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Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/ChiChiii 2013年10月

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ikedat76とKs aka 98のやりとり

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Ks aka 98さんとのやり取りの続きをこちらに記します。うまくまとめられているとはいえませんので、冗長な書き方になる点はご容赦ください。

前回の依頼(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Chichiii 追認)の発端となったのは利用者:VZP10224さんによる裁量ブロック(「利用者:Chichiii(ノート / 履歴 / ログ)さんにつきまして、Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130622において犯罪にかかわる第三者の実名を記載するというプライバシー侵害事案を引き起こした」、VZP10224さん、013年6月22日 (土) 14:36 (UTC))の発端は現在では具体的に確かめることには制約(Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130622)が伴いますが、他の手がかり(Chichiiiさん、2013年6月22日 (土) 15:22 (UTC)の発言)からすると、警察から表彰を受けた一般人(犯罪者・容疑者・被疑者等ではなく)の実名記載に関連してのことであったことが分かります。これらのことを踏まえていることから、miyaさんが抑制的とするべきとした境界線は、「犯罪にかかわる第三者の実名」(Ks aka 98さん、2013年10月6日 (日) 16:45 (UTC))であるか否かや顕彰・表彰の対象であるか否かではなく、もっぱら一般人であるか否かという所に引かれているものと解するべきものでしょう。もちろんそのように顕彰された一般人は一般人ではないと合意があれば、という留保はつけられていますがかかる合意があったとは承知しておりません。[返信]

Ks aka 98さんご指摘のように、miyaさんのいわば付帯条件は確かに「「紅綬褒章や感謝状についても記載してもいい」という発言を否定しませんし、ウィキペディアに氏名や職業を書こうとはせずに「碑文には亡くなったお二人の氏名と職業まで明記されて」いることを議論の中で示すことも否定しない」(2013年10月6日 (日) 19:16 (UTC))でしょうが、記事中に記載するとすればいささか話は異なるでしょう。WP:VもしくはWP:CITEの故に、出典とした情報源を通じて、一般人の実名を記事中に不必要に記すのと実質的に同じ効果を生むでしょう。

さて、WP:BLP#方針の位置づけに箇条書きされた財団勧告の1項目には「短期間ないし興味が限られた題材を扱う記事における情報の追加や削除の際に、人間の尊厳と個人のプライバシーの尊重を考慮する」とあり、まさに中山駅の事件が該当するといえるように思います。WP:BLP#当人はプライバシー尊重を望んでいると推定するには必ずしも明示的に述べられているとは言えませんが、Ks aka 98さんもご指摘の通り、「そっとしておいてもらう権利」としてのプライバシーというプライバシー観は多くの一般人にとって単にプライバシーというだけでなく、平安な生活の礎とでも言え、そうした意味でのプライバシー尊重をWP:BLPが不要としているとは理解できませんし、そのような方針であれば改訂されるべきでしょう。また、幾度か神奈川新聞論説を絡めて言及している通り、「そっとしておいてもらう」ことを遺族が望んでいるという可能性も含めて彼女ら/彼らの意志を忖度することは本来的に困難なことであり、なればこそ抑制的に「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」べきだと考えます。

Wikipedia:削除依頼/横浜線中山駅踏切死傷事故で削除の意見を述べられた方々の多くは、「紅綬褒章や感謝状」の件の有無に必ずしも関係なく(古い言い方で)特筆性無しという判断をされています。「紅綬褒章や感謝状」を特筆性のひとつとして求めるのであれば(言い換えれば「紅綬褒章や感謝状」について書く)ということになれば、記事の存在意義(独立記事作成の目安)なるが故に、一般人の実名を記事中に不必要に記し「そっとしておいてもらう権利」の少なくとも一端を損ねることになるでしょう。

さて、本投稿ブロック依頼との関連について。かなり乱暴にまとめるならば、本投稿ブロック依頼の被依頼者の発言はそうした記述を書いて「JR東日本だって実名を出している」「大久保事件でも書いてある」「だから、何が悪い」というものです。1つ目については無関連であるという指摘に留めますが、後2者については前回の依頼でmiyaさんからわざわざ明示的な付帯的条件を引き出してまで、釘を刺された点をおよそ省みるところがないだけでなく、WP:BLPの精神をないがしろにするものと考えました。

前述した部分と重複しますがどちらにせよ、プライバシーに係る議論は本来削除依頼において脱線でしかなく、私のコメントとてその脱線もしくは各種文書等との不整合の指摘を意図したものであり、どっちみち傍論といえば傍論でしかありません。そうしたものにもっぱら反論することを意図している、という点でやはり被依頼者の発言は削除の是非ではなく、特定の発言者(=ikedat76)に対する関心から発した発言であるという点でやはり議論のかく乱・妨害に該当するでしょう。

私からは以上です。長くなり申し訳ありません。--ikedat76会話2013年10月7日 (月) 12:56 (UTC)[返信]

えーと、なんだか偉そうな書き方になっちゃいますが。そもそもは、ある事件があって、それについての削除依頼ですよね。
ikedat76さんの、「ウィキペディアは記念碑でもなければ追悼や顕彰の場でもありません」し、お涙頂戴集や感動の美談集、政治ショーまとめでもありませんというコメントには同意します。あとは、それが単なる「そういうもの」なのか、百科事典に採録するに足る事件だったのかという評価です。それに加えられた、「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」は、この削除依頼では論点になりにくいというのが、個人的な考えです。
「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」は、遺族感情を慮れというものではないと思います。事件記事自体が「扇情的な速報を伝え、あるいは人々の生活について刺激的な主張を先頭に立って広めること」にあたる可能性はあります。あるいは、報道が関係者の職業やこれまでの経歴を取り上げたりした場合に、事件とは関係のない範囲までも百科事典に掲載するような場合は、これに該当するでしょう。でも、ある事件があり、公表した事件についてのコメントや、顕彰の事実までが「扇情的な速報」や「刺激的な主張」にあてはまるとは思えません。これらは、とりたてて「害」にもならないでしょう。事故や事件の記事の独立記事としての採録基準については、当人あるいは遺族の感情は原則として考慮するものではなくて、プライバシー尊重を望んでいると推定した上で、記事が必要なら記事を作り、記述のありかたを考慮する。記述のあり方のところで、プライバシー尊重を望んでいると推定して、書くべきでないことは書かない。
記事中に公表した事件についてのコメントや、顕彰の事実を書くことは、上記の通り、直ちに否定されるものではありません。また、出典とした情報源を通じて実名が広がることまでを否定する方針やガイドラインは存在しませんし、実名部以外の事実を正しく伝える上で必要ならば、遠慮することでもないと思いますよ。「実名については、いついつのほげほげ新聞参照」とかやらかすのは馬鹿としかいいようがないですが。
削除依頼の場でプライバシーが出てきたなら、法的に侵害があると受け取る人もいるでしょう。Chichiiさんの「新大久保事件では死亡者遺族のプライバシーが犯されたのでしょうか。」というのは、傍論だと言うことがわからずに、法的な面からの反論だと、ぼくは受け取りました。ikedat76さんのほうがぼくよりもchichiiさんを高く評価しているわけですね。
ikedat76さんも、権利侵害を理由としてケースBで削除を主張していたわけでもないと理解していましたから、その反論は削除の可否について影響はなく、ikedat76さんの意見についての反論にもならないと考え、ノートに移動し、ぼくの会話ページで説明をしました。また、コメントがだされ、顕彰を受けているのなら、取材を拒否したり、紅綬褒章や感謝状を辞退したりするほど嫌がっているわけではない、というのは、いちおうは合理的だと思いますよ。だからといって、積極的に望んでいるのだと推定するのは誤りですし、プライバシーを放棄しているから、実名を書いてもいい、というのは論理の飛躍です。
以前は、そういう間違いをもとに記事に書いてしまったり、飛躍した論理を振り回したりしてたけど、今回はそういうことしてないわけで。表現の自由と自主規制と個人の権限の落としどころみたいなところで、どういう立場を取ろうが個人の自由ですし、思ったことや疑問を口に出すのも自由です。プライバシー云々というのは、ちゃんと考えようとすれば相当難しい。そんなの自発的に身に付けようとしている人なんて、そうそういないわけです。そんななかで、前回やるなといわれたことはやらないという一線は、いまのところ守られてる。だから、これを守られていないとか再発だとかいうことには反対するんです。
で、やったらあかんといわれたことをやらないでいられるなら、それでブロック対象ではないと思うんですね。なぜやったらあかんのかという理解はできてないだろうから、多少のミスや何言ってるかわからんこともあるだろう。もうちょっと自分で考えたり調べたりしろとかも思うけど、それもまたブロックの基準とは違う。だから、このブロック依頼でikedat76さんが挙げてるようなことをちゃんとコメント依頼で取り上げて、多くの人の意見として、こういうことはあかんというのが形になれば、それもまた守るんじゃないかなという期待があるので、ああいうコメントになってます。コメント依頼ってのは、そういうもの。その上で、守られないことが繰り返されたら、長期ブロック。--Ks aka 98会話2013年10月7日 (月) 16:06 (UTC)[返信]
「「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」は、この削除依頼では論点になりにくいというのが、個人的な考えです」。はい、全くその通りだと思います。「傍論だと言うことがわからずに、法的な面からの反論だと、ぼくは受け取りました」も同じく。
件の削除依頼でB-1(プライバシー)の問題は「傍論」でしかないと思います。余計な話はもちろん「傍論」ですが、余計な話は止めろよというのも確かに「傍論」ではある。それらをいつまでも引っ張ることをどう捕らえるかで言えば私は議論妨害と解しました。もっと言うと、その引っ張り回しを、Chichiiiさんが(Ks aka 98さんの表現で言うところの)「論理の飛躍」(前回の投稿ブロック依頼の付帯条件で戒められた点、とikedat76は理解しますが…これは間違いですか?)を依然として犯すリスクが潜在していて・それこそ「予防」が図られる必要が消えていない、という意味で把握したからこそ、「前回の依頼から改善が無い」云々と言いました。たから「ikedat76さんのほうがぼくよりもchichiiさんを高く評価している」かというと、そういう認識は私自身にはありません。
いずれにしても「補足」の部分が依頼理由に含まれているかいないかは境界的なのは認めます。ただ、前回の依頼の付帯条件から見てギリギリなボーダーラインで、そういうものを狙うことをまたやっているのかという感はある。Ks aka 98さんとでは被依頼者に対する期待値の問題に大分差があるのは否めないでしょう。「コメント依頼で取り上げて、多くの人の意見として、こういうことはあかんというのが形になれば、それもまた守るんじゃないかなという期待」は私には感じ取れないものでした。--ikedat76会話2013年10月7日 (月) 16:48 (UTC)[返信]

Miyaさん、Chichiiiの考えを慮る議論がなされていますので、誤解が生じることなどをさけるため、本件についての直近の二人の見解を記させていただきます。

利用者‐会話:Miya 2013年10月8日 (火) 12:21 (UTC)より 冒頭の議論と当事者の議論を併記しましたのでみなさまの参考にしてください。--Chichiii 2013年10月8日 (火) 14:19 (UTC)[返信]

ikedat76さんへのレスです(節を作りました。タイトルとして、敬称を外している点、理解いただければ幸いです)。
期待値の問題っていうのは、ぼくは、「この程度しかできないはずなんだから、この程度できてればそれでいいんじゃね?」「コメント依頼を通して、コミュニティの総意として整理して言わないとわかろうとしないんじゃね?」と言っているんですね。ikedat76さんほかは、「もうわかってるはずなのに守られていないからブロック」「ちゃんとできるはずなのにできてないからブロック」なんじゃないでしょか。プライバシーの話が傍論だと読み取れる、読み取った上でたくらみがあるとikedat76さんは思っていて、ぼくのは読み取れてないんじゃね?と思ってる。ぼくのほうが評価はしていなくて、期待もしていないってのは、そういうことです。
プライバシーについての傍論を、傍論と理解できず、削除の理由となるものと誤解したので、記事自体の存在によって、事故・事件に巻き込まれる形でもいくらかは公的な存在となった人物のプライバシーの侵害が、法的な問題になるほどではないと反論し、その根拠として、本人も一定程度了承していると推察される実例を、ウィキペディア上で実名や職業を示さずに挙げる、というのは、かつて実名を書いて問題になった人からすれば、十分な改善でしょう。最初の誤解はしょうがない。
前に書いたとおり、求められているのは実名を書くのはやめろ、です。今回がギリギリとは思えない。このやりとりについて、改善されていないとするのは、ブロックの合理性・妥当性を損ねます。最初から十分な知識や能力を持たない人や、間違いをしでかした人の参加を萎縮させます。抑制的に考えられていないとするのは、執筆の姿勢に対しての自由な意見交換を萎縮させます。プライバシーの問題を現に引き起こしているのと、引き起こしていないのでは、まったく違う。意図的に境界線を狙っているわけでもない。対話の中で、心がけとして、抑制しましょうとか、助言として、もう少し抑制したところにラインを引いてほしいとかいうことは、あってもいいですけれど、ブロックの理由にするのが正しいとは思いません。
「いつまでも引っ張ること」については、意見を持ちません。そうした議論姿勢自体を論点としたコメント依頼を出すのがいいんじゃないの、とは思うけど、それを理由としてブロックすべきと合意に至るなら、それはそれで理解できます。場所を弁えずに反発する、場所や論点を拡散させるというのが一番の問題なんじゃないですかね。あるいは、論点を把握するまえに反発する。自分の立場が大正義なわけではないということがわからない、自分の認識が誤りか、少なくとも明白に正しいとはされていないということを受け入れられない、という傾向もあるように思います。それが結果として「議論かく乱行為」になってる。意図的な議論攪乱や悪意があるのでなければ、そういう指摘をして、その指摘がぼくの個人的な印象ではなくコミュニティに共有されるものだとしてなされて、なお受け入れられない、受け入れようとしないなら、ブロックというのが、適当だと思うんですけどね。
ついでに、「とやら」は無礼だと思いますよ。——以上の署名の無いコメントは、Ks aka 98(ノート履歴)さんによるものです。2013年10月8日 (火) 17:12 (UTC)[返信]

(インデント戻す)節タイトルは気にしません(お気使いありがとうございます)。

期待値の問題はお考えを承りました。評価しているという表現を使うかどうかはさておきます。ChiChiiiさんが、記事執筆活動においてけっこうな分量の文献を読みこなした上で大部な記事の編集に携わっておられるのを見る限り、氏が読解力に支障を持っているとは判断できませんでした。能力が至らないというある種免罪にも通じる観点を採ることには違和感があります。にもかかわらず、傍論を「いつまでも引っ張ること」をわざわざしているというのであれば、自ずと問題は別になってくると思いますが、繰り返しは控えます。

「執筆の姿勢に対しての自由な意見交換を萎縮させ」ることが適切でないのは言を俟ちません。だからこそ、こんな画像いるんかいなと思いつつWikipedia:投稿ブロック依頼/T34-76で賛成票を投じたこともあります。しかしながら、Ks aka 98さんの表現を借りるならば「ある事件があって、それについての削除依頼」があるわけです。「ある事件」なり「削除依頼」なりをトリガーとして一般論として一般論として議論をする、というのが一つのあり方ですが、そうであるなら別に問題視することはあり得ませんでした。しかし、事実はそうではない。そして、削除依頼の場でわざわざそうした議論を持ち出したのが、こういうことでは慎重に振舞うようにと求められた(というか、わざわざ自身で明示的な文言を求めた)はずの利用者であった訳です。そうした意味で「誰が」(厳密には「どういう来歴のある誰」)に焦点があります。そうした点まで明言したつもりです。もちろん、「最初から十分な知識や能力を持たない人や、間違いをしでかした人」であっても何がしか学習してくれるのであれば、萎縮しなければならないようなことにはならない。けれども、今回の一件にそうした実態があったのか?

誰でも彼でも問題視するような意図はありません。あるいは、そうした何を問題視したのか、明確に伝わらない文章になっているのだとすれば、それは私の文章技術の拙さに由来するものであって、その責は免れるつもりはありません。

さしあたり、件の「補足」について撤回や抹消線追加をするつもりはありませんが、こうした意見の相違があることは認識しました。しかし、ここでのやり取りを示したうえで、投稿ブロック依頼の可否の判断材料とするべきか否か議論の余地があることだけは明示しておくことにします。その仕方が不十分であるとか不適当であるとかいうのであれば、手を入れていただいて差し支えありません。--ikedat76会話2013年10月8日 (火) 18:02 (UTC) はい。[返信]

「補足等」をブロックの判断についての要素として示すことには反対しません。示しかたに問題があるとも認識していませんでした。そのように受け取られていたのでしたら、お詫びします。個人の意見として、すべての審議参加者および終了の判断をする管理者に対して、ブロック理由に含めることには強く反対しますというもので、それは個人的な判断というよりも合理的なものであるつもりですが、他者を拘束できるわけではなく、また各人の意見は意見として尊重します。
あとは、ぼくと、ブロックを支持し、補足部分を理由に含める一人であるikedat76さんの間では、プライバシーに対して抑制的であることで求められる程度について、問題とされる編集の再発とか継続性とかいうことについて、ブロック依頼あるいはブロックというものについての、複合的な要素が絡んでの意見の相違があるということでよいと思います。最後のコメントからは、単に前回ブロック依頼時のMiyaさんの忠告を守らなかったというよりも、その他のことを勘案しての判断だということが明確になっていますし。--Ks aka 98会話2013年10月9日 (水) 06:07 (UTC)[返信]

コメント 横からすみません。少々申したい事があり、ここに書かせて下さい。ここ最近のChiChiii氏は、悪く言えば「暴走」していたと思いますが、その発端となったのは「生野区連続通り魔事件」の削除依頼のように思います。この件で不適切な行為の積み重ねが起こって(例えて言えば、Aさんの暴言を注意するのにBさんが暴言を使い、それをCさんが暴言で注意するような感じですかね)、複数回の削除依頼、復帰依頼、ブロック依頼、コメント依頼が提出されているのは周知の通りです。今回もこうした不適切な行為の積み重ねが起こっているように思えます。例えば、このブロック依頼直前の私が提出したコメント依頼ですが、私が発言を撤回した事を早くに謝罪しておけば、強行編集(これさえも私の主張ですが)とならない可能性があったわけでして、そうすればコメント依頼提出もなく、そこから派生した問題も起こらなかったのでは?と考えてしまいます。蒸し返すようですみませんが、「とやら」という御発言を厳しく採点しマイナス1点とすれば(虚偽を行う利用者はマイナス1億点ですが)、それに対する「小学生~」はマイナス100点でしょう。マイナス100点がブロック相当でも、マイナス1点からはじまっている以上、これも広義では不適切な行為の積み重ねだと判断できます。不適切な行為の積み重ねが起こっている以上、その中で最も問題だったとしても被依頼者氏1人だけが悪者のように扱われてしまうのは、いかがなものかと思います。さて解決方法としては、無期限ブロック、再度のコメント依頼、短期間ブロックによるクールダウン、何もせず、の4つの意見が出ていますね。今述べたように無期限ブロックとするには後味が悪いように思います。何もせずでは被依頼者氏に誤ったメッセージを与えかねませんし、短期で改善されるとも思えません。よって、再度のコメント依頼を支持します。それでもダメなら後ろ髪ひかれる事無く、無期限ブロックで良いでしょう。--JapaneseA会話2013年10月9日 (水) 12:27 (UTC)[返信]

報告蛇足。JapaneseAさんとKs aka 98のご指摘の通りですので、遅ればせながら。--ikedat76会話2013年10月9日 (水) 14:17 (UTC)[返信]

質問?

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いちおうこちらで伺います。

違法かもしれないことを平然と容認する態度を「腕ずく」でないとの認識で、現在も平然とご主張なされる方々のご意見には賛成致しかねます。 — 利用者:HASIDATE、2013年10月8日 (火) 11:58 (UTC)

利用者:HASIDATEさんのご発言のうち、上記部分が投票の理由の核と文脈上判断しましたが、「違法かもしれないこと」また「違法かもしれないことを平然と容認する態度を「腕ずく」でないとの認識」が具体的に何を指しており、「ご主張なされる方々」がどなたを指しておられるのか判じかねました。簡単に言えば「何のこと?」ということですが、何のお話でしょうか?--ikedat76会話2013年10月8日 (火) 12:09 (UTC)[返信]

ご依頼者様ではないとだけ申し上げさせていただきます。わたくしの意見は「水入り」でございます。--HASIDATE会話2013年10月8日 (火) 12:38 (UTC)[返信]

「・・・方々」に少なくとも私が含まれていることは分かりましたが、「違法かもしれないこと…」というくだりが何を指すのかお答えいただいておりませんし、その限りで意味を取れない理由では同意することもしないこともできません。何を指しておられるのかご説明いただけますか。--ikedat76会話2013年10月8日 (火) 12:44 (UTC)[返信]

HASIDATE様へ、横からすみません。票に関してはどうこう申しませんが、私も発言の真意を聞きたく思います。「違法かもしれないこと」は何を指しますか?申し上げるまでもございませんが、御自身の御発言には説明責任が生じます。--JapaneseA会話2013年10月8日 (火) 12:55 (UTC)[返信]

敬称を付け忘れた事に関して、御不快はご尤もですが(謝罪は会話ページにて)、票まで取り消すのはいかがなものでしょうか?--JapaneseA会話2013年10月8日 (火) 13:27 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/横浜線中山駅踏切死傷事故 について

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Wikipedia:削除依頼/横浜線中山駅踏切死傷事故にかかる編集を問題であるとして、ご意見が寄せられていますが、そもそも論として私は横浜線中山駅踏切死傷事故の編集はいっさい行っておりません。また、Wikipedia:削除依頼/横浜線中山駅踏切死傷事故における私のコメントが移動された件については移動を行った当事者の管理者であるKs aka 98さんと利用者‐会話:Ks aka 98にてその移動についての議論を行っていますし、それについて、Wikipedia:削除依頼/横浜線中山駅踏切死傷事故で周知するとともにWikipedia‐ノート:削除依頼/横浜線中山駅踏切死傷事故‎でもお話しています。しかしながら、管理者でないIkedat76さんは対話を経ることなく私の発言を無通告で動かしました。私をブロックするべきであるとした理由に私のコメントの記載について挙げられているのは無理なものではないでしょうか。むしろ、Ikedat76さんが対話を経ることなく移動した上に、私がコメントを書いたことを理由にブロック依頼を提出するなどあべこべではないかと思われます。そもそも私の発言はIkedat76さんと同じく削除論者であるLiberiaさんが鉄道関係者なる虚言を行って審議をかく乱している恐れが高かったからJRの言行をきちんと示す必要性があったから記載しただけであり、その証拠に当初は存続票は投じておりません。私の発言が票ではないとして移動されたから、やむを得ず存続票を付して再掲せざるを得なかったわけです。そもそもの原因である当該削除依頼の場で行われた議論誘導のための虚言の疑いのある発言についてきちんと追求していただきたいです。これでは、削除意見を通すためなら何をやってもよいということになります。また、私がIkedat76さんの対話を経ることない強硬編集と口を封じるようなブロック依頼提起について、問題であるとして今ここでIkedat76さん、Liberiaさんをブロック依頼に付すことは報復であるとした感情的な話に堕してしまいますし、ブロック依頼競争など管理版を疲弊させるようなことには参与したくはありませんが、私へのブロック依頼とIkedat76さんへのブロック依頼が同時に付されていたとした場合のことを念頭に判断していただきたいです。--Chichiii 2013年10月8日 (火) 17:03 (UTC)--Chichiii 2013年10月8日 (火) 17:04 (UTC)[返信]