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Wikipedia‐ノート:削除依頼/近世から近代にかけての世界の一体化

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Wikipedia:削除依頼/近世から近代にかけての世界の一体化からの転記の際にインデントレベルを調整しました。--Jms 2008年10月13日 (月) 01:30 (UTC)[返信]

JmsとGreenland4のやり取り(2008.10.12/15:38 -2008.10.13/05:00)

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  • (コメント) 執筆部分が寄稿者のオリジナルなのか他からの転記なのかは寄稿した本人がもっともよく知っていることなので、本人による申告を期待しておりました。しかし、元記事を明に指定せずとも履歴が継承されると御本人がお考えなら、第三者が精査しなければならないのでしょう。記事量の急成長ぶりから他記事の要約抽出転記が少なからず行われているのではないかと想像しておりますが、前述の様に「など」が何を指すのか不明瞭な部分があり、実際の調査を第三者が行なうのは現実的ではありません。なぜなら、要約欄に転記元が指定されていても「など」がそれ以外をもカヴァーし得るため、結局は全寄稿について調査することになるからです。もし他記事の要約抽出転記を主とする記事であるならば、要約元の記事は残っているわけですから、精査にそこまでの手間をかけずとも失われるものは少ないかもしれません。わたくしが気づいてしまったのは南海泡沫事件に関する箇所だけですので、とりあえずそれ以降が削除審議対象になるかと思います。--Jms 2008年10月12日 (日) 15:38 (UTC)[返信]
  • (コメント) 早急に精査を完了せよ、とのことですが網羅的に行うのは困難なので、古い方から調べてみました (呈示されている参考文献とは?)。より古い版に問題があれば以降は調べる必要がない、という発想です。比較的短い時間で記事サイズが有意に大きくなっている、という条件でスクリーニングするともっとも早いのは世界の一体化2007年11月18日 (日) 02:43 UTC の追記なのですが、要約欄にある第2次百年戦争などの「など」が何を指すのか特定できませんでした。2007年11月18日 (日) 07:00 UTC の追記では要約欄に第2次百年戦争への言及なく第2次百年戦争からの転記が行われています。Template:main による第2次百年戦争への参照はありますが、記事では「詳細は第2次百年戦争を参照」と表示されるだけなので、当該部分が転記によるものであるとは読み取れません。但し、当該部分の元記事は転記者自身の手になるものなので、著作権上の問題はありません。2007年11月21日 (水) 12:31 UTC の追記では要約欄に記載なく科学革命からの転記が行われています。科学革命への転記者の寄稿はありませんので、転記元の明示は必要です。ここでも Template:main による科学革命参照はありますが、それがWikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストの求める転記元記事へのリンクであると考えるのは難しいと思います。Template:main のリンクの解釈次第では、削除対象はこの削除依頼より少し遡り2007年11月21日 (水) 12:31 UTC の版以降ということになるかと思います。--Jms 2008年10月12日 (日) 20:44 (UTC)[返信]
  • (コメント)御苦労様です。ただし、「より古い版に問題があれば以降は調べる必要がない、という発想」は削除を前提にした発想であり、存続も視野に入れた発想であれば、Jmsさんがおっしゃったように「全体的な精査が必要」となるでしょう。引きつづき速やかなる精査をお願いします。今からすれば、確かに「編集内容の要約」欄に参照元を詳細に掲げるべきだったとは思いますが、削除までは必要がないと思います。他記事を参照してその要約を掲げることは単純なコピー・アンド・ペーストや移動ではないわけで、自分で言うのも何ですが、許容範囲なんじゃないでしょうか。次に、それがコピー・アンド・ペーストであるとしても、Wikipedia:著作権/改訂案#日本語版ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストには、「要約欄にコピー・アンド・ペースト元の記事等へのリンクを張るといった方法により、「総則」で述べた履歴が記録される様にしてください。ペースト時に存在する元記事等の最新版よりも古い版からのコピーの場合は、コピー元の版も指定してください。記事とそのノートとの間であっても、コピー・アンド・ペーストの向きによらず同様にリンクを張るなどして、履歴を参照できる様にしてください。なお、要約欄を利用して履歴にリンクを記録しない場合には、本文でリンクを設置してください。」とあり、冒頭に「要約欄にコピー・アンド・ペースト元の記事等へのリンクを張るといった方法」との文言があるように、「要約欄」に元記事へのリンクを必ず張れとは明言していません。それもひとつの「方法」だと示しているにすぎません。また、最後に「なお、要約欄を利用して履歴にリンクを記録しない場合には、本文でリンクを設置してください。」とありますように、「要約欄を利用して履歴にリンクを記録しない場合」を認めています。認めている以上、違反には相当しないと言わざるを得ません。そういう場合には「本文でリンクを設置してください」とありますが、リンクは設置しています。なので、用心深さに欠いていたことは認めますが、ミスといえるほどのミスでもないと思います。この程度の些末な不注意で削除までするのは本末転倒であり、これを削除するのならば、ガイドラインの方を改めるべきと考えます。--Greenland4 2008年10月13日 (月) 00:16 (UTC)[返信]
    • (コメント) 「より古い版に問題があれば以降は調べる必要がない」という方針でゆかないと、結局全ての版を調べる事になりますが…。全ての版を調べるとなると、たとえば、2007年11月18日 (日) 02:43 UTC の追記の要約欄にある「第2次百年戦争など」の「など」とは具体的に何でしょうか、という問い合わせを全ての「など」について行なうことになるでしょう。「他記事を参照してその要約を掲げることは単純なコピー・アンド・ペーストや移動ではないわけで」あろうと (というのが GFDL という文脈において一体どういう意味だと意図していらっしゃるのか、はかりかねていますが)、GFDL を満たす必要があります。形式的に満足しているかどうか、という問題とは別に、実際に GFDL に従って第三者が再配布 (たとえば、印刷出版) しようとした際に、必要な措置を合理的な範囲でとれるか、という観点からも検討する必要があります。というのは、その第三者はWikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象の要求が実際に行われているという前提で履歴保存などを行なうでしょうから、そこからの逸脱があるならば是正すべきだ、という考え方です。なお、参照すべきはWikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストであって、Wikipedia:著作権/改訂案#日本語版ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストではありません。当該編集はWikipedia:著作権の対象文書ではありませんし、案でしかないWikipedia:著作権/改訂案を根拠にするのは論外です。わたくしは、寄稿者が、自分のオリジナルでない素材についてその出処を明示することなくウィキペディアに寄稿することは、決して「ミスといえるほどのミスでもない」訳ではなく、「些末な不注意」で済まされるものではないと考えています。少なくとも、それがオリジナルでないことは、第三者が容易に判断できるべきですし、GFDL の求める履歴の保存を可能とする読み合わせによる履歴の追跡が、現実的な範囲で可能であるべきでしょう。もし、結局全ての編集についてその出自をいちいち確認しなければならないとしたら、それは GFDL の意図するものとは異なるのではないでしょうか。この点について議論が続くなら、見通しをよくするため、以降はノートで続けることを提案します。その際はもちろん既に記述したコメントについても転記移動していただいて結構です。--Jms 2008年10月13日 (月) 00:43 (UTC)[返信]
    • (コメント)「全ての版を調べる必要がある」とは本来のあなたの御意見でしょうから、ぜひそうなさってください。「など」については、参考にした文献は「要約欄」には記しませんでしたが、「参考文献」として別の節を設け、そこには全部示してあるので、すべてにあたってくださればと思います。時間はかかるでしょうが、頑張ってください。そのうえで審議しましょう。--Greenland4 2008年10月13日 (月) 01:05 (UTC)[返信]
      • (コメント) わたくしは問題のある版 (もちろん問題があると結論されたとして、ですが) 以降を削除せざるを得ないと考えているので、「より古い版に問題があれば以降は調べる必要がない」という方針で良いと考えています。但し、ここで前提としているのは分割された記事について全削除するということです。分割記事への影響範囲を特定するという方針をとるならば、精査は必要でしょう。「など」については他の版の要約欄における「など」も文献のことであって、ウィキペディアでの転記には関係しない、という理解でよろしいですか。仮にそうだとして、2007年11月18日 (日) 02:43 UTC の版には参考文献が挙げられていませんが、この場合の「など」は何を指すのでしょうか。--Jms 2008年10月13日 (月) 01:30 (UTC)[返信]
  • (コメント)この場合の「など」はどうやら「脳内ソース」ということのようですね。「第2次百年戦争」は私が執筆した記事ですが、その後調べてわかったことも多かったのでそれを反映させたというだけのようです。お疲れ様ですが、引きつづき全ての版について精査をなさってください。私は「些末な不注意」程度で済まされるべきものだと考えているので、あなたほどのエネルギーは正直湧いてきません。頑張ってください。--Greenland4 2008年10月13日 (月) 02:23 (UTC)[返信]
    • (コメント) Greenland4 さんは「些末な不注意」程度で済まされるべきものだと考えていて、わたくしは問題のある版以降を削除せざるを得ないのでより古い版に問題があれば以降は調べる必要がないと考えている、従って、いずれにせよ全ての版について精査は必要ないと考えますが、それでも「引きつづき全ての版について精査をなさってください」と要求なさる意図は何でしょうか。--Jms 2008年10月13日 (月) 02:33 (UTC)[返信]
  • (コメント)「全般的な精査が必要と思われる」「履歴不継承がどれだけあるのかの確定がまず必要」とおっしゃったのがあなただからです。あなたの意志を尊重しており、あなたによる「精査」なり「確定」なりをお待ちしています、という意味ですが、何かお気にさわりましたでしょうか。もし、精査や確定があなたにとって困難であり、面倒くさいというのであれば、存続の意見も多いようなので、削除依頼を取り下げたいと思いますが、いかがでしょうか。本来であれば、わたしが削除依頼を提出すべきではなく、あなたが依頼すべきだったように思います。わたしとしては最大限あなたには協力したつもりでしたが、何ヶ月も「全般的な精査」を主張された御本人が精査もされないで放置されたのは実に残念でした。あなたが全般的な精査をなされたうえで、再度御自身で削除依頼に出したらどうでしょう。それから、いま忙しいので、しばらくウィキ・ブレイクしたいのですが、どうしたものでしょうか。以後しばらくの間、コメントはあまりできないことをお断りしておきます。--Greenland4 2008年10月13日 (月) 03:01 (UTC)[返信]
    • (コメント) 前述の通り、寄稿者本人による申告を期待しての精査の示唆でしたが、御本人が精査の必要なしとお考えなら、精査せずとも確認できたもっとも古い問題のある版 (問題があると結論されたとして、ですが) 以降削除が適当と考えます。精査が必要と思われる、というのは、精査した方がよいのではないか、という示唆であって、わたくしが精査します、という意味ではありません。それを「何ヶ月も『全般的な精査』を主張された御本人精査もされないで放置」とするのは誤解に基づいた妥当ではない表現でしょう。また、「履歴不継承がどれだけあるのかの確定がまず必要」というのは、特定版削除になった場合に巻き込まれる他の版を救うために必要な作業であって、世界の一体化特定版以降削除、各分割記事削除という対処なら必要ありません。わたくしに取り下げを止めることはできませんので、取り下げとなれば、あとはWikipedia:削除依頼にある通り管理者の判断を待ちましょう。--Jms 2008年10月13日 (月) 03:23 (UTC)[返信]
  • (コメント)申し訳ないんですが、あなたのおっしゃることがよく理解できません。「精査が必要と思われる、というのは、精査した方がよいのではないか、という示唆であって、わたくしが精査します、という意味ではありません」「寄稿者本人による申告を期待しての精査の示唆でした」というのなら、「精査してください」とおっしゃるべきでしょう。誤解も何も、肝腎なことをおっしゃらない限りは、あなたの一方的な期待などは知りようがありませんね。放置というのは妥当な表現だと思いますが。まあ、お気にさわったんなら謝罪します。それはさておき、依頼は取り下げておきました。うまいこと存続してくれるといいなと思っています。では。--Greenland4 2008年10月13日 (月) 04:32 (UTC)[返信]
    • (コメント) ウィキペディアの様に記録が残るメディアで、あからさまに「精査してください」と書くかどうか、というのは判断のわかれるところでしょう。またどの版でどこから転記したのかは本人にはよくわかっているはずですから、精査もなにもないでしょう。まぁ、履歴欄に書き漏らしもらしがなかったかどうかチェックするというのはあるかもしれませんが、それを精査とはわたくしなら呼びません。精査にせよ調査にせよ、「してください」とはっきり求めてしまうと、他にも同様の履歴不継承があるのではないかと疑っていることになりますが、わたくしはそこまでの疑義表明をすべきだとは考えていません。「まさかないとは思うけれど、もし他にもあるなら、自発的に申し出てくれるといいなぁ」といったところが本心でした。放置と表現されたからといって気に障ってはおりませんのでその点についてはご安心を。さて取り下げですが、Wikipedia:削除依頼では書式として「取り下げの場合は(取り下げ)と書きます」としています。--Jms 2008年10月13日 (月) 05:00 (UTC)[返信]

Jmsさんとjohncapistranoさんのコメントへのコメント(by Ks aka 98)

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著作権の方針が GFDL を満足する上で (ウィキペディア上での運用という意味で) 必要十分条件であるかどうか、という疑念はどうあれ、少なくとも2004年2月10日 (火) 08:42以降は、投稿時に「GFDLをウィキペディアにおいて適用した場合の解釈についてはWikipedia:著作権の通りであることを宣言したものとみなされ」ているのですから、他言語版あるいはウィキペディア外部のGFDLソースを持ち込むのでなければ、その時々のWikipedia:著作権の文言に従っている限りは、基本的には問題を生じません。著作権の方針では、現在の文面の基本的な方向付けとなった2004年2月1日 (日) 20:17の版では、カット・アンド・ペーストの際には「必ず、当該記事の冒頭(又は記事のノート)に必ずカット・アンド・ペースト元の記事へのリンクを張ってください」という指示がありますから、本文中で記事冒頭あるいはそれに類する形で元の記事にリンクしている場合は、一般にGFDL違反とみなすべきではなく、影響が懸念されるとしても、それは当該記事をGFDL違反と捉えることで解決するべきではありません。
リンクについて。これまで著作権の方針についてあれこれ考えてこられたJmsさんが、今ようやく気付くということは、一般的なウィキペディアの参加者にとって、Template:mainを用いようとする場面では、通常は気にすることなく、テンプレートを用いたでしょうね。ライセンスおよび方針に直接リンクをはらなければならないとは書かれていないのですから、一般的な閲覧者が記事に辿りつく事ができれば、テンプレートを経由したかどうかは関係ないです。今後はTemplate:mainを用いることについては、履歴の取り扱いの脆弱性という面からはsubst推奨ないし強制にしたほうがいいかもしれませんが、他の観点についても考慮する必要があるでしょう。
さて、johncapistrano さんが挙げられている「Wikipedia:削除依頼/算額20070826」ですが、削除版を確認したところ、分割元とされる和算へのリンクは関連項目のところにありました。記事冒頭あるいは今回のような長い記事であれば節の冒頭に置かれていて、そちらの記事の参照を求めているような事例と、算額の事例は、単純には同一に扱えないと思います。現実的には、分割・統合に関するガイドラインが存在したため、記事中のリンクによって履歴を継承して言えるとみなすような運用は、あまり行われていなかったと想像します。記述としては、2004年8月10日 (火) 09:14の版以降で「必ず、当該記事内または編集内容の要約欄」となっていますが、本文中の内部リンクや関連項目ではなく、記事あるいは節の冒頭でリンクを置いて参照を求めているような場合、あるいは分割・転記元記事であるとか合わせ読むべき履歴であるとかと明示している場合は、履歴を受け継いでいるとみなしてよいのではないかと思います。まあ、Greenland4 さん自身の依頼であることからもわかるとおり、Greenland4 さんが、本文でのリンクによる履歴継承を意図していたわけではないという点について、2008年10月14日 (火) 16:13 (UTC) のコメントに対して「居直り的主張」という感想を持たれるのはやむをえないことと思いますです。
もっとも、Jmsさんが指摘しているとおり、テンプレートの改変や、記事からの除去という脆弱性はありますし、johncapistranoさん が2008年10月13日 (月) 04:31で言明されていたとおりコピペ記事の氾濫に繋がるという面もあります。用いられていることも少ないですから、これを廃止するという方向が望ましく、ぼくも著作権の方針の改訂案としては、除去して提案していました(現行方針では異なるようです)。十分周知の上で、方針の改訂を行うのが最善ではないかと思います。
また、「全てとはいいませんがこれまでの多くの履歴不継承での削除依頼が不当だったということになります」ということについては、審議参加者が誰もその主張に思い至らず、存続を主張し、あるいは説得することができなかったということではないでしょうか。ほかにも、適法な引用や著作物性、特定版以前削除や統合などを用いて救済できた削除案件は、かなりの数があると思います。残念ながら、今のウィキペディア日本語版は、すべての案件に対して適切な判断を下せるだけの能力を得てはいないけれど、コミュニティの合意によってなされた判断は、それはそれとして尊重せざるをえないというところかと思います。--Ks aka 98 2008年10月15日 (水) 18:23 (UTC)[返信]

Template:main については、すくなくとも設置時点ではリンクすることは意図していた (のかどうか、その意図の意味に「単純にリンクすること」というのと「履歴継承の意図で」というのと、両方ありえるのでこまりますが、ここでは前者です) のですから、リンクを張ったものと考えてよいと思います。問題だと考えているのは、自分のオリジナルでないものについて、それがよそからの持込であることを明示していないという点にあります。形式上問題ないにしても、特に元記事の指定がないリンクについて履歴継承である旨を認めるとなると全てのリンクが履歴継承である可能性を持つことになってしまい、再利用を阻害しかねない (ウィキペディア外で利用しようとすると全てのリンク先について持込が行われていないか、再利用を目的とする版の編集の際のリンク先記事の版とあわせつつ持込がないか検証しなければならず、事実上再利用できないことになりかねない) がそれでよいのか、ということです。その意味で、今回の Template:main による今回の件を認めることは、Template:main に期待される文脈上の意味には転記を含む必然性がありませんから、GFDL の本来の意図からは外れているのではないかと考えています (これが、転記や引用を意味する Template であったなら、テンプレートであることの脆弱性以外に問題があるとは思いません)。今回の件を形式に合致していることをもって無条件に認めるのは、仏作って魂抜き取る、といったところなのではないかと思っています。現行Wikipedia:著作権で履歴欄でのリンクを必須としない様にしたのは、そこまで求めるのは GFDL からの逸脱であるとの指摘があったためです。そこでリンクでなくとも良いことにせざるを得ませんでしたが、履歴欄に転記元を指定することで持込であるこを明示しなければならなくなっています。文書内のリンクについては、履歴のためのリンクではなく、GFDL 4J を満足するためのリンクに過ぎません。--Jms 2008年10月16日 (木) 09:03 (UTC)[返信]

Jmsさんとjohncapistranoさんのコメントへのコメント(by Greenland4)

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(コメント)5点ほど、コメントします。長くなりましたので、こちらに書きます。

  1. 一年も前のことであり、そしてまた、この記事に関しては、独自研究騒ぎ、分割騒ぎそして分割などがあって、わたしのなかでは実は徒労感しか残っていません。正直、思い出すのもイヤだったので記憶は封印しておりました。Wikipedia:削除依頼/算額20070826での合意は何だったのかという御指摘もありますが、よくわかっていて合意していたのではなかったと思います。よくわからない状態でも合意くらいはできます。私は英語がダメなので、GDFLとは何なのか今をもってしても全くわかりません。「そんな状態で投稿なんかするなよ」と言われれば、そのとおりです。筆を折るしかないのかもしれません。ただし、現状では「わかりたくてもわからない」ような扱いのもとに置かれているのも事実ではないでしょうか。それほど大事なものなら、なぜ非公式な状態、「知る人ぞ知る」ような状態のまま放置しているのかと思います。「GFDL違反であるのは明白」とのjohncapistrano さんの御指摘に対し、「どこがどのように明白なのか、その根拠が必ずしも示されていない」とお答えしたのですが、今もって根拠はあまり示されていないように思います。
  2. それはさておき、一年前であっても、他記事からの要約転記の際は「要約欄」にリンクを貼るのが望ましいんだろうなくらいのことは漠然とわかっていたと思います。基本的には、この記事は各社版の世界史の教科書数冊を参照にして図説や用語集なども複数併用して自分で書き起こしてきたものですが、「南海泡沫事件」に関しては、教科書レベルでは扱っていないものの「世界の一体化」を考えるうえではきわめて好適な歴史事象だと考え、要約転記をさせていただきました。そのとき、「あれ、もしかしたら、やっちまったか」と思い、公式方針を確認したような気がします。そこで本文内にリンクを貼るのは認められているのだということを確かめて安心した記憶があります。「ページの分割と統合のガイドラインは当時から有効で、ほとんどの履歴不継承の議論はこれらに基づいて行われてきた筈」とのことですが、そうした慣習については当時は(今も)熟知しておらず、これは「ページの分割と統合」のケースにはあたらないと考えて、「ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペースト」を参照したと思います。公式方針というのは、私みたいによくわかっていない人が熱心に読んで、それを字義通りに解釈して金科玉条にしてしまうので、可能であれば、うかつなことは書かないでいただければ助かります。「南海泡沫事件」については、たいへん勉強になったことは事実であり、これを執筆された方には敬意の念を覚えてもいます。御礼を申し上げたいとは思っていたので、これを機会に御礼申し上げるつもりです。
  3. 「テンプレートの実装ないし存廃次第ではリンクが失われることになりかねない」というJmsさんの御指摘はまったくその通りだと思いますし、「本文中のリンクを履歴継承として認めるのはコピペ記事の氾濫を認めるに等しい」とのjohncapistranoさんの御懸念も当然だと思います。今後の公式方針にぜひ反映させるべきだと思います。ただし、「Greenland4の主張が成り立つのであればこれまでの多くの履歴不継承での削除依頼が不当だったということになる」とのjohncapistranoさんの御指摘が、「だから、この記事も(本来)削除が当然だ」という論理展開を内包するものなら、それには肯けないものを感じます。判例はあくまでも判例、慣習は慣習であり、絶対視すべきものではないと考えます。「ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペースト」のなかに、「履歴継承の扱いについては『ページの分割と統合』を準用する」などの文言があるのなら別ですが、そうでないなら今までの判例は不当だった可能性もあるのではないかと思います。
  4. 実のところ、「要約欄リンク」と「本文中リンク」の本質的なというか決定的な違いがよくわかりません。要約欄への記載が望ましいことは理解できます。それこそJmsさん御指摘のとおり、「太字」で示されているくらいですから。本文中のリンク貼付は、今までの意見からすれば「認められる」「問題はあるが、認められてきた」「形式的には満たしている」「推奨されていないが許容範囲である」「明白な違反である」くらいの幅がありますが、仮に「明白な違反」とした場合、なぜ本文中のリンクは100パーセント違反で、要約欄だと100パーセントOKという理解が成り立つのか。そこが疑問です。本文中リンクであっても履歴を追うつもりならば、差分というかたちで示されるわけですし、要約欄にリンクしたところで本人に無断で転記していることには変わらないのではないかと思うからです。どうせ厳しくするのなら、本人にメモを送ることまで義務づけた方が確実にコピペ記事も減らせるし、執筆者同士よい刺激になると思います。今後そうするというのであれば賛成いたします。
  5. 存続させることにともなう悪影響が指摘されていますが、「すべての利用者が従うべき」と明記された「公的な方針」を堂々と違反することにともなう悪影響もお考えいただきたいと思います。判例、慣習あるいは不文律を優先するのか、公的な方針と銘打たれたものを優先するのか。(このような指摘があるにもかかわらず)前者でやっていくということになると「今後は、密教的な判例主義でやっていく」ということを宣言するに等しいことです。ウィキペディアを閉鎖的なものへ変質させてしまう事態、さらにはコミュニティの解体という事態も引き受けなくてはならなくなります。それはそれで後世に汚点を残すことになりはしないか心配です。--Greenland4 2008年10月17日 (金) 12:13 (UTC)[返信]
  • 形式上Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象に反していないのだから削除されるべきでない、というのは理解できます。しかし、Template:main というのは出典を示す目的のテンプレートではないので、Template:main であっても履歴継承目的のリンクとみなしてよい、というのは合意をとる必要があるでしょう。形式的に判断するのはやむを得ない部分はあるのですが、しかし、なぜそのやりかたでよいと考えるのか、という本質的な部分を御理解いただく必要があるかと思います。そこまでWikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象に書け、という主張に対しては、それでは膨大な量になってしまうがそれでも読み通せますか、と反問したいと思います。いろいろな決まりごとにいちいち刑法全てを書くことをしないのと同じことです。結局は、よそ様のものを使わせていただいたら、その旨きちんと書いておく、それだけのことです。Template:main が、「その旨きちんと書いておく」というのとして受け入れられるものなのかどうか、受け入れた結果、Template:main に限らず、リンクされた記事全てについて転記がなされていないかどうか調べないと安心して記事を再利用できない、という状況が発生してしまうけれども、その状況をも容認するのかどうか、という点についてはやはり合意を得る必要があるでしょう。その意味で、Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象に合致しているのだから構わないとしてしまうには、あまりに影響範囲が大きいかと思います。くり返しになりますが、その影響を考えると、何らかの方法で履歴を補うことで記事内容は存続させ、問題のある版は削除するのが適当ではないかと思います。そこで気になるのは履歴を補う必要のある版、つまり、転記を含み、その編集が転記を含むことを明示しておらず、かつ、その編集で新規にリンクが張られていない (既にリンクが張られている場合には再リンクはできませんので、同じ元記事について二度目以降はリンクを張ったとは看做せない、という議論が翻訳関連では存在しています) 、という版が他にもないのかどうかです。もしあれば、まとめて対応しておく方がよいと思います。
  • なお、「密教的な判例主義」というの表現は妥当ではないと思います。判例主義なら判例を調べればわかりますから、秘密になっているわけではありません。また、著作権法や GFDL というこれまた公開されているものを根拠として、そこで求められていることをどう実現するかというのがWikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象であるわけで、その意味でも秘密になっている部分はありません。にもかかわらず密教と同列に扱うのは、問題の本質が見えていないのではないかと疑わざるを得ません。わたくしはこの編集を行いながら、いままた「ページの分割・統合や他のページからのコピー&ペースト、ウィキペディア他言語版からの翻訳の際には、編集の要約欄にGFDLを満たすための適切な記入を行ってください。」という「投稿する前に以下の事柄を確認してください」の文言を見ています。それでもなお、密教扱いとなると、実に複雑な心境です。--Jms 2008年10月17日 (金) 12:49 (UTC)[返信]
    • 一言だけ。「読み通せますか」というのは、人を馬鹿にしてると思います。問題の本質が見えていないのはあなたの方でしょう。まさに密教です。--Greenland4 2008年10月17日 (金) 15:24 (UTC)[返信]
      • そうですか、馬鹿にする意図はありませんが、そうとれたならごめんなさい。Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象の冒頭に、GFDL 自体の英語原文と、日本ならびにアメリカの著作権法、必要に応じてそれらの解説文書などを加えたらわたくしならとても読み通す気にはなれません。問題の本質が見えていないのはわたくしの方だ、との事ですが、お考えの本質とは何のことですか、形式を満足しているものが削除対象になるのが問題である、ということ以外になにかありますか。「まさに密教です」というのは、なにをもって密教だとお考えなのかよくわからないので、御説明願えますか。--Jms 2008年10月17日 (金) 18:41 (UTC)[返信]
    • 一言だけ。「それでもなお、実に複雑な心境です」とおっしゃった、その「複雑な心境」を大切になさってください。--Greenland4 2008年10月17日 (金) 23:33 (UTC)[返信]
    • 「GFDL自体の英語原文を読めない人は他記事からのコピー・アンド・ペーストするな」という一文を書き込みさえすれば今回のような問題は生じないし、Wikipedia:著作権は執筆の指針とすべきものではないというのなら「公式な方針」などと絶対に書いてはいけないでしょ。「ここでの規定はいつでも成り立つわけではありません」と冒頭にハッキリ明記すべきでしょう。「Template:main というのは出典を示す目的のテンプレートではないので、Template:main であっても履歴継承目的のリンクとみなしてよい、というのは合意をとる必要がある」というのなら、「Template:mainは使うな」とハッキリ書くべきだったでしょうよ。違いますか。その程度のことは大概の人が読み通せるはずですし、そう書いた方が私みたいによくわかっていない人には親切だと思います。よくわかっていなくて、そのことを自覚している人ほど「公式な方針」と銘打たれたものは熱心に字義通りに読むわけで、そこでは無用の混乱を招くような書き方は禁物だと申し上げております。著作権の専門家になるために読んでいるのではなくて、記事を執筆するために読んでいるわけです。誰だって違反したい、削除されたいと思って記事を執筆しようとする人はいないわけで、むしろ、違反を避けるためだけに読んでいるわけです。それを、その通りに行動したら違反だ、削除だというのは明白な詐欺行為です。これこそがこの問題の本質ですよ。初心者に対して明らかに親切だということに対しては、「正確さを期するためややこしくなる」「それを書くと膨大なものになる」、そのようにさまざまな難癖をつけて回避しようとする、それでいて「誤解があるようですね」「あなたは本質を理解してないようですね」という言葉は何の衒いもなく出てくる。このあたり「密教」と称して何か不具合がありますか。そういう自分を根拠もなくオープンだと自認できるセンスが羨ましいですね。「GFDL 自体の英語原文と、日本ならびにアメリカの著作権法」、そんなことは一言も言っていないが、そうねじ曲げたいなら、それでも結構。「これが一番大事なんだ」と明記して、それを冒頭にリンクで飛ばすくらいのレイアウト上の工夫はすべきだし、GFDLの公式な日本語版は最低限必要でしょう。Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象がこれからも「公式な方針」だということをこれからも謳っていくつもりなら、あなたが掲げた「必要に応じてそれらの解説文書」は最低限明示する必要はあるでしょう。最低限示すべきもの何ひとつ示していないで「誤解してますね」「わかってませんね」というのは、一般社会では通用しないセリフなんです。少しは複雑な心境になりましたか。複雑な心境になられたなら、それを大事になさってくださいね。--Greenland4 2008年10月18日 (土) 01:00 (UTC)[返信]
      • 明白な詐欺行為との御指摘ですが、Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストには「当該記事の履歴(自動的に更新されます)と元の記事の履歴を併せ読むことにより、4条1項2文I号、B号、C号及びJ号の義務を満たしているものとみなします」とあります。すなわち、ここで前提とされているのは、当該編集が他の記事からのコピー・アンド・ペーストを含むということが、第三者にそれとわかる形で明示されているということだと考えます。そうでなければ、第三者は「元の記事の履歴を併せ読む」ことはしないでしょう。この部分の含意がわかりにくいから、たとえば「いずれの方法をとるにせよ、当該部分が他の記事のコピーを含むことを明示しておいてください」といった文言を補うべきだ、というのならわかりますが、論理的に帰結されるであろうそのことを書いていないことが「明白な詐欺行為」にあたるのでしょうか。「必要に応じてそれらの解説文書」については、最近の版では、Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意が挙げられています。なお、GFDL の公式な日本語版は存在しませんし、おそらく存在し得ません。--Jms 2008年10月18日 (土) 01:36 (UTC)[返信]
      • 駄目押しですが、「ページの分割と統合」の文書もMediaWiki:Copyrightwarningで投稿前に確認することになっています。2条で要約欄への記載も求められていますし、この件の発生時点からリンクが1つ変わっているだけで文面は殆ど変わっていません。常に要約欄に記入するの当時の版にもそれらしきことは書いてあります。仮に実際に確認する人が居ないとしても、警告文が掲示されている以上ごねるとしたらその人の怠慢です(そのための警告文です)。johncapistrano 2008年10月18日 (土) 07:46 (UTC)[返信]
  • 怠慢だとして。それでは、具体的に 1.どこが、2.GDFLのなかのどこに、3.どのように「明白な」違反なのでしょうか。お教え願いますか。--Greenland4 2008年10月18日 (土) 11:03 (UTC)
    • 明白な GFDL 違反といえるかどうかは微妙なところでしょう、潜在的にはそうかもしれませんが。一部だけを切り出して議論するなら、形式的にWikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象を満足しているのは、間違いありません。問題は、その満足のさせかたが、Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象の意図、より正確には GFDL の意図に整合しているかどうかという点にあります。裁判でいえば、ある法をその様に解釈することが法の元で合理的といえるかどうか、という判断と同様のことだと考えられるでしょう。Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象には「GFDLは、他人の著作権、商標権その他の権利を侵害する形での利用を許諾するものと解されてはならず、また、日本国の法令その他一切の関係する法令に牴触する形での利用を許諾するものと解されてはなりません」とあります。現状では原著者の同意が得られていませんので、第三者が転記元を転記元と認識せずにリンクされていると主張されている履歴を継承せずに再利用することは、他人の著作権の侵害となる可能性があります。何度も主張していることの繰り返しになりますが、形式的にWikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象を満足していても、著作権侵害となる潜在的なおそれがあるわけです。明白な詐欺行為との御指摘がありましたが、GFDL だと信じて再利用した第三者がこれをもって訴えられたら、やはり同様の感想を持つのではないでしょうか。Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象への形式的整合性を根拠に斯様な潜在的問題をかかえることについて是とするかどうか、コミュニティの判断を仰ぐべき問題だとわたくしは考えます。--Jms 2008年10月18日 (土) 11:15 (UTC)[返信]
  • ありがとうございました。Jmsさんは、「明白な違反」とまで言えるかどうかは微妙ということですね。「GFDL だと信じて再利用した第三者がこれをもって訴えられたら、やはり同様の感想を持つ」というのは確かに、そうかもしれませんね。正直、そういうところまで思い至らなかったです。勉強になりました。ありがとうございます。johncapistranoさんは「明白な違反」とおっしゃいましたが、本件の場合、1.どこが、2.GDFLのなかのどこに、3.どのように「明白な」違反とお思いになりましたか。英文法令を掲げていただいてもいいですし、あるいは、どのページをみれば、その明白性が理解できるのかを指し示していただいてもいいです。よろしく、お願いいたします。--Greenland4 2008年10月18日 (土) 11:31 (UTC)[返信]
    • Jmsさんは、「明白な違反」とまで言えるかどうかは微妙ということですね と取り上げられてしまうと、補足説明せざるを得なくなるので、双方にとってあまりうれしくないと思うのですが…。形式上の問題があるとは (Template:main 経由だろうがなんだろうが、リンクがあることをもって) いえませんが、本人によって本依頼がなされた以上、当該リンクは履歴継承を意図したものではなかったというのは明白ですから、形式上は問題ないが行為として明白な違反とは言えてしまいます。だから突っ込まないでください。--Jms 2008年10月18日 (土) 11:41 (UTC)[返信]
      • 「GFDL違反を指摘される可能性」というなら最新のウィキペディア日本語版規則を厳守していても指摘される可能性はあるし、同じウィキペディア内なんだからそもそもGFDL違反は起こりえないという解釈もある。例えば、要約欄に記載するのはあくまで本文へのリンクなのだから、それをGFDL文書に照らして形式的に解釈すれば、記事の再利用は全てGFDL違反であるというバカげた解釈もできないことはない。GFDLは一種の契約書であるため、内容は若干分かりにくくなっているけれども、要するに「この文書の作成に関わった人を全て分かるようにしておきなさい」ということであって、細かい規則はそれを達成する手段に過ぎない。必要な記載事項が欠けているなら後から書き加えることは十分に可能であるし、本件の場合は{{main}}を使っているのだから、例え加筆者が意図していなかったとしても、素朴に考えてリンク先の要約が記事の内容に沿う形で示されていると解釈するのが妥当でしょう。--Freetrashbox 2008年10月18日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
        • 念のため確認させてください。そのスタンスは、全ての Template:main によるリンクについて、履歴継承のリンクかもしれないから、Template:main を含む記事については転記が行われていないかどうか確認しないとウィキペディア外での再利用は難しい、ということを意味すると思うのですが、それをも含意した主張だという理解でよろしいですか。さらに言えば、「素朴に考えてリンク先の要約が記事の内容に沿う形で示されていると解釈する」というのは、必ずしも転記を意味しませんし、実際のところ Template:main を使っていても転記していない場合もあると思うのですが…。--Jms 2008年10月18日 (土) 12:39 (UTC)[返信]
          • 外部での再利用手段は再利用するウェブサイトが考えればよいことでしょう。そこまで言うなら、ウィキペディア外国語版から日本語版に翻訳転記する場合はどうなのでしょう。外国語版では当然ながら日本語版の規則に沿う形で記事は作られていない。ということは外国語版は日本語版の運用基準ではGFDL違反である可能性があり、それが無いことを確認しない限りは日本語版に翻訳転記することは許されないのでしょうか?それは困るなあ。--Freetrashbox 2008年10月18日 (土) 12:46 (UTC)[返信]
            • それは困るからこそ、転記部分があるかどうかを、履歴や本文中の明示から合理的な手間で判断できる様にしておくべきだと思うのです。本削除依頼に存続の判断をすることは、「それが無いことを確認しない限りは日本語版に翻訳転記することは許されない」という状態があるということを認めることになりますから、そうせざるを得ない状況をつくり出すことと等価だと考えています。たとえば世界の一体化 2007年12月8日 (土) 07:00 UTC 版では徳川家斉が Template:main 経由でリンクされていますが、徳川家斉から転記があったのかどうかはよくわかりません。しかし、当該編集で追加された「家斉は将軍職を子の家慶にゆずった後も実権をにぎり続けたので」という文は、徳川家斉が Template:main 経由で引いている大御所時代の「家斉は隠居して大御所となってからも政治の実権を握っていたため」と似ています。単に似ているだけかもしれませんし、仮に転記であったところでこの分量ではすぐに著作権云々という問題になるとは思いませんが、しかし、こうした連鎖もたどらねばならないかもしれないという疑心暗鬼を招くことが GFDL の主旨からして望ましいかどうかというと甚だ疑問だと思います。なお、「外部での再利用手段は再利用するウェブサイトが考えればよい」というのは、Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象冒頭とは整合しないのではないでしょうか。--Jms 2008年10月18日 (土) 13:37 (UTC)[返信]
              • ちょっと私の説明不足だったようです。今問題になっているのが著作権法違反、あるいはGFDL違反だとすれば、それが外国語版で作られた記事であっても、あるいは2008年7月13日以前に作られた記事であっても、違反は違反です。とすれば、その後でどれだけ慎重に加筆したとしても、それは加筆部分が違反でないというだけであって、記事全体でみれば違反ということになります。本件がGFDL違反あるいは著作権法違反に相当するのであれば、外国語版からの翻訳転記は、例え日本語版の初版要約欄に必要事項を記載したとしても、大元が違反なのですから、ほとんど全てがGFDL違反あるいは著作権法違反ということになるでしょう。そこまでの合意がなされているとは思えません。「日本語版内での取り扱いに限ってGFDL違反あるいは著作権法違反との解釈が適用される」とする理論的な説明はあるのでしょうか?それと、不足している記載事項があるのだとしても、ノートに追記すればよいのではありませんか?--Freetrashbox 2008年10月18日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
                • そこまでの合意がなされ、またその様に運用されているとわたくしは考えています。「日本語版内での取り扱いに限ってGFDL違反あるいは著作権法違反との解釈が適用される」という主張はなされていないと思います。不足している記載事項があるのだとしてもノートに追記すればよい、というのは、途中の版が公衆送信可能な状態のままでは、難しいのではないでしょうか。--Jms 2008年10月18日 (土) 15:29 (UTC)[返信]
                  • 「途中の版が公衆送信可能な状態のままでは、難しい」というのは、どういう意味でしょう?例えば「世界の一体化の2007-11-21T21:31:51の版を開くことが出来るから」ってことでしょうか?ここを表示した時にでも、すぐ上に「ノート」へのリンクがあるのだから、そこのトップにでも「2007-11-21T21:31:51の版には科学革命(○月△日xx:xxの版)の内容が一部転記されています」とでも書けば十分なのではないでしょうか。要約欄にリンクを書き込むのと、どう異なるのでしょう?--Freetrashbox 2008年10月18日 (土) 15:46 (UTC)[返信]
                    • 「途中の版が公衆送信可能な状態のままでは、難しい」というのは、過去の版が閲覧可能なままであり、その時点までの履歴はそのままなので、結局履歴継承していない文書が存在している、という意味です。そうした過去の版を削除したとしてノートへの補記で対応可能かどうかというのは、今回補記を行うとしてもその補記自身はWikipedia:著作権の対象となり、Wikipedia:著作権ではいわゆる「本文」と「ノート」を別文書として扱っていますから、その意味でも難しいと思います。もちろん本文の要約欄にノートを履歴として指定する手はあるのですが、それよりは本文に履歴を記録する方が良いのではないかという意見があります。このあたりのあるべき姿についてはWikipedia:著作権/履歴の保存に提案されている手法のまとめとしての素案があり、またWikipedia‐ノート:著作権/履歴の保存などで議論されていますが、実施例がない/少ないこともあって合意がなされているとは到底言えない状況です。--Jms 2008年10月18日 (土) 16:14 (UTC)文書誤り訂正--Jms 2008年10月18日 (土) 18:39 (UTC)[返信]
                      • 本文とノートが別文書だとしても、ノートは必ず本文と同時に配布されるのだから、ノートに記述すれば十分でしょう。私が言いたいのは、無理にウィキペディア日本語版のタグである「履歴」の欄を使って履歴を継承しなくても、誰にでも分かる形で履歴が示されていれば、GFDL違反にはならないということです。「本文の要約欄にノートを履歴として指定する」ことも不要でしょう。どうしても「『履歴欄』で繋がなければダメ」という理屈であれば、履歴欄に本文へのリンクを書いても「履歴欄」同士が直接つながっているわけではないのだから、アウトということになるんじゃありませんか?--Freetrashbox 2008年10月18日 (土) 16:49 (UTC)[返信]

--Freetrashbox 2008年10月18日 (土) 23:41 (UTC)[返信]

  • (混乱のない範囲でインデント戻し) 「書いてある」のはおっしゃる通りの部分です。あんまり関係ない、とお考えかもしれませんが、本文に履歴を埋め込めば起こらない問題です。ノート方式とサブページ方式は、本質的に同じ問題をかかえていると考えています。--Jms 2008年10月18日 (土) 23:49 (UTC)[返信]
    • これって、中抜き削除等で履歴そのものが失われてしまう場合にそれを再構築する方法の話じゃありませんか?本件の場合には単に元記事科学革命へのリンクを作るだけでよいのだから、話は比較的簡単です。それに「移動の際にノートは自動的に動かない」というのはあくまで技術的な話であって、移動する人が注意すればよいことです。--Freetrashbox 2008年10月19日 (日) 00:09 (UTC)[返信]
      • 中抜きかどうかとは直接の関係はありません。科学革命へのリンク自体なら、Template:main 経由とはいえ、すでに本文中にあります。「移動する人が注意すればよいこと」ならば、そもそも記事を書く人が注意すればよいことですから…ともなりますね。「あくまで技術的な話」とおっしゃいますが、いかに書き手の不可避な不注意に対して文書を頑強にするか、というのは重要なことでしょう。ノートでもできるかもしれないけれども、本文ならより安全に実現できる、それをあえてノートにする理由を教えてください。--Jms 2008年10月19日 (日) 00:19 (UTC)[返信]
        • いえ、本文でもいいと思いますよ。本件の場合は「作られた内部リンクが履歴継承を目的に作られたものか明示的ではない」というのが焦点の一つになっているので、それをノートにでも本文にでも明示すれば問題はなくなるのではないかということです。--Freetrashbox 2008年10月19日 (日) 00:35 (UTC)[返信]

日本語版の運用と他言語版とは整合性がありませんが、筋論として「本文内のリンクのみで履歴継承可であると解釈できる」という主張に基づいて「たまたまmainタグを使っていたからそれらしく見えるではないか」ということでしかないなら「私の判断では削除だ」と。2008年7月13日付けで改訂されているので、「コピペ記事が氾濫する」というのはその解釈の問題点であって実際今後新規記事においてそうなるという訳ではありませんし、Ks aka 98氏が過去の削除依頼審議に不備があったかもしれないというならまあいいかなと、解釈にブレがなければいいんです。または正直に自分の編集が惜しいと言うならまあいいが、同様の依頼で2008年7月13日以前に作成されたものは同じ解釈で通すのか、復帰依頼があったら復帰させるのか、個人的にはグレーゾーンは放置してきたんですが、「本文内リンクで履歴継承可というのは受入れられん。判断や対応は事例ごとでいいだろうけど判断基準はぶれては駄目だろう。」それだけのことです。で投稿されたものは警告文に同意したと看做されているんで後から「理解していなかった、詐欺だ」と言っても駄目でしょ。johncapistrano 2008年10月18日 (土) 13:46 (UTC)[返信]

Jmsさん、Freetrashboxさん、johncapistranoさん、コメントありがとうございます。Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストだけを参考にしてはいけなかったということですね。以下に当該箇所を引用します。
  • 元の記事と他の記事の記事名が異なります。この点は、いずれにせよGFDLの義務を満たしているので、GFDL上の結論に影響は与えません。
  • 履歴が自動的に保存されません。このため、必ず、当該記事内または編集内容の要約欄に必ずコピー・アンド・ペースト元の記事へのリンクを張ってください。当該記事の履歴(自動的に更新されます)と元の記事の履歴を併せ読むことにより、4条1項2文I号、B号、C号及びJ号の義務を満たしているものとみなします。
このうち、後段については、当該記事内に元記事へのリンクを張れば、4条1項2文I号、B号、C号及びJ号(それが何であるかもつかみきれていませんが)の義務を満たすかのように読んでしまったのですが、それではまずかったことはよくわかりました。ウィキペディアにおいては、「要約欄」と「履歴」とは実質同じものであるということは、イヤというほど自分でも経験しているはずなのに、何故か、そのことが今の今まで身にしみては納得できませんでした。要約という語の一般的な意味に引きずられすぎていて、「要約」は要約、「履歴」は履歴というふうに何か別物のように感じてしまっていました。ウィキペディアの流儀や用語法は難しいですね。初心者のころは、「ノート」と「会話ページ」がまさか同じものだとは思いも寄りませんでしたが、このあたり、ウィキペディアに参加する際には、相当、頭を切り換えなきゃいけないことをあらためて再確認しました。ところで、前段の部分は意味としてはどういう意味なのでしょうか。元の記事と他の記事の記事名が違えば、GFDLの義務を満たしているかのように読めてしまいますが、そう読んではマチガイなんでしょうか。--Greenland4 2008年10月19日 (日) 00:34 (UTC)
用語には確かに困惑させられる部分がありますね。前段は GFDL 4条1項2文A号が満たされているということです。他の条件は別途満たす必要があります。ですので、記事名が違えば、GFDLの義務の一部は満たしていますが、全てを満たしていると考えるのは誤りです。こういう問答は FAQ 的にまとめておいた方がよいかもしれませんね。--Jms 2008年10月19日 (日) 00:42 (UTC)[返信]
Jmsさん、はやばやの御返答、痛み入ります。御教示まことにありがとうございました。そして、今までの礼を失した発言の数々、お許しください。たいへん勉強になりました。なるほど、そういうことでしたか。お笑いになるかもしれませんが、まさか「一部」とは思っていませんでした。今の今まで、すべてを満たすものだと思っていました。本当に難しいですね。行間の読めないわたしのような人間は撤収すべきなのかもしれません。つくづく自分がイヤになります。--Greenland4 2008年10月19日 (日) 01:12 (UTC)(再署名)--Greenland4 2008年10月19日 (日) 01:36 (UTC)[返信]

削除依頼は討論ではないので必ずしも記事作成者の要求に応じる義務はないとは思いますが、会話ページや上記での不満もありますので一応説明します。
今回は行為としては要約(広い意味での転記)ですが、日本語版非公式訳で言うところの文書の結合であるので5条と4条を満たすかどうかです。wikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記に該当します。合意形成の案内がありますが、必須ではありません。ただ、あれば転記の意図ありと看做せます。手順の3.に統合側で手順を怠ると著作権侵害で削除の場合があると強調されています。書式は義務ではないが版指定が推奨されています。これも版指定があれば転記の意図ありと看做せると思います。転記元の「BCIJ各号は本文内か要約欄におけるリンクで代替する」が著作権旧版の要請で、5条の要求は統合元と統合先の履歴を「1章にまとめる」ことですが、履歴統合の場合を除くとメディアウィキの仕様上無理なので著作権旧版でも併せ読むことで代替します。統合先は自動保存で文書上には言及がなく、要約欄でのリンクがあれば何らかの意図があると分かりますが、統合元のリンクを本文内に置いた場合、併せ読むためには書式の定めはないにせよその付近に統合元であることを示す何らか履歴継承の意思表示が必要だと思います。併せ読むことができないために今回の件はそのままではGFDL違反となります。
ページの分割と統合の文書については必須ではないが参照した方が履歴継承不備が起り難いと言えます。Wikipedia:削除依頼/先史ヨーロッパもあるので、理解していなかったとしてもGreenland4氏が目を通す機会はあったことでしょう。johncapistrano 2008年10月19日 (日) 23:15 (UTC)[返信]

Template:mainの有効性とは

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一応、削除依頼本ページでは、存続票を投じています(某所では、管理者失格の烙印を押されているようですが。それはさておき)。今回は、解釈論の問題だと思うんですよ。理想論として、johncapistranoさんの仰るように、MediaWiki:Copyrightwarningの警告は、ウィキペディアに投稿する以上、確認する必要性はありますし、そのために、プレビュー機能も搭載しているわけです。

しかし、大掛かりな記事を手がけると分野に関わらず、記事間の役割分担をせざるをえないのて、否が応でも、Template:main(あるいは、Template:See also)を使う場面は往々にしてあるはずです。今回のケースが規模として最大級の記事の1つなのは、分割論議で60日も要したことから誰も意見の一致するところですが、既に、Xという記事が存在し、Xの記事を包含する形でYという記事を作成する際、Xを全部転記することは誰もすることなく、要約を記述するケースのほうが多いと思います。

ということは、記事の編集の経験が浅い人にとって、Xの部分に関しては、Template:main(あるいは、Template:See also)を利用して、他の記事に詳細の説明を任せつつ、Yの文脈に従う形で、文章を作成していくと思います。これが、GFDL違反だということを焦点に当てるのであれば、今まで、誰も想定していなかったわけですから、当然、MediaWiki:Copyrightwarningに入れておくことが今後は必要だと思います。では、今回の記事のように、要約を入れ忘れていたことから、潜在的にGFDL違反になりかねない案件が次々と削除依頼の俎上にあがったとしたら、ある意味、ぞっとします。

それならば、救済策をどこかで講じる必要があるわけで、翻訳のガイドラインが今年の1月1日から改定されたことと同様に、「ある一定時点までは救済しつつも、MediaWiki:CopyrightwarningにTemplate:mainを利用する際の注意点を明記(内容は今からつめるとして)する」方が、現実的とは思いますがいかがでしょうか?--Tantal 2008年10月18日 (土) 11:59 (UTC)[返信]

細かいことですが、文書としてのWikipedia:翻訳のガイドラインの改訂は昨年行われました。ガイドラインとしてのWikipedia:翻訳のガイドラインは、ガイドラインになったのがやはり昨年末であり、以降改訂と呼べる程の変更はありません。
今からの文書については、Wikipedia:著作権の対象ですので、Template:mainを利用する際の注意は不要だと思います。Wikipedia:著作権に従うならば、転記元情報を (履歴の定義を満足する形で) 要約欄に明示していなければならないので、もし本依頼の様なことが起これば、形式的にWikipedia:著作権に反していることになります。強いて言えば、要約欄でのリンクを推奨するといったWikipedia:著作権の変更は可能でしょう。--Jms 2008年10月18日 (土) 12:20 (UTC)[返信]
◆Tantal氏個人的にどうこうという訳では勿論ないんです(解任依頼を出すつもりも毛頭ありません)ただ筋を通して頂きたいだけのことです。管理者権限をお持ちであれば削除された事例が実際どうであったかも参照できるでしょう。それで筋が通るか否かを正直にご判断して頂きたい。johncapistrano 2008年10月18日 (土) 13:46 (UTC)[返信]
<まとめコメント>
管理者の立場から立った場合、今回の案件は、グレー。特定版削除の必要性も否定しない。Template:main(あるいは、Template:See also)がGFDLの様々な制約を満たすことができるという解釈を満たすことは必ずしもできないため。また、記事の復旧作業に関しては、具体策を提示する必要があるでしょう。Botで記事の再構築は実現可能なのでしょうか?
記事の加筆(執筆)側から立った場合には、場合によっては要約を含む転記に使われる可能性があり、その取り扱いにおいて、Wikipedia:著作権(7月13日以前の文章も含む)において、今回の削除依頼が俎上に上がるまで、その危険性を誰一人として、注意が払われなかったことによる参加者全員のミステイクと判断せざるを得ない。Wikipedia日本語版における著作権の取り扱いがこの点に関して、曖昧だったことが原因であり、この点をもとに、削除依頼を提出された場合の救済策の作成を求める必要があると実感するのは、Jmsさんの2008年10月18日 (土) 12:20 (UTC)における意見に賛成である。[返信]
その救済策は、どうするかが今後の課題と私は考えていますが、皆様はどうお考えなのかを私は知りたいです。
Template:mainの取り扱いは今のままでは、要約欄への記述を満たしていませんが、現在の文章では、字義通り解釈する人がいたとすれば、本文中にリンクで問題ないと考える人もいるでしょうから、改訂する必要があります。
2008年5月以降、私自身が管理者として従事し、微妙なところの削除依頼の対応を行ってきたが、自らの投稿履歴を見直して、グレーのところの判断をどのように票を投じ、対処してきたが以下の通りとなる。結構、グレーの記事を安全側に倒している。


記事の精査その1

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コピーしたのかオリジナルなのかは投稿者本人が申告するのがよいと思いますが、少しだけ調べてみました。

利用者:Greenland4さんによって、記事「世界の一体化」の2007年11月18日 (日) 02:37の版 で、要約欄は「16世紀: 微調整」という既述にて追加された文書(以下に引用する:
  • スペイン王室は、植民者に先住民支配の信託を与えた。
  • 征服者や入植者に対し、その功績や身分に応じて一定数
  • のインディオを割り当て、一定期間使役する権利を与える
  • とともに、彼らを保護してカトリックに改宗させる
  • ことを義務づけた。これがエンコミエンダ制である。
)は、記事「エンコミエンダ制」の初版(2006年12月15日 (金) 14:06)に記載されている以下に引用する文章:
  • スペイン王室が植民者に与えた先住民支配の信託(エンコミエンダ)制度。
  • 征服者や入植者にその功績や身分に応じて一定数
  • のインディオを割り当て、一定期間その労働力として使役する権利を与える
  • と共に、彼らを保護しキリスト教徒に改宗させる
  • ことを義務付けた。
とほぼ同一の構成・言い回しになっている。これは偶然表現が一致したというよりは、コピーして微修正したものだと感じられる。利用者「Greenland4」さんは、2007年8月25日と同年9月21日に記事「エンコミエンダ制」を編集しているが、当該既述の編集者は利用者「220.109.115.115」さんとなっていて利用者「Greenland4」さんが行ったものかは特定できない。同じ既述は、記事「感染症の歴史」の初版(2008年2月17日 (日) 15:27)にもあり(以下に引用):
  • スペイン王室は植民者に先住民支配の信託を与え、
  • 征服者や入植者に対し、その功績や身分に応じて一定数
  • インディオを割り当て、一定期間使役する権利を与える
  • とともに、彼らを保護してカトリックに改宗させる
  • ことを義務づけた。これがエンコミエンダ制である。
となっています。
確認すべきことは次の4点のように考えます。
  1. それ程の分量は無く簡潔に説明した文章なので著作権は生じないと扱うのか?
  2. この文章は「コピーしたもの」とみなされるべきか?オリジナルな加筆なのか?
  3. 「エンコミエンダ制」の初版を投稿した「220.109.115.115」さんは利用者「Greenland4」さんなのか?
  4. 元の記事へのリンクが存在するので「コピー&ペースト」の要件は満足しているか?
1,2に関しては「現代政治用語辞典」の「エンコミエンダ制」の項 [1] ("2006/09/07"との日付あり)は、記事「エンコミエンダ制」の初版(2006年12月15日 (金) 14:06)と最初の1文こそほぼ同じ文章になっていますが、その後は異なる表現になっています。オリジナルに書き下したならばこのくらいは違うのが普通だと思います。
3については、もし同一人物ならば第三者が納得できる証拠を示すことができればよいと思います。
4については「リンクがあればよい/リンクがないから駄目」といった議論には疑問を感じていましたのでコメントを控えますが、「コピーしたもの」であることが全く読み取れない形態でのご利用は禁止する方が合理的に感じます。
別件になりますが、[2]で検索すると[3]があり、記事「エンコミエンダ制」は初版から削除が必要かも知れません(どちらが先に存在するのが確認とれていません)。その場合、記事「エンコミエンダ制」からコピーした記事も巻き添え削除になる可能性があるのでしょうか?
以上、長くなってしまいすみません。Sina 2008年10月19日 (日) 04:30 (UTC)[返信]
  • おひさしぶりです。精査、お疲れ様でした。まずハッキリしているのは、220.109.115.115さんは私ではありません。そのときは私は活動していなかったので。科学革命については今まで言及していませんでしたが、エンコミエンダ制が出てきたついでに申し上げると、両方とも短文で簡潔にして要を得た説明であり、言い換えたところで、そうとしか言えないものだと考えました。そこに著作性が生じるとは正直思っていませんでした。個人的には、このようなレベルまでオリジナル性が求められているとなると、到底、まとまった分量の新規執筆など不可能だと思います。今までの私の編集はすべて削除した方が安全だと思います。--Greenland4 2008年10月19日 (日) 05:33 (UTC)[返信]
  • (追記)読み返してみて、両方一緒くたにするのはよくないと思いました。科学革命に関してはコピペであることは確かであり、そこに著作性は感じていました。エンコミエンダ制の方は、一文だけの定義的文章なので、そこに著作性は感じていませんでした。まあ、今までの私の編集は削除した方が安全なことには変わりありませんが。--Greenland4 2008年10月19日 (日) 06:06 (UTC)[返信]

ところで

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「ウィキペディア (Wikipedia) に文書を投稿する場合はすべて、GNU Free Documentation License (GFDL) (非公式日本語訳)およびそのウィキペディアでの解釈に同意するものとみなされます」という警告文があるわけですが、「一旦は同意したけれども、その同意を撤回する」ということは可能なのでしょうか。撤収するとすれば、「立つ鳥あとを濁さず」ということに思いおよぶのですが。いかがなものでしょう。--Greenland4 2008年10月19日 (日) 06:26 (UTC)[返信]

古い例ですが、同意できなくなったら投稿を停止するしかないかと。ライセンスを訴える訳にもいかないでしょうし、撤回できるようであればライセンスとして成立し得ないと思います。johncapistrano 2008年10月19日 (日) 06:48 (UTC)[返信]

そうですか。残念、後の祭りです。どうやったら、自分が初版を起こしたものを削除できますかね。--Greenland4 2008年10月19日 (日) 06:57 (UTC)[返信]

確実な著作権侵害の指摘がある場合や名誉毀損の虞が大きい場合等でしょうね。johncapistrano 2008年10月19日 (日) 07:03 (UTC)[返信]

重ね重ねありがとうございます。とりあえず自分しか執筆していないものは即時削除のテンプレートを張ろうと思います。お世話になりました。--Greenland4 2008年10月19日 (日) 07:15 (UTC)[返信]

提案

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少し早めに提案しておきます。ここ1週間活発な意見が続いてますが、もうしばらくまって意見が一致しなかったら、然るべき所に場所を移すなりなんなりして、投票をするべきでしょうか?--土佐の平 2008年10月19日 (日) 12:46 (UTC)[返信]

ウィキペディア外で再利用しやすい存続方法

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わたくしについて、他人の言に耳を貸さない結局何をしたいのかがわからないという御意見をいただきました。本削除依頼での議論を通じて、だいたいこれならいけるのではないか、というところが見えてきましたので、前記御意見への回答も兼ね、より安全な存続方法を書いてみます。

考え方としては、

  • Template:main 経由であるにせよ、執筆時にリンクの設置がなされているのであるから、形式上Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象を満足しており、削除にはあたらない。
  • しかし、「詳細は○○を参照」の「○○」が転記元かもしれなず履歴参照が必要と一般に認識させるのには難があり、ウィキペディア外での利用を阻害するおそれがある。
  • 削除にはあたらないものの「すっきりさせる」ために記事再構築という手段はないではないが、同様の問題がすべて洗い出されたかどうかわからないので、すっきりさせるのも難しく、また bot での履歴再構築の経験上、特に確認に必要な労力の観点からあまりお勧めできる手法ではない。
  • 第三者による再利用の際に、転記元の履歴を参照させる様な仕掛けを作っておければ、リンク自体は「詳細は○○を参照」でも問題はない/軽減できると考えられる。

という道筋です。転記元の履歴を参照させる様な仕掛け、というのが、履歴の補遺ではない、ということろに御注意ください。削除にはあたらないのですから、履歴の補遺は必要ありませんし、過去の版を参照できること自体にも問題はありません。リンク先の履歴を読み合わせる、その読み合わせをより確実にさせることが目的です。さてその仕掛けですが、本文への追記を兼ねるならWikipedia:著作権の対象となりますので、Wikipedia:著作権#履歴定義にある「要約欄で履歴として指定されたページがある場合には、そのページを履歴に含みます」を利用できます。具体的には、世界の一体化と、近世における世界の一体化のそれぞれで、要約欄に

科学革命の履歴のうち、 2007年6月19日21:33UTCまでの履歴を履歴として含む

また世界の一体化近世から近代にかけての世界の一体化のそれぞれで、要約欄に

南海泡沫事件の履歴のうち、2006年10月16日14:50UTCまでの履歴を履歴として含む

と書いておけば、履歴に関する注意喚起としては有効ではあり、リスクはずっと下がるのではないかと思います。それぞれ「2007年11月21日12:31UTCの版以降は、」「2007年11月23日14:17のUTCの版以降は、」というのを転記元記事名の前に書いても良いかもしれませんが、履歴の補遺ではない、という立場から敢えて含めませんでした。要約欄に何か記録するためには本文の編集が必要ですが、削除依頼タグを外す時か、Template:main を subst 展開するといった作業のついでに要約欄に上記を記入しておけば良いのではないかと思います。これは、2008年7月13日までの文書で、リンクはあるけれども転記かどうかはっきり述べていない文書に一般的に適用できる手法ではないかと思います。この提案が「Wikipedia:投稿ブロック依頼/JmsおよびIwai.masaharuで指摘された「自分たちがほぼ2名だけで検討しているような手法を使えと迫るばかり」ととられないと良いのですが…。--Jms 2008年10月19日 (日) 19:02 (UTC)[返信]

ええと、理屈としては、履歴は既に継承されているはずで、継承されているなら、安全もなにもないです。あわせ読むことを確実にするというよりは、「含まれる履歴を限定するための補足」を書くという形になると捉えるべきでしょう。
場所としては、要約欄である必要はないのですから、ノートの最上部あたりか、記事にコメントアウトで入れるなどのほうがわかりやすし編集も容易だという意見もあるかと思います。--Ks aka 98 2008年10月19日 (日) 19:34 (UTC)[返信]
安全というのは、当該文書をウィキペディア外で GFDL に従い再配布・再利用しようとする際に、含めるべき履歴としてより気づきやすくする、という意味です。その分補足し、また節名を変更しました。ウィキペディア外での利用を考慮しないなら、この対応は不要です。要約欄経由で履歴ページに表示されることを意図しているのは、ウィキペディア外での GFDL に従う再配布・再利用の際には必ず履歴を参照するだろうという仮定にもとづくものです。わたくしは、自分がウィキペディア外で再利用するとすれば、履歴ページに表示されるのが機械的処理も可能であることもあって好ましいと考えていますが、他の方法との比較ないし併用は議論の余地のあるところかと思います。その意味で、要約欄に固執するものではありません。--Jms 2008年10月19日 (日) 22:25 (UTC)[返信]

もし、mainを使ったリンクを履歴に含めることができるならば、ある記事の履歴は、「著作権の方針で含めうる履歴すべてのうち必要なもの」で、これは著作権の方針とリンクなどからすべて提供されています。外部の利用者は、それを全部保存するのが、いちばん確実でしょう。機械的な対処も可能です。しかし、それではあまりに膨大になる、労力がかかるという場合、どれを含めどれを含めないかという判断をする際に、できるだけ「必要なもの」を指摘して限定させるというのが、ノートでの注記ということになります。なお、ウィキペディアにはWikipedia:免責事項がありますから、再配布再利用する場合の履歴の欠損については、もとより利用する側に求められていますし、GFDL9項もあります。なお、著作権の旧方針を素直に読んで、「「詳細は○○を参照」の「○○」が転記元かもしれなず履歴参照が必要と一般に認識させるのには難がある」ということなら、mainを使ったリンクは履歴に含めるべきではないです。一般に「詳細は○○を参照」の「○○」が転記元かもしれないと認識するが、その扱いが煩雑なので、注記をつけるということです。--Ks aka 98 2008年10月20日 (月) 02:24 (UTC)[返信]

自説に固執しているといわれかねないので、どう反応したものか困っていますが…。本削除依頼は形式上 Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象に反していませんから存続させるとして、そうなると、Template:main によろうがよるまいが、リンク先は履歴継承対象かもしれないという事になると思います。ということは、外部で利用する際にはリンク先から「著作権の方針で含めうる履歴すべてのうち必要なもの」の、必要なものだけフィルタリングする必要があります (転記のないリンク先まで履歴に含めるのは合理性を欠く) から、一つひとつ内容を検証して必要かどうか判断せねばならず、(程度問題かもしれませんが) 機械的にはできません。記事内のリンクの数を考えると、労力として現実的ではないと思います。確認するのは利用する側の義務だというのは確かですし、自由のために相応の手間をかけるのは当然なのですが、リンク先を全部調べる手間を要求することは、現実問題として、Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象冒頭にある「ウィキペディアの目標は自由に利用可能な百科事典形式の情報源を作成することです」と整合しないのではないか、さすがに目標からは外れてしまうのではないかと感じています (それでも調べさえすればわかるのですから、許諾が得られない場合に比べればずっと自由なのは確かですが)。その意味で、履歴には明示されていないけれど履歴継承が「必要なもの」についての注釈ないし追記をしておくことで、リンク先全てを調べなければならないわけではないということを示しておく方がよいと思います。
著作権の旧方針を (わたくしなりに) 素直に読むと本文内リンクでの履歴継承として想定されているのはそのリンク先から転記されていることが明らかな場合 (よくノートにある「記事○○には××と書かれている」の類など) に限る (そう解釈しないとリンク先全てが履歴継承対象になってしまい不合理) と思うので、Ks aka 98 さんのロジックに従えば Template:main によるリンクは「履歴に含めるべきではない」となりますが、形式上は問題がなく削除する根拠がないのですから、Template:main によるリンクは履歴に含めないと主張するのにも同様に根拠がないと思います。
わたくしには「詳細は○○を参照」の「○○」が転記元かもしれないというのは一般的な前提とできるとは思えない (そういう解釈が成り立つことすら思い至りませんでした) ので、たとえば、Template:main の説明文に「参照先からの転記を含むことがある」旨注意喚起を書いておくという手はあるかもしれません。--Jms 2008年10月20日 (月) 11:05 (UTC)[返信]

Jmsさんは、「著作権の旧方針を (わたくしなりに) 素直に読むと本文内リンクでの履歴継承として想定されているのはそのリンク先から転記されていることが明らかな場合 (よくノートにある「記事○○には××と書かれている」の類など) に限る (そう解釈しないとリンク先全てが履歴継承対象になってしまい不合理) と思う」のですね。

難しい解釈をするのですね。それはルールを決める人の感覚ではないですか? 執筆するときに、

履歴が自動的に保存されません。このため、必ず、当該記事内または編集内容の要約欄に必ずコピー・アンド・ペースト元の記事へのリンクを張ってください。当該記事の履歴(自動的に更新されます)と元の記事の履歴を併せ読むことにより、4条1項2文I号、B号、C号及びJ号の義務を満たしているものとみなします。Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象

というのを読むなら、著作権の方針は、要約欄、リンクの周辺部などで、履歴であることを明示することを求めていませんし、「ほげほげ」からの転記をする際に、mainテンプレを使えば、「ほげほげ」からの転記であると捉えられるだろう、当該記事内にリンクを張れば、履歴は継承されると思うのは不合理ですか? そして、「そう解釈しないとリンク先全てが履歴継承対象になってしまい不合理」と考えることができるのが当然なのですね?

Jmsさんには「詳細は○○を参照」の「○○」が転記元かもしれないというのは一般的な前提とできるとは思えないのですね。旧方針を読んで転記元かもしれないと思えない記事の履歴を、どうしてあわせ読む事ができるのですか? あわせ読めないのなら、履歴は継承できるとは言えないでしょう? 

外部利用の便を考えて、できるだけ履歴を限定させたいという考えは理解できますし、共有します。しかし、それを前提としている読解を、初めての編集かもしれない人に確認してもらっている文書の読解に当てはめることは適切ではないです。違いますか? 誰もが、Jmsさんと同等の知識を持ち、Jmsさんのように考え、Jmsさんのように振舞うわけではないということを、もう少し、考えていただけますか? 方針やプロジェクトなどでの議論を見ていると(当事者として、第三者として)、自分と同じように考え、同じように振舞う人を前提として(言葉は悪いですが)コントロールしようとしているように見えます。どれほど精緻なルールを作ったところで、それに従う投稿者がいなければ、百科事典は発展しないのです。

こういう人はどうするだろうとか、こういうことでなら納得してもらえるかとか、そういう、読み手の多様性を考えられないのなら、あるいは、自分の考えと一般的な考え、自分と異なるある傾向を持つ考えなどを想像し相対化できないなら、方針などの議論に参加するのは慎むようお願いします。どういう方向で進めたいか、という、ひとつの意見は、もちろん個人の考えや思いが大事ですけれど、それをコミュニティに適用させるためには、それだけではだめなんです。それぞれに立場から意見を言えばいい、自分を納得させろ納得すれば受け入れるから、と考えるかもしれないですが、そんな議論に参加する暇があったら、記事を書くという人たちもいるし、あなたが納得するかどうかということは、ウィキペディア全体から見れば、些細なことでもある。記事を書こうという人たちが、ストレスなく執筆できて、それでも、法律のことや、外部への配慮から、ここまではなんとかしてほしいというところはお願いしたり、説明したり、あるいはガイドラインなどの仕組みでうまくまわるようにするアイディアを形にしていく。記事を書かない人は、そういうところを担うことで、共同作業に貢献しているという自負を得ることができるのです。

ノートやウィキペディア名前空間とそのノートでの活動、方針類の整備は、執筆同様、重要な作業ですし、そうしたところで主に活動していただけるのは、ウィキペディアにとって益となることです。しかし、質も量も世界最大級のフリーな百科事典の記事を執筆するというのが、本来ならば一線級の研究者が書くべき、とてつもなく難しいことであると同様に、法や外部、執筆者の間で動いていくということも、とてつもなく難しいことです。平凡社や小学館で、百科事典の編集部で仕事をすることは、単にどこかの教授職に収まるのと比べて、どっちが難しいやら。リアルな百科事典の編集経験はありますか? どのような状況でもいいのですが、生涯教育などの現場に立ち会ったことはありますか? 社会人として働きながら何かを研究しようという強い意志を持ち、覚悟を決めて学びの時間と費用を確保した人たちが、ひとまずは体裁を守って論文を書き上げるために、どれだけのことを調べ、学んでいるか、ご存知ですか? 著作権の裁判の判例を読んで、どのような事例では侵害が認められ、どのような事例では認められないという判断がくだされたかということを、その実際の著作物を見て確認し、そこに引かれている条文や過去の判例を読み漁った事がありますか? そういう経験をこなしているならともかく、ぼくらも素人として、作業をしているのですから、執筆者からの信頼なしには、何もできなくなってしまいます。

本件での履歴の扱いについては、まだ議論しなければならないこともあるでしょう。逆に、他にもいろいろ考えてほしいと思っていることもあります。そこで、それらを棚に上げて、ひとつ提案です(無理にとはいいません)。一本、まとまった記事を書いてみませんか? ウィキペディアの各種方針を守った、そうですね、10~20k程度の記事。評価される記事を書くということは、執筆者からの評価を得る近道ですし、それだけでなく、その項目を扱う様々な分野があることを知り、検証可能性を満たし独自研究にならず中立的に書くことの大変さ、分割や統合や記述の一部移動などを含む関連する項目や他言語版との関係の作り方などを把握する経験であり、自らの百科事典像を象徴的に示すものともなるでしょう。その経験、実績を踏まえて、記事名前空間以外の活動に生かしてみてほしいなと思います。--Ks aka 98 2008年10月20日 (月) 18:52 (UTC)[返信]

LGPL がまだないころから GPL に接しているので、GFDL については素直な見方ができていないかもしれませんし、結果として規則を作る側に近い視線になっているかもしれませんが、GPL 登場以前の著作権 (という表現はあまり適切ではありませんが) との整合性から GFDL を基本的には「改変再利用を積極的に認めた引用の特殊形態で、主従関係を問題としない契約」だと考えています。引用をモデルとしたこの考え方だと、履歴継承であるリンクに単純参照とは違う何かを期待することになるので、前述の解釈になるかと思います。そのモデルも捨ててしまえば、つまり著作権について何も考えていないナイーヴな状態を想像するなら、当該部分を「リンクでもよいけれど、太字にしてあるくらいだから要約欄を使う方がよいのだろう」と解釈するだろうと思います。
「詳細は○○を参照」というのをみた際に、今回の議論で指摘されるまで「くわしくは○○を見ろ」という意味にしかとりませんでした。上記のナイーヴな状態を想像するに、やはり転記を意味するとは思わないでしょう。転記を意味するかもしれない、というのは、そこからどれくらい想像力があるかという問題ですが、すくなくともわたくしは思い付きませんでした。そういうとらえかたもある、というのはわかりました。
他人の行動様式についてもっと多様に考えるべき、という御指摘はその通りだと思います。いろいろな考え方の人がいるということは理解していますが、合理性を優先するきらいはあります。もっとこころせねばと思いました。御指摘ありがとうございます。コントロールしようとしているように見えます、という御指摘について、今回の件に関してその意図はありませんでしたが (コントロールする手間をかけるくらいなら自分で削除依頼すればよい)、相手は合理的に考え、振る舞うだろうと予期してしまっていたので、そう見られてもしかたない部分があるとおもいます。その意味で Greenland4 さんは混乱なさったでしょうし、今さらながら大変申し訳ないことをしてしまったと思っています (と、書くとまた追い込むことになってしまうのか…)。
(逸脱) 翻訳のガイドラインと、Wikipedia:著作権の改訂にかかわったのは、翻訳記事を書いていて書きにくかったからです。どう書きにくかったかというと、主要著者五名以上の選定が実に悩ましかったのと、既存翻訳記事に元記事での追加部分を翻訳追記しようにも既存記事の履歴継承があやしく、せっかく追記しても削除になりかねないという状況が結構あったからです。翻訳のガイドラインがガイドラインになり、それへの Wikipedia:著作権側の対応も済み、以前よりは (窮屈かもしれませんが) 安心して執筆できる状況にはなったので、一段落と考えています。
(以下大きく逸脱) 通常記事の執筆のすすめ、ありがとうございます。書いてみたいと思っている項目と、書かれるべきだが書かれていない記事とをひとつずつずっと心に抱いています。前者は他言語版には記事があるもののスタブに近い状態なので、オリジナルで書くのに適しているのですが、出版されている資料がわたくしの知る範囲で同一の著者による二冊の英語書籍 (著者自身一方は他方の改訂に近いとのべています) しかなく、そうなると検証可能性を満たした記事はその書籍の単なる要約になってしまうので、どうしたものかと考えあぐねてそこで止まっています。後者に関しては、資料は (日本語ではありませんが) 十分あるのですが、他言語版にもそれなりの記事があり、そのうち翻訳と思ってそのままになっています。御提案の意図は一から執筆ということでしょうから、後者を翻訳で書いたのではあてはまりません。他になにができるか、考えてみようと思います。わたくしに関するブロック依頼で Nekosuki600 さんが自主ブレイクを勧めていますが、ブロック依頼が出てからの自主ブレイク宣言というのもなんともみっともなく、ブレイク自体には (中途半端になる案件が気になるものの) 積極的ですがさすがに宣言する気にはなれません。そのかわりといっては何ですが、その分記事執筆に時間を使うというのが適当だろうと思います。その意味でも、貴重な示唆、ありがとうございました。--Jms 2008年10月20日 (月) 21:17 (UTC)[返信]