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Wikipedia:井戸端/過去ログ/2004年4月 2

'このページはWikipedia:井戸端での過去の議論などを保存したものです。

'他の過去ログはWikipedia:井戸端/過去ログに保存しています。

ここでの議論と類似の話題が、再び議論されています。議論を継続するときにはこのページでなく、Wikipedia:メーリングリストまたはWikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼にてお願いします。 (2004年6月23日)



ノートで他のユーザーと対立したときに、反対者の発言を削除する編集を行なってよいかについて、皆さんの意見を求めます。すでに今まであちこちで問題になったことで、考えをお持ちの方も多いことと思います。意見を寄せてください。

単なる個人攻撃が削除されるべきだという点については、意見の一致があると思うので、それは除きます。議論が終わったあとに発言をクリアするのも除きます。

  1. 削除賛成: 議論をわかりやすくするためなら、反対意見をも削除することを推奨する。
  2. 削除反対: 自分の立場と反対の意見は削除すべきではない。
  3. ルール不要: 削除したい人はすればよいし、したくない人はしなければよい。

Kinori 08:44 2003年12月20日 (UTC)

とりあえず、Wikipedia:ノートページへのリンクを張っておきます。一応、この問題に対しての考え方も述べられています。私の翻訳がまずくてわかりにくいかもしれませんが、「他人の発言は削除・編集しない」「必要に応じて過去ログ化したうえで、議論は要約・リファクタリングする」というのが基本的な考え方です。議論のたたき台にでもしてください。また、議論して結論が出ましたら、(ダブルスタンダードにならないよう)該当する記載内容も変更して下さるようお願いします。Ojigiri 09:55 2003年12月22日 (UTC)

この問題について、上のほうで

> すでに今まであちこちで問題になったことで、考えをお持ちの方も多いことと思います。

というようなご指摘がありましたが、今まで問題になった典型的な例をいくつか列挙していただけると参考になると思います。ご存知の方、以下にお願いいたします。Kk

議論の編集例

  • 「ノート:ニュースサイトNo.2」の編集例(これは他人の発言を編集した例ではありませんが、こんな感じでリンクを張ってもらえるとありがたいです。)
  • [1] この書き込みに至るまでの同ページでの会話、そもそもその会話の元になった219.111.193.249さんの行動は、一つ参考になる例かと思います。これは、反論を削除、ということではないですが。Tomos


  • 夏から秋に二回はあったと思うのですが、それがどこかまでは覚えていません。それぞれ周囲にすぐにたしなめられ、小さな事件として収まったと記憶しています。紹介すると議論の参考というよりその当事者のさらしあげになってしまうようなレベルの出来事でした。Kinori 18:18 2004年2月17日 (UTC)
  • そういうのとはまったく別に、ノートの発言を積極的に編集しようという意見が、披瀝されたことがありました。井戸端BBSの「Wiki Way」というスレッドです。こちらは参考に値する意見だと思います。それを他人の発言まで適用しようという意見もどこかにあったような気もするのですが、記憶違いかもしれません。Kinori 18:18 2004年2月17日 (UTC)
  • 思い出しましたが、反論などがあっても消してしまうので対話にならないケースなどはありますね。ノート:鎌ケ谷市とか。ノート:カジノでも著作権侵害に絡んで白紙化と差し戻しがありました。対処したと考える方が白紙化などを行い、終わっていないと考える方が差し戻す、というような行き違いや、いたずらや中傷の類だという理由で一方が消し、正当な反論だという理由で他方が差し戻す、とかいう展開は考えてみるとぽつぽつあったような気もします。(利用者-会話ページでも起きていたかも。)あとは、ノート:キリスト教用語一覧でも、どういうタイミングでログ化するのかで揉めましたね。いずれもずばりという例とはちょっと違いますが。Tomos 20:31 2004年2月17日 (UTC)
  • こちらの議論は、「Wikipedia‐ノート:管理者」から派生したものです。そこでの議論は既に削除されていますが、それが私が念頭においている最大の事例です。みんな当然に知っているだろうと思い込んでいましたので、挙げておりませんでした。そこでは、ある提案について私が書いた反対意見が、不必要という理由 (だと思います。たぶん) で削除されました。結果的にそのノートには提案への賛成意見だけが残りました。この調子で進行されてはたまらないと感じて、この分室を使わせてもらったしだいです。Kinori 13:47 2004年3月11日 (UTC)

削除賛成の意見

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削除反対の意見

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現在のルールは削除反対か、あるいはせいぜい未定だと私は認識しています。関連文書はみな論争相手を尊重することをすすめています。また、実際の現場で多くの日本語版ウィキペディアンが他人の意見の削除に反対してきました。ウィキペディアのルールは一人の管理者の断言で決まるものではなく、みんなの考えで作っていくものです。
もし未定か削除賛成が現在のルールなのでしたら、削除反対に変更しましょう。Wikipedia‐ノート:管理者の議論では、まずRonaさんの意見が消され、ついで私の意見も消されました。これは、いざ自分がやられてみると、強い怒りをかきたてる仕打ちです。かといって、同じ手段で対抗する気もおきません。そういう自分がおかしいとも思いません。やる方にしてもやられる方にしても、これの当事者になることを痛痒としないでいられるのは、性格的に限られた人だと思います。攻撃的な人に大きな権力を与え、おとなしい人を窒息させるのは、ウィキペディアのあるべき姿ではないはずです。Kinori 08:55 2003年12月20日 (UTC)
ほとんど賛成ですが、ひとつだけ、気になった点があるので書いておきます。ウィキペディアのルールは一管理者の断言で決まるものではないというのはその通りで、実際まだ何も決まっていないと思います。何というか、Yoshitaka Miedaさんもそういうつもりで断言、実行されているのではないと思います。ルールはまだ未定だし、こういう風にするメリットがあると自分は思ったから、とりあえずやってみた、気に入らなければ変えてくれ、ということではないかと。他の動機を疑う気持ちもわかりますが、この部分はKinoriさんの考えとそれほど遠くないように思います。
あと、Miedaさんが提案されたのは、議論の進行と共に発言内容をどんどん編集していく、というスタイルで、反論を消す、というのはその帰結のひとつに過ぎないので、その部分をもう少し汲み取ってもよいと思います。ここでの議題提起は、単にMiedaさんの言動を問題にするということではなくて、今後のウィキペディアでのエチケットを考える、ということでしょうし。あと、折衷案として、「消さずにできるだけページ内移動で対処」みたいなことも考えられるのではないでしょうか? Miedaさんは話題を分離して、関係がないものを消去したわけですが、そうではなくて、関係がないものを分離してしまう、という。これもいろいろ問題がある方法ではありますが、例えば現在、Wikipedia-ノート:管理者にいろいろな話題が並立していることを考えると、そういう交通整理は多少あってもいいかも知れない、とは思います。(し、これまでにもありましたが。)
繰り返しになりますが、前にWikipedia-ノート:管理者に書いた通り、ウィキペディアの管理者は特別な役職でもないし、公正な判断が求められる役目でもなく、最後にボタンを押すだけの係だというのが理想だと思います(これはYoshitaka Miedaさんもそう考えていると思うのですが)。その理想に照らせば、今回のYoshitaka Miedaさんの行動はとりたてて管理者がどう、というものではないのではないか、と思いました。もちろん、管理者は現状としては公正な裁量をあちこちで要請されていて、他の参加者の議論と合意・結論がないところで、きちんと管理者権限を行使できることが求められているようなところがあるわけですが、Yoshitaka Miedaさんはそんな現状は間違っている、という批判をしているわけですし。。ちょっと急いでいて要領が悪いですが、とりいそぎ。Tomos 05:26 2003年12月22日 (UTC)
おっしゃるように、Yoshitaka Miedaさんに、管理者の権威を行使する、したという趣旨の発言はありません。が、周囲はYoshitaka Miedaさんの発言をただの一ユーザーのものとは受け止めていなかったようです。また、Yoshitaka Miedaさんの考えは、Tomosさんの解説と異なるのではないかと私は思っています。いずれにせよ本人の説明を待ちましょう。
議論の切り離しはここで私がしたことです。これはrevert合戦を嫌った緊急措置ですが、他の場合でも、一言断って賛同を得てから分離するのはまったく問題ないと思います。
これはルール観の違いからきたトラブルですので、この機会にルールを固めておくべきです。それができるなら、誰が悪いかを決めてくれと私から求めることはしません(他の人が求めれば応じますが、あまり生産的ではないと思います)。ノート:管理者の話の方が大きくなっているようなので、そちらを先に片付けることにしてもかまいません。しかし私は、議論をたなざらしにして未決にすることには反対します。未決にしたい人がいるなら「ルール不要」の形で意見表明をお願いします。Kinori 11:09 2003年12月22日 (UTC)

絶対のルールが必要とは思いませんが、上記ノートページのガイドラインに従うのが望ましいのではないかと思います。悪気はなくとも他人の意見の編集はその人の本意ではない内容に変わってしまう可能性があるため誤字や誹謗中傷、いたずら以外は原則他人がいじらない方が安全だと思います。しかし、横道にそれてしまった議論や不要になった項目などは移動や削除した方が後々分かり易いと思いますので、Tomosさんの書かれているように両者の合意や注釈などがあれば、という意見には賛成です。Sushi 04:29 2003年12月23日 (UTC)

自分が提案した件をずっと放置してすみません。
関係する人の合意が得られるなら、という意見には、私も賛成します。
他に「いやなら元に戻せばよい」、「英語版から訳した文書に効力はない」などの反論があるかなと思っていましたが、そういう意見がないならそれに越したことはありません。
「長くなった議論の整理などの理由で過去の発言を削除することに、議論の参加者の同意が得られたら、そのときはかまいません」という一文が、Wikipedia:ノートページにあればいいのかなと思います。Kinori 07:04 2004年2月14日 (UTC)
同ページを改めて読んでみましたが、Kinoriさんの案、よいと思いました。僕なりにまとめると、
  • 基本ルールは他人の発言をいじらないことだとされている
  • 長くなった議論、済んだ議論のアーカイブ(ログ化)やリファクタリング(要点のまとめ)はよいとされている
  • そこに、他の参加者と相談の上で別の議論のスタイルを採用するのは構わない、ということが追加される。
ということでしょうか。

Tomos 20:55 2004年2月14日 (UTC)

終わったもののログ化は断りなしでいいと思いますが、中途のまとめなおしの時には、まずそのまとめを付け加えるだけにしておくのが穏当だと思います。熱くなっているときには、そのまとめが公平かで揉める可能性があります。しばらく様子をみてから「不要な部分を削ろう」と提案するか、まとめの際に「この整理で問題なければ上の議論を消します」と書いて反論がないのを見届けるかすれば、トラブルの可能性はほとんどなくなるでしょう。ですので、「他の参加者と相談の上で」をまとめなおしの時の削除にもかけたく思います。その他は同意です。Kinori 11:05 2004年2月15日 (UTC)

Tomosさんのまとめを参考に、文案を作り直しました。

現行のもの

タイプミス、文法の誤りや、個人攻撃の除去は構いません。しかし、他人の言葉を、その人が考えていない内容に書き換えないで下さい。自分の言葉を編集・削除するのは、あなた次第です。

変更案

他人の言葉を、その人が考えていない内容に書き換えたり、削除したりしないで下さい。このルール例外を挙げておきます。
(1) タイプミス、文法の誤りの修正
(2) 個人攻撃の除去
(3) 終わった議論のアーカイブ化(ログ化)
(4) 長くなった議論のアーカイブ化(ログ化)
(5) 議論の要約にともなう削除(リファクタリング)
(6) その他参加者と相談の上で削除をともなう編集方式を採用する場合
(4)、(5)、(6)の実施にあたっては、参加者の反発を招かないように配慮し、必要なら事前に告知してください。
自分の言葉を編集・削除するのは、あなた次第です。

どうでしょうか。修正すべき箇所や、あるいは違う考えがありましたら、お願いしますKinori 12:58 2004年3月10日 (UTC)

賛成です。特に修正すべき点などはないように思いました。あえて言えば「自分の言葉を編集・削除するのは、あなた次第です」も乱用がありうる部分なので、「...次第ですが、変更が誤解や混乱を招かないようにご注意下さい」みたいな文ではどうでしょうか。 Tomos 20:53 2004年3月10日 (UTC)

ルールがあるといいこと

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私がこのルールに寄せる期待は、ルール違反の削除に対して、本人と第三者が即座に自信をもってrevertできることです。そしてそれが、醜いrevert合戦ではなく、正当な行為だと認められることです。もしルールがないと、異常に強気の人や、高い権限を持つ人が議論を支配することになります。ルールがあれば、「そういうことはしちゃいけない決まりだから」と、さらっと流せると思うのです。

そして、普通に活動していれば、このルールを束縛に感じることはありませんし、知る必要もありませんよね。ふだんは知らなくてもすんで、変なことがおこったときに適切な対処の根拠になるルール。それを求めています。Kinori 13:47 2004年3月11日 (UTC)

そうですそうです。ルールというのは拠りどころになりますよね。
ですが考えてほしいのは、ウィキっていうのは、ルールがしっかりしてなくてもうまくいく、のが魅力なのではなかったか、ということです。ちょうど、生物の進化のしかたをあらかじめ決めておかなくても、自然淘汰によって豊かな世界が出来上がってきたように。(ここのとこ、ただのたとえ話ですから、進化論を支持しない方、ご寛容に。) ウィキに必要なのは「多くの眼」であって、「そういうことはしちゃいけない」と思う人がたくさんいれば、その中には「異常に強気の人」も一人くらいいるでしょうから、「ルールがなくても」「即座に自信をもってrevert」してくれるでしょう。もちろん、こういう議論の場でたくさん話し合うことによって、「そういうことはしちゃいけない」と思う人をどんどん増やしていくこともできます。
それと、ルールがあると、ルール至上主義に走り出すむきもいるので厄介ですよね。Kk 14:57 2004年3月14日 (UTC)(かぎ括弧が多くてすみません^^)
それは、異常に強気の人にまた別の異常に強気な人を対置しただけではないでしょうか。私が厭うのはまさしくそういう状態です。異常に強気な一部の人が議論の場を支配し、おとなしい人がろくに意見を言うこともできなくなる状態が、いやなのです。それは、進化論的にありうる均衡点ですが、中で実験台にされる人にとってちっとも魅力的ではありません。Kinori 11:27 2004年3月15日 (UTC)
一か月経って動きがないので、もう一度意見を述べます。
これまで初心者が他人の発言を削除したときは、その都度即座にベテラン参加者が止めに入りました。暗黙のルールになっていたからです。しかし、ベテラン参加者が「他人の発言を編集するのも自由」と言い切って削除をしたときには、即座にrevertとはならず、大きな紛争に発展しました。明文のルールではなかったからです。
それもひょっとしたら、見物衆にとってはおもしろい事件だったかもしれません。「ウィキペディアの社会学: ネット社会における自由と袋叩き」とかいう題名で魅力的な論文が書けるかもしれませんね。でもウィキペディアの目的はフリー百科事典の編纂です。百科事典作りの役に立つかどうかで判断しましょう。
私とても、参加者を無用に束縛するようなルールには慎重でありたいです。しかし、知らなくても普通の人の行動線にひっかからないような、そして不毛な紛争の火種をすぐに消し止められるようなルールなら、あった方が良いと思うのです。
現在私が提案しているのは、既にいくつもある関連文書のうち、Wikipedia:ノートページに数行を加えることです。総量からすればわずかなのですが、こういうのも困りますか。Kinori 16:26 2004年4月15日 (UTC)



ルール不要の意見

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  • ルール不要かなと思います。(Kk)
あくまでも、一番上に書かれている
>単なる個人攻撃が削除されるべきだという点については、意見の一致があると思うので、それは除きます。議論が終わったあとに発言をクリアするのも除きます。
というのを前提として考えただけですが。
いくつかの実例を見せていただきましたが、ルールがあればうまくいっただろうと思えるものは見つかりませんでした。うまくいかなかったケースは、ルールがあったとしても無視されていただろうと思えるものばかりです。そしてその場合は投稿ブロックの対象として対応できるのではないでしょうか。Kk 00:52 2004年3月11日 (UTC)
私は、Kkさんが「ノート:管理者」の議論をご存知だと思い込んでおりまして、そちらの例をあげていませんでした。すみません。上にごく簡略に書いておきました。その例では、ルールがあるかないかで大きな違いがあったと私は思っています。Kinori 13:47 2004年3月11日 (UTC)
  • 明らかに関係者が限定されていて、合意がとれているとか、書き込みをする人にわかりやすい形で断り・説明がされていれば、「議論をした後で適宜ログ化とまとめ」という現行の主流方式ではなくて、他の方式でのやりとりがあってもよいかも知れません。ルールが不要、というよりも、ルールがあった場合でも、それに従わなくてもよい場合というのはあるかも知れません。きちんとコミュニケーションをとるとか、エチケットを守るとか、誠意や敬意を持って接するとかいうことは重要だと思いますが、これはルールを守る場合でも同じようなもので、ルールを守っていれば何をしてもいいわけではないですし。Tomos 11:25 2003年12月22日 (UTC) ...と書いている間は気が付かなかったのですが、「批判や反論を消してもよいのか」という問いに答えていないですね。済みませんでした。例えば、そのページから反論を消す時に「僕が間違っていました、済みませんでした」というメッセージが要約欄に書いてあって、そのすぐ後に、関係者の会話ページにお詫びなり指摘をしてくれたことに対するお礼なりのメッセージが入るとしたら、たぶん、それに怒りを感じない人は多いだろうと思います。 そういう例で考えると、「反対者の発言を削除する編集を行なってよいか」という問いにも、「よい場合もある」と思いませんか? ルールがあってはいけないとは思いませんが、こういう行為があった場合に「ルールに外れている」と批判するのはちょっと的外れなこともあると思います。 そういう点を踏まえた上で、一応の目安としてルール(なりガイドラインなり)があるというのは悪くないと思いますが。 というか、現にOjigiriさんが指摘した通りガイドラインはあるわけですし。Tomos 12:03 2003年12月22日 (UTC)
    • 補足:ノートページではないのですが、ひとつ例を思い出したので付記しておきます。Meta:Article count reformの過去の版[2]です。
       ここでは議論の際に投稿に署名をせず、誰がどの部分を書いたのかをはっきりさせず、様々な立場の長所短所をまずリストしています。このページはいわゆる記事数の統計の取り方をどう変更したらよいかについての議論を様々な言語版のウィキペディアから人が参加してやったもので、すぐ後に同じページでの投票が続くので、誰がどの案をどれだけ支持しているかは当面重要ではなかった、という背景があります。
      ただ、ここでも、反論を丸々削除する、ということではなく、当面の議論に関係がないものでない限りはどこかに何らかの形で残しておく、という方がよさそうですが。Tomos 07:19 2003年12月23日 (UTC)


謝罪とともに、という例ですが、それが個人攻撃のたぐいであれば、普通に削除してよいと思います。

しかし本論の一部を構成する場合には、自分の主張を取り下げるかわりに反対意見も削除する、というやりかたはまずいと思います。結果的に、考慮に入れておくべき問題を隠すことにならないでしょうか。そうした場合には「参加者の同意が得られたら」という基準が鍵になると思います。

その他特殊な進行方法も、あるかもしれません。そのときはやはりその意図を事前に説明して同意を得ておくべきだと思います。やはり「参加者の同意が得られたら」ということで。Kinori 07:04 2004年2月14日 (UTC)

確かに、何か、少なくとも議論があったことを残しておく方がいいですね。特に、後から読む人にとってはその方がよいと思いました。他の点については、上にKinoriさんへのお返事という形で書いた通り、賛成です。Tomos 20:56 2004年2月14日 (UTC)
ある議論を残しておくべきか否かは、その議論の内容に応じて個別に判断されるべきではないでしょうか。取るに足らないようなやり取りで、もともと私信で間に合うようなものもあると思います。そういったものであっても、残しておけばFAQ的に役には立つでしょうが、ノートをFAQ情報で肥大化させるのは、重要な議論を埋もれさせることにつながってゆくと思います。Kk 01:03 2004年3月11日 (UTC)
「残しておく」という言葉でKkさんが想定しているのは、終わった議論を消すかどうかでしょうか。そういうことなら、かまわないと思います。
それとも私信で間に合うような話をみかけたらすぐに削除したいということでしょうか。それはきっと強い反発を招きます。Kkさんが挙げた例の場合は、まず「ウィキペディアは百科事典だから」と説明して、しばらく返事を待つという手順を踏むべきだと思います。Kinori 13:47 2004年3月11日 (UTC)



Wikipedia:ノートページを改正案で書き換えました。ご意見がありましたら引き続きこちらにお願いします。しばらく経って何も意見がなければここを閉じて、その後新たに議論があれば「ノートページ」のノートを使うことにしましょう。Kinori 04:06 2004年4月22日 (UTC)

改訂、お疲れさまです。その進め方で良いと思います。特に目新しいことも書けないので、書き込まずにいたのでした。失礼いたしました。Kk 08:22 2004年4月22日 (UTC)
了解しました。愉しみのない話題に長いことお付き合いくださりありがとうございました。過去ログ化します。 Kinori 11:52 2004年5月1日 (UTC)