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Wikipedia:コメント依頼/Iwai.masaharu 20081106

利用者:Iwai.masaharu会話 / 投稿記録 / 記録さんの議論・言動・GFDL解釈について、コメントを依頼します。--miya 2008年11月6日 (木) 00:48 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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Iwai.masaharuさん(iwaimさん)は、近世から近代にかけての世界の一体化削除依頼で著作権とGFDLを盾にコミュニティを疲弊させるなどしたとして、Jmsさんといっしょに10月19日にブロック依頼されましたが、賛否入り乱れコンセンサスは得られなかったとしてブロックせず10月26日に終了しました。 すると直後の10月29日に今度は単独でブロック依頼されました。

iwaimさんのどこが問題なのか、iwaimさんの行動か、iwaimさんのGFDL解釈か、あるいはGFDLそのものに問題があるのか、iwaimさんにこれまでを振り返っていただくためと、一連の議論をまとめておくために、コメントを依頼します。--miya 2008年11月6日 (木) 00:48 (UTC)[返信]

関連リンク

以上、かなり込み入っているので、なるべくトピックごとに切り分けたコメントをお頼いします。--miya 2008年11月6日 (木) 00:48 (UTC)[返信]

補足説明

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もし他に提示しておくべき論点やリンクがあればこのセクションに署名入りでお願いします。--miya 2008年11月6日 (木) 00:48 (UTC)[返信]

被依頼者と議論した方からのコメント

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被依頼者コメント

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  • 2008年11月14日 (金) 18:17 (UTC) のPeccaflyさんからのご提案《削除議論の前に、まずセーフティネットを築いておいていただけるとありがたい、というこの1点に尽きます》については、現状でのコミュニティの合意[iwaim注釈 1]に反しますので、私が勝手に実施することには問題があると判断します[iwaim注釈 2]。ですから、コミュニティに対して提案し、合意を得ていく必要がありますが、私にはそのような提案をし、議論を先導していく余力はありません。Peccaflyさんから提案していただき、その議論の場をお知らせいただければ、その提案に関する私の意見などは出すことは可能であると思っています。--iwaim 2008年11月22日 (土) 11:20 (UTC)[返信]
  • 2008年11月23日 (日) 22:01 (UTC) のGreenland4さんのコメントについては、Wikipedia‐ノート:著作権などでの議論が適切だと思います。ただ、私へのコメントとして書かれたので3点ほど。
    • 《そして、これらの議論は、記事を執筆する人が主になってなされるべきであり、記事を執筆する気のない人は議論に参加すべきでないと考えます(記事を執筆する気のない人には無関係な話のはずです)》については、前回のWikipedia:著作権の改定に主として関わった人間は記事を執筆する人です[iwaim注釈 3]
    • 《GFDLのライセンスは著作者の名誉などを守る目的で採用されているわけですから》については断言してよいものかは私にはわかりません。例えばリチャード・ストールマンが何故GPLというライセンスを作ったのかを考えてみれば断言できないことは解るとは思います。彼は自身の名誉のためにGPLを作ったのではなく、プログラムを将来に渡って自由な状態に置くことを目的としてGPLを作成しました。それを踏まえると、ウィキメディア財団がどのような目的で採用したのかはわかりませんし、そもそもGFDLを採用しているウィキペディアに於いて、GPLを作ったリチャード・ストールマンのようなスタンスでプロジェクトに参加している方も当然ながらいらっしゃるでしょう。また、Greenland4さんはウィキペディア日本語版の記事を外部の人間が再利用する場合の手間についての視点が抜けているような気がします。要約欄への記載なしに言語間リンクのみで問題なしとした場合、事実上、十分な履歴を転記することが不可能になるのです。
    • 《GFDLを満たしていない案件に関しては、どうしたら満たすことができるのかを一緒になって考えるのがコミュニティの一員としての務めだと思います》については、現在のコミュニティの合意を越えて[iwaim注釈 4]実施するように検討することは可能だとは思います。まあ、詳細はWikipedia‐ノート:著作権あたりに提案してみてください。
  • まあ、全体的にWikipedia‐ノート:著作権で議論するネタではないでしょうか。--iwaim 2008年11月24日 (月) 09:35 (UTC)[返信]
  • 2008年11月16日 (日) 02:11 (UTC) のGreenland4さんのコメント《共同執筆者の了解をえない全削除は個々の著作者の権利を大きく侵害するものと感じ、著作者の名誉のためといいながら他の著作者の権利を侵害することには大きな矛盾も感じていました》については、気持ちはわかりますが、著作権の侵害やプライバシーの侵害などに巻き込まれて削除されてしまった部分の著作権者の権利は、削除によって侵害されるわけではありません。ただ、一旦ウィキペディア日本語版からは削除されてしまうだけです。それを再投稿することは禁じていません。もちろん、削除に巻き込まれる部分は非常にもったいないですし、一旦削除に巻き込まれてしまうことで再投稿のモチベーションやウィキペディア日本語版へのモチベーション自体がなくなってしまうこともあるでしょう。これらを回避するためにいわゆる「132人目方式」を用いる方もいらっしゃるでしょうし、救済のためにWikipedia:著作権/履歴の保存という動きもあります。もちろん、「著作権の侵害、プライバシーの侵害は削除」という現状のコミュニティの合意に対して、Peccaflyさんのいうところのセーフティネットを設けるような動きをこれから起こすことは可能だと思います。--iwaim 2008年11月24日 (月) 12:37 (UTC)[返信]
  • 2008年11月24日 (月) 14:09 (UTC) のKodai99さんが《Peccaflyさんが期待されていることについて、もう一度よく考えていただきたいと思います》と述べているので少しの間再び考えてみました。しかし、考えは変わりません。現時点でセーフティネットを私が勝手に設けてしまうことは、現時点のコミュニティの合意とは異なるため、私が勝手に実施することはしません。また、セーフティネット設ける方向で私が提案し、率先して議論を進行することは時間の関係上、今の私には無理です。また、Botでの再構築の話がありましたが、現時点ではあれをあらゆる著作権侵害案件に適用することはできません。また、Kodai99さんは《勘違いを続けた上でコミュニティに参加され続けると、同じ事を繰り返すのではないかと思います》と仰っていますが、私が何を勘違いしているのかを具体的にご指摘ください。あと、同じ事とはどれを指すのかも教えてください。--iwaim 2008年11月29日 (土) 23:44 (UTC)[返信]
  • 2008年11月30日 (日) 00:19 (UTC) のKodai99さんに回答します。《何もセーフティネットを一人で作れなんて言っていませんし、作れるとも思っていません。よく考えた結果、「セーフティネット設ける方向で私が提案し、率先して議論を進行することは時間の関係上、今の私には無理」ということであれば、正直、「コミュニティを疲弊させる利用者」というレッテルを貼られても文句は言えないと考えます。》というのはKodai99さんの中では自明だから書いていないのだと判断しますが、文字通りとれば論理が飛躍しています。何故コミュニティを疲弊させると判断されることになるのかを明示してください。また、《Wikipediaは記事を書く人間が一番偉いのです》については、私の投稿履歴をみれば判断できるでしょうが、私も記事を書く人間です。ですから、私に向けて「お前は記事を書いていない」という意味でそのような発言をするなら筋違いです。また、「Wikipedia名前空間関連には手を出さず、標準名前空間やノート名前空間でのみ活動する人間が偉く、標準名前空間などだけではなくWikipedia名前空間にも手をだす人間は偉くない」という論理なのだとすれば、それはKodai99さんの勘違いです。《『現状のコミュニティの合意は「著作権の侵害は削除」です』は勘違いだと言いました。合意ではないのです。前提なのです。前提を合意と言い換えることは出来ません。なぜなら、合意は変更が可能ですが、前提は変更できないからです。Wikipediaの前提条件を本当に理解していますか?》については、私の発言の真意は文脈をとれば解るとは思うのですが、「現状のコミュニティの合意は『著作権侵害の疑いがあれば、削除依頼を提出し、著作権侵害の疑いありとコミュニティが判断すれば即座に削除が行われる』」という意味です。だからこそ、Peccaflyさんが期待するようなセーフティネットを検討する余地も存在します。《相手が本当に言いたいことを理解せずに前に進むこと。今まさにその状態なんですが。わかってます?》というのは、何というか、Kodai99さんにも差し上げたい言葉です。ただ、Kodai99さんのように誤解なさる方がいらっしゃるということは、私が簡略化しすぎて記述してしまったことにも一因があるんだろうな、と思います。《ワタシへのコメントからWikipediaへの参加の姿勢がなんだか他の人と違うことが鮮明に見えてきました》というのはKodai99さんの考えとしては尊重しますが、《もう少し肩の力を抜いて参加できませんか?》については別に肩の力を入れて参加しているわけではないので……。--iwaim 2008年11月30日 (日) 01:07 (UTC)[返信]

被依頼者コメント内の注釈

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  1. ^ 現状のコミュニティの合意は「著作権の侵害は削除」です。
  2. ^ コミュニティの合意を無視として問題視される可能性がある行動を積極的に取りたくないと考えています。
  3. ^ 各自の投稿記録をみれば自明です。
  4. ^ 例えば、現在コミュニティが考えているよりも、より柔軟な対応を取れるということが法的に確認できたり、あるいは厳密には法的にはNGであるがコミュニティの決断として、(著作権者に訴えられたら敗訴してしまうという) グレーな状況でも許容してしまうという合意を形成したりすることが考えられるでしょう。

被依頼者コメントに対するコメントと被依頼者との対話

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iwaimさん、コメントありがとうございます。執筆の方も頑張ってください。コメントに対してコメントさせてください。

  • 前回のWikipedia:著作権の改定に主として関わった人間、どこを見たらわかるでしょうか。
  • 「ウィキメディア財団がどのような目的で(GFDLを)採用したのかはわからない」ということですが、本当でしょうか。というのは、採用目的や趣旨がわかっていない状態で適切なGFDL解釈をくだしたり、運用したりできるものなのかたいへん疑問だからです。調べてもわからなかったということでしょうか、公表されていない以上推測は避けたいという意味なのでしょうか。また、それがわからないまま解釈することに不安はありませんか。
  • 「現在のコミュニティの合意」とは具体的にどこに示され、どのように周知されているでしょうか。この案件なんかをみても、合意に向かう気配が一向に見えませんし、Wikipedia:著作権#ウィキペディアにおける翻訳には、「この場合、コピー・アンド・ペーストの場合と同様の理由で、編集内容の要約欄に翻訳元の記事等へのリンクを張ることなど ( 要約欄でリンクを設置しなかった場合は言語間リンクまたは本文でのリンクも必要。) により、上記の義務が満たされたと考えます」(以上、公式方針Wikipedia:著作権より引用、下線Greenland4)とあります。要するに、「要約欄でリンクを設置しなかった場合」を想定し、言語間リンクまたは本文でのリンクを可としているわけです。私の意見では、「事実上、十分な履歴を転記することが不可能になる」懸念が持たれるということですが、しかし、これが公式方針である以上、そこには「コミュニティの合意」が反映されているとみなすべきではないのでしょうか。「要約欄でリンクを設置していない。だから削除」という判断が「コミュニティの合意にもとづいている」ようには見えないのですが、その判断の合理的な根拠は何なのでしょうか。--Greenland4 2008年11月24日 (月) 11:54 (UTC)[返信]
  • (被依頼者コメント)
    • 改訂案についてはWikipedia‐ノート:著作権/改訂に向けてで議論されています。それをみればよいと思います。
    • GFDLを理解していれば、採用目的などのGFDLを採用した本当の思惑を知らずとも運用に携わることは可能です。それは当然の話でしょう。ライセンスは、採用目的に関わらず有効となります。Greenland4さんがそのように質問してくる論理的な理由が私にはまったくわかりません。
    • Wikipedia:削除依頼/利用者:Law soma翻訳のGFDL違反案件での私の主張については、現時点ではコミュニティでは合意がとれていない点についての話です。私としては、翻訳したのであれば翻訳したことを明示しておかなければ、GFDL以前の問題で剽窃であると判断していますが、その私の考えはコミュニティの合意ではありません。一方、翻訳時にでも形式的にGFDLを満たしていれば良いというコミュニティの合意もありません。
    • 《要するに、「要約欄でリンクを設置しなかった場合」を想定し、言語間リンクまたは本文でのリンクを可としているわけです》については、Greenland4さんの誤解です。GFDLを読めば自明ですが、ウィキペディア日本語版のようにウェブ上にあるようなGFDLコンテンツの場合、再利用時にそのURLなどを記載することが必要となります。これはGFDL 1.2 4-Jにかかれていますが、それは履歴の保存 (GFDL 1.2 4-I) とは別の条件です。そのため、履歴を保存したか否かに関わらず、4-Jを満たす必要があります。で、ウィキペディア日本語版では、4-Jを満たす手法として、リンクでOKという立場を取っています。Wikipedia:著作権の文言がそのようになっている理由は要約欄にリンクがない場合は、4-Jを満たす手法として言語間リンクや本文のリンクが必要ということを明示しているだけです。もちろん、要約欄でリンクしてしまえば、ウィキペディア日本語版での解釈は4-I及び4-Jを満たすことになります。
    • 《私の意見では……》以下については、先に書いたように前提としてGreenland4さんが考えているものが、Greenland4さんの誤解であるので、それについてはまずは割愛します。それで問題ないでしょうか。
  • 対話になるので冒頭に「(被依頼者コメント)」といれる形式にしました。ご了承ください。--iwaim 2008年11月24日 (月) 12:23 (UTC)[返信]

(Greenland4からの返信)

お答えくださり、ありがとうございました。

  • ルール改定にたずさわっている人間がほんの数名で、しかも個々の依頼でコメントする人間とピタリ重なっている状況には驚きました。いわば立法と司法が分離されていない状態で、これではまるで江戸時代の町奉行所です。キチっとそこは分けましょう。ルール改定にコメントした人間はせめて依頼の場に出てこないくらいの自制心を持っていただきたい。そしてまた、それでいて司法判断が割れるというのは、異常な状況と言わざるをえません。というか、投稿のたびに<MediaWiki:Copyrightwarning>では「GNU Free Documentation License (GFDL)非公式日本語訳)およびそのウィキペディアでの解釈に同意するものとみなされます」という文言が示されるわけですが、同意できるほど「ウィキペディアでの解釈」は定まっていないわけです。これは別にiwaimさんだけのせいではありませんが、しかし、一般の執筆者は普通は「ウィキペディアの解釈」なるものが定まっているだろうと思うから、(とりあえずの)同意もできるわけですよね。定まっていないならば「Jmsの解釈」とか「iwaimの解釈」「Ks aka 98の解釈」というふうに、解釈者を限定して、その裁定に委ねた方がスッキリするんじゃないでしょうか。下手をすると、依頼の場で解釈をはじめる人まで出てくるわけで、そういうのに付き合うのは時間とエネルギーの無駄なわけです。
  • 法・規則に関していえば、その制定の目的や趣旨、背景というものを理解しなければ、「厳密な運用」はもしかしたら可能かもしれませんが、「適切な運用」は不可能ではないかと考えます。「厳密な運用」と「適切な運用」とはもちろん全く異なるものであり、条文に「厳密」であることが趣旨全体からすれば「不適切」になるというケースも多いわけです。さまざまな事象や案件、これは策定時に想定した範囲内で生じるとは限らないんですね。たとえば、道路交通法には道路交通法制定の趣旨があり、その趣旨に沿って個々の条文が定められるわけですが、状況によっては、その条文の文言を厳密に守ればクルマにはねられてしまうとか人をひいてしまうということさえありうる。その場合は、条文に忠実であることよりも、法の制定の趣旨に立ち帰ることが求められるのは当然で、法のみならず条例や規則、社則・校則など他の一切のルールでも言えることですよね。したがって、目的や趣旨さえわからないようなライセンスは、本来であれば採用すべきでないと考えます。というのも、そうであれば、「厳密な運用」は可能でも、「適切な運用」が不可能だからです。
  • 誤読であるにしても、誤読を誘う書き方をしてしまっているのではないかと思います。そこには、「この場合、コピー・アンド・ペーストの場合と同様の理由で、編集内容の要約欄に翻訳元の記事等へのリンクを張ることなど ( 要約欄でリンクを設置しなかった場合は言語間リンクまたは本文でのリンクも必要。) により、上記の義務の一部が満たされたと考えます」とは書かれておらず、義務のすべてを満たしたかのような書き方がされています。履歴の保存 (GFDL 1.2 4-I) とは別に、再利用時にそのネットワーク的所在地の記載が履歴に示さない限りは、文書中もしくは言語間リンクで示さなければならない(GFDL 1.2 4-J)というふうな書き方がなされているわけではありません。つまるところ、「要約欄にすべてを書き込むのが一番安心だ」ということがライセンスに疎い執筆者にとって最も重要な情報であるなら、そう書くべきです。交通事故を防止するには、警官を増やすことでも、違反者を犯罪者のように厳しく問いつめることでもなく、交通法規に通じたドライバーを増やすことであるはずです。残念ながら、ルールの周知や明晰性の保持、一番肝腎な「執筆者がどう行動すればベストか」について、充分に意を尽くされて記述されているようにはみえませんし、また、わかりやすくもありません。「誰でも編集できる」ということを謳い文句にしているなら、「誰でも理解できる」ようなルールの書き方をすべきです。それにまた、話は少し変わりますが、履歴の継承については実のところ「要約欄でなければ無効である」という文言がGFDLに示されているわけでもありません。ウィキペディアでは要約欄が同時に履歴となる仕組みとなっているから、そこを自明と考えるのかもしれませんが、要約は本来は「内容の要約」を記載する場所として用意されているのであり、「投稿形式」記載の場所ではありません。GFDL 1.2 4-Iでは、単に、「『履歴』と題された部分とその題名を保存し、そこに改変版の題名などを加えなければならない」としているだけであり、要約欄にはもともと複数の記事から飜訳や転記の履歴(記事1件につき5人の著作者、版の日時)を記述できるほどのスペースが用意されているわけではないのですから、遵守することは物理的に不可能なわけです。むしろそうしたスペースが充分に確保されているノートの方が適切だと考えます。外部の利用に際しては、「ノートを必ず参照のうえ転記すること」を義務づければ解決する話ではないでしょうか。
  • 「コミュニティ」という言葉が実に安易に、便利に使われすぎているのではないかという危惧は私ももっています。実際、Wikipedia:投稿ブロック依頼 2008年11月などをみても、特定の意見を封殺するがためのブロック依頼に多数の支持が集まるようなコミュニティって一体何だろうという気がします。自分の経験からは「世界の一体化」の分割にしても、「Category‐ノート:日本の史跡Category‐ノート:日本の史跡 (都道府県別)」にしても、長い長い議論の結果、時には自分も妥協してコミュニティの合意形成に向け努力し、合意された以上は最大限尊重してきたつもりです。半年近く史跡整備作業を続けているのもそのためなんですが、結局、コミュニティそのものは何もしないんです、そういう面倒なことは。ほんの一部の人だけが動いているだけです。「世界の一体化」分割議論に参加した人間が削除依頼にほとんど誰も来なかったように、コミュニティそのものは何の責任もとらないのです。結局すべての作業、すべての責任は(責任を感じた)特定個人にかかるわけです。コミュニティと言っても、実際には、ただその場に居合わせた数人が何か意見したというだけのことにすぎません。それでいて、他者に干渉したり、人に何かを押しつけるときだけは「コミュニティ(の合意)」なるものが出てくるから、こんなもんはつまらんとしか言いようがありません。とはいえ、つまらないから撤退というのも一つの道であるとともに、つまらんものとしてそれに折り合いつけながら参加するというのも一つの道だと思います。要するに、そんな程度のものを何か「切り札」のようなものとお考えならば、それは現実離れした空論じゃないかと申し上げたいのです。
  • 「132人目方式」というのは何でしょうか。どこをみたら詳細がわかるのか教えてください。--Greenland4 2008年11月30日 (日) 03:35 (UTC)[返信]
    • (被依頼者コメント)
      • 《いわば立法と司法が分離されていない状態で、これではまるで江戸時代の町奉行所です。キチっとそこは分けましょう。ルール改定にコメントした人間はせめて依頼の場に出てこないくらいの自制心を持っていただきたい》については、理想論としてはまったくその通りだとは思いますが、現状のウィキペディア日本語版ではリソース不足であると判断しています。《そしてまた、それでいて司法判断が割れるというのは、異常な状況と言わざるをえません。》については、GFDLの解釈自体については、削除依頼の場で「Wikipedia:著作権」の改定に主として労力を投じたKs aka 98さんやJmsさんと私の間で判断が割れるということはそうはありません。例えば、先の投稿ブロック依頼の依頼文で挙がっている「Wikipedia:削除依頼/ルコヴィツァ」ではKs aka 98さんと私の判断は割れていますが、それは著作物性に関する判断です。まあ、著作権に関することで判断が割れるということは何事だ、という意見はあるのかも知れませんが、実際に法曹関連の方々でも判断が別れることは珍しくないのですから問題視するほどではないというようには判断しています。
      • 《法・規則に関していえば、その制定の目的や趣旨、背景というものを理解しなければ、「厳密な運用」はもしかしたら可能かもしれませんが、「適切な運用」は不可能ではないかと考えます。》については、GFDLの目的や趣旨、その背景は理解しています。ただ、ウィキメディア財団が、ウィキペディアのライセンスとしてGFDLを採用した目的や趣旨、その背景は理解していません。個人的にはそれで問題があるとは考えていません。もちろん、ウィキメディア財団の思惑などを知っていた方がより良いという意見は理解できます。しかし、ウィキメディア財団の思惑などを知っておくことが必須であるとは考えていないということです。個人的には、私よりもより詳しい人が、それなりの人数、著作権関連の方針整備に参加するという状況になれば、著作権関連の方針整備はその方々にお任せしたいとは考えていますし、削除依頼でも依頼自体への自身の考えを述べる程度 (票をいれてその理由を書く程度) で終わらせたいとは考えています。しかし、現状は残念ながらそうではないのです。元々、「Wikipedia:著作権」の改定に関する議論への参加についても、参加者が極めて少ないことが第一の理由でした。
      • 《誤読であるにしても、誤読を誘う書き方をしてしまっているのではないかと思います》については、方針については厳密に表記し、推奨方式についてはガイドラインなどで補うというような方式がとられている (ように私は思う) 故の結果だとは判断します。また、どのように書いても誤解する方は出てくるとも思います。例えば、方針にて「要約欄にリンクを含めてすべて書け」ということを前面に出しすぎると、「要約欄にリンクがないのでGFDLを満たさない」という誤解を基にした削除依頼が提出される可能性もあるわけです。参考として「Wikipedia‐ノート:著作権/改訂に向けて#MediaWikiに依存する言及」もご覧ください。また《「要約欄にすべてを書き込むのが一番安心だ」ということがライセンスに疎い執筆者にとって最も重要な情報であるなら、そう書くべきです》については、「Wikipedia:著作権」には、具体的な要約欄の記入方法に関してはWikipedia:著作権/翻訳記事要約欄記入法Wikipedia:翻訳のガイドラインへの誘導を明記はしています。
      • 《それにまた、話は少し変わりますが、履歴の継承については実のところ「要約欄でなければ無効である」という文言がGFDLに示されているわけでもありません》については、当然ながら「Wikipedia:著作権」の改定に関わった人間の間では承知しています。その上で、現状の「Wikipedia:著作権」に対する改定案については「Wikipedia‐ノート:著作権」にお願いします。流石にGreenland4さんのその提案に対しての私の見解を述べることは場違いであると思いますので。しかし、Greenland4さんが希望するのであれば、ノートに私の見解を述べることは可能です。
      • 《結局すべての作業、すべての責任は特定個人にかかるわけです》については当然そうだとは考えています。ただ、まあ、方針に関しては「コミュニティの合意」と言わざるを得ませんし、実際の運用についてもそこに「コミュニティの合意」があると考えざるを得ないのです。ウィキペディア日本語版のように大人数が共同して作業する場に於いては。その上で、私が「コミュニティの合意」という言葉を便利に使いすぎているということであれば、それをご指摘ください。《要するに、そんな程度のものを何か「切り札」のようなものとお考えならば、それは現実離れした空論じゃないかと申し上げたいのです》については、現実問題として、著作権侵害に関する対応などについては「コミュニティの合意」別の言葉で表現するならば「Wikipedia:削除の方針という公式な方針」で定められている訳です。その前提の基、私が本コメント依頼内で用いた「コミュニティの合意」という表現が、問題があるとは考えていません。
      • 《「132人目方式」というのは何でしょうか》については、Wikipedia:コメント依頼/Yassie方式もしくは132人目方式の是非についてあたりをご覧いただけば何となくは理解していただけるのではないかと思います。なお、私も正確な定義は知りません。また、補足説明を先にしておくと『これらを回避するためにいわゆる「132人目方式」を用いる方もいらっしゃるでしょうし』という私のコメントについては、先の投稿ブロック依頼関連でYassieさんが発言していたなぁ、と思って書いていましたが、今回挙げたコメント依頼にもその種の発言が提示されています。--iwaim 2008年11月30日 (日) 05:01 (UTC)[返信]

(Greenland4から) 早々の丁寧な御返事、ありがとうございます。

  • iwaimさんが「Wikipedia:著作権」の改定に尽力されていることについては、感謝しています。それを前提にして申し上げますが、Ks aka 98さんやJmsさんとiwaimさんが、削除依頼の場で「判断が割れるということはそうはありません」というのであれば、なおのこと、削除依頼の場に頻繁と登場され、強固に自説を展開されるのは適切ではないと考えます。お三方は、ルールの策定に専念なさるべきであり、ジャッジは別の方に委任された方がいいと思います。立法と司法が分離し、適当な緊張関係をもたないと、法的強者と法的弱者の格差を生じたり、ルールそのものがお手盛りのものになるのではないかとの懸念が持たれます。「Wikipedia:削除依頼/ルコヴィツァ」に関しては、iwaimさんの著作物性に関する判断は厳しすぎるというか、神経質すぎるのではないかと思いました。理解できなくはありませんが、賛成はできません。気づいてすぐに修正できるのであれば、そもそもが生じない問題なわけです。長い間、その状態で放置されており、記事を充実させたら、アウトのジャッジが出されるというのであれば、その記事を向上させた方が義憤を感じられるのは当然と思います。放置された長い間、実際にそこで何か問題があったかというとそうではないわけです。むろん、著作権侵害は、著作権者が権利侵害を認識して親告してはじめて成り立つ罪(親告罪)であることを盾にとるべきではありませんが、いっぽうで「あなたの文章が他人によって自由に編集・配布されることを望まないならば、投稿を控えてください」との文言に同意して投稿した以上、著作権者が他者の編集・配布だけは認めて飜訳なり転記だけは認めないという態度を表明し、権利侵害を主張するとは、やはり考えにくいわけです。私だったら「院政期文化」を英訳してくれる人がいるなら、率直に光栄だと思います。このような場合、厳密な運用が適切な運用だとは、必ずしも言えないのではないかと思います。コミュニティのため「Wikipedia:著作権」の改定に貢献されているiwaimさんであるなら、個々の依頼の場で自説を押し通そうとして、その結果、コミュニティの成員からの支持を失うようでは元も子もないわけで、削除依頼でも依頼自体への自身の考えを述べる程度(票をいれてその理由を書く程度)で終わらせ、むしろ、Peccaflyさんのおっしゃるセーフティネットの構築を検討してくださり、依頼の場でもそこに誘導してくださるようなコメントをしていただければ、iwaimさんの御労苦も報われ、厳しい解釈にも支持が集まるのではないかと思います。
  • 「GFDLの目的や趣旨、その背景は理解しています」とのことですので、お示しください。リンクでも結構です。
  • 同じ文を再掲しますが、「…結局、満たさなければならない義務は、GFDL4条の義務です。この場合、コピー・アンド・ペーストの場合と同様の理由で、編集内容の要約欄に翻訳元の記事等へのリンクを張ることなど (要約欄でリンクを設置しなかった場合は言語間リンクまたは本文でのリンクも必要) により、上記の義務が満たされたと考えます…」(以上Wikipedia:著作権#ウィキペディアにおける翻訳より引用)とあれば、「上記の義務」を「GFDL4条の義務」と読むのは当然であり、そこに「一部」とか「4-Jのみ」という言葉が抜けていたら、「GFDL4条の義務そのすべて」と読んでしまうのは当たり前だと思います。それに関しては、決して「厳密に」表記されているとは思いません。
  • 履歴の継承については実のところ「要約欄でなければ無効である」という誤解は相当広がっているのではないか、と懸念します。自分の意見については、「Wikipedia‐ノート:著作権」の方へあとで書き込みしていますので、よろしく御検討ください。
  • 「コミュニティ」に関しての私の意見は、まあ半分以上は愚痴です。バーチャルのなかのバーチャルというか、実際的にはほとんど虚構であるとしても、それを現存する確かなるものとしなければ、このプロジェクトじたい動きません。失礼しました。
  • 132人目方式の御紹介、ありがとうございました。あとで熟読しておきます。--Greenland4 2008年11月30日 (日) 08:27 (UTC)[返信]
違和感がどうにも消えないので、メタな部分だけコメントします。つながりからここに書きますが、適当なタイミングでノートにでも移していただいて構いません。
立法と司法の分離というアナロジーは妥当ではないと思います。iwaim さんとわたくしには執行権限はありませんし、Ks aka 98 さんは管理者権限こそお持ちですが、御自分の関与なさった事項については管理者権限を行使なさらないでしょう。 また、公式の方針を決めるにしろ、削除依頼の判断をするにしろ、これらの人々が排他的に判断を下しているわけでもありません。そもそも、ウィキペディアではなにごとも「みなで話し合って決める」のですから、その意味では立法も司法も主体は同一の、村の合議制のようなものです。一部権限の執行は管理者にお願いしていますが、緊急事態に管理者が対処した場合に事後判断を仰ぐやりかたが確立しているの全体合議制だからこそだと理解すべきでしょう。もちろん、方針等の策定に深くかかわった人は陪審員として不的確といったコンセンサスをとることは可能だと思いますが、仮にそうしたとしても、方針の書き方がわるくて誤解され、それに基づいて意図せざる判断がなされている場合にも黙っていなければならないとしたら、それはそれで問題ではないかと思います。
Wikipedia:著作権冒頭には、「ウィキペディアの目標は自由に利用可能な百科事典形式の情報源を作成すること」とあります。「自由に利用可能」と「百科事典形式の情報源を作成する」は、たとえていえば、ウィキペディアという乗り合い馬車の両輪の様なものです。「自由に利用可能」だけれど中身が何もない、という状態でも、中身は豊富だけれど権利関係があやしくて「自由に利用可能」かよくわからない、という状態でも、明後日の方向に進むか、極端な場合には片輪になってしまってぐるぐるそこを回るばかりで、目標に向かっては進みません。乗り合い馬車ですから、いろいろな人が、いろいろな期間、それぞれの事情にあわせて乗ってゆきます。その乗り方のバランス次第ではあっちへ傾いたりこっちへ傾いたりすることがありますから、車輪の調整もしつつ、その時々に乗り合わせた人達で目的地について相談しながら進んでゆくわけです。通常の百科事典なら編集者がそうしたケアをするわけですが、ウィキペディアの場合編集者がいませんから、一人一人がそれぞれその分の注意を払う必要があります。このあたりに、ウィキペディアというモデルのとらえかたの違いがあるのではないかと思いました。なお、GFDL という乗り継ぎ馬車は、ちょっと乗り心地の悪いところもあるのですが、その元になった GPL がこの手の馬車の中では唯一裁判を経て適法性を認められているものであり、その意味で GFDL という選択は妥当であったと思います。ここでわざわざ「乗り継ぎ」というのは、「自由に利用可能」というのと呼応しています。(あまり良いたとえではなかったか…)--Jms 2008年11月30日 (日) 09:09 (UTC)[返信]
(被依頼者コメント)《仮にそうしたとしても、方針の書き方がわるくて誤解され、それに基づいて意図せざる判断がなされている場合にも黙っていなければならないとしたら、それはそれで問題ではないかと思います》については、現在の状況を踏まえた上では、同じ考えを持っているのですが、まあ、参加者がさらに増えれば「伽藍とバザール」での「Given enough eyeballs, all bugs are shallow. (目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない) 」が成立するんじゃないかな、という楽観的な見解は持っています。--iwaim 2008年11月30日 (日) 10:19 (UTC)[返信]
◆(被依頼者コメント)Greenland4さんのコメントに返答します。《Ks aka 98さんやJmsさんとiwaimさんが、削除依頼の場で「判断が割れるということはそうはありません」というのであれば、なおのこと、削除依頼の場に頻繁と登場され、強固に自説を展開されるのは適切ではないと考えます》については、Ks aka 98さんやJmsさんと私の判断が割れることはそうはありませんが、それ以外の方とは判断が異なる場合があります。そのことにより、《お三方は、ルールの策定に専念なさるべきであり、ジャッジは別の方に委任された方がいいと思います》というようなことは、現実問題として不可能であるという判断です。
《いっぽうで「あなたの文章が他人によって自由に編集・配布されることを望まないならば、投稿を控えてください」との文言に同意して投稿した以上、著作権者が他者の編集・配布だけは認めて飜訳なり転記だけは認めないという態度を表明し、権利侵害を主張するとは、やはり考えにくいわけです》については、ひどい誤解があります。編集・配布について、GFDLを満たす限り「自由に編集・配布」が行われるということを指し示しているだけです。そしてまた、翻訳などについてもGFDLを満たす限りに於いて自由に可能です。逆に言えば、GFDLの条件を満たさない場合は、他者の編集・配布は認めていませんし、翻訳も認めていません。あと、参考のために2点書いておきます。
  • GFDL 1.2において、「8. TRANSLATION」にあるように翻訳は改変 (上でいうところの「編集」) の一形態であるとされている。
  • GFDLを採用しているウィキペディアに於いて、ここでいう「自由」はフリーソフトウェア財団がいうところの「フリーソフトウェア (free software) 」の「free」を意味する。
《私だったら「院政期文化」を英訳してくれる人がいるなら、率直に光栄だと思います。このような場合、厳密な運用が適切な運用だとは、必ずしも言えないのではないかと思います》については、文脈をとれば「仮にGFDLの条件を満たしていなくても問題視するつもりはない」ということでしょう。その場合、「院政期文化」がGreenland4さんのみの著作物であるならば、著作権者であるGreenland4さんが許諾することになるでしょうから、運用上も問題ありません。もちろん、Greenland4さんがそのことを表明する必要があるでしょうけれども。で、一方では「GFDLの条件を満たした場合にしか再利用は許さない」という立場の方ももちろんいらっしゃるはずなのです。私は、Greenland4さんのその思想は尊重されてしかるべきだと考えますし、それに対して異論も持ちませんが、それを一般化することはできない点は指摘しておきます。
《個々の依頼の場で自説を押し通そうとして、その結果、コミュニティの成員からの支持を失うようでは元も子もないわけで、削除依頼でも依頼自体への自身の考えを述べる程度(票をいれてその理由を書く程度)で終わらせ》については、現時点では削除依頼の場で、存続票か削除票なのかに関わらず (私からみて) 荒唐無稽な論理を述べる方々がそれなりの数いる状況下で、私が微力ながらそこにコミットする必要があると判断しています。つまりは、現時点ではそこに対する目の数が少なく、取りこぼす可能性がそれなりにあると判断しています。荒唐無稽な論理を振りかざすケースをここで例示することは憚れるので避けますが、現時点では目の数が少ないということの一例として「Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:多言語プロジェクトとしてのウィキペディア」を紹介しておきます。これは先行の削除審議にて、参加者のちょっとした見落としがあったケースです。
《Peccaflyさんのおっしゃるセーフティネットの構築を検討してくださり、依頼の場でもそこに誘導してくださるようなコメントをしていただければ》については、何度も書きますが率先して話をまとめるだけの時間を割くことができません。また、同種とはいいませんが、救済のための手段としては「Wikipedia:著作権/履歴の保存」に関わっていますので、力を割くならば、まずはそちらが先だと判断しています。仮にセーフティネットを構築できたとしても、著作権侵害があった場合は削除されてしまうわけです。ですから、それに巻き込まれる記述を合法的に救済する方法 - つまりは、一旦削除されたとしてもすぐに復活できる方法 - を運用に載せる方が優先事項であると判断しています。何度も促されるのでもう少し書いてしまいますが、先行する投稿ブロック依頼やこのようなコメント依頼を出される私が提案して話をまとめるよりは、他の方がやった方が話が早いのではないか、という思いも持っています。例えば、Wikipedia:投稿ブロック依頼/JmsおよびIwai.masaharuの依頼文では《加えて、この両名は反対意見に決して耳を貸さず、自説を開陳した挙句、自分たちがほぼ2名だけで検討しているような手法を使えと迫るばかりであるので、対話が成り立ちません》とまで述べられています。まあ、この表現、例えば《手法を使えと迫るばかりであるので、対話が成り立ちません》などには私としては異論がありますし、そもそもこの手法を実際に使おうとした、或いは対処の選択肢として検討の価値があるものとして提案していたのは私によるいくつかの事例のみであり、Jmsさんには該当しないという、そもそも事実関係の調査が疎かなまま記載された一文であると判断しているわけですが。とはいえ、そのように評価する方もいるということを踏まえた上では、やはり「他の方がやった方が話が早いのではないか」という思いを拭い去れません。
《「上記の義務」を「GFDL4条の義務」と読むのは当然であり》については、その読み取りで正しいのですが、その前に「編集内容の要約欄に翻訳元の記事等へのリンクを張ることなど (要約欄でリンクを設置しなかった場合は言語間リンクまたは本文でのリンクも必要) により」(強調はiwaim) と書かれている点は見逃してはなりません。これは、「記事等へのリンクを張ること」だけが認められるという誤解を避けるために、すなわち、GFDLに対して厳密に記載するために、そのような表現をせざるを得ませんでした。で、その補足として「要約欄でリンクを設置しなかった場合は言語間リンクまたは本文でのリンク必要」(強調はiwaim) と記載しているのです。「言語間リンクまたは本文でのリンク必要」ということは、もちろん他にも必要なことがあるということを含意しています。それを『言語間リンクまたは本文でのリンクのみが必要』と解釈されてしまうことは想定していません。こういうのもなんですが、それはとても酷い誤読なのではないか、と私は思ってしまいます。一方、今の「Wikipedia:著作権」の記述がベストだとまでは考えていませんので、より良い表現に改善されることは私も望むところであります。--iwaim 2008年11月30日 (日) 10:19 (UTC)[返信]

iwaimさん、コメントありがとうございます。私は最初のコメント冒頭でも申し上げましたとおり、Wikipedia内部のGFDL案件のみに限ってコメントいたしております。前回、私が申し上げた「セーフティネット」とは、iwaimさんが整備を推進していらっしゃる「履歴の保存」を含めて、記事の救済手段全般の意味です。「履歴の保存」によって、苦労することなく、有用な記事が救われるのであれば、それはすばらしいことだと思います(その内容については私は議論に加わるに値する者ではないとは思いますが)。いずれにしても、いたずらに恐怖感や疲弊感を与えず、まず記事を救済することを常に念頭においていただければと存じます。私のもう一点の主張、「外部案件ではないwikipedia内部案件について、もしセーフティネットの整備が不十分であれば、十分整備されるまでの間、削除議論を延期すること」について、コミュニティの合意以前に、iwaimさんは個人的にはいかが思われますでしょうか。私は、これぐらいならば許容されてもよいのではないかという気もいたします。--Peccafly 2008年12月1日 (月) 07:06 (UTC)[返信]

  • (被依頼者コメント)「セーフティネット」という言葉の指し示す範囲については了解しました。《「外部案件ではないwikipedia内部案件について、もしセーフティネットの整備が不十分であれば、十分整備されるまでの間、削除議論を延期すること」について、コミュニティの合意以前に、iwaimさんは個人的にはいかが思われますでしょうか》については、一定の条件下では検討の余地はあるとは思います。条件とは次の通りです。
    1. セーフティネットを整備する方向でコミュニティが動いていること
    2. セーフティネットが適法な範囲で整備できる見込みがかなり高いこと
  • 1番めの条件については、その方向でコミュニティが動いていないことには、いつまでたっても問題が放置されるだけになってしまう可能性があるからです。また、2番めの条件については、検討の結果どうしても救済できないという結論に至った場合はこれまで通り削除されることになるからです。で、もし救済できないという結論に至ったら、セーフティネットを整備する方向で動いた時間だけ削除が先延ばしになります。これは、削除に巻き込まれてしまう加筆分がより多くなるということを意味します。したがって、救済できるという見込みがそれなりに高いということは必要であると判断しています。また、削除議論を延期する必要があるのか、延期するならば問題を見つけたときはどうしておくのかというあたりも検討事項としてはありそうですね。--iwaim 2008年12月1日 (月) 07:31 (UTC)[返信]

(Greenland4) Jmsさんの2008年11月30日 (日) 09:09(UTC)について。「そもそも、ウィキペディアではなにごとも『みなで話し合って決める』」というスタイル、「村の合議制のような」スタイルだとJmsさんはおっしゃいますが、実際にはそれがうまく機能していなくて、仮にそういう直接民主政スタイルに無理やり持っていったとしても、様々な問題が正確にスピーディに解決できるわけでもないって思うのですが、いかがでしょう。そしてまた、iwaim さんは2008年11月30日 (日) 10:19 (UTC)のコメントで「現時点では削除依頼の場で、存続票か削除票なのかに関わらず(私からみて)荒唐無稽な論理を述べる方々がそれなりの数いる」とおっしゃっていますが、それは、はからずも、数人で検討された方針文書の意味が必ずしも充分には周知されていないということの現れなのではないでしょうか。こう言ってはなんですが、あんなわかりにくい方針文書ひとつを根拠に、何人もの人が何十冊もの文献を渉猟して何ヶ月もかかってつくりあげた記事が簡単に削除されたのではかないません(とはいえ、世界の一体化に関しては私はいったんは削除に同意しましたから、あらためて削除依頼を出されることには反対しません。「どうぞ」というほかないです)。ウィキペディアが「誰でも編集できる」と謳っている以上、初心者が1回読んでスッキリ全体がわかるような方針でないと意味がないわけですよね。Jmsさんは、立法と司法の分離というアナロジーは妥当でないとおっしゃるが、私としては、立法にたずさわった人がわざわざ司法の現場に出向いて個人個人を説得しようと奮闘するよりは、立法にたずさわってしまった以上は、むしろ、なぜこのような無理解がはびこるかを考え、方針の不備を補うという方向で活動する方が、Jmsさんやiwaimさんにとっても良いことだし、ウィキペディア全体からみても良いことだと思うのです。強制するわけではありませんが、そこは、ある程度「分離」を意識されて行動した方がよいのではないかと(あくまで「個人的に」ですが)思います。具体的には「GFDLの満たし方」というような文書があれば、執筆者にとってはたいへん助かるし、削除依頼の判断でも大きな指針となると思われるんですが、実際にはそういうものさえないわけです。「お前ら全然わかっちゃいない」って削除依頼の場でいくら頑張っても、それがもとで自分自身のブロック依頼が出されるようでは元も子もないだろうし、「わかっちゃいない」っていくら言われたからといって即座にわかるわけでもないわけです。削除依頼での議論などは、私は短ければ短いほどいいし、極端にいえば、なければないに越したことはないと思っています。方針関連のサポートを厚くして「違反を未然に防ぐ」ことができれば、全員がもっと楽になる(ラクになる&楽しくなる)んじゃないでしょうか。「GFDLの満たし方」の私案を私の利用者ページに置いておきます。あとで草案を書いておきますので、検討してくださるとありがたいです。--Greenland4 2008年12月6日 (土) 23:53 (UTC)[返信]

  • (被依頼者コメント) 《こう言ってはなんですが、あんなわかりにくい方針文書ひとつを根拠に、何人もの人が何十冊もの文献を渉猟して何ヶ月もかかってつくりあげた記事が簡単に削除されたのではかないません》については、削除の根拠は著作権法とGFDLというライセンスなわけです。また、ウィキペディア日本語版「誰でも編集できる」というのはある限定条件の下で謳っているのです。メインページにも『基本方針に賛同していただけるなら』という条件がありますよね。記事執筆者は、基本的には自身の著作物がGFDL以外の条件で扱われることに承諾していないのです。で、まあ、(個人的にはわかんないライセンスで自身の著作物を提供するってのはすごいことだなぁ、と思っていますが) 著作権やGFDLについてある程度の知識がない方がどうやって参加するのかってのは、それなりに情報は提供されています。とりあえず、自身の著作物をそのまま投稿するのであれば、後にGFDLに沿って利用されたときに文句を言わなければ問題ないです。しかし、それを越えて、翻訳や分割、統合など、他者の著作物にまで影響を与える行為を行う場合には、それに見合った責任があるのではないでしょうか。仮に、著作権法やGFDL、ウィキペディア日本語版に於けるGFDLの扱いを理解していなかったとしても、翻訳ならば「Wikipedia:翻訳のガイドライン」に、分割や統合であれば「Wikipedia:ページの分割と統合」に手順は記載されているのですから、素直にそれに従って作業すればいいのです。それすらもできないというのであれば、そういう作業は自身の手で実施するのではなく、誰か詳しい人に任せるべきでしょう。Greenland4さんは《こう言ってはなんですが、あんなわかりにくい方針文書ひとつを根拠に、何人もの人が何十冊もの文献を渉猟して何ヶ月もかかってつくりあげた記事が簡単に削除されたのではかないません》と述べますが、別の立場としては「何人もの人が何十冊もの文献を渉猟して何ヶ月もかかってつくりあげた記事が簡単にGFDLを無視した利用をされてはかないません」という立場もあることは十分に理解しておくべきでしょう。
  • 《具体的には「GFDLの満たし方」というような文書があれば、執筆者にとってはたいへん助かるし、削除依頼の判断でも大きな指針となると思われるんですが、実際にはそういうものさえないわけです》と言いますが、翻訳や分割、統合については先に挙げたガイドラインが既に存在します。で、そこには、ウィキペディア日本語版にて問題視されないための具体的な手順が書かれているわけです。Greenland4さんはそれでは不十分と思っているわけでしょうか? --iwaim 2008年12月7日 (日) 01:21 (UTC) 目印追加。--iwaim 2008年12月7日 (日) 01:22 (UTC)[返信]

(Greenland4)
今回の場合、飜訳でも分割・統合でもないのですから、「Wikipedia:翻訳のガイドライン」や「Wikipedia:ページの分割と統合」の対象外ではないかと思います。また、最後の「それでは不十分と思っているわけでしょうか」ということに対しては、当然のことながら不十分と考えています。不十分だからこそ毎日のように違反は絶えないし、依頼の場でも、GFDLの満たし方に対する解釈が割れるのではないでしょうか。iwaimさんたち3人の意見が割れることはあまりないといっても、私がたまたま知っているケースでは全部割れているので、あまり説得力がないです。GFDLに関しては、採用の基本的な趣旨であるとか、たとえば外国語版ではどのような運用がなされているのかとか、あるいは、あとで違反に気づいた場合の対処法(とくに、依頼にかけない対処法)、ウィキペディア外でウィキペディア文書をGFDL違反のうえ転載しているようなケースを見かけた場合の対処(どこに報告すべきか含め)など、トータルな解説が必要なのではないかと思います。iwaimさんが、そうした解説は必要ではないとおっしゃりたいのなら、むしろ、その方が理解できません。詳しい人間が詳しくない人間に一から解説しようということは、百科事典づくりの場では、当然すぎるほど当然な態度だと考えます。「知らないけれど知りたい」という人のために百科事典はあるはずなんで、「知らないんだったら俺の言うことを聞け」という発想は、百科事典づくりの精神には反するものではないかと考えます。
「個人的にはわかんないライセンスで自身の著作物を提供するってのはすごいことだなぁ」ということについては、まぁ、参加のしかたとしてはアリだと思います。携帯電話やカーナビを利用している人ならわかると思いますが、それには分厚い取扱説明書がついてきます。しかし、実際に説明書を全部読み切ってから使おうという人はほとんどいない。とりあえず使ってみて、使いながら使い方を覚えるのが一般的だと思います。そして、何か困ったことや、取扱上の疑問が生じたときに初めて説明書の当該場所だけを読むことが多いと思います。まあ、基本的にわたしは飜訳はほとんどしませんし、コピペもごく初期に外部文書で失敗したあと基本的にはやらないつもりでいましたから、参加して数ヶ月間は「GFDLのウィキペディアの解釈」を読む必要がありませんでした。それに、意見ではなく単に事実を書いているだけのもの、それも内部的な改変を前提にしているようなものに「著作物」という感覚もありませんでした。Yassieさんは「貢献」とおっしゃったが、そんな大したものではないのです。仕事でも趣味でも読者としてWikipediaは頻繁に使ってきましたし、今も使っています。ただ、全然記事が充実していないから今まで御節介焼いてきたというだけの話です。それが迷惑だとおっしゃるんなら仰せにしたがいましょう。何でもおっしゃってください。
話をもとに戻しますが、たとえば今回の依頼では「4Jは満たすが4Bや4Iは満たさない」というような話が出てきたわけですが、4Jがどういう内容で、それを完全に満たすにはどういう行動をすべきなのか、4Bはどうか、4Iはどうかということをトータルに示したものはないわけです。あちこち開いたうえで「何だか面倒くさいな」ってことで終わってしまいそうですが、それではまずいわけですよね。条文に沿ってそれを解説し、表などで明示しておれば、初心者にもわかりやすいのではないかと思います。初心者が安心して投稿できるような環境でないと、今後というか今すぐ、困るわけですよね。法やライセンスには疎いし、関心もないけれども、ひとつのジャンルに関してはものすごい博識の方が今ここで参加を心に決めているかもしれません。また、最近は中高生も増えてきましたから、かれらにも理解しやすいかたちで示す必要があると思います。いまのウィキペディアには「鎌倉文化」という項目すらないわけですが、この記事を100kbくらいのサイズでつくろうとした場合、飜訳でもないし、分割・統合でもないが、しかしコピーアンドペーストを一部使おうと考える人は出てくる可能性があります。いまの考え方だと、なくてもさほど困らないような記事ばかりが増えて、あってしかるべき大項目の記事はつくりにくいんです。
iwaimさんも記事の執筆者のひとりとして、他の執筆者のサポートをしたいという気持ちから発して方針の策定や運用に参加されているのでしょう? 他の執筆者のサポートをしたいボランティア精神がまず基底にあるからこそ「コミュニティの合意」を強調なさっているのですよね? そのようなiwaimさんがサポートを少しでも厚くするということに疑義があるとは思いませんが、そのあたり、どのようにお考えなのでしょうか。--Greenland4 2008年12月12日 (金) 22:56 (UTC)[返信]

  • (被依頼者コメント)《今回の場合、飜訳でも分割・統合でもないのですから》ということですが、《今回の場合》とは「Wikipedia:削除依頼/近世から近代にかけての世界の一体化」の対象となったケースでしょうか。とすれば、それは項目の一部転記に準ずるものであり、そしてそれはWikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記に記載されているものです。他者の著作物を転記する際に、著作物の著作権を考慮することは当然のことだと考えています。
  • 《最後の「それでは不十分と思っているわけでしょうか」ということに対しては、当然のことながら不十分と考えています》については、それではウィキペディア日本語版にはどのような文書が不足しているのでしょうか。それとも、これからのウィキペディア日本語版として、どのような告知/行動が必要でしょうか。というか、私としては、不十分と判断なさっている方にきっかけとなる何らかの行動を起こして欲しいと思いますので、よろしくお願いします。
  • 《iwaimさんたち3人の意見が割れることはあまりないといっても、私がたまたま知っいるケースでは全部割れているので、あまり説得力がないです》については、そう判断なさるならそれで仕方ないですね。
  • 《GFDLに関しては、採用の基本的な趣旨であるとか、たとえば外国語版ではどのような運用がなされているのかとか、あるいは、あとで違反に気づいた場合の対処法(とくに、依頼にかけない対処法)、ウィキペディア外でウィキペディア文書をGFDL違反のうえ転載しているようなケースを見かけた場合の対処(どこに報告すべきか含め)など、トータルな解説が必要なのではないかと思います。iwaimさんが、そうした解説は必要ではないとおっしゃりたいのなら、むしろ、その方が理解できません》については、他言語版での運用は解説するメリットはありませんし、混乱を招くというデメリットがあります。もちろん、他言語版の運用を参考に、日本語版での運用を変更するように動くことは (誰にでも) 可能だと思いますが。《採用の基本的な趣旨》は私には必要性は感じられませんが、それが今存在していないのであれば新たに作成してみてはいいのではないでしょうか。《あとで違反に気づいた場合の対処法(とくに、依頼にかけない対処法)》については自身の投稿分の話でしょうか。現時点ではまとまった文書はないと思いますので新規に作成していただけると助かります。《ウィキペディア外でウィキペディア文書をGFDL違反のうえ転載しているようなケースを見かけた場合の対処(どこに報告すべきか含め)》については、私の知る限りではWikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイトぐらいでしょうが、そこへの効果的な誘導方法はちょっと思いつきませんでした。何か案があれば然るべき場所での提案をお願いします。とりあえず、《トータルな解説が必要なのではないかと思います》については、まずは必要だと思った方に動き始めていただいた方がいいと思います。
  • 《それが迷惑だとおっしゃるんなら仰せにしたがいましょう。何でもおっしゃってください。》については、Greenland4さんの好きになさればいいのではないでしょうか。GFDLを理解せずにウィキペディア日本語版に投稿する方は無数にいらっしゃるでしょうし、私は、それだけを理由としてわざわざ追い出す必要はないと考えています。ただ、その内容はGFDLでライセンスされますし、GFDLでライセンスされた著作物はGFDLに沿った扱いをされるということは (自身の理解がついていなかったとしても) 承諾せねばなりません。それだけです。
  • 《話をもとに戻しますが、たとえば今回の依頼では「4Jは満たすが4Bや4Iは満たさない」というような話が出てきたわけですが、4Jがどういう内容で、それを完全に満たすにはどういう行動をすべきなのか、4Bはどうか、4Iはどうかということをトータルに示したものはないわけです》については、トータルに示したものが当然Wikipedia:Text of GNU Free Documentation Licenseですし、どう満たすのかについてはWikipedia:著作権などですね。私は、これ以上詳しく解説する労力をかけてもそれほどメリットはないと考えます。翻訳にも統合にも分割にも項目一部転記にも、ウィキペディア日本語版が問題ないと判断する手順は既に記載されているのですから、それを参照すればいいだけなのですから。Greenland4さんが必要と思うのでしたら、それをGreenland4さんが作成する、あるいは有識者に作成をお願いするということを止めることまではしませんけど。《最近は中高生も増えてきましたから、かれらにも理解しやすいかたちで示す必要があると思います》とありますが、「Wikipedia:翻訳のガイドライン」や「Wikipedia:ページの分割と統合」にある手順は中高生にも十分理解できると思います。一方、「Wikipedia:Text of GNU Free Documentation License」の理解は結構難しいものはあると思います。でも、私は、ウィキペディア日本語版はGFDLを詳細に解説する場所ではないと考えています。もちろん、誰かやりたい人がそこに力を割くことはかまわないと思いますけど。今思いましたが、まずはウィキブックス日本語版にGFDLを解説する教科書を作成するってのは一案かもしれません。
  • 《飜訳でもないし、分割・統合でもないが、しかしコピーアンドペーストを一部使おうと考える人は出てくる可能性があります。》については既に指摘済みですが、「Wikipedia:ページの分割と統合」の範疇です。また、コピーアンドペーストについては「Wikipedia:著作権」にも記載されています。
  • 《そのようなiwaimさんがサポートを少しでも厚くするということに疑義があるとは思いませんが、そのあたり、どのようにお考えなのでしょうか》については、一言でいえば「私がやることは私自身が決める」というだけです。他者からのお願いされた場合はそれをどうするのかは私が判断してどう行動するのか、あるいは行動しないのかなどを決めます。例えば、先にでているGFDL自体の詳細解説は私はウィキペディア日本語版にとって必要なものとは思いませんので、私が率先として作成するつもりは (今のところ) ありません。しかし、誰かが作成しようとすれば、その内容をレビューし、コメントすることはあると思います。誤った (と私が考える) 内容のものが作成されてしまうとウィキペディア日本語版にとって困ったことになると判断するからです。--iwaim 2008年12月13日 (土) 04:04 (UTC)[返信]
  • Greenland4さんによる2008-12-28T02:57:06 (UTC) の版《それにまた、歴史関連の長大な記事の執筆にくらべれば、これにかかる作業はきわめて軽微であり》を読んで、ああ、これはすごく誤解があるなぁ、と思わざるを得ません。とはいえ、私にはすごく困難な道であるとしても、Greenland4さんの能力をもってすればすごく容易なことなのかもしれない。Greenland4さんの今度の活動に期待しております。よろしくお願い致します。--iwaim 2008年12月28日 (日) 06:06 (UTC)[返信]

コメント

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私は法には疎いので、法的な部分には誤りもあるかと存じますので、法的な議論はいたしません。ここでは法的な議論ではなく、被依頼者の行動について、被依頼者であるIwai.masaharuさんご自身に変更の余地があるのかどうか考えていただくことを目的とします。

まず、前提条件を確認します。

  1. 被依頼者が多く関わっているGFDL違反に関する削除依頼が、私は特に問題視しています。GFDL違反とは、多くの場合、著作権違反のうち権利を侵害された著作物がウィキペディア上にある場合とほぼ一致するのだろうと思います(ウィキペディア外のGFDLサイトもあり得るかと思いますが)。
  2. ウィキペディアは百科事典づくりを目標としています。法的な問題が無い限りにおいて、有用な記事であれば、無いよりもあるほうが良いのは自明でしょう。

他言語版の記述を利用した記事(Wikipedia:削除依頼/ルコヴィツァ)や、他記事からの要約によって作成された記事(Wikipedia:削除依頼/近世から近代にかけての世界の一体化)では、法的な問題が無い限りにおいて、記事は無いよりもあるほうが良いはずです。これらの記事が一度失われれば、再び一から築き上げるのは容易ではありません(ルコヴィツァの例では、他のすべてのスロベニアの自治体記事に同種の問題があり、削除が決まっていれば首都を含め200の記事が同様に削除されるであろう内容でした)。

ウィキペディア内部でのGFDL違反であれば、権利者から法的な請求を受ける危険性は、現実的にはあまりないものと考えます。あらかじめ断っておきますが、法的リスクが無いから法令違反をして良いと言っているのではないので誤解なきようお願いします。しかしながら、外部からの著作権侵害とは異なり、一刻も早く削除しなければならない、というわけでもないのではないか、というのが私の考えです

そこで、せっかく法的な知識が豊富のようですので、まず、記事を存続させる方法は無いか、ご検討いただくことはできないでしょうか。botを使って再投稿するという方法が検討されているようですが、著作権や方針づくりに関する議論にあまり興味の無い、執筆主体の参加者にとって、それがどのようなものか、いまいち理解できないところがあります。もし私が当事者だったら、気になるのは2点、記事は存続できるのか、どんな苦労をしなければならないのか、それだけです。苦労せずに法的なグレーゾーンを白に近づけることができるのならば、それがもっとも望ましい解決方法となるべきでしょう。「この記事はいったん削除されるけど、直ちにbotによって完全に再構築されて、実質的に失われるものは何もありませんよ」といわれれば、例示した2例のように紛糾することもなかったのではないかと想像します。

まず、記事を維持することを考えていただきたいと思います(削除依頼でいうところの「存続」とは限りません)。その手法がまだ未完だというのならば、GFDL的に問題のありそうな、しかし有用な記事については、どこかにリストアップするに留めて、手法が出来上がってから処置をしても、遅くないのではないでしょうか

このような翻訳・要約を使った執筆者に対する配慮、そして記事は無いよりもあるほうが良いという前提をなくして、ただただ「削除を」「削除を」と求め、法的な議論を展開されても、ただ相手を恐怖させるのみで、生産的ではいのではないかと、私は感じています。

以上ですが(特に下線をつけたところは私の個人的な信念で、そこに誤りがあったら元も子もなくしますが)、被依頼者であるIwai.masaharuさんは、これに対してどのようにお感じになるか、そして、これまでの行動を今後、変更できる余地があるか否か、ご検討いただければと存じます。--Peccafly 2008年11月14日 (金) 18:17 (UTC)[返信]

(追記)誤解を受けるかもしれないので追記いたしますが、例示内容が本来削除されるべきであった等の主張をするわけではありません。また、botによる再構築の是非についても主張しません。私の一番いいたいことは、どのようなものであれ、削除議論の前に、まずセーフティネットを築いておいていただけるとありがたい、というこの1点に尽きます。--Peccafly 2008年11月14日 (金) 18:34 (UTC)[返信]
  • (コメント)GFDLは法令ではなくライセンスということなので、「GFDL違反」という言い方は正確には適切ではなく「GFDLを満たさないことによる著作権侵害」ということだろうと思います。その満たし方としては、現状では要約欄への記載という方法が必須とされているようですが、かつては本文内リンクや言語間リンクを貼るという方法も認められていたということですね。以前のように手続きがゆるやかな方が救われる記事も多いはずなので、旧に復すべきだと思います。そして、これらの議論は、記事を執筆する人が主になってなされるべきであり、記事を執筆する気のない人は議論に参加すべきでないと考えます(記事を執筆する気のない人には無関係な話のはずです)。また、GFDLのライセンスは著作者の名誉などを守る目的で採用されているわけですから、著作者の事後的な了解によっても充分に満たすことのできるもののはずです。私は、個人的には、自分の書いた文を、Wikipedia内で私に無断で転記、飜訳することを許諾します(だから、どなたかが私の文をコピーして投稿しても、それをもって著作権の侵害だとはみなしません)。自分の文の(Wikipedia内での)転記・飜訳を許諾できない人がどれだけいるのかわかりませんが、Wikipediaへの参加にあたって(たとえばアカウント作成時に)、許諾する・許諾しないの意志表示が義務づけられていないのは、このライセンスを採用し、運用に供している以上、重大な手落ちだと考えます。そこが明示されていれば、GFDLをめぐるほとんどの議論は不要となり、その分、全員が執筆活動や記事内容に関する議論に専念できます。要約欄への記載などというのはGFDLの満たし方の数ある手続きのうちのひとつにすぎないであり、決して絶対視されるべきものではありません。そこは、手段と目的を取り違えてはいけないものと考えます。GFDLを満たしていない案件に関しては、どうしたら満たすことができるのかを一緒になって考えるのがコミュニティの一員としての務めだと思います。それが期待できないコミュニティならば、何もそんなところにしがみついていなければならない理由はなく、立ち去るのが筋だと個人的には考えています。--Greenland4 2008年11月23日 (日) 22:01 (UTC)[返信]

iwaimさんの議論と言動

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実はiwaimさんからは2度ほど礼を尽くした丁寧なメールをいただき、私もお返ししました。そのなかで記事の執筆をお勧めしましたが、iwaimさんは2か月ほど前から執筆に取りかかっており、10月31日時点で15Kバイトほどのサイズになっているそうです。年内か年明けには公開できればとのことでした。執筆時間があまりとれない御様子ですので、お待ちしてはいかがかと思います。Wikipediaでの法令関係記事も貧弱で、調べごとに使えないこともたいへん多いですから、iwaimさん、Jmsさんにはそちら方面での活躍も期待したいところです。

「特定の意見を主張したことをもって投稿ブロックすべきでない」というKinoriさんの意見には大賛成です。私もそう考えるからこそ、話し合いの席での「氏の意見に同調なさる方は管理者失格」、「ここで賛成票を投じる方は議論の何たるかをわかっていない」の類の発言は、ルール違反ではないかと思っています。ウィキペディアの話し合いでは、進行役もいないし、裁定役も最後までみえない。それがウィキペディアの流儀だとしても、それをよいことに、特定意見を封じるような発言をしてよいということにはならないと私は思います。--Greenland4 2008年11月16日 (日) 02:11 (UTC)[返信]

iwaimさんのGFDL解釈

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世界の一体化」に即していうと、Jmsさんやiwaimさんから全削除という主張が出てくることが自分にはたいへんな驚きで、そんな話になるとは思いもよらなかったからこそ、Jmsさんの「削除依頼を出せ」という仰せにも頓着しないで従ってしまったのです。まさか全削除に相当する失策だとは思いもよりませんでした。まあ、たとえて言えば、あまり現代の労働慣行になじんでいない職人がうっかりタイムカードを押さずに一仕事してしまった程度のミスだと思っていましたので、あとで証言者を連れてくるとか、タイムカードを押しなおす程度の作業で解決する問題だと思っていたのです。甘いといえば甘いのですが、まさか私以外の執筆者の分まで削除しようという話になるとは思いませんでした。

ただ、「GNU Free Documentation License」を読んでも、そこまで求めているとは思えませんし、重要なことは「著作者の名誉など」を守れば、「著作権者が著作権者以外の者に対して改変、複製、頒布することを一定の制約条件の下に許諾する」ということのようですから、本来なら、依頼がはじまってまずすぐになすべきは、削除か存続かを論じることではなく、著作者の了解を取り付ける必要があるかどうかということだったのではないかと思います。

それに、「Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象」では、冒頭に「この文書はウィキペディア日本語版の公式な方針です。多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています」と記されており、そこでは当該記事内へのリンクは要約欄へのリンクの代替となるとの解釈が記されている以上、「書いてあることは書いてあることであり、運用は別」という根拠で全削除を主張するのは、公式方針からの逸脱だと思いました。

また、共同執筆者の了解をえない全削除は個々の著作者の権利を大きく侵害するものと感じ、著作者の名誉のためといいながら他の著作者の権利を侵害することには大きな矛盾も感じていました。--Greenland4 2008年11月16日 (日) 02:11 (UTC)[返信]

ウィキペディアとGFDL解釈

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以前も書きましたが、もし、GFDLの関する解釈や運用が「誰がやってもややこしいものにならざるをえない」ものなら、それを「理解して」「同意する」ことは、はたして可能なのか、という根本的な疑念があります。可能でないなら<MediaWiki:Copyrightwarning>のなかの「ウィキペディアでの解釈に同意するものとみなされます」という文言はやはりたいへん問題が多く、詐欺と感じる人がいて不思議ではありません。それほど解釈に幅のあるものに同意できるはずなど絶対ないわけです。

「ウィキペディアでの統一的な解釈なんてないんだ」というのなら、その旨、正直に書くべきなんじゃないかと思います。現実的に統一解釈なんてないわけですから、正直にそう書かれたら、記事の執筆はやめて議論にだけ参加しようという人だっているはずです。「長期積み残し案件」などをみても、これほどGFDL解釈に幅があっていいのか、グレーゾーンが広くてよいのか、そしてまた、これほど結論が先延ばしされていていいのかと思います。それを、個々の依頼のたびに話し合うのは時間の無駄であり、無闇に「議論のための議論」を招いてコミュニティを疲弊させてしまっているのではないかと思います。これは、個々のウィキペディアンの責に帰してよい問題ではありません。

そしてまた、「ウィキペディアの統一的解釈」があるものと思い、記事を投稿してしまった人にとっては、執筆に悪戦苦闘した膨大な時間と労力もあるわけですから、二重、三重に無駄なわけです。

解決策としては、「削除依頼」とは別の名称でGFDLを満たしているかどうか、満たしてない場合どのような対策を講じるか、ということを検討する場を設け、この問題に最も詳しい人(数名)に「GFDL対策委員」とでもいうべき裁定者となってもらい、その裁定に一任するようなやり方を考えてもいいと思います。実際に詳しい人と、自分が詳しいと思っている人とでは、大きな違いがあると思います。

現状では、この問題に詳しい人も詳しくない人も、記事の執筆にたずさわった人もそうでない人も、進行役も交通整理もなしで、各々めいめいに自分の希望をコメントするだけであり、そういう話し合い(…になっているのかなぁ…)の持ち方にも問題が多いのではないかと思います。コメントはコメントでいいから、運用者・裁定者は別の資格で事態の収拾にあたるような仕組みがつくれればいいんじゃないかなと思いますが、どんなもんでしょうか。

蛇足ながら、Jmsさんと話をしていて、「公式方針」そのものも文言が不足していたり、不充分な点も多いと感じました。一般に「方針文書は厳格に、運用は柔軟に」という姿勢でやっていけば、紛糾の大部分は解消するはずです。逆に「方針文書が曖昧で、運用は厳格」だとどうしても揉めてしまう。現状ではそうなってしまっているんではないか。そのあたりも考える必要があります。また、一般的には、どのような法であれ、法令とは別に施行細則がつくことが多いわけで、GFDL解釈が素人にはたいへん難しいものであるなら、そうしたものが必要かもしれないと思います。

蛇足の蛇足。<MediaWiki:Copyrightwarning>では、「GNU フリー文書利用許諾契約書」に「非公式日本語訳」の名がつけられていますが、理解を深めてもらいたいのだとすると「非公式」は不要なだけでなく、有害だと思います。なぜ非公式なのかは、開けば書いてあるわけですから、開いてもらうことを優先すべきで「GDFL理解のために(日本語訳)」などの名称が適切だと思いました。--Greenland4 2008年11月16日 (日) 02:11 (UTC)[返信]

(もっと適切な議論の場があればご案内ください--miya 2008年11月6日 (木) 00:48 (UTC)[返信]

GFDL 1.3

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GFDL 1.3がリリースされました(FAQ)が、これまでのGFDL解釈と変わらないでしょうか、それとも解釈を大幅に変えるべきなのでしょうか(もっと適切な議論の場があればご案内ください)--miya 2008年11月6日 (木) 00:48 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:著作権などでの議論が適切でしょう。--iwaim 2008年11月22日 (土) 11:22 (UTC)[返信]

その他

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  • 被依頼者コメントを見て少々残念に感じました。Wikipedia名前空間で活動するということは、'執筆者によりよい空間を提供することです。『現状のコミュニティの合意は「著作権の侵害は削除」です』と仰っていますが、それはコミュニティが存立する前提(正確に言えば、Wikipediaが存立するための前提)です。コミュニティの合意は法を守ってはじめて有効たりえるのです。Peccaflyさんが期待されていることについて、もう一度よく考えていただきたいと思います。勘違いを続けた上でコミュニティに参加され続けると、同じ事を繰り返すのではないかと思います。--Kodai99 2008年11月24日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
    • 回答見ました。
      1. 「Peccaflyさんが期待されていることについて、もう一度よく考えて」について
      • 何もセーフティネットを一人で作れなんて言っていませんし、作れるとも思っていません。よく考えた結果、「セーフティネット設ける方向で私が提案し、率先して議論を進行することは時間の関係上、今の私には無理」ということであれば、正直、「コミュニティを疲弊させる利用者」というレッテルを貼られても文句は言えないと考えます。かく言うワタシは雑草とりぐらいしか出来ませんがね(自嘲)Wikipedia名前空間とはそのような場所ですし。Wikipediaは記事を書く人間が一番偉いのです。
      1. 「勘違い」について
      • 『現状のコミュニティの合意は「著作権の侵害は削除」です』は勘違いだと言いました。合意ではないのです。前提なのです。前提を合意と言い換えることは出来ません。なぜなら、合意は変更が可能ですが、前提は変更できないからです。Wikipediaの前提条件を本当に理解していますか?
      1. 「同じこと」について
    • 相手が本当に言いたいことを理解せずに前に進むこと。今まさにその状態なんですが。わかってます?
      1. 全体的に
      • 文章は、その一部のみを見て判断するのではなく、全体で判断しないとならないことはご存知でしょう。しかし、上の「同じこと」でも述べたとおり、文章から言いたいことをきちんと理解していないように感じます。また、ワタシへのコメントからWikipediaへの参加の姿勢がなんだか他の人と違うことが鮮明に見えてきました。もう少し肩の力を抜いて参加できませんか?丸くなれとは言いませんが、角張っていると周りは痛いのですよ。--Kodai99 2008年11月30日 (日) 00:19 (UTC)[返信]

  • (コメント)iwaim さんの2008年12月13日 (土) 04:04 (UTC)の版での「拠らしむべし知らしむべからず」的発言は残念です。「私がやることは私自身が決める」のであれば、「コミュニティの合意」云々など最初から言わぬ方がよい。少なくとも、状況は詳細で誰にでもわかるような解説を必要としており、Iwaimさんおっしゃるような無理解があるとしたら、そのような誤解が生じないよう万全を尽くすべきと考えます。それにまた、歴史関連の長大な記事の執筆にくらべれば、これにかかる作業はきわめて軽微であり、この程度の手間を厭うようでは方針論議に加わる資格さえ疑わしいとさえ思います。さらに言うなら、方針文書の不親切さや中途半端を放置したまま削除議論には参加しようとする一貫性のなさ、そこにみえるマッチポンプを私は支持しません。ただ、少なくとも私は詳細な解説が必要であると考えており、数人の手による「ウィキペディアでの解釈」に同意するつもりも今のところありませんから、自分なりにこの問題を考え、他者の御教示もあおいで、私自身が納得できたらウィキペディアでの投稿活動も再開してみようかなとは思います。これ以上、iwaimさんと話し合うべき点もないようなので、この依頼はそろそろ閉じてもよいのかなと思います。もし今後、10日以上、投稿がない場合は依頼を閉じてもよいのではないでしょうか。--Greenland4 2008年12月28日 (日) 02:38 (UTC)[返信]

依頼者より
Iwaimさんをめぐる一連のブロック依頼について、何が根本的に問題であったのか、また事態改善への道はどこにあるのか、ご本人およびほかのみなさんがどのようにお考えなのか、ということが整理できればーという点がこのコメント依頼提出の主目的でした。私個人としては、Iwaimさんがどんなスタンスで著作権とGFDLをめぐる議論にかかわっておられるかという点について、いくらかわかったと思います。依頼者として本来ならこのコメント依頼を総括すべきところですが、ウィキペディアにおけるGFDLをめぐる問題は大変むずかしく私の手に余りました。うまくまとめられないうちに日にちだけが経ちましたが、2008年12月28日以降、他の方からもコメントがないこと、かつ、次のブロック依頼(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Iwai.masaharu)が2009年2月12日に提出されたことから、ここでこのコメント依頼を閉じさせていただきます。みなさま、コメントをありがとうございました。--miya 2009年2月14日 (土) 08:35 (UTC)[返信]