Wikipedia:コメント依頼/Tekeonin 20220818
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利用者:Tekeonin(会話 / 投稿記録 / 記録)さんのWikipedia:記事に免責事項を載せないにおける編集姿勢について、コメントを依頼します。--Kurz(会話) 2022年8月18日 (木) 10:13 (UTC)
これまでの経緯
[編集]- 被依頼者はWikipedia:コメント依頼/Tekeonin 20210910の中で、Wikipedia:記事に免責事項を載せない(WP:NDA)に基づいて議論姿勢を非難されました。(2021年9月上旬)
- 被依頼者はWikipedia:記事に免責事項を載せないに合意形成をすることなく、自身の主張に沿った大幅な編集を加えました。(2022年1月-2月頃)
- 依頼者はWikipedia‐ノート:記事に免責事項を載せないにて、別のノートにて込み入った議論があることを注意喚起しました。(2022年6月15日)
- 被依頼者は再び、合意形成することなくWP:NDAにてご自身の主張を書き加えました。(2022年6月15日)
つまり、被依頼者は、WP:NDAがいまだ草案であるにもかかわらずそれに基づいて議論姿勢を非難されたことを遺憾に思ったのか、合意形成なしに草案を編集して、草案が無効である(=私の議論姿勢に問題はない)との主張を強調しようという行いに出たものと考えられます。そこで依頼者はこの草案は過去に込み入った議論がある旨の注意喚起を慎重に行ったのですが、被依頼者はそれを受けても議論を提起することもなくご自身の主張をWP:NDAに書き加えました。
依頼者としては、このような振る舞いを続けられる利用者の方と1対1で冷静に議論をするのは困難だと感じたため、ほとぼりが冷めるのを待った上でコメント依頼を提起したという次第です。
依頼者のコメント
[編集]まず最初に、基本的なことですが、Wikipedia:議論が白熱しても冷静にお願いします。
次に、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#具体例にあるように、もし問題の文書を編集しようという気持ちがあるのなら、
- もしすでに存在する手続きやガイドラインを変更したほうがいいと思ったら……
- 良い例 - ノートで議論を始め、合意を形成するよう試みる。
- 悪い例 - そのルールが誤っていることを明らかにするため、限界まで突き詰めたり、そのルールを削除依頼に提出する。
良い例に沿って行動していただくようお願いしたいと思います。--Kurz(会話) 2022年8月18日 (木) 10:13 (UTC)
- 報告 本件を提出後に被依頼者によりWP:NDAにて編集[1]とコメント[2]が行われました。コメント依頼中ということもあり、話が錯綜してわかりにくくなりますので、コメント依頼が終わるまではWP:NDAでの編集と議論はしないようお願いします。--Kurz(会話) 2022年8月19日 (金) 10:08 (UTC)
- コメント 被依頼者の議論姿勢全体に言えることですが、自らの主張に有利な証拠のみを選び、それと矛盾する証拠を隠したり無視したりする傾向、つまりはチェリー・ピッキングの傾向がありますね。事細かく事例を挙げるのは話が長くなって第三者が議論を追いにくくなるので控えますが。念のため申し上げておきますが、そういった手法でご自身の主張を強調しても、その主張に反対する利用者がいる場合には、Wikipedia:論争の解決とWikipedia:合意形成が必要なことに変わりはありませんので、その点はご理解ください。 なお、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で — 実地証明は無用(WP:SPEED)もご覧ください。--Kurz(会話) 2022年8月21日 (日) 10:18 (UTC)
被依頼者のコメント
[編集]指摘を受けた被依頼者は必要に応じて説明を行います。
- 合意形成の件ですが、Wikipedia‐ノート:記事に免責事項を載せない告知についての項目(2009年12月7日)で、二名の人物によって本ページが合意がなく日本語版において拘束力が無いものという意見が出ており、本項目を無効とする合意がなされた判断しています。また、その他の本ページへの反論(2009年12月12日など)への有効となる反論すら10年以上行われておらず。当ページが作成されるに至ったWikipedia‐ノート:免責事項/過去ログ1#免責テンプレートの廃止提案においても内容に反対する意見が優勢の時点で、既に本ページが無効であるという合意が形成されたものと考えています。--Tekeonin(会話) 2022年8月18日 (木) 11:45 (UTC)
- 追記というかまとめ
- そもそも、合意の形成がされていない項目を使おうとすることが問題な上に、ノートページで反論多数で使うなという意見がある上に、暴力性テンプレートなりで本項目が無視されて使われている現状がある訳が、そいういった現状が本項目が無効という合意がされいるということです。そもそも本項目は、議論の参考に作られた翻訳記事であって、ガイドラインの草案として作られたものですらないということが前提がある時点でガイドラインとして使うのがおかしいのです。こういったコメント依頼を出す前に、「記事に免責事項を載せない」の合意の形成を求めるか、きちんとした無効の合意の形成をする議論が必要と思ったならそういった提案をノートページなりで行うのが先なのではないでしょうか?--Tekeonin(会話) 2022年8月18日 (木) 12:31 (UTC)
- 別のノートにて込み入った議論があることを注意喚起
- ノートの内容と議論(Wikipedia‐ノート:免責事項/過去ログ1#免責テンプレートの廃止提案)について内容を確認していただければわかると思うのですが、注意喚起と言えない内容です。さらに、内容については、免責テンプレートの廃止提案は棄却、『記事に免責事項を載せない』翻訳文についても反対多数で、この時点で反対の合意が形成されたと考えたものとも解釈できます。編集についての情報提供が成されたとしか思えない内容でした。--Tekeonin(会話) 2022年8月18日 (木) 21:02 (UTC)時点の書き込み補遺--Tekeonin(会話) 2022年8月18日 (木) 21:38 (UTC)
- Afaz氏へのコメント
- 「私を含めて一定の支持者がいる」とのことですが、それらの支持者は多くの反対意見に明確で根拠のある回答を行っていません。よって、ノートの内容は反対意見が優勢であり、私論ではなく合意が得られていない提案なのです。それらの反対意見に対して明確で根拠のある回答が成されていれば一方的にならずに掲載されていたでしょう。「Template:注意」があるように、本文において、注意書きを記するは「ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません」に抵触しません。なんなら「Template:注意」で記述した方がWikipediaにおいても本問題においても正当な表記法なのかもしれません。そもそも注意書きとせずに概要などの形で伸びた冒頭文を切ってもよいとも考えられる内容でもあります。--Tekeonin(会話) 2022年8月18日 (木) 21:02 (UTC)
- 「注意書き」とせずに「本草案が無効と考えられる合意と反対意見の一覧」とした方が直接的で良いかもしれませんね。ともかく、反対意見があり同意されておらず、ガイドラインとしてのレベルに達していないという記述はノートの現状では冒頭文に必須と考えられます。--Tekeonin(会話) 2022年8月18日 (木) 21:38 (UTC)
コメント
[編集]第三者がコメントを書き込みます。必要に応じて議論を行います。
- コメント 草案段階の文書は基本的にノートでの合意を得ることなく自由に追記して良いのですが、Tekeoninさんが追加した部分はノートにある自分に都合がいい意見であり、文章の体裁も整っていないので、すべて差し戻すのが望ましいでしょう。「Wikipedia:記事に免責事項を載せない」は反対多数で無効ではなく、私を含めて一定の支持者がいるので現在のステータスは「私論」だと個人的には思います。しかし記事内に「注意書き」を記述することは、別の方針である「ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません」に抵触するので、「記事に免責事項を載せない」が無効だと主張しても、注意書きの記述が「良し」となるわけではありません。--Afaz(会話) 2022年8月18日 (木) 17:50 (UTC)
- コメント WP:NDAのこの版には正直驚きました。当該ページの内容がまさに「WP:NDAの適用に関する免責事項」(あるいは自己否定)ではありませんか。被依頼者が「Wikipedia:削除依頼/Template:自殺防止」にて「実例ありの説明をいただき納得がいくものであったので削除に同意します[3]」とおっしゃった「ハイパーベンチレーション」の件から1年近く経ちました。この発言は一見するとJunknoteさんの「記述の内容を検討したうえで、注意喚起を要するという合意形成がなされれば[4]」を含む意見に納得なさったものと理解できます。しかし今般、被依頼者のとった行動は逆のアプローチであり、草案が邪魔なので無効化してやろうというものです。この草案無効化行為により「被依頼者は、削除依頼に関する説明(個別論)には納得できたが、そもそもWP:NDA(一般論)自体に納得したわけではない」のではないかと推察します。そのため、私としては、前回のコメント依頼で指摘された問題の再発、具体的には実地証明(WP:SPEED)やいつまでも納得しない姿勢(WP:IDIDNTHEARTHAT)をより鮮明に表現しているという懸念を拭うことができません。なお私はWP:NDAについて、別に「この草案があるから記事に免責事項を載せないのだ」というわけではない(WP:NOTBUREAU)と考えます。
- もう一点。『「私を含めて一定の支持者がいる」とのことですが、それらの支持者は多くの反対意見に明確で根拠のある回答を行っていません[5]』という発言ですが、はたして草案の支持者は過去の反対意見に明確で根拠のある回答をできなければならないのでしょうか。そういえば、上記削除依頼に関連した被依頼者のノートページのやり取りの中に「こちらが個々人に対して提示した反論への反論は未だ行われておりません[6]」という発言もありました。度を越えて反論を続けることは議論姿勢として不適切(削除依頼の場合、その個々人に対する反論自体が議論妨害とみなされる)でしょう。さもなくば、最後に反論した人の勝ち(Wikipedia:BRDの誤用#妨害者)です。--メリース(会話) 2022年8月23日 (火) 10:20 (UTC)
- コメント 上のメリースさんのコメントで触れられております、ノート:ハイパーベンチレーションでコメントをしたものです。メンションが来ておりましたので、議論の流れは把握しておりました。私のノートでの発言の通り、Tekeoninさんの倫理観には一定の理解はできますし、Wikipedia:記事に免責事項を載せないをある程度自由に改稿することも、ガイドラインの作業原案という条件下では、(編集合戦にならない限りは)問題ないものと考えておりましたので、悪い意見を持ってはいなかったのですが、しかしながら、本日偶然、このご発言をされていることを目の当たりにして、深い失望を禁じ得ず、コメントをすることと致しました。このご発言は、つまりは面倒だから、適当な意見に賛同しただけで、いつまでも「納得」しない状態に変わりはなかったということです。こうした発言を公にされたことに対して、私は馬鹿にされている印象しか持てませんし、正直、単なる出しに使われるくらいであれば、ノートへコメントを残したことを後悔すらしています。--Junknote(会話) 2022年9月13日 (火) 08:19 (UTC)
まとめ
[編集]コメント依頼後、問題が解決した場合、またはある程度の期間が経過した場合、コメント依頼の総括を行います。