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Wikipedia:コメント依頼/あるふぁるふぁ

利用者:あるふぁるふぁ会話 / 投稿記録 / 記録さんによる、「利用者‐会話:Cpro」に始まる一連の発言について、皆様よりコメントを頂きたいと思います。

経緯

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Wikipedia:投稿ブロック依頼#依頼・コメント資格についてに関して、IPユーザーに依頼・コメントの資格がないことに争いはありませんでしたが、IPユーザーにより投稿された有益と思われるコメントにつき、参照可能としてよいか、よくないか、という解釈を軸にした議論が前提としてありました。この議論は、利用者‐会話:Cpro#某依頼ページ等での言動について利用者‐会話:あるふぁるふぁ#Cproさんの会話ページの続きWikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針#匿名利用者のコメントについてで行われております。

その一方で、ことの発端となったWikipedia:投稿ブロック依頼/Taka1984 追認自体は、粛々とコメントが寄せられ、決着しております。この依頼の流れにIPユーザー氏の発言及びそれを示したうえでのCproさんの発言が一定の効果を持っていたのではないかと指摘しておきます。

方針につき自分と異なる解釈を認めない発言

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  • 2011年9月27日 (火) 10:14 (UTC) あるふぁるふぁさんは「利用者‐会話:Cpro」で「公式の方針を空文化させるかのような行為は慎まれたほうが良いと思います」と発言しています[1]
  • 2011年9月29日 (木) 16:28 (UTC) あるふぁるふぁさんは「利用者‐会話:Cpro」で「結局のところLaw somaさんのご見解は「方針にはない、既存の合意事項もない、解釈の根拠となる文書もないが、ウィキペディアは規則主義ではないのだから個人的な考えで正しいと思ったことを実行する」ということだと理解いたしました。私はそれはルールの悪用に近いものだと感じます。」と発言しています[2]
  • 2011年11月8日 (火) 03:36 (UTC) あるふぁるふぁさんは「Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針」で「あくまで選択肢とすることに同意したのであってLaw somaさんの提案に賛成しているわけではありません。そのことがなぜCproさんの会話ページでの発言の撤回が必要という話になるのかわかりません」と発言しています[3]

これらは、ご自身の意見が正しいという前提でないと出てきにくい発言かと思います。

相手の言動を悪意に取る発言

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  • 2011年10月17日 (月) 11:32 (UTC) あるふぁるふぁさんは「Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針」で「現実には手を変え品を変え一部利用者の独断で「例外」が強行され、自らはコミュニティに判断を求めることもせず議論提起は一方的に「原則」通りの対応を求める側に要求されています。実態としては「方針で不可としておいて、規則主義ではないために、残しておいたほうがよいものは残す」は、「コミュニティの合意を得た例外」としてではなく「規則主義ではないために、方針が何であれ俺達が残しておいたほうがよいと思うものは残す」という解釈で運用されています」と発言しています[4]
  • 2011年10月24日 (月) 08:13 (UTC) 上記に対し、Ks aka 98さんが「Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針」で「こうしたやりとりは、「手を変え品を変え」と呼ぶべきではなく」と説得した[5]のに対し、2011年10月24日 (月) 13:24 (UTC) あるふぁるふぁさんは「一定期間安定した状態であれば合意とみなすとしても(問題のある記事や記述が一定期間見逃されれば存在を許されるということになり私は同意しませんが)」と発言し、Wikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意を否定しています[6]

これらは、Wikipedia:善意にとるに反する虞があるうえに、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないの「他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとします」に該当する虞もあります。

礼を失する発言

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  • 2011年10月17日 (月) 13:58 (UTC) あるふぁるふぁさんは「Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針」で「署名附記(もしかしてこれもWP:NOTLAW?最近の方針運用は複雑怪奇です)」と要約欄に記載しています[7]

その他にも、相手の発言にない文言を補った上で質問を返してきたり、オウム返しに返答をするなどの発言が認められます。これらはWikipedia:礼儀を忘れない#例の「相手がやってしまった不適切なことに、あれやこれやと言いがかりをつけること」に該当する虞があります。

管理者を特別扱いした発言

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  • 2011年10月14日 (金) 15:03 (UTC) あるふぁるふぁさんは「利用者‐会話:あるふぁるふぁ」でIPユーザーの「いい加減管理者に歯向かうのは止めなさい!ブロックされたいんですか!」という発言に対し「存じております」と要約欄に記載し、「あまり管理者の皆々様のご機嫌を損ねても仕方がない」と発言しています[9]
  • 2011年10月17日 (月) 16:06 (UTC) あるふぁるふぁさんは「Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針」で「いつでもどんなことでも言う通りに従う利用者ばかりではございません」と発言しています[10]

これらは、Wikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのかの「ウィキペディアがどうあるべきか、どんなポリシーが採用されるべきかなどについても、一般の利用者の意見よりも管理者の意見の方が重要だということはありません」を理解していない虞があります。

依頼内容

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投稿ブロック依頼を初めとする、方針・ガイドライン類全般の解釈に係る議論は終結に向かっておりますし、そもそも複数の意見が並立できるものですので、ここでは取り上げません。この依頼では一連のあるふぁるふぁさんの発言が、コミュニティから広く許容され、理解されるものかどうかという点でのコメントをいただきたいと思います。

依頼者が特に重要視したいのが、「方針につき自分と異なる解釈を認めない発言」と「相手の言動を悪意に取る発言」です。この一連のやりとりを見る限り、被依頼者はご自身の考えと異なる他の利用者からの指摘、説得等を受け入れることを頑なに拒否しているように見えます。

もとより、これまでの被依頼者のプロジェクトにおける貢献は十分に承知しております。数回であれば、また、ここまで頑なでなければ、コメント依頼をするまでもなかったとも思います。しかしながら、ベテラン利用者であればこそ、方針・ガイドライン全般に関しバランスの取れた言動が望まれていると思います。

こういった一連の発言及び参加姿勢が、果たしてプロジェクトの発展に寄与する方向に向かっているのか、コメントを頂きたく思います。よろしくお願いします。--ろう(Law soma) D C 2011年11月11日 (金) 07:48 (UTC)[返信]

依頼者のコメント

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コメント もしかしたら被依頼者はWikipedia:管理者への立候補/あるふぁるふぁ/20110528におけるご自身の発言、「とりわけルールに遵って権限を行使すべき管理者は権限行使にあたってWikipedia:ルールすべてを無視しなさいを根拠とすべきではないと考えます」を忠実に守られているのかもしれません。しかし、Cproさん、Ks aka 98さん、私は、今回の一連の流れの中で権限行使をする立場で発言しておりません。一利用者として、方針の考え方について、また、一方的に異なる意見を持つ利用者を詰問するかのような発言について、それぞれ発言しているだけです。できましたら被依頼者におかれては、もう少し方針全般についての理解を深められ、かつプロジェクトの各場面の円滑な運用を心がけて頂きたいと思います。--ろう(Law soma) D C 2011年11月11日 (金) 08:00 (UTC)[返信]

コメント 依頼者が逐一コメントに反応するのは好ましくありませんが、ちょっとだけ補足しておきます。アイザールさんのおっしゃるように、私はCproさん、Ks aka 98さん、被依頼者、私のいずれも間違っているとは思っておりません[11]。しかしながら私は、被依頼者の「慎まれたほうが良い」や「ルールの悪用に近いもの」を「だれだれが間違っている」と批判している、と受け止めました。私もWikipediaは、あまり過剰に「明文化された法規」はそぐわない空間だと考えております。しかし被依頼者はWP:NOTLAWを非常に限定的に捉えておられる発言をされています。個人的な軋轢を持つ気はありませんが、管理者は権限行使に当たって対象者にアドバイスをする機会もしばしばあります。そんなときに相手も間違っていないという可能性を考慮できるかどうかは、重要な資質だろうと思います。少なくとも管理者を特別扱いするような発言をされる方に、私は管理者選考で賛成票を投じる気にはなれません。私は、被依頼者の前回の立候補時に賛成票を投じております(無効になりましたが)。ですので、Triglavさんやアイザールさんに近い印象を持っておりました。であるからこそ、被依頼者には方針全般についての理解を深めて頂きたいのです。--ろう(Law soma) D C 2011年11月18日 (金) 08:06 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント

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依頼者によってまとめがなされていますが、改善すべき点としてあるふぁるふぁは依頼系に手を出すなという点も挙げておられます。これは本コメント依頼を通じてコミュニティの総意ないし多数の意見としてそのような結論に達したということでしょうか?本コメント依頼を受けて今後どのようなスタンスでWikipediaで活動していくべきか考える上で「参考に」したいと思いますので、まとめに追記くださいますよう依頼者にお願い申し上げます。2.・3.については複数の方から同じ趣旨の苦言をいただいたと認識しておりますので、以後できるだけ気を付けていきたいと思います。

また、依頼者は2011年10月17日 (月) 12:30 (UTC)に、「そう(引用者注:コメント依頼)すればコミュニティの意見として「独断」「強行」「一方的」というご意見が、広く一般的に誰が見てもそのように受け取られるものなのか、それとも受け手がコミュニティと異なる特殊な考えを持っているのかが明確になると思いますよ。そうすることによって自ずとWP:NOTLAWの精神がコミュニティにどのように受け取られているのかも明らかになると思います。」と仰せです[12]が、まとめでは触れられておりません。「WP:NOTLAWの精神がコミュニティにどのように受け取られているのか」がどのように明らかになったのかも併せてお示しいただければ幸いです。

コメントをお寄せくださった方々には、お手数をおかけしたこと、またこれまでの活動に対する忌憚のないご意見をお聞かせくださったことに対して、お詫びとお礼を申し上げます。お手数をおかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございました。--あるふぁるふぁ 2011年12月12日 (月) 11:32 (UTC)[返信]

まとめの追記を確認いたしました。
改善すべき点として「依頼系に手を出すな」という意見を取り上げて被依頼者は参考にしろと依頼者がまとめておられたので確認したのですが、「依頼系に手を出すな」は本コメント依頼の結論ではないということで安心いたしました。
WP:NOTLAWについては、その点も含めてどちらの解釈も正しいというコメントをいただいたものと認識しておりましたが、「今回のコメント依頼の対象ではありませんので、まとめに書きようもございません」とのことですので私の誤認であったようです。失礼いたしました。
なお、依頼者は今回のまとめの追記で私の発言として引用されている部分に元の発言にない語句を挿入されております。書かれていない言葉を補足するのはお互い様のようですのでとりたてて問題にしませんが、気が向いたら修正願います。
それではこれで失礼いたします。--あるふぁるふぁ 2011年12月13日 (火) 01:46 (UTC)[返信]

第三者のコメント

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  • コメント ブロック審議とそのノートページではIPのコメントは「不可」とされていますが、実際にコメントが付けられた場合の扱いについては明文規定がないということで、実情に合わせて除去なり、残すなり、差分で示すなりといった方法が採られてきています。被依頼者は、当初この運用が方針を「空文化」あるいは「悪用」するものであり、IPのコメントは一律除去すべきという主張でした。
しかし、その後のやりとりのなかで、被依頼者の主張は変遷し、ブロック方針での提案は、IPコメントの個別具体的な措置について明文化せよという内容でした。この提案は、「私のように間違った解釈をしてしまう者が現れないように」との発言にもあるように、コメント不可なら一律除去という被依頼者の当初の理解が間違っていたことを前提にしています。これはつまり、文章で現すかどうかの違いはあっても、運用自体は現状のままでよいということになります。もし被依頼者の理解が正しく、不可=除去であるなら運用が変えられるべきで、明文化の必要はありません。
ここで不思議なのは、自分が間違っていたとしながら、それなら正しかったはずの除去以外の手段の模索に対して、「空文化」、「悪用」など悪し様に言いっぱなしのままであることです。これらの表現について指摘を受けながらも誤りを反省されたり表現が穏当でなかったことを認めたりする様子はありません。もし、自分は正しかったということなら、ブロック方針の提案の前提が崩れます。
また、被依頼者の目的はあくまで明文化であって、それがなされるのであれば、ノートでIPがコメントすることも可とするスタンスを示しておられます。これは、被依頼者の当初の主張とは実質的に逆の立場ということになります。ところが、現状で特段の問題がないとして明文化に積極的でない相手に対して「立場上意図的に法の成文化を回避したがる方々がいるのかもしれません」など、相手がなにか不明朗な意図を持って妨害しているかのような仄めかしを繰り返しており、これらの言動は、「空文化」、「悪用」などの発言と共通した被依頼者の受け止め方を伺わせます。
以上からすると、被依頼者は方針面での提案については実はそれほどこだわってはいないというか、こだわっているのは字面の有無だけで実質面については無原則であるといえます。一方、(一部)管理者への反発・不信の態度は終始一貫しています。前者については、機械的に処理したいということなら、臨機応変さや繊細な判断が求められる依頼系には手を出さないことをおすすめします。後者については、なにがそうさせているかまではわかりませんが、議論相手に限らず不快感を与える無用な行為であり、少なくとも合意形成の役には立たないでしょう。--みっち 2011年11月14日 (月) 10:51 (UTC)[返信]
    • (再コメント) 被依頼者のコメントにおいて、私の発言について確認を求めておられるようなので、ひとこと。あらためていうまでもなく、コメントを受けてどのように行動されるかの選択はあるふぁるふぁさんのものです。複数からの意見は気をつけるが、ひとりの意見であれば意に介さないでよい、という判断であればそのようにされたらよいでしょう。ただし、私の発言は依頼者が正確に引用されたとおりであり、前提や条件付けしている部分を端折ってしまうと私の意図を離れてミスリードを招きます。他者の発言をどう汲み取り、扱うかなどは、議論以前の意思疎通やマナーの問題であって、そういうところに誠実さが見られない点について、「複数から」苦言されているのではないのですか?--みっち 2011年12月13日 (火) 10:14 (UTC)[返信]
  • コメント どのような組織でも役職でも、それを監査する役割の人が必要になってきます。あるふぁるふぁさんは、そのオンブズマンのような役割をよくこなしていると思います。非常に難しい重要な役割であり、その精力的な活動に感服いたします。
ウィキペディアは、ボランティアの活動によって成り立っています。管理者もその例外ではないのがウィキペディアの特徴です。少ない貴重な時間の中で、やりたい事に優先順位をつけて作業しているというのが実状でしょう。そのような状況で、個別に反省会に引きずり出されるようなことに遭遇すると場合によっては抵抗を感じとられてしまうことがあるかもしれません。
あるふぁるふぁさんが日ごろ気にされているルールと現状との不整合は、ルールを現状に合わせることも、現状をルールに合わせることも(厳格化を記載するという意味で)どちらにしても最終的にルールの改定を必要とします。ルール改定は、いくつかの事例と皆が納得できる理由を用意さえすれば、誰でも提案議論を立ち上げることが可能です。このルール改定には、別に当事者を捕まえておく必要はないのです。
そこで・・・その活動をさらに一歩進めて、いよいよ管理者をやってみませんか?政治学者が政治家にチャレンジしてみるように・・・外から見るのと内から見るのは違います。内側から見て初めて、現状に合った確実でなおかつ効率のよいルール作りのその中心人物となることが、可能なのではないでしょうか?何を準備すべきか、じっくり考えてみるよい機会ではないかと感じます。--Triglav 2011年11月15日 (火) 15:27 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者の発言は最近ではノート:赤報隊事件などで拝見し、概ねまっとうな判断を示される方だとの印象を持っておりました。そのためコメント依頼が出されているのを見て驚きました。まだ依頼文に提示された過去の発言をすべて読んだわけではないですが、気がついた範囲でコメントします。
方針につき自分と異なる解釈を認めない発言
方針解釈において利用者間の見解の相違があることは別に特別な状況ではなく、それについて個人ページで異議を表明することも特にことさら問題にするに当たらないでしょう。発言内容が特に礼を失するとは思いませんし、「気長に」返事を待つということですから、当事者に発言を強要していると見るのも無理があるように思います。「ご自身の意見が正しいという前提でないと」と依頼者は言いますが、何か意見を主張しようとする人がその自分の意見が正しいとの前提を置くのは至極当たり前でしょう。単に意見がぶつかっているだけで「自分と異なる解釈を認めない」と受け取るのはそれこそ悪意に取り過ぎではないでしょうか。
管理者を特別扱いした発言
管理者を特別扱いしている者がいるとすれば、被依頼者ではなく、いきなり出てきて「いい加減管理者に歯向かうのは止めなさい!」などと書き捨てていったIPユーザーの方。この阿呆な発言に対して皮肉を言ったというのが被依頼者の真意と私は解釈しました。模範的な返し方とは言えないかもしれませんが、それほど問題視すべき発言とも思いません。
とりあえず今晩はここまで。--Kojidoi 2011年11月15日 (火) 15:41 (UTC)[返信]
  • コメント 実を言うと、私もTriglavさんに近い印象を持っています。それはさておき今回の件ですが、これはCproさん、Law somaさん、Ks aka 98さん、あるふぁるふぁさんのどなたが間違っている、という話ではなく、むしろ、どなたも正しい、と思います。そしてどなたも「だれだれが間違っている」と批判してはおられない、と受け止めました。私個人としてはWikipediaは、あまり過剰に「明文化された法規」はそぐわない空間だと考えております。それと同時に、三大方針をのぞくすべての方針はいつまでたっても不十分、未完成であると思っています。ルールを細かくがんじがらめにする事はあってはなりませんが、ちょっとした工夫でよりスムーズな運営が可能になるのなら、修正を試みてもよいと思います。今回の件は、まさにその修正を試みてもよい、の範疇にはいることで、みなさんの議論はコミュニティにとって有益であったと思います。ですから、どうかみなさん、個人的な軋轢をお互いにお持ちにならないでほしいです。むしろみなさん、今回の議論によって、応分にコミュニティに貢献してくださったと思いますので、お互いを讃えて良いと思います。悪意、礼を失する、の話ですが、たしかにあるふぁるふぁさんの物言いは、たまに「キツい」と思うことはあります。ですが、それは他の方にもあることですし、一種のアクセントのようなもので、本気で他者を誹謗しているわけではないでしょう。でも、上記のみっちさんのご意見に賛同する点も大いににあります。もうすこし皮肉を隠して下さればいいかなあ、とは正直思います。いかなる対話相手(どんなに困った方でも!!)であっても、「相手への思いやり」まずもって考えてから発言内容を練ってゆくことをお願いしたいです。そうすることは結局、自分自身への信頼度を高めることになるのですから。あと、「管理者を特別扱い」云々ですが、これはジョークの範疇で、笑ってすませしょうよ。最初のお話に戻りますが、前の立候補からそろそろ半年です。あるふぁるふぁさんは屈指の優良執筆者のおひとりですし、私は、管理者陣にはさまざまな立場や考え方の方、時にはやや個性的な方に広く集まって頂くのが理想と考えています(わたしがたまに立候補のお誘いをお声掛けするのはそのためです)。ここで言うのも変ですが、再度のチャレンジがあってもいいかと思います。--アイザール 2011年11月15日 (火) 16:06 (UTC)[返信]
  • コメント ここで問題にされているあるふぁるふぁさんのコメントの多くは、何か悪いというのではなく、皮肉ったものや何か逆説的なものが多いと感じました。--YOMIHO 2011年12月5日 (月) 08:59 (UTC)[返信]
  • コメント 本依頼で示されている各所における、あるふぁるふぁさんの主張の方向性自体はまっとうなものであったと感じます。Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針であるふぁるふぁさんが感じていたであろう理不尽さも、よく理解できます。しかしそれだけに、指摘されているような表現方法を選ぶ理由がわかりませんし、ああいうのはやめたほうがよいと思います。前回の立候補では賛成票を投じましたが、同様の傾向が続くようでは、次回はそうはいきかねます。--Calvero 2011年12月10日 (土) 13:12 (UTC)[返信]
  • コメント (まとめに入った後で申し訳ありませんが)「プロジェクトの発展に寄与するか?」との問いには、被依頼者は当然そう思っているでしょうし、それを聞く側は度が過ぎると煙たいものに感じてしまいます。この件について私は「どちらも常連なのだから上手くやってよ」という言葉しか思いつかなかったので結局黙ることにしました。
はっきり申しますと被依頼者は監査人に向いていません。監査人の資質を問う前に、被依頼者には管理者未経験という壁があるため、話し合いが詰まってくるとどうしても壁にぶち当たってしまいます。ここは、現役管理者にブレーキを掛けるマイナスの方式ではなく、同じ管理者として手本を見せるプラスの方式としての自身の管理者就任とその行動によって証明するしか道はありません。
私はこういう考えを持っているので、Calvero氏から投票の話しが出たときには、これはまいったなとは思いました。被依頼者の管理者に対する理想形が確固たるものならば、管理者あるふぁるふぁが今回の逆の立場になるようなことは絶対にありえないと私は信じています。改めて立候補に推薦いたします。「管理者となるにはどうすればよいか」という事前のコメント依頼を出して反対者と話し合ってもよいです。本気で考えてください。--Triglav 2011年12月13日 (火) 15:46 (UTC)[返信]
  • コメント ウィキペディアは共同作業によって記事を作る場であり、いくら記事を書く能力を持っていても、他の利用者たちと協調することができないようでは、良い利用者とは言えない。これまで私が様々な場所で、様々な方に対して、申し上げてきたことです。そして、あるふぁるふぁさんの言動には、残念ながら協調の気持ちが感じられません。あるふぁるふぁさんが管理者に立候補された際も、私はそれを指摘しました。信任投票が終わったとき、確かにあるふぁるふぁさんは「この度の経験を今後の活動に活かしていきたいと思います」とおっしゃいました。しかし、残念ながら今また、言動について他の利用者と摩擦を起こす結果になっています。人は誰しも完璧ではありませんから、欠点について指摘されることはありうるでしょう。それは逆に欠点を克服するためのチャンスでもあります。しかし、せっかくのチャンスを与えられてなお同じ言動を繰り返してしまうのは、いただけません。克服の途上であるのならともかく、この場での当人のコメントを拝見するに、克服しようとする心持さえ見出せませんでした。少し、もののおっしゃりように気を使えば済むだけの話なのに。管理者に推薦する声もあるようですが、他人とうまくコミュニケーションが取れず摩擦を起こす方に、なぜ、多くの利用者の意見に基づき行動する管理者が務まるものでしょうか。様々な考えを持つ人を取り入れることによって、管理者のコミュニティは活発になるかもしれません。しかし、ウィキペディアは管理者だけのものではありません。管理者の言動が時に大きな問題を引き起こしてきたことを、忘れてはいけません。--Bellcricket 2011年12月15日 (木) 14:06 (UTC)[返信]

まとめ

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依頼から1か月が経過しました。依頼でお願いしました「一連の発言及び参加姿勢が、果たしてプロジェクトの発展に寄与する方向に向かっているのか」について触れられなかった方もおりましたが、6名の利用者の方々からご意見をいただきました。被依頼者について、特に問題はないという趣旨のコメントが4名と過半数を占めました。一方で、具体的な改善すべき点を指摘された方が3名(問題はないが、こうした方がよいという意見を含む)おりました。その内容は順に、

  1. 方針については、機械的に処理したいなら、臨機応変さや繊細な判断が求められる依頼系には手を出さないことをおすすめする。(一部)管理者への反発・不信の態度は、議論相手に限らず不快感を与える無用な行為であり、少なくとも合意形成の役には立たない。
  2. もうすこし皮肉を隠して下さればいい。「相手への思いやり」まずもって考えてから発言内容を練ってゆくことをお願いしたい。
  3. 指摘されているような表現方法はやめたほうがよいと思う。

というものでした。皆さんのご意見からは、被依頼者に特段の問題があるとは言えないが、改善してほしい部分はある、と読み取れました。以上をもって、被依頼者には参考にして頂ければ幸いです。--ろう(Law soma) D C 2011年12月12日 (月) 08:17 (UTC)[返信]

◆被依頼者のコメントで私へのご要望が寄せられておりますので、追記します。

私の言葉が足りないのか、それとも被依頼者が第三者のコメントにもかかわらず依然として「皮肉」をおっしゃっているのか分かりませんが、「依頼系に手を出すな」という意見は、ご覧頂ければお分かりのとおりお一方から出たものであり、誰も「本コメント依頼を通じてコミュニティの総意ないし多数の意見としてそのような結論に達した」などとは申し上げておりません。書かれていない言葉を補足して相手に質問するという、私が以前ご指摘申し上げたことが繰り返されているようで残念です。

また、私が2011年10月17日 (月) 12:30 (UTC)に書いた内容は、「「独断」だったり「強行」したり「一方的」だったりした利用者に対するコメント依頼でも出されては如何でしょうか? そうすればコミュニティの意見として「独断」「強行」「一方的」というご意見が、広く一般的に誰が見てもそのように受け取られるものなのか、それとも受け手がコミュニティと異なる特殊な考えを持っているのかが明確になると思いますよ。そうすることによって自ずとWP:NOTLAWの精神がコミュニティにどのように受け取られているのかも明らかになると思います。」です[13]。これはあるふぁるふぁさんに対し、「独断」だったり「強行」したり「一方的」だったりした利用者に対するコメント依頼を出すことをお勧めするとともに、その結果として得られるであろう成果について触れたものです。なぜ、あるふぁるふぁさんが前段を省略し引用者注まで付けてコミュニティをミスリードするような投稿をされたのか、理解に苦しみます。あるふぁるふぁさんは、今回のコメント依頼を読めばお分かりのとおりまとめでは触れられておりません。「WP:NOTLAWの精神がコミュニティにどのように受け取られているのか」がどのように明らかになったのかも併せてお示しいただければ幸いです。とおっしゃっていますが、そもそも今回のコメント依頼をお読み頂ければお分かりのとおり、「WP:NOTLAWの精神がコミュニティにどのように受け取られているのか」は今回のコメント依頼の対象ではありませんので、まとめに書きようもございません。

最後になりますが、今回のコメント依頼が「まとめ」に入り第三者からのコメントが一段落した時点で、相変わらず同様の態度を繰り返された被依頼者に失望しました。また、このような被依頼者の発言を見ても、なおコミュニティの皆さんは問題なしとされるのか、些か疑問に思います。--ろう(Law soma) D C 2011年12月13日 (火) 00:53 (UTC)--ろう(Law soma) D C 2011年12月13日 (火) 02:48 (UTC)引用の修正[返信]

被依頼者の追加コメントを確認しました。あるふぁるふぁさんの発言の引用に余計な言葉が入っていましたので訂正します。
また、「依頼系に手を出すな」という意見は、「コミュニティの総意ないし多数の意見としての結論」ではありませんが、そのようなご意見があったことをまとめたものです。参考とするか否か、また参考とされた結果どのように考えるかは、被依頼者に委ねられていると考えております。
WP:NOTLAWについて、どちらの解釈も正しいという意味のコメントがあったことは私も認識しておりますが、コメント依頼とは基本的に依頼した内容についてまとめるものと思っておりましたので、まとめには入れておりませんでした。では失礼します。--ろう(Law soma) D C 2011年12月13日 (火) 02:48 (UTC)[返信]