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Wikipedia‐ノート:編集方針/過去ログ1

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「編集スタイルについて」の章

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「編集スタイルについて」の章をふたつに切りました。章を分けただけで内容を変えたわけではないので、「大きな変更」には当たらないと思いますが、一応ノートに記しておきます。219.35.138.30 2006年5月28日 (日) 14:26 (UTC)

何が何でも情報は保存する事?

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>ですから、何が何でも、情報は保存するよう努めて下さい。

というのは英文では

>So, whatever you do, try to preserve information. Reasons for removing bits of an article include(2006年5月26日 (金) 22:04の版)

ですから、「何が何でも」というのは誤解を招きかねいので、修正してみます。--miya 2006年5月29日 (月) 16:04 (UTC) 「何が何でも」は"whatever you do"の訳としては誤訳なので、譲歩節「何をするにせよ」に修正しておきました。--miya 2006年5月29日 (月) 16:21 (UTC)

良くなったと思います。 miya さん、有難うございます。 --Kanjy 2006年5月29日 (月) 19:05 (UTC)

英文の方には「できるだけ」がないので、「できるだけ」を削ってみました。219.35.138.30 2006年6月2日 (金) 13:54 (UTC)

履歴を見たのですが章の『情報を保存するよう努力する事』は以前は『できるだけ情報は保存する事』であり、上記のSo, whatever you do, try to preserve information.を受けていると思うのですが、その訳は『ですから、何をするにせよ、情報は保存するよう努めて下さい。』です。努めると努力するでは日本語のニュアンスが微妙に異なります。ですので章も『何をするにせよ、情報は保存するよう努めて下さい。』とした方がオリジナルを尊重している気がするのですが、どうでしょうか?--Naisi 2006年11月14日 (火) 12:33 (UTC)
変更しました。あと、検証可能性に関する事で忘れていたと思われる物を追加しておきました。--Naisi 2006年11月20日 (月) 17:02 (UTC)

改定案

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改定案を作ってみました。Wikipedia:編集方針/改定案061120にあります。--N.C 2006年11月20日 (月) 12:24 (UTC)

一応見ましたが違いが分かりませんでした。違いを書いてもらえるとありがたいです。--Naisi 2006年11月20日 (月) 17:03 (UTC)

外部リンクに関する要素を追加しています。--N.C 2006年11月21日 (火) 02:12 (UTC)

リンクを張るのに先方の許可が必要である、「ディープリンク禁止」の場合にはトップページにリンクを張る、の根拠を教えていただけないでしょうか。フレーム内表示のように、さも自分のコンテンツであるかのように先方のサイトを表示させるような場合を除けば、リンクを張ることで先方の権利を侵害することはないのですが(リンクなんてただの住所表示ですし)。これについては過去にも議論があり、「勝手にリンク張っても問題ないよね」ということでまとまっています(project_talk:ニュースサイトの過去ログとか)。--hashikure 2006年11月21日 (火) 03:09 (UTC)

リンク要許可が明記されている場合のみ許可を求めるようにしていますが・・・--N.C 2006年11月21日 (火) 05:24 (UTC)}}

ですから、そもそもその「許可」なるものが不要だという話です。以下、例え話です。
  • 「公開されている」住所を教えるときに、先方の了解は必要ですか?必要ないですよね? ← リンク要許可に対して
  • 「日本国東京都千代田区X-X」という住所が必要なときに、「日本国」だけ教える人がいますか?何の役にも立ちません。 ← ディープリンク禁止に対して
そのアドレスが公開されてないのであれば話は別ですが、WWW上に存在する以上、非公開のアドレスというものは存在しません。--hashikure 2006年11月21日 (火) 06:22 (UTC)

「楽しんで下さい」の拡大解釈による悪戯の防止

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最近、「楽しんで下さい」を楯に、イタズラが散見されます。草取りで苦労されている方も複数名見かけました。最低限、Wikipedia:検証可能性を求め、初心者の書き方が稚拙なのは許容するにせよ、せめてその情報や意見がどこから来たのかという情報源は、はっきりさせておきたい。いかがでしょうか?--Album 2006年11月28日 (火) 13:29 (UTC)

Wikipediaにおけるすべての記事で情報源が特定できるとは限らない。たとえば湯浅弘一では彼の講義、エピソードなどが紹介されているが、これは湯浅氏の講義における発言などによって明らかにされているものが多い。情報源はまさに「湯浅氏の口」なのである。こういうケースもあるので、必ずしも情報源が示せるということではない。--131.113.228.206 2006年11月29日 (水) 04:20 (UTC)
それは大変な問題です。Wikipedia:存命人物の伝記をお読み下さい。もし貴殿がウィキペディアをそのようなものだとお考えならば、なおのことWikipedia:検証可能性を追記しなければならなくなります。
湯浅弘一氏のプライベートまで出典の無いまま明かされており、ウィキペディアではそのような記載は「即、削除」の対象となります。Wikipedia:存命人物の伝記は大変強力なもので、この遵守の為ならば、3RRの投稿ブロック対象からも外されるのです。何度復活させても、何度でもRevertをかけて消さなければならない、ということです。--Album 2006年11月29日 (水) 06:22 (UTC)
Albumよ、湯浅弘一氏の記事くらいで「大変な問題だ」などと馬鹿みたいに大げさに言っているが、これくらいの記述のあるページなら山ほどあるぞ。全部revertしてみろってんだよ。そんなのできるわけないに決まってるわ。--219.125.91.28 2006年11月30日 (木) 17:06 (UTC)
少なくとも、貴殿の投稿履歴は監視態勢にあります。いつ、どこで、何をしたのかは、すべての参加者にオープンです。Album 2006年11月30日 (木) 22:38 (UTC)
Wikipedia:存命人物の伝記に基づき、該当項目の問題部分を削除いたしました。--Album 2006年11月29日 (水) 06:27 (UTC)
以上のような誤解も発生していますので、Revertさせていただきました。他に他項目で「男はバカな生き物」という記述が見られたことも念頭にございます。確かにそういう面もあるかもしれませんが、出典なしに百科事典に書く事ではない、ということです。「楽しんで下さい」にも限度があることが明記される必要があります。--Album 2006年11月29日 (水) 08:08 (UTC)

編集方針の変更について

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編集方針の編集が続いていますが、本文の一番上のタグに『必要に応じて編集することは可能ですが、その変更はコミュニティーの合意を反映している必要があります。』とあるとおり、合意を形成して下さい。「除去しない」と「保存する」は意味が違います。単純に翻訳の問題でもないし、日本語版を英語版にそろえるという方針もありません。「合意」だけが求められています。私は「読みやすく」という理由の変更に合意しません。明らかに意味が違っているからです。したがってリバートいたします。この下に、「読みやすくした」という文を提示して、合意を形成して下しさい。再度書きますが「除去しない」と「保存する」は意味が違います。「除去」については、Wikipedia:検証可能性を参照して下さいますようお願い申し上げます。(例:Wikipedia:検証可能性出典のない記述は除去されても文句は言えません」--Album 2007年2月23日 (金) 08:41 (UTC)

もう少しよくこの「編集方針」を読んでいただけますか。『必要に応じて編集することは可能ですが、その変更はコミュニティーの合意を反映している必要があります。大きな変更を加える場合は、ノートページで提案してください。』となっています。大きな変更は全く行っていません。「どの程度大胆に編集するかという点についても、編集スタイルに違いがあります。一般に、多くの人がページの編集は大胆にするべきと考えています。事実上、何か変更する前には必ず前の著者に相談する必要があると考えている人はおりませんし、そう考えているとしたら、執筆や推敲は遅々として進まないでしょう。反対に、とにかく、遠回しな言い方はすべきではなく、何か問題を見つけたらどのように編集するか話し合うよりも、単に直接ページを編集するほうがよいと考えている人もいます。この観点では、議論というのは最後の手段です。より中間の考え方として、議論は議論として尊重するが、同時に、早めに微修正をすることで議論の応酬を避けることができるというものもあります。この観点は、抜本的な編集をするべきか否かは時と場合によるというものであり、十分に合理的だと思われます。繰り返しになりますが、ウィキペディアではこれらの姿勢すべてを受け入れています。」「除去する代わりにできることには次のようなことがあります:内容を保ったまま、言い換える」「 よく考えた結果、ページを書き直したり、大幅に変更する必要があると思ったなら、そのようにして下さい。」「非常に大胆に編集すると決めたにせよ、最初にノートページで質問すると決めたにせよ、ウィキペディアは議論場ではないということを心に留めておいて下さい。」したがってリバートいたします。「除去しない」と「保存する」は私はここでは同じ意味に捉えていますが、Albumさんが違うとおっしゃられるのならこの部分は戻しましょう。--ロリ 2007年2月23日 (金) 16:32 (UTC)

過剰な内容は積極的に除去すべきか

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この節の議論はWikipedia:コメント依頼/過剰な内容は積極的に除去すべきかへ分割しました。--Cave cattum 2007年8月23日 (木) 14:37 (UTC)

本文の修正提案

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現在のWikipedia:編集方針本文の下記の点に関して、修正を提案します。

  1. 完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。→「完璧でなくてもよいのです」
  2. ですから、Wikipedia:検証可能性に基づいているならば、草稿を投稿することも、できる限り奨励するべきです。→除去
  3. 反対に、とにかく、遠回しな言い方はすべきではなく→「それどころか、とにかく、遠回しな言い方はすべきではなく」
(1)「編集を楽しんでください」というタイトルは、節で説明されている内容から乖離しており、不適切と思います。また、翻訳当時の英語版には「編集を楽しんでください」という文があったのかもしれませんが、英語版の現在の版にはありません。
(2)これはおかしい。たとえ検証可能性を満たしているとしてもプライバシー侵害などは許されません。
(3)「反対に」は誤訳です。

反対がなければ一週間後に修正したいと思います。--Cave cattum 2007年8月22日 (水) 13:14 (UTC)

便宜上、ご提案内容に番号を振らせて頂きました。まず(1)についてはこちらでも何やら問題視されておられるようですが、この記述は「Wikipedia:編集方針」が比較的「初心者の編集者を想定して書かれているものである」が為に書かれているという認識でおります。Wikipediaへ携わるに当たって、「使命感」や「義務感」に基づいて活動されている利用者の方もおられるかも知れませんが、私のように「楽しんで」参加している利用者も多数おられるでしょうし、それは「使命感」・「義務感」を置く方々も含め、多くの利用者に共通する根本理念ではないでしょうか?無理に見出しに置く必要は無いのかもしれませんが、見出しとして置くことにも、特に違和感や不適切と感じることはありません。
次に(2)ですが、(1)でも申しました通り「Wikipedia:編集方針」は中立的な観点検証可能性独自研究は載せないの三指針に基づく「基本的な」編集方針という認識でございます。つまり「細則」については各種方針文書へ目を通して頂くことを原則としているのではないでしょうか?それでも尚、検証可能な記述であればプライバシーを侵害して良い・著作権侵害は妥当である、などとするのは「曲解」でございましょうし、Wikipediaは曲解を望んではおりません。従いまして、必要であればプライバシー等々について「加筆」するのであれば良いのでしょうが、「除去」する理由が今一つ測りかねます。
最後に(3)ですが、これは全面的に賛成でございます。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月23日 (木) 05:56 (UTC)
(1・3賛成、2反対)2については、除去ではなく、プライバシー侵害等の例外事項を加筆するべきだと思います。--Game-M 2007年8月23日 (木) 12:18 (UTC)
同じく2には反対です。検証可能性の方針には、ちゃんと「存命人物」への言及があります。存命中の人物に関する記事あるいは情報の場合、情報源が明示されていない情報は直ちに除去してください。存命人物の伝記 (en:Wikipedia:Biographies of living persons)も参照してください。・・・ですから、「検証可能性の方針に基づく」、とはすなわちプライバシーにも配慮する、ということです。--Album 2007年8月24日 (金) 11:49 (UTC)

「検証可能性に基づいているならば」について

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Wikipedia:検証可能性を満たし、さらにはWikipedia:存命人物の伝記に反しない情報であっても、ウィキペディアが受け入れられない情報はあります。例えば犯罪歴がそうです。このことはWikipedia:削除の方針で定められています。

また上記でプライバシー侵害は一つの例示です。他にも、検証可能であってもウィキペディアが受け入れられない事柄はたくさんあります。他ならぬWikipedia:検証可能性に、「ある事柄が単に「検証可能」だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません」とはっきり書いてあります。よって、「Wikipedia:検証可能性に基づいているならば、草稿を投稿することも、できる限り奨励するべきです。」なる記述は、完全に誤りです。

ウィキペディアの基本方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも奨励されます。」という記述であれば正確です。そして、このことは直前の段落にそっくりそのまま書いてあります。よって繰り返す必要はありません。--Cave cattum 2007年8月24日 (金) 13:41 (UTC)

(2)について、長文になりますがもう少しコメントさせて頂きます。完璧でなくても~云々の節に書かれているのは、特に新規参入者を意図し、歓迎も兼ねて書かれたWikipediaの特性といったものを説明する一連の文章ではないのでしょうか?どうもCave cattumさんの論旨では、(2)の一文(もしくは節全体かも知れませんが・・)を取り挙げて『これは「スタブの正当化」や「検証可能性のみを推奨している」ものであり、明らかな誤りであり、新規参入者へ誤解を招くものでもあり、除去すべきである』と、このように申されている印象があります(あくまで私一人の印象として・・)。おそらく(2)の部分で一度段落が切れている為に、少々誤解を招きかねない文になっているのかもしれませんが、続けて読めば解り良いもので、一連の文章では「検証可能性」に始まり「中立的な観点」へと繋げ、「秀逸な記事への成長」と「削除の可能性(+若干の批判)」を説明した文章となっています。尚且つ、「検証可能性」と「中立的な観点」を文章に組み込むことで両方針への手引きとしている様にも感じます(独自研究は?)。そして、ご指摘にあるような投稿がされた場合には、コミュニティが削除等を行うことは「前提」として説明、つまり、これらの文章をある程度要約した末に、ご指摘されているような矛盾が発生しているのではないでしょうか?
私からの提案としては、現状のままでも『できる限り奨励』と「できる限り」で矛盾を頑張って防ごうとしている様が読み取れますが、ここへ「また、著作権に触れる記述を誰かが削除するかも・・」や「個人名等のプライバシーへの配慮を忘れてはなりませぬ・・」といった文章を加える、或いは「ウィキペディアのルールは複雑です」のような節を別に立てて他の方針やガイドラインへの手引きを用意しておく、といった変更でいかがでしょうか?尚、一応本文の方へ{{SeeTalk}}を貼っておきました。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月24日 (金) 15:51 (UTC)
(補足)履歴を見ますと、当初は「ですから、草稿を投稿~」と、検証可能性は組まれておらず、曲解対策として組み込まれたもののようです。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月24日 (金) 16:27 (UTC)
(1)内容から乖離しているようには思わない。記事が成長する過程を楽しんでほしいという意図が解説から容易に読み取れるし、自分もこの表現に共感を覚える。
(2)ここはWikipediaである前に公のWeb上であり、いくつもの異なる思想が平行して存在するのが当たり前だと思う。異なる思想の全てが彼らなりの善意であり、それごとに別々の方針が存在することは全く構わないと思う。むしろ、自分と異なる考えを持つ人が実在することを理解できない人や、統一見解にやたら必死に固執する人、相手より自分の考えが正しいと思い込む変な人が編集合戦みたいな揉め事を起こすのだと思う。それに方針に記載されていることを根拠に記述することに対して、記載されていないことを根拠に消そうとするのであれば、理論や手法において全く同じレベルの争いであり、双方とも自分では何も考えていないということになる。方針に対して自身の観点を依存しすぎることは思考停止を招き、そういった人は公のWeb上であることも忘れて方針を大義名分とした争いを繰り返すだろう。自身の理想や理論武装のために一方の方針を消したとしても、争いを減らす効果は無いと思う。--Route78 2007年8月27日 (月) 05:49 (UTC)
何をおっしゃりたいのかよくわからないのですが、仮に「ウィキペディアにおいて執筆者ごとに異なる方針が存在しても構わない」とお考えなのでしたら、とんでもない間違いであると申し上げておきます。ウィキペディアにおいては、著作権、検証可能性、名誉毀損、独自研究の禁止などに関してそれぞれ唯一の公式方針が存在し、その公式方針を受け入れる人だけが参加を認められます。唯一の公式方針を受け入れずに「自分の考えは別だ」と主張する人は、投稿ブロックの方針に基づき排除されます。
従って、公式方針とは極めて重いものであり、利用者の皆さん全員に対して「みんなこれを守れ、守れなければウィキペディアから出て行け」と強制する種類のものです。無くて済むなら強制ルールなど無い方が良く、シンプルで済むならシンプルな方が良いのです。ですので余計な記述は除去すべきだと申し上げています。--Cave cattum 2007年8月27日 (月) 14:52 (UTC)

本文を「Wikipedia:著作権、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せないをはじめとするウィキペディアの基本方針とガイドラインに反しないものであるならば」という正確な形に修正しました。--Cave cattum 2007年8月28日 (火) 13:23 (UTC)

あなたが自分で宣言した1週間の期限はまだのはずだけど、なんで宣言を覆したんですか? 反対が無いという前提が崩れたからか? あと、あなたの『誤り』『余計な』という主張には不審な点があり、少なくとも自分は全く納得していないわけだが。まぁ別に記述の内容にとやかく言うつもりはないけど、ただ、あなたのとった行動は信頼に全く値しないな。--Route78 2007年8月28日 (火) 14:01 (UTC)
上では「反対がなければ一週間後に除去する」と宣言しましたが、反対があったので除去は断念しました。--Cave cattum 2007年8月28日 (火) 14:18 (UTC)
先のCave cattumさんの編集でも、全体としては特に意味合いが変わってしまうといった様な部分も無く、問題も無いのでしょうが、やはり「草稿を投稿」の部分は必要であると考えますので、その部分の復帰・並びに文法を修正してみました。これですと、より意味合いが通りやすくなった気が致しますが如何でしょうか?あとリンクの順番等に違和感があった為、修正行ってみました。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月28日 (火) 16:16 (UTC)
現在の版では「不完全な記事を投稿することも歓迎されています。」「草稿を投稿することも、できる限り奨励するべきです。」と同じことが2回書かれていますのでどちらか片方は不要です。あと申し訳ありませんが「これはウィキペディアの仕組みの利点の一つが(中略)向上させることができる為です。」は日本語として間違っています。--Cave cattum 2007年8月29日 (水) 09:48 (UTC)

(戻します)やはり間違ってます・・よね。本文を極力残しつつ編集を行いましたので、ご同意頂ければ然るべき形に修正させて頂こうと思います(当面は御容赦を・・)。で、2回書かれている為に片方は不要であるというご指摘ですが、繰り返し書くことで当該部分を強調(反復表現、でしょうか)しているとは見えませんでしょうか?尚且つ、「歓迎されています」に続け「奨励するべきです」と表現が変わることで、しつこく感じたり、可読性を損なうといった事にもなっていないと感じます。何度も申し上げる様で恐縮ですが、当節の記述は一連の文章、つまり「説明文」でございます。説明文である以上、極力簡潔にすべきとのご意見は(全く同意しない訳ではありませんが)誤認識でございましょう。説明は確かに簡潔にされるべきです。しかし簡潔にし過ぎますと意味が伝わりにくくもなってしまいます。時には冗長になる部分や、同内容の繰り返しとなる部分なども、丁寧に、誤解の無いよう、万人に理解できる形で説明する際には、ある程度必要なことと考えております。当節の意図が『(特に初心者の方は)投稿を恐れないで下さい、最初から完璧である必要はないのです』といったものであることはご理解頂けていることと思いますが、初めてWikipediaを訪れる方々への配慮もご検討頂ければと思います。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月29日 (水) 11:01 (UTC)

『ウィキペディアに完璧な記事を投稿することは、素晴らしいことです。一方で、ウィキペディアの仕組みには、不完全な記事を、共同編集作業を通じて磨き抜かれた記事へと向上させることができるという利点があります。このことは、同様の最終作品を生み出す他の方法に対して、我々の方法が勝っている点でもあります。ですから、中立的な観点検証可能性独自研究は載せないの記事における三方針、並びに著作権など、ウィキペディアの基本方針とガイドラインに反しないものであるならば、草稿を投稿することを歓迎し、できる限り奨励するべきです。』ではどうでしょうか。理由を頭の方へ持ってきて文節を1つにまとめることで、繰り返しだと指摘されている記述も1回で済みますし、理由の説明を最初に行うことで初めて読む方にも理解しやすく、投稿を恐れる必要はないという主張も伝わり、簡潔丁寧な印象も与えられると思います。みんなでこの辺りで妥協してはどうでしょうか。--Route78 2007年8月29日 (水) 11:25 (UTC)一部内容追記--Route78 2007年8月29日 (水) 11:33 (UTC)
できれば単なる「草稿」ではなく「スタブ」へのリンクが入った方がいいでしょう。他はそれで結構です。--Cave cattum 2007年8月29日 (水) 11:56 (UTC)
私もRoute78さんのご提案に同意します。ただ、この場合ですと『~に反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎されます。』もしくは『歓迎されるべきです。』の方が、綺麗(?)かもしれませんね。勿論、「不完全な記事」のようにしておくことにも賛同します。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月29日 (水) 12:03 (UTC)(追記)無論、ご提案のままでも賛成でございます。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月29日 (水) 12:10 (UTC)
僭越ながら代表して編集させていただきましたのでご確認ください。--Route78 2007年8月29日 (水) 12:14 (UTC)

「編集を楽しんでください。」について

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上にも書いていますがウィキペディアにおける公式方針とは、利用者の皆さん全員に対して「みんなこれを守れ、守れなければウィキペディアから出て行け」と強制するためのものです。どんなふうに編集を楽しむかは個々人の全くの自由です。それを強制ルールとして「編集を楽しんでください。」などとは、大きなお世話もいいところです。例えばコミュニティ・ポータルのようなところで、「楽しくやっていきましょう」と呼びかけるのは実に結構なことです。ですが「編集を楽しんでください。」などという公式方針はいりません。--Cave cattum 2007年8月27日 (月) 14:52 (UTC)

少なくとも自分は強制されてここに来たわけでもなければ強制されて記事を執筆しているわけでもない。方針の内容を理解し納得した上で自発的に記述している。方針とはその名の通り方向を指し示す道しるべであり、良い記事を書くためのアドバイスだと考えている。強制され押し付けられていると考えているなら、それはあなた個人の被害妄想だ。あなた自身があなたの観点で方針を読み取り解釈するのは構わないが、それを絶対と信じ込みその解釈を他の人に押し付けようとするのは個人的には極めて迷惑に感じる。方針に背いているわけでもない人間に対して方針を押し付けようとするのはそれこそ大きなお世話の一言に尽きる。『罪を犯してないならカメラで監視されても構わないだろ』と言っているのと同じ事だ。確かにWikipediaは監視状態であるかもしれないけど、自分は押し付けられてその監視下に入り方針に従っているわけではなく自ら方針に沿って行動している。楽しんでくださいと公式的に呼びかけられることについても個人的には共感できるものであるから、この見出しは残して良いと思う。
なぜWikipediaの方針が箇条書きではなく、理由を丁寧に解説しているのかと言えば、執筆者に納得してもらい理解と同意を得るためであり、はなから強制することに重きを置いた記述ではないと考えている。故に解説は詳しい方が良く、シンプルさに拘らなくても良いと思う。参加者にできることから始めてもらいという意味で、草稿を投稿することもできる限り奨励するべきというのはその通りだと思うので、この記述は残すべきだと思う。
あと、Wikipedia:検証可能性に『ある事柄が単に「検証可能」だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません』と明記してあるんだったら、それを含めて『Wikipedia:検証可能性に基づいているならば、草稿を投稿することも、できる限り奨励するべきです』という記述で正確だと思うんだけど。なんでわざわざ自分の都合の悪い部分だけ曲解するの?
もうひとつ、あなたは方針は唯一と考えているようだが、それぞれの方針は全て別々の観点から書かれており、お互いに干渉しない方針もあれば、最大限配慮しても対立してしまう方針もある。今回の論点のように編集方針と他の方針がぶつかることもあるし、保護の方針は誰でも自由に編集できるという基本精神とぶつかるし、方針を根拠として論争を起こし自分の意見を押し通そうとするのであればウィキケットと真っ向からぶつかる。私はこれらの方針が平行して存在し対立するのは構わないと思う。方針を無視して良いとは思わないが、方針はあくまで最低限の指針であり、方針さえ貫けは自分は何も考えずどんな努力も我慢もしなくて良いと考えるのはとんでもない間違いだと思う。方針はもともと完全ではなくこれからも完全にはならないので、今回の論点のように対立する局面では都合の悪い意見に圧力をかけるのではなく、方針を信条とする人間の側にも不完全さを我慢する覚悟が必要だと考える。自分の気に入らない記述があったり気に入った記述を消されることが我慢できないなら誰もが自由に参加できるWikipediaは間違いなく成功しないと自分は思う。もちろん自分も争ってまで自分の意見を通そうとは思わない。周囲の人間を巻き込んだ争いなどテロリズムと変わらんからな。--Route78 2007年8月28日 (火) 07:50 (UTC)追記--Route78 2007年8月28日 (火) 08:05 (UTC)
おっしゃる意味がよくわからないのですが、要約すれば次の通りでしょうか?
  • ウィキペディアにおける「公式な基本方針」とは、アドバイスに過ぎないので、従っても良いし、従わなくても自由である。
  • アドバイスに過ぎないのだから、自分が必要だと考えれば、何を書いても良い。
  • 他の人がそれを不要だと考えるのは、間違いだ。
  • 従って、「編集を楽しんでください。」と書くべきだ。
ところで、方針さえ貫けは自分は何も考えずどんな努力も我慢もしなくて良いと考えるのはとんでもない間違いだと私も思いますが、このようなことは誰がいつどこでおっしゃったのでしょうか?--Cave cattum 2007年8月28日 (火) 13:52 (UTC)
私の意見のほうももう一度書いておきましょう。
  • 編集を楽しむといったことは利用者個々人の全くの自由である。
  • 個人の自由に属することを、公式方針として、利用者全員の皆さんに対して押し付けるべきではない(個人の自由に属することを押し付けられるのは個人的には極めて迷惑に感じます。公式方針でないところで呼びかけるのは実に結構なことなのですが)。
  • 従って、「編集を楽しんでください。」という記述は公式方針からは除去すべきである。
「公式方針とはアドバイスに過ぎないのであって押し付けてなんかいない。おまえの被害妄想だ。だから我慢して聞け」というのがこれに対する反論でしたね?--Cave cattum 2007年8月29日 (水) 11:27 (UTC)
自分はあなたの考えの押し付けが迷惑であり、あなたの思想には全く興味無いので無視しても問題ないと思っているが、自分のために熱心に意見を語ってくれる方に対して礼も言わないのは失礼にあたるのだろう。なのでまずは礼を言わせてもらう。この度はご意見を賜り、感謝致しております。
その他の部分で、『方針さえ貫けは~』の部分について、大筋で共通の認識があると取れなくもないので、それ以上は他人の思想に口を挟むつもりもない。ただ自分はここが収容所のように規律に支配されているとは考えていない。規律は時として人の理性を奪うことを知っている。多くの人間が参加するプロジェクトにおいてはそれは大きな障害になると考えている。だから規律よりも方針の根幹にある共通の目的を理解してもらえるような活動が理想だと考えているが、その理想を他人に押し付けるつもりはない。『編集を楽しんでください』が押し付けだとはどうしても認識できないが、それが共通の目的に対して全く寄与せず障害にしかならないという理由があるのなら消しても構わないだろう。--Route78 2007年8月29日 (水) 12:51 (UTC)
憚りながら、一応がまとまりましたので、こちらについての私の意見もまとめておきます。
  1. 「編集を楽しむ」とはWikipediaの根本理念であり推奨されているものである。
  2. 「Wikipedia:編集方針」は初心者の歓迎も兼ねて書かれた説明文である為、無視して良いものではないが、押し付けられるものでもない。あくまで同意するものである(これは全ての方針文書に当てはまるものでもある)。
  3. 即ち、除去とするには論拠に乏しい少々強引である
(1)についての根拠として「編集方針」以外の方針文書で「楽しむ」という記述を見かけた記憶があるものの、ざっと探しました結果、見つけることができませんでした。確かウィキケット合意形成といった行動のルール関連の文書(草案含む)に『(利用者間の苦い論争の果てに・・?)楽しかったはずの編集活動が・・』のように記述されていたと思います(既に削除されたのでしょうか・・)。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月29日 (水) 13:19 (UTC)一部修正致しました。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月31日 (金) 13:50 (UTC)
「編集を楽しむ」とはWikipediaの根本理念であり推奨されているものである
Wikipedia:五本の柱などを確認しましたがそんな根本理念は存在しません。
何度も言いますが、編集を楽しむこと、楽しくやっていきましょうと呼びかけること自体は大いに大いに結構なことです。どうぞ、Wikipedia:ウィキペディアに参加するWikipedia:記事を執筆するWikipedia:素晴らしい記事を書くにはなどで、そう呼びかけてください。
「Wikipedia:編集方針」は初心者の歓迎も兼ねて書かれた説明文である
Wikipedia:編集方針は初心者の歓迎も兼ねて書かれた説明文である」などとは本文のどこにも書いてありません。Wikipedia:編集方針は、「掲載する記事は完璧でなくてもよい」「記事は議論なしで書き換えてもよい」「以前の執筆者が書いた情報は保存する」という「編集方針」が書かれている文書です。そうとしか解釈できません。
百科事典の編集においては、「完璧に近い記事のみ掲載する」「書き換えは議論してから決める」「以前の執筆者が書いた情報は削除する」という編集方針をとることもありえます。実際、ブリタニカ百科事典や、百科事典ではありませんがオーマイニュースなどはこうした編集方針をとっていると想像されます。ウィキペディアでも、こうした編集方針をとることは技術的には可能です。
ですが、ウィキペディアではこうした編集方針はとりませんとこの文書は言っています。例えば、数人が集まってウィキプロジェクトを作り、「今後我々の分野では『完璧に近い記事のみ掲載する』『書き換えは議論してから決める』『以前の執筆者が書いた情報は削除する』という編集方針を採用することで合意しました」などと宣言したとしても、そんな合意は無効だということです。
無視して良いものではないが、押し付けられるものでもない。あくまで同意するものである
Wikipedia:編集方針は、冒頭部分で、「すべての利用者が従うべきだと考えられています」とはっきりと宣言しています。一方、何かを楽しむことは個人の全くの自由です。誰かに言われて従って行うことではないのです。
「従えとは言っていない。アドバイスしているだけだ」というのであれば、なぜアドバイスをわざわざWikipedia:編集方針に書かねばならないのでしょうか?Wikipedia:ウィキペディアに参加するWikipedia:記事を執筆するWikipedia:素晴らしい記事を書くにはなどで呼びかければ大いに好ましいのではないのでしょうか?私はもう書きました。--Cave cattum 2007年8月31日 (金) 10:31 (UTC)
一先ず、お疲れ様でした。上記も含め、以下、私の肥大解釈と取って頂いても結構でございますが、一応お返事を書いておきます。
Wikipedia:五本の柱などを確認しましたがそんな根本理念は存在しません』
確かに「Wikipediaの根本理念は楽しむことである」などとは、どこにも書いてありません。ですが、Wikipedia:五本の柱には「確固としたルールはありません」の直後(括弧の後ですが)に『良い編集で満足を得るためにも、項目の編集や移動は大胆に行ってください』とあります。この『満足』とは何を指すものでしょうか?私はこれを「充足感」=「楽しみ」と解釈します。Wikipediaでの執筆作業は、仕事でしょうか?参加者全員に課せられた義務でしょうか?一方、全くのボランティア・・なのでしょうが、つまり完全なる「善意のみ」に基づいての活動でしょうか?ある種の自己満足は皆無でしょうか?上記(1)に示した私の意見を噛み砕きますと、『「編集を楽しむ」とは、Wikipediaに参加するに当たっての動機として、利用者の全て(では無いのかもしれませんが)に共通するものであり、一個人ではなく多くの利用者によって形作られるWikipediaの特性として自然的に根本理念として存在しているものであり、Wikipediaが拒む理由は無く、各種方針文書やガイドライン等々の文脈から察するに、むしろ推奨しているものでもある』となります。
『「Wikipedia:編集方針」は初心者の歓迎も兼ねて書かれた説明文である』
Cave cattumさんが上記で解説して下さった通りのことを初心者の歓迎も兼ねて説明した文書と認識しています。
『「すべての利用者が従うべきだと考えられています」とはっきりと宣言しています』
再度、誤解を招くかも知れませんが、Wikipediaの方針文書は、特に法律関係投稿ブロックなど、特別な権限を行使する際の手引きを除き、いわゆる「強制力」を持つものではないと考えます。更に言えば「Wikipedia:中立的な観点」すらも強制されるものでは無いと考えています。先に申し上げた通り、これらの方針文書は『同意』が求められるものであり、私も同意して執筆作業を行っております。そして、同意されない利用者には他の利用者から同意が促されるものです(結果、記述が除去されたり、記事が削除されたり、ブロックを受けたり・・)。公式方針とは、ガイドラインと比較して「議論の余地が無いもの」により近い文書であることを示すものではないのでしょうか?そういった意味では「従う」という表現も妥当なのですが、「従属(隷属)」とは別物と考えます。
『強制ルールとして「編集を楽しんでください」と書く必要性は無い。他のガイドライン等へ記載すべきである(要約しました)』
おそらく論点はここなのでしょうか。『強制ルール』と取ることも間違いではないのでしょうが、仮に強制ルールとして「楽しんで下さい」と記載したところで、その意図が伝わりさえすれば、自由云々を妨げるものとはならないのではないでしょうか?もっとも、『強制ルール』である以上、幾ばくかは妨げられる部分はあるのでしょう。しかし、それはWikipediaにとって「害悪」となりましょうか?本文から引用しますと『このみっともなさにあきれるのではなく、その可能性を楽しみにし、編集の過程を通じてそれが秀逸な記事に変わるということを信頼してください。もちろん、それを好きでなくてもよいのです(←ココも誤訳、というか直訳の匂いが致しますが・・)。時には、本当に低水準の作品には、それを単に直すだけでなく、批判することもよいでしょう。』のように、Wikipediaでの編集作業は「ポジティブ」に行うことが求められ、それは「礼節」などと併せ、効率的な編纂作業の一助となると考えます。再度になりますが、「編集を楽しんでください。」と無理に見出しに置く必要は無いのかもしれませんが、上記の理由により、見出しとして置くことにも特に違和感や不適切と感じることはありません。--裏言霊伝道師(会話/履歴/手紙) 2007年8月31日 (金) 13:50 (UTC)

「他の人が書いた情報…」の節を改定する提案

[編集]

他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」という節がありますが、おそらくこの内容は古い英語版の訳に基づいていると考えられ、現状に合わなくなっていると感じます。また、この部分だけを抜き出して、問題のある記述であっても除去すべきではないと解釈できなくはないことも懸念しています。そのため、この節にあたる最新の英語版の記述を元に、以下のように改訂することを提案します。

== 問題の解決を試みてください ==

問題を解決してください。もしそれができなければ、他の編集者に注意を促すか、問題のある部分を除去してください。問題のない記述は保存してください。完成度の高い記事に加えられた事実やアイデアであれば、保存してその場で改善されるべきです。必要ならば、テンプレートを用いてください。もしページの内容を大きく改稿、または変更する必要があると考えたのならば、ぜひそうしてください。しかし、一定の価値があると思える記述は、変更を行った理由とともにノートページに保存してください。十分な説明をしないまま、優れた記述を除去してはいけません。代わりに、改稿にいたった経緯を詳しく説明してください。Help:ページの編集は記事の質を高めるための道しるべになります。素晴らしいウィキペディアの記事は、編集者の努力の積み重ねによって作り出すことができるのです。

記述を除去する代わりに、以下の手段も検討してください。

  • 別の言葉で言い換える
  • 記述の位置を記事内で変える。もしくは、別の記事(既存、あるいは新しい記事)に移動する。
  • 記事のバランスを取るために有用だと思える記述を加筆する。
  • {{要出典}}タグで出典を求める。
  • 検索エンジンやニュースサイトなどで出典を探す。
  • 記事の改善を求めるテンプレートを問題のある部分に加える。
  • 新しいURLか、アーカイブされたページでリンク切れを修復する。
  • 記事全体を他の記事に統合し、元の記事をリダイレクトにする。

いくつかの主要な方針では、情報を保存するよりも除去した方がよい場合について議論しています。「検証可能性」では、情報源が示されていない、あるいは論争のある記述の扱いについて。「独自研究は載せない」では、独自研究を除去する必要性について。「中立的な観点」では、特定の観点に過度の重みが置かれている記述に対し、どうやってバランスを取るかについて。しかし、それらの議論は除去されているかもしれません。また、記事の冗長性は最小限であるべきです(導入部は含めません。記事全体の概要を示す、意図的な重複部分だからです。)。名誉棄損、意味のない内容、荒らし、著作権侵害は完全に除去されるべきです。

存命人物の伝記には特別な配慮が必要です。情報源が不明か、信頼性の低い情報源に基いている場合はなおさらです。このような記事を編集する際には、存命人物の伝記の方針にある特別な規定を理解する必要があります。

皆様のご意見をお待ちしております。--有足魚 2011年2月17日 (木) 14:35 (UTC)

コメント依頼から来ました。初心者で恐縮ですが、どちらかと言えば反対です。
真面目に記事を書いている人間ほど、自分の記述が削除されることには抵抗があるでしょう。実際には「問題がある」かどうかをめぐって意見対立が起きることが少なくないと思われ、いきなりの除去を全般的かつ積極的に許容しては、編集合戦を引き起こしてしまうと思います。
リンクを参照しましたが、「問題がある」と思われるケースについて場合を分け、一定の事由については即時除去を推奨し、残りは即時除去を推奨しないという現在の方針は、合理的で優れていると思います。ただし、即時除去を推奨する「一定の事由」をもう少し広げることはあってもよいのかもしれません。--Strategist 2011年2月23日 (水) 01:55 (UTC)
この案は、記述の除去を推奨するものではないと考えています。もし問題の解決に除去が必要ならば、という前提があってのことです(除去の代わりとなる手段を例示しているのは、そのためです。)。また、「十分な説明をしないまま、優れた記述を除去してはいけません。代わりに、改稿にいたった経緯を詳しく説明してください。」とあるように、除去した編集者に説明責任を果たすように求めており、自分勝手に除去ができるわけではありません。
何が問題のある記述かという点で議論があるのは、ある意味当然のことだと思います。記事を発展させていく中で、どれを残してどれを削るかという判断は随時必要となるものです。記事の内容に関する方針やガイドラインはありますが、最終的にはケースバイケースで判断しなければいけないからです。対立を恐れて記事の発展が停滞してしまうのは避けたいことであり、問題があればしっかりと議論をして合意を形成するのが最善の道だと思います。また、ウィキペディアでは(管理者による削除が行われていない限り)すべての過去版が保存されており、過去の記述を復帰させることも難しくありません。そのため、編集行為を抑制するより、盛んに編集して盛んに議論する方が生産的だと思います。--有足魚 2011年2月23日 (水) 09:52 (UTC)
コメントコメント依頼から来ました。改訂案は大筋で現在の「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」節を発展させた形ですし改訂自体には賛成ですが、改訂案にはまだまだ改善の余地があるように思います。
1. 現在の改訂案ですと、①自力で何とかする②他の編集者に協力を呼びかけるか問題点を除去する、というように協力の呼びかけと記述の除去とが並列になっていますが、解決の順序としては①自力で何とかする②他の編集者に協力を呼びかける③それでもだめなら除去、という流れの方がよりよいのかなと思います。
2. 現在の改訂案ですと大幅改稿は事後報告を推奨する形となっていますが、数々の記事で事前報告の無い大幅改稿を発端とする論争が起こっていることも考慮すれば、現行の記述にある「記事内容の大規模な除去や置き換えは(中略)事前にノートで提案してください。」という文のような事前提案を推奨する文を盛り込む方がよいように思います。記述の除去をしてから事後で理由を説明するよりは、理由を説明して反応を見てから除去する方が穏当であるように思いますし、Strategist氏が指摘された編集合戦が誘発されるという懸念もこのような形であれば少しは解消されるのではないかと思います。
3. 箇条書きされた問題解決の手段ですが、現状ですと①自力で解決する手段と、②他の編集者に協力を呼びかける手段が混在してますので、分けて書いた方が分かりやすいように思います。またこの部分の見出しは「記述を除去する代わりに、以下の手段も検討してください。」となってますが、これも解決の順序を考えるならば「記述を除去する前に、まず以下の手段を検討してください。」のような形の方がよりよいように思います。
4. 冒頭でいきなり「問題を解決してください。」では初めての方には分かりにくいように思えますので、「記事で問題のある記述を見つけた場合には、いきなりその記述を除去するのではなく、まずは問題点を解決するように努めてください」といった形で説明を補足した方が分かりやすいと思います。また節の表題ももう少し噛み砕いた方がよいかもしれません。
5. 後半の各種議論に関する記述については、「議論は除去されている」というよりは「これらの議論は問題記述の除去を容認する結果を含む場合もある」といった意味合いではないかなと思います。また、ここ言われている「議論」は英語版での話でしょうから、日本語版のガイドラインに持って来る際には、日本語版ではどのような議論が行われどのような結果となっているかを調査しておいた方がいいように思います。そこまで大きく事情が異なっているということは無いとは思いますが。
6. 改訂案と現行の記述を比較すると、現行の記述に除去されるべき記述として挙げられている「関係のない内容」が改訂案では省かれていますが、こちらも盛り込んだ方がよいように思います。冗長性に関する記述が含意しているのかもしれませんが明示されているわけではありませんし、この記述がなくなることで即記事に関係のない記述が溢れかえるようなことはないでしょうが、一応の抑止力としては明示しておいた方がよいと思います。
ひとまず気になった所としてはこの辺りでしょうか。よりよい物が出来るよう、期待しています。--重陽 2011年2月24日 (木) 12:02 (UTC)
ご意見ありがとうございます。自分の誤りもあり、そのことに気づくことができました。ご指摘の 1. から 5. までは以下の新しい案に盛り込んでいます。4. にある節の表題については、引き続き広いご意見をいただきたいところです。また、 6. に関しては意図的に省いたものではなく、現在の英語版になかったためです。この方針では、除去すべきすべての内容を網羅する必要はなく、他の方針なども参照して判断していただくものだと考えています。--有足魚 2011年2月24日 (木) 14:40 (UTC)

不親切な部分や自分の理解不足による部分もあったので、以下のように書き直してみました。


== 問題の解決を試みてください ==

記事で問題のある記述を見つけた時は、その問題の解決に努めてください。一人で解決できない場合は、他の編集者に協力を求めてください。問題が解決できなかった時は、その記述を除去してください。問題のない記述は保存してください。完成度の高い記事に加えられた事実やアイデアであれば、保存してその場で改善されるべきです。必要ならば、テンプレートを用いてください。もしページの内容を大きく改稿、または変更する必要があると考えたのならば、ぜひそうしてください。しかし、変更前の版で一定の価値があると思える記述は、変更を行った理由とともにノートページに保存してください。十分な説明をしないまま、価値のある記述を除去してはいけません。大きな変更を行う際は、事前にノートで提案することをお勧めします。Help:ページの編集は記事の質を高めるための道しるべになります。素晴らしいウィキペディアの記事は、編集者の努力の積み重ねによって作り出すことができるのです。

記述を除去する前に、以下の手段も検討してください。

  • 自分で問題を解決する
    • 表現がふさわしくないときは、別の言葉で言い換える
    • 記述の場所が適切ではない場合は、その位置を記事内で変える。もしくは、別の記事(既存、あるいは新しい記事)に移動する。
    • 中立的な観点から記述されていないのならば、記事のバランスを取るために有用だと思える記述を加筆する。
    • 出典がなければ、検索エンジンやニュースサイトなどで探してみる。
    • リンク切れがあれば、新しいURLか、アーカイブされたページで修復する。
    • 単独の記事にはふさわしくない内容であれば、記事全体を他の記事に統合し、元の記事をリダイレクトにする。
  • 他の編集者に協力を求める

いくつかの主要な方針では、情報を保存するよりも除去した方がよい場合について議論しています。「検証可能性」では、情報源が示されていない、あるいは論争のある記述の扱いについて。「独自研究は載せない」では、独自研究を除去する必要性について。「中立的な観点」では、特定の観点に過度の重みが置かれている記述に対し、どうやってバランスを取るかについて。これらの中に、記述を除去できる場合が含まれているでしょう。また、記事の冗長性は最小限であるべきです(導入部は含めません。記事全体の概要を示す、意図的な重複部分だからです。)。名誉毀損無意味な記述荒らし著作権侵害は完全に除去されるべきです。

存命人物の伝記には特別な配慮が必要です。情報源が不明か、信頼性の低い情報源に基いている場合はなおさらです。このような記事を編集する際には、存命人物の伝記の方針にある特別な規定を理解する必要があります。

以上です。--有足魚 2011年2月24日 (木) 14:40 (UTC) 一部修正--有足魚 2011年2月28日 (月) 11:42 (UTC)

提案 特に反対のご意見がないようでしたら、この案を反映させたいのですが、よろしいでしょうか。--有足魚 2011年3月19日 (土) 08:48 (UTC)
反対 前にも述べたとおり、実際には「問題があるか」をめぐって編集者の間で対立することが多いと思われます。問題があるかどうかに争いがあるのに、問題の解決を優先的に勧めるのは、問題がないと考えている編集者との間に激しい摩擦を引き起こすことでしょう。思うに、当該方針文書は「グレーならただちに削除しない」ことで記事の保存度を高めています。提案文書にはその精神が欠けていますので、賛成致しかねます。削除の必要性が高い一定の場合を除いて、グレーであれば記述は(加筆や出展追加は一向に構わないのですが)削除・変更せず、そのままの状態で議論を提起し、合意を形成してから削除等を行うべきことを明記すべきです。--Strategist 2011年3月20日 (日) 04:10 (UTC)
繰り返しになりますが、編集者によって何を問題視するか差があるのは当然のことです。しかし、意見の相違があれば議論を通じて合意を形成すればよいのであって、対立を過度に恐れれば問題の解決を困難にしてしまいます。記述の保存に関する考えが不足しているとも思えません。記述の除去は問題が解決できなかったときにやむを得ず行われるのであって、それを推奨するような内容にはなっていないはずです。実際、代替となる選択肢はより充実させています。また、議論は必要なときだけ行われればよいのであって(ウィキペディアは議論の場ではありません)、編集を行う人に議論の提起を義務付けるような内容には賛成できません。もちろん、その編集に対し反対の意見があれば編集を中止するべきでしょうが、事前に行動を牽制するのは害のほうが大きいでしょう。--有足魚 2011年3月20日 (日) 13:46 (UTC)
現状でもウィキペディアではたくさんの編集合戦が発生していますよね。その原因の多くは、他人の加筆した記述を、無断で除去してしまう行為ではないでしょうか?
編集除去を正当化する理由はいくつもありますが、緊急性にはかなり差があるでしょう。緊急性がある理由については、安全側に倒し、いきなり問題解決として除去してよいと思います。しかし緊急性がない理由、とりわけ編集者によって問題なのか自体についての認識が分かれるようなことについては、逆に記述保持側に倒し、記述の無断除去は許さず、合意を形成してから除去すればよいでしょう。そうすることによって、編集合戦を大幅に減らすこともできます。
現在の方針は、理由によっていきなりの除去を推奨するか記事の保存を推奨するかを分けていますので、その意味で大変合理的だと考えています。現在の方針を推し進めるべきであって、方針転換ないし後退させるべきではないというのが私の考えです。改定案は、理由によって推奨すべき対応を分けるという現在の方針の良さが、全く失われています。
現在の方針は除去前の議論立ち上げを義務付けるものではありませんが、議論発生後合意形成までの間、記事がどのような状態であるべきか(緊急性ある理由以外では原則記述暫定維持)ということに示唆を与えるものであり、優れています。ただし、「緊急性ある理由」を現状より拡大することについては、当然に反対するものではありません。--Strategist 2011年3月22日 (火) 01:59 (UTC)
反対 現在の方針のまま解決する方法を追加するのであれば賛成しますが、方向転換には賛成できかねます。Strategistさんのおっしゃる通り、見出しの「問題の解決を試みてください」という時点でその記述が問題であるか問題でないかを編集者に丸投げしているように感じます。現在の方針の「事前にノートで提案」のように、『意見の相違を議論を通じて合意を形成』するように促すことが重要であると感じます。つまり、問題であるかどうかは議論にて決定するものなのだから見出しに「問題」という言葉を使用している時点で編集合戦を誘導しているようにしか感じられません。
『ウィキペディアは議論の場ではありません』が、事前の議論なしの大幅改稿は編集合戦のもとになることがしばしばです。それなのにそのことを後付けのように書いてしまっては議論の重要性が薄れてしまうと考えます。--翼のない堕天使 2011年4月7日 (木) 16:56 (UTC)
コメント 改訂案は、方針転換というよりは、現在の記述から子供を諭すような冗長な文を除き具体的な形に煮詰めたものであり、現在の記述の発展した形のように思いますが、記述の順番等の問題でそうは見えなくなっているかもしれませんね。現在の記述では節の一番最後にある大幅改稿する際の話が、改訂案では一番上の段落に来てしまっていて、問題点の記述の改善の話と大幅改稿の話がごっちゃになってしまっているために、議論が後付になっているような印象の文面になってしまっているのかもしれません。ともかく、本改訂案の解決手順は①自力で何とかする②他の編集者に協力を呼びかける③それでもだめなら除去、という流れになっており、自力で何とかする手法として例示されているものは全て記述の意味内容が削除されない記事編集による問題の解決法となっているため、この手順に従えば他者への呼びかけなしに記述の意味内容が削除されることはないようになっています。テンプレートによる呼びかけの際に、削除すべきではないという意見の方がいればその時点で議論が開始されるでしょうし、テンプレートだけでは呼びかけが不十分であるなら、他者への呼びかけの方法にTemplate:告知テンプレートによるノートでの議論の呼びかけやWikipedia:修正依頼の利用を推奨するのもよいかもしれません。
理由による削除を推奨するか保存を推奨するかの使い分けに関しては、本改訂案でも下から2つ目の段落の「いくつかの主要な方針では、情報を保存するよりも除去した方がよい場合について議論しています。」以降に除去を推奨するケースについて記述されています。検証可能性における出典の無い記述や論争のある記述の扱いに関して等は今現在ですらWikipedia:井戸端/subj/初版から出典のない記事について思うことで議論されているなど、様々な所で議論され結論の出ていない問題でもありますし、現在の記述のように、解釈によってはいきなりの除去を推奨するように取られかねない文面を残すよりも、改訂案のように現在様々な議論が行われていて決定的な結論は出ていないけれども削除してよいとする結論に至った議論もあるかもしれませんぐらいの文面にしておく方が、現状を正確に反映しており、解釈の違いによる編集合戦の誘発も防げるのではないかと思います。Wikipedia:井戸端/subj/検証可能性の「出典を示す責任は掲載を希望する側に」の解釈についてでも「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」節の「記事の一部でも除去するときは、以下の理由に該当するものにしてください。」の部分の解釈についてはかなり揉めています。現在、完全に緊急に除去することが求められているのはここで挙げられている名誉棄損、荒らし、著作権侵害ぐらいのものでしょうし、無意味な記述は緊急性はないものの議論を待たずに編集除去することに問題はないでしょう。
「問題」があると断定することによって「問題」があることが前提となってしまって良くないというのは確かにそうかなと思います。節のタイトル自体は「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」のままにして、冒頭文を「記事で問題のある記述を見つけた時は、その問題の解決に努めてください。」から、「記事の記述に改善点があるように感じたら、その情報(意味内容)を削除するのではなく加筆することによって改善するように努めてください。」ぐらいでどうでしょうか。これまでのStrategist氏および翼のない堕天使氏の懸念を解消できるように、提案者である有足魚氏を差し置く形になってしまいますが、以下に改善案を作ってみました。

改訂案3

== 他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください ==

記事の記述に改善点があるように感じたら、その情報(意味内容)を削除するのではなく加筆することによって改善するように努めてください。一人で改善できない場合は、他の編集者に協力を求めてください。それでも問題が解決改善できなかった時は、その記述を除去してください。

あくまで一例ですが、記述の改善のために以下の手段を検討してください。

  • 自分で問題を解決記述を改善する
    • 表現がふさわしくないときは、別の言葉で言い換える
    • 記述の場所が適切ではない場合は、その位置を記事内で変える。もしくは、別の記事(既存、あるいは新しい記事)に移動する。
    • 中立的な観点から記述されていないのならば、記事のバランスを取るために有用だと思える記述を加筆する。
    • 出典がなければ、検索エンジンやニュースサイトなどで探してみる。
    • リンク切れがあれば、新しいURLか、アーカイブされたページで修復する。
    • 単独の記事にはふさわしくない内容であれば、記事全体を他の記事に統合し、元の記事をリダイレクトにする。
  • 他の編集者に協力を求める

いくつかの主要な方針では、情報を保存するよりも除去した方がよい場合について議論しています。「検証可能性」では、情報源が示されていない、あるいは論争のある記述の扱いについて。「独自研究は載せない」では、独自研究を除去する必要性について。「中立的な観点」では、特定の観点に過度の重みが置かれている記述に対し、どうやってバランスを取るかについて。これらの中に、記述を除去できる場合が含まれているかもしれません。また、記事の冗長性は最小限であるべきです(導入部は含めません。記事全体の概要を示す、意図的な重複部分だからです。)。名誉毀損無意味な記述荒らし著作権侵害は完全に除去されるべきです。

存命人物の伝記には特別な配慮が必要です。情報源が不明か、信頼性の低い情報源に基いている場合はなおさらです。このような記事を編集する際には、存命人物の伝記の方針にある特別な規定を理解する必要があります。

もしページの内容を大きく改稿、または変更する必要があると考えたのならば、ぜひそうしてください。ただし事前にノートで提案することをお勧めします。十分な説明をしないまま、価値のある記述を除去してはいけません。変更した際には、変更前の版で一定の価値があると思える記述は、変更を行った理由とともにノートページに保存してください。Help:ページの編集は記事の質を高めるための道しるべになります。素晴らしいウィキペディアの記事は、編集者の努力の積み重ねによって作り出すことができるのです。

検討よろしくお願いします。--重陽 2011年4月11日 (月) 15:39 (UTC)
  • 報告 再度議論活性化のためのコメント依頼を提出しました。また、上記改訂案3について少し手直ししました(除去部分には打消し線を入れ、加筆部分は下線で示しました)。--重陽 2011年4月17日 (日) 13:18 (UTC)
  • (予告)なかなかコメントがいただけませんが、コミュニティーポータル上の「検討中のプロジェクト関連文書」上に掲載され続けており、またコメント依頼も出していることからWikipedia:合意形成の「コミュニティに対して十分な告知が行われる場合のみ、沈黙を同意とみなすことができます。」に従い、コメント依頼を提出してから1カ月となる2011年5月17日 (日) 13:18 (UTC)以降に本記述を改訂案3の通りに改訂しようと思います。これは改定後の再議論を妨げるものではありませんので、改定後であれいつでもご意見いただければと思います。--重陽 2011年4月28日 (木) 22:19 (UTC)
コメント JAWPの編集方針を大きく変更するものであり、あまり申し上げにくいのですが、どちらかと言えば有足魚さん寄りの意見です。大事なことは記事を改善することであって、執筆者間の軋轢を避けることではありません。必要と認めたら記述の除去も厭わないように執筆者を促さなければいけません。説明責任は、除去する側ではなく記述する側に求められるべきです。もし「安全側に倒す」のであればむしろ除去なりコメントアウトなりしておく方が無難というものです。WikipediaはYourpediaと違って「先編集主義」をとっていません。その代わり、双方が「いつまでも納得しない」議論の膠着がしばしば起こりますが、これは記述の除去に関わる問題に限るものでもありません。一方が「改善」と思うことが他方にとっては「改悪」と感じられる、これも記述の除去に限りません。加筆することで改善することもあれば、除去することで改善することもあります。事前(事後)の説明なしに除去することが問題なのであれば、加筆することも問題のはずです。だいぶ以前から、ウィキペディアはGoogle検索の上位にヒットすることが多く、社会的影響力を持ち始めています -- いくら免責を謳っていても。なるべく問題ある記述が放置されないようにする必要があります。なおこれらの議論はWikipedia:ページの編集は大胆ににも波及してしまうかもしれませんけれども。--КОЛЯ 会話 2011年4月29日 (金) 08:51 (UTC)
コメントありがとうございます。まず執筆者の軋轢と記事の発展に関してですが、執筆者同士の軋轢を防ぐということを「目的」としているのではなく、記事を発展させるという「目的」のためには執筆者同士の軋轢を防ぐという「手段」が必要であるという観点です。どの記事においても執筆者同士の軋轢が起これば記事の発展は阻害されますし、編集合戦が元で長期保護に至れば記事の大きな発展は望めなくなります。遠回りに思えるかもしれませんが、編集者同士の軋轢による記事への悪影響が今現在様々な記事で生じていることを考慮すれば、結局は執筆者同士の軋轢を防ぐことが記事を発展させるというWikipediaの大目的に対する有力な手段であり、一番の近道であると思います。本改訂案では最大限の努力を払ってそれでも改善不可能な記述は「除去してください」と明記されているように、むしろ記述の除去が必要であると認められたなら除去すべきであると促しています。除去の前段階として、ひとまずテンプレートを貼って閲覧者にこの記述には問題があるという事のアナウンスを行えば、それで除去やコメントアウトといった記述内容を記事上から見えなくする手段をとることなく、除去やコメントアウトと同様の効果が見込めるのではないでしょうか。本改訂案に示された手法通りに事を進めれば、そのようにして記事においてはテンプレートを貼りつつノートでの議論を進めるという形になります。そのような形で議論が膠着しても、記事空間の問題点があることを示すテンプレートは(テンプレートはがしを強行されない限りは)維持されるので、問題のある記述があたかもその通りであるような形で閲覧者の目に触れ続けるというКОЛЯ氏の懸念されている問題は防げると思います。
説明責任を記述者に求めるべきであるということはその通りだと思います。他の編集者に協力を求める方法の一つに、「その記述を行った人に説明を求める」といった方法を追記することで解決できないでしょうか?そこで合理的説明と客観的な出典が明示されなければ、その記述は除去されるべきものでしょう。また、誰がどう考えても明白に論争の起こる余地がなく除去すべきであろうというような案件であれば、Wikipedia:雪玉条項による即時除去ということも可能であり、それは編集方針と矛盾・相反するものではなく両立されるべきことであると思います。
加筆でなく除去によって問題が解決することもあるという点に関してもその通りだと思います。本改訂案は、前述の通り加筆という方向性での改善が不可能であれば記述は除去されるべきであると明記しており、КОЛЯ氏の意見その通りのものです。加筆でなく除去によって問題が解決するかどうかは、一旦は加筆によって記事を改善可能かどうかを検討してみなければわからない事であり、そのために1.加筆の検討、2.他者への呼びかけ、3.除去という順序となっています。
問題のある記述をなるべく放置すべきでないという点については先に述べました通り、要出典や観点、独自研究などの「問題」の内容に沿ったテンプレートを張り付けることで、その記述を除去することなく閲覧者に対してその記述には問題があるのだという事を明示することができますし、それをもってひとまずの対処とできるのではないでしょうか。Wikipedia:ページの編集は大胆にに関しては、本改訂案でも「もしページの内容を大きく改稿、または変更する必要があると考えたのならば、ぜひそうしてください。」と明記してありますし、本改訂案のスタンスはWikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れない節に記述されていることとまさに合致するものであるように思います。--重陽 2011年5月1日 (日) 00:07 (UTC)
丁寧なお返事ありがとうございます。さて、ウィキペディアが誰でも編集できることを売りにしており、共通の知識背景を共有していない者同士が平等に編集に関われる以上、衝突は必要悪であり、避けられないものと思います。軋轢は除去によってのみ引き起こされるものではなく、漢字で書くか平仮名で書くかといった選択でさえ引き起こされるものです。さて私の趣旨は、繰り返しになりますが「まず加筆」と同様に「まず除去」も認めるべきだということです。他人が書きたいと思って書いた記述を除去することによって生じる軋轢と、他人が書くべきでないと思った内容を加筆することによって生じる軋轢とは、等価です。「軋轢を防ぐ」ためには、除去だけでなく加筆も、字句の修正も、同様に慎重さが求められるべきということにならないでしょうか。記事の「発展」とは、必ずしもバイト数を大きくするということではありますまい。より重要な情報とそうでない情報とを峻別し、当面必要のない情報や誤解を招く情報、嘘の情報をそぎ落とすことも「発展」であると考えます。「加筆が不可能であれば除去すべき」ということ以前に、「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」「その情報(意味内容)を削除するのではなく」という文言を最初から謳うことに問題があるということです。ですから改訂案3は私の見解とは方向が正反対です。単に「改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れず」くらいのスタンスがよいと考えます。この意味でWikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れないにも不満があります。本「編集方針」が改定された暁にはこちらも改定を余儀なくされるものと考えております。--КОЛЯ 会話 2011年5月1日 (日) 12:23 (UTC)
ご返答ありがとうございます。КОЛЯ氏の意見をいただき、「「軋轢を防ぐ」ためには、除去だけでなく加筆も、字句の修正も、同様に慎重さが求められるべきということにならないでしょうか。」に対してその通りであると思いました。方向性としては、「まず除去」を「まず加筆」と同様に認めるべきだというよりは、「まず加筆」も「まず除去」と同様にむやみやたらに行うべきではなく、熟慮して行わねばならないものであるという趣旨で方針を制定することがより良い形であるのだろうと感じます。加筆についても三大方針の準拠など加筆の前にも行うべき検討項目は多数あるように思いますし、「加筆によって改善を行う場合にも、三大方針をはじめとした各方針やガイドラインを満たすように慎重に行ってください」ぐらいを加えるとよいのではないかと思いました。
回避不能な衝突というものは確かに存在しますし、記事をより良い物にするために不可避な必要悪であるということもその通りに思いますが、それはあくまでも衝突を避けるための努力を最大限に払い、それでも回避することができなかった場合のことであると思います。記事の成長という観点から見れば、衝突を回避して建設的に記事を成長させることが何より優先させるべき事項なのであって、衝突が生む記事の停滞は必要最小限にとどめるべきではないでしょうか。衝突の回避への努力を怠ったが故の衝突は記事に対して不利益しか与えないでしょう。そういう意味でも、記事の停滞を防ぐための、衝突を回避するために有効であろう手法を「編集方針」という主要な方針文書において提供することは極めて重要であると考えています。
改訂案の下から3段落目の「いくつかの主要な方針では、情報を保存するよりも除去した方がよい場合について議論しています。」以降に「まず除去」が容認される可能性やむしろ「まず除去」すべき場合について言及されています。まず除去すべきか否かはケースバイケースであることが多く、画一的に全てのケースにおいて認めることも禁止することも非常に困難な事であるように感じます。その点で言えば、まず除去を容認するためには、まずはより狭い分野・状況ごとにおいて個別の議論によって「このようなケースにおいては「まず除去」することを容認する」といったコミュニティの合意を形成することが必須であり、全体の編集方針においてそこまで踏み込むのは時期尚早に思います。各論における合意を積み重ねた上で、総論である編集方針に改めて反映させるのが筋道として合理的でしょう。また、この段落には冗長性は最小限であるべきであることが明記されており、情報のそぎ落としも容認されています。情報を取捨選択することも記事の発展であるというのはその通りでしょうし、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんと照らし合わせても情報を削ぎ落すことそのものはWikipedia上重要な事であり、本改訂案はそれと相反するものではありません。ただ、そのような改稿を行う時には、改訂案の一番最後の段落の「もしページの内容を大きく改稿、または変更する必要があると考えたのならば」以降に書かれているように、十分な説明は必要でしょうし、「当面必要のない情報」を除去するならば、それが三大方針を満たした検証可能な信用できる第三者による出典を元にした記述である限りは、ノートへの転記等の形で保持すべきであると思います。
また、КОЛЯ氏が例に挙げられたような誤解を招く情報や嘘の情報などは、誤解を招くから、嘘だからと記述した当人への呼びかけや正しい情報を加筆することなく「まず除去」すれば、それは自分から衝突しに行っているようにしか思えません。これまでにStrategist氏や翼のない堕天使氏による指摘があったように、ある人が問題であると感じたその記述であっても、その記述をした当人にとっては問題がないと感じたからその記述をしたのでしょうし、前提として断定されている「誤解を招く情報」、「嘘の情報」が本当にそうであるのかを精査するためには、「まず除去」でなく「まず検討」すべきではないでしょうか。もしかしたら嘘だから除去しようと考えていた人が知らなかった出典に「嘘の情報」であると思っていたことが本当である旨記述されているのかもしれません。十分な検討と他者への協力の呼びかけを行って、それでもそのような出典がなければ除去すればよいでしょうし、それらを行う手間を惜しむ理由はどこにもないように思います。誰の目にも明らかに嘘であり論争の余地なく除去すべきであるのうなレベルのものであれば、それは前回述べたように雪玉条項による即時除去で対応可能です。先にも述べましたが、その際に要出典等のテンプレートを記事にはっておけば、議論をしている間にその記述が閲覧者に誤っているかもしれない情報を与え続ける事は回避可能ですし、まず緊急に行うべき対処としてはそれで十分に思います。
本節のタイトルおよび冒頭文が問題であるという点に関しては、これまでに述べた本節の内容が記述の除去を完全に否定するようなものではないという事とは違う印象を与え、何が何でも記述は残さなければならないんだという印象を与えかねず、改善の余地があるように思いました。КОЛЯ氏の示された「改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れず」というスタンスは非常に重要なことであると思いますし、これを節タイトルに採用するのもよいように思いました。改善を行う際には加筆も除去も慎重にという方向性で、冒頭文の再改訂案を提示しようと思います。

改訂案4

== 記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに ==

記事の記述に改善点があるように感じたら、ぜひ改善を試みてください。一人で改善できない場合は、他の編集者に協力を求めてください。加筆によって改善を行うのであれば、三大方針や各方針、ガイドラインを満たすように行ってください。除去によって改善を行うのであれば、その記述を行った人を含めた他の編集者への呼びかけを行うなどの配慮をしてください。どのような方法で改善するにしても、十分に検討を行い慎重さを忘れないようにしてください。

あくまで一例ですが、記述の改善のために以下の手段を検討してください。

  • 自分で記述を改善する
    • 表現がふさわしくないときは、別の言葉で言い換える
    • 記述の場所が適切ではない場合は、その位置を記事内で変える。もしくは、別の記事(既存、あるいは新しい記事)に移動する。
    • 中立的な観点から記述されていないのならば、記事のバランスを取るために有用だと思える記述を加筆する。
    • 出典がなければ、検索エンジンやニュースサイトなどで探してみる。
    • リンク切れがあれば、新しいURLか、アーカイブされたページで修復する。
    • 単独の記事にはふさわしくない内容であれば、記事全体を他の記事に統合し、元の記事をリダイレクトにする。
  • 他の編集者に協力を求める

以下は改訂案3と変更なし

以上、よろしくおねがいします。--重陽 2011年5月1日 (日) 16:53 (UTC)
さしあたり満足です。ありがとうございました。ほかの方の意見も聞いてみたいです。--КОЛЯ 会話 2011年5月2日 (月) 15:52 (UTC)
КОЛЯさん、こちらこそご意見ありがとうございました。КОЛЯさんのおかげでより良いものになったと思います。とても感謝しています。改訂案が更新されましたので、予告していた2011年5月17日 (日) 13:18 (UTC)以降の改訂予定は取り下げ、他の方の意見がいただけるのを待とうと思います。--重陽 2011年5月2日 (月) 23:52 (UTC)
賛成 より優れた案であると思います。特に反対がなければ改訂しても問題ないでしょう。--有足魚 2011年5月18日 (水) 12:44 (UTC)
有足魚さん、賛成ありがとうございます。本文書は様々な議論中で引き合いに出されることの多い文書であり、かつ早急に対処しなければならないような案件でもありませんし、慎重を期して改訂案4を提示した2011/5/1(日)16:53(UTC)から1カ月後の2011/6/1(水)16:53(UTC)まで待ち、それで特に反対意見が見られなければ改定を行おうと思います。--重陽 2011年5月18日 (水) 15:33 (UTC)

報告予告通り改訂を行いました。これまでの議論に参加された皆様、ありがとうございました。--重陽 2011年6月2日 (木) 16:18 (UTC)

導入部の翻訳による修正提案

[編集]

現行のWikipedia:方針とガイドライン#内容には、「方針の目的と対象範囲は、その文書の冒頭ではっきりと示してください」とありますが、この編集方針は文書の冒頭がまったくないという特異的なものであり、不親切であると考えます。よって英語版冒頭を翻訳し、要旨には日本語版独自の「慎重に」という表現を追加して、冒頭を作ろうと思います。以下の追加案です。この文書は方針なので2週間くらい待ち、異論がなければ追加します。(18日に続くコメントによる提案を反映)

ウィキペディアは数多の編集者の貢献による産物で、それぞれが異なる何かを持ち寄ります。調査の技術、技術的な知識、優れた執筆能力、または、ちょっとした情報。しかし、それらの中でも一番大切なものは快く手を貸してくれる意欲です。秀逸な記事でさえ完成と見なすものではなく、新しい編集者はいつでも、その内容を深めるにはどうしたいいかという新たな見識を提案できるのです。

情報テンプレートのリンクは、「こちら」ではなく「Help:ページの編集」に貼るもので正しいと考えます。ユーザビリティ--タバコはマーダー会話2015年11月10日 (火) 15:49 (UTC)

コメント 情報テンプレートですが、「編集方法についてはHelp:ページの編集をご覧ください」または「具体的な編集方法についてはHelp:ページの編集をご覧ください」の方が良いのではと思います。--にょきにょき会話2015年11月11日 (水) 12:00 (UTC)
確かにそのほうが分かりやすいので、では短い前者にしましょう。--タバコはマーダー会話2015年11月11日 (水) 13:03 (UTC)

コメント 編集者が持ち寄る「異なる何か」の内の1つが"willingness to help"なので、「しかし一番大切なことは快く手を貸すということです。」→「しかし、それらの中でも一番大切なものは快く手を貸してくれる意欲です。」としてはどうでしょうか。文案の表現だと前文との関係がちょっとわかりづらいので、編集者が「快く手を貸さない」ことはWikipediaの編集方針に違反する言っているようにも解釈でき、上から目線な物言いにも感じ取れました。--Yapparina会話2015年11月15日 (日) 02:55 (UTC)

ご指摘ありがとうございます。すぐに行動をとる必要はないので、行動ではなく意思という点の区別は重要ですね。その部分はYapparina氏の修正案にします。--タバコはマーダー会話2015年11月15日 (日) 05:41 (UTC)

コメント 案に意見を反映し修正しました。引き続きもう少し、意見がないか待ちます。--タバコはマーダー会話2015年11月18日 (水) 09:21 (UTC)

コメント 反映しました。--タバコはマーダー会話2015年11月26日 (木) 02:22 (UTC)