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Wikipedia:コメント依頼/風船

利用者:風船会話 / 投稿記録さんのウィキペディアへの参加姿勢について、コメントを依頼します。--白駒 2009年2月6日 (金) 11:40 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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被依頼者は数学に興味があるようですが、基本的な知識や対話能力が不十分であり、質の低い編集を行い不毛な議論を引き起こしています。また、ウィキペディアを「自分の考えを世に広める」ためのツールだと見なし、そのためには編集合戦も辞さない旨の発言を行ったこともあります。具体的な経緯を以下に述べます。

  • 昨年10月頃より、0の0乗に関して質の低い編集を行う(例1例2例3)。内容は、記事全体の構成を無視した、記述する必要性が不明な独自研究。
  • 記事への書き込みが修正されると、ノートで意見を述べる。それ自体は真っ当な態度であるため、依頼者は、一度は落としどころを探り(ノート:0の0乗の過去ログ利用者‐会話:風船)、この編集によって、被依頼者にも納得して頂く。
  • 数ヶ月後、被依頼者は再びノート:0の0乗で、独自の見解を記事に反映させるように要求する。その主張がMakotoy さんや依頼者に退けられると、本音と称してこのように編集合戦や目的外利用を示唆した内容を書き込む。以下、依頼者が特に問題と考える部分を引用する。
それがうまく行かない場合の代替案としては、ある程度実力で書き換えを行い、結果として編集が禁止されるのを待ちます。その時の表現としては、「ノートで合意を形成してから編集禁止を解除」などの表現が使われますので、改めて話し合いを求めます。でもそれは、やはり形ばかりになるでしょうから、それはノートへの誘導が行われていると好意的に解釈し、本文では扱えない部分を記述しようと思います。私の認識に誤りがなければ、著作権侵害や名誉毀損などがなければ、ノートまで編集禁止にはならないでしょうから、独自研究の範囲になるものまで論理展開が可能になります。本文を変えるには、標準を変えることが必要ですから、その目的に沿った行動と認識しています。ここだけでは不十分ですけどね。
(依頼者註)「標準を変える」は「0の0乗が 1 であることを世間に広める」の意、「ここ」は「ウィキペディア」の意と思われる。
依頼者の批判ののち、当該部分には打ち消し線が引かれたが、自身の発言の通りにこれが本音であって、その考えに基づいての行動が懸念される。
  • その後、和太郎さんとの対話を経て、0の0乗以外の記事の編集を始める。その中で、明らかに誤った知識による改悪と思われる編集を依頼者が差し戻すと、依頼者の会話ページにて的外れな主張を行う。

問題点

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数学的な無理解
被依頼者は、記事0の0乗が「0の0乗 は 0 になる」ことを「証明」していると思い込んでいたり(この発言の「存在しない関数を使って証明することすら『標準』なのでしょうが」のくだり)、「0の0乗は 1 になる」ことが「証明」できる可能性があると主張したり(この発言)、根本的なところで甚だしい勘違いをしています。無理解を露呈している書き込みは多数ありますが(例1例2)、御自分の無理解を自覚できない方のようです。発言には一部正しいことも含まれていますので数学畑でない方には分かりにくいかもしれませんが、中途半端な知識ほど始末に負えないものはありません。
方針の無理解への懸念
上に示しましたように、ウィキペディアを「百科事典を編纂する場」ではなく「自分の考えを広めるための場」と考えている節、場合によっては編集合戦もやむなしと考えている節が見られます。
対話の困難
まず、被依頼者は自分の考えを数学的に正しく表現する能力が不十分で()、何を主張しているのか読み取るのが困難です。また、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんを案内したにもかかわらず、その直後の編集で「要望に答える」と言って長々と独自研究を書き連ねるなど、数学以外の部分でも対話を成り立たせるのが困難です。しかし「対話しないなら記事から手を引くように」(この発言)と言われるので、放置することもできません。

以上により、被依頼者が数学記事に関わるのは、記事の質の向上に資さないどころか、足を引っ張っていると見なさざるを得ません。被依頼者にウィキペディアへの参加姿勢を見直して頂くため、皆様のコメントをお願い致したく存じます。

参考リンク

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被依頼者のコメント

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被依頼者は、コメントがありましたらこちらにお願いします。

これは確かに、あまり良くない文章ですね。ですが、目的が「改めて話し合いを求めます」から逸脱していた訳ではありません。また、話し合いすら負担のようですので、それを消極的同意とは受け取らず、自分なりの意見を述べた上で、後はお任せすべきかなと考えています。今回もそう対処しました。 次のような認識も示しています。

「本文を変えるには、標準を変えることが必要ですから」

これを独自研究を載せて世間に広めることと受け取られていますが、それはこの文と矛盾します。 「標準とされる文章を変える」ではなく、「数学の標準を変える」ためには、単なる知識は何の効果もありません。必要なのは証明です。 見込みは少ないですが、気長に待つつもりです。

問題にされた文章のきっかけとなったのは、この文です。

「話がかみ合っていないし、これからかみ合う見込みもないということです。」

これは、編集はさせないし、その理由説明さえ行わないという宣言と受け取りました。 つまり個人的に実質的な退去を管理者の権限で行うということです。 現状の認識は受け入れるとしても、将来まで決め付けるのはどうかと思います。 もちろん、その後の文章が正当化される訳ではないので取り消させていただきましたが。

ところで、意味のある修正がなされた例も上げておきます。数学的知識や文章力について、自分を過大評価していませんから、このような指摘を行い、修正してもらいました。でも本来は編集者であるべきなので、編集した上で誤りがあれば訂正してもらうのがスジであろうと考え、現在は行動しています。理解できない部分は手を付けないよう注意はしていますが、それでもミスは起こるようですね。

今回の件に関して言うならば、絶対値が一般の環ではなく「数」に限定されているのを見落としていたのが原因ですので、悪いのは私の方ですが、だとしても、「数」なら3. は満たされます、と回答すれば良いだけではないですか?冗長なやりとりはしていないと思います。勘違いさえ「的外れな主張」と言われると、少し厳しすぎるなと感じます。私の編集内容について「中学生相手にだけ通用する」と評されていますが、絶対値は中学生も使うので、まさしく中学生にも分かりやすい文章をと考えて編集しています。それが百科事典として用を成さないような編集ならば本末転倒ですので、注意はしております。

数学的な無理解
「0の0乗 は 0 になる」は「関数 0xx → +0 に対する極限をとるならば 0 となる」のことだと思われます。これは現在でも証明なしに使われています。ここでの議論が長く続いたのは、数学的な証明が提示されなかったからです。指数法則が成り立つならば…という問いかけに、00 で成り立たない理由を説明しない。関数 0x についても、正の実数で 0 と定義する理由を説明しない。それで、信じるか信じないかの水掛け論になってしまったようです。私が理解できるかどうかに関わらず証明が与えられれば、話は終わったのですが、今から考えれば、それは過ぎた要求だったのでしょう。
方針の無理解への懸念
独自研究にならないよう注意しています。編集合戦も、それで目的が達成されることはなさそうですので、考えていません。むしろ話し合いの邪魔になります。もちろん、憂さ晴らしなど、下らない理由に興味はありません。(考えることで発散させることはありますが…)
対話の困難
「対話しないなら記事から手を引くように」が負担になっているようですので、撤回させていだだきます。今後は同意されないなら私の方が手を引く、という方針が良さそうですね。

--風船 2009年2月7日 (土) 12:14 (UTC)[返信]

コメント

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コメントはこちらにお願いします。

  • (コメント)0の0乗のノートなどで一部風船さんの説得に関わった者として依頼主旨の補足コメントをさせていただきます。披依頼者の主張のほとんどの部分は数学の文献に見いだすことができないものであり、残ったわずかな部分も主題の本質からは離れた、いわば方便に属する言い回しに拘泥しています。結果として風船さんが提案する加筆は、記述の文脈を無視したり曲解したりして学問的に意義のない(だれもそんなことは研究しないし教科書にも書かない)ようなものになってしまっています。どちらかと言えばこれらは記事の文章の前提として仮定されている予備知識を持たず、何が説明されているのかよくわからない人が発するナイーブな質問に対する答のようなものであり、ウィキペディアにそぐわない性質の事柄です。このような、学問的意義の問題と、証明できるか反証できるかという正誤の問題を混同し続けていることからノートでの対話に非常な困難がうまれています。ノート:0の0乗での数少ない僕のコメントは数学の専門知識がない方でも理解できるのではないかと思うのですが、結局のところそういった専門的技巧以前のレベルでも会話がかみ合いませんでした。依頼主旨およびこのコメントで挙げられた問題について、これまで対話・説得に携わってきた利用者たちの声は十分に届いていないようです。そのため、より多くの方からの働きかけをいただきたいと存じます。--Makotoy 2009年2月7日 (土) 02:50 (UTC)[返信]

中間まとめ

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被依頼者のコメントを読みましたが、3つの問題点が解消されず、特に問題の根源である第1の問題点が強調されたという印象です。第三者向けにひとつだけ指摘しておきますと、被依頼者は「どんな命題でも証明または反証できるはず」と思い込んでいるようでして、何度指摘してもお分かり頂けません。さて、次の2点を確認したいと考えています。

  • 被依頼者に問題があるということをコミュニティに認めて頂くこと。
  • 被依頼者自身には、問題点を自覚して頂くことが望ましいですが、最低限、問題があるとコミュニティに見られている、という点を自覚して頂くこと。

具体的には、被依頼者に以下の2点を守って頂くことに同意を求めます。

  • 数学記事では、大幅な編集を行わない。
  • 内容に疑問があれば、極力ノートページに書いて頂く。仮に反応がなくとも、それ以上ノートで持論を展開したり、記事を編集したりはしない。

被依頼者は、数学分野以外では活躍できる力をお持ちかもしれませんから、是非そういう場を探して頂きたいと考えています。もし同意を頂けずに今後状況が悪化すれば、次の段階に進むことも検討しなければならないでしょう。--白駒 2009年2月15日 (日) 07:30 (UTC)[返信]

まず、言いがかりは止めてもらえませんか?証明も反証もできない命題は存在します。その場合、「できない」ということも証明となります。「数学的な証明が提示されなかった」という文章を利用して書かれているのでしょうが、そこまで無知ではありません。
また、「今後状況が悪化すれば」という表現は適切ではありません。今までの出来事を基にして検討すべきであり、依頼者の発言に誘導されないように、悪化の傾向があるかどうかは各人が判断しコメントしてください。もし予想以上に悪化した場合は、どちらにしろ改めて検討が必要となります。
依頼者の目的が2点を守らせることなのは分かりました。多分大幅な編集とは、何文字修正したかではなく、文字間違いなどの細部の編集に限定するという意味でしょう。私は先のコメントで、「編集合戦にならないように、編集を取り消されてもノートページでの説明以外の行動はしない」とルールを決め、それを表明しました。ノートページへの記述だけでは、逆に参加者を限定し「何を主張しているのか読み取るのが困難」な状況を悪化させるだけではないですか?
--風船 2009年2月16日 (月) 03:58 (UTC)[返信]

コメントをどうも。「言いがかり」とのことですが、被依頼者は「証明」を万能の魔法の杖とでも考えておられるのではないか、という印象は変わりません。一般にはこう定義される、ということに対して数学的に「証明」が必要、と言われても何を求められているのか私にはさっぱり分からないのです。そこを掘り下げる気力はもはやなく、意義も見出せません。 数学的な証明ではなく、出典のことをおっしゃっているのでしたら、それはすでに示しましたし、議論が始まる前から記事に書かれてもいます。

各人が判断すべき、というのはおっしゃる通りでしょうが、これまでの経緯から、被依頼者が数学記事に深く関わろうとする限り、状況が悪化することは間違いないと私は考えています。

ノートページへの記述だけでは状況が悪化する、という主張はよく分かりません。被依頼者にとっては不満があろうことは承知の上ですが、ウィキペディアにとっての利益を第一に考えた上で、最大限の譲歩を交えた提案です。記事の内容を見当違いの方向へ持っていく方、対話の出来ない方に参加をご遠慮頂くのは、数学分野に限らず致し方のないことでしょう。--白駒 2009年2月17日 (火) 11:18 (UTC)[返信]

「一般にはこう定義される」は、証明できない「定義」の部分と、「定義」から論理的な考えで導いた「定理」の部分があると思います。「定義」については出典を明記すれば良いし、「定理」については「証明」を示せば済む問題です。「0の0乗が0」を例に出せば、そう扱っている資料が提示されれば済む話でした。ところが「初版からある」だし、「(出典とされた)英語版にもない」への反論もない。これでは根拠のない話となり、「一般的な常識」を使った「証明」を求めるしか、結論が常識かどうかの判定は不可能となります。結論あり気で捏造された独自研究ではないか、という懸念も残ります。「0の0乗は未定義」が常識であることは認めるにしても、それを説明する過程も百科事典である限り「常識」でなければならず、過程が正しいことは「証明」という形で示されることが一番分かり易いと考えました。ですが、繰り返しになりますが出典があるなら出典でも構わないのです。
「ノートページへの記述だけでは状況が悪化する」は言い過ぎました。管理者側にとっては、私の意見が反映されないことは何ら悪化ではないのでしょうから、悪化するのは私とその他の人の関係だけです。ところで、「記事の内容を見当違いの方向へ持っていく」をもっと詳しく説明してください。「絶対値」では、曖昧で誤解しかねない表現を削除しました。現在では、誤解されない表現に変わっています。私の編集が知識不足でやや至らない編集であったことは認めますが、見当違いではなかったと思います。「絶対値」が「通常用いられる距離」であることに異論はないですが、それを前提に記述すべきではありません。「絶対値は距離である」と「絶対値は通常用いられる距離である」から「0 からの距離は絶対値である」は得られません。常識と常識をくっ付けて、ほとんどの場合に正しいからと記述するのは、それこそ独自研究ではありませんか?--風船 2009年2月19日 (木) 03:59 (UTC)[返信]
あまりの迷走ぶりに少々途方に暮れているところですが、とりあえず、私は管理者としてではなく、いちユーザとして被依頼者に接してきた、ということと、記事は個人の意見を反映させる場所ではない、という2点だけはっきりさせておきたいと思います。--白駒 2009年2月19日 (木) 11:24 (UTC)[返信]
◆気を取り直してもうひとつだけ。誰がいつ「英語版が出典」と言いましたか? こういう思い込みが積み重なって話が通じないのですが、それを自覚して頂けませんか。--白駒 2009年2月19日 (木) 11:48 (UTC)[返信]
「一般にはこう定義される」には「定理」の部分はまったく存在しません、ナンセンスな主張です。それから、「現在では、誤解されない表現に変わっています」については真っ向から否定します。私はもともとの文章から内容を変えてはいません(「距離が絶対値を決める」というのは書かれていた文章と因果関係が完全に逆であり、そもそも「通常の距離」になど言及されてはいませんでした)し、風船氏の意見は完全に見当違いであると断定します。見当違いに見当違いを重ねる風船氏の参加は、ウィキペディアに不利益しかもたらしませんし、ノートページに記述を限定してすら迷惑ですので、ご遠慮願います。風船氏の行動は善意に取れば取るほどにタチが悪く、既にLTA:DYLANと同等レベルの迷惑行為となっていると考えます。--2009年2月20日 (金) 03:34 (UTC)

「管理者側」などと安易に使ってしまったようですね。では「コミュニティ側」と言い換えても構いません。正しい記事内容を維持しようとしている人たちです。「記事は個人の意見を反映させる場所ではない」は理解しているつもりです。ですから先月行った内容は、参考文献として示された内容の分かりやすい部分を追加しては、という提案をしたまでです。もちろん「分かりやすい」は個人の主観になりますが、それを主張し合意を得ようとすることは禁止事項ではないと思います。

ノートに「英語版では…に記述があります」と書かれており、「根拠を示してください」にも別の出典を示さず、「英語版にもない」にもそれは出典ではないなどの反論が示されないことにより、全体としてそう判断しました。繰り返しますが、「0の0乗は未定義」とする理由として「0の0乗は0だから」という考えがあるなら、その出典を示すだけで長々とした議論は不要だったのです。今考えると「根拠」でなく「出典を示してください」と聞くべきだったでしょうが、ここではどちらも同じ意味のはずです。

元の記述の「絶対値とは…その数が 0 からどれだけ離れているかを表す」が「絶対値とはその数の 0 からの距離を表す」、「絶対値とはその数の 0 からの距離を求めたものである」と誤解される恐れがないとは思えません。つまり、逆の因果関係を完全には否定しきれていないと判断しました。「AはBを表す」は「A」という記号は「B」という意味と同じことを示しています(例:信号の赤は止まれを表す)。「A」であれば「B」が導かれるという関係ではないと思っているので、「B」という意味は「A」という記号を使って良いことになります。「A」⇔「B」が言える場合に限って使った方が誤解を受けないのでないでしょうか。--風船 2009年2月21日 (土) 08:13 (UTC)[返信]

結局、私の提案に同意は頂けない、ということなのでしょうね。残念です。被依頼者の思い違いについて、これ以上指摘する気にはなれません。真意が届かずに曲解されるばかりだからです。これは対話拒否ではありません。第三者の(数学屋ではなくとも)普通に言葉が通じる方に何か疑問点があれば、それに逐一お答えする用意はあります。むしろ被依頼者の方が、人の説明を聞かず(もしくは理解できず)に内容のない議論を展開するということでは、単に無視を決め込む方よりもある意味で悪質であると言えるでしょう。本依頼の目的のひとつの
  • 被依頼者に問題があるということをコミュニティに認めて頂くこと
は十分に果たされたと考えます。--白駒 2009年2月21日 (土) 23:40 (UTC)[返信]

「内容に疑問があれば、極力ノートページに書いて頂く。」について、とりあえず「今年は」同意しましょう。来年以降も、必要と思われるなら延長を指示してもらって構いません。「大幅な編集を行わない。」は約束できませんが、アドバイスがあれば尊重し、極力問題ない方向で考えます。--風船 2009年2月23日 (月) 17:12 (UTC)[返信]

編集再開のお知らせ

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ノートへの記載では反応がなく、中間まとめで守るように書かれた手順では編集が不可能でしたので、それに対する同意を撤回した上で記事の編集を再開します。 再開するにあたり、このコメント依頼への見解と今後の方針を以下に示します。

数学的な無理解

私の知識あるいは能力について、主観的な評価が行われているとは思いますが、無駄な反論はしません。 ここは、誰もが編集に参加できる百科事典であり、学力を基準とする制限は、数学限定であっても必要性がないのは明らかです。

方針の無理解

今でも「標準を変えること」は私の目的の一つですが、私は「編集内容」に対する方針は順守しますし、編集合戦などを行うつもりはありません。 私の目的を根拠に制限を加えるならば、それは思想に基づく差別となります。 それに、数学的な間違いを減らし、大多数が正しいと思える知識を広めるという私の目的は、他の人とそれほど違わないでしょう。

対話の困難

これは単に、正しいと感じる内容が違うからです。また、私の知識も不十分でした。 知識の不足が原因ですから、準備した上で話し合えば解決できます。 ただし、己が間違ってる可能性を考えない参加者がいると困難かもしれません。

今後の方針は次の通りです。

  • 独自研究は載せない。
  • 編集合戦はしない。
  • 意見の相違はノートで話し合いを行う。

これらは必ず守ります。 でも「話がかみ合わない」とか「対話が困難」というのは、ここでのブロック対象となる理由には含まれていないし、 それで「不毛な議論」だと決めつけて話もせず一方的に実質的な編集権を取り上げるつもりなら、それこそ「合意形成を目指す」という方針に反した行動です。 今後は

  1. ノートに編集内容の概要と理由を記述する。
  2. 書き込みに反応がなければ、記事の修正を行う。

という手順で行います。 話し合いを拒否したまま、編集内容を削除するようなことがないように期待します。風船会話2014年6月2日 (月) 09:52 (UTC)[返信]