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Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/管理者の信任基準の変更提案

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管理者の信任基準の変更提案

[編集]

上の方でちょこっと出てはいましたが・・・どうも霧散している感じがあるため、(立候補基準の改正はちょっと別にして)管理者投票における、信任基準の変更を提案します。なお、変更というのは、ラインの引き下げです。もちろん、上のほうでも言われておりますとおり、過去の合意などとの衝突などがあるかもしれません。しかし、Wikipedia:井戸端などで管理体制云々が騒がれることが多くなった今日、管理者を増やす必要性はあると考えます。また、信任ラインを下げた場合、質の低下が懸念されますが、これについては、Wikipedia:管理者の解任が一応の公式化されており、運用が開始されています。また、これについてはまだ私も提案しているだけで草案もできていませんが、自動的な再信任規定などにより、質の低下はかなり防げるのではないかと、私は考えます。先月辺りにあった議論は、悲しいことに上で音頭を取っていたAphaia氏が(私から見るとまことに情けない内容のことで)編集が減少していたこともあり、いったんまとめなおしたほうがよいと思ったため、再度提案させていただきました。なお、変更までの手順としては

  • 変更の必要性をこの場で議論(2週間から1月程度で済ませられればと思いますが)。
  • 変更の必要性があるかないかを投票(準備1週間、投票1週間程度が妥当かと)
  • 変更の必要性ありとなった場合、具体的な変更点を議論(これも2週間程度で済ませられれば・・)
  • 変更点を投票(議論で出てきた信任ラインをいくつか並べ投票。準備1週間投票1週間)
  • 最多得票の信任ラインについて、妥当かどうかの最終検証
  • 反映

という形がよいのではないかと思います。なお、必要性の議論については、ある程度の期間で切って、投票によって最終的な必要性を出す形になると思います。また、井戸端での告知については、(重要性を鑑み)1段階ごとに告知するのが、妥当ではないかと考えます。--koon1600 2007年6月21日 (木) 17:55 (UTC)

しばらくこちらは見ておりませんので気づきましたが「私からみるとまことに情けない内容のことで」とはなんでしょうか。ご自分の思い込みで他人を攻撃することこそ見苦しいことと考えます。長くなりますので、項を改めてコメントを述べたいと存じます。--Aphaia 2007年7月23日 (月) 07:51 (UTC)
信任ラインの引き下げに関しては賛成します。現在の75%がなぜそうなっているかの確認だけしておくと、そもそもはコンセンサスで決定していたものを投票制度に移行させたため高い数値の賛同が求められたからだと理解しています。その上で現状では、コンセンサス制から投票制へ移行したのと同じ理由、すなわちコミュニティの拡大のため、信任ラインを引き下げることも妥当だろうと思います。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年6月21日 (木) 18:18 (UTC)
信任ライン、投票資格等々、合意形成して変更していけるところから改訂していくことに賛成。--花いちもんめ 2007年6月21日 (木) 22:58 (UTC)
仕切り直しが行われた事に感謝します。私は変更の必要性を感じません。というのも元々『質』がどうこうではなく、『悪戯しない』『合議制を守る』『マナーを守る』という基本が守られていれば私は管理者になる事を積極的に否定するべきしないという考えを持っています。なので「管理者の数を多くしよう」の前に、「管理者に必要な事は何か、求めるものは何か」について足並みを揃えるべきだと思います。蛇足ですが、将来理想を語れば「立候補(提案承認75%)」「任期継続(提案承認50%)」「解任(提案承認75%)」です(それもあって議論の第1投稿は否定的意見を述べさせていただきました)。--秋月 智絵沙 2007年6月22日 (金) 05:41 (UTC)
ご意見ありがとうございます。重要な案件にもかかわらず案外集らないのがさびしいところですが(管理者になる気ない人とかには、あんまり関係ないからですからかね・・・)。このごろの投票で気になっているところは、反対票の比重が大きくなりすぎてはいないかという感じがあるのです。現状、反対1に対して賛成3であり、反対票は3倍の重みがあります。私は、これはちょっと重たすぎるのではないかと思っています。それと・・管理者の数について正直かなり深刻で(減少に転じかけていますし・・・)、こちらを何とかしたい、というのがこの提案の本質です。その他の信任解任については、私はもう少し低めに考えていて、簡単に言えば「ある程度簡単になれるけどある程度簡単に解任できる」という形のほうがよいのではないかと思っています。--koon1600 2007年6月26日 (火) 06:39 (UTC)
Koon16000さんの意見に同意です。信任賛成2/3以上で就任、解任賛成1/3以上で解任ぐらいでもいいのかなと思います。ぎりぎりで信任された管理者がいたとしても、やりなおし投票で即解任されるといったことはあまりないのではないかと思います。解任投票で例えば不信任49%といった管理者がいた場合に現状では留任になりますが、実質的にほぼ半数から不信任といった判断を下された管理者が管理業務をこれまでどおり続けられるとは思いにくく50%以上解任に賛成しなければ解任しないというのは甘いのではと思います。全く同率にしないとしても、比較的わかりやすい割合がよく2/5(40%)以上の解任賛成ならば解任というのではどうでしょうか。--Tiyoringo 2007年6月26日 (火) 12:51 (UTC)
信任基準の引き下げに反対しません。ただ、下げ幅については意見はありません。議論の結果どのように決まっても (現状維持も含む) 同意します。
すでによそで述べたように[1]、管理者になりやすくするだけでなく、ある程度の期間管理者をつとめたひとに対して評価 (解任するか留任させるかということではなく) をすることで、コミュニティが管理者をencourageする仕組みがあったほうがよいと考えています。入口 (就任) と出口 (解任) は投票で決めるしかないとおもいますが、その途中をどうするかを、今後考えていきたいとおもっています。
そういう意味で、管理者になりやすくする方向での変更には反対ではありませんが、管理者を解任しやすくする方向での変更には賛成ではありません。 --Hatukanezumi 2007年6月27日 (水) 09:28 (UTC)
んー・・私がちょこっと言ってしまったのが原因なのですが、管理者の解任については、また別の話なので、ここで話すことは適切でないと考えます(申し訳ありません)。引き下げなのですが、一応そろそろ提案から2週間たっています。あんまり活発な議論が行われているとはいえないのですが・・そろそろ、必要かどうかの投票をどういった形で行うかを話し合ったほうがいいかもしれません。--koon1600 2007年7月3日 (火) 14:48 (UTC)

現在、ある削除依頼に関係して大規模な広域ブロックが行われています。信任基準についての議論を先導してきたkoon1600さんもその巻き添えになっており、議論に参加することができない状態になっています。私は利用者ページで「ブロックの巻き添えになった方はウィキメールをどうぞ」と明記していまして、koon1600さんから以下の内容を託されましたので代理投稿いたします。 --ここから--

koon16000です。当方は現在、BBTECHの広域レンジブロックに巻き込まれ、
記事の編集やノートでの議論参加などが行えない状態にあります。
今回の提案についてなのですが、どなたか心ある方が音頭を取って
いただけるのならば、私以外の方主導で進めていってもらってかまいません。
なお、議論については目を通しておりますので、なにかありましたらメールを
つかっていただければ、応答できます。

--ここまで--

以上です。--Lonicera 2007年7月9日 (月) 15:41 (UTC)

とりあえず、穴あけが行われましたので復帰しました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。さて、ちょっと議論が泊まっている感があるのですが・・・投票については、サブページ作って、1週間の間投票して、過半数をラインにしようかとおもっているのですが、いかがでしょうか?まだ議論が続くなら、投票も先になりますが。--koon1600 2007年7月12日 (木) 14:17 (UTC)

こういうのは思い切りが大切だと思うので投票用ページを作ってしまってはどうでしょうか。とりあえず、解任を絡めると複雑化するだけなので立候補だけを対象に選択肢は信任基準を引き上げ、現状維持、引き下げで過半数で次のステップで。投票資格はいつもの通りでいいとして、議論の要約というか各選択肢のメリットの列挙ぐらいが後は必要ですか。個人的にしばらく投票の面倒を見れる状況ではないのであまりお手伝いできませんが。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年7月19日 (木) 10:32 (UTC)
Tanuki Zさんに質問ですが、下に#管理者信任手順意見投票がMaris stellaさんによって作成されていますが、強制力のないアンケートについては、私も上の#投票権、当選・信任ラインの再考でAphaiaさんにお願いしてみたところです。Tanuki Zさんが言われている「投票用ページ」というのは下の「強制力のないアンケート」とはまた違うのでしょうか。
また、「コメント依頼を出していただければ私が動議を出します。」という発言がありますが、どういう意味でしょうか。つい最近Miya氏の保護解除即編集した件で関連管理者へのコメント依頼が出たので、解任動議を出すのかなと思ってみていましたが。。。--Godaigo 2007年7月20日 (金) 13:06 (UTC)
とりあえず、私が現在進めているやつ(つまりこれ)は「変更を行うかどうか、また変更するならばどうするのか?」という提案ですから、当たり前ながら投票の決定には強制力が発生すると考えられます(というより強制力が発生しなければ意味がない)。正直、ああいった形で(変えるべきなのかそうではないのか、そういった意見もまったく出さずに)いきなり出てきて作られるのはこっちとしてはかなり遺憾なのですが(そもそも、具体的に変えようという提案なのになぜわざわざ強制力のないアンケートをしなければいけないのかが疑問です。まったく必要のない手間が1つ増えるだけに感じます。強制力のある投票はどっちにしてもやらなければならないわけで、なぜ2回も同じ投票をするのか?と私は思います)。
一応、上で書いたように1週間程度の投票期間で、変えるか変えないかの投票(Tanuki Zさんは3択を出しているのですが、私は変えるか変えないかの2択にしようと思っていたのですが・・どっちにしましょうかね?)をしようかと思います。--koon1600 2007年7月20日 (金) 17:12 (UTC)
投票の下地になるページとして利用者:Koon16000/管理者の信任基準改定可否を作成しました。時刻タグなどは不慣れなので、間違いがあるかもしれませんので、指摘などありましたらよろしくおねがいします。--koon1600 2007年7月20日 (金) 17:50 (UTC)
アンケートについて。このページの上の方にも放置してありますが、よほど強い意思と見通しがなければ拘束力のないアンケートにさして意味はありません。またごたごたと色々とひっくるめて何かをやろうというのは何らかの思惑上の必要があるのならともかく、そうでなければ長引くだけだろうと経験上思います。投票ページというのはkoon1600さんの作ったような投票を実際に行うページのことです。こんな長大なページでは投票を行うのには不向きですから。解任関係については全くの横道ですね。私の会話ページにお願いします。というかどこでそう書いたか思い出せないので。。とりあえずその件については一度に3人分行う必要がありますがそのためのまとまった時間が取れるようになれば考えます。
選択肢を3つにしたのは、同じ「変えるべき」でも引き上げるか引き下げるかでは投票者の意図があまりにも違いすぎるからです。「引き上げる」の人にとっては「引き下げる」よりは「変えない」方がまだましでしょう。まぁ実際問題として引き上げるべきという主張はほぼないと思ってもよいでしょうが一応念のため。
各選択肢の主張は「引き下げ」=「なりやすくする」、「変えない」=「管理者というものについての見直しのほうが重要」、「引き上げ」=「(主張者はいませんが)質の向上」とかでしょうか。この投票に関しては別に必要ないかもなぁと思い始めていますが。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年7月20日 (金) 22:40 (UTC)
なるほど。私が二択したのは引き上げも引き下げも、目的としては再考に代わりがないため一緒にしても良いかなと思ったことと、二択のほうがいろいろとやりやすい(票が分かれた場合、決選投票をする必要がないとか、そのあたりが)かなと思っています。とりあえず・・・二択でよいでしょうかね?--koon1600 2007年7月21日 (土) 06:00 (UTC)
好みの違いだと思います。私は多分引き下げになるだろうと思っていますので、次の段階に移ってから現基準より引き上げ、2/3、過半数みたいな選択肢で争うよりは先に絞った方がよくないかなと思います。-1, 0, 1, 2 ,3… が選択肢で先に0だけ外すのは変だと思ってしまうので。他方で、まず変えるか変えないかという点を重視するのもありだろうと思いますので結局は投票を引っ張る方の好みでよい(そしてそれは自分ではない)のではないかと思います。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年7月24日 (火) 10:15 (UTC)

信任ライン引き下げの意義目的

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投票権、当選・信任ラインの再考の節で意見しましたが、私としては、信任ラインの引き下げは、投票資格の引き上げとセットという感覚があるので、信任ラインのみいじる、という調整にはちょっとうーん、という感じです。管理者を増やす目的ということはわかるのですが、現状でその目的が果たされていないわけではありません。具体的には、信任ラインが2/3であったなら信任されていたというケースが過去にあったと記憶していますが、反対票にもそれなりの理由はあったようなので、3/4が問題で2/3の方がよりましである、とはいいにくい気がします。投票するにしても、信任ラインを引き下げたいとする理由やその意義について、もう少し整理していただけると助かります。私が上で意見したときは、信任ラインのこともありましたが、むしろオープンプロクシの扱いやソックパペット防止の観点から投票資格への問題意識が表明されていた流れではなかったかな、と理解していたのでそういう違和感があるのかもしれません。個人的には、投票資格についても投票に組み込んでもらえないものか、と考えます。なお、解任制度との整合については、解任制度が最近になってできた経緯もあり、どちらかといえば、解任制度の方で議論した方が混乱が少ないだろうとは思います。--みっち 2007年7月23日 (月) 02:53 (UTC)

長いのでまず署名しておきます。--koon1600 2007年7月23日 (月) 07:22 (UTC)
信任ラインを下げることにおける最大の理由は、やはり管理者の絶対数が少ないことです。日本語版の5倍弱の規模をもつ英語版には25倍ほどの1,282アカウントの管理者がおり、アクティブは849アカウントとなっています。もちろん日本語版との記事の粒度などは考えないといけません。しかし、明らかに日本語版管理者の数が不足しているというのは、多くの方が(削除依頼や移動依頼などにおいて)感じているのではないでしょうか?
さて、管理者の人数については、ちょっと改めて調べてみましたが・・・2006年9月24日に50人、10月1日に51人、10月7日に50人、10月19日に51人、11月10日に52人、11月17日に53人、12月14に55人となりました。さて、ここからが問題なのですが・・12月30日には56人になりました。年が明けて2007年1月17日に55人に減りました。4月4日には53人に減り、4月16日には54人に増え、4月25日には53人に減り、5月7日には52人、5月15日には51人まで減りました。そして5月24日はついに50人を記録しました。5月26日には久しぶりに増えて51人、5月27日に52人、6月2日に53人、6月3日には54人、6月12日に55人6月20日にはまた減って54人、そして、7月22日に55人となり現在に至ります。こうやって見ればわかるんですが、管理者の数は、増えるどころか実は横ばい、むしろ最高人数だった56人より少ないのです(06年9月24日より5人増えていますが、増える前に一回ガクッと減った時期があるのには、注意する必要があると思います。そして、この間もwikipedia日本語版の記事数は増え、規模は肥大化していることも)。たしかに、管理者の立候補では、3/4の基準を満たして就任する人はいます、しかし実は「入れ替わっている」だけで数自体は増えていないのです。これは結局、やめる人が多いというのもあるのですが、この状況を改善するには、基本的には「管理者がやめないような環境を作る」か「就任する管理者を増やす」のどちらかしかないのではないでしょうか?
さて、その間にやめた管理者の方の退任理由を見てみると、一人とても気になる理由をつけている人がいます。「管理者になってからWikipediaへの参加が苦痛になってきたこと、それによって余裕がなくなりつつあることです」という理由を出した人がおります。つまり、管理者の業務というのは、(現状の人数でこなすのは)その実えらくきつい事柄なのではないかと、私は考えています(私自身は管理者ではありませんので、もしそうでないのでしたら、申し訳ありません)。で、人数が増えれば一人当たりの負担が減り、それによって管理者が減りにくい環境も作れるのではないか・・そう考えています。で、人数を増やす一番手っ取り早いのは、管理者の信任ラインを下げて多くの人が信任されるようにすればいいのではなかと、思ってしまいます(上で出した期間だと、仮に66%とした場合、2人ほど66%に届いた人がいます)。すくなくとも、引き下げることによって、就任数が増えるのは(前2つの例からも)確実と思います。また、もうひとつの理由は、反対票の重量が大きくなりすぎていると感じていることですね(現状、反対1票で賛成3票分の重量があるわけで・・)。ただ、これはあくまで付随的な理由ですし、上で少し言っていますから、今回は割愛します。
投票資格については、ちょっと難しいところではありますが、やはり、この節では話し合いたくないというのが本音です。今回の議論で一番避けなければならないのは、以前のような立ち枯れによる破綻です。2005年にも一回出て、一番上にあるような意識調査まで行われたわけですが、それ以降発展しませんでした。そしてこの前の議論では、主導していた人がとある理由で出てこなくなって枯れてしまいました。いろいろとひっくるめると、どうしてもそういったことが起こりやすいというのは、あると思います。なので、資格については、この下に別の節をつくって、そこで似たような手順で改訂を目指すか、これが終わってから「次」という形のほうがいいのではないでしょうか?別に、まったく同時に改訂する必要性も、無いと思いますし。解任については、同意です。やるなら、向こうでしょうね。--koon1600 2007年7月23日 (月) 07:22 (UTC)
管理者数が少ないということについてですが、50人以上いる管理者諸氏全員が、毎週何時間間かjawpでsysopを行使しているのでしょうか。他のウィキプロジェクトの管理者をなさっているのでおいそがしい管理者も居るのではないでしょうか。管理者数が少ないだろうけれども、1週間の内に一度も権限を行使しない管理者さんもいるのではないでしょうか。コミュニティに信任されたのですから、その責任を果たすべきだと思うのですが如何でしょうか。--Godaigo 2007年7月23日 (月) 12:35 (UTC)
えっと、とりあえずちょっと見てみました。なお、管理者の場合、3ヶ月以上編集が無い場合、自動解任となり、先にあげた間でも、その間に退任した9人中4人がこれに引っかかり自動退任となっています。まず、1週間以内に編集を行っている人は45、1週間以上1月以内編集を行っていない人は4、1月以上2月以内編集を行っていない人は2、2月以上編集を行っていない人は4、そして・・あと1週間程度で自動退任に引っかかる人が2人、3ヶ月以上編集は無いものの、別権限があるため自動退任にかからない人が1人いたことも記しておきます。とりあえず、全員ではないですが40人以上がアクティブで編集(今回見たのは、あくまで編集であり、権限行使ではないことに注意してください)をおこなってはいるようです。ただ・・・このままだと7月末と8月頭に2人自動退任に引っかかるので・・そうなると53人なんですよねえ・・責任については、あんまりこういったことは言ってはいけないのですが、管理者さん自身にご不幸があったりなども、考えられますから、一概には言えないのではないかと思います。--koon1600 2007年7月23日 (月) 13:29 (UTC)
管理者になったからといって必ずしも権限を行使しなければならないわけではありません。「管理者になったからには仕事をしなさい」なんてコンセンサスは無いはずですが(自動退任も長期未使用のアカウント奪取の危険回避)。一週間or一ヶ月に一回でも、アクティブな管理者がいないときに権限を行使してくれるだけでも批判されることは無いと思いますが。個々の管理者に責任を押し付けすぎです。--たね 2007年7月23日 (月) 13:40 (UTC)
投票資格の引き上げというのは、「投票」の敷居の問題ですので、管理者になる上での敷居とは、直接には関係しないように思います。票そのものの信頼性というか、重要さを増すために、投票資格の引き上げがある。一つは、投稿数が多くなることで多重投票の判断が容易になるということ、あとは、過去の例は検討していませんが、比較的新しいユーザが賛否どちらかに偏り、比較的経験のあるユーザがその反対側に偏る、というような場合に利いてくるものだと思います。資格の変更ということでは、解任のほうでは、記事名前空間限定とするか、全編集とするか、という議論もありました。
管理者というのは、義務や責任を抱えるものではなく、自発的に、できる範囲で権限を行使する作業を行なう、ただし、大きなミスや、恣意的な行使や、権限の濫用があっては困るので、信任手続を踏まえて管理者となる、ということだと理解しています。
管理者の増減については、たとえば、大学生や院生で、2年ほど管理者をやって卒業を機に辞任あるいは忙しくなって自動退任ということは、いかにもありえる展開ですから、ある程度の頻度で入れ替わることを前提として考えておくことの方がよいと思います。
引き下げについて、現実的には、過去のログを見ると、たとえば2/3、あるいは1/2にしたところで、非信任が信任になっていた候補者の数は、さほど多くはありませんから(これに当てはまる人には申し訳ない表現ですが)、信任への敷居というよりは、立候補のための敷居を下げる効果への期待、だったりはしますし、現状、いかにも忙しそうという風に見える(実際作業に追われがちでもあります)というのが、立候補への抵抗となっている面もあるでしょうから、10人、20人増えたところでブレイクスルーがあるのかもしれません。絶対数としては、大幅に増えることが望ましいので、比率や他の条件については後に議論があるにしても、基本的に引き下げには賛成します。--Ks aka 98 2007年7月23日 (月) 19:27 (UTC)
Koon16000さん、わざわざ調べて頂きありがとうございます。約4/5の管理者がアクチブなのには、私の想像とは大きく違い、安心しました。その他、他のプロジェクトの管理者を掛け持ちのため忙しい方もいるかも知れませんね。そのうちに調べておきます。さて本題の信任ラインの件ですが、引き下げに賛成の方が多い中で反対するのは心苦しいのですが、反対です。現在何人かの方が立候補していらっしゃいますが、編集回数を見ただけでも経験不足を感じざるを得ませんし、反対に、編集回数が多いからいいのかというとそうでもありません。1月に500回前後も編集なさる超人的なお方にも首をかしげざるを得ません。そのような方を人気投票まがいの投票で信任されても後混乱の原因になるばかりです。そうなると投票する人の見識や資格などを考慮しなければならなくなります。というわけで、信任のラインだけを改善しても他の要因が付随していますので、言うのは容易く、総合的改善策を考えるのは大変なことは分かっているのですが、ある程度総合的な改善策が必要になってくるのではないかと思っています。
ユーザーたねさんの激情的なコメントを無視するのも失礼かと思いますので、応答しておきます。ちょうどいいことにKs aka 98さんが上で「管理者というのは、義務や責任を抱えるものではなく、自発的に、できる範囲で権限を行使する作業を行なう、…ことだと理解しています」といっています。その通りだと思います。管理者は、他から強制されることなく、自主的・積極的に活動することが大事であると、私も考えております。納得いかなけねば、どこへでも、再度コメントして下さい。--Godaigo 2007年7月24日 (火) 01:04 (UTC)
「管理者になる上での敷居」という意味がよくわからず、そのことでKs aka 98さんがなにをいおうとされているのかいまひとつ把握できていないのですが、投票資格の引き上げが投票の信頼性を増す効果がある、という点では意見が一致していると思います。その意味で私は、信任ラインとの組み合わせ方によって、管理者信任投票がより効果的に機能するのではないか、少なくとも上の議論はそういう流れだったのではないか、といっているわけです。残念ながら、こちらではその意見は汲んでもらえないようですので、あきらめてこの場から退くことにします。
それで最後に、前回もお願いしたことですが、信任ラインのみを引き下げる理由と意義について、もう一度整理をお願いします。私としては、とくに以下の3点について、疑問があります。このことは、投票する際にも参考となると思いますので。
  1. 管理者が不足していることについて、ウィキペディア日本語版において具体的にどういう状況になっているか、それを克服するにはどれくらいの管理者増が必要か、という分析。すでに出されているように、信任ラインの引き下げ(当面2/3を想定)で期待できる「増員効果」はわずかなものですから、これが管理者不足の要請にどの程度応えるものなのかを判断する指標になります。もしこれでは間尺に合わないとすれば、もっと思い切った手法、例えば暫定的に定員を定めて、先ごろのメインページの改訂のようにいっせい募集し、複数投票で上位得票者から一気に選ぶ、というようなことの方がむしろ現実的かもしれません。
  2. 他言語版との比較をするなら、英語版だけでなく、各国語版の状況をふまえて、日本語版がどの程度のところに位置しているのか客観的に明らかにすべきです。
  3. 管理者の辞任・退任による減少と信任ライン調整の関係性について。koon1600さんの論法では、今後さらに管理者の辞任・退任が出た場合、これに伴って信任ラインが際限なく引き下げられてよいことになりかねません。当然ながら、管理者の減少には解任による場合も含まれるので、避けたいとしている解任制度とのリンクをご自分で呼び込んでいる、ともいえます。これはあまり筋の良い話ではないでしょう。
以上です。--みっち 2007年7月24日 (火) 03:18 (UTC)
みっちさん→「管理者になる上での敷居」について。ええと、セットで、というところで、投票資格の引き上げが、票の信頼性だけでなく、信任されやすさ、されにくさとも繋がっているという認識かと捉えて書いたのですが、みっちさんの意図としてはそうではなかった、ということのようです。誤読失礼しました。
Godaigoさん→ぼくの書いたことは、たねさんとあまり違わなくて、「自発的」には「積極的」であることを求めない、ということも含みます。自発的に作業する分だけ、作業するのであって、それ以上は、外部から求めるものでも、義務や責任から頑張ってしまうものでもない。できる範囲が週一でも月一でも、それで十分だと思います。
三つの疑問について。
まず、前提として、信任ライン「のみ」を引き下げるということではなく、引き下げる方向で検討をはじめてよいかどうかの確認だと、ぼくは認識しています。付帯条件は、その中で議論していくことになるのではないかと思います(そこも含めての議論から始めるということなら、下のMaris stellaさんのアンケートのほうが進行上好ましいということになるでしょう)。
1)について、印象以上のことは言えませんが、ぼくが把握しているのは即時削除を除く削除依頼ですが、かなりアクティブに活動できる人が、あと3人から5人は必要であるという印象を持っています。活動の頻度によって、当然人数は変わります。先週分のログが難しい案件を除いて確実に処理されて、複数人が長期積み残し案件の処理に当たるとなると、それくらいかなあ、と。暫定的に、という案については、募集をかけたときに立候補者がどれくらいでるか、というところが結局のところ問題で、立候補を促す効果が期待できるかどうかの判断になるのではないかと思いました。思い切った手法ではありますが、効果はあるような。信任ラインの引き下げも、ぼくは、引き下げによる増員効果よりも、立候補への心理的障壁を下げる効果を期待しているところがあります。
2)について、どっちかというと他言語版との比較は(英語版も含めて)、目安程度にしかならなくて、各種依頼の対処状況から考えるのがよいと思います。
3)について、信任ラインの引き下げは、管理者の絶対数を増やすものではなく、増えるペースを挙げるものと考えられますし、引き下げるといっても、せいぜい過半数が下限でしょうから、それほどおおごとにはならないとは思います。解任のほうは、それほど頻繁に起こるものでもないでしょうから、解任ラインとの関係は、管理者の増減について考えるものではないように思います。解任との関係も含めて考える余地を作ったほうが議論の筋道として好ましいということなら、やはり以下のアンケートをベースに進めるのが良いと思います。このへんは、Koon1600さんの手順と、Maris stellaさんの手順と、どっちがうまく議論が進むか、というところでしょう。ぼくはこっちのほうがコメントが先に進んでいたのと、アンケートのほうはちょっと考えないと答えられないってことでこっちにコメントをつけていますが、Maris stellaさんの手順に異議があるわけではないですし、議論参加者の間で調整・選択すればよいと思います。--Ks aka 98 2007年7月24日 (火) 06:55 (UTC)
Ks aka 98さん、「管理者になったからといって必ずしも権限を行使しなければならないわけではありません。」とたねさんが言っているのは余りにも言い過ぎではありませんか。それでは、何のために管理者権限を持ったのでしょうか。行使しなければならない訳ではない権限ならば即刻返上すべきですし、立候補して管理者権限を得ることはなかったのです。と、まあ、言い返してはみたものの、本論と違うことに力入れることもなかったですね。おじゃましましたね。--Godaigo 2007年7月24日 (火) 09:30 (UTC)
みっちさんへ。私が基準の引き下げを言うのは規模の拡大が理由です。従って数が足りないということは私の中ではそれほど大きくありません。就任は当初はコンセンサスでしたが規模拡大とともに一つの意見に収束させるのは難しくなりましたので投票制に移行しました。現状はさらに規模が大きくなりましたので意見の集約はさらに難しくなっているだろうと考えています。よって、実務上の必要からも引き下げで基準を緩めるべきではないかと考えています。少なくとも私の場合は増えやすくなることが目的で増やすことは目的ではありません。
あと、個人的には投票資格の引き上げには反対です。ソックパペットだのなんだので投票妨害除去の意味でどうしても必要であるのならば仕方ありませんが、消極的です。理由は有権者の数を減らすというのが一点目で、それに関連して一定の考え方に対して有利に働くからというのが二点目です。管理者はコミュニティで選ぶわけですが、あるコミュニティに長く属していればその慣習というか一定の考え方への親和性が高まります。逆に「新しい」意見は出にくくなります。ウィキペディアは自由な百科事典ですからできる限り開かれていてほしいなという古臭い考えの持ち主としては、敷居の引き上げには消極的な態度をとってしまします。秩序のためであれば仕方ありませんが。
働かない管理者はいらないという意見に対しては、そのように考えられるのならその基準に従って投票行動をし、解任を提起するのが一番だと私は思います。私個人もたねさんと同じような認識を持っていますし、現状それがコミュニティのコンセンサスも得ているとは思いますが、個人の認識にそれを押し付けるべきとも思いません。立候補にしろ解任にしろ、一定の枠組みを明確に提示してそれに当てはまるか否かを問う形ではなく、各個人に賛否がフリーハンドの形で与えられているのはそのような理由からだと私は理解しています。まぁこんなことは働かない管理者が言うのはどうかと自分でも思います。。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年7月24日 (火) 10:03 (UTC)
Godaigoさんの仰ることは、もしも管理者に定員があるのならばもっともなことだと思います。あまり活動しない管理者がいるおかげで活発に活動してくれる管理者を失うのだとしたらありがたくないわけです。しかし実際には定員が決まっているわけではないのですから、あまり活動しない管理者であったとしても、少しでも手を貸していただけるのならありがたいという具合には考えられないでしょうか。--へのいち 2007年7月24日 (火) 11:02 (UTC)
本論に絡めて管理者権限行使回数/週・月など細かなところにまで話が拡散しているように思います。それに関連することだと思うのですが、二つ上のTanuki Z氏の意見の3段落目「働かない管理者はいらないという意見」というのはどなたが出しているのでしょうか。この節の中をざっと読んでみましたが、そのような意見を私は見つけることができませんでしたが。。。--Godaigo 2007年7月26日 (木) 01:41 (UTC)

インデント戻します。私は「コミュニティに信任されたのですから、その責任を果たすべきだと思うのですが如何でしょうか。」というGodaigoさんのご発言がそう読める余地があったということではないかと思います。こうした逐次的な議論の中では、自分の発言が思わぬ方向にとられることもありますので、そういう意味でいったのではなかった、ということでしたら、真意を説明されておくといいのかなと思います。

働かない管理者はいらない/やめてもらう、というプロジェクトはいくつかあって、メタ・コモンズ・イタリア語版ウィキペディア・英語版ウィキペディアソースなどがそうです。日本語版もある意味そうだといえますが、管理者権限を行使しなくても、解任対象とはなりませんね。はっきりしているのはコモンズでしょうか。半年以内に管理者権限の行使が5回未満の場合、自動的に解任の対象となります。こうしたことが議論になりえるのでしたら、自動解任条件を調節することも将来的な課題にいれておくのも一案かと思います。個人的には今は信任周りに話を絞ったほうがいいようにも思いますが。--Aphaia 2007年7月26日 (木) 02:03 (UTC)

Aphaiaさん、コメントありがとうございます。
Aphaiaさんが挙げられた私の発言について説明しておきます。管理者が足りないというお話なので、管理者全員がアクチブなのかなあと思うのは、誰もが思うことであって、私一人ではないと思います。だから「働かない管理者はいらない」と言うことには繋がらないし、私はそのようなことを考えて言っているのではありません。
ですから結局、Tanuki Zさんは、どなたの発言を捉えて「働かない管理者は要らない」と言っていると考えたのでしょうか。急ぎませんから、お返事をお願いします。--Godaigo 2007年7月26日 (木) 02:53 (UTC)
本論からそれますので私の会話ページに書きます。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年7月31日 (火) 09:04 (UTC)
「本論からそれますから」って、Tanuki Zさんが、ここで「働かない管理者は要らない」と誰も言っていないことを憶測・妄想して発言したのですから、発言場所で応答すべきだと思います。会話ページで応答するのは如何なものかと思います。手前勝ってもいい加減にして下さい。ついでですからTanuki Zさんの失言と言われても致し方ない発言は今回だけではありません。Wikipedia‐ノート:管理者の解任#動議フェイズに関してで 2007年6月12日 (火) 10:06 (UTC)「大半の管理者が再信任を受けていないことについては一段落したら動かそうかなと思ってはいます。」やWikipedia:井戸端/subj/管理者は一斉に解任すべきで 2007年6月15日 (金) 08:32 (UTC)に「コメント依頼を出していただければ私が動議を出します」と言う発言があります。ほんとうに「動かしたり」「動機を出す」のかと思っていましたが何もしませんでした。結局、この方の発言は、憶測・妄想・虚言であることが多いと私は感じています。
信任ラインの引き下げかどうかの議論から大分逸れてしまいましたが、余りにもひどい発言であると思ったのでここでコメントしてしまいました。ご容赦下さい。--Godaigo 2007年8月4日 (土) 00:33 (UTC)
合意形成の過程を「動かす」などという表現で自分がコントロールしているかのように言うのに反発を感じるのは、一定理解できます。しかし、実際に「動かす」ことをやるひとがいないと合意形成も得られないというのは現実だし、またTanuki Zさんには「動かしてきた」実績があるとおもいます。あと「一段落したら動かそうかな」であり、(全員再信任を受けるべきだという見解への賛否はともかくとして) いまはまだその時期ではないという判断なのでしょう。 --Hatukanezumi 2007年8月4日 (土) 01:03 (UTC)
まずは不用意な発言でさらなる長文化を招いたことを皆様に謝罪申し上げます。以降につきましては私の弁解も反論もございますが本論からそれますので私の会話ページに書きます。それから今後私に対するクレームは会話ページに、糾弾でしたらコメント依頼をご活用ください。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年8月9日 (木) 18:21 (UTC)

どうもです。一応、前にどの程度アクティブなのか見たのは、実人数がどのくらいで動いているのかなあと思ったので。管理者の行動については、ほかの方が言っているとおりあくまで自信のできる範囲で、となると思います。

さて、今のところ信任ライン変更について意見を出していただいた方では・・・引き下げに賛成の方が多いような感じはありますが、一応、1回目の投票については「引き下げを行うべきかどうか(裏を返せば引き下げについて具体的な、つまり何%にするかなどの議論をするかどうか)」ですね。準備期間もありますので、そろそろ投票の準備を始めたほうがいいかなあと思っていますが、いかがでしょうか?なお、ページの素案については利用者:Koon16000/管理者の信任基準改定可否というのを作成していますが、この形でいいでしょうかね?--koon1600 2007年8月3日 (金) 13:59 (UTC)

すでに述べたとおり賛成いたします。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2007年8月9日 (木) 18:21 (UTC)

意見ありがとうございます。一応、3日にはじめてはどうかというのを聞いて、1週間たっても反対がないので、大丈夫かなあと思いますが、「反対が無ければ1週間後に投票準備期間に入る」とは言っていなかったので・・あと3日ほど待って、反対がなければ準備期間に移させていただきます。--koon1600 2007年8月11日 (土) 21:26 (UTC)

信任ライン変更についての投票

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上で聞いてから3日越えても反対が上がらなかったので、大丈夫であると考え、ライン変更をすべきか、すべきでないかという投票に移らせていただきます。

該当ページ
Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/信任ライン改定可否投票

以上ですが、当方タグなどはあまり明るくないため・・ミスなどありましたら、準備期間中に修正を加えていただければと思います。また、内容に不備がありましたら、同じく修正していただければと思います。--koon1600 2007年8月15日 (水) 15:46 (UTC)

ご苦労様です。サブページノート側に開設されましたが、本体側に移されては。ノート側は進行中に議論検討質疑応答等利用したくなるでしょうから。--花いちもんめ 2007年8月16日 (木) 22:19 (UTC)
あー・・一応、私的には質疑等はここでいいかなあと思っていましたが・・たしかにそのほうがいいかもしれませんね。移動しておきます。--koon1600 2007年8月17日 (金) 15:36 (UTC)

管理者信任手順意見投票

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話がいっこうに進みませんので、強制力のない「意見投票(アンケート)」なら、意見を尋ねてみるということなので、すでに色々な意見が出ていますので、実施するのがよいと思いますが、いかがでしょうか。以下に「意見投票(強制力のないアンケート投票)」の素案を記してみます。これでよいようでしたら、サブページを造り、意見投票の実施ということでどうでしょうか。--Maris stella 2007年7月19日 (木) 10:06 (UTC)

意見投票(強制力のないアンケート) 管理者の信任及び解任の規定について、利用者のあいだから改訂すべきだという声があります。そこで、みなさんがどのような考えであるか、意見を表明して戴き、コミュニティの考えの方向性を調べてみたく思います。この意見投票の結果がどうなっても、それにはルール的な決定性も、強制力もないものとします。

ただし、意見投票(アンケート)の結果、多くの人が、信任や解任の規定について、改訂が望ましいとの結果が出た場合は、議論の後、正式な投票の実施へと進みたく思います。その結果次第で、信任・解任規定の実際の公式な改訂へと進むことにしたく思います。

この意見投票では、信任規定と、解任規定の両方について意見をお願いさせて戴きます。また、それぞれの手順はそのままとし、ここで意見をうかがうのは、1)「有権者の資格」基準。2)「信任・解任のライン」基準。以上の二つの数字的な基準について、現状のままでよいか、または改訂した方がよいか、改訂する場合は、どのような基準にすればよいか、大まかな意見をお聞かせ願うこととしたく思います。


  • A)信任・解任規定両方とも、現状のままで良い。改訂は必要ない。(賛成の人は、以下の質問には回答する必要はありません)。
    • 賛成
    • コメント
  • B1)信任規定を改訂した方がよい。
    • 賛成
    • 反対
    • コメント
  • B1-a)上の「B1」で賛成を投じた方はこちらにも投票してください。
    • 有権者資格を改訂することに賛成
      • 資格改定案:アカウント取得が立候補の時点から遡り3ヶ月以上で、その間の編集数が250編集以上が資格に賛成
      • 資格改定案:アカウント取得が立候補の時点から遡り6ヶ月以上で、その間の編集数が500編集以上が資格に賛成
      • その他の投票資格(具体的に述べてください)
    • 有権者資格を改訂することに反対
    • コメント
  • B1-b)上の「B1」で賛成を投じた方はこちらにも投票してください。
    • 信任ラインを現状の「1:3」から変更することに賛成
      • 新信任ライン:信任ラインを「1:2」に改訂に賛成(反対対賛成比1:2以上の賛成で信任)
      • 新信任ライン:信任ラインを「2:3」に改訂に賛成(反対対賛成比2:3以上の賛成で信任)
      • その他の信任ライン(具体的に述べてください)
    • 信任ラインを改訂することに反対
    • コメント
  • C1)解任規定を改訂した方がよい。
    • 賛成
    • 反対
    • コメント
  • C1-a)上の「C1」で賛成を投じた方はこちらにも投票してください。
    • 有権者資格を改訂することに賛成
      • 資格改定案:アカウント取得が立候補の時点から遡り3ヶ月以上で、その間の編集数が250編集以上が資格に賛成
      • 資格改定案:アカウント取得が立候補の時点から遡り6ヶ月以上で、その間の編集数が500編集以上が資格に賛成
      • その他の投票資格(具体的に述べてください)
    • 有権者資格を改訂することに反対
    • コメント
  • C1-b)上の「C1」で賛成を投じた方はこちらにも投票してください。
    • 解任ラインを現状の「1:1」から変更することに賛成
      • 新解任ライン:解任ラインを「1:2」に改訂に賛成(賛成対反対比1:2以上の賛成で解任)
      • 新解任ライン:解任ラインを「2:3」に改訂に賛成(賛成対反対比2:3以上の賛成で解任)
      • その他の解任ライン(具体的に述べてください)
    • 解任ラインを改訂することに反対
    • コメント

何かたくさんありますが、煩瑣なようでしたら、もっと簡単なものに変えます。意見をお願いします。--Maris stella 2007年7月19日 (木) 10:06 (UTC)

  • Maris stellaさん、アンケート作成ご苦労様です。私は上の節#投票権、当選・信任ラインの再考の下の方でAphaiaさんにアンケートについてご相談させて頂いた者です。Maris stellaさん作成のアンケートが、その具体案と捉えてよろしいでしょうか。そうであれば、賛成です。アンケート実施と決まってからでも、ない知恵を絞って意見を述べさせて頂くつもりです。--Godaigo 2007年7月21日 (土) 10:26 (UTC)
  • とりあえず、議論を別アカウントで持ってきたうちのノートのほうでも返答しましたが、アンケートについては「したければどうぞ」という意見です。ただし、含んでいる内容がまったく違いますから、普通に考えれば、管理者の信任基準の変更提案とは別の話だと思いますので、向こうは上に書いた手順どおり進めさせていただきたいと思います。--koon1600 2007年7月21日 (土) 10:51 (UTC)

「管理者不足」問題について井戸端での議論の提案

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「管理者信任基準変更」に関する可否投票は継続していますが、このまま信任ラインを決定するための議論に突入した場合の意見集約には大変な困難が予想されます。(単に数字をどこに引くか投票で決めれば良いというような単純なものではなく、どういう根拠でその数字にするのかとセットで方針が決定されなければならないと私は思います)

またこの提案はその結論がどうあれ直接関係無い事でもありますので投票の結果を待たず、提案させてもらいたいと思います。

私の見るところ提起されている問題は「管理者不足」の問題と「管理者の資質」の問題に分けられると思います。また議論が進まないのは「このノートにおいて中立の立場で話をまとめようとする人がいない」というところに一番の問題があるのでは思います。 通常このような場合にまとめ役にまわるような人は既に「管理者」である場合が多く、自身に関わる問題に付いてそのような立場を取ることができないのかもしれません。 またこの「立候補」に関するノートページは、Wikipedia全体の問題に付いての議論を行なう場所としてはふさわしくないとも思います。

私は「管理者不足の問題」「管理者の資質の問題」のどちらについても、まだ自分なりにきちんと問題認識ができているようには思えません(過去の議論を拝見すると傾聴に値すると思われる様々な立場のこ意見は見られますが)。 そこで、いろいろな立場のご意見、また実際に管理者を勤めて下さっていらっしゃる皆様のご意見もあらためてお聞きした上で、きちんとそれぞれの論点や対立軸について整理して明らかにしてみる事ができないものかと思い至りました。

ただし、一度にいくつもの事はできませんから、私としてはまず「管理者不足の問題」の問題に限り、場所を「井戸端」に移して議論を投げかけて見たいと思います。 (他の問題に関してもどなたかが同様に議論を開始していただけるなら、私もその議論には参加したいと思います)

以上提案いたします。いかがでしょうか。--マリウス 2007年8月30日 (木) 09:22 (UTC)

よろしいのではないでしょうか。ただ、個人的にはこうしたことを問題だと考える方が、なぜご自身では立候補されないのか、そのことに関心があります。管理者不足問題の根はそこにこそ潜んでいるのではないでしょうか。--Aphaia 2007年8月30日 (木) 09:27 (UTC)
>なぜご自身では立候補されないのか。
私もその点同感です。井戸端で議論することになった場合にはその点についてもご指摘いただければと思います。私も実際に管理者不足が深刻であり自分にもできる仕事があるという認識に至った場合には立候補することも考慮にいれています。--マリウス 2007年8月30日 (木) 09:33 (UTC)
いつも見ているわけではないのでご希望に添えるとは限りません。ご了承ください。上にかいたことはGFDLですし、その範囲内でかつ発言を大幅に損なわなければ適時利用してくださって構いません。
個人的には「管理者不足が深刻」だということがきちんとコミュニケートされていないこと以上に、みなさんの自己評価の低さと jawiki における管理者に対する要求の異常な高さが相まって、そこからくる萎縮が管理者不足の淵源なのではないかと感じています。がこれは個人的な感想ですので、井戸端でもっと多くの方が参加して議論されることで、より精確な現状把握と分析、また対応策が出てくることを希望しています。--Aphaia 2007年8月30日 (木) 09:55 (UTC)
>管理者に対する要求の異常な高さが相まって、そこからくる萎縮が管理者不足の淵源なのでは
その点も大きいと思います。その異常な要求の高さの割に、しっかりと地道に活動してくれているこの管理者さん達に対してのしかるべき敬意がはらわれているといえるでしょうか。野球のメジャーリーグの審判に対しての日本の審判おかれている立場と共通するような気がします。そこには目を覆いたくなるような何かが見て取れるように思います。私ももし管理者に立候補することがあるとしたらそのような立場におかれる事を覚悟しなければならないわけですが(それ以前にそもそもWikipediaの事をもっと勉強しなければなりませんが)、それが一番の心のハードルだと思います。今日は過去の信任投票のログをいろいろ見てみたのですが、そのような覚悟も無く無邪気に立候補したような人のほとんどは信任投票に先立つ質問にきちんと答えられず、ほとんど賛成票を得られないままに見送りとなっていて、また、きちんとした考えのもとに立候補をして、しっかりとした応答ができた人は基本的に圧倒的多数の信任を得て管理者に就任されているように思います。その際3/4でも過半数でも結果が同じであったパターンがほとんどでした。つまり私の目には現状のシステムで十分管理者選任のシステムは適切に機能していますし、信任ラインはあまり関係ないわけです。そもそも「3/4だと落ちそうだけど2/3なら当選できそうだから立候補してみようか」なんて考える人がもしいるとしたらWikipediaの管理者なんか務まるでしょうか?。また、解任をしやすくするようにという意見が声高に叫ばれていますがこれも多くの管理者を萎縮させ、管理権限の行使をためらわせる原因となっていはしないでしょうか。むしろ解任ラインを上げてもっと管理者の立場を強化する事を考えても良いのではないかと思います。そして、一般利用者による解任投票だけではなく他の管理者からの動議で管理者を解任できるようなシステムを別途作成し、その場合の不信任のラインはかなり低くするとか言う方法でも良いかとおもいます。実際に同じ管理者の立場から見ないとその管理者の権限行使の正当性は判断できない面があるのではないでしょうか。などなど私の考えるところはあるのですが井戸端で調整役を務めるためにはそのような自己主張はひとまず抑えておいたほうがよさそうですね。--マリウス 2007年8月30日 (木) 16:34 (UTC)
井戸端で提案することに賛成します。ところで、管理者の不足と管理者の資質の問題を切り離せるでしょうか。管理者の不足は以前からいわれていますが、その数が増えないのは管理者に立候補する人の資質が問われるからではないでしょうか。管理者不足はただ単に数をそろえるのとは違い、コミュニティの満足のいく人物でないと信任されないことからも推測できると思いますが、資質が問われていると思います。ですから、提案の場合は、管理者の不足という問題を表面に出すけれども、資質という側面についても議論するということでは如何でしょうか。--Godaigo 2007年8月30日 (木) 12:08 (UTC)
Godaigoさんご賛同いただきましてありがとうございます。私としてはまず「管理者の不足」(というより「管理者としての人手の不足」といった方が性格だったでしょうか)というテーマの議論を開始し、その後は提示された論点等の整理に専らあたろうと思っています。ですのでそこで行われる議論の内容を自分でリードしようと思っているわけではありません。「切り離せない」という意見も一つの見識として尊重したいと思います。また少しだけ私見を述べるとすると、「資質」に関しては現状管理者に課せられているハードル(主に就任のちの困難)から言って決して低くはないと思います。そして、信任ラインは過半数以上であればどこでも良いのではないかとは思っています。解任に関しては考慮の余地があるでしょう。いずれにしても私としてはこのWikipediaというプロジェクトに参加させてもらうにあたっては、管理者も含めた全ての他の利用者のみなさんに対する敬意の気持ちだけは決して忘れてはいけないと、常に自分に言い聞かせています。まだ管理者さんという存在の職責とか大変さとかについては正直飲み込めていないと思うんですけどね。--マリウス 2007年8月30日 (木) 12:38 (UTC)
井戸端で議論するのには賛成しますが、あの場所はこういった議論を長々とやるには(長くなって途中でサブページ化されると、自主的にウォッチするを選択しないと、それ以降いくらコメントが書き込まれても井戸端の更新履歴には上がらないため、結果的に注目度が下がること、また一定期間でサブページを井戸端に直接出力される形から、名前だけ見える形にする方がいるので、そうなると議論への新規参加者が望めないという問題があります。これは、その行為を批判しているわけではないのであしからず。行為自体はメンテナンスとして当然の行為です)適さない感じがあります。難しいところですが、最初の発議は井戸端でやって、それ以降はコメント依頼を使うことも、視野に入れてはいかがでしょうか?また、問題としては究極的には「自身がどう思っているか(or感じているのか。足りないと思っているのか、足りていると思っているのか)」というところに落ち着き、「そして、どう思っている人が多いのか」という話になりますから、足りていると思っている側、足りていないと思っている側の論拠を並べていって、最終的な(コミュニティがどう思っているかの)判断は、その議論を提示してのpoll(意見調査)という形でも良いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?--koon1600 2007年9月1日 (土) 09:01 (UTC)
私としてはそこでWikipediaの今後の発展(あるいは存続?)のため有意義な議論が行なわれていると多くの人に認めていただける限りにおいては、過去ログ化をある程度待ってもらうなり、サブページ化の上どこか適度に利用者の目に付くような適当な場所にノーテーションを行なってもらう事も、関係者の皆様へ真摯にお願いする事でいつでも可能であろうと思っています。ただしそこで行なわれているのが結果的に健全な議論とは呼べないような論点の不明確なタダの自己主張のぶつけ合いの様なものでしかないならば、その様な扱いをしてもらうことは当然できないでしょう。そしてそのような議論は自然に終息してしまう方がむしろ良いと思います。なぜならそのような終わりの見えない「議論の為の議論」のようなものは関係者全てにとって時間の無駄でしかないですから。
また現に非常に忙しい思いをされている管理者の皆様には大変申し訳無い話になりますが、「下手な考え休むに似たり」とも言います。例えばWikipedia日本語版がもう近い将来には消滅が予想されるというような危機的状況(例えば全くの手不足によって明白な著作権侵害行為に対しても対応が不能となり、現実に訴訟が起こされる等し、今日明日にも法的措置によってWikipediaのサービス停止を迫られるとかいった様な)でさえ無い限りにおいては、拙速な議論と等表等で無理やりに導かれた結論に基づいた、本来の目的も期待効果も曖昧で、事後の客観的な評価・反省もろくにできそうにもないような手段の実行を急ぐよりは、きちんとした客観的な「問題分析」を元にした適切な対応方法を模索し、デメリットやリスクについても十分検討の上で実行するべきだと思います。
ここで私が「問題分析」と言っているのは「管理者不足」という名前で提示された問題の本質をきちんと見極める事から始まります。というのは「管理者の数が足りない」という観点だけではなく、例えばそもそも管理者にしかできない仕事は何で、管理者が行なってくれている仕事のうち一般の利用者の協力によって負担を減らす事ができる方法には何があるのか、そのような方法は現在十分に周知されているか。管理者が自分に与えられた権限の行使をためらわせるような要因は無いか。そしてそのような要因はいかにしてもたらされているのか。それを取り除くにはどうしたら良いか。日本人の文化・国民性も考慮した上で管理者の仕事をもっと効率良く楽にするためのシステム側の改善方法はないか(具体的に問題点を明示し開発サイドに伝えさえすればクリアできるMEDIAWIKIシステム改善案はあるはず)。また私は信じてはいませんが「現管理者の能力」に問題があるとするなら、現在の新たに管理者に就任した人に対するインストラクションの内容は十分なのか(あるいはそのようなものは全く無いとか?)。現在の「信任投票式」の管理者選任方法そのものに問題があるのではないか等等、今ちょっと考えただけでも数限りなく問題の潜んでいそうな点は浮かんできます。
もし、このような問題分析がある程度できてきたら、それらをそれぞれ実現可能そうな対応方法のアイデアがあるものと、今のところ全くないものに整理して分けて見ましょう。そして、実現可能な対応方法のアイデアがあるものについてはその「対応方法」についてのサブページを設け、分科会的にその内容を精査しデメリットやリスクについての分析も行なってみましょう。しかし、議論して行く内に対応手段の内容が結果的に元々の問題分析の内容とずれてきてしまった場合には、一旦問題分析のフェーズに戻った方が良いでしょう。でないと手段そのものが目的と化してしまいかねません。そこで出された良いアイデアは次の機会に生かせば良いのです。
そして、メリット>(デメリットリスク)であり、当初の問題に対して有効な手段であるというコンセンサスが得られたなら善は急げです(ここまでブレイクダウンできていたらあるいは最終的に投票による決着もありかもしれません)。極力すぐに実行に移しましょう。そして、あらかじめ再評価日程を決めておいて、実際に効果が得られたか。デメリットや顕在化したリスクについても分析して、次の改善提案につなげましょう。
対処方法のアイデアがみつからないもの(例えば私としては「管理者への立候補者数そのものが少ない」という問題点についての対応案は今のところ無しです。また「信任ラインの引き下げ」にはほとんど実効性が認められないと思います)については、誰かアイデアをひらめいた人がすぐに(忘れないうちに)提案できるような受け皿の用意を考えておきましょう。
こうしてもし1年後でも2年後にでも、Wikipediaの管理がスムーズになるような有効な改善が少しでも行われていたとするならばそれで満足するしかないのではないか、というのが私の考えです。というよりこれらはの問題はどれ一つ取っても一朝一夕に解決できるような問題ではありませんから、仕方のない事でしょう。
私はこのWikipediaというプロジェクトへの参加については、今後の自分人生のの「ライフワーク」の一つであるとも考えています。「誰でも自由に編集可能な史上最大の百科辞典」「人類の知の集成」!!一生をかけて携わるに値する夢のある話じゃないですか。従ってこのプロジェクトに関する全てを基本的に長い目で考えていますし、拙速な議論に参加する気もほとんどありませんが、自分に可能な役割については根気強く担って行こうと思っています。
多少最初の提案の内容とはズレきてしまっていて申し訳ありませんが、私としては個人的な体制作りや心の準備その他を済ませた上で、このような手法での議論の開始をどこか適当な場所を選んで呼びかけてみようと思っています。しかしそれにはまだ最低1ヶ月以上はかかるだろうと自分では思っています。
ただし、現状が本当に1年も2年も待てないような危機的状況なのだとお考えになる人がいるならば、こんなアイデアも考えてみましたのでご検討ください。(ただしこれはあくまで緊急措置としてのみ行なわれるべきだと思いますし、私自身がこの方法を提案する気も、現時点では全くありません)
1ヶ月なり2ヶ月の一定の期間を取り、実際忙しい思いをされている管理者さんに、アクティブにWikipediaの編集に携わっている利用者の中から、管理者としての資質を認められる利用者数名を管理者候補としてその理由と共に推薦していただきます。(但し直近の一定期間に管理権限を実際に行使している管理者さんに限る)
その際の判断基準としては、Wikipedia上での編集活動の実績やノート等での言動のみを参考にするものとし、本人への質問等は一切遠慮していただく事とします(これは管理者に就任する意思の無かった利用者に対して突然質問が浴びせかけられたり返答に悩む事態になったりする事でWikipedia本来の活動目的である記事執筆活動そのものに、本末転倒と言うべき悪影響が及ぶ事への懸念からです)。
そして、全管理者による「信任投票」ならぬ「不信任投票」を現在管理権を持つ人を投票の資格者として行ないます(非推薦者や投票結果の情報は投票資格者である管理者以外の人には秘密にしておいてもらった方が良いかもしれません)。そして全投票資格者の1/3以上の「不信任票」が入った場合にはその利用者の推薦は無効という扱いになりますが、それ以外の利用者については、あくまで本人の自発の意思により同意した場合にのみ、その後一定期間の間いつでも信任投票を経ずに管理者に就任できるものとします。しかし管理者になるもならないもあくまで本人の自由です。(この自由を担保するために、もしも推薦された誰かに対して就任を強要するような人がいたら、その人を「投稿ブロック」とするぐらいの措置を取っても良いかと思います)
(アイデア終わり)
とは言ってもこの手段は最終手段ですから発動しないに越した事はないと思います。しかし誰かが「管理者」になって問題に対処しなけばもうWikipedia日本語版は廃止するしかない・・・つまり「もう誰も編集活動を続けられなくなる」という事態においては、このような手段も考えざるを得ないでしょう。
しかし今はまだ全くそのような危機にはありませんよね、このja.wikipediaは。--Marius(Koiwatanuki) 2007年9月18日 (火) 09:22 (UTC)

過去ログ化の提案

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ちょっと別の場所で出ていたのですが、こちらで提案したほうがよいと思うので、提案します。かなり昔から一番上にあるpollなどの過去ログ化を提案します。過去ログ化の範囲としては・・「仮に立候補者が質問に全く答えなかった場合」あたりが妥当かもしれませんが、もう少し過去ログ化してもよいかもしれません。--koon1600 2007年8月30日 (木) 19:03 (UTC)

個人的にはもうしばらくこのままにしておいて欲しいとは思うのですが(今回の投票をきっかけに議論に参加する人に現状の先頭の部分から読んでもらいたいので・・・あくまで個人的に)、ページが肥大化していることによるデメリットも考慮しなければなりませんので反対はしません。ただどうせ過去ログ化するなら大胆にした方が・・・「管理者の信任基準の変更提案」以降を残すということでも良いのではないかなとは思います。--マリウス 2007年8月31日 (金) 02:19 (UTC)
どうもです。ちょっと今まで様子見していましたが、特に反論が無いようですので、来週頭あたりには過去ログ化を行おうと思います。--koon1600 2007年9月15日 (土) 00:41 (UTC)
過去ログ化を実施しました。それでもまだ120kbあるのですが、以降は現在の議論にかかわるところ大と考え、残しました。--koon1600 2007年9月16日 (日) 15:01 (UTC)
終わっている話題3つだけ過去ログ化しておきました。[2]--co.kyoto 2007年9月18日 (火) 04:52 (UTC)

信任・再信任の意見投票

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User:Koon16000氏が主導した投票は、結果的に、あまり意味のない答えが出たということだと考えます。信任ラインのみに関しての投票で、「ラインを上げる」「現状維持」「ラインを下げる」という三つの意見が、どれも多数票を得たとは言えないからです。

なぜこういうことになったかと言えば、投票提案段階以前で、様々な意見があったにも拘わらず、強引に投票スケジュールとかを決めて、また拙速に「投票サブページ」を造り、ごく少数(数人)の人の意見で投票実施に踏み切ったからだと思惟します。例えば、解任規定は分離して、という意見は確かに多かったのですが、実は、ここも問題があったのです。信任ラインの引き下げ提案は、同時に、信任投票の有権資格を「上げる」という話もあったのですが、これも無視して、Koon16000氏とその同志は投票を強行したというのが実情でしょう。

ここで問題を整理するというか、投票におけるコメントから出てきた意見も参考にして、問題の広がりを考えてみると、次のようなことがあると言えます。

  1. 管理者の数を増やすことが望ましい。プロジェクトの運営にとっても、多数の管理者がいる方が効率的である。
  2. 管理者には、一定の質・水準が求められる。だれでもかれでも管理者になるというようでは、コマンドを預けるに危惧がある。
  3. この危惧の背景には、いったん管理者になると、容易に解任規定が実質機能しないという、問題がある。

以上の三つのことは相互に関連し合っているのです。言い換えれば、実は、「信任規定」と「解任規定」は、別々に議論したりできるものではなく、たとえ、議論が紛糾しても、まとめて考えねばならないものだということです。

ここで、「解任規定」「解任動議」などの名称になっていることも、ハードルを高くしていることだとも思います。「解任規定」ではなく、実は「再信任規定」と呼ぶのが相応しいのです。「解任」というのは、誰か権限のある者が、ある役職にある者の任を解くという意味ですが、ウィキペディアでは、「解任」という言葉や概念がそもそも不似合いなのです。「再信任」つまり、管理者として、そのコマンドの使い方やユーザーとしてのありように疑問がある人がいた場合、再度、管理者として適切かどうか、コミュニティが「再信任」を行うというのが、ウィキペディアでは実情にあった制度(表現)だと考えます。

わたしは、信任規定と再信任規定(現在の解任規定)は、セットで考えねばならないという意見です。それに対しては、異論が多くあることも承知しています。しかし、問題の多様な姿を考えると、セットで考えねば、答えが出てこないというのも事実ではないかと思います。以下に、関係する問題の諸相を述べてみます。

  • ウィキペディアの管理者は、そもそも「管理する者」ではなく、「システム操作者」であって、特定のコマンドを使ってボランティアで活動する人です。ボランティアで活動する人という点で、一般ユーザーと何も変わるところがない。
  • しかし、コマンド権限を持つことや、ウィキペディアの実情を知らない人からは、「管理する者」とも見なされることがあるので、それなりに「信頼できる人」が管理者には望ましい、ということが言えます。そして、管理者は、多ければ多いほどよく、多すぎて困ると言うことは原則的にはないはずです。日本語版に、管理者が1000人いても別におかしくないのです。
  • 管理者には、誰でも「信頼できる」人なら、どんどんなってほしい、というのがわたしの意見です。著作権に詳しくない人は、著作権関係では作業しなければよいだけだとも思います。オールマイティの人物を望むのは、疑問だということです。
  • しかし、誰でもどんどんなってほしいと言っても、コマンドを持つことになるので、「荒らし」ユーザーが管理者などになって、コマンドを使って荒らしをされると、これはたいへん迷惑かつ損害が莫大なことになります。そこで、上でも述べていますが、「信頼できる人」という条件が付きます。
  • しかし、「信頼できる」というのはこれまた難しいのです。また、現状では、「解任規定」は策定するのが精一杯で、事実上、機能しない解任規定になっています。現在進行中のある古参のユーザーの解任は成立するかも知れませんが、もし成立しても、これは例外だと思います。誰でも「信頼できる人」には、「システム操作者」になってもらうと言っても、管理者になってからの言動から、これは管理者をやめてほしいと思っても、解任規定は事実上機能しないという現状があります。

そこで、次のような色々なファクタが、問題に関係して来るのです。

  1. 管理者が多く信任されるように、信任ラインを下げる(実は、次に述べるように、立候補資格、投票者資格も上げるので、信任ラインは見かけ上低くなるだけで、実質は信任ラインが上がるという効果もある)。
  2. 「信頼できる人」という条件から、立候補資格を高くする。と同時に、信任の投票資格も高くする。この二つが問題になるのは、「信頼できる人」を判断するには、立候補者は、相応の活動歴が必要とされる。また、ウィキペディアに参加して半年程度では、実は、このプロジェクトの複雑さは分からないという実情もあります。更に、ある人が信頼できるかどうか、それは投票の有権者も、それなりの経験を持っていて、立候補者を判断できるための実績が要請されるということがあります。
  3. このように、「信頼できる人」の資格認定を確実にしたとしても、実際に管理者になってみると、言動が変化する人もいるでしょうし、管理者として振る舞っていると、人間の別の面が見えてくる場合もあります。このためには、解任というか、再信任が容易に可能なようにするのが望ましい。

信任ラインを下げるのと、解任(再信任)ラインを下げるのは、セットになっているのです。「解任」ではなく、管理者として不適切な言動が多いのではないのか、という意見が多く出れば、管理者は辞任を申し出るという風にすれば、「解任」という言葉の持つ威圧性も薄れるでしょう。

以上の 1, 2, 3 は、これらで一つのまとまった問題だと思います。立候補者も投票有権者も、活動歴半年以上というような条件は、ウィキペディアとはどういうものなのか、普通の人はこのぐらいの期間、活動しないと、その輪郭も見えてこないものです。ウィキペディアのなかで通用するルールは、非常に特殊なものだという認識がわたしにはまたあります。従って、上の三つのファクタは一つの問題のファセットだということです。

現行の解任手順は、かなり複雑なものですが、最終的な手順は、「投票」にあります。この「投票手順」は、信任のときの「投票基準・手順」と同じものにすればよいだけだというのがわたしの考えです。管理者を務めていると、反感を持たれるので、再信任されにくくなる、という危惧があるなら、それは信任有権者の資格を高くすれば、ある程度解決できる問題であり、また、再信任されなくとも、少し時間を置いて、また立候補すれば、信任されるというような条件、そして実際の例ができれば、こう言った危惧も払拭されるでしょう。

以上がわたしの考えるところですが、しかしコミュニティは、この問題についてどう考えているのか、色々な意見の人は、結局、どうあればよいと考えているのか、これを確かめるには、上でかなり長い「意見投票」を提案していますが、このような意見投票によって、コミュニティの意見を確かめ、上で述べた路線が妥当だという意見があるなら、上のようにシステムを構成するのが最上であるというのが、私見です。
(上で述べた意見投票案では、多様な意見を受け付ける形になっており、それだけ、たくさんの選択肢や選ぶ項目が多いのです。しかし、信任と解任(再信任)は表裏一体で、また信任ラインの問題と、投票資格の問題も表裏一体になっています。仮に、この意見投票を実施する場合は、ビューロクラットに頼んで、全ページ上部に告知がでるようにすれば、色々な意見がでるとも思います。上で意見投票を提案したときは、これを実施しても、何人の人が回答してくれるのか、多数の回答は無理だとの思いから、これ以上進めることができなかったという事情もあります。
(しかし、ことはプロジェクトの根幹に関わるとも言える重大問題なら、この意見投票にも、特別な全ページ告知が可能なら、多数の意見が出て来るとも思えます。……とはいえ、「二択投票」は投票しやすいが、わたしの提起している「意見投票」は、これに回答すること自体が、かなり高いハードルを前提にしているとも言えるので、有効な意見が集まらない可能性もあります)。

長い文書ですが、色々な意見や危惧などを集めて、全体を概観した上で、最善と思える方式を述べると、以上のように長くなってしまうのです。--Maris stella 2007年8月31日 (金) 20:16 (UTC)

一つの重要なことを書き忘れているので、追記します。「重要なこと」とは、「システム操作者」つまり現在の管理者は、コマンドを使ってプロジェクトを進めるボランティアである、ということです。この場合、確執するユーザー間の問題を調停する役割ではなく、また難癖を付けてくるユーザーに対し、鮮やかに切り返す才能を必要とする訳でもないということです。立候補のとき、率直に見ていて、どう答えればよいのか極めて難しい質問が出されていますが、その種の質問は、「紛争調停者」としての資質を尋ねているように見え、また著作権関係の質問では、「オールマイティ・タレント」を要求しているように見えます。

編集合戦で頭に血が昇る人は、ちょっと問題ですが、そうでなく、編集合戦になっても、一旦身を引くというような冷静さを持つ編集者なら、管理者になってもらっても、問題はないということです。管理者にあまりに多くを求める現在のシステム・立候補審査は、管理者として「何でもできる訳ではないが」、できることでは色々と作業してくれる人材を失っているのではないかということです(つまり、現行の立候補での質問などを見ると、普通の人は、ああいうことに耐えてまで、ボランティアの作業をしようという気にはならない、ということです)。立候補のモチヴェーションを低下させるような、過酷な信任審議は問題だということです。立候補資格を高くし、投票有権者資格を高くするということは、特に、過激な編集合戦をしたこともなく、執筆・編集で寄与してきた人は、無条件で管理者になってもらっても良いという意味も内含しているのです。--Maris stella 2007年8月31日 (金) 21:54 (UTC)

まったく同一見解です。

Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/信任ライン改定可否投票において、Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/信任ライン改定可否投票#信任ライン引下げと(任期制)再信任制度の立ち上げをセットで提案しますさらに、Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/信任ライン改定可否投票#ひきつづき、任期制+信任ラインの引き下げの意識調査投票の実施についてという、より具体案にむけてとりあえず、コンセンサスを取りたいとおもっています。別に私が主導しているわけでもなんでもないんですが、こういう上の見解というのはほうぼうから出ているので、そろそろ誰かが手くらい動かさないといけないと思います。こちらに是非参加してコメントお願いします。--Motozawa 2007年8月31日 (金) 22:02 (UTC)

私個人としては「システムオペレータ」としての管理者と「紛争調停者」としての管理者などを切り離すのが良いのではないかと考えているが、いかがであろうか。--T.Saito(Talk/Contribs/Mail) 2007年9月1日 (土) 13:39 (UTC)

投票自体には一定の効果があったと思います。ただ結果を急いでいる感じがしないでもないですが・・・。管理者が不足して困っているといいつつ、メインページにさえ管理者不足に関する言及が無いのはどうしてでしょうか?管理者が必要だと言っても、その立候補やら活動状況、必要な定員などに関して一般ユーザーが知らない(かなり関心がないとそういうページにたどり着かない)現状で信任投票の投票数が伸びないのは当然だと思いますし、立候補者が増えないのも言わずもがなでしょう。もちろんメインページに出したからと言って問題が全て解決するとは思いませんが、基準をいじる前に周知努力をするなどの方法での対応があってしかるべきだと思います。--Monpetit 2007年9月8日 (土) 16:54 (UTC)

こんにちは、Monpetitさん。あまりに遅いレスポンスかも知れませんが、単に「管理者の数を増やす為」が目標ではなかったというのがあります(Koon16000氏の投票の意図が何処にあったかは分かりませんが)。信任・解任手順における矛盾というか不備を是正するという意味があったのです。上で述べていますが、ウィキペディアのシステムは半年は関係しないと見えてきません(非常に特殊だと思います)。また信任と解任の基準ラインが別というのもおかしなことです。「信任ラインを上げよう」という意見が出てくるのは、あるいはウィキペディア経験が半年未満、一年未満の方かも知れません(これは調査する価値があるのですが)。また、解任が成立しにくいというのも、迂闊な人が管理者になっては困るという危惧を高めているのでしょう。--Maris stella 2007年9月18日 (火) 00:20 (UTC)
えっと、とりあえず、これとほぼ同意見のWikipedia‐ノート:管理者への立候補/信任ライン改定可否投票#ひきつづき、任期制+信任ラインの引き下げの意識調査投票の実施についてのほうも含めて、あまり賛成の方が見受けられず、また2週間ほど経っても提案したお二方が現れないため(Motozawaさんには先日、Maris stellaさんには先ほど、会話ページでの呼びかけを行っています)、ちょっとどうしようかなあと思っていますが・・このまま現れてくれないとなると、この案は保留するしかないかなあと思いますが、いかがでしょうか?--koon1600 2007年9月17日 (月) 21:17 (UTC)
User:Koon16000氏には、投票の事実上の実施者であることより、投票終了後の当然の後処理が必要になります。
  1. 投票の意図したもの、途中で出てきた意見・議論、最終的に投票で何が決まったのか。投票の総括と、終了の宣言でした。
  2. そこで、そもそも議論経過というか、Koon16000氏とTanuki Z氏のあいだで、詳細不明な、段階的投票によるプログラムがあったはずです。このプログラムを簡潔に説明し、今回投票の結果と考え合わせて、プログラムは履行不能となったのか、または、次の段階(一体何なのか具体的な議論がないのですが)になお移行する意志なのか。これを明確にする必要があったのです(過去形です)。
  3. 個人的意見を述べれば、Koon16000氏の実施投票は、「色々な意見がある」と分かっただけで、何も決まっていません。それだけでなく、適切に終了宣言、投票結果の総括を行い、次のステップはどうなるのか、明示しなかった以上、すべてが宙に浮いている状態です。
  4. 貴方がすべきことは、これ以降の議論には、もはや関わらないことです。些か厳しい言い方かも知れないですが、不手際を認め、身を引くことです。後は他の方々の議論に任せますということです。Koon16000氏が投票や議論のイニシャティヴを取るというスタンスを垣間見せつつ、他の人の提案や苦情に対しその場しのぎの強弁を繰り返した結果、今後の見通しを立てることの妨害になっているのだと思えます(投票総括や今後の議論誘導では、別の方がおられるでしょうから、貴方はもはや議論に容喙すべきではない)。
  5. 「この案は保留」とか「どうしようかなあ」とか、自分がイニシャティヴを取っているかのような言説は止められることです。貴方は、このような議論の調整者として資質が疑われています。
--Maris stella 2007年9月18日 (火) 00:20 (UTC)
順番に回答します
  1. 1と2は一緒に回答します。まず、議論経過などについては、これについて様子を見ていたので、まだやる段階ではありません。よって過去形で言われるのは心外ですし、今でも移行する意思はあります。
  2. そのとおりです。投票が終了する前に、信任・再信任の意見投票をやるという意見が出ており、止めるつもりはなかったようなので、様子を見ていました。しかし、その結果、3週間もの間、反対意見があっても他の意見があっても、何も書き込まない方2人の様子を見るだけになってしまいました。
  3. もし、私が身を引いたとしてこの議論が進むのでしたら喜んで身を引きましょう。しかし、申し訳ありませんがMaris stellaさんやMotozawaさんの出した案で話が進むとは、到底思えません(それは、私以外の人が書き込んでいることを見れば分かるはずです)。そして、率直に言って、議論誘導やイニシアチブなどはMaris stellaさん以外の方がとっていただければと思います。自身の提案を3週間近くもほったらかしにしておいて、人が突いてようやく出てきたにもかかわらず、平気で「貴方はもはや議論に容喙すべきではない」などと言っていられる人に、とても勤まるとは思えませんので(もっとも、だからといって私が務まるかは、不明ですが。正直、提案をほったらかす人よりはましだと思っていますよ。どんなにたたかれてもこうして出てきているわけですから)。
  4. それは存じています。しかし、ほかに進めてくれている人が現状いないのですから、そうせざるを得ません。もし主導したいという人がいれば、その人が主導すればいいわけです。
以上です。繰り返しますが、私が去ることで議論が進むなら喜んで去りましょう。ただし、もし去ることで議論が停滞するようなら、それは(反発があろうとも)続けるべきであると思います。--koon1600 2007年9月18日 (火) 01:00 (UTC)
追記します。続く議論については、この投票(Maris stellaさんとMotozawaさんがやるといっておきながら今まで放置していた投票)がなければ、すぐにでもはじめたい所です。ただ、無視してはじめると、また(以前にMaris stellaさんとやりあったときと)同じ状態になるため、避けているのですが・・・無視して進めたほうがよかったのでしょうか(それこそ、他の人の意見に耳を傾けない行為だと思いますが)?それと、責任添付の常套句みたいに言って逃げるのは、そちらの常套句なのでしょうかね(どういわれようと、Maris stellaさんがこの議論に3週間ほど現れなかったのは事実ですし)・・・まあ、いいですが。ついでに言えば、別にMaris stellaさんが、自身が適任だなんていっていないのは存じています(ただ、正直言って、他人に何らかの行為から手を引けというときは、それで抜けた穴を補填する必要があると思うんですがね)。しかし、私が降りるにしても、Maris stellaさんにはやってほしくない、という主張をしているのです。そして、別にこれは貴方への返信ではありません。--koon1600 2007年9月18日 (火) 02:43 (UTC)
Wikipedia:議論が白熱しても冷静にをお願いします。--125.31.92.253 2007年9月18日 (火) 02:50 (UTC)
了解しました。ちょっと熱くなりすぎましたね・・お見苦しいところをお見せしました。ちょっとクールダウンします。--koon1600 2007年9月18日 (火) 02:55 (UTC)

(インデント戻します)クールダウン期間をおきました。今まで考えましたが、やはり議論はほかの方にすべてお任せするのが妥当であろうと考えるにいたりました。Maris stellaさんなど、議論に参加していただける方が納得していただけないのならば、たとえ続けたとしてもよい議論にはならないでしょうし、また私が身を引くことで少しでも議論がよい方向に進めば、と思います。現状でもいろいろ話し合われていますが、どうかよい話し合いになることを、そしてwikipedia日本語版の管理体制が少しでも改善されることを、お祈り申し上げます。--koon1600 2007年9月24日 (月) 07:41 (UTC)

Koon16000さんへ。厳しいことを言わせて貰います。ずっと黙ってみてきましたが、ちと無責任にすぎやしませんかね。きついことを言われれば確かに嫌な気持ちになりますが、それよりも総括(Maris stellaさんは、今回のアンケートらしきものの結果(コメント含む)とそれから窺えること、それらへの対策、今後の進め方などをまとめてほしいと仰っています)など貴方がしなければならないことがあるはずです。--Kodai99 2007年9月24日 (月) 11:39 (UTC)
Koon16000さんへ。私も、貴方が信任ラインの議論に今後係わらないほうがいいと思います。私は信任ラインと解任ラインを一体と捉えて議論するべきというMaris stellaさんのお考えに近いのですが、解任ラインの議論は別物というお考えの方が多いなか致し方なく、ここの議論を見ておりました。しかし、Maris stellaさんの案に続いてMotozawaさんの提案があり、風向きが少しづつ変わってき、解任ラインの議論をも含めた議論をしようという雰囲気になってきていると思います。Koon16000さんは、解任ラインの議論には立ち入らないお考えのようですから、今後の議論への参加は貴方の立場上難しいものになるだろう事が予想されますので、辞退なされるのがよろしかろうと愚考致します。--Godaigo 2007年9月24日 (月) 14:07 (UTC)
私が今回、身を引くことを決めたのは、別にきついことを言われたからではありません。たしかに、Kodai99さんのような意見があるのは存じています。しかしながら、Godaigoさんのような意見も多く、たとえ私が票のまとめや今後の進め方などを指し示しても、おそらく納得していただけ無いだろうというのが本音です(やりたいのは山々ですが、特に今後の進め方については、示しても無駄だろうと思います。なお、Maris stellaさんの言っていることは、おそらく、やっていないことを非難しているだけで、私に総括をやれという話ではないと思うんですが)。無責任といえばとんでもなく無責任です。しかしながら、続けることで納得されない方がでるのも、また大きな問題です。そして、正直なところ、議論に疲れたというのもまた本音です。それと、Kodai99さんの、コメントアウト部分ですが、本音はずっとかかわっていきたいです。しかし、現実問題としてこれ以上かかわっていくのは困難であると感じています。ただ、一言言わせていただければ、(強い意見対立があるために)議論を離れる方を、無責任、有害という言葉で、今後強く係わらないように言うのは、去る人も、期間をおいて戻ってくるということも(心理的に)できにくくなりますし、今後参加する人も(一度参加したら逃げられないという印象から)参加を躊躇してしまう可能性があり、将来的にかかわる可能性のある人数の絶対数を減らすことにつながります。私は別に言われても大して堪えないのですが、どうか、ほかの方が議論に疲れて去ることを表明しても、そういった言葉で押し出すようなことは、避けていただければと思います(もちろん、推進して来た人と、ただ参加している人では、立場が違うのは当然ではありますが・・)。--koon1600 2007年9月24日 (月) 20:56 (UTC)