Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Chichiii 追認
- コメントコメントが非常に遅くなって申し訳ありません。つい今しがた思い至ったのですが、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#投稿ブロックを使うべきでない場合には
- 絶対に、内容の論争を自分にとって有利に進めるためや、その相手方への報復のために投稿ブロックを用いてはなりません。これはすなわち、管理者は、自分が現在進行形で関わっている論争に関連する投稿者をブロックしてはならないということです。
- とあり、この規程のために今回のブロック追認依頼が出ているものと理解します。しかし、もし上の規程、およびその規定の根幹となる精神を敷衍するならば、追認依頼においても、「絶対に、内容の論争を自分にとって有利に進めるためや、その相手方への報復のために投稿ブロックを用いては」ならないのですから、これはすなわち「投票者およびコメント者は、自分が現在進行形で関わっている論争に関連する投稿者をブロックに追い込んではならない」と解釈されることにもなるのではないでしょうか。議論の公平を期すため、Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618において、賛成・反対を問わず意見表明された方は、この追認依頼においては少なくとも投票をご遠慮いただき(すでに投じられた票は無効とし)、Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618に参加していない利用者が中心となって追認の検討を行うべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Ryota7906(会話) 2013年6月23日 (日) 10:38 (UTC)
- コメント 「管理者は〜ならない」とはっきり書かれている以上、それが投票者およびコメント者にも及ぶというのは拡大解釈ではないでしょうか。また、この投稿ブロック依頼は、生野区連続通り魔事件に関する論争だけが原因になっているわけでは無いようです。--Haifun999(会話) 2013年6月23日 (日) 10:52 (UTC)
- コメント その文言は、最終的にブロックとなると仮定した場合、ブロックボタンを押す管理者が生野区の件に積極的に関わっている人物であってはいけない。としか言っていません。議論は自由です。管理者が57人参加しても構わないくらいです。ブロックボタンを押せる、関わっていない管理者が、一人残っていればよろしい。--Hman(会話) 2013年6月23日 (日) 10:58 (UTC)
- コメント お二方とも後段の管理者の行動のみに焦点を絞っておられますが、むしろこの条項の本質は前段、すなわち「絶対に、内容の論争を自分にとって有利に進めるためや、その相手方への報復のために投稿ブロックを用いてはなりません。」にあるはずです。しかもこの条項は、前段から「これはすなわち」と、後段が直ちに導き出される書き方になっています。つまり、管理者が現在論争中の相手方をブロックすれば、名目上の理由はどうあれ、自動的に前段に違反するとみなされるということです。であれば、これと同じ推論により、一般利用者が、自分が関わっている論争に関係する別の利用者のブロック依頼で投票を行えば、その投票が名目上いかなる理由によるとしても、前段に抵触する形でブロックを利用したとみなされてもしかたがないことになるでしょうし、この解釈が特段不自然なものであるとは私には思えません。WP:悪用には
- 方針やガイドライン、あるいは他者の言動や証拠などを引き合いにするときは、その字面だけを追求するのではなく、そこに書かれた本来のルールの精神や意図、さらに必要であればウィキペディアの本来の目的まで立ち返って考えることをお勧めします。また、ルール精神に準じていないルールの悪用は、全て無効です。
- これに沿うならば、後段の字面上の意味よりも、前段のルールの精神や意図に立ち返って考えることが必要になるはずです。
- よって生野区通り魔事件の削除依頼に参加した方(ご指摘のとおり、Chichiii氏の件についてはWikipedia:投稿ブロック依頼/Mak06010601 追認および延長の参加者も含めるべきかもしれません)は、議論の公正を担保し,ブロックの不当利用との批判を極力回避するため、ブロック追認依頼での投票は差し控えるべきであると主張いたします。
- なお調べてみましたら、これと同じ考え方は、私が考えるよりはるか以前にこちらで別の方によって意見提示されていました。残念ながらその後議論の進展はなかったようですが、私一人の特異な発想でないことは申し上げておきます。--Ryota7906(会話) 2013年6月24日 (月) 12:54 (UTC)
- コメント お二方とも後段の管理者の行動のみに焦点を絞っておられますが、むしろこの条項の本質は前段、すなわち「絶対に、内容の論争を自分にとって有利に進めるためや、その相手方への報復のために投稿ブロックを用いてはなりません。」にあるはずです。しかもこの条項は、前段から「これはすなわち」と、後段が直ちに導き出される書き方になっています。つまり、管理者が現在論争中の相手方をブロックすれば、名目上の理由はどうあれ、自動的に前段に違反するとみなされるということです。であれば、これと同じ推論により、一般利用者が、自分が関わっている論争に関係する別の利用者のブロック依頼で投票を行えば、その投票が名目上いかなる理由によるとしても、前段に抵触する形でブロックを利用したとみなされてもしかたがないことになるでしょうし、この解釈が特段不自然なものであるとは私には思えません。WP:悪用には
- コメント その文言は、最終的にブロックとなると仮定した場合、ブロックボタンを押す管理者が生野区の件に積極的に関わっている人物であってはいけない。としか言っていません。議論は自由です。管理者が57人参加しても構わないくらいです。ブロックボタンを押せる、関わっていない管理者が、一人残っていればよろしい。--Hman(会話) 2013年6月23日 (日) 10:58 (UTC)
- コメント 「管理者は〜ならない」とはっきり書かれている以上、それが投票者およびコメント者にも及ぶというのは拡大解釈ではないでしょうか。また、この投稿ブロック依頼は、生野区連続通り魔事件に関する論争だけが原因になっているわけでは無いようです。--Haifun999(会話) 2013年6月23日 (日) 10:52 (UTC)
あー。これはややこしい経緯があるんですが、改定案の「ブロック」は、日本語版の「ブロック依頼」を指さず、いわゆる裁量ブロックを意味すると思ってください。なので、Ryota7906さんが試みている文理解釈の前提が異なります。「絶対に、内容の論争を自分にとって有利に進めるためや、その相手方への報復のために投稿ブロックを用いてはなりません。」というのは、投稿ブロックを用いることができる管理者に向けて書かれたものです。
日本語版は、合意によるブロックと、単純なブロックを区別せずに方針が作られました。英語版は、これらは区別されています(前者は日本語版でいう「追放」にあたります)。「こちら」のリンク先は、2007年の話題で、ぼくが井戸端から転記したもののところですが、そのちょっと上で、当時、ぼくが同じような混乱をしていることを指摘されているのが見つかるはずです。利用者:Ks_aka_98/ブロックと投稿ブロックと追放も参照ください。かつての議論へのリンクもあります。--Ks aka 98(会話) 2013年6月24日 (月) 16:13 (UTC)
- いろいろとご教示いただきありがとうございます。裁量ブロックについての規定をそのまま投稿ブロック依頼に適用することはできないということは理解いたしました。
- しかしながら今回の3つのブロック依頼を見れば分かりますが、一部例外はあるにせよ、通り魔事件の削除依頼の賛成者がほぼそのままブロック追認をしており、反対者が反対しているという現況は、削除依頼での対立をブロック依頼に持ち込んだだけと言われてもしかたのないものであり、これが冷静かつ客観的で公正な議論に資するものであるとは到底言えないように思います。正直この状況下でどれほどの賛同が得られるかは分かりませんが、Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針にて、議論参加者の投票の可否について議論提起してみようかと思っております。--Ryota7906(会話) 2013年6月25日 (火) 12:26 (UTC)
- ある記事の削除の賛否と、ブロックの賛否というのは、方針がどうなっていたとしても、そもそも論理的に関連するものではないわけです。おっしゃるような状況というのがあったとして、たとえばなんらかの一般的な考えが双方の賛否に影響を及ぼすようなこともあるでしょうし、先行する議論を追っているかどうかで事実認識に食い違いが生じるようなこともあるでしょうけれど、多くの場合では参加者が削除の方針やブロックの方針を十分理解せずにいるのではないかと思うんだけど、いかがでしょうか。--Ks aka 98(会話) 2013年6月25日 (火) 12:47 (UTC)
- もちろん関連付けが不明確な場合はあるでしょうが、今回のケースではブロック依頼冒頭文において関連する議論のリンクも貼られておりますし、議論との関連付けが不明確ということはないと思います。削除の賛否とブロックの賛否がかなりの程度に一致する状況では、少なくとも外形的に見れば、何らかの関連性があると見るのが自然でしょう。--Ryota7906(会話) 2013年6月25日 (火) 13:51 (UTC)
- ある記事の削除の賛否と、ブロックの賛否というのは、方針がどうなっていたとしても、そもそも論理的に関連するものではないわけです。おっしゃるような状況というのがあったとして、たとえばなんらかの一般的な考えが双方の賛否に影響を及ぼすようなこともあるでしょうし、先行する議論を追っているかどうかで事実認識に食い違いが生じるようなこともあるでしょうけれど、多くの場合では参加者が削除の方針やブロックの方針を十分理解せずにいるのではないかと思うんだけど、いかがでしょうか。--Ks aka 98(会話) 2013年6月25日 (火) 12:47 (UTC)
本件につきましては、いろいろな点で問題があると思います。しかしながら、それに先立って、一時的に言葉が乱れたことは大変申し訳なく思い謝罪させていただきます。本題といたしましては、規定の定めと運用が乖離していることです。現行では、管理版で絶えず活動している方々以外はウィキペディアの規定を読んで遵守していても突然ブロックされてしまうという状況です。これでは、新規で参入された方に至っては些細なミスで排除され、もう足を運んでくれなくなってしまうのではないでしょうか?そういった点で、運用を規定に従った形に戻すもしくは規定を運用にそくした文面に改めるといった作業が必要ではないでしょうか。もう現状は破たんしているといって過言はないと思います。また、いずれの方向にせよみなさんで忌憚なく話し合うことで現行の問題点、現行の採用すべき点などがみな俎上に載り誰の目にも明らかになるので、混乱回避とウィキペディアの健全な発展に資することとなると思います。--Chichiii 2013年6月25日 (火) 15:12 (UTC)
- 花蝶風月雪月花警部さんの表ページでの見解についての返答
- コメントことさら強調するような義務感や正義感なんてものはありませんよ。みなさんと同じだけの義務感と正義感は持っているとは思いますけど、それはウィキペディアでは披露する機会はございませんので人並みにはあるんだとだけ思ってくだされば結構です。それに敵か味方かの二元論なんてまったくありませんよ。私はあなたが例示として挙げているノート:もつ煮で記事のクォリティのために尊敬するラッコさんと衝突したこともありましたが、私はラッコさんへの解任動議が出された際には解任に反対していますし、現在も管理者復帰を切に願っています。また、別の著名な利用者としてはTriglavさんとも意見の合わないことはありますが私は一貫してTriglavさんのボットなどの技術的能力の高さを評価し続けています。おそらく私ほどTriglavさんの技術的な貢献について明確に評価し続けてきたひとはいないでしょう。そういった点で、敵?味方?とかいう視点はございません。人間はハリウッド映画みたいに善悪はっきりなんてもんじゃありませんよ。皆さんそれぞれいいところ、悪いところがあるでしょう。そういったなかでよいところを最大限評価していくことが大切なのではないでしょうか。花蝶風月雪月花警部さんがおっしゃられるような二元論が好きであれば項目の執筆なんかより、管理版に張り付いて気に入らそうな利用者が俎上に載るのをまってはつるし上げたりするほうがよっぽど楽しいのではないでしょうか?でも、詳しくは存じませんが、そういった人はほとんどいないように思われます。花蝶風月雪月花警部さん、あなたが一番わかっていると思いますが、私から花蝶風月雪月花警部さんに寄っていっては衝突をするなどといった好戦的なことはまずありませんでしたよね。いつも花蝶風月雪月花警部さんが私のところに現れるといったところではないでしょうか。そういった点で、私にとって敵も味方もないということはあなたが誰よりも一番よくわかっているはずです。規定に反したことがあったかどうかといった議論がなされるべき場所で彼女はこういった考えをしているはずだ。だから排除しなければならないと言った考えを安易に広めるのはあまり望ましくないと思います。あなたももっと思いつめずに執筆活動をなさったりウィキペディアの本来的な楽しみにも参加してみてはどうでしょう。それから、私自身感情を荒げてしまったことは大変恥ずべきことであり、みなさまにご迷惑をかけたと深く反省しています。ウィキペディアの規定の問題はそれとは別のことです。私は個人の問題、公の問題、それぞれをよりよくしていきたいと思っています。--Chichiii 2013年6月26日 (水) 14:05 (UTC)