Wikipedia:コメント依頼/Wiki ryon
2007年4月20日に提出された当コメント依頼に関連して、2007年5月21日、利用者:Wiki ryon に対する投稿ブロック依頼が提出されました。賛否の投票およびコメントの提出は、ページ「Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wiki ryon」にて行なわれました。 |
上記ブロック依頼に対し、2007年5月24日、被依頼者がウィキブレークを宣言しました。それを踏まえ上記ブロック依頼は、2007年6月4日「ブロックせず」で終了しました。 |
2007年6月9日、当ユーザーに対し再度コメント依頼が提出されました。以降の議論はWikipedia:コメント依頼/Wiki ryon 20070609をご覧ください。 |
利用者:Wiki ryon(会話 / 投稿記録) - この人物は、物理学に関しても哲学に関しても、自身の主張の根拠となる文献をただの一冊も提示できない非常に特異なユーザーなのですが、にもかかわらず様々なノートページにおいてひたすらに論を展開し、議論をしかけ、(その後 何の編集もしないなら放っておくのですが)記事をその独自の見解に基づいて編集しようとします。
以下、時系列。(ノート:シュレーディンガーの猫、ノート:道具主義、ノート:科学的実在論、ノート:オッカムの剃刀、利用者‐会話:Was a bee#反論姿勢について)
これらノートページにおいて、私としては非常に馬鹿馬鹿しい類の話にも真剣に応じてきましたが、そうした努力も虚しく、この人物の書き込みが収まる気配はまったく見られません。こういったユーザーには今後どういったスタンスで対応していけばいいでしょうか。あまりにも長い間行動に変化が見られないので、私は現在ブロック依頼も視野に入れて、この先の対応を考えております。皆様のご意見を伺いたいと思います。--Was a bee 2007年4月20日 (金) 01:55 (UTC)
- (コメント)私は、wikiryon様とノート:シュレーディンガーの猫(シュレ猫)において論争になってしまったことがあります。そういう者からの意見としてお聞き下さい。
- 私との議論でも、Was a bee様がご指摘のように、なぜだかわからないのですが、出典を求めてもかたくなに出典を示すことを拒否されるように見えます。また、シュレ猫での議論では、私は何度かWikiryon様の個人攻撃とも取れる発言を指摘し、やめるようお願いしてきました[1][2]が、とまりませんでした。
- Wikiryon様の履歴を拝見させてもらいますと、「私の主張が一貫性を失うように見えたら、まず、文章の誤読を疑ってください。」[3]や「Was a bee氏には、相手の主張を捏造して反論する癖が見受けられます。詳細は以下に挙げる項目のノートページに記録として残っています。」[4]というような発言をみますと、ご自分の論には絶対の自信をもっておられ、また理解されて当然と思われているようです。しかし、これまでに様々な論争を(シュレ猫だけでWas a bee様、Kakannkann様、kwansai)見るにつけて、Wikiryon様の論や言葉にはかなり独特なものがあり、また出典を引いてくださらないことからそれを理解するのに一苦労といったぐあいです。特にWas a bee様は本当に我慢強く対話されておられるのですが、その最終的なかたちが、上に挙げたような捏造という言いがかりになるのを見ると、ほんとうに残念な気持ちになりました。
- 相手と議論をすりあわせ合意を築いていく、そのプロセスで互いに尊重しあうということを会得していただくために、Wikipediaの方針文章、特にWikipedia:個人攻撃はしない、Wikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:ウィキケットそして、よりよい議論をして頂くためにWikipedia:論争の解決Wikipedia:議論が白熱しても冷静にを熟読して頂き、それを理解していただく必要があるとおもいます。これまでに、何度かそういった注意はしてきましたが、改善が認められないために、ブロック依頼を出すことも、やむを得ないかもしれませんね。--Kwansai 2007年4月20日 (金) 05:07 (UTC)
利用者:Was_a_beeは他人の「独自の見解」を捏造しています。その独自の見解がどこにあるのか具体的に問いつめても、誤摩化すばかりで回答がありません。むしろ、利用者:Was_a_beeこそが独自の見解に基づいて編集しています。その証拠にシュレーディンガーの猫では、匿名の個人サイト(しかも内容はトンデモ系)や専門外の人物が書いた書籍(哲学や精神医学)を文献と称して提示していました。事実関係を捏造して、他人を陥れる行為こそ非常に馬鹿馬鹿しい類の話です。
利用者:Kwansaiも事実の歪曲をしているようですね。過去に利用者:Kwansaiが文献を提示しろと言ったのは、「良く誤解されることだが、○○ではない。」という記述の誤解の例を出せというものでした。その文章の趣旨は「○○と良く誤解される」という事実を提示することではなく「○○が誤解である」ことを示すものです。これに対して、○○が間違いであることを示す文献と提示しろと言うなら分かりますが、誤解の例を出せでは揚げ足取りに過ぎません。だから、この部分の記述は誤解の事例の存在の有無に言及しないよう、○○の正否についてのみの記述に変更しました。それでも、利用者:Kwansaiが誤解の事例の有無への言及が必要だと言い出し、私にその文献を提示しろと要求して来たので、それなら、そう主張する人=利用者:Kwansaiご自身で文献を提示すべきではないかと進言したのですがその記述を追記するよう提案しているのは利用者:Kwansaiなのだから私には文献を提示する責任はないと指摘したのですが、利用者:Kwansaiは今日まで文献を一切提示していません。以上のように、捏造や歪曲で個人攻撃を行なっている両名こそ、Wikipediaのルール違反者であり、ブロック依頼されるべきでしょうね。何か反論があるなら捏造や歪曲ではなく、きちんと証拠を出して物を言ってください。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月20日 (金) 11:35 (UTC)(細部に記憶違いがあったので訂正)--量子力学のド素人ことryon 2007年4月22日 (日) 08:44 (UTC)
補足すると、利用者:Kwansaiの挙げている「私の主張が一貫性を失うように見えたら〜」等は発言の一部分を切り出した物であり、その主張の根拠が完全に省かれています。それらについては、相手の誤読を示す明確な根拠を示しており、「ご自分の論には絶対の自信をもっておられ」などと言うのは事実の歪曲です。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月20日 (金) 12:14 (UTC)
- (コメント)こんにちは。シュレ猫のノートにちょこっとだけ参加したことがあります。Wiki ryonさんに質問です。Was a beeさんの依頼文にもありますが、出典、主張の根拠となる文献を挙げていないことに、なにか理由はあるのでしょうか。差し支えなければ、いくつか挙げてみていただけますか?--Ks aka 98 2007年4月20日 (金) 14:03 (UTC)
- 結論から言えば、Wikipedia:独自の調査に基づいて出典が必要とされる事例において、私が出典の提示を拒んだ事例は1件もありません。拒んでいないのだから、何故拒むかと聞かれても答えようがありません。
- 私の投稿は次のいずれかに該当しているはずです。
- Wikipediaの他の項目等に書かれている
- 専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説(Wikipedia:独自の調査#一次資料と二次資料)
- いずれにも該当しない記述があるなら、それを具体的に指摘してくれと何度も言っていますが、そうした指摘が帰って来た試しがありません。「1+1=2」について出典を出せと言うのは言い掛かりに過ぎないので、真面目の取り合う必要などないはずです。中には、利用者:Kwansaiのように、自分が提案している記述内容について私に出典を出せと言う者もいます。以上のとおり、私が出典を提示しなかった例が具体的に1件も示されていません。証拠も示さずに、そのような言い掛かりをつけるの勘弁していただきたい。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月21日 (土) 09:39 (UTC)
- 出典を要求するなら、利用者:Was a beeの独自の理論にこそ出典を求めてください。そう言えば、利用者:Was a beeの提示した匿名の個人サイト(しかも内容はトンデモ系)や専門外の人物が書いた書籍(哲学や精神医学)に対抗して、私が「出典」を示したことがあります。鍵括弧付きで書いているのはWikipediaの出典の基準を満たしていると言えるかどうか微妙だからですが、氏名や勤務先を公開している大学の物理学講師(=専門家)だから利用者:Was a beeの提示した個人サイトや専門外の人物が書いた書籍よりはマシでしょう。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月21日 (土) 10:28 (UTC)
- 上記のようなWiki ryon氏の主張は、今までも繰り返されてきたものであり、5ヶ月間にわたる多くの「典拠を示してください」という要求に対し[7][8][9][10][11][12][13][14][15]([16])[17][18][19]([20])[21]、このユーザーが何かを引用したのは、(私が記憶する限り)個人サイト二件[22][23]のみです。少なくとも私は相当程度の文献と文献集へのリンク、および個人サイトと、それらの学術的な意味での位置づけ、等々をそのつど追加し、それなりの説明も付け加えてきたつもりです[24][25][26][27][28][29]。しかしご覧のとおりそうした対話も、この方にとってはいっさい無意味なものでしかないように見えます。(このページを見るだけでも十分に分かるでしょうが)他の論点に関しても、一事が万事この調子であり、すぐに議論のログが肥大化、そして話が発散します。当然、こうした対話傾向における問題点についても、今まで何度も直接に指摘が行なわれています。しかしながらこの5ヵ月間の対話の結果からいっても、収束点を見出す事を本義とするウィキペディア的な対話というのは、どうも当該人物にとっては著しく困難である、と考えざるを得ません。それでも、こうした対話に応じなければ、際限なく記事の編集が行なわれる、というのでは、周辺にいる者にとっては時間的・精神的な負荷があまりに大きいものとなります(こうしたコメント依頼を提出せねばならない状況も、大きい負荷です)。以上のことから、方針の不理解・対話不可能・コミュニティーを疲弊させるユーザー(e.g. 私はこの文章を書くのに二時間近くを要しました)、といった点に基づき、コメント依頼提出日(4月20日)より一週間経過後、当該人物に対する投稿ブロック依頼を提出します。(しかしながら私はこれは避けるべき事態だと考えています。なぜならブロック対応というのは、こうした問題において、最後に取られる対応であり、そして最も実りない解決法だからです。それ以外の解決法があるなら、ブロックなどという対応は絶対に避けなければなりません。しかしながら、私としましても自分なりに半年間それを探ってきたつもりでありながら、今では万策つきた思いです。もしブロック依頼以外の有効な解決策にお心当たりがある方は、どなたでも構いません、是非、その方法をご教授ください(もちろんryonさんからも伺いたいです)。より良い方向が見つかることを願います。)--Was a bee 2007年4月21日 (土) 20:10 (UTC)
- 上の投稿を見ても分かる通り、利用者:Was_a_beeには話し合う意思が全くないようです。
- 利用者:Wiki_ryon「典拠を要する記述が何か具体的指摘は一度もなかった」
- 利用者:Was_a_bee「5ヶ月間にわたって典拠を要求してきた」
- これでは反論にもなっていません。私は、「典拠を必要とする場合に限れば典拠を拒んだことは一度もない=典拠の必要性の具体的指摘が一度もない」とは言ってますが、利用者:Was_a_beeが典拠を要求し続けて来た事実については一切否定していません。そして、「1+1=2」について典拠を出せと言う要求には応じていないと明言しています。反論するなら、典拠の必要性を示してください。これだけ多数のリンク貼れるのなら、私の修正した記述または修正提案の中で典拠の必要な記述とは何処なのか、それを明示するのは簡単なはずです。そして、その主張は一貫して繰り返して来ました。それに対して、必要性を明示することなく典拠を要求する行為も何度も繰り返されて来ました。
- 繰り返しますが、私は典拠を提示したこともしなかったことも一度もありません。何故なら、典拠を必要とする修正提案は一切行なっていないからです。私が提示したリンクについては、最初の方は、匿名の個人サイト(しかも内容はトンデモ系)や専門外の人物が書いた書籍(哲学や精神医学)を出典と称する利用者:Was a beeに対して、氏名や職場を公表している大学の物理学講師(=専門家)の言ってることの方がマシだと言うために示しただけです。後の方は、典拠ではなく説明に過ぎません。
- 解決策は非常に簡単です。利用者:Was_a_beeが誰も言ってない独自の理論を捏造しなければ全て解決します。利用者:Was_a_beeによる捏造の詳細はWikipedia:コメント依頼/Was_a_bee_20070421をご覧ください。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月22日 (日) 09:07 (UTC)
- 上の投稿を見ても分かる通り、利用者:Was_a_beeには話し合う意思が全くないようです。
- ノート:道具主義まで挙げているのには、正直、呆れました。そこで私が主張したことについては、利用者:Was_a_beeが全面的に受け入れて、本文に反映しています。もし、私の主張が本当に独自の調査であるなら、典拠のない独自の調査を無条件で受け入れた利用者:Was_a_beeも同罪であるはずです。事実、道具主義の履歴には利用者:Was_a_bee以外による改変の履歴はありません。この件について、どう申し開きするのか伺いたい。
- 本当に独自の調査なら、それに基づいた編集を行なった利用者:Was_a_beeも同罪
- 利用者:Was_a_beeの編集に問題がないなら、独自の調査でなかったことを利用者:Was_a_bee自身が認めている
- さて、一体、どちらが真相ですか。どちらに転んでも利用者:Was_a_beeの行為には問題があることになりますね。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月22日 (日) 09:17 (UTC)
- ノート:道具主義まで挙げているのには、正直、呆れました。そこで私が主張したことについては、利用者:Was_a_beeが全面的に受け入れて、本文に反映しています。もし、私の主張が本当に独自の調査であるなら、典拠のない独自の調査を無条件で受け入れた利用者:Was_a_beeも同罪であるはずです。事実、道具主義の履歴には利用者:Was_a_bee以外による改変の履歴はありません。この件について、どう申し開きするのか伺いたい。
- すみませんが、もう一度質問させてください。「Wikipediaの他の項目」のみを参照し、「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる」と判断した考えを執筆している、ということでしょうか。直接、ある記述の出典とはならないとしても、執筆時に参照している文献などはありますか? 執筆されている分野では、たとえば物理の人と科学哲学の人ではかなり土台となる考えが違うので、対話する上で、どのような背景をお持ちの方かというのがわからないと、話がすれちがいがちです。投稿履歴や利用者ページから、Was a beeさんはおそらく哲学~科学哲学側の立場から、Kwansaiさんは化学をご専門としてツールとして量子力学に理解がある方だといったことが推察されるのですが、wiki ryonさんの場合、背景が今ひとつ見えてこないので、それを確認したいという意味もあります。--Ks aka 98 2007年4月22日 (日) 16:36 (UTC)
- 本件はそれ以前の問題であり、私個人の知識の元を論じるのは完全に論点を逸脱しています。(逸脱した論点につき合っては話が明後日の方に行くだけです。論点を逸脱した場合には、逸脱したまま議論をするのは適切ではなく、逸脱していることを伝えて本来の議論に戻すのが、正常な議論を行なうのに欠かせません。)そもそも、「出典がなければ真偽が確認出来ない記述」が一つも指摘されてないのだから、そうした話をするのは「肯定する根拠を示さずに否定する根拠を示せ」と言っているのと同じです。そうした話をするなら、まず、「出典がなければ真偽が確認出来ない記述」を一つでも指摘してから言うべきでしょう。また、ノート:シュレーディンガーの猫では、匿名の個人サイト(しかも内容はトンデモ系)や専門外の人物が書いた書籍(哲学や精神医学)に基づいた独自の理論を述べているのは利用者‐会話:Was a beeであり、それについて専門家による出典が一つも示されてないのだから、本来論じるべき対象は私ではなく利用者‐会話:Was a beeの主張の方でしょう。そもそも、量子力学分野であれば哲学や科学では畑違いです。
- 哲学分野について言えば、利用者‐会話:Was a beeは、私のノート:道具主義(ノート:科学的実在論は道具主義に関連する事項)での修正提案について丸呑みし、それに基づいて本文を修正しました。つまり、コメント依頼をした張本人が独自の提案が無いことを認めているのです。そして、ノート:オッカムの剃刀でも私の主張を認めつつあります。こうした状況を見れば分かる通り、哲学分野においても出典を要求するのは言い掛かりに過ぎません。
- 利用者:Kwansaiについては、ノート:シュレーディンガーの猫#序文についてで「あたかもこの思考実験をして、意識が量子力学的作用を及ぼすことを証明するものであるという誤解もあるが、意識を物理的に説明する理論は現在の所無く、意識が量子力学的作用を及ぼすかどうかは、哲学的な研究も含めて現在多用な議論がある」と記述することを提案をしていることから、科学の必要条件(これは専門知識と呼べるものではない)を理解していないと考えられます。よって、量子力学の議論に参加できるだけの基礎知識に欠けてると思われるので、対話以前の問題でしょう。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月23日 (月) 10:33 (UTC)
- 補足すると、どの方向に話を持って行きたいかと、どの方向に話を持って行くべきかとは区別するべきことでしょう。自分の持って行きたい方向以外は認めないと言うのでは独善的です。確かに、持って行き方によって楽になったり難しくなったりしますが、一番楽な方法しか認めないと言うのは横着であろうと思います。目的からどの方法が最も適切かで選ぶべきで、一番楽な方法が不適切であるならそれを放棄することも必要でしょう。
- 私の経験から言えば、逸脱した論点につき合って話がまとまった試しがありません。逸脱した論点において些細な揚げ足取りを延々と繰り返されたあげく、本題の話にいつまでも戻れない、むしろ、本題から話を逸らすために、逸脱した論点を持ち出しているかのような状況がいつまでも続く、というのが私の経験です。だから、逸脱した論点に頼る方法では、まともな議論になるとは思えないので、同意出来ません。本題に正面から取り組むべきだと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月23日 (月) 10:45 (UTC)
別のページより
[編集]利用者:Was a beeは何を考えているのか知りませんが、ノート:科学的実在論にまで問題を飛び火させています。そこで、「今後も自身の編集方針について、とくに考えを改める気はないのか」と問われましたが、何度も言うように「考えを改めなければならない編集方針」が具体的に何か示されていません。それでは、改めるとも改めないとも答えようがありません。典拠を示すべき箇所を明示しないのでは、示したくても示しようがありません。彼の行為は「何度問われても典拠を示すべき箇所を明示しない」ことを誤摩化すための行為にしか見えません。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月27日 (金) 09:40 (UTC)
新たなる証拠
[編集]利用者:Was a beeは、ノート:道具主義に引き続き、ノート:オッカムの剃刀においても、「上記の話を考慮して書き直します」と私の主張を全面的に認めました。以上、典拠を要する記述が捏造である新たな証拠として提示します。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月30日 (月) 11:49 (UTC)
- あなたような不思議な誤読をする方を出さないよう文意を明確化する、という意味で「考慮する」と書いているだけです。--Was a bee 2007年5月20日 (日) 10:52 (UTC)
- 「不思議な誤読」に該当するかどうかは、論点から外れるので敢えて反論しません。百歩譲って不思議な誤読であると仮定しましょう。だとしても、私は「その不思議な誤読の余地を修正すべき」と言ってるわけであり、利用者:Was a beeがその必要性を認めたことには違いありません。そして、私は「その不思議な誤読の余地を修正すべき」以外の主張を一切していません。ということは、利用者:Was a beeは私の主張を全面的に認めたわけであり、利用者:Was a beeがWikipediaの方針に反していないなら、典拠を要する記述などないとお墨付きを貰ったわけです。それならば、典拠を要する記述は明らかな捏造です。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 09:37 (UTC)
利用者:Was a beeの問題行動
[編集]利用者‐会話:Was_a_beeが故意に嘘をついていることは、Wikipedia:コメント依頼/Was_a_bee_20070421に転記しました。
以上のとおり、問題行動は利用者:Was a beeにこそあり、この件はWikipedia:コメント依頼/Was_a_bee_20070421でコメント依頼を受けるべきことであろうと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月20日 (金) 12:14 (UTC)--量子力学のド素人ことryon 2007年4月20日 (金) 12:25 (UTC)
リンク先変更--量子力学のド素人ことryon 2007年4月21日 (土) 09:52 (UTC)
Ryonさんの出典、思考方式、記事の書き方に対する発想の転換について
[編集]さきほどオッカムの剃刀のノートで展開している文章を見つけて、ここに書き込んでます。 いきなりの発言になってしまい若干気がひけますが、はっきり言うことにします。
どうにも変ですよ、Ryonさんの考え方。
A. まず、はっきり間違っているのは、引用元を示していないこと。書名を示して下さい。これではWas a beeさんと同じ口調になってしまってますが、べつにWas a beeさんでなくても、Ryonさんに同じこと尋ねたくなりますよ。それをRyonさんが示さないと、やはりRyonさんの独自の見解と見なさざるを得ないなあ。いわゆる独自の研究っていうやつですか。私、科学哲学の本をいくつか読んでますが、Ryonさんの主張しているようなことはどうも見つからないんですよ。どの本に書いてあるのでしょうか?
B. どうにも妙で合点がゆかないのですが、Ryonさんは科学哲学の本としては何を読んでそんな思考をするようになったんですか? オッカムの剃刀が入っていない本でもかまわないので、過去に読んだ科学哲学関連の書名を具体的に数冊示して下さい。それを示していただければもう少し思考の背景が見えるようになるから、Ryonさんと他の人が対話がしやすくなる。示してもらい、他の人がそれを読めば、もしかしたらもう少し話がかみあうようになるのかも知れない。もし、示せないなら、やっぱりRyonさんが独自にそういう思考習慣を作り出した、と判断せざるを得ないなあ。
C. Ryonさんの理屈の中でも、突出して変なのは、オッカムが言っているからソースは要らない、だからその指針が正しいという前提に記事を書く、その指針が正しいという前提に私は考える、とかいった主旨の(主旨に読める)理屈、感情。
例えば3000年前の人物Aが"もしBなら、Yを実行"と言ったとしても、それはそれであって、今の我々がそんなものに影響を受ける必要はないでしょう? もともと得体の知れない指針・命令文なんだから。
例えばアリストテレスが「頭は冷却器官だ」と言ったからといって、頭を冷却器官として扱うのはどうかしているし、Wikipediaの記事に、頭は冷却器官である、と書くのも狂っているでしょ?書いていいのは『アリストテレスは「頭は冷却器官だ」と言った』ということまで。あくまで引用文でしょ。どうして他人のセリフを思考の本文や記事の本文に組みこまなきゃならないの?おかしいでしょ?
引用文と地の文(ぢのぶん)を区別する、つまりカギカッコ「」『』を有効利用して、セリフはセリフ、事実は事実、と区別しないとね。洗練された哲学者になると自分の思い浮かべる思考文ですらカギカッコにくくって冷静に疑問視しますよ。そういうのがセンスというもの。
ある本に "もしBなら、Yを実行" と書かれているから私はそれを実行するのだ、などと考えるのは原理主義の一種でしょう? 文字に書かれているとそれを真に受けて実行してしまうという心の病気ですよ。教条主義や狂信といってもいいかな。
オッカムが言ったからといって、どうして今それを自分の思考のエンジンに組み込むのよ?いかれているよ、そんなの。
ちょっと、コンピュータのファイルをイメージしてもらいたいのですが、ファイルのタイプって、何種類もあるでしょ?テキスト、とか実行ファイルとか。例えば、 ワード形式のファイルに、C++のコマンドの下書きや落書きが書いてあっても、あくまでテキストとして扱えばいいの。何もわざわざ.実行ファイルに書き直してまで実行しなくていいのよ。というような理屈。わかってもらえるかな? コマンド文が書いてあるファイルを、いちいちバカ正直に実行したら、PCだってウィルスに汚染されまくるでしょ? 人間だって、思考の指針なんてものいちいちバカ正直に思考に組み込んだら、精神病の思考方式になるよ。(この比喩、Ryonさんがコンピュータに詳しければ通じると思うが。実際、精神病になる人のある一定の割合はそういう癖や思考パターンがきっかけでなるようですよ。もっともRyonさんがそうなっているとは私は全然思っていませんのでどうか誤解なきよう。)
それをうかつにもやってしまっているのが、原理主義とか教条主義とか狂信、というやつ。これね、宗教に限った話ではなくて、科学者の中にも、科学の枠内で同じようなワナにかかる人が結構多いから気をつけないとね。 それと固定観念という項目ももっと読んだほうがいいかも知れない。
それとも、あれかな? 本当はあそこに書いたようには考えてはいなくて、今までのいきさつもあって感情としてWas a beeさんの言うことが承服できないから自覚の上であえて論理の飛躍をさせているか、そう考えたふりをしている? そのほうがまだ救いがあるのだけれど。
結局のところ、、、
Ryonさん、もうそろそろWikipediaに対する発想を変えたほうがいいですよ。
日本のWikipediaも状況が変わってきた。記事の数も量十分に増えて、あまり質の低い加筆、出典の無い加筆は必要なくなってきています。 「独自の研究を載せない」もWikipediaの公式方針になったことですし、Wikipediaはもう自分の考えを即興で書くところではなくなった、と思いましょう。以前から、Wikipediaは、いくつかの論理を組み合わせて記事上で演繹したり、アブダクションをして理論構築する場でもない。
つまり
- Wikipediaの加筆というものは、書籍を開いて読みながら、だれか著名な学者が言っていることを、誰が言っているのか明記しつつ引用文形式で書き写す。あるいは著作権に配慮して、著作権違反にならない程度に手直しして記事文を作る。いずれにせよ、その際必ず<ref>文献名</ref>タグを付ける。
きっとこれぐらいの発想を基本にしたほうが無難ですよ、Ryonさん。
---E r n e s t 2007年5月18日 (金) 17:19 (UTC)
Ryonさんは原理主義・教条主義を止めなさい。引用タグを必ず付けなさい
[編集]>> (前略) 既に書かれた引用文が正しい引用であるという前提の元に、Wikipediaの執筆者の書いた文章に対して、引用文と意味が違う部分や、説明の自己矛盾を訂正しただけ... (後略)
Ryonさん、正気かい? 原理主義は止めろと指摘している直後に、この返答かい? どうやら全然分かってないみたいだね。書かれている文章が正しいという前提のもとに、次から次へと行動を起こす、それが原理主義・教条主義。 Ryonさん、オッカムの剃刀の記事に限らず、他の記事への加筆でも同じパターンで行動しているだろ。いいかげんに気付いてくれよ。たのむよ。
ある瞬間にWikipediaの記事にある文章Pが書かれているからといって、そのPが正しいなんて保証はどこにもないだろう? それなのに、勝手にそれが正しいと決め込んで推論したり、その文章を基準にして他の文章をいじくるという発想が原理主義なの。
Wikipediaのどの文章でも、5分後には誤謬として削除されているかも知れないものだ。Wikipediaの記事の文章なんてものは、どこかの小・中・高生がイタズラ心から、事実と見分けがつかないような嘘を練りこんだような文章も、あちらこちらに一杯混入しているんだぜ。大人だって固定観念や判断ミスや悪意や記憶違いで嘘を書き込んでいる。(虚偽記憶も読んでみるといい、記憶ですらいかにあやふやなものか)
だから、Wikipediaは信用ならないものなのだから、Wikipedia内の文章から再引用するな。再引用しておいてそれを根拠に自分の推論結果が正しいなどと主張するなんて、とんでもない行為だ。
あなた本人は文章の整合性を調整しているつもりでも、無自覚なままWikipedia内に汚染を広げていることは多いのだ。 たとえば、オッカムの剃刀の記事の地動説の事例だって、書き込んだのは得体の知れないIPユーザだろ? そんないいかげんなものを前提にして、あれこれ思索をめぐらしたり、文章全体をいじったりするのはまずいだろ。
あなたが眼にする記事の文章に、たとえ自己矛盾があろうがなかろうが、自力で引用タグがつけられないような状態ではその文章に加筆したりするな。加筆すればするだけ、誤謬が複合的に練りこまれて、事態が悪化するばかりだ。
忠告
- Wikipediaの記事を書くときは、書籍を開いて、自分自身の眼で書籍の文字を見て、そこから直接引用して、引用タグをつけろ。もし自力で書名の引用タグを明記できないなら、そもそもそんな状態で加筆するな。後日、書籍を眼の前に用意してから書け。
- Wikipedia内の文章はどれも信用するな。Wikipedia内から引用するな。孫引きするな。Wikipedia内の文章を出発点や材料にして推論をしたりするな。
--- E r n e s t 2007年5月19日 (土) 19:28 (UTC)
詭弁の手口は論点のすり替え
[編集]見事なまでに論点がすり替えられているので、そのトリックをズバリ指摘します。結論から言えば、利用者:E r n e s tは、ありもしない「原理主義」「教条主義」「勝手にそれが正しいと決め込んで」「自分の推論結果が正しい」を捏造してるだけです。
「5分後には誤謬として削除されている」なら、修正後の記述も含めて削除すれば済むだけです。元の記述に出典が足りないなら、問題とすべきは後から加えられた表現の修正ではなく元の記述そのものです。現時点での記述が間違いである可能性を理由に文章表現を修正してはいけないなら、同じ論理で誤字脱字も一切修正できないですね。内容の真偽については踏み込まずに、誤字脱字を修正したり、分かりにくい表現、一般的でない単語を修正する人がいますが、その人達が出典を出さないのはWikipediaの方針に反しているのですか?常識で考えて、Wikipedia:出典を明記する方針は、新たな内容を追加する時に求められる物であって、誤字脱字の修正、分かりにくい表現の修正、その他、文意を変えない記述方法の変更にまで適用される物ではないはずです。
利用者:Was a beeは元の記述に対して一言も異議を唱えていません。つまり、元の記述には問題がないという前提で、表現の修正に対して出典を要求しているのです。その前提は、利用者:Was a beeが指定したのであって、私が指定したわけではありません。それに対して、私は、単に表現を修正するだけで文意が変わらないなら、その表現修正行為には出典は必要がないと言っているのです。このように、利用者:Was a beeも私も、両者とも、表現修正前の記述の是非ではなく、表現修正行為について物を言っています。私は、元の引用文が正しいかどうかについては一切言及していません。元の引用文の是非を棚上げして、表現修正行為について論じているだけです。元の引用文に問題があるとしても、単に表現修正を行なっただけの者には出典を明示する責任はないと言ってるだけです。
それに対して、利用者:E r n e s tは、表現修正前の記述に問題があることを前提として物を言っています。それならば、問題とすべきは、表現修正行為ではなく、元の記述です。元の記述の引用文に要出典をつけるなり、独自の調査であることを理由に元の記述も含めて全て丸ごと削除するなりすれば済むことです。表現修正行為の是非について論じる必要はありません。元の記述に出典がないなら、どんなに表現を修正したところで、ない出典が「ある」に変わったりはしません。だから、修正後の記述を削除することは何ら問題はないはずであり、表現修正行為が編集の妨げとなることはありません。
利用者:E r n e s tは、このように、議論の前提をすり替えています。そして、その前提を持ち出した人間まですり替えています。そして、前提をすり替えると、論点が表現修正行為から修正前の記述に移行するにもかかわらず、論点以降については一言も触れずに、あたかも、移行前の論点でそのまま論じられるかのように論点をすり替えています。これが利用者:E r n e s tが使っている詭弁の手口の全容です。
特別:Contributions/E_r_n_e_s_tが示すように、本当に投稿や修正の経験がないなら、どうして、ここまで自信満々のことが言えるのか不思議ですね。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月20日 (日) 09:56 (UTC)
基本的なこと=独自の見解を捏造しない
[編集]毎度同じパターンなので項目としてまとめます。
- 独自の見解を捏造するのはご遠慮ください
基本的に言うべきことはこれだけです。オッカムの剃刀においても他の項目においても、私が主張していることは一切何もありません。存在しない物の出典など示しようがありません。私は、「オッカムがこう言った」もしくは「ああ言った」という類いの発言さえ、一切していません。既に書かれた引用文が正しい引用であるという前提の元にの真偽を棚上げした上で、、Wikipediaの執筆者の書いた文章に対して、引用文と意味が違う部分や、説明の自己矛盾を訂正しただけです。著作権違反にならない程度に手直しして記事文を作れと言われてますが、実際にそのとおりにしているだけです。それが駄目だと言われるから、それは他人の著作を丸写ししろと言ってるのも同義であり、いつからWikipediaの方針になったのかと聞いてるだけです。
そもそも、私の主張する独自の見解って何ですか?例えば、オッカムの剃刀の記述で、引用文にない独自の見解って何ですか?何処がどのように引用文と違っているのですか?それは、今まで、誰からも、一度たりとも指摘されていません。オッカムの剃刀に限らず、独自の見解を主張していると言い掛かりをつけられることは何度もあるけれど、どんな独自の見解なのかは一度も指摘されていません。どんな独自の見解があるのかを一切示さずに、独自の見解がないことを証明するのは悪魔の証明です。逆に、私は、ノート:オッカムの剃刀において、定義文と説明文の意味の違いを具体的に指摘しています。どうして、同じことができないのでしょうか。
あと、E r n e s t 氏の投稿記録を見たら、本日のこのページの編集しかないってどういうことなんでしょうか?私は馬鹿だから、どういうことかサッパリ理解できません。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月19日 (土) 10:33 (UTC)
- 揚げ足取りの余地が無いように一部表現を修正。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月20日 (日) 10:01 (UTC)
捏造の証拠は既に挙げてある
[編集]冒頭部の2007年4月22日 (日) 09:17 (UTC)の投稿や#新たなる証拠において、私が独自の見解を主張していないことを利用者:Was a beeが認めた証拠を挙げています。これについては、1ヶ月近く経過していますが、本人からも第三者からも反論はありません。反論すべきことに正面から向き合わず捏造で他者を陥れるのは、Wikipediaの方針に反する個人攻撃ではないですか。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月19日 (土) 10:59 (UTC)
記述の移動について
[編集]私は、このページのおける他人の投稿は移動していません。私自身の投稿を移動しましたが、それによって「発言の時系列が不明」になったとしても、それによって不利益を被るのは他ならぬ私自身です。#基本的なこと=独自の見解を捏造しないの内容を全く踏まえない#Ryonさんは原理主義・教条主義を止めなさい。引用タグを必ず付けなさいが投稿されているという事実関係が分からなくなっても、そのことによって不利益を被るのは私であり、利用者:E r n e s tは一切の不利益を受けません。同じことを二度書く必要はないと思われたたこと、そして、説明を分かりやすくするためには反論となる文章が後に来るべきであろうから、自分の投稿を移動させただけです。もちろん、その旨を明記しなかったことは失敗です。--2007年5月21日 (月) 09:48 (UTC)
投稿ブロック依頼が提出されました
[編集]現在まで議論の経緯を見守ってきましたが、投稿ブロック依頼以外の可能性が全て消えた、とそう判断せざるを得ないようです。本日2007年5月21日、ブロック依頼を提出しました。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 07:54 (UTC)
- 以下にryon氏の登場から、今日に至るまでの間の、簡単な経緯を記しておきます。
- 2006年10月15日、ryon氏初投稿。量子力学関係の記事全般をryon氏自らが大幅に書き換える旨の宣言がなされる。
- 一切出典のない状態であったため、2006年11月から出典求める対話が始まる。
- しかしながら以後議論を編集のもととなるソースは一点も示されない。
- その後、科学哲学分野のノートページへも登場し始める。しかしながらここでも出典なき主張を同様に繰り返す。
- ryon氏初投稿から5ヵ月後となる2007年4月、Wikipedia:コメント依頼/Wiki_ryon(当ページ)が提出される。しかしながらその後も、ryon氏の言動に一切変化が見られない。
- 2007年5月21日、当ブロック依頼が提出される。
- 以上が簡単な経緯となります。とはいえWiki ryon氏の行動に関して、まだ対話の余地がある、と考える方もひょっとすると居られるかもしれません。そうした方は、上記ブロック依頼に反対票を投じた上で、当コメント依頼および各種ノートページにてWiki ryon氏との対話を継続して行なっていってくださるようお願いします。(以上、投票ページより移動)--Was a bee 2007年5月21日 (月) 09:29 (UTC)
捏造された経緯を修正
[編集]対話も何もせずに、「投稿ブロック依頼以外の可能性が全て消えた」とは、どのような根拠で言ってるのでしょうか。身の潔白の証拠を挙げても、それを一切無視するのは対話と呼べるのでしょうか。証拠の矛盾点や論理の破綻を突いて、証拠になっていないと反論するなら、それは立派な対話でしょう。また、別の観点から証拠を挙げるのも、対話のやり方の一つでしょう。しかし、私が身の潔白の証拠を挙げても一切無視、どこが独自の主張かと問われても一切説明しない、これがまともな対話ですか?
量子力学の記述については、主にKakannkann氏と議論してきました。ちなみに、ノート:シュレーディンガーの猫では利用者:Was a beeも発言していますが、全て哲学的観点での発言であり、量子力学的観点での発言は見られません。さて、そのKakannkann氏は、利用者‐会話:Wiki_ryon#シュレーディンガーの猫についての2007年2月16日 (金) 07:45 (UTC)にて、「今回の修正で、物理的に間違っている記述はなくなりました」と発言されています。そのことから、Kakannkann氏が「私の独自の主張」と認識していたことが、誤読の産物であることが裏付けられている(書き方が悪いのか読み方が悪いのかは問わない)と考えられます。Kakannkann氏との議論の中で、私が何らかの主張を撤回したわけではありません。ただ、誤解の生じかねない表現を修正してきただけです。
科学哲学分野のノートページに関して言えば、ノート:道具主義、ノート:科学的実在論、ノート:オッカムの剃刀のいずれのおいても、利用者:Was a beeは私の主張を全面的に認める等しており、独自の主張なる物は捏造に過ぎません。
以上、まとめると、
- 量子力学関係の編集への量子力学的観点での異論は誤読の産物だった
- 量子力学関係の編集において、残るは哲学的観点での異論だけ(利用者:Was a beeは、そう主張する者がいることを示しただけで、それが量子力学の主流であるかのような記述の変更を認めない。彼と同程度以上の「出典」を示しても、利用者:Was a beeは、哲学的主張が量子力学の主流でないことを認めない。彼以外は、哲学的主張が量子力学の主流でないことを認めている。ノート:シュレーディンガーの猫参照。)
- 科学哲学分野においては利用者:Was a beeが私の主張を全面的に認めている
以上のように、ありもしない捏造に対しては変化しようがありません。そして、利用者:Was a beeはほぼ一切の対話を拒んでいます。変わるべきは彼の方でしょう。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 10:12 (UTC) 一部追記--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 11:01 (UTC)
- 自分の目で事実関係を確認したい方は以下のノートページ(以下、時系列。ノート:シュレーディンガーの猫、ノート:道具主義、ノート:科学的実在論、ノート:オッカムの剃刀、利用者‐会話:Was a bee#反論姿勢について)から、議論の流れを全て追っかけてください。軽く小一時間はかかると思われますが、実際の経緯がよく分かると思います。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 11:19 (UTC)
Wikipediaでは弁解の機会も認められないのか?
[編集]自らの独自の主張に反する記述をする者、もしくは、そうした記述をするように見える者を封じ込めるために、正面から反論せずに、主張の前提をコロコロ変え、事実無根であることを知りながら言い掛かりをつけ、反論されたら無視し、「投稿ブロック依頼以外の可能性が全て消えた」と主張して対話も試みずに投稿ブロック依頼を強行する。それこそ、相手を疲弊させる行為そのものでしょう。Wikipediaは、このような暴挙がまかりとおる場なのでしょうか。そのような行為に対して、やられた方は、一切の弁解することさえ認められないのでしょうか。
Wikipedia:中立的な観点に嘘偽りがないなら、そんな馬鹿なことはあり得ないはずです。私は、自分が絶対に正しいと言うつもりはありません。ただ、事実関係をきちんと検証してくださいと言ってるだけです。私の提示した証拠がおかしいと言うなら、何処がおかしいか指摘してください。私の行なった修正が表現の修正の範囲を超えていると言うなら、どのように意味が変わっているか指摘してください。本当に「独自の主張」と言えるなら、そうした意味の変化があるはずです。そして、私は、常に、そうした意味の変化は私の意図したものではないと明言しており、そうした意味の変化を元に戻すことについては一切の異論を唱えていません。「独自の主張」と見なされるような意味の変化が分からなければ、それを修正することもできないし、反論することもできません。
あることを示さずにないことを証明しろと言うのでは悪魔の証明です。どんな罪で告発されたのか明示されないのでは、罪状認否もままなりません。ただ、殺人罪であることと、大まかな犯行日時の範囲と被害者の候補が多数並べられただけで、何時、誰を殺したのか説明もされないのに、無実を証明しろ言われているようなものです。それでは弁解の機会が与えられていないも同然です。そして、その犯行日時の範囲にアリバイがあることを示しても、証拠として一切採用されません。手探りで悪魔の証明と対抗しようとしても、絶対に証拠として採用されないのでは、最後の望みさえありません。
これの何処が粘り強い対話なのでしょうか。これの何処が「投稿ブロック依頼以外の可能性が全て消えた」と言えるのでしょうか。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 10:48 (UTC)
- 事実関係を検証したい方は以下のノートページ(以下、時系列。ノート:シュレーディンガーの猫、ノート:道具主義、ノート:科学的実在論、ノート:オッカムの剃刀、利用者‐会話:Was a bee#反論姿勢について)から、議論の流れを追ってください。軽く小一時間はかかると思われますが、彼の人となりがよくわかるかと思われます。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 11:16 (UTC)
簡潔に補足説明
[編集]例えば、元の記述をAとします。そして、修正後の記述をBとします。それに対して、「Aは○○を意味するが、Bは××を意味する。両者には△△の意味の違いがある。貴方が△△を主張する根拠は何ですか?」と言うなら、出典を求めるのは当然でしょう。しかし、表現の違いをもって、出典を出せと言うのは言い過ぎです。何故なら、それでは、意味の違い、すなわち、新たなる主張の介入を示せていないからです。文章を修正しているのだから、当然、表現の違いは存在します。争点は、その表現の違いが意味の違いを生じさせているかどうかです。表現の違いを指摘しただけでは、意味の違いを指摘したことにはなりません。
これまで、誤読を除けば、そうした意味の違いを指摘されたことは、一度たりともありません。私は「△△を生じさせる意図は全くない。もし、表現変更によって△△が生じているなら、その△△を取り除くことには異論がない。」と何度も言っています。そして、「△△の除去は誰がやっても構わない。もし、私にやれと言うなら△△を具体的に指摘してくれ。」と言っているのです。にもかかわらず、その△△は一向に指摘されず、表現が違うという指摘だけで、文句を言われ続けているのです。自分で編集したのだから表現が変わっているのは百も承知です。そんなことは言われなくても分かります。私が問うているのは、表現の変化ではなく、「どの部分が△△なのか」です。
具体的に指摘しないのでは、変わった、変わってないの水掛け論です。そんな水掛け論を打開するために、粘り強く交渉を続けてきたのは私の方です。利用者:Was a beeは水掛け論を吹っ掛けて来るだけです。それに対して、私が論点を明確にしようとしたら、彼は、議論の前提事項を変えてしまったり、人の話に耳を傾けなかったり、そうやって水掛け論を永遠に続けているだけです。
記録を検証する人に見てもらいたいことは
- このページにおいて私に弁解の機会が与えられているかどうか
- △△の指摘が一度でもあったかどうか
- 私が△△の修正に一度でも異論を唱えたか
- 科学哲学分野において、利用者:Was a beeは私の主張を認めたのか
- 量子力学分野での利用者:Was a beeの心の哲学に関する主張と出典
- 他の利用者が心の哲学と量子力学をどう捉えているか
です。よく検証してください。あと、弁解の機会が与えられたかどうかは、このページを見るだけで明白です。まず、そちらを良く検証してください。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 11:36 (UTC)
- 非常に時間を費やす作業ですので申し訳なく思いますが、上の四点については、各自でノートページをみていただければわかることですので、特にコメントはいたしません。心の哲学の出典に関してはあまりメジャーな分野ではありませんので、少しだけ補足を入れておきます。
- 私は心の哲学の観点から行なわれている量子力学に関する分析の典拠として、チャーマーズが著書「意識する心」(原題:The Conscious Mind)の中で行なっている分析と、そこに引用されている論文・著作を孫引き的に引用して提示しました(チャーマーズ自身は意識が量子力学的な状態と何らかの因果的な関わりを持っている、という考えには否定的な立場をとっており、引用部分は意識と物理学に関する様々な考えに対し、網羅的な分析を加える事が主目的となっています)。以下、このチャーマーズという人物およびその代表的著書「The Conscious Mind」がどのような位置づけにあるのかを簡単に提示しておきます。
- ご存知のように現在、意識研究は非常に学際的な活況を呈しており、医学畑、化学畑、生物畑、心理学畑、哲学畑、物理畑と実に様々なバックグラウンドをもつ人々の参入がみられますが、その中で哲学畑における意識に関する研究者の代表格的な立場と目されることが多いのが、このチャーマーズという人物です。特に意識と現在の物理学の関係についての分析(より具体的に言えば意識と脳の物理状態の関係、すなわち en:Neural correlate of consciousness に関する分析)に関して、現在 大きな存在感を示している人物の一人が、このチャーマーズという人物です。具体的な例を挙げてそれを示しますと
- Nature Reviews Neuroscience に掲載されたレビューにおける、哲学分野の議論の一例として哲学分野の三つの文献のうちのひとつとして引用されている(Geraint Rees, Gabriel Kreiman and Christof Koch (2002). Neural correlates of consciousness in humans. Nature Reviews Neuroscience, 3:261-270 pdfファイルの6番)
- スカラーペディアにおいて行なわれている記事 Neural correlate of consciousness の執筆者選挙[30]において、ユージン・イジケヴィッチによってクリストフ・コッホに続いて二人目にノミネートされている[31]
- スタンフォード哲学百科事典の心の哲学(Philosophy of mind)分野の二人いる editor の内の一人を務めている[32]。
- こうした例を挙げていけばキリがありませんが、要はいわゆる科学サイドの研究者からも哲学サイドの研究者からもそれなりの信頼を得ている著者および著作を出典として提示している、ということだけ伝えておきたいと思います。
- もちろん分野が哲学ですので、チャーマーズの全ての分析が万人から支持を獲ているという事はない、という事だけは言っておきます。例えば、意識の問題に関しては大きく分けて二つの立場があるのですが、この二つの立場に分かれて、チャーマーズと対立する(互いに認め合う)ライバルにダニエル・デネットという人物がいます。チャーマーズはデネットを反クオリアの代表格として「デネットは哲学的ゾンビなのか?」などと冗談半分にからかった事がありますし、またデネットの方は『クオリア気違い』の親玉としてチャーマーズに論戦を挑んだ、といったエピソードがあります。
- ちなみにこのチャーマーズの The Conscious Mind の内容にかなりの大きい影響を受けながら非常に噛み砕いた説明を行なっているサイト「哲学的な何か、科学とか」をあわせて紹介した所、ryon氏がトンデモだ、専門外だ、と言い始めという点だけ付記しておきます。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 17:07 (UTC)
量子力学分野の根拠が哲学分野の文献?
[編集]「心の哲学の観点から行なわれている量子力学に関する分析」は、心の哲学のページに書かれることであり、どうしても量子力学のページに書くなら「別分野の話である」と明記して、量子力学側の要請によるものであるかのような誤解を与えない配慮が必要です。
哲学分野の話ならば、「哲学分野の三つの文献」は立派な文献でしょう。しかし、量子力学分野の話であるなら、「哲学分野の議論」や「哲学分野の三つの文献」は文献として体を為していません。そのことは、ソーカル事件を引き合いに出すまでもなく明白でしょう。
利用者:Wiki ryonは、「哲学分野の三つの文献」が哲学分野においてトンデモだと言うつもりはないし、言った憶えもありません。ただ、「それは専門外の文献であり、量子力学の根拠とするならトンデモだ」とは言ったかもしれません。まして、出典を出せと言った人間の出した出典が氏名も身分の分からない個人サイト「哲学的な何か、科学とか」では、何と言えば良いのやら。ちなみに、その個人サイトでは、意識と量子力学の関係について、科学分野、それも、量子力学の話として、書かれています。利用者:Was a beeも「量子力学に関するごくごく標準的な話」と称して紹介しているのだから、そこで行なわれたのは哲学分野の議論ではなく、明らかに量子力学の議論です。
その個人サイトの細かい間違いは一々説明しませんが、中でも二重スリット実験が隠れた変数理論理論を否定する根拠であるかのように書かれているのは致命的です。おそらく、波についても根本的な誤解をしていると思われます。物理学講師の説明[33]と比較してください。以前に、別の物理学講師の説明[34]も示したはずです。尚、これらは、身元の分からない個人サイトの記述よりは、氏名を明かした物理学講師の方がマシ(何気に失礼なことを…)だから提示したのであって、決して、Wikipediaの文献として十分だと言うために示したものではありません。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月22日 (火) 12:45 (UTC)
Wikipedia:投稿ブロックの方針を読んで
[編集]「投稿ブロック依頼対象ユーザーの活動が継続しており被害が拡大する可能性が高い場合」と判断されないようにするため、量子力学と科学哲学分野の編集は、ノートページでの議論を含めて、管理者判断が下るまで見合わせることとします。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 12:41 (UTC)
- コメント依頼およびブロック依頼提出後のあなたの投稿を全て総合すると、私には次のように意味に取れました。すなわち『間違えてブロックされると困るので一時的に書き込みをやめるが、自分(Wiki ryon氏)の行いには非は無いので、一区切りついたら、また今までと同様の編集行為を再開する』この理解でよろしかったでしょうか。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 13:26 (UTC)
- このように、勝手な想像で物を言うのが依頼人の悪い癖です。「管理者判断が下るまで」と明記してありますが、管理者判断によって、その後の行動が変わるのは当然のことです。管理者判断を気にしないような人間は、「〜と判断されないようにするため」と言うはずがありません。言い替えれば、そのように言う人間が無期限ブロックを受けるような行動をとるはずがありません。相手の主張を想像で決め付けないことは、対話のために最低限心得ておくべきことでしょう。決め付けは、対話の意思のない人がやることです。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 13:57 (UTC)
- では時限ブロックという判断が下った場合、Wiki ryon氏の行動に関して、どのような変化を期待できると考えたら宜しいでしょうか。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 14:17 (UTC)
- 答える義務はないのでしょうが敢えて答えましょう。時限ブロックという判断が下ったなら、それは所謂有罪判決なのだから、有罪判決を無視して勝手な行動をとるべきではありません。たとえ、どんなに絶対的自信があろうとも、異議申立ては然るべき手続を経てするべきであって、実力行使に出るのは反社会的行動です。それはWikipediaに限らない社会の常識です。
- もちろん、納得できなければ異議申立てはします。管理者から尤もな説明があれば納得するし、逆に、私が丁寧な説明で管理者を口説き落とすという可能性もあります。その先どうなるかは、やってみなければ分かりません。ただ、ひとつだけ言えるのは、反社会的行動をとろうとしても、管理者には無期限ブロックという強い武器があるのだから、全くの無意味だということです。非生産的な行動をしたいとも思いません。何が起きようとも、然るべき手続を経て然るべき行動をとる。ただ、それだけです。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 14:30 (UTC)
- 管理者はブロックの有無およびその期限を各種議論の経緯を参酌して決定する役であり、あなたの今後の活動に関して細かい指示を与えるような義務を課せられてはいません(つまり職場の上司や学校の先生・親といったものとは根本的に異なった立場です)。ですから、あなたが自分自身でどう変わる心積もりがあるのか、それをあなたの口から具体的にお聞きしたいのですが、お聞かせ願いますでしょうか。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 14:52 (UTC)
以後の議論はWikipedia:コメント依頼/Wiki ryon 20070609をご参照ください。沢山のご意見ありがとうございました。--Was a bee 2007年6月14日 (木) 13:53 (UTC)
(被依頼者)「非依頼者がウィキブレークを宣言しました。それを踏まえ」は事実に反します。「非依頼者がウィキブレークを宣言」した後も議論が続けられました。その結果、反対意見を述べた人の反対理由「依頼不備」について、依頼者以外からの反論がなく、ブロック判断に必要な条件のひとつである議論による合意に達していません。つまり、「それを踏まえ」は合意事項ではない、一部の人間の意見に過ぎません。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月15日 (金) 13:17 (UTC)