Wikipedia:コメント依頼/Socrate
利用者:Socrate(会話 / 投稿記録)さんのノート:法政大学中学高等学校での対話姿勢について、コメントをお願いいたします。--Miracle7777 2010年8月13日 (金) 07:43 (UTC)
経緯
[編集]今年3月1日までに、私を含め複数の編集者により法政大学中学高等学校に事件を記述しました。2010年2月28日までに複数の編集者で執筆されましたが、それに対して3か月間、他の編集者から異論・反論・修正が無かったため、私を含めて編集者の記事は承認されたものと理解していましたが、3か月後の5月26日になって、突如として被依頼者が出典を含め記事を大幅に削除して書き換えました。大胆な編集だと主張していますが、大幅に削除や編集を行う場合にはノートで提案して意見を募るなど方法があったはずなのに、繰り返し一方的に削除。その後も当該記事のノートで話し合うことに合意したにもかかわらず、再度記事を削除したため保護となり、やっとノートでの議論に応じましたが全く話が噛み合いません。
ガイドラインに反していると自身の主張を一方的に押しつけて、削除ありきで故意に議論が成立しないようにしているとしか思えず、もしくは記事を削除することが目的なのか、本当のところは良くわかりませんが、現状議論になりません。被依頼者の削除ありきの対話姿勢について、皆様からご意見頂ければ幸いです。--Miracle7777 2010年8月13日 (金) 07:43 (UTC)
被依頼者コメント
[編集]私は今年5月に至るまで、事件について当該記事で過剰な投稿が行われていることを知りませんでした。5月下旬になって初めて知ったわけです。確かに、ノートでの議論を経ずに編集を行ったことは私の落ち度であったと思います。しかしながら、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに則った確信に満ちた編集であり、もし問題が発生すれば、すぐに話し合う用意をしていました。ところが、その後2か月間、Miracle7777さんを始め、他の利用者から異論・反論・修正が無かったため、私の編集は承認されたものと理解していました。この経緯についての私側からの主張は、Wikipedia:コメント依頼/Miracle7777ですでに表明していますので、ご参照いただければと思います。
あと、上記の経緯で述べられていることについて事実関係をはっきりさせておきたいと思います。編集合戦となった後、まず最初に対話を呼びかけたのは、私の方です。これは、Miracle7777さんの真意を理解するため、そして対話を開始するための明確な意思の下に行いました。一度目は無視され、二度目のコンタクトでご返答があり、Miracle7777さんは出典を問題にされているのだと私は解しました。そこで出典付きで編集を行ったところ、これも不服であるということでしたので、これはノートで徹底的に議論しなければ駄目だと悟り、ノートでの議論の提起ならびに議論の告知を行いました。この時点ですでに私が真摯に対話を開始していたことは明白だと思います。ちなみに、この時の編集合戦でMiracle7777さんは3RR違反を犯しています。その後、当該記事は保護されました。--Socrate 2010年8月13日 (金) 09:10 (UTC)
コメント
[編集]- コメント - 報復依頼と思っているわけではありませんが、先に提出されたWikipedia:コメント依頼/Miracle7777の立場を逆にしただけの当依頼はクローズし、そちらの方に意見集約した方がよいように思います。コメント依頼は被依頼者だけでなく依頼者に対する批判(依頼者の指摘が間違っている等の意見)も受け付けるので、別々にする必要がないです。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年8月13日 (金) 10:51 (UTC)