事変」にしろ、書き換えた後で議論をするのではなく、事前に議論してから編集する方が望ましいのは言うまでも無い。その点をもう少し考えて、慎重に編集してもらうと助かるな~と痛感する。あと根本的に「どちらが正しいか?」という議論では、なかなか合意を見出すのは難しいでしょう。--カイの迷宮 2008年8月15日 (金) 15:49 (UTC)[返信]

こういう微妙な問題では百科事典としての接続性を最重要視すればよいのではないでしょうか。単純に、日中戦争に日中戦争(支那事変)の主たる内容が書かれているのだから、そこにリンクするのが最も利用者にとって優しい作りだと思うのですが。「支那事変は盧溝橋~パールハーバーまでの日中戦争を指す」というのは「日中戦争の最初期に支那事変という名称が使われ、正式化された」「太平洋戦争の開戦に伴って中国からアメリカまで一体とした戦争の呼称が決定された」という2つの事実から「発表済みの情報の合成」を行っているのでは無いでしょうか。(戦争自体を示す単語として日中戦争・太平洋戦争で統一しました)--R-H 2008年8月15日 (金) 16:30 (UTC)[返信]
「発表済みの情報の合成」とのことですが、実際にそのような意味で使われていますよね。例えば、従軍歴の紹介で「昭和12年支那事変のため招集され、○○へ出征。昭和14年招集解除。昭和17年太平洋戦争のため再度招集される。」のように。「どちらが正しいか?」についてはカイの迷宮さんが仰るように、議論をすれば15年戦争の如く泥沼化するのが目に見えているのでコメントを避けますが、一律書き換えには反対します。出典資料で「支那事変」となっているものを一律「日中戦争」に書き換えるべきではないと考えるからです。確かに、リンクの件は私も日中戦争へリンクする方がいいと思います。そこでとりあえず、私が最初に書いたように[[日中戦争|支那事変]]とか[[支那事変]]([[日中戦争]])にしては如何でしょうか?--uaa 2008年8月15日 (金) 17:32 (UTC)[返信]
私も「どちらが正しいか?」という議論では結論が出づらいと考えます。よって、一般的な使用頻度と利便性を問題としたわけで、R-Hさんの仰るとおり、「百科事典としての接続性を最重要視」するのがよいのではないかと思います。出典の問題についても重要だとは思いますが、すべての出典を調べるのは事実上不可能なのではないでしょうか?(出典が記載されていない場合はどうやって調べるのか?) それと出典を最重要視すると、記述の統一性に問題が出てきます(第二次世界大戦では、ほぼすべて「日中戦争」と記述されていますが、1箇所だけ「日華事変」となっています)。--210.138.182.133 2008年8月15日 (金) 18:06 (UTC)--インデントを 2段、戻しました。--Dumpty-Humpty 2008年8月17日 (日) 21:10 (UTC)[返信]
(対処私案)
  • [[A]]([[B]]) を原則とする。A とB の一方は日中戦争にする。どちらを前置するか、簡便な基準を設けておく。
  • 引用につき出典に従い一方だけを表記する際…[[日中戦争|!出典における呼称!]]にする。同一記事中の他の部分で使用している呼称と異なる場合、引用直前/ 直後に“引用中、「!出典における呼称!」とあるのは「!他の部分で使用している呼称!」を指すと見られる。”といった一文を付ければよいかと。
R-Hさん発言にもあるが、利用者の利便性を考えれば項目「日中戦争」にリンクがあるほうがよい。
日本政府正式呼称が「支那事変」であることが項目「日中戦争」冒頭に書かれている限り、
このことを理由に「支那事変」に固執すべきでないと思う。
併記する項目は 2つが上限だろうから、「支那事変」に固執すると、
第三の呼称と[[支那事変]] (戦争の内容については結局、項目「日中戦争」を見ることになる)とか、
第三の呼称と[[日中戦争|支那事変]] (説明なく 3つの呼称が立て続けに出る)といった、
わざわざ利用者の不便を増すような措置になりうる。これは避けたい。
--Dumpty-Humpty 2008年8月17日 (日) 21:10 (UTC)[返信]
(抜粋) Dumpty-Humptyさんの対処私案には合意。第三の呼称の場合は日中戦争だけ併記すればいいと思う。--uaa 2008年8月18日 (月) 09:53 (UTC)--コメントを 2分割して前半を転記しました。--Dumpty-Humpty 2008年8月18日 (月) 19:46 (UTC)--[返信]
(大筋で合意) しかし、[[日中戦争|支那事変]]はwikipedia読者の可読性を損なう上、そのような引用を行う場合、文中に他で日中戦争が全く出てこないとは思えないので、あえてそこでパイプリンクはしなくてもよいのではないのでは。
また、第三の呼称は全てリダイレクトであるから、(もしそういう列挙があるなら)第三の呼称をパイプで繋ぎ、後ろに支那事変をつければいいと思います。第三の呼称のうち北支事変だけが支那事変にリダイレクトしているが、これは日中戦争に変更すべきではないでしょうか--R-H 2008年8月19日 (火) 05:27 (UTC)[返信]
(基本的に賛成) ただ、僕も[[日中戦争|支那事変]]は少々問題があるかと思います。すでに「支那事変」の項目がありますので。それならば[[支那事変]]([[日中戦争]])か、[[日中戦争]]([[支那事変]])の方が良いのではないかと。--210.138.182.133 2008年8月19日 (火) 17:04 (UTC)[返信]
(コメント)あれ、そんなにわかりにくかったですかね(汗)。私は[[日中戦争|支那事変]]などは避けたい、好ましくないと書いたつもりですが。R-Hさんの「第三の呼称は」以降がよくわからないので、もう少しかみ砕いて具体的に書いていただけませんか? --Dumpty-Humpty 2008年8月24日 (日) 13:44 (UTC)[返信]
なんかいろいろ失礼しました。確かに文意そうなってますね(汗「第三の呼称」は日中戦争・支那事変以外の戦争呼称(日華事変・北支事変等)を指したつもりです。つまり「第三の呼称」の場合は[[日中戦争|「第三の呼称」]]にすべきであり、支那事変を引用する際はとりあえずそれだけにしておき、本文中で日中戦争と支那事変を併記する、というのが私の考えです。--R-H 2008年8月24日 (日) 14:53 (UTC)[返信]
失礼しました。言われてみれば確かにおっしゃるとおりですね。読み違えていました。--210.138.182.133 2008年8月24日 (日) 15:27 (UTC)[返信]
(コメント: 見解)
Wikipedia における記述を巡り、uaaさん発言にある「政府の公式文書の表記が正統なものである」をふりかざすと、リスクが大きい場合がある。
出典が「政府の公式文書」だからと、Wikipedia 記事で正統な情報として最優先の待遇を与えることが、中立性に関して自滅につながるリスクがある例を 2つ挙げる。
  • まず本件。当時、戦争と呼ばずに事変と呼んだ背景に、「宣戦布告をしておらず、形式的には戦争ではない。」ことに双方がこだわった事情があり、日本政府正式呼称「支那事変」はその名残。どのような行為が繰り広げられたかにつき議論はあれど、実質的に戦争だったことは日本も認めている現在、Wikipedia で個々の用語の表記やリンクに至るまで「正式には支那事変」にこだわると、たとえば「日本が一方的に戦争を仕掛けたわけではない」といった考えにくみしている(中立的な観点を欠いている)心象を読者にもたらすリスクがある。
  • 「公式文書にそう書かれているわけ、その背景」を考えるべき例をもう 1つ。大東亜戦争/ 太平洋戦争も(少なくとも米国には)正式な宣戦布告をしなかった(最後通牒だけだった)が、米国あて最後通牒で結論を記した最後のページが在米日本大使館になかなか届かず、暗号解読が間に合わなかったという証言がNHKで報じられている。他方、この点、項目太平洋戦争〔特定版〕では大使館職員の不始末ぶりが詳述され、その情報源は「1946年調査の外務省の公文書」だけであり、中立的な観点とは言いがたい。この公文書が、終戦直後、米国占領下で、その米国に対する「抜き打ち」の責任を問われた外務省が、本国政府に都合が悪い要素を切り捨てて責任を大使館側にかぶせようとしたものだった可能性があるからだ。
最後に、イデオロギーとは無関係な、現代から見れば風変わりな公式文書の例を 2つ挙げる。
いずれも現在も法的に有効なものだが、たとえば“日本では明治 6年(1873年)以降、暦が太陰太陽暦からグレゴリオ暦に切り替えられた”という正しい記述を、この 2文書を根拠に「太陰暦から、神武天皇即位紀元を閏年の基準としたグレゴリオ暦と同等な太陽暦に切り替えられた」に変更するに妥当性が無いことは、論を待たないだろう。
--Dumpty-Humpty 2008年8月17日 (日) 21:10 (UTC)[返信]
(抜粋) しかし、「政府公式文書に於ける表記の正当性を振りかざすと中立性が疑われる。」という指摘には違和感を感じる。正式な宣戦布告が無い時点では実質的には戦争状態であっても、厳密に言えば「紛争」或いは「事変」であるから、「支那事変」の呼称は日本国政府による意図的な事実の歪曲によって作られた言葉ではない。だから、「支那事変」という言葉が「日本が一方的に戦争を仕掛けたわけではない」という主張と結びつけることは全く的外れだと思う。それなら逆に、「日中戦争」に拘るとウィキペディアはマスコミ等の日本悪者論を喧伝する勢力に与したと見られ、中立性を疑われる事になるのではないだろうか?--uaa 2008年8月18日 (月) 09:53 (UTC))--コメントを 2分割し後半を残しました。--Dumpty-Humpty 2008年8月18日 (月) 19:46 (UTC)--[返信]
日本で“日中戦争”はすでに通称になっているから、単独で示した場合、“支那事変”にくらべれば、リスクは低いと思いますよ。
一部報道メディアに「終戦までの一時期において、日本は一般に言われているほど悪業を働いたわけではない。」といった主張をかかげているものはあっても、
「だから“日中戦争”なる用語は断固、使わない。」という国内報道メディアは珍しいかと。
過去の出来事をWikipedia に記述するにあたり、当時どうだったかを考慮すること自体は重要であり、
たとえば、米国で女性やアフロ・アメリカンを差別する意味/ 響き/ 用法があるとして公式文書や報道などで使われなくなった言葉を、
使われていた当時に関するWikipedia 記述からすべて排除することが妥当か、というと、必ずしもそうでもない。
気をつけないと、「米国で当時そうした言葉で差別が行われていた」事実を薄めてしまうおそれがあります。
でも、「当時どうだったか」だけでは記述方針の根拠にならない。
本件に戻ると、過去の一時期だけに由来する(ア)「当初は事変であり、その名残で今も日本政府正式名称は“支那事変”である」
という事実は、Wikipedia で“支那事変”という呼称を優先する根拠としては弱いです。
Wikipedia では、現在および近い将来の読者に百科事典として何をどのように伝えるべきか、を考える必要があります。
戦後の現在をふくむ長い期間に由来する
(イ)「実質的には戦争だったものであり、それを双方が認めている」や(ウ)「日本ではニュース報道メディアもふくめ、“日中戦争”が通称となっている」
といった事実を(ア)とあわせて考えてどうか、ということです。
対処私案に同意いただけたことは嬉しいのですが、
uaa さんが挙げている“支那事変”を優先すべき根拠の具体例は、ほとんどが支那事変・日中戦争-終戦の期間のもので、
「(ア)は項目支那事変日中戦争できちんと扱うだけでは不充分であり、
他記事における記述などにまでふくめて、(イ)や(ウ)よりも重視して反映させるべきである」という根拠としては弱いと思います。
国家が軍事行動に国民を巻き込み、報道機関も協力して戦争に突き進んでいった様子を想像してみてください。
“支那事変”や“日支事変”や“大東亜”いった用語が多く登場する当時の資料は、国威発揚のために意図的に作られたものかもしれない、
兵士が政府・軍に不都合な真実を家族に伝えようとしても、検閲で引っかかっていただろう。
時代背景に関する考慮が必要だと思います。
--Dumpty-Humpty 2008年8月18日 (月) 19:46 (UTC)[返信]
私が言いたいのは、どちらの言葉を使うことにもそれなりに根拠があるのだから無理矢理一方に書き換えるべきではないということであり、前回の発言は一方に統一すれば「日中戦争」に統一した場合でも中立性が疑われるリスクはあると指摘しただけである。どっちが正しいとか優先されるべきだという議論をするつもりはないし、その点では他の方々も同じ考えであるように見られる。あと、個人の独断による「時代背景に関する考慮」は、中立性を完全に崩壊させる結果になるので、絶対にやめてもらいたい。--uaa 2008年8月18日 (月) 20:54 (UTC)[返信]
もちろん出典に支那事変と書いてあるものを引用する場合、それを書き換えるのはよくないと思います。しかし、参考にして、文章を作る場合は日中戦争に書き換えても構わないのでは?
たとえば軍人のボックスの中の「従軍した戦争の一覧」みたいなところに日中戦争と書くことは決して引用違反にはならないと思いますがどうでしょうか。逆に15日にuaa氏が書いた個人の従軍歴のようなものを引用する時は当然そのまま書けばよいと思います。(この矛盾はinfoboxの可読性のためであり、本文において軍人の従軍歴を引用する際には、そちらできちんと引用すればよいと思います。)
そして、本文では、最初に日中戦争という語句が出てきたところに[[日中戦争]]([[支那事変]])と書いてその後は日中戦争と書くだけでよいかと。--R-H 2008年8月19日 (火) 05:27 (UTC)[返信]
これもR-Hさんと同じになってしまいますが、出典については、直接的な引用の場合はもちろんそのままでなければいけませんが、それ以外の場合は要旨や文意が変わってしまうようなことがなければ、細かな語句(歴史用語など)は変えても別に問題はないと思います。変更してならないのはあくまで要旨や文意であって、それに影響を与えない限り、語句には変更を加えても問題はないのではないでしょうか。--210.138.182.133 2008年8月19日 (火) 17:04 (UTC)[返信]
uaaさん、最後の一文は違いますよ。「考慮する」という行為自体にケチをつけるのは筋違いです。他編集者に「時代背景に関して考慮する」という行為をやめさせる権利は、だれにもありません。もっとも、uaaさんが既に挙げた根拠は、時代背景に関して考慮した具体例かと思われます。私が挙げた具体例は、表現を「かもしれない」「だろう」と和らげましたが、この期間内に国威発揚活動が行われていたことも、検閲が行われていたことも史実です。uaaさんと私、いずれの具体例も、歴史を物語るものです。建設的な議論を望むなら、他編集者に思考停止を求める発言は、二度と繰り返さないでください。--Dumpty-Humpty 2008年8月24日 (日) 13:44 (UTC)[返信]

(戻します)私も直接的な引用以外の場合は語句を変更しても問題ないと思います。infoboxの記述等はプロジェクトで話し合った上で統一する必要があると思いますが、原則的に語句の選択は執筆者の選択に任せるべきだと思います。しかし、第三者がそれを変える場合は執筆者の意図したと文意と違ってくるおそれがあるので、慎重にするべきだと思います。--uaa 2008年8月19日 (火) 18:38 (UTC)[返信]

「執筆者の意図した文意」は新しい視点ですね。意味合いが違う言葉だから、機械的に置き換えると文意が変わる可能性がありますね。ただ、同じ記事項目、少なくとも同じ節の中では、引用以外はそろえたほうが、とも思います。可読性とのバランスですね。「他の用語を使う必要がなければ“!統一用語!”にそろえてください」とコメントアウトで書いておく、という方法もありかも。(手間はかかってしまいますが。)--Dumpty-Humpty 2008年8月24日 (日) 13:44 (UTC)[返信]
「執筆者の意図した文意」は、それぞれの文章を見て、それぞれの執筆者が個々に判断するしかないので、基準を設けるのが難しいですね。ただ、その一方で「特に重要な文意が含まれていない語句(いわば中立的な語句)」というものもあると思います。そういうものはある程度統一したほうがいいと思うのですが。--210.138.182.133 2008年8月24日 (日) 15:27 (UTC)[返信]
大東亜戦争と太平洋戦争、支那事変と日中戦争などの呼称問題については『讀賣新聞』が「昭和戦争」という語を使ってうまくまとめた例があります。
どれを使ってもイデオロギーや立場(同じ日本軍でも日本海軍では太平洋戦争という語か使われていた史料もあります)が反映されますし。また塘沽停戦協定で一旦ピリオドが打たれたのに「十五年戦争」と表記するのは史実に反するが、一般の日本人にとってはもはや連続した一連の戦争という認識を反映させたなかなか上手い造語だと感じました。参考までに--Yonoemon 2008年9月20日 (土) 14:20 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。昭和戦争という呼称は初耳ですが、すでに項目があるようですね。ただ、昭和戦争や十五年戦争は、日中戦争・支那事変とも太平洋戦争・大東亜戦争とも指し示す範囲が違い、置き換えることができません。また昭和戦争の項目中でも説明されているように、およそ一般的呼称とは言いがたいので、使用は無理であろうと思います。--210.138.182.133 2008年9月26日 (金) 15:59 (UTC)[返信]
「執筆者の意図した文意」という視点は、どう意味なのか理解できません。百科事典であるということは、客観性を持つことが重要ではないかと考えるからです。基本的な姿勢は「統一用語」にするということでいいと思います。--219.25.162.64 2008年9月27日 (土) 04:07 (UTC)[返信]

(インデント戻し)少々、意見が変わりました。上の「太平洋戦争」と「大東亜戦争」に書いたのですが、それを援用するとこうなります。『現在、一般的に「支那事変」という用語を使用しているのは、ほぼ右派的・保守的な心情を持つ人々に限られていると考えます。それ以外の人々は、左派的・リベラル的な心情を持つ人々から、大多数を占める中庸的・無思想的な人々まで、使用しているのはほぼ「日中戦争」のみと言ってよく、最も一般的に使用されている言葉でもありますので、この「日中戦争」という用語が最もWP:NPOVであると考えます。よって、どうしても「支那事変」「日支事変」「日華事変」「北支事変」という用語を使わなければ説明できない部分のみを、その用語と「日中戦争」の併記とし、それ以外の部分は「日中戦争」のみとするのが百科事典として最も適切な記述であろうと考えます』。--210.138.182.133 2008年10月4日 (土) 06:18 (UTC)[返信]

>『現在、一般的に「支那事変」という用語を使用しているのは、ほぼ右派的・保守的な心情を持つ人々に限られていると考えます。[要出典]
根拠のないレッテル張りで議論を混乱させないように。ただでさえあなたはログインせずに議論への参加を続けて居ることで、議論の混乱を意図していると疑われても仕方がない立場なんだから。それに、左派・リベラルの使用している用語が最もWP:NPOVであると言うのは暴論でしかありません(中庸的・無思想的な人々が「日中戦争」を使うというのは嘘ですね。年代によっても違うでしょう。)。--uaa 2008年10月4日 (土) 09:50 (UTC)[返信]
「中庸的・無思想的な人々が「日中戦争」を使うというのは嘘」というのはいかがなものでしょうか? もちろん100%全員ということはありませんし、年代によって違うというのもあるでしょうが、大半が「日中戦争」を使っているのは明らかでしょう(あくまで割合の問題です。もし100%でないのなら「嘘」だというのなら極論に過ぎます)。出典も何も、世間の一般的著作物・新聞・テレビなどのメディア(日中戦争をテーマとしていないようなものも含めた全て)を見渡せばわかることなのではないかと思うのですが。また、当然ながら左派的・リベラル的な人々の使用している用語が最もWP:NPOVであるなどとは言っていません。中庸的・無思想的な人々が使用している用語が最もWP:NPOVであると言っているわけです。「太平洋戦争(大東亜戦争、アジア・太平洋戦争)」の場合と違って、左派的・リベラル的な人々が使用している独自な(?)用語がなく、中庸的・無思想的な人々が使用している用語と同じものを使用しているので、「左派的・リベラル的な心情を持つ人々から、大多数を占める中庸的・無思想的な人々まで、使用しているのはほぼ「日中戦争」のみと言ってよく」と書いたわけです。表現がわかりにくかったとしたら申し訳ありませんが。--210.138.182.133 2008年10月4日 (土) 15:50 (UTC)[返信]
IPさんの主張はかなり理論が飛躍してますね。「”支那事変”という言葉を使うのは右翼」とういうレッテルを張り、WP:NPOVを持ち出して「”日中戦争”を使うことがWP:NPOVである」と無理矢理結論づけています。私が先程[要出典]を要求したのは「”支那事変”という言葉を使うのは右翼」という部分ですが、どちらの言葉を使うかということと思想を関連付けているのは乱暴ではないでしょうか?また、仮に思想によって使う言葉が違うのなら、全て両論併記しなければならないでしょう。”日中戦争”に統一する方が中立性を疑われることになります。
そもそも、”日中戦争”という言葉はメディアによる造語なのだから新聞やテレビでは多く使われているでしょうね。しかし、”世間の一般的・・・を見渡せば”というのはあなたの主観でしかありません。昭和12年9月2日閣議決定の後”太平洋戦争”の場合のように政府のよる公式な通達がない以上、正しくは”支那事変(いわゆる日中戦争)”なのです。--uaa 2008年10月4日 (土) 17:09 (UTC)[返信]
「”支那事変”という言葉を使うのは右翼」とどこに書いてあるのでしょう? 「右派的・保守的な心情を持つ人々」とは書きましたが、「右翼」とは書いていません(この2者の間には大きな違いがあります)。僕が問題としているのは思想的に右派か左派かではなく、数的にごく少数派だということです(結果として右派・左派は少数派となるということ)。現実として一般社会においては「日中戦争」が使用される頻度が圧倒的に高く、「支那事変」が使用される頻度は圧倒的に少ないということです。もちろんたとえ少数派であっても「日中戦争」「支那事変」の項目中では両論併記する必要がありますが、全ての項目において「日中戦争」という言葉が出てくるたびに「支那事変」を併記するのは、流通性という意味でも、また通読性においても非現実的だと考えます。また、新聞やテレビでは「日中戦争」が多く使われていることをお認めになっておられますが、それが一般的に広く使われているということなのです(さらに教科書や百科事典なども「日中戦争」がほとんど)。そこらを歩いている人が会話の中で使っている言葉など、私もあなたも出典としては示せないでしょうし、ウィキペディアにおける出典はそういうものを求めてはいないと思うのですが。政府による公式な通達云々については、既にDumpty-Humptyさんが触れておられるので割愛させていただきます。--210.138.182.133 2008年10月4日 (土) 17:47 (UTC)[返信]

(インデント戻し)”数的にごく少数派”というのは根拠がないですね。マスコミはともかく、ゆとり教育の教科書ではなく出典資料となるような出版物では”支那事変”の表現の方が多く見られます。あなたの言う一般社会がどういうものか知りませんが、こういう議論の場で自分が知っている狭い世界を語るのはみっともないですよ。
Dumpty-Humptyさんの”時代背景に関する考慮”も乱暴ですね。「“支那事変”や“日支事変”・・・といった用語が多く登場する当時の資料は・・・検閲で引っかかっていただろう。」っていうけど、当時は”日中戦争”という言葉がなかったんだから、反戦的な考えを持った人でも“支那事変”という言葉を強制されて使ってたわけではないでしょう。正直言うとDumpty-Humptyさんの主張は「・・・は根拠が弱い」とか理論が飛躍しすぎて何を言おうとしているのか理解できませんね。確かに、”戦争”ではなく”事変”であるというのは当時の両国政府の政治的な都合であり、実質的には戦争でしょうが、形式的には正式な戦争ではないということも事実です。だから、「“事変”という言葉を使うことは当時の政府の主張に与したものであるから中立的ではない。」という主張は的外れです。--uaa 2008年10月4日 (土) 18:35 (UTC)[返信]

「支那事変」が数的にごく少数派というのは紛れもない事実でしょう。そもそもここで問題としているのは「出典資料となるような出版物」ではなく「あらゆる出版物」ですし、さらに出典資料となるような出版物においても、「支那事変」の表現の方が多く見られるなどとは到底言えない。本気でそのように思っておられるのでしょうか? 「こういう議論の場で自分が知っている狭い世界を語るのはみっともないですよ」という言葉は、そっくりそのままお返しさせていただきます。また、百科辞典(ウィキペディア)において使われる用語は、その当時に使われていた用語や、政府による公式な名称などよりも、現在最も一般的に普及している用語が優先されるのが、その役割から考えれば当然ではないでしょうか。Dumpty-Humptyさんの主張はそれほどわかりにくいものではないと思いますが。--210.138.182.133 2008年10月5日 (日) 08:41 (UTC)[返信]
”「支那事変」が数的にごく少数派”というのがあなたの主観であると言うことだけは紛れもない事実ですね。それ以上にあなたが間違っているのは、「百科辞典において使われる用語は・・・現在最も一般的に普及している用語が優先される」という考え方です。一般的に普及している用語と言っても所詮通称です。分かり易くするために併記することはいいですが、通称で統一などと言う暴挙には反対です。--uaa 2008年10月5日 (日) 09:52 (UTC)[返信]
他の方の意見の繰り返しで特に意味はありませんが、戦争の名称は閣議決定で決められるという訳でなく、支那事変と大東亜戦争について閣議決定があった(当時の日本政府の立場を示した)というだけでそれ以上でも以下でもない。政府関係でも日中戦争や太平洋戦争の用例の方が多い。文献でも恐らくこれら閣議決定に触れている≠正式名称だと思う。それが右翼か保守かその他か何なのかは知りませんが「閣議決定こそが正式名称の証だ」と主張しているのは特定の立場の人に限られていると思います(閣議決定以外の出典を挙げて頂かないとそうでないという根拠にはなりません)。一寸検索した結果で実数は不明ですが、条文に太平洋戦争を含む法律が9、大東亜戦争は検出せず、閣議で大東亜戦争に含まれた筈の支那事変を含むものが1ありました。johncapistrano 2008年10月5日 (日) 10:18 (UTC)[返信]
”主張しているのは特定の立場の人に限られていると思います”で”閣議決定以外の出典を挙げて頂かないとそうでないという根拠にはなりません”ですか?偏見に基づくあまりにも無茶苦茶な理論ですね。まともにコメントする気にはなれません。--uaa 2008年10月5日 (日) 11:53 (UTC)[返信]
信夫清三郎みたいに「呼び換えは欺瞞だから呼び換えない」というなら結構あるようだしどうこうはいいませんが、戦前の閣議決定が法令の条文より効力があって、戦争の名称を改めるには通達が必要ってuaa氏の主張ですよね。ウェブ上ではよくあるようだし、大東亜戦争の項目で議論済みでしたが(呼び換えは欺瞞というのは反映されてませんが)、公的にも曖昧なのが現状でどのように主張するかは主張が反映されるものですよね。私はWikipedia:削除依頼/Category:大東亜戦争とCategory:十五年戦争では現状のカテゴリには不満だったんですが、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_軍事史#カテゴリー「十五年戦争」に関してに議論場所が移され盛り上がりもせずに削除という状況で、日本の過去のイデオロギーそのものには蓋がされている感じがしますね。重複や繰り返しの議論をしないというのは重要なことですよね(統合提案などを見る限り議論以前の問題の筈)。大日本帝国において「大東亜戦争」がどのように組み立てられたのかというのは寧ろあるべきかとは思いますが(portal:大東亜共栄圏では不十分、大東亜共栄圏に書くことでもなさそう)、「正式名称」とか(日本側のかつての公式呼称であることには違いないが)正当化だとかは勘弁して欲しい。信頼できる情報源を満たす出典であれば恐らく何らかの評価があるでしょう。uaa氏の書込みを読んで疑問に思うのは、一次資料のみが出典ではないし、評価は研究者のものの紹介に留めるべきというのは抜け落ちていませんか? 議論以前の整理の問題だと思っていましたが、イデオロギーに蓋というのはよくあることなんですかね。中立的な観点からもイデオロギーを明白にすることは推奨されていると思います。イデオロギーに言及があるごとにレッテル貼りだの偏見だのと呼ばわるだけで出典を示さないのでは議論が成立しないのでは(中立的な用例があるなら出典を示せば済む話で、それが大量であるなら他の方も意見を変えるでしょう)。私は出典が揃えられて記述が整理されていれば記事名はさほど重要でないと思っています。でも重複記述や全てにおいて併記とか無駄でしょうがないと多くの方は感じている筈です(上記の議論をそれ以外に読めるのは不思議)。johncapistrano 2008年10月5日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
“「支那事変」が数的に少数派ではない”というのが、あなたの主観であると言うこともまた紛れもない事実かと思いますが。「百科辞典において使われる用語は・・・現在最も一般的に普及している用語が優先される」のが間違いだとしたら、世の中のほとんどすべての百科事典は間違っているということになりますね。同じことの繰り返しになりますが、閣議決定であろうが通称であろうが、百科事典に使われる用語の妥当性には別に関係がありません。一般性や利便性こそが重要なのです。また、歴史用語については、時代によって使われる名称が変わるということはよくあることです。--210.138.182.133 2008年10月5日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
「一般性や利便性こそが重要なのです」(IP氏) いいえウィキペディアは一般の百科事典とは違って「中立的な観点」がそれよりも重要視されています。よって「百科辞典において使われる用語は・・・現在最も一般的に普及している用語が優先される」(IP氏は原則として併記に反対されていることから「最も一般的に普及している用語以外は記さない」ですね)と何度繰り返し主張しても無意味です。他の参加者が労力を惜しまずにおこなった併記を「無駄」などと断じているjohncapistranoさんも、併記を片っ端から書き換えて大東亜戦争や支那事変の呼称を削除すること、主観を並べ立てて「こっちのほうが多数派だ」などというウィキペディアの方針からすると水掛け論的な議論のほうがずっと「無駄」と気づいてもらいたいですね。「中立的な観点からもイデオロギーを明白にすることは推奨されている」と考えているなら、なぜ閣議決定までされた正式名称が、戦後どういった勢力がどのようにして、どういう目的で、次第に使われなくなってきているのかを明白にしたうえで「中立的な観点」を考えるべきでしょう。Impact one 2008年10月5日 (日) 18:31 (UTC)[返信]

横から失礼しますが、このような場合はUaa氏も仰っているように「併記」でいいのでは?それがフェアですし、どちらか一方にした時点でPOVでしょ。また、johncapistrano氏の「保守」やら「右翼」やら「イデオロギー」やら余計な言葉・レッテルを入れて語るのはお止めになったほうがよろしいかと思います。議論にまったく無意味な言葉であり、場が荒れるだけだと思いますよ。--Dondokken 2008年10月20日 (月) 22:56 (UTC)[返信]

中立的な観点をよくご理解ください。呼称が正式かどうかは大東亜戦争支那事変の項目に出典付きで加筆するなどして下さい。ここでの議論で何が正式かは決まる筈がありません。johncapistrano 2008年10月21日 (火) 00:02 (UTC)[返信]
正式な用語を決めるための議論をしてるのではないと思うんですがね。世の中に反対する論もあるならば併記する方向で考えることがNPOVというものです。右翼だの余計な言葉が出ている時点で危険ですよ。--Dondokken 2008年10月21日 (火) 00:36 (UTC)[返信]
併記には反対していませんが、この場にそぐわない「閣議決定による正式名称」という主張を繰り返しているのはuaa氏です。冒頭に並記して後は略すればいいでしょう。
IP氏に同意している訳でもありません。編集合戦をする動機がよく分かりません。johncapistrano 2008年10月21日 (火) 00:47 (UTC)[返信]
じゃ特に私の意見と大差はなく、反対ではないということじゃないですか。右翼などと余計な言葉を言うな、という私の発言が気に入らなかったので何か言い返したかっただけということでしょうかね。--Dondokken 2008年10月21日 (火) 00:55 (UTC)[返信]

上にも書きましたが、「多数派の呼称(一般的)と少数派の呼称(非一般的)」についてはいかがお考えなのでしょうか?--210.138.182.133 2008年10月21日 (火) 14:54 (UTC)[返信]

多数派ということが証明できるならそれを提示して多数派として記載すればいいんじゃにでしょうかね。もちろんそこで少数派も切ってはなりませんが。--Dondokken 2008年10月21日 (火) 20:40 (UTC)[返信]
「日中戦争」や「支那事変」の項目では、もちろんそういうことを記載する必要があると思います(というか既にそうされていると思います)。しかし、「日中戦争」という言葉が項目中で使われてはいるものの、日中戦争との関係自体は薄い項目においてそういうことをするのは、johncapistranoさんの仰るように無駄でしょうがないと思います。妥協案として、Dumpty-Humptyさんのご提案にプラスした形で以下のようなものではいかがでしょうか。
  • 日中戦争における日本が関連する軍事・政治・事象などの関連項目では、最初に用語が出てくる部分で[[日中戦争]]([[支那事変]])(ただし項目名に「支那(または北支など)」がつく項目では[[支那事変]]([[日中戦争]]))とし、それ以降の文中では日中戦争のみとする。
  • 外国(中国以外も含む)の軍事・政治・事象などの関連項目(日本が関連しない項目)や、そもそも日中戦争における軍事・政治・事象などとは関連性が薄い項目では[[日中戦争]]のみとする。
またR-Hさんが問題提起された北支事変については、いろいろ考えたのですが、どちらのリダイレクトともせず独立項目としたほうがいいのではないでしょうか? 指し示す範囲が日中戦争(支那事変)とは違いますので。必要最小限の記述を記した独立項目として、「事象については[[日中戦争]]を、呼称については[[支那事変]]をそれぞれ参照」とでもするのがいいのではないかなと。--210.138.182.133 2008年10月22日 (水) 15:44 (UTC)[返信]

理由は今まで述べているので繰り返しませんが、項目中の記述で元資料や文脈上「支那事変」とした方がいい場合も多く見られるので、一律書き換えには同意しかねます。あなたが何故表現の統一に拘るのかが理解できません。それと、繰り返しますがIPユーザーの立場で仕切られても信用はされません。--uaa 2008年10月22日 (水) 16:19 (UTC)[返信]

別に仕切ろうとかそういうつもりはないんですけどね。私の意見も上で散々述べているので繰り返しはしません。IPユーザー云々はあなたのご意見として伺っておきます。--210.138.182.133 2008年10月23日 (木) 13:10 (UTC)[返信]
この場はIPユーザー云々のことを議論するところではありません。お願いですから、議論を続けてください。事実上議論が停止してしまったため、この場の議論に参加していた何人かを召集させていただきました。----Imuzak 2008年11月13日 (木) 11:59 (UTC)[返信]
議論参加者の参加姿勢は議論の中で問われて当然です。しかも、アカウント取得しない理由が理由になっていない
議論については、一旦終了したものを210.138.182.133 氏が新たな理由を付けて蒸し返したものであり、その理由についてはその後本人が撤回しています。このようなわけで、議論続行をお願いされてもいい加減疲れます。--uaa 2008年11月14日 (金) 07:00 (UTC)[返信]

210.138.182.133氏の『最初に出てくるところだけ(「日中戦争」「支那事変」)の両併記で、それ以降の文中では日中戦争のみとする』という論には反対を表明しておきます。「それ以降の文中」に「支那事変のみとする」ことも有り得るわけで、公平性に欠きます。その用語を使う部分はすべて併記ならば理解もできますが。個人的には、この用語を使うところは基本両語併記とし、あとは用語の順序や一方の用語のみを使う場をどうするか、を考えたいかな、と思っています。--Dondokken 2008年11月14日 (金) 07:17 (UTC)[返信]

ちょっとすみません、uaaさん。議論は結論が出たときに終了するものではないでしょうか、結論の節がないんですが。あと、たしかに、210.138.182.133さんがアカウントを作成しない理由が、理由になっていないのは同感ですが、210.138.182.133さんがアカウントについてよく知らなかったからではないでしょうか?その可能性は考えなかったんですか?その可能性を考えていたんだとしたら、詳しく教えてあげたらいいんじゃないでしょうか。それと、あなたの人に反論するときの発言はちょっと乱暴過ぎじゃないですか?そういう言い回しは、トラブルを加速させるだけです。抑えてください。と言うわけです。議論を続けるか、結論を示してください。--Imuzak 2008年11月14日 (金) 08:59 (UTC)[返信]
Dondokkenさんの提案に賛成します。--Imuzak 2008年11月14日 (金) 09:15 (UTC)[返信]
すいません。提案の最初の項目の書き方が不十分でしたね。きちんと書き直すと、
「日中戦争における日本が関連する軍事・政治・事象などの関連項目では、最初に用語が出てくる部分で[[日中戦争]]([[支那事変]])とする。ただし項目名に「支那(または北支など)」がつく項目では[[支那事変]]([[日中戦争]]))とする。それ以降の文中では、日中戦争(支那事変)の場合は日中戦争のみとし、支那事変(日中戦争)の場合は支那事変のみとする。」となります。--210.138.182.133 2008年11月14日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
これが結論ということでよろしいでしょうか。--Imuzak 2008年11月14日 (金) 23:32 (UTC)[返信]

それでしたら私は反対はしません。ただあとは「日支事変」「日華事変」をどうするか、提案していただきたいところです。--Dondokken 2008年11月15日 (土) 06:10 (UTC)[返信]

たしかに、「日支事変」、「日華事変」の話が決まってませんね。では、上記の「「支那(または北支など)」がつく項目では[[支那事変]]([[日中戦争]]))とする」のような対応では、(まだ具体的でなくてすみませんが)どうでしょうか。--Imuzak 2008年11月15日 (土) 13:03 (UTC)[返信]
「日支事変」「日華事変」(第3の呼称)については、Dumpty-HumptyさんやR-Hさんのご意見も参考にさせていただき、
  • ①項目中で「日中戦争」「支那事変」「第3の呼称」の3種類が使われている場合は、適宜「日中戦争(または支那事変)」に置き換える(同じ項目中に3つ以上の呼称が出てくることを避ける)。
  • ②「日中戦争」と「第3の呼称」の2つが使われている場合は、そのまま。
  • ③「支那事変」と「第3の呼称」の2つが使われている場合は、「第3の呼称」を「日中戦争」に変更。
  • ④「第3の呼称」のみが使われている場合は、「日中戦争」のみを併記。
といった感じでどうでしょうか?--210.138.182.133 2008年11月15日 (土) 16:32 (UTC)[返信]
その方法、いいですね。あとは、前に来るほうの呼び名(つまり、日支事変(日華事変)で言うと、日支事変の部分)をその文脈に合ったものにすることも必要になってきますね。--Imuzak 2008年11月16日 (日) 05:32 (UTC)[返信]

「日支事変」「日華事変」(第3の呼称)について、②④は賛成です。①③ですが、「同じ項目中に3つ以上の呼称が出てくることを避ける」必要があるのでしょうか?

”日中戦争(支那事変)・支那事変(日中戦争)”の件については、併記は一カ所のみでもいいと思いますが、それ以降の本文をどちらかに統一するのには反対です。出典資料が「日中戦争」であったり「支那事変」であったりするでしょうから、それを無理に書き換えるべきではないと思います。これらの言葉が出て来るのは当然日本と中国との戦争に関する記事が多いでしょう。そういう記事には、”日本側の立場”と”中国側の立場”の両方が紹介されている場合も多く、書き分けも違和感はないと思います。--uaa 2008年11月16日 (日) 16:58 (UTC)[返信]

「日支事変」「日華事変」に関して。IP氏の①③には反対です。私は「日支事変」「日華事変」という表現を「日中戦争(支那事変)」「支那事変(日中戦争)」の冒頭併記の場で「脚注」を入れて『「日支事変」「日華事変」このような呼称もある』と追加することが公平性ある記述と考えますがいかがでしょう。

uaa氏へ。では、210.138.182.133氏の提案(これの右下の提案)を基本とし、特例として出典資料をもとに書く場合は「出典表現」のみとするというのはいかがでしょう。例えば冒頭で「日中戦争(支那事変)」とした記事で、以後「日中戦争」のみの用語で記載されていた記事において、出典先に「支那事変」とされている文を記載する場合には「支那事変」と出典先の表現のままに記載できる、逆に冒頭で「支那事変(日中戦争)」とされ、以後の本文中には「支那事変」という用語のみが使われていた記事において、「日中戦争」という用語が使われている出典資料を使った文を記述する際には「日中戦争」と出典資料の表現のまま記述できる、というのはいかがでしょう?--Dondokken 2008年11月17日 (月) 08:08 (UTC)[返信]

Imuzakさんの「招集」に応じて、また議論に参加する次第。←Imuzakさん、「召集」じゃないですよぉ。
①と③には、私も疑問符が付きました。uaaさんも書いていますが、
出典表記に合わせる・ある立場を説明するなど、特定の呼称を使う必要がある場合も出てくるでしょう。
8月の対処私案に書いたように「説明なく 3つの呼称が立て続けに出るのは、利用者の不便を増すことになり、避けたい」とは、今でも思います。
その点で Dondokkenさんの追加案には大筋で同意。
なお、当時政府は「支那事変」と呼び、また初期には「北支事変」※ とも呼んでいたようです。
また、「日中戦争」は、かなり一般的で割と中立性が高い呼称という印象を私は持っていますが、満州事変以降(盧溝橋より前)をふくむ用例もあるようです。
a.「支那事変」「日中事変」「日中戦争」は本文の冒頭で簡単に説明。初出には()を付けず、
以降「第1の呼称」方式で単記または「第1の呼称(第2の呼称)」方式で併記。
b.その他の呼称(「北支事変」「日支事変」「日華事変」等)は、本文冒頭に対応する脚注で説明。
c.第1の呼称、第2の呼称いずれも、出典表記に合わせるなど、必要があって単記することを妨げない。
d.出典表記に合わせるなど、必要があってその他の呼称だけを複数/単独で表記する場合、
その箇所も、脚注に対応させる。←冒頭に対応する脚注を読まなかった読者を置き去りにしないための措置。
e.「日中戦争」を使う必要があって、その用例が盧溝橋より前の時期をふくむ可能性がある場合、その旨を説明する。
…こんな具合でどうでしょう?
--Dumpty-Humpty 2008年11月17日 (月) 21:45 (UTC)[返信]
--署名を補遺、誤記を修正、一部記述を太字化。--Dumpty-Humpty 2008年11月27日 (木) 14:30 (UTC)[返信]
日中戦争と関連性の高い項目(たとえば「盧溝橋事件」など)では詳細な説明があっていいと思うのですが、関連性の低い項目においてそのような詳細な説明をつけるのは違和感があり、新たな編集合戦を呼び起こす恐れがあるような気もして、そこが少し心配です。
また、「日中事変」という呼称は初耳です。検索してみると1ヶ所だけそういう記述があるようですが、これは執筆者の誤記か出典資料の誤りの可能性が高いような気がするのですが……。「満州事変以降をふくむ用例」も、非常に特殊で非一般的な用例ではないかと思います。これも同様に執筆者の誤記か出典資料の誤りの可能性もあるように感じます。--210.138.182.133 2008年11月21日 (金) 16:57 (UTC)[返信]
「日中事変」は誤記です。「日中戦争」と記すべきところでした。m(__)m
日中戦争と関連性の低い記述においてはたとえば、
「回数は少なく、参考までに言及している程度だから、期間を西暦で添えるだけで充分」という用例もあるでしょう。
満州事変以降(盧溝橋より前)もふくめて一まとめに扱う見方は、中国だけでなく日本にもあろうかと思います。
用例は少ないかも知れませんが、そうした時期が異なる可能性がある場合、併記しない工夫ができれば、と思います。
なお、「事変」と付く呼称を用いていても、武力衝突(盧溝橋事件)自体を指しているなら、
併記すべき呼称は「日中戦争」ではなく「盧溝橋事件」ですね。
--Dumpty-Humpty 2008年11月27日 (木) 14:30 (UTC)[返信]
ずいぶん時間が経ってしまいましたが、ご提案に賛成します。--210.138.182.133 2008年12月24日 (水) 14:06 (UTC)[返信]
(コメント)※ uaaさんが「支那事変」の根拠に挙げた昭和12年9月2日閣議決定の二日後の、
北支事変ニ適用スベキ国家総動員計画要綱」なる閣議決定を、
同一データベースから見つけました。後者は、前者に従えば「支那事変... 」と題すべきところ、「北支事変... 」となっています。
前者の閣議決定の主旨も「事変は北支における衝突が発端だったが、支那全体に及ぶ事変となったから呼称をそれに合わせる。」というものですね。
現代においては、「日中戦争」は外務省サイトでも公式呼称云々の説明無く使用されており、
このことからは、公称が何であるかは不明ですが、「日中戦争」は日本国政府が使用できない呼称ではない ということはわかります。
また、仮に「大東亜戦争」と異なり、公称として廃止されたことがないとしても、
当時日本側が「戦争」と呼ぶことをあえて避けて名づけた「北支事変」「支那事変」は、
現代においては公称としての実効性を失っているとも考えられます。というのも、事典等で調べた限り、
日華平和条約(1952年調印)は日本国と中華民国との、そしていわゆる日中共同声明(1972年発表)は日本国と中華人民共和国との、
それぞれ「戦争状態を正式に終結させるもの」との位置づけだったからです。
日台と日中がそれぞれ、「あれは戦争だった」という共通認識のもと、関係正常化に正式に合意したわけです。
(後者声明がきっかけで直後、日本側は事実上、前者条約を終了扱いとし、台湾側は日本との断交を発表。)
事変当時、台湾は日本側の統治下にあり、もう一方の当事者だった中華民国国民政府が大戦後に、台湾に拠点を移した経緯から、
日華平和条約には「台湾という地域」に関する戦争賠償の規定は無いはずですが、
日中共同声明には「戦争状態の終結」や「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄」という文言があります。
というわけでuaaさん、「支那事変こそ日本側による唯一の公式呼称だ」と随分、こだわっていましたが、
あなたも「中立的な観点」をふくむウィキペディア方針を推進すべく、ここで議論に参加しているのですから、
そうした立証が困難でかつ、反証を挙げる方が容易な主張には意固地にならない方が賢明だと思いますよ。
--Dumpty-Humpty 2008年11月17日 (月) 21:45 (UTC)[返信]

二つの議論の目的・その結果の位置づけについて

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これまでの議論に於て売り言葉に買い言葉になってしまった感がありますが、私は支那事変と日中戦争のどちらがいいとかではなく、画一的なルール化に反対しているんです。例えば編集合戦で保護された八路軍#戦果ですが、要するに『中国側は「”中国抗日戦争”に於て○○人の敵を殲滅した」と主張しているが、日本側の記録では「”支那事変”での損害は××人」である』ということですよね。こういうのを画一的にどちらかにしていいんでしょうか?逆に金鵄勲章を例に考えると、授章理由が「支那事変の功」なので現在の記事は支那事変で統一されていますが、仮に金鵄勲章#後年の金鵄勲章復権運動の節に「日中戦争を正当化することに繋がるとして中国が反発している」というような加筆があった場合、そこは日中戦争の方が適切かも知れません。そのような訳で、あまり執筆者を縛るようなルールを作るべきではないと考えます。--uaa 2008年11月17日 (月) 19:49 (UTC)[返信]
仰ってることも、よくわかるのですが、ある程度ルールをつくっておかないと、これまで起きてたように編集合戦になるんですよね・・・。それぞれの記事ごとに合意形成してルールとしていくのが最も良いとは思うのですが、これらの用語が使われてる場が多すぎて量がハンパじゃないので、個々にやっていくのは難しいと思うんですよね。--Dondokken 2008年11月17日 (月) 20:48 (UTC)[返信]
本ページにおける戦争や事変の呼称・表記を巡る二つの議論は、合意形成の努力なくして表記統一へと突き進んだ事例がきっかけで起こり、それへの対処を本来の論題とするものであって、執筆者を縛る画一的なルール(uaaさん)の作成がその目的ではないですよね。私は、特に同一記事内では、出典に合わせる・ある立場を説明するなど、特定の表記を用いる必要がある場合を除き、このような歴史事象の表記はそろっている方がよいだろうとは思います。複数記事に渡るルールもある程度つくっておかないと、という懸念(Dondokkenさん)も理解できます。しかし、現状に至る経緯からすれば、ここでこうして議論したからといって、その結果を将来執筆される記事までふくめた歴史記事全般を拘束する表記ルールとするのは無理かな、という気がします。表記の目安には、なるかもしれませんが。
--Dumpty-Humpty 2008年11月17日 (月) 21:09 (UTC)[返信]
僕もDumpty-Humptyさんの最後の一文に賛成です。ルール(規則)ではなくガイドライン(指針)というぐらいに考えればいいのではないでしょうか。表記については、1つの項目としての記述の一貫性という意味から、ある程度の統一性が必要であろうと思います。--210.138.182.133 2008年11月21日 (金) 16:35 (UTC)[返信]
私は懸念するのは、ガイドラインを作ると、それを振りかざして記事を改変して回る人が湧いてくることです。”雑草取り”とか自称するそれらの人達に表現の適否を判断する能力があるとは思えませんし。表記の目安を作る場合には、「加筆者が使った表現を無闇に改変しない」という一文は欲しいですね。--uaa 2008年12月26日 (金) 19:37 (UTC)[返信]

結局現在でも「太平洋戦争/大東亜戦争」「シナ事変/日中戦争」について、あちこちで編集合戦が起こっています[2][3][4]。決められないのならば、NPOVの観点から両論併記が基本と思いますがいかがでしょう。なにか一方のみを記載することが当然のような姿勢で編集させている方が未だにおられるようで問題が残ったままです。--218.217.154.28 2009年8月29日 (土) 07:48 (UTC)[返信]

記事の定義・存在についての論議

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『大日本帝国の戦争犯罪一覧』の記事において、(1)記事の定義(2)記事の記述内容の領域(3)記事の存続などについて議論を実施しています。皆様のご意見をいただければ幸いです。興味がある方は是非ご参加ください。

ノート:大日本帝国の戦争犯罪一覧#記事名と記事内容の相違について