ノート:0の0乗
この記事は2021年1月19日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
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新規作成さんに荒らしを止めて頂くようお願い致します。
[編集]新規作成さん 0^0が定義されない時に、x^0が定義なしで1となり得ない事はお判り頂けると思います。 以前にこの事についてここで論議し、合意が形成されましたが、貴方がうっかり同じ間違いをなさったので訂正致しました。 結果、荒らしが来て不毛な編集合戦となりました。私には対処し切れないので、元の記事を書かれた貴方に対処をお願い申し上げます。 宜しくお願い致します。--Suzuki 999(会話) 2016年2月24日 (水) 03:06 (UTC)
- 1文目,0^0に関係なくそうでしょう.2文目,前半,合意ってなんの合意ですか,後半,どこを間違ったのか分かりません.3文目,(昨日からこの記事に関わっている106.133と106.132はすべてあなたということであれば)まずはご自身も荒らしであることをご理解ください.私には対処しようがないしする必要も感じません.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年2月24日 (水) 10:06 (UTC)
>ただし、Σn
k = 0 ak xk を a0 + a1x + … + anxn の略記であると定義するか、あるいは(この場合には実質的には同じことであるが)x0 を 1 の別表記であると考えれば、0の0乗は現れない。変数(あるいは不定元)の 0 乗が現れる他の例でも同様。
なぜ私が荒らしなのですか?貴方の発言は誹謗中傷ですよ。訴訟すれば簡単に勝てます。ただ、赤字になるかも知れませんし、それなりの手間暇を要します。それを見越して仰っているのなら卑劣ですね。ここは数学の専門家の自己満足の場ではありません。定義するのなら定義すると明記しなければ、読者に分かり辛いというだけの話。別表記であると考える、と別表記であると定義する、は異なった意味の日本語です。分からないのなら貴方に理解能力が無いのだから仕方ありません。先ずは他者とのコミュニケーション能力を身につけてから社会に出て来て下さい。Wikipediaへの寄附は止めさせます。貴方のやっている事は善意の寄附の横領使い込みに等しい。無料で書かせて貰っているのに、無料で書いてやっているという意識が強すぎる。多くの者が反発する理由を感じ入りなさい。では。--Suzuki 999(会話) 2016年2月24日 (水) 11:48 (UTC)
- そのような言葉を使い反論する人に書く権利はありません。そんなにストレス溜まるならやめたほうが良いのでは?--Matitomufann(会話) 2022年10月25日 (火) 03:02 (UTC)
- (追記)解決しづらいためみんなで投票することが一番だと思います。--Matitomufann(会話) 2022年10月25日 (火) 03:09 (UTC)
修正希望
[編集](値を定めることはできない理由を説明している)「背景」の節において、
- (同様にして、負の整数 −n に対しても、x−n = 1/xn と定義することによって自然に拡張できる。)
という記述が見られますが、n=0 と置けば
- x0 = 1/x0
ということになり、結果 00=0 は否定されます。 (つまり 00=1 ということになる) もちろん、この定義は x≠0 か n≠0 の場合だけだと言い張ることもできますが、 そういう例外が存在することは、少なくとも、この拡張が自然な拡張だとは言えなくなると思われます。 私は修正を控えるように言われているので、誰か修正しませんか? なお、負の整数乗をこのように定義するのは間違いではないので、修正が必要なのは他の部分なんでしょうね。--風船(会話) 2016年3月6日 (日) 05:10 (UTC) 修正の気配なく、コメントもないので、近日中に私が直接修正しておきますね。--風船(会話) 2016年3月8日 (火) 04:10 (UTC)
- 「負の整数」と書いてあるのを見落とされましたでしょうか?「x が 0 でなければ」と書いてあるのを見落とされましたでしょうか?新規作成 (利用者名) (会話) 2016年3月8日 (火) 07:33 (UTC)
- 「負の整数」だから0は含まないと言いたいのでしょうが、この式(とx0=1という定義)は、自然数から整数へと拡張するために存在するんですから、0でも成立しないと意味ないですね。また、「x が 0 でなければ」というのも、0-2 が 02 の逆数を表すということまで否定しますか?そうでなければ、00 が自らの逆数であることを否定するのは難しいと思います。--風船(会話) 2016年3月9日 (水) 04:13 (UTC)
- その式は x ≠ 0, n > 0 のときの定義を書いているだけなのでそれ以外の値を代入することは間違いです.02 に逆数は存在しません.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年3月9日 (水) 07:18 (UTC)
- では、指数を整数へと拡張するために、0n+1 = 0n × 0 が n <= 0 でも成り立つには 0-2=0 などとなります。こう定義すれば指数法則も成立します。これをどう思いますか?--風船(会話) 2016年3月10日 (木) 03:20 (UTC)
- 補足しておきます。べき乗の定義を負の整数へと拡張するだけならば、それを満足する値は 0-2=0 だけであり、00 も 0 と定義するのが妥当でしょう。でも、それでは x−n = 1/xn に反するから、その定義は却下されているというのが私の考えです。新規作成さんは、定義範囲外として無視したいようですが、その結果は以上の通りです。--風船(会話) 2016年3月13日 (日) 02:27 (UTC)
風船さんが何を主張されたいのか今一つ分かりませんが,0の任意の整数(あるいは実数,複素数)乗を0と定義すれば,0n+1 = 0n 01, 0n+m = 0n 0m などは確かに成り立ちますし,このことは記事から完全に抜け落ちていたので(というのも非負整数乗の観点と実二変数関数の観点しか書いてなかったので),修正する必要はあります.修正案は考え中です.ご指摘ありがとうございました.新規作成 (利用者名) (会話) 2016年3月15日 (火) 08:15 (UTC)
- 私の目的は 0n の値と逆数の関係を示すこと。修正ありがとうございます。--風船(会話) 2016年3月17日 (木) 05:27 (UTC)
次に。同じ「背景」の最後の段落にある「これをより広い範囲に拡張」という表現が分かりづらいと思います。直前では指数法則を前提にした拡張が行われているため、これも指数法則に従った拡張だと勘違いしそうです。実際は、指数法則での指数を負の数へと拡張するには 00 = 0 しかあり得ないのだし、0 を含むだけの拡張でも 00 は 0 か 1 となる。でも、この段落の内容はそれではない。以降は、極限値を使った推測あるいは連続性についての記述であり、(後に指数法則に反する極限値が例として色々記述されていることから)多分、指数法則は何の関係もない。説明もせずに前提を変更するのは問題があると思います。
そもそも「背景」では、べき乗の定義式から始まり、x0 = 1 や x-n = 1/xn、そして指数法則に移り、最後は連続性と、色々な式が紹介されてますが、それぞれが x = 0 においても必要な条件かどうかについてはあまり注意が払われていません。そのため、雑多な意見の寄せ集めのように感じてしまいます。個々についての意見は控えますが、数学では前提を明らかにして見通しよく結果を導くことが好ましいものである以上、最後の最後で新たな条件を突き付けて結果を否定するという記述は好ましく感じません。少なくとも段落毎にそこで扱う条件は分かりやすく提示すべきで、ここが連続性を使った拡張についての話なら「これ」が指数法則を含まない得られた結果(0 の正の実数乗は 0)だけであり、「拡張」の前提となるのは連続性であることを分かりやすく記述して欲しいと思います。--風船(会話) 2016年3月27日 (日) 02:03 (UTC)
- ついでに言えば、指数法則は xn + m = xn xm のみの方が良い気がする。この式からは x > 0 に対する実数乗が導けるし、x = 0 なら「正の実数乗は 0」が導ける。他方の式からは 01 = (0-1)-1 から 0-1 = 0 になるなど余計な結果が出てくる。それを無視して正の数だけ考えるのが一般の考えとは思うが。--風船(会話) 2016年4月8日 (金) 02:08 (UTC)
0の0乗の値
[編集]0の0乗は1である.これは公理的集合論においては定理である.そしてこれを基礎に展開される分野においては件の値は問答無用で1である.2変数関数が原点で定義できないとかそんなことは関係ない.それは単に連続でないことの理由に過ぎない.「0の0乗の自然な定義は存在しない」,これは事実である.なぜなら,0の0乗は定義するものではないからである.——以上の署名の無いコメントは、222.228.90.85(ノート・履歴)さんが 2016年11月10日 (木) 11:06 (UTC) に投稿したものです(219.100.138.150による付記)。
情けない
[編集]0の0乗が定義できないとか言ってる奴は空写像とか知らねぇんだろうな.その程度のことも知らないのに数学の記事の編集なんかするなっつの.——以上の署名の無いコメントは、TamaKoji(ノート・履歴)さんが 2016年11月27日 (日) 15:32 (UTC) に投稿したものです(白駒(会話)による付記)。
- 私にはもうこの記事に十分時間をかける気力がなく、とても心苦しいのですが、案の定ひどいことになってしまっています。「0の0乗が定義できないとか言ってる奴」がいるのかどうかはよく知りませんが、私は「0の0乗を定義する必然性はなく、必要に応じてどのように定義してもよい」としか言っていません。わざわざそのように書いてある文献が見当たらないので、出典主義のウィキペディアで解説するのが難しいのですが、0の0乗を「あえて」定義しないテキストが多数であることがその傍証です。今後、0の0乗を1と定義するテキストが多数になるならば、それはそれで別に私は構いません(それを標準にしよう、という合意が取れている、ということですので)。「(0の0乗が1であることが)定理である」とか、「必然的に定義できる」とか言う人は、非ユークリッド幾何学とか選択公理とか連続体仮説とか不完全性定理とかの歴史的な意義も知らないんでしょうね。--白駒(会話) 2016年11月28日 (月) 02:43 (UTC)
何を言っても無駄
[編集]定義域が空集合である写像が存在しないとでも思っているのか? 写像の定義知ってればこれが存在することくらい分かるだろ.分からないなら空集合絡みの記事を編集する資格ないし,分かっているなら0の0乗が定義できないとかそういうバカげた結論が出ることはあり得ない.
空集合から空集合への写像は唯1つ存在する(定理)ことから0の0乗=1(系)は直ちに従う.
2変数関数が原点で連続にならないとか,「だから何?」としか言いようがない.それが0の0乗=1と何の関係があるんだか.
0の0乗を1と定義するのが多数派ならこれが正しくなる,とか呆れるわ.間違った日本語を大勢が使い続ければそれが正しい使い方になるのと同じ理屈か? 人によって解釈が異なる言語と違い自然科学は普遍的な事実しか相手にしないのにか? こんなんじゃ数学は絶対に発展しない.
こう言ってもどうせ屁理屈とか詭弁でバカげた主張し続けるんだろうけど,したけりゃ勝手にしてください.時間の無駄なのでもう言いません.——以上の署名の無いコメントは、LimiT(ノート・履歴)さんが 2016年12月3日 (土) 17:04 (日) 15:32 (UTC) に投稿したものです(白駒(会話)による付記)。
- 時間の無駄だというのはこちらも同感なのですが、私が言ってもいないことをさも言ったかのように印象付けられるのは沽券に関わりますので、第三者向けに少しコメントしておきます。◆「0の0乗を1と定義するのが多数派ならこれが正しくなる」→私の文章をよく読んで頂きたいのですが、そんなことは言っていません。以前このノートで別の人(ですよね?)にも言いましたが、定義に正しいも正しくないもありません。あるのは、標準的か標準的でないか、有用か有用でないか、です。定義が「正しい」とか言い出す人は、定義すら天賦のものである、というような、数学に対して何か根本的な勘違いをしている、と私は思っています。◆ある定義をすることによって、豊かな数学的理論が広がるならば、その定義は有用です。多数のテキスト(人、ではありません)が行う定義であれば、その定義は標準的です。蛇足ですが、同じ人が別のテキストで異なる定義をすることもあり得ます。◆0の0乗に関しては、1と定義しようが何か別の値と定義しようが、何か豊かな理論が展開するわけではありませんので、有用ではありませんし、大多数の数学者はどうでもよい、と思っているわけです。◆空集合から空集合への写像がひとつだ、ということくらいは理解しています。冪 a^b を b 元集合から a 元集合への写像の個数だ、と定義するならば、0^0=1 でしょう。ただ、この定義は a, b が非負整数の場合にしか通用しませんし、万人が認めるものではありません。◆結局、初版が最もシンプルかつ中立的だったと私には思えます。離散数学、組み合わせ論、数学基礎論、集合論等をバックグラウンドに持つ者は 0^0=1 が自然に思えるが、解析をバックグラウンドに持つ者は、関数を連続的、解析的に見るので、0^0=1 に一抹の不自然さ、気持ち悪さを感じる、ということなのでしょう。--白駒(会話) 2016年12月9日 (金) 23:07 (UTC)
そもそも
[編集]0の0乗が1であることが定理だと思わない者は古典論理を使わないんだよな? 古典論理で導けることを否定するわけだからもちろん古典論理なんか使ってないよな?——以上の署名の無いコメントは、133.31.18.68(ノート・履歴)さんが 2017年6月6日 (火) 03:29 (UTC) に投稿したものです(219.100.138.150による付記)。
世界的には数学者間では0の0乗は1
[編集]これ、「0を自然数に含めるか」と同じで、国際的には数学者間ではほぼ0^0 = 1と合意されているのでは?
アメリカの数学者のくるるさんも「0^0は1とするのが最も合理的かつ有用」と述べている[1]。「それを唯一無二とするべきではない」とも述べているけれども。
MathWorldとかは「0を自然数に含める」と「含めない」の両論あるかのように書いてるけど、なんだかなあと思う。今のウィキペディアの0の0乗の記述もそうなってる気がする。
sci.math FAQ、Ask a Mathematicianはいずれも0^0 = 1と結論している。
今英語版でw:Zero to the power of zeroが単独記事になったから、そちらのノートで議論が進んでいくかもしれない。
もちろん数学界がアンケートでも取らなければ検証可能性を満たせないわけで、包括的な百科事典と専門家コミュニティの認識のズレ、ウィキペディアの限界でもあるわけだが。--219.100.138.150 2017年12月1日 (金) 01:52 (UTC)
- 現状、数学者の中で、0^0が0とする論と1とする論は両論あり、現状ではケースバイケースで扱われているものと思われます。Wikipediaでは中立的な観点で記事が編集されており、それは検証可能な出典に基づくものです。両論ある以上は、こういう観点に立てば1となり、こういう観点に立てば0となる、という、出典に基づく記載をしているだけで、もし仮に、「際的には数学者間ではほぼ0^0 = 1と合意されている」という出典があったとしても、Wikipediaではその情報を追記するにとどまるでしょう。それは、例えば100年後ぐらいに(0か1かは問いませんが)0^0の解が当たり前になったとしても、古くはこう考えられていた、という情報を示したり、「0^0 = 0と聞いたけど、実際はどうなんだろう」という風に探しに来た人に、考え方がいろいろあることを示すのがWikipediaの役割だからです。よく勘違いされますが、Wikipediaは事実だけが集まっているわけではないことをご理解ください。--翼のない堕天使(会話) 2017年12月1日 (金) 11:42 (UTC)
- ともかく、現在の「通常、指数関数 ax は実数 (1 ≠ ) a > 0 と x に対して定義されているため、 00 はこの意味では定義されていない」は中立的でなく、「0の0乗は、しばしば1と定義される。一方で不定形の記号として用いられることもある」くらいが適切なように思います。
- 黒木玄氏も「函数x^0のxに0を代入するときには0^0=1とみなす習慣になっている」と述べています[2]。
- 「x^0をシンボリックに1だと思えばいい[3]」とか、「離散的な文脈では0^0 = 1だが連続的な文脈では0.0^0.0 = 不定[4]」という意見もありますが、の略記である不定形としての0^0と、べき乗としての0^0は区別すべきで、fとgが解析関数かつならばなどの理由から、0^0 = 1と定義すべきというのがクヌース[5]、カハン[6]、黒木氏らの主張のようです。
- 初版やen:Natural number#Modern definitionsのように「集合論や数理論理学をバックグラウンドに持つ者は0^0 = 1を好む」という言説もありますが、[7]では上の理由から「解析学者も0^0 = 1を受け入れる」とあり、事実かどうか怪しいと思われます。
- もっとも数学者が回答しているStack Exchangeでも意見が割れていることから、「世界的にも数学者間でも両論ある」がやはり真実かもしれませんが。
- ところで「0とする論」はなく、「1とする論」と「未定義とする論」ですね。これも初版や[8]など、なぜか「0とする論がある」と誤解している人がいる模様。--219.100.136.166 2018年2月1日 (木) 17:02 (UTC)
- へのいちと申します。上でお示しの「クヌース[9]」のリンク先を見ましたが、「0^0 = 1と定義すべき」という話題と合わないようです。実は、ちょっとどこで読んだのか忘れてしまったのですが、クヌースは「0^0 = 1と定義すべき」と主張したのではなくて「0^0 = 1と定義したほうが便利なことが多い」と言っていたんじゃないかと思います。それで、お示しの典拠を確認しようとしたのですが、0^0 をどうするかについては書かれていなかった、という経緯です。--へのいち(会話) 2018年2月7日 (水) 12:34 (UTC)
- PDFファイルの6ページあたりのことを言っていると思われます。--白駒(会話) 2018年2月8日 (木) 04:41 (UTC)
- ありがとうございます。へのいちです。なるほど、リンク先のページ本文ではなく、そこから辿れるPDFファイルのほうなのですね。読んでみました。6ページの内容は、「0^0は、関数の極限と考えるなら不定形だが、二項定理を拡張したり、写像の濃度を表したりするなら1であるべきだ」という、数学者ならだれもが認める事実を指摘しているのと、「関数の極限と考えれば不定形になるのだからといって未定義としておくことには、断固反対する」という個人的な信条を吐露しているようです。この信条のほうは、数学者ならだれもが認めるというものではないでしょうし、クヌース本人も、信条は示したが押しつけはしないというスタンスのように読めました。ここまで、脱線失礼いたしました。(ところで、この資料に出てくる Iverson's convention というのを初めて聞きました。プログラミング言語でよく使われる、論理式の真/偽値を1/0と見なすあれですね。数学の文脈でも使われるのですね。たしかに便利そうです。) --へのいち(会話) 2018年2月8日 (木) 14:56 (UTC)
- PDFファイルの6ページあたりのことを言っていると思われます。--白駒(会話) 2018年2月8日 (木) 04:41 (UTC)
- へのいちと申します。上でお示しの「クヌース[9]」のリンク先を見ましたが、「0^0 = 1と定義すべき」という話題と合わないようです。実は、ちょっとどこで読んだのか忘れてしまったのですが、クヌースは「0^0 = 1と定義すべき」と主張したのではなくて「0^0 = 1と定義したほうが便利なことが多い」と言っていたんじゃないかと思います。それで、お示しの典拠を確認しようとしたのですが、0^0 をどうするかについては書かれていなかった、という経緯です。--へのいち(会話) 2018年2月7日 (水) 12:34 (UTC)
α、βが複素数の場合、α^βに「自然な定義」は、存在しません。
[編集]いくらでも大きくできる整数nを含む式Aの極限値がαで、同じくnを含む式Bの極限値がβだとして、式A^Bの極限値がα^βにならないようなA、Bを、整数を含む全てのα、βについて作る事ができます。 (ただし、A、Bは実数以外の複素数を含む) --61.199.159.169 2018年1月25日 (木) 11:16 (UTC)
1の0乗は、一意に定まるのか?
[編集]1の0乗は、一般的には1だと思われていますが、この記事を読んで自信がなくなりました。 nを限りなく大きくできる自然数だとして、1の0乗を(-1の2乗)の(1/2n)乗の極限だと考えれば、確かに値は1になります。 しかし、(-1の2n乗)の(1/2n)乗の極限は、-1になります。 [極限において1になる数式]の、[極限において0になる数式]乗の極限が一意に定まらないので、やはり1の0乗は、不定としておくべきでしょう。 --以上の署名のないコメントは、182.251.124.28(会話)さんが 2018年9月30日 (日) 17:30 に投稿したものです。
- 冗談やあおりの類なのか本気なのかよく分かりませんが、本気なのだとしたら、累乗#指数法則やアンサイクロペディアの1=2 の項(特に「冪乗を利用した証明2」)をよく読んで頂くとよいのかもしれません。--白駒(会話) 2018年10月1日 (月) 21:10 (UTC)
- そもそもべき乗される数が-1だからそうなるだけで、(1の2n乗)の(1/2n)乗は1なんですけど--たびびと551(会話) 2018年10月1日 (月) 21:33 (UTC)
- 前段:「そうなる」→いえ、なりません。アンサイクロペディアの記事が(わざと)しているのと同じ誤りをしている、と私は指摘しました。後段:誤植ではないとすると、IPさんの問題意識を汲み取っていない様子です。元々誤りなので、汲み取る必要のない問題意識ではありますが。 --白駒(会話) 2018年10月2日 (火) 00:01 (UTC)
改めまして
[編集]00 とは何かと15年前に考えた時、最初に考えたのは指数法則を使って条件式を考えることであり、
x-y = 1/xy (x-y は xy の逆数)
y = 0 であれば xy = x0 = 1 (x0 は自身の逆数) だと思ってたので、00 が定義されていないのは新鮮な驚きでした。でも、そう考える理屈はもっと驚きでした。
べき乗の定義から始めるのは論理的で好ましいし、
00 × 0 = 0
から 00 は定義できない、で終われば何の異議も無いのですが、そこから迷走を始めて、
だから 00 は 0 である、という謎理論が出て来ます。何時から f(0) と f(+0) が同じだと考えられるようになったんでしょうね。べき乗の定義からは何も導けないと示したばかりなのに。途中の筋道が変われば結果が変わるとでも思っているのでしょうか?それは私の知る数学ではありません。
結果、べき乗の自然な拡張だとして、
x1 := x xn+1 := xn × x (n ≥ 1) x0 := 1 (x ≠ 0) x0 := 0 (x = 0)
という定義を出してくる訳ですが、
x0 := 1 xn+1 := xn × x (n ≥ 0)
の方がよほど自然な拡張だと感じます。センスの問題なので、話は噛み合わないと思いますが。
また、指数が非負整数かどうかが 00 の値の決定に関係するかの如く書かれてますが、勘違いに過ぎません。例えば、集合論に関する記述で、 λκ := #XY だとする記述は標準的という意味でまったく正しいのでしょう。けれど、集合論において、このような定義が必要な訳ではなく、この式に「(ただしXが空集合なら0とする)」と付け加えるなら、00 = 0 という結論にすることは可能であり、集合論の他の部分が影響されることもない。線形変換の部分も同様で、「(ただしxが0なら零写像とする)」という記述を加えれば、00を0に対応させることは簡単に出来てしまう。つまり、底が0かどうかで値を分けるというブサイクな定義を出してくるなら、どの文脈でも可能であり、0と言い出す人が存在するかどうかだけの違いである。
実解析の部分でも、納得できない説明が続く。 二項定理によれば、指数が非負整数であれば、
と変形した上でべき乗の値を計算することができる。 これを非負実数へと広げると
という無限級数になる。級数が収束する範囲において、べき乗と一致し、原点に近付く極限で色々な値が得られるという性質も一致する。つまりこの式は、xr という式を x=1 でテイラー展開した式でもある。当然ながら、00 に相当する値は元の二項定理と同様に1である。二変数関数において、ある点での値が存在するかと連続かはまったく別のことなので、定義されない理由にはまったく根拠がない。がそれ以上に、二変数関数のことを面ではなく線で考えることが、センスを疑う思考だと感じる。ちなみに、実解析において極限値と同様にテイラー展開もよく使われる方法である。
最後にこれは感想になりますが、白駒さんは「有用」とか「標準的」とかに拘りがあるようですね。その説明に間違いはありませんが、そもそも高校数学が有用と感じてる人がどれくらいいるのかとか、数学者でも、自分の専門分野が有用だと言えるんだろうかとか考えてしまいますね。私としては、数学は面白いからやるのであり、そこにもセンスの違いを感じます。--風船(会話) 2023年3月8日 (水) 00:50 (UTC)