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Wikipedia:井戸端/subj/「他言語版にはあるが日本語版にない日本に関する記事」というページの提案

「他言語版にはあるが日本語版にない日本に関する記事」というページの提案

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Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事のような感じ」で行くのであれば、単に当該記事から「多数の」を除いて、「1-5言語版に存在している記事」に範囲を広げれば済むように思われますが、それでは問題があるのでしょうか。--Kojidoi会話2014年6月14日 (土) 01:52 (UTC)[返信]
コメント 言語数がより少ない1-5言語版を追加するということだと、単に日本語版がないというだけの膨大な項目を列挙することになります。それはたとえば、グルジアの実業家とか、ルーマニアのタクシーとか、ウクライナの村とか、日本語版での立項の優先度・必要性が高くはないと思われる大量の項目が含まれるものです。Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事は、多数の他言語版での立項という事実から、日本語版での立項の優先度・必要性が高いと推測されるであろうことに着目したものだと思います。私の提案は、日本に関する事柄について他言語版での立項がある一方、日本語版での立項がない項目は、日本語版での立項の優先度・必要性が高いと推測されるであろうという点に着目したものです。ですから、(技術的な方法論には疎いですが)日本に関するカテゴリが付けられていること等による絞り込みを想定するもので、範囲拡張だけではないということです。--Simasakon会話2014年6月15日 (日) 09:23 (UTC)[返信]
コメント 基本的には賛成です。ですが、この提案は「Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事」の分割提案となります。現在のところ地理、人物、生物、言語、歴史、天文・宇宙開発、作品、スポーツの分野が分割され、それぞれサブページを持っています。分野「日本」が分割された場合、項目名は「Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事/日本」となります。分割の提案はWikipedia‐ノート:多数の言語版にあるが日本語版にない記事#分割で行われています。--118.6.71.92 2014年6月14日 (土) 07:25 (UTC)[返信]
コメント 私の提案は、「多数の言語版」とは言えない1言語版にしかないものや、複数言語版であっても現在「多数の言語版」とされる5言語版より少ない2-4言語版をも対象と想定しています(例に挙げたのも4言語でした)。ですから、5言語版以上の部分に限っては、Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事と重複する部分があるわけですが、その場合も分割提案になるのかちょっと分かりませんが、そもそも重複を避けるために、重複部分はすでに存在するWikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事にお任せして、重複しない4言語版以下の部分に限定してしまうということも1つの方法論かなと思いました。--Simasakon会話2014年6月15日 (日) 09:23 (UTC)[返信]
コメント"日本語版"であって"日本版"ではない」ですか。。。
しかしながら、実際にはWikipedia日本語版の編集者は、おのずと日本人、日本民族といった編集者が多くの割合を占めることとなるでしょう。
従って、考え方や習慣(礼儀など)といったものもも、「日本式」となるはずです。(敬語を使う等)
ですから、単純に「和訳されたウィキペディア」というモノではないのではないでしょうか。--Precise tortoise会話2014年6月14日 (土) 13:41 (UTC)[返信]
コメント その引用部分に続けて「という意見も考えられますが、」として、逆説の「が、」の後にその意見に対する再反論を書いています。その引用部分は、WP:JPOVとの関係だったと思いますが、そういうコメントを見たことがあったので、私の提案に対して予想される反論として、先取りして示したものです。つまり、私自身の考えを示したものではありません。--Simasakon会話2014年6月15日 (日) 09:23 (UTC)[返信]
コメント 日本に関連した記事だからといって「日本語版での立項の優先度・必要性が高い」と推測することはできるんでしょうか?日本人に作りやすいはずの日本関連の事柄がある1つの他言語版にあってja.wpにないとしたら、単にその事柄に関心を寄せる外国人がそのwpにいるだけで、日本人の関心は薄く必要性が低いのではないですか?問題のカテゴリにある少年ナイフも、海外の日本サブカル通には人気がありますが日本ではいまいちですよね?逆の事例ではデイヴィッド・ゴードンは日本で代表作「二流小説家」がドラマ化されましたが、アメリカでは無名で「二流小説家」に対応する記事はen.wpにありません。彼がアメリカ人だからといって「二流小説家」の記事はen.wpで優先度や必要性が高いと言えますか?
たしかに「なんで日本語版にないの?」という日本関連記事(en:okimonoen:sashimono)もあるのですが、1つか2つのwpにしかないものまで含めたリストはノイズが多く、優先度や必要性が高い記事が赤リンクの洪水に埋没するおそれが出てきます。たとえばen:Category:2006_elections_in_Japanには特筆性のない市議会選挙があります。こういった記事をリストアップして作成を促しても、作成された途端ケースEで削除依頼直行ということになるでしょう。またen:Category:Case_Closed_episode_listsのように、日本語版では1つのページにまとめられた事柄が他言語版では複数のページに分割されている場合もあります。zh:恶趣味のようなwikt向きサブスタブ記事も多く混入するでしょう。結局1つの他言語版にしかない日本関連記事というのはそれなりの理由があることが少なくないんです。そういったリストがja.wpの発展に有益とは思えませんね。--124.96.231.227 2014年6月15日 (日) 15:34 (UTC)[返信]
コメント コメントありがとうございます。『二流小説家』のようなen:Big in Japan (phrase)の逆、日本より海外での注目度が高い項目として、例に挙げられた少年ナイフのほか、マシ・オカマコ岩松、古いところで早川雪洲ナンシー梅木、あるいは台湾の田中千絵佐藤麻衣、上海の小松拓也、トルコの高野あゆ美、イタリアの市川純などもそうでしょうが、私は、その種の項目についても未立項のものが日本語版で立項されることを望むので、見解の相違があると思います。逆の立場より、ドイツ語版でのヘルマン・テッヒョーの立項も期待されます。なお、言うまでもありませんが特筆性があることが前提です。特筆性を含めた個別の立項の可否については、当然、まず立項前のスクリーニングがなされるはずであり、「特筆性のない市議会選挙」などはそこではじかれるでしょう(もし作られても「作成された途端ケースEで削除依頼直行」というのはコミュニティーによる健全な淘汰です)。また、未立項項目を一覧にするのですから赤リンクが並ぶのは当然ですが、Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事にしてもそうであるように、個別に立項の必要性・優先度を検討しての一覧化ではないため、中には必要性・優先度が低い項目も混じるでしょう。それについて、例えば"多くのヨーロッパ言語で立項されている項目があっても、それが果たしてja.wpでも優先度や必要性が高いと言えますか?"のように否定的見解を述べようと思えば述べることはできます。しかし、必要性・優先度が低い項目が混じるからといって、一覧の存在意義そのものが覆滅されるとは考えません。一覧にした際、ノイズ(これもノイズか否かという主観で左右されますが)とされる項目がどの程度を占めるかは、網羅的・統計的な論証は未だされていません。しかし、仮にノイズが過半数を占めたとしても、メリットを凌駕する実害が生ずるとも思えず、まさに"「なんで日本語版にないの?」という日本関連記事"を減らすための具体的方法論として、未立項項目の一覧化・可視化は有益であると考えています。記事の充実こそが究極の目的であり、自分の提案だけに拘泥するものではありませんので、もし建設的な対案があるならばご提案頂いても構いません。--Simasakon会話2014年6月17日 (火) 12:44 (UTC)[返信]