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Wikipedia:井戸端/subj/「ページの問題点」について

「ページの問題点」について

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記事を投稿するようになったのは今年の4月からですからまだ5ヶ月です。それ以前の約1年間は調べ物でWikipediaを利用する読者でした。その時の経験ですが、ある記事の冒頭に「ページの問題点」と記載があると『このページは信用できないのだ』と思い込み後の文章を一切、読みませんでした。同じように考える方は結構いるものと推測されます。せっかく作った記事も台無しになりますよね。自分で記事を投稿するようになり「ページの問題点」と記載されると『読者に自分と同じようにこのページは信用できないと思われ読まれない可能性が高いなぁ』と思います。ですので提案ですが問題のあるページに「ページの問題点」と記載するのではなく「議論が必要」とか「出典が必要」とかの文章に変更してはどうでしょうか?よろしくお願い致します。--道産子男子会話2015年9月14日 (月) 05:37 (UTC)[返信]

コメント 何点かコメントします。
『このページは信用できないのだ』と思い込み→{{出典の明記}}や{{特筆性}}、{{独自研究}}のある記事については、まさに信用できないものです出典の明記ができていない以上は、そのページはまだ作りかけでしかない、信用できないものです(もっとも、{{統合提案}}などで出る場合は、正直微妙な面もあるとは思いますが)。
せっかく作った記事も台無しになりますよね→適切に出典が付されていない記事は、ウィキペディア的には未完成なものです。「台無し」なんて言える段階にも達していません。むろん、全く不適当なタグであれば、即座にはがしてしまっても問題ありません()。
「分と同じようにこのページは信用できないと思われ読まれない可能性が高い」→なら、適切に加筆してください。--Jkr2255 2015年9月14日 (月) 06:17 (UTC)[返信]

Wikipedia側の意見ありがとうございました(・ิω・ิ)--道産子男子会話2015年9月14日 (月) 09:48 (UTC)[返信]

「内容については責任は持ちませんよ。でも、なるべく正しいことを書きましょうね。」というのがWikipediaの基本的な考え方だと思います。だから、「冒頭に『ページの問題点』がある記事は信用しない」という利用法は、「正しい」利用法だと思います。少なくとも、「冒頭に『ページの問題点』がない記事を信用する」という利用法よりははるかに「正しい」と思います。それと、一つ突っ込みをいれさせてもらうと、「Wikipedia側の意見ありがとうございました」というお礼の仕方は間違いです。Jkr2255さんは管理者もしておられるベテランの編集者ですが、あくまで私のようなIPユーザーと同じ一利用者です。書いておられることに間違いがあるとは思いませんが、別にWikipediaを運営しているウィキメディア財団を代表あるいは代理して発言しておられるわけではありません。211.196.2.114 2015年9月14日 (月) 16:00 (UTC)[返信]

的確な意見ありがとうございました。【Wikipedia側の〜】の意味は単に読者ではなく編集や管理をやられている人の意味で書きました。「ページの問題」についての提案文はあくまでも読者のみの立場になり受けた印象を書いてますので悪しからず。--道産子男子会話2015年9月14日 (月) 22:08 (UTC)[返信]

道産子男子さんのお気持ちがよく分かります。 こうなる理由は2つと思っています。 1.単にWikipediaの構造が分かり難い。 2.編集者はとにかくヒーロー気取りで慇懃無礼。知識だけ豊富なコミュ症アスペ。(←個人の感想です) 私の紹介文にもありますが、急に割り込んできて「違反だ!直せ!削除する!」と指摘してくる奴が多いので、せっかく記事を書いても出典明記の前に勝手に消される、命令形で指示されるなどされれば皆、加筆編集しなくなりますよね。--Kaztima109会話2015年9月15日 (火) 03:12 (UTC)[返信]
コメント ”「出典明記という障害」に阻まれ書くことができません。” とおっしゃる方が、ウィキペディアで活動をするのは無理です。無理してウィペディアで活動して頂く必要はないかと。「検証可能性」こそが、ウィキペディアの存在価値であり、ジミー御大の偉大な(決して過言ではありません)発明なのです。「検証可能性」によりウィキペディアは、誰でも書けるにもかかわらず、ある程度の信頼性を持つことに成功しました(これって凄い事なんですよね)。ググれば多くの項目でトップか上位にウィキペディアが来るのはその表れでしょう。
「検証可能性」を遵守できない方は、どうか外で自分の御趣味に合ったサイトを見つけるか立ち上げて、そちらで活動なさって下さい。「検証可能性」は守りたくないが、ウィキペディアのネームバリューの下で記事を書きたい、そんな都合のよい事が通ることはありませんよ。
追記:「命令形で云々」は検証可能性とは全く次元の異なる問題です。そういう無礼な口の利き方は駄目、という規則は別にちゃんとあります。--61.207.89.203 2015年9月15日 (火) 04:42 (UTC)[返信]
利用者:へのいちと申します。
上のコメントにある『「検証可能性」こそが、ウィキペディアの存在価値であり、ジミー御大の偉大な(決して過言ではありません)発明なのです』というところが、いたずらにジミー・ウェールズさんを神格化しているようで気になったので、それについて。そもそもウィキペディアの始まりはもっと素朴なもので、世界中の人々の知識をすべて結集すれば最高の百科事典ができるだろう という程度のものでした。例えば、高山の山小屋に一人で暮らしている人が そこにしか咲いていない花の生育の様子を見知っているなら それを書いてもらえばいい。その花について知っている人は地球上でその人だけで、その花について書かれている百科事典はウィキペディアだけ ということになります。真実をありのままに記録することは誰にでもできることで、書かれたことは当然真実であるから、検証可能性の担保や著名性などについては心配もしていなかったというわけです。ところが実際に動かしてみると、けっこう怪しいことが書かれることがわかってきた。そもそも参加者それぞれが真実をありのままに書いているつもりであっても、その真実性そのものが意外とあいまいさを含んでいることもわかってきた。そうした状況の中で、世界中の参加者が、ウィキペディアの信頼性を保つためにどうすればいいかという議論をし始めた。そうして長い議論を経て、検証可能性などが重視されるようになっていったわけです。ジミーさんはそうした議論を取りまとめて最終的なかじ取りをする立場にはあったかもしれません(いや、このころすでに、意思決定プロセスを他の参加者がシェアするという方向へ徐々に進んでいたのだったかもしれません)が、「ジミー御大の偉大な発明」という評価は過大なものだと思います。
ところで、道産子男子さんが仰る『記事の冒頭に「ページの問題点」と記載があると『このページは信用できないのだ』と思い込み後の文章を一切、読みませんでした』というのは極端ですね。世の中には真偽不明な情報があふれています。新聞やテレビの報道番組や、報道番組の衣をまとった娯楽番組などもそうですね。これらの情報に触れるとき、「問題点がある」と注意喚起されていれば一切読まず、そのような注意喚起がなければ書かれていることをすべて鵜呑みにしてしまう というような態度をとる人が多いのだとすれば、とても残念です。有権者の多くがそういう人だったらと思うと、国の行く末が心配ですよね(それに警鐘を鳴らす意図もあって、ここに書き込んでいます)。ウィキペディアの記事については、「問題点がある」と書かれている記事だと“一切読まない”のではなく、(「問題点がある」と書かれていない記事であってもそうですが)“眉に唾付けて読む”くらいにしてもらえば良いのだと思います。--へのいち会話2015年9月16日 (水) 01:17 (UTC)[返信]

【問題点がある」と注意喚起されていれば一切読まず、そのような注意喚起がなければ書かれていることを鵜呑みにするというような態度をとる人が多いのだとすれば、とても残念です】どのマスコミでも同じですが読者の視点に立てば当然の事ですよね。--道産子男子会話2015年9月18日 (金) 05:52 (UTC)[返信]

コメント 「検証可能性」はジミー御大の個人的な発案というわけではないという事ですか。それは誤解してました。ウィキペディアの生命線は「検証可能性」ですので、それを取り入れた「人々」の「偉大な発明」ということに変わりはありませんがね。--61.207.89.203 2015年9月16日 (水) 14:07 (UTC)[返信]

Kaztima109さんへ感謝!

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長くWikipediaで活動をしているとそんなに嫌な体験をするんですね!自分はまだ5ヶ月ですから少々の嫌な体験はしておりますが…自分は戦後から続く学校での道徳の授業がある年代で育ちましたがKaztima109さんももしかして同じ年代ではないでしょうか?『どうしてそうなるか?』と考えてみたんですが学校で道徳の授業がある年代では社会全体で道徳が重要視されマナーのある人が育ちますが道徳の授業が省かれた数十年の年代に育った人(比較的、若い人)にマナーを知らない人が目立つと言う感じではないでしょうか?その結果この場でもそうですが学校や社会において人間関係に疲れて精神病になったり学校でイジメにあい自殺に追い込まれたりするのだと思うんですよ。さすがに国も『それではマズイ』と思ったのでしょう今年から小学校・中学校で道徳の授業が復活したようですね。

  • 【関係者から聞いた確かな情報】自分も同じ経験をしました。室蘭カレーラーメンの記事でカレーラーメンがメニューに加えられた年代を店の主人に聞いて書こうと思ったのですが「それが事実か証拠が必要」となりました。声を録音するのか証拠なんて示せませんよね。これが遥か昔から存在する新聞や百科事典では専門家である記者や著者が居て「彼らは専門家なのだから真実のみを書いている」と言う信頼関係があれば別ですがインターネット全体においても言えますがWikipediaもまだ発展途上でザックリ書きますと混乱状態だと思うんですよ。ですから新聞等のように熟成されるまでは多少の事は我慢して活動しなければ仕方ないんじゃないかと思うんですがいかがでしょうか?--道産子男子会話2015年9月15日 (火) 11:26 (UTC)[返信]
コメント読者視点を重視するなら、冒頭のテンプレは、このページは信頼できないものだ、と、読んでいる人に伝えるために貼られています。注意しながら読む分には便利かもしれないけど、読者が信頼して読むだけのクオリティであるとウィキペディアの編集者たちは思っていない、うっかり信じてはいけないし、なんなら読まなくていい。
逆に、書き手視点としては、自分が書いている記事に間違いが含まれていて、それを信じた読者が不利益をこうむったらどうしようという不安を回避することができます。書き手としては、それよりも、ページの問題点としてテンプレートに含まれている検証可能性や中立的な観点の方針を知り、それを知ることで、よりよい記事を書くことができるようになるものだと理解していただくのが好ましいです。ウィキペディアの編集者には、誰でもなれます。この情報源を元にして書いてあるということを示せば、誰が書いても一定の信頼性は保たれますし、検証することも容易になります。何を見て書いたかを書くのは、手間ですし面倒ですが、その内容を書くことができる人なら、できること。それらウィキペディアにおける基本的な方針を、おおよそ守ったところで、そこそこ信頼できる記事として、読者に提供することができる。
出典を示して書けないこと、他の人が検証できないようなことは、ウィキペディアでは書いてはいけないことです。昔から存在する新聞や百科事典では、専門家である記者や著者、編集者や校正者がいて、彼らは専門家なのだからという信頼や、専門家同士の検証機能もある。ウィキペディアはそれがなく、論文誌やジャーナリズムではなく百科事典ですから、新しい理論やスクープをウィキペディアが最初に掲載する必要もない。だから、専門家が既に発表したことを参照しながら書く、ということになります。
誰でも編集できる、というのが、ウィキペディアの大きな特徴です。その前には、ヌーペディアというプロジェクトをやっていて、それは博士号を持った人だけが書くことができ、査読を通して公開するというものでした。それでは、なかなか進まなかったので、ウィキペディアという試みがはじまったのですね。最初の混乱の中で、誰でも書ける、という百科事典で、どうやって信頼性を確保するか、ということを考え「検証可能性」ほかの方針が生まれ、多くの人の同意を得ながら発展し、洗練されてきました(「検証可能性」の生みの親はジミーではなく、ラリー・サンガーでしょう)。その成果が、現在の方針であり、その運用です。ウィキペディアの書き手は、読者のために、素人なら素人なりに出典を示すという面倒を引き受けて、記事を書くという苦労をしている。
出典を示していなければ、消されることもありますし、権利侵害があれば削除されますし、方針を示されてなお守らないようでは、命令形で支持されることもあり、ブロックに至ることもあります。やりとりの際の口調に問題があったり、求められる出典の質などについては、利用者によって食い違いがあったりもしますが、誰でも編集できるという条件下で求められることには理解を示し、誠実に記事を書こうとしていれば、それほど面倒なことは起こらないように思いますよ。
テンプレで「ページの問題点」と表示されるものはなかったかと思いますが、複数の問題がある場合のテンプレでも、出典がないとか、視点が偏ってるとか、個別に改善点は指摘されているはずです。--Ks aka 98会話2015年9月16日 (水) 14:46 (UTC)[返信]
利用者:道産子男子さんはモバイル端末で閲覧している(いた)のではないでしょうか。モバイル端末でウィキペディアの記事にアクセスした場合、冒頭に何らかのテンプレートが据えられている場合、記事名の下に「ページの問題点」という表示がされます。それをクリックすると、Template:参照方法などそれぞれの内容が表示される仕掛けになっています。()--にび三郎会話2015年9月16日 (水) 16:17 (UTC)[返信]

その通りです。Androidのタブレットを使ってます。ブラウザでWikipediaを開くとパソコンと同じ体裁になりますがモバイルアプリでは、いきなり「ページの問題点」となるので印象が悪くなってしまいます。--道産子男子会話) 2015年9月18日 (金) 06:07 (UTC) Wikipedia:井戸端から転記--Sun250ba会話2015年9月18日 (金) 06:31 (UTC)[返信]

皆さんにお詫びをしなければなりません。私が使用している端末はAndroidのタブレットでブラウザでWikipediaを利用する事も出来ますが、モバイルアプリの方が動作が速く必要最低限の設定のみが表示され便利ですのでずっと使ってましたが今日、気づいたのですがブラウザでWikipediaを開くと(登別閻魔やきそばを)パソコンと同じ体裁で表示されましてタイトルの下には「ページの問題」とは一切表示されず【この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください】と表示され下に具体的な問題点が表示されます。これが私が理想とした表示方法です。モバイルアプリでは一つでも問題点があるとタイトルの下に「ページの問題点」と表示されます。ですから最初に説明した印象を受けるんです。この点はここに書くべきではなくモバイルアプリの製造元に掛け合うべきですね。お騒がせしました。--道産子男子会話2015年9月18日 (金) 10:53 (UTC)[返信]