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Wikipedia:コメント依頼/寂華

利用者:寂華会話 / 投稿記録さんへのコメントを依頼いたします。--Octobersteps 2009年1月18日 (日) 22:24 (UTC)[返信]

コメント依頼内容

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被依頼者によるいくつかの記事やノート、会話ページにおいて、ウィキペディアの方針の理解欠如・無理解による編集や発言がみられます。また、被依頼者は、自身の編集に他利用者から編集を加えられたり、自身の編集内容の問題点を指摘されると抗議ともとれるコメントをしたりし、さらには合意形成の議論を一度ですが放棄しました。特に以下の点についてのコメントを広く求めたくお願いいたします。

  • 各種方針等への抵触のおそれについて。被依頼者においては、ウィキペディアの方針への理解が欠如しているのか。方針無理解のままで自身の望む内容での編集をしているのか。
  • 他の利用者との関係について。被依頼者の、他の利用者と対立することも辞さず、議論の決定を拒み自身の望む編集を強行する態度は改めるべきものなのか。

被依頼者の編集の事例

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各種方針等への抵触のおそれ

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  • 被依頼者が各種方針やガイドラインが定める事項、議論によって合意された事項等に抵触する編集をしたため、他の利用者がそれらを提示し遵守を求めると、個人の見解と決め付けて応じない。

他の利用者との関係

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  • 他の利用者へのWikipedia:礼儀を忘れないに抵触するような文言。利用者ページへの書き込み。
    • 利用者‐会話:akane700 - 2009年1月10日 15:14 UTC(差分)において、過去の自身のコメントに、署名を追加しないまま抗議ととれる文言を加筆。
    • 利用者:Furusato - 2008年10月16日 13:47 UTC(差分)における抗議ととれる書き込み。
      なお依頼者(Octobersteps)の利用者ページにも書き込まれたことがあります。依頼者自身が即時削除を依頼し、被依頼者からは「知らずに失礼をした」という趣旨のお詫びがありました。しかし被依頼者は過去に何度も依頼者や他の利用者の会話ページに適切に書き込みをしております。

追加項目

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依頼者から追記です。本日、依頼者の会話ページに、被依頼者よりメッセージがありました。要点を抜き書き(引用)いたします。

  1. ウィキペディア記事は、開いて読んだ読者が、読んだ甲斐があることが一番です。正確さなどは、読者があとで紙の辞書などで確かめれば良い。
  2. 一番私が気持ちが悪いのは、正確さや出典を理由にしていつまでも貧弱な書きかけ記事にしておくこと。それくらいなら独自研究がまだまし。
  3. 私はコメント依頼欄は見て居ません

(いずれも利用者‐会話:Octobersteps 2009年2月6日 23:47(UTC) 寂華 の版差分)より引用。強調は依頼者による)

1の発言により、被依頼者はWikipedia:五本の柱にある「ウィキペディアは百科事典です。(中略)すべての項目は、独自の研究を認めない方針に従う必要があり、正確となるよう努力しなければなりません。」(引用)を読んでいないと思われます。また2の発言と併せて、被依頼者はWikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するWikipedia:独自研究は載せないも読んでいないと思われました。また3について、依頼者はここに対話拒否の傾向を見て取りました。

被依頼者は土曜・日曜・祝日しか活動しないようですので、2月15日(日曜)まで待って、それでも何らかのコメントを戴けないなら、本案件はクローズせざるを得ないのではないかと考えております。お二人の方からコメントが寄せられ、いずれも被依頼者の方針文書熟読の必要性を指摘しており、依頼者も同感なのですが、被依頼者は方針文書が利用者に求める事柄を無視すると表明し、依頼内容に対し反論することさえ拒否されたのですから。--Octobersteps 2009年2月7日 (土) 01:12 (UTC)「差分」リンクを修正。直前に被依頼者による追加の編集があったもようです。不注意をお詫びいたします。--Octobersteps 2009年2月7日 (土) 03:45 (UTC)[返信]


-上記引用について-(Octoberstepsさん、下記のご連絡がありましたが、私の文章から転記するのならば、全文を転記してください)

  「Octoberstepsです。戴いたメッセージの一部をWikipedia:コメント依頼/寂華へ転記させていただきました。悪しからずご了承ください。 なお2点気になりましたので、「Wikipedia:礼儀を忘れない」、および「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#記事ごとに筆者が存在すると考えること」に「問題点を見つけたら、今まで記事に加筆してきた人を批判するのではなく、それを直せばよいのです。」(引用)とありますことを、お知らせいたします。 追伸 お忙しいのでしたら、ウィキブレイクをとられることをお勧めいたします。--Octobersteps 2009年2月7日 (土) 01:39 (UTC)」         「私のノートに連絡があり、あなたの著作「原爆投下10秒」の記事を読ませていただきました。これは、私の観点から見ると、秀逸な記事と思います。私は放映内容を知りませんが、ウィキペディア記事は、開いて読んだ読者が、読んだ甲斐があることが一番です。正確さなどは、読者があとで紙の辞書などで確かめれば良い。このへんがウキペディアと紙の事典の違いと思います。 一番私が気持ちが悪いのは、正確さや出典を理由にしていつまでも貧弱な書きかけ記事にしておくこと。それくらいなら独自研究がまだまし。この辺は、あなたの見解は違うでしょうが。今回の「原爆投下」記事は読み応えがあり、読んで損はしなかったです。一点言うならば、原爆温度が華氏か摂氏なのかが、文中で示されていたら引っかからずに済みました(私がそれを調べて書き込むつもりはありません)。読み応えのある記事を見せていただいて有り難うございました。 なおご返事は不要ですとありましたが、あなたから私のノートに連絡があり、私はコメント依頼欄は見て居ませんのでここに書き込ませていただきました。(私は忙しいのですよ!!)--寂華 2009年2月6日 (金) 23:47 (UTC)」     以上転記--寂華 2009年2月7日 (土) 03:20 (UTC)[返信]


下記のご意見いただきましたが、私の文章をつまみ食い引用されるよりは転記の方がずっとマシです。よろしくお願いいたします。さらに言いますと、あなたも「原爆投下10秒」のような秀逸な原稿を書けることが分かりましたので、以前のようにウイキブレイクを取ったりされず、今まで貴殿が書かれた記事の充実をお奨めいたします。 「Wikipedia:コメント依頼/寂華での編集を拝見いたしました。「Wikipedia:著作権#日本語版ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペースト」をお読み願えませんか。--Octobersteps 2009年2月7日 (土) 03:38 (UTC)」    --寂華 2009年2月7日 (土) 03:49 (UTC)[返信]

利用者‐会話:寂華」ページ内にある利用者:Octoberstepsによる文章を「Wikipedia:コメント依頼/寂華」に引用することを、「Wikipedia:コメント依頼/寂華」2009年2月7日 03:20 (UTC) 寂華による版差分)まで遡って許諾いたします。--Octobersteps 2009年2月10日 (火) 09:28 (UTC)[返信]

寂華さんのコメント

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寂華さんはここにコメントをお願いします。

やっと仕事が休みになったのでウィキペディアを開いてみたら・・・・・。octoberstepさんには自由な時間がたくさんあって良いですね・・・・。--寂華 2009年1月23日 (金) 23:01 (UTC)[返信]

依頼者のコメント

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驚き呆れるばかりのコメント依頼となりました。残念です。--Octobersteps 2009年2月11日 (水) 01:14 (UTC)[返信]

コメント

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  • (コメント)被依頼者はもう少し方針文書の内容をよく読んだ方がいいなあという印象を受けました。{{要出典}}を出典を付記せずに取り払う行為はいただけないし、「当時の有名な話」というだけでは検証可能性を満たさないことは明白でしょう。また「ウィキペディアの方針に対しても自分の解釈が正しいとは限りませんので、それを根拠に相手に押しつけないようにお互い気をつけましょう」という発言はただの逃げかと思います。お互いの解釈が違うがどちらが正しいともいえないという主張なのでしたら、具体的にどういう点が違っているのかを考え落とし所を探るのが本来あるべき姿勢です。あとは依頼者さんへのコメントになってしまいますが、抵触って言い方はどうなのかなと思います。ウィキペディアの各方針文書やガイドラインは法律(ルール)ではありません。方針文書やガイドラインがその精神をくみ取るものである以上、抵触するしないってものじゃないんじゃないかなと思いました。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月26日 (月) 08:52 (UTC)[返信]
    • (Personofedoさんへのコメント)依頼者です。コメントをありがとうございました。被依頼者からのコメントがないうちにお話しするのはいかがかと思い、コメントを控えておりました。当方へのご指摘の「抵触」ですが、当方がやはり言葉を安易に用いていたように思います。被依頼者の仰る「押しつけ」というのは、当方のそういった姿勢を指したのかも知れません。--Octobersteps 2009年2月10日 (火) 10:21 (UTC)[返信]
  • (コメント)「方針へのスタンス」ですが、テレビが検証可能性を満たすか否かというところは被依頼者のいう通り現時点でのウィキペディア日本語版での統一見解はないという状態だと思います。その点についてはさほど問題はないと思いました。背景は追っていないので背景を踏まえたコメントが必要ならば、その背景が理解できるポインタを教えてください。また、依頼者会話ページでの発言については、この発言だけを取ればそれはそれで真っ当な意見でしょう。しかし、この背景にある「ノート:下村努」を踏まえれば、それはどうかな、と思わざるを得ません。Personofedoさんと同じような印象をもっています。
    「独自研究」について。依頼文にある「年賀状」の事例では独自研究と他者に指摘されている箇所を出典もなしに復帰させていることを確認しました。被依頼者はたぶん「事実である」とでも思っているのでしょうが、このような場合に必要なのはノートなどでの対話です。編集を強行するのではなく、対話が必要ということを理解してほしいと思います。また、「下村努」については、これは私も関わった事例ですが、本質はWikipedia:独自研究は載せないの理解とは異なる事例だと判断しています。被依頼者は、そこで提示している情報源に記載されていると主張しているからです。この件については後述します。
    「出典を明記する」についての《「19XX年X月の新聞」としか提示しない》については論外です。ウィキペディア日本語版では出典なき記述はすべきではありません。ですから、基本的には手元にある資料を基に記載することになります。そのため、当然ながら情報源 (出典) とした記述を行うのであれば、正確な情報が出せるはずです。しかし、それができないということは、自身の記憶にあるものを書き連ねただけにすぎないということでしょう。「下村脩」については質問されたことに回答することぐらいはしてください。また、この件については依頼者も先に記事のノートに記載するようにした方がいいと思いました。それと合わせて会話ページで記事のノートに誘導すればいいでしょう。「天璋院」のノートでの発言差分は、ウィキペディア日本語版がどのようなものであるのか勘違いしているとしか思えませんでした。ウィキペディア日本語版では、基本的に出典なしに記載することができないものです。その上で、仮に出典なしでも記述してもよいという範囲があるとすれば、その範囲がどの程度のものなのか、出典なしの記述をしようとする方が合意形成を行うべきです。被依頼者の《エピソードの項なのでこれくらいの表現であれば出典が無くとも許されるのではないかと私は思いますが、ダメということであればノートでの合意形成をお願いします。》という考えで編集がなされることは問題があると言わざるを得ません。「ブータン」についても、各種方針を軽視あるいは無視しているとしか思えません。 被依頼者は、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するWikipedia:独自研究は載せないなどを熟読し、理解してください。
    「GFDL」についての理解は、まあ著作権を手放していると誤解してしまうのはよくあることだと思います。しかし、自身の記述した文章に手をいれられると抗議するというのは問題でしょう。自身の文章が改変されたくないのであれば、ウィキペディア以外の場所を使ってください。また、著作権を手放しているとあるところで主張しつつ、自身の文章が改変されたことに抗議するという態度を示すということは、自身が都合がいいようにダブルスタンダードを採用しているんじゃないかと懸念します。
    最後に「被依頼者の日本語能力」についてコメントしたいと思います。被依頼者は http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/shimomura.htm について《喋る方も出来ると読み取るのが出典の読み取り方というものです》と述べています差分が、私はそうは読解できませんし、その意見はノートでも複数でています。ですから、この件に関して私の読解力が問題であるとは思っていません。とすれば、それが理解できない被依頼者の日本語読解能力について疑念を抱かざるを得ません。また、本コメント依頼のノートでも被依頼者の発言がいくつかありますが、会話がまったく噛み合っていません。わざと会話を成立させていないと仮定すれば、やはり被依頼者の日本語能力には問題があるのではないでしょうか。被依頼者の各種方針への理解も問題だとは思っていますが、それ以上に日本語能力の方に問題があると思います。日本語能力が不足していると言わざるを得ない方に、に日本語で百科事典を編纂していただくことはできないと思います。--iwaim 2009年2月1日 (日) 08:04 (UTC)[返信]
    • (iwaimさんへのコメント)依頼者です。「下村努」関連に続いてコメントをお寄せくださりありがとうございました。被依頼者からのコメントがないうちにお話しするのはいかがかと思い、コメントを控えておりました。今回のコメント依頼は、被依頼者が「天璋院」において、出典とならない無関係の週刊誌を、内容を確かめないまま出典として挙げて加筆したのをみたためでした。被依頼者は他の利用者のノートで「出典を調べる」と仰いましたが約束はまだ果たされていません。正直申しあげ、このような依頼が出たため被依頼者が意地になって出典を次々に提示してくださるのではないかとかすかに期待しておりましたが、期待は裏切られました。当方へご指摘のありました「下村脩」での手順ですが、今後はご助言のとおりに進めるようにいたします。--Octobersteps 2009年2月10日 (火) 10:21 (UTC)[返信]
    • (Personofedoさん、iwaimさんへのコメント)依頼者(Octoberstepsアカウントと、本アカウントを含め)は今までコメント依頼に関わった機会が少なく、その少ない中でもこのように被依頼者がコメント依頼の内容を無視した事例を知りません。他の事例なら、被依頼者から反論や改善のコメントが出て、それに対し依頼者や利用者がコメントを寄せ、落としどころを見つけたり、ブロック依頼に進行したりしたものでした。被依頼者からのコメントのないまま終わらせるしかないのでしょうか。依頼者自身は、本日、つまらない事実を知ってしまい、この依頼自体が無意味だったと考えるに至りました。明日11日は祝日で、寂華さんはログインされ、依頼者の編集内容をご覧になると思います。それに対しリアクションがあってもなくても、それを最後として、12日以降にこのコメント依頼をクローズしようと思います。早急ではありますが、つまらない事実を前に、もうどうしようもない絶望感に囚われ、この案件に関わり続けることが困難となりました。せっかくコメントをお寄せくださったのにこういった事態となりましたこと、お詫び申しあげます。--Octobersteps 2009年2月10日 (火) 10:21 (UTC)[返信]
つまらない事実とは、新聞で五木寛之氏が『親鸞』という小説を連載していることです。新聞小説が「親鸞」の加筆の参考資料か?……と、疑惑を持ったのです。--Octobersteps 2009年2月10日 (火) 10:21 (UTC)[返信]

コメント依頼終了に向けて

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節を追加しました。--Octobersteps 2009年2月11日 (水) 00:25 (UTC)[返信]

ここにあった文章の一部をWikipedia‐ノート:コメント依頼/寂華#依頼者より被依頼者へ(「親鸞」の記事に関連して)へ分割しました。--Octobersteps 2009年2月10日 (火) 15:46 (UTC)[返信]

勝手に記事を移動されては困ります。「親鸞」の新聞小説情報をもとにウィキペディアを書いたと、このコメント欄で私を誹謗中傷されたのはOctoberstepsさんの方です。私は、史実と歴史小説とを混同するような馬鹿なことはしないので、その証拠があるなら指摘してくださいと申し上げました。これは名誉毀損になりかねない話しです。--寂華 2009年2月10日 (火) 22:29 (UTC)[返信]

(寂華さんへのコメント)私の文章がうまくなく、理解していただけなかったようです。誤解されていると思われる点に補足説明をいたします。
  1. 「新聞に『親鸞』の小説が載っている」ことが、「つまらない事実」
  2. この小説をご覧になりながら寂華さんは加筆しているのだろうかという私の疑惑
  3. 私のこの疑惑、思いこみを解くために、「親鸞」の記事の編集時に寂華さんが参考にした本などを記事中にrefタグで示してほしい
疑惑を持った以上――そして疑惑はおそらく解消されないので――このコメント依頼は早々にクローズしたく思います。コメント依頼をご覧になっていないと仰いましたがこのようなコメントは下さいます。コメント依頼そのものへのコメントも早急に頂戴できませんか。--Octobersteps 2009年2月10日 (火) 23:36 (UTC)[返信]

私が申し上げたいのは、あなたが何を思いこもうがそれはあなたの勝手ですが、こうした公共の場で書き込まれるとそれは私に対する名誉毀損になります。この欄をクローズされるのは結構ですが、その前にこの欄で、私が新聞小説「親鸞」を参考資料にしたとの証拠を出すか、発言を取り消して下さることを要求します。--寂華 2009年2月10日 (火) 23:50 (UTC)[返信]

(寂華さんへのコメント)私の文章がうまくなく、理解していただけなかったようです。誤解されていると思われる点に補足説明をいたします。
  1. この小説をご覧になりながら寂華さんは加筆しているのだろうかという私の疑惑
  2. 私のこの疑惑、思いこみを解くために、「親鸞」の記事の編集時に寂華さんが参考にした本などを記事中にrefタグで示してほしい
そこまで「親鸞」の出典を示すことを拒まれるのは、何かここでお話しできない理由があるのですか?
(コメント依頼そのものへのコメントも早急に頂戴できませんか。)--Octobersteps 2009年2月10日 (火) 23:58 (UTC)[返信]
(寂華さんへのコメント、追加)今気づきましたが……仮に「親鸞」加筆の資料が提示されても、それが「天璋院」の時のように無関係な資料であっても、私には確かめることができないですね……。ですが、「親鸞」に詳しい方が記事をご覧になれば、適切な資料か否かは判断できますか……。私の発言を取り消すことはしません。「私が勝手に思い込んでいる」だけのことです。この文書を読む方は、「寂華さんの加筆をOctoberstepsが新聞小説が出典だと勝手に思いこんでいる」と考えると思います。それが文章の読み取り方というものです。
なによりも、コメント依頼そのものへのコメントも早急に頂戴できませんか。被依頼者からのコメントがないままクローズとなってしまうのでしょうか。--Octobersteps 2009年2月11日 (水) 00:05 (UTC)[返信]

前にも言いましたが、連載中の新聞小説でしたら図書館に行けばあなただって簡単に調べられます。その程度のこともされないで、公共の場での名誉毀損的書き込みをされるなんて非常識な行動とは思われませんか。--寂華 2009年2月11日 (水) 00:19 (UTC)[返信]

(寂華さんへのコメント)「親鸞」については、Wikipedia‐ノート:コメント依頼/寂華#依頼者より被依頼者へ(「親鸞」の記事に関連して)か、ノート:親鸞に新しい節を立てて論じてくださるようお願いいたします。コメント依頼は継続しがたい状態に至ったと考え、依頼者よりコメント依頼の終了を提案すると共に、まとめの手続きにはいりたく思います。

「私の発言を取り消すことはしません。「私が勝手に思い込んでいる」だけのことです。この文書を読む方は、「寂華さんの加筆をOctoberstepsが新聞小説が出典だと勝手に思いこんでいる」と考えると思います。それが文章の読み取り方というものです。」とは、Octoberstepsさんも都合の良い読み取り方をされますね。とにかく、私が新聞小説を「親鸞」の参考史料にした事実はなかったということでよろしいですね。--寂華 2009年2月11日 (水) 02:32 (UTC)[返信]

まとめ

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コメント依頼内容

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  • 各種方針等への抵触のおそれについて。被依頼者においては、ウィキペディアの方針への理解が欠如しているのか。方針無理解のままで自身の望む内容での編集をしているのか。
  • 他の利用者との関係について。被依頼者の、他の利用者と対立することも辞さず、議論の決定を拒み自身の望む編集を強行する態度は改めるべきものなのか。

被依頼者の編集の事例提示とそれに対する被依頼者からの反論等

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  • 各種方針等への抵触のおそれ
  • 反論等、一切コメントを戴けませんでした。
  • Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する編集を行なう。
  • 反論や今後の編集における姿勢等について、一切コメントを戴けませんでした。
  • Wikipedia:出典を明記するに抵触する編集を行なう。他の利用者から出典を求められても提示しない。あるいはWikipedia:出典を明記するを満たさない(と他の利用者が考える)文献等しか提示できない。「要出典」のタグを除去し出典の不明な記述をする。
  • 反論や今後の編集における姿勢について、一切コメントを戴けませんでした。
  • GDFLへの理解が乏しい。さらに、自分が編集した箇所に他の利用者が編集を加えると抗議する。
  • 反論や今後の編集における姿勢等について、一切コメントを戴けませんでした。
  • 合意形成のための議論において、自身が合意形成を求めて始まった議論を途中で放棄。
  • 反論等、一切コメントを戴けませんでした。
  • 他の利用者へのWikipedia:礼儀を忘れないに抵触するような文言。利用者ページへの書き込み。
  • 反論等、一切コメントを戴けませんでした。

他利用者からのコメントに対する被依頼者からの反論等

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  • Personofedoさん、iwaimさんのお二人からのコメントを受けても、コメントへの反論や今後の編集における姿勢等について、被依頼者から一切コメントを戴けませんでした。

他のページにおける被依頼者からのコメント

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被依頼者が依頼者の会話ページで述べたコメントを再掲いたします。

  • ウィキペディア記事は、開いて読んだ読者が、読んだ甲斐があることが一番です。正確さなどは、読者があとで紙の辞書などで確かめれば良い。
  • 一番私が気持ちが悪いのは、正確さや出典を理由にしていつまでも貧弱な書きかけ記事にしておくこと。それくらいなら独自研究がまだまし。
  • 私はコメント依頼欄は見て居ません

(以上3点は、利用者‐会話:Octobersteps 2009年2月6日 23:47(UTC) 寂華 の版 より一部を複写)

まとめ

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(数多くのコメント依頼に関わってきた方にはこうした事例は以前もあったと思われるかも知れませんが、私には、被依頼者がコメントを一切寄せない事態は初めてで、どのようにまとめていけばよいのか、わかりません。とりあえず下のようにまとめてみました。クローズ宣言は出しましたが、不都合等ございましたら、続けてコメントをお寄せくださると幸甚です。

依頼者は、被依頼者が各種方針等への理解が欠如し、方針無理解のままで自身の望む内容での編集をしていると考えました。そして挙げた実例に対し、被依頼者から事実誤認があるといった指摘がないのは、被依頼者が自分の問題点はこの通りと認めたと解釈してもよいのでしょうか。そして改善に向けての表明もされなかったということは、被依頼者は今後も同様の編集を繰り返すということでしょうか。今後も、独自研究、出典不明の加筆が続くということなのでしょうか。それに対して他の利用者が指摘をすれば、また被依頼者とのかみ合わない会話が始まるのでしょうか。他の利用者と対立することも辞さず、議論で決定した内容も拒み、自身の望む編集を強行することが続くのでしょうか。

被依頼者が土曜・日曜・祝日しか活動されず、編集頻度が少ないことが、せめてもの救いなのかと考えております。この方のような信念で編集にあたる利用者が増えれば、Wikipediaは他の紙の事典で内容の真偽を確かめながら利用しなければならないものにならないでしょうか。それを「百科事典」と呼べるでしょうか。

土壇場で「親鸞」の出典について見苦しく揉めた挙げ句の、早期のコメント依頼終了となってしまいました。依頼者(私)の力が足りなかったことを関係各位にお詫びしますとともに、こうした煩わしい案件に丁寧なコメントをお寄せくださったPersonofedoさん、iwaimさんには改めて感謝申しあげます。

「コメント依頼/寂華」をクローズいたします。--Octobersteps 2009年2月11日 (水) 01:14 (UTC)[返信]

クローズ宣言から1週間たちましたが、追加コメントはないため、{{Notice}}をつけました。今後またコメントをお寄せくださる場合はWikipedia‐ノート:コメント依頼/寂華へお願いします。--Octobersteps 2009年2月18日 (水) 08:28 (UTC)[返信]