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Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/ディークエステン

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コメントの補足

表での私のコメントを補足しておきます。--Sumaru会話2019年12月12日 (木) 14:08 (UTC)[返信]

ブレイク歴

ディークエステンさんの最初の自主ブレイクは、編集開始から2か月弱の時点(2014年1月)でした。もっとも、利用案内で大したことではないと言われたこともあってか(実際大したことではありませんでしたから、おかしなものとは思いませんが)、3日程度で復帰しています。次が2014年6月で、「これ以上、僕の活動を原因として、迷惑をかけさせないため」としてブレイクなさいました。しかし、これは「活動停止を宣言しましたが、その間にも以下の編集内容について黙って見ていられることができませんでした」として翌月にあっさり破られました。

次はブレイクまではいきませんでしたが、「返答次第によっては、(中略)Wikipedia編集者としての引退を決意します。今回こそ引退は本気です。止められてもやめません。」(2015年10月。強調は原文ママ)と引退をほのめかした発言をしていました。

最後のブレイクは今年2月のコメント依頼にかかわる体調不良等を理由とするものですが、ご存じの通り、「考え付いた大会について議論を行うため」として10か月で復帰なさいました。

こうした経緯は自主的なブレイクではほぼ間違いなく改善を期待できず、仮に引退などを表明したとしても、こらえ性のなさを発揮してしまう懸念があることを示すように思います。

付け加えるなら、しつこいぐらいに「自分はだれからも信頼されなくなった、自分の発言はだれにも考慮してもらえなくなった」的な発言を繰り返していますが、同情を買うための自己憐憫であって、本心ではないでしょう。本心だったら、いちいち投票した各人あてに長々と返答を書いたりしません。そういう行為は、相手に受け止めてもらえる期待を持っている人がやるのです。--Sumaru会話2019年12月12日 (木) 14:08 (UTC)[返信]

大会について

彼が大会を思いついた理由は自身の有用性の誇示にあった、と私は考えています。そう考える理由は、以下の通りです。

まず、2月のコメント依頼では自分が必要か必要でないかを投票で問おうとするなど、「自身の必要性を認めてもらいたい」という欲求を強く押し出すものでした。また、そのコメント依頼では、「まともな記事を作れず、表記ガイド違反を指摘するだけの編集者は、有意であるはずのWikify・出典補強・出典を添えた加筆・削除依頼を、ミスもエラーも起こさず行っていても、Wikipedia日本語版にとっては害となる存在でしかないようです」「Wikipedia日本語版から場合によっては永遠に離れることを検討していますが、(略)投票で意見を頂いた上で進退を決めます。」(強調は引用者)と、ミスやエラーがあることへの指摘を無視し、被害者としての姿勢を前面に押し出していました。

そして今回、ブロック依頼が出される状況になってからも、「記事を作ることはできずとも、黙々と正確な草取りだけに中心に行う事も否定されました。Wikipedia日本語版に残された僕の居場所は無くなったのです。」(強調は引用者)と、誰も言っていないことを言い出す始末であって、「自分はあくまでも『正確な』草取りをしているだけなのに、居場所を奪われた」という認識が変わっていないことが分かります。『大会の提案』は、それら2つの発言時期の間に位置するほぼ唯一の活動であって、同じ視点に基づくと考えるのが合理的でしょう。

すなわち彼は、自身に不利なハンデをつけた大会において優勝(ないし上位入賞)をすることで、自身の有用性を誇示しようという意図を持っていたと考えられます。優勝すれば「ハンデがあったのに優勝するなんてすごい」となりますし、上位入賞を果たせば「ハンデがなければ優勝できたのに、有能なうえに謙虚だ」となります。自分以外に出典整備をする人がいない、と豪語していた彼の当初の認識において、自分がスパートをかけても追いつかない人間が10人も20人も現れるというシナリオを考えていたとは、まったく思えません。コメント依頼で思ったような賞賛コメントが集まらなかったことから、ほかの手を模索する中で、加筆大会を目にして思いついたのではないでしょうか。

『ハンデなし』の意見に耳を貸さなかったのは、そのような誇示ができなくなることを嫌ったものでしょう。井戸端ですでに申し上げたように、そういう意図でないのなら、ご自身はエントリーせずに裏方に徹すればよかっただけの話です。「新たに草取りに参加してくれる人たちのために、自分はエントリーせず、集計作業などの面倒な裏方に尽力しよう」と、彼がもしもそう言っていたならば、自己顕示欲などを理由に批判する人は現れないか、現れても例外的だったはずです。

彼の場合、ハンデをつけた点数化ができなくなった時点で、大会の開催自体を断念しました。この事実も、自己顕示欲が動機だったという推測を補強します。他方、彼が代案として掲げた『報告所の新設』は、彼がたびたび口にするキーワード『居場所』に関わるものでしょう。つまり、『報告所を新設するような価値ある活動において、自分は中心的な役割を果たしている。自分の居場所はここなのだ』という充足感を求めたものではないかと考えられます。

ただ、こうした推測が正しいとしても、それだけなら、必ずしも強く責めるには当たらないと思います。新着記事や新着画像に何回選ばれたというような『見える化』しやすい活動に比べ、出典整備はこまごまとした手間がかかる割にどれだけ貢献してきたかが伝わりづらく、自分でも過去の蓄積を確認しづらいため、これを『見える化』してモチベーションを維持したいという欲求を持ったとしても、理解はできますし、それが百科事典の質的向上につながるなら悪い話ではないでしょう。

しかし、その途上で、自分に向けられた過去の批判を軽視し、自分はあくまでも『正確な』作業をしているだけなのに、という被害妄想じみた自己認識を肥大化させたり、『見える化』のために周囲をどれだけ振り回すことになるのかへの配慮を欠いたりするなどは、到底肯定しがたいものです。このような行為は、周囲を疲弊させる行動に該当すると考えられます。

なお、このブロック依頼の依頼者コメントでは、自分の意図は自分にしかわからない式の反論も散見されますので一応申し添えておきますが、だからこそ言葉があるのです。ディークエステンさんのコメントは非常に分かりにくく、1、2回読んだ程度では理解できず、議論の流れを再確認してディークエステンさんの思考経路を推測し、「おそらく彼はこういう受け止め方をして、それに対してこういう方向から発言しようとしたのではないか」と仮定してみないと意図を読み取れないような発言も、一度や二度ではありませんでした。自分の意図を的確に伝えたいなら、もう少し発言内容をきちんと練り、第三者に伝わりやすくするよう努めるべきではないでしょうか。それをやらずに「俺の意図が分かっていない」などとご発言なさるのは、どうにかディークエステンさんの意図を汲み取りながらコミュニケーションをとろうと努めている側からすれば、ただ不快なだけです。--Sumaru会話) 2019年12月12日 (木) 14:08 (UTC)下線部を挿入--Sumaru会話2019年12月12日 (木) 14:19 (UTC)[返信]

それ以外に

以下では、このブロック依頼で直接考慮に入れませんでしたが、気になった点を挙げておきます。

Wikipedia:コメント依頼/ディークエステン#これまでの経緯では、「アカウント作成からしばらくは、記事の編集ついでに出典をCite化するなど、有意なのか分からない編集を行っていました」とのことでしたが、ディークエステンさんの最古の投稿記録を見る限り、出典のCite化などはしておらず、いきなりプライバシー案件の編集や削除依頼の提出を繰り返しており、ご本人の主張とは微妙にズレが見られます。削除依頼までも複数出すほどに関心の強い点だったのなら、そういう当初の参加理由を忘れるというのは、少々不自然に思います。なお、オモテで触れた削除依頼などでは、議論が続いてもそれほど論旨が不明瞭に崩れていくことはなく、参加して間もないにもかかわらず、削除依頼の参加要件や版指定に対する認識など、初心者にしてはかなり手慣れたレベルに見えます。

また、参加して1か月余りの頃にIPアドレスやホストが変わった場合の対応を利用案内で質問しています。その前後でブロック逃れユーザーに対処しようとしたとかそういう形跡もないだけに、少々唐突な印象を受けます。

以上、この依頼での投票理由には含めていませんが、いささか不思議な印象を受けたので、いちおう指摘しておきます。--Sumaru会話2019年12月12日 (木) 14:08 (UTC)[返信]