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Wikipedia‐ノート:性急な編集をしない/Archive04

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廃案もしくは私論への移行提案

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上記議論にもありますがここで触れられている内容は全てWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないなどでカバーできるものであり、また事例に載っている物の中には検証可能性を満たしていても、それを必要以上に禁止する内容もあるためガイドラインとして不適切だと思われます。実際、このガイドラインを根拠として、検証可能性を満たした予定事項を除去するなどのケースも発生しています。そこで廃案もしくは私論扱いへ移行すべきと考えますがいかがでしょうか?私としてはガイドラインとして曖昧で不適当な名称であることから廃案が望ましいと考えています。--Web comic 2009年6月30日 (火) 14:39 (UTC)

コメント「このガイドラインを根拠として、検証可能性を満たした予定事項を除去」されたケースを明示していただけますか?それがないと議論のしようがないと思います。また、あらかじめ申し上げておきますが、ここでの最近の議論の方向性として「検証可能性さえ満たせば何でも書いて良い」「Wikipediaには検証可能性を満たすあらゆる事象が記されていなければならない」という方向性が見え隠れしているようでなりません。--VZP10224 2009年6月30日 (火) 15:16 (UTC)
例示ですが、例えばCDや書籍に関する発売予定などは検証可能性が満たされていても除去されたりコメントアウトされたりといったケースが目立ちます。また「検証可能性さえ満たせば何でも書いて良い」などといったことをこの議論からそのような内容を読み取るのはまさに曲解としかいえないでしょう。私自身WP:NOT改定案を作っているところですが、これをご覧になればそのようなことは全く意図していないことがお分かりいただけると思います(改定案「ウィキペディアは占いではありません」参照)。急がば回れということで、まずはWP:NOTの改定で方向性を決めてから次の段階へ移行しているとご理解ください。--Web comic 2009年6月30日 (火) 15:24 (UTC)
ここからは議論とは直接関係ないのですが、VZP10224さんはこのガイドラインを根拠にWikipedia‐ノート:保護の方針にて現在は廃案となっている、Wikipedia:保護の方針/仮運用(いわゆる性急保護)の導入を提案された方であり、にも拘らず性急保護の廃案化に際して全く議論に参加されなかったことは個人的に無責任であったのではないかと考えています。このガイドラインを根拠とした性急保護によっていくつかの記事の成長が阻害されていましたし、その弊害の指摘もあり廃案となりました。ご自分が積極的にかかわったガイドラインということもあって残したいお気持ちはわかりますが、上記にもあるように検証可能性、独自研究、WP:NOTなどの方針文書でカバーできますし、わざわざ曖昧な名称で実際に弊害を引き起こしたガイドラインをいつまでも残しておく必要はないと考えます。--Web comic 2009年6月30日 (火) 15:45 (UTC)
反対 かなり大幅な改訂が必要であるとは考えていますが、ご提案には反対させて頂きます。上でも申し上げたことの繰りかえしになりますが、まず一次資料を元とした逐次的な編集に対する必要性があると考えます。また、これらに対してはWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないだけでカバーできるものではありませんし、それらを読んだだけでは理解が難しいと考えますので、それらを総合的にまとめて分かりやす形で提示する事に意味があると考えます。そして、本方針を根拠として検証可能性を満たした予定事項を除去するのは、そもそもとして方針の無理解者の問題であり、さらにそうした誤用を防ぐために修正を進めているのですから、廃案等の理由になるとは思いません。--マクガイア 2009年7月1日 (水) 22:28 (UTC)
賛成 Web comic氏に同意。マクガイア氏の指摘されている部分については私も気になる所ではありますが、それは当ガイドラインの改訂よりもWikipedia:現在進行(草案)を発展させる形で補った方が内容的に適切だと思いますし、そうした方が現在生じている語弊も無くなって良いのではないかと思うのですが、どうでしょうか。--cloudberry 2009年7月3日 (金) 02:46 (UTC)typo、その他修正--cloudberry 2009年7月3日 (金) 05:27 (UTC)
Wikipedia:現在進行に関してはWikipedia‐ノート:現在進行にもあるようにページ名の問題もありますのでPortal:最近の出来事/編集方針との統合を視野に入れたほうがよいと思います。--Web comic 2009年7月3日 (金) 08:21 (UTC)
なるほど、Portal:最近の出来事/編集方針Wikipedia:現在進行を統合して一次資料を元とした逐次的な編集についての指針とすればマクガイア氏の懸念している部分もカバーできそうですね。その案に賛成します。--cloudberry 2009年7月3日 (金) 09:46 (UTC)
賛成 いかなる場合でも禁止ととれそうな「しない」というページ名には問題があり、改名して内容を全面的に見直すことでもよさそうに思いましたが、もうすでにWikipedia:現在進行のようなものがあって、そちらでも内容的には補えると考えられますので、廃案に賛成します。--長月みどり 2009年7月3日 (金) 18:37 (UTC)
賛成 廃案の上、{{Historical}}化に賛成します。まずこの文書はあまりにも突っ込みどころが多すぎ=問題点がありすぎです。方針無理解者の「駄々」、「屁理屈」への切り返しのための文章についても本来は各プロジェクトのサブページ下に置くレベルのものであって、方針文書の一部として組み込まれるべきではないでしょう。また、最近合意に基づき新たに加えられた冒頭の注意書きでは検証可能性を満たせば速報的な編集も問題とならないとあるにもかかわらず、ページ名は性急な編集をしないと言い切る形になっており、更に文書中でも自粛だとか何の根拠にも基づかない文章が並んでいることがわかります。これらは完全に矛盾しており、既に破たんしていると考えるべきではないでしょうか。
マクガイアさんの懸念される一次資料の件についてはWikipedia:信頼できる情報源で解決できるのではないでしょうか。そもそも、ではこの方針文書がないにもかかわらず上手く機能している他の言語版ではマクガイアさん懸念の件はどう対応しているのかということになります。--Tsukamoto 2009年7月4日 (土) 04:24 (UTC)
この方針に対して思うところは多々あるのですが、あくまで個人的な感情と思われますので、本件に対して積極的に賛否を表明することは控えさせていただきます。つまり、この文書の行く末に関しては他の方のご意見で決めていただければと思います。
Web comic氏から指摘もいただきましたので、Wikipedia:保護の方針/仮運用の件について弁明いたしますと、当時はネット外の生活に多大な時間を必要としていたこともあり、とある利用者に議論への参加について相談したところ、参加しない方がよいのではないかとのアドバイスもいただきましたので、参加を控えさせていただいた次第です。ただ、状況としては見方によっては「無責任」と取られかねなかったことは認めます。
個人的にはWikipedia:記事投稿まえのチェックシート/解説シートのような形で、「新しい事実を知って、それをウィキペディアに投稿する前に気をつけなければならないこと」を説明した文書があればいいのかな、とは思いますが、それはここの文書の将来をどうするかとは別の問題のようなので、別途個人的に検討するようにしたいと思います。--VZP10224 2009年7月4日 (土) 04:58 (UTC)
賛成 以前に「廃止すべきとまでは言わないが」とは申しましたが、賛成か反対かと言われたら賛成に一票を投じます。やはりこうした編集は既存の方針でもって対応すべきで、無駄な枝葉が伸びたらそれをなるべく生かしつつ剪定すればよいのです。枝葉が伸びるのを嫌うあまりこのガイドラインに安易にすがる風潮は直さねばなりません。加筆と修正の地道な繰り返しが記事の充実へとつながるものと思います。--Avanzare 2009年7月4日 (土) 10:26 (UTC)
賛成 無駄な規制よりは自由度が高い方が良いと思います。代替のきくものであればなおさら。--出羽卒族 2009年7月5日 (日) 07:14 (UTC)
反対 マクガイア氏とつまるところは同じですが、そもそも、性急な編集を禁じることに何の意味があるかといえば、一次資料の活用について制限を加えるということです。そもそも、本来であれば、ウィキペディアでは二次資料が使われるのが前提です。が、実のところ、サブカル関係のページで行われている記述の大半は一次資料を記述者が直接読み取って解釈したことを記述しているにすぎない。例え、客観性を保持していようとも、それは独自研究以外の何ものでもない。
実際、過去にもこれを問題視した人がいて二次資料に限るべきだとの提案を起こしたこともありますが、じゃあ、実際に禁止するべき行為なのかといえば、これは現実的に難しい。秀逸な記事にもなっているシャーロック・ホームズは、何故、秀逸な記事になったのかといえば、その人気をはじめとして、時代が古いこと、たくさんの批評家とファン(シャーロキアン)によって考察されたことで、二次、三次資料が豊富にあるから秀逸な記事にすることができた。が、そういうのは極めて特殊な例であって、宮崎駿なり、エヴァンゲリオンなり、有名とか社会に影響を与えたとか、そういった作品で無い限り、十分な二次資料があるなんてことはなく、結果、サブカル関連の大半は記述することすらできない。だから、サブカル関係に厳密にルールを適応することは現実的ではないし、だからこそ、おそらくこれまで許容されてきたのだと考える。
そして、一次資料を扱う以上、諸問題が生じる。たとえば、情報の合成や情報の逐次追加で冗長的になるなど。そういった点を全てカバーしているルールであって、検証可能性で片付けられるような物ではないでしょう。でなかったら、概要はこんなに長くないです。--EULE 2009年7月5日 (日) 11:31 (UTC)
Wikipedia‐ノート:ストーリー紹介の在り方についての解説素案#検証可能性との兼ね合いにてGiftlistsさんやおーたさんが懸念を示しているように、現状の日本語版ウィキペディアにおいては創作作品(フィクション)の記述について、過度に「一次情報源よりは二次情報源を重んじる」傾向があるように思われます。もちろん当該ページでおーたさんが例示しているような前衛的で編集者による解釈が困難なものについては二次情報源を使うべきでしょうが、そうでないものについては一次情報源を簡潔に要約すれば済むでしょう。またこういった記述法あるいは情報源の使用については「性急な編集」といった包括的で曖昧な表現のページ名ではなく、en:Wikipedia:Manual of Style (writing about fiction)「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」やen:Wikipedia:Manual of Style (anime- and manga-related articles)「Wikipedia:スタイルマニュアル (アニメ・漫画関連記事)」のように対象となる記事・記述を限定的にするページ名にすべきではないでしょうか?--Web comic 2009年7月5日 (日) 12:12 (UTC)
(反対)私の発言が引き合いに出されていたので、ひとこと。私は確かに原理主義的に一次情報を排除することには疑問を呈しましたが、一次情報ばかりで記事を書いてよいという方向にも強い疑念を持っています。ことに、生起した出来事を一次情報源を使って片端から記述しようとする編集には強く反対しています。百科事典としては、出来事が起こって、ある程度時間が経って、世間の評価が定まった時点で記事を書くので十分です。にも関わらず、連載中の作品の動向をせっせと記述する方々は跡を絶ちません。私は、本件の「性急な編集をしない」の存在意義を認めるものです。--おーた 2009年7月7日 (火) 13:03 (UTC)
私は別に一次情報対二次情報の兼ね合いで反対を述べているわけではないです(長々書いた私が悪いのだけれども)。正否問わずどんな理由であれ、一次資料を扱う以上、生じる諸問題をカバーしているから、これを廃案することはすべきではない。ってのが私の論旨です(そもそも私は一次情報を扱うことには賛成なので、そちら寄りの意見は歓迎するところです)。そもそもウィキペディアの(最も根本的な)ルールは二次情報を扱うことを前提でルールが構築されているから、このような問題に対処できていないのは道理だと。
ただ、性急な編集が適応されるのは、その注意からも読み取れるようにサブカル分野を念頭においた物であり、これをポータルなどで限定していくということには反対しません。しかし、廃案にするというのは暴論だと思います。--EULE 2009年7月5日 (日) 23:19 (UTC)打ち消し線付記--EULE 2009年7月9日 (木) 02:30 (UTC)
コメント 大幅な改定が必要と申し上げていますようにこの形にこだわるというつもりはありませんし、私としてもなんでこんな文章が含まれているのかと首を傾げたくなる部分も多々あります。また、他で本来の目的を補えているのであれば必ずしも廃止に反対というわけではありません。しかし、提案時に廃案理由とされている物はいずれも誤用に対する物であり、
  1. 本来の目的に対するフォローを事前にする事なく
  2. 既にフォローが済んでいる本来の目的から外れた誤用がある事を理由として
  3. 本来の目的ごと廃止する
というのがおかしいのではないかなと。これまでの議論等も踏まえますに「誤用される」事が廃止理由の大きなウェイトを示しているように見えるのですが、現状で誤用があったとしても粛々と差し戻し等を行なえば良いだけの事で、単に誤用した人が自分が馬鹿である事をさらすだけです。「間違った使い方をする者が悪いのに、その責任を間違った使い方をされた物に押し付ける」と言う点でなんというか私としてはこんにゃくゼリー騒動なんかと同じ気持ち悪さを感じます。cloudberry氏のご指摘の他のガイドラインで補うと言う点に関しましては、そちらでの補完が済んだ状態での廃止提案という事であれば私としても賛成できると思うのですが、まだフォローし切れていない状態において「フォローできそうだからまずは廃止して、後からどうにかしよう」というのは順番が違うのではないかなと思います。
私の意見に賛同して頂いている方に申し訳ない気持ちもあるのですが、一次資料に対する私の考え方はEULE氏とは少し異なります。ストーリーを扱う記事の場合は、歴史記事等とは異なり一次資料がもっとも信頼のおける情報源となる事「も」あります(「作中における事実」等を示す場合など)。それ故に性急な編集が発生し得るのだと捉えていますし、そうした意味でTsukamoto氏がおっしゃっている「Wikipedia:信頼できる情報源でのフォロー」は現状では出来ていないと思います。
>Tsukamoto氏
  • きちんとした出典に基づいた速報であれば性急ではありませんし、検証可能性を満たさなければ性急な速報と言えるでしょう。「性急な編集をしない」という事と「速報に問題がない」という事は全く矛盾してはいないように見受けられます。
  • 他言語版がどのように対処しているかという事については、「このように対処しているから不要である」と言う形で廃止派が説明すべき事であるように思います。また各言語版の背景事情が全く同じというわけではありませんし、日本語版で必要だと思う方がそれなりに居て作成されたものが、「他の言語版にないから不適切だ」とは必ずしもならないように思います。少なくとも私は漫画分野における執筆者の1人として性急な編集には上述の通りの問題を感じていますし、性急な編集が行なわれている記事に対しては容易に想像できるその後の状況に辟易として、資料を持っている場合であっても意図的に距離を置く事が多いです。
--マクガイア 2009年7月5日 (日) 22:27 (UTC)
コメント 誤用される原因は、このガイドラインがストーリーを対象にしたものであると明言しなかったためではないでしょうか。私が冒頭にインフォボックスを掲示するよう提案したのも、ストーリーを扱う記事と時事問題・新製品等を扱う記事という2つの異なる問題を分けるのが目的です。EULE殿のご指摘はストーリーを扱う記事についてでしょう。一方、Tsukamoto殿のご指摘は時事問題・新製品等を扱う記事についてでしょう。EULE殿のご指摘はストーリーを扱う記事に特有の問題が発生していることを示されています。一方、Tsukamoto殿のご指摘は、時事問題・新製品等を扱う記事について既存のガイドラインのみで運用できることを示されています。お二人とも適切なご指摘をなされています。(もちろん他の方も)。誤用される方が多いことを見ても、1つのガイドラインで2つの問題を扱うという方針には無理があります。時事問題・新製品等を扱う記事のガイドラインが必要ならば、VZP10224殿が提案なされたチェックシートを作成するか、Wikipedia:現在進行Portal:最近の出来事/編集方針で扱うべきです。先日加筆された「速報的な編集には出典を」の条文は、時事問題・新製品等を扱う記事を対象としたものとして適切とは思いますが、Wikipedia:現在進行Portal:最近の出来事/編集方針のノートの告知なしで加筆されたことに驚いています。特にWikipedia:現在進行の条文と矛盾しています。私も「速報的な編集には出典を」の条文に賛意を示す前にそのことを指摘するべきでした。--伏儀 2009年7月6日 (月) 08:17 (UTC)
コメント あともう一つ。「かなり大幅な改訂が必要」ならば、一度「考慮すべきガイドライン」から外すか、改訂中であることを示すインフォボックスを掲示するべきだと思います。--伏儀 2009年7月6日 (月) 08:41 (UTC)
コメント 最後にポータルなどで限定するなら反対しないとは言いましたが、過去の経緯とか読み返した結果、撤回させていただきます。
とりあえず伏儀氏の意見などを見て、「性急な編集をしない」を「時事問題・新製品等を扱う記事」と「ストーリーなの内容の諸問題(現在進行の一次資料の扱い)」に分けて考え、後者に特化したガイドラインに再編するのが妥当なところではないでしょうか。「しない」の言葉に拒否感を示されている方もいますので、「性急な編集を避ける」か、あるいは単に「性急な編集」にして、どのような物が性急な編集に辺り、それがウィキペディア上でしいては百科事典でどのような問題があるのか、ゆえにどうするのが妥当なのかを示す感じで(まあ、私は「しない」のままでも良いと思いますが)。--EULE 2009年7月6日 (月) 12:57 (UTC)
コメント サブカル分野の事情にあまり詳しくなく恐縮ですが、本議論を拝見して感じたことを少々述べさせていただきます。(1) 先ず、マクガイアさんの仰る「本来の目的」が何なのかがよく分かりませんでした。「Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないだけでカバーできるものではありません」とのことですが、既存のガイドラインでは何がカバーできていないのでしょうか?まずそこを明確にする必要があるのではと思いました。(2) 次に、EULEさんの仰る「フィクションを主題とする記事で一次資料に基づき記事を執筆する際に生じる問題」ですが、EULEさんご自身も指摘されていますように、Wikipediaでは二次資料に基づいて執筆するのが基本であり、現状サブカル分野の記事の多くはそれに則していないようです。なのに一足飛びで「性急な編集をしない」というガイドラインのみが存在すること違和感を感じます。つまり「サブカル関係に厳密にルールを適応することは現実的ではないし、だからこそ、おそらくこれまで許容されてきた」ということを暗黙の前提としたガイドラインに疑問を感じるのです。Web comicさんも指摘されていますように、例えば「フィクションの記述」といった、フィクションを扱う記事を正面から扱うガイドラインを定めた上で、もし「一次資料に基づく性急な編集」に固有の問題があるとすれば、その中で説明した方がよいのではないでしょうか。--Penn Station 2009年7月7日 (火) 13:58 (UTC)
コメント こんばんは。流れとして「ストーリーを対象にした記事」については、性急な編集を控えるというのが既定路線のようになりつつありますが。個人的には、ストーリーを対象にした記事、所謂、創作作品記事についても、私は望ましい形での性急な編集というのもあるのではないかと思います。
別の所でも書きましたが、サブカル……というよりも文学を含む創作作品記事で、一次資料が望ましくない邪道出典という扱いを受けるのが、何処か釈然としないものを感じます。創作作品を論述するにあたって、作品そのものは最も重要な資料であり(勿論これだけでは何も書けませんが)この資料を用いずに記事を作成することの方が、むしろ私には邪道に感じます。(重ねて言いますが、現在の過度に作品そのものに頼ったサブカル全般の記事を肯定しているわけではありません)。創作作品記事における一次資料の扱いについて「本来は望ましくないのだがサブカルだからお目こぼしをしてやっている」のような論を様々な議論で垣間見ますが、そのたびに少しひっかかりを覚えます。英語版では上でWeb comicさんが紹介してくださっていますが、en:Wikipedia:Manual of Style (writing about fiction)において、一次資料として使えるものとして明確に「and, of course, the plot itself」との記載があります。
話を戻して、ストーリーを各話ごとに書き加えていく行為についてですが、確かに作品記事本体で行われると記事が冗長となり、また常態として長大なリスト記事になってしまいがちですので、これはなるべくならば避けていただきたいのですが。ただ、そうした物の書き手は豊富にいらっしゃり、それはそれで貴重な人的資源なのではないかと思います。英語版では書き手が豊富で育ちやすいサブカル作品等の記事については、階層的に増やしていく形がよく見られます。作品記事本体は母艦として読み物形式にまとめ、(日本語版では母艦記事に含有されることの多い)長大なリストは別の一覧記事としてまとめる形です。サブカルですと、例えばアニメの各話リストなどや、漫画の単行本リストなどがあります。例示した2つはどちらも英語版の秀逸な一覧になっています。編集を一律禁止として押さえ込むのではなく、こうした一覧記事の土台を整えて、各話ごとの記事を細かく編集していきたい方々をそちらに誘導することで、それぞれ目的の異なる記事の成長が見込めるのではないかと、机上論ですが思います。ちなみに他言語版の秀逸な一覧を訳すと、日本語版では無条件で秀逸な一覧になりますので、試しにどなたか見本として訳してみると参考になるかもしれませんね。--Giftlists 2009年7月7日 (火) 15:18 (UTC)
後半の提案に関してですが、(机上論とおっしゃってますが)現実的ではないでしょう。というのも、ストーリーの節が冗長化することはそんなに無いからです。冗長になるのは、登場人物欄および次点で用語欄。紀伝体の伝統なのか、ストーリー(プロット)よりキャラクターに魅力を見出すのか、ネタバレとの兼ね合いなのか、よくわかりませんが、各話リストを長大にする(何なら1話ごと独立ページにしてプロットを書いても)ようなのは解決にならないでしょう。--EULE 2009年7月9日 (木) 02:30 (UTC)

とりあえず、この議題に関してはWeb comic氏がWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)‎の草案を作られたので、この経過を見て、再び議論するということでどうでしょうか?--EULE 2009年7月11日 (土) 09:17 (UTC)

賛成 本件に関する不適切な記述はWikipedia:検証可能性及びWikipedia:独自研究は載せない等で防止することが可能であることから、一旦利用者:Web comicさんの提案のとおりWikipedia:性急な編集をしないを廃案とし、その上で歴史的文書へ移行し、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)‎の草案策定を行うことに賛成します。--Himetv 2009年7月12日 (日) 08:41 (UTC)

参考までに現在までの賛否表明について提示しておきます。(提案者は賛成票としてあります)
Wikipedia:性急な編集をしないの廃案もしくは私論への移行提案
賛 否  表明人数 利用者名 備考
賛成  7名  利用者:Web comic(提案者),利用者:cloudberry,利用者:長月みどり,利用者:Tsukamoto,利用者:Avanzare,利用者:出羽卒族,利用者:himetv
反対  3名  利用者:マクガイア,利用者:EULE,利用者:おーた
コメントのみ  4名  利用者:VZP10224,利用者:伏儀,利用者:Penn Station,利用者:Giftlists
--Himetv 2009年7月13日 (月) 04:44 (UTC)

コメント 上述の通り、他の方針等で「本来の目的」をしっかりとカバーできるのであれば廃案に賛成する用意はあります。ただ、ざっと見た限り現時点ではWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)‎ではカバーできてはいないように感じましたので、現時点ではまだ反対を取り下げるつもりはありません。スタイルマニュアルについての意見は後日改めてそちらのノートにて提案させて頂きます。

>伏儀氏
私としましては一応ローカルで改訂の準備は進めていましたし改訂中とすることにはどちらかといえば賛成なのですが、「今改定案を出して議論になるのか? 」というのが現状での率直な感想です。

>Penn Station氏
私の申し上げる「本来の目的」とは「ストーリーに関わる記事において行なわれる、逐次的に発表されている一次資料を元とした逐次的な編集に対する抑制」です。そしてこうした記述は(出典が明示される事はほぼないですが)発売済の一次資料を元に記述されているため一応は検証可能性を満たしており、かつ必ずしも独自研究とは限りません(もちろん独自研究の場合もありますが)。従いましてWikipedia:検証可能性及びWikipedia:独自研究は載せないでは対応できず、繰り返しになりますがこれらの方針によって対応できるのは明確な誤用の場合のみです。

こうした編集はほとんどの場合、例えば週刊連載であればその週の出来事を逐一網羅する「今週のまとめ」の様な形で行なわれ、「作品全体としての重要度」という視点が著しく欠けているため「作品を理解するための解説」としては役に立ちません。「作品を盛り上げるためにミスリードで次回へ引く」というのはよくある演出方法であり、その回の記述が本当に全体を通して重要な事であり・まとめる必要がある事なのかというのは、ある程度ストーリーが進まなければ判断のしようがない物です。そしてそうした作中の位置づけが分からない状態で逐次的に記述を追加した結果として「体系的にまとめられた詳しい記述」とはほど遠い、単に「記述量が多いだけでまとまりのない冗長な記述」となり、記事の質を著しく低下させています。そしてこうした記述は後からの「それぞれの記述の重要度」の判断も難しく、改めてまとめ直す際には結局原著を元に記述の要不要を一から確認しなければならなくなります。私の体感としてはこの手の記述は一切無視して原著を元に一から書き下ろした方が早く、記事の発展に何も寄与しない無駄な履歴だけが残る事となります。--マクガイア 2009年7月13日 (月) 12:19 (UTC)

コメント当ガイドラインの廃止に賛成している立場とはいえ私も漫画やアニメの実況にwikipediaが使われる事は好ましくないと思ってるクチですが、Web comic氏がマクガイア氏他慎重派の意見に配慮してWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)‎を作った事に対しマクガイア氏の口から出てきた言葉が「内容に不満があるから反対票継続(大意)」ですか。自分は実質何もしていない立場でそれはあまりにもWeb comic氏に失礼なんじゃないかと。
廃案に賛否両論あるとはいえ「このガイドラインには欠陥がある」という点ではほぼ全員が同じ見解だと思いますので、スタイルマニュアルのガイドライン化まで廃案に賛成出来ないと主張する方はその間どのように当ガイドラインの弊害を抑えるのかこの場で示すべきでしょう。マクガイア氏が改訂案を作成しているならそれを公開するのも一つの手段になるのではないかと思います。--cloudberry 2009年7月14日 (火) 03:17 (UTC)
あのですね、私が自身の読解力に致命的な物を抱えていない限り、もうちょっと議論の流れを見て欲しいんですよ。賛成派も反対派も。
そもそも「スタイルマニュアル(フィクション)」がどのような文脈で登場したのかといえば、それは私の意見への反論・折衷案として出てきたわけです。ところが、これは反論にも折衷案にもなってない。何故なら、「一次資料自体の問題もあるが、それを認めている結果として、性急な編集の問題があるので、これの廃案には反対だ」と言っているのに「一次資料の活用には問題が無いです」って言われても、全然、論点が噛み合ってない。つまり「性急な編集」の(適切な)代理案として「スタイルマニュアル(フィクション)」が登場したわけじゃないんです。言うなら、全ては誤解から誕生したと。
もっとも「スタイルマニュアル(フィクション)」が一次資料の活用の問題に関しては効果的であることに、反対する人はいないと思うし、私も賛成だから、そちらのノートの方で色々述べさせてもらった。正直、一次資料の問題は性急な編集の問題よりも早急に手を打つ必要があると思ってる。なので、私としては「一次資料の活用」を保証するまでで、いったんガイドライン化し、その上で「性急な編集」も包括するか議論した方が良いと考える(そこで方向性が定まって、初めて廃案にできる)。もう、現状の文面でも一次資料の活用を保証するという目的に達していると思いますけどね。--EULE 2009年7月14日 (火) 05:06 (UTC)
コメント 私の意見は最初からはっきりしていまして、繰り返し申し上げている「本来の目的」を残すところにあります。「本来の目的」につきましては他の方針で補足すると言う形でももちろん構いませんし、そうした廃止可能な状態となりましたら、賛成する用意がある事も明言しています。ただし以前の発言でも申し上げた通り、「フォローできそうだからまずは廃止して、後からどうにかしよう」というのは順番が違うと考えておりますので、フォローできていないと感じた現時点において反対を取り下げる事は出来ません。
Wikipedia:性急な編集をしない#速報的な編集には出典を」の素案を出したのは私ですし、これを「何もしない立場」と仰られるのは結構悲しい物があります。ここのところあまり時間が取れていない状態のためにすぐには難しいかもしれませんが、後日スタイルマニュアル側で発言する予定はありますし、前回の発言でもそのように明言しています。また改定案につきましても作成途中のままとなっている物ですのですぐにと言うわけにはいきませんが、廃止派の方を含めて議論に参加して頂けるのであれば、来週中くらいでアップするのは吝かではありません。ただ、ガイドライン側で補足できるのであればそちらでも良いわけですし、この場で出す事が後に繋がるかというところで判断しかねている部分はあります。
ガイドラインの弊害についてはWikipedia:性急な編集をしない#速報的な編集には出典をを加えて誤用を明確に否定し、冒頭のインフォボックスでも注意を促しているのですから既に存在しないものであると私は考えています。もちろんこの「速報的な編集には出典を」と矛盾する部分は残っていますのでその辺りの修正は必要ですが、ガイドラインの大筋として「速報的な編集には出典を」があれば、問題とされ廃止理由となっている誤用に対しては対応可能です。廃止派の方々は「弊害がある」事を理由とされていますが、私としましてはこの「速報的な編集には出典を」がある状態において、廃案しなければならないほどのどのような弊害があるのかをむしろ知りたいと思っております。--マクガイア 2009年7月14日 (火) 12:25 (UTC)
◆こんばんは。1つ上のEULEさんのコメントが、どなた宛なのかわかりかねますが。私が書いた意見について言えば、EULEさんが書かれたご意見の中で、一次情報を使って記述した創作作品の記事を「独自研究以外の何ものでもない」と言い切られていたことを踏まえてのコメントです。また「サブカル関係に厳密にルールを適応することは現実的ではないし、だからこそ、おそらくこれまで許容されてきた」という書き方をされていますが、これですと一次資料を扱うことはルールに即していない邪道的な行為だが、サブカルだから許容されてきたと仰っているように読めます。少なくとも私はそう読みました。創作作品記事に関連して、原典を邪道出典扱いする思想に根ざした日本語版のルールは多いですが、私はこれがルールがうまく機能しない遠因なのではと思っていましたので、そのことについて別の場所でコメントしたことがありますが、それをWeb comicさんが引き合いに出されていましたので、おーたさんに便乗しつつコメントしたまでです。--Giftlists 2009年7月14日 (火) 13:41 (UTC)
ああ、ならば済みませんね。多少、誇張していた面もあるんですが、正しく言うなら「現状のルールを厳密に適応するなら、一次資料を活用することは難しい」ってことを言いたかっただけなんですよ。何で、わざわざ分量割いてまで(また、自論を誇張してまで)あれを述べたのかと言うと、これは、まさにPenn Station氏のコメントが好例だと思います。つまり、その辺を言及しないと(マクガイア氏が述べた範囲のみだと)、今一、性急な編集の狙いというのがわかり辛いと考えたからです。また、「一次資料を活用しているから~」と言うと、仰るとおり、これを過度に邪道扱いする人が少なくないので、そういう一次資料を活用していること自体が問題だと言ってくる人も念頭に置いて、「そういう意見があるのは知っているが」と弁明するために、先手を取った物と、まあ捉えてもらえればいいかと。関係の無い論点にひっかかるのが嫌だったので。結果としては、むしろ、それが仇となりましたが、まあ、スタイルマニュアル (フィクションの記述)が出てきたのが怪我の功名というか。
ちなみに、今日のコメントは、主にcloudberry氏に対する物ですが、Himetv氏 2009年7月12日 (日) 08:41 (UTC)や、Route78氏 2009年7月12日 (日) 14:50 (UTC)なんかも念頭に置いたコメントです。--EULE 2009年7月14日 (火) 14:09 (UTC)
コメント マクガイアさん、「本来の目的」に関するご説明、ありがとうございました。意図されることは概ね理解しました。ただ「散逸した文章をまとめ上げるのが編集者の腕の見せ所のように思えるのですが[1]というご意見もあるようです。必ずしも「記事の発展に何も寄与しない無駄な履歴だけが残る」とは言い切れない気がしますし、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすなどの方針やガイドラインを遵守している限り、編集スタイル(逐次的に記述するか、まとめて記述するか)までガイドライン文書という形でしめつける必要があるのかな、と率直に感じました。--Penn Station 2009年7月18日 (土) 04:52 (UTC)
コメント時間がとれず、返信が遅れてしまいた。申し訳ありません。
マクガイア氏のコメントについて、「Wikipedia:性急な編集をしない#速報的な編集には出典をの節の追加により当ガイドラインが誤用される可能性は無くなり、廃止を急ぐ理由は消滅した。むしろ現状で廃止を急がねばならない程の弊害がどこにあるのか知りたい」との事ですが、私が気付いた弊害として「内容の矛盾がひどくて結局何をしたいのかわからない」という点を挙げておきます。これはあなたの考える「本来の目的」から遠ざかる事にもなりかねないものではないでしょうか。
具体例として私が今頭を悩ませている事例を挙げます。
BLEACH関連記事には性急な編集を減らす為にローカルルールが設けられており、私も作成に深く関わったのですが、その中の一つに「映画版の単独記事作成は公開後に行って下さい。親記事のBLEACH (アニメ)に情報を記載する場合もなるべく映画公開時にまとめて記載する様にして下さい。」というルールがあります。これはWikipedia:保護の方針/仮運用の影響から設けていたものなので「もう変更しては」との意見もいただいていますが、いざどう変更するかと当ガイドラインを見てみると非常にややこしい事になってます。当ガイドラインでは「公開前でも検証可能性を満たし、かつ宣伝的要素が無ければ立項は問題無い」とされていますので、作成時期に関するルールは無条件に廃止してもいい事になります(このテの映画は雑誌を通して大々的な発表が行われる上、発表とほぼ同時に公式サイトが開設される事もあり、発表時点で検証可能性は問題なく満たされる。また、原作漫画の知名度から宣伝とみなされることはまず無い。)。しかしながら、とある利用者の私見では無いですが製作発表直後に記事を作成すればサブスタブ以上のものにはならず、必然的に手を加える頻度が上がり、逐次的な加筆を行う事の自粛を呼びかける当ガイドラインの理念に反する事になります。そこでマクガイア氏の追加した例外規定を当てはめ、<ref></ref>でソース(WJの映画最新情報など)を明記しつつ速報を載せていくとしましょう。アニメ映画は見る側のモチベーションを維持するためにやや言葉を濁した情報を公開までの間小出しにする傾向があるので、情報が出典付きで蓄積されても編集がかさむ事は目に見えていますし、いざ映画が公開されればこれまで不明瞭だった部分の全面的なリライトが必要となります。結局のところ、これならば出典が付けた事意外、何も言わずにやりたいがままにさせておくのと何が違うのかと言いたくなりました。このガイドラインの趣旨やマクガイア氏の掲げる「本来の目的」はどこへ行ってしまったのかと。もしこれだけで問題が解消しているなら当ガイドラインに頼らずともwikipedia:検証可能性#方針の2で十分なんじゃないのかと。
また、マクガイア氏の理想が「記事の発展に寄与しない無駄な編集を減らしたい」というところにあるなら、このケースでは公開後の情報を基にほぼ完成された形で投稿するのが理想でしょう(保護の方針/仮運用の廃案という形でJAWPでは否定された考え方ではありますが。)。
実際にBLEACHの劇場版第3作は公開まで作成を自粛し、公開後に利用者ページで下書きをしていた利用者が比較的まとまった形で初版を投稿してくださったおかげで履歴もすっきりしています。ですが、私はそうしたからこの記事が他の記事より優れているといった印象は受けませんし、情報が一通り集まった状況で記事を作るという事自体、誰の手も借りずにそれなりの完成度の記事を書き上げる気概のある人が現れなければ単に記事作成を遅らせただけの結果に終わりかねません。例に挙げた記事もあの初版が無ければどうなっていた事でしょうか(まぁ、私が初版を投稿した訳でもないのに大きな顔をしたら初版投稿者の方に失礼ですけど。)。
長々と書きましたが、私の中での結論として現在の文面はマクガイア氏が自負するほど問題が無いものだとは思えません。それどころかマクガイア氏の掲げる「本来の目的」からもかけ離れたものであると思います。これほど場当たり的な対応で辻褄の合わなくなったガイドラインにしがみつく必要性が私は理解できません。と言うかこれほど辻褄の合わない文章が現況でガイドラインとされている事事態が問題です。改めて廃止の意を表明させていただきます。
なお、これは現状での評価ですので、マクガイア氏より改定案が出されて指摘の点が解消された場合にはこの見解を取り消すこともやぶさかではありません。
最後に、前の発言の中で発した私の心無い言葉でマクガイア氏に不愉快な思いをさせた事を謝罪いたします。当該の部分には訂正線を引かせていただきました。--cloudberry 2009年7月20日 (月) 20:35 (UTC)
コメント 取りあえず改定案の方を提示させて頂きましたので、そちらをご覧頂きます様お願い致します。
アニメ・映画には疎い物でご呈示頂いた「BLEACHの映画」につきましてはあまり深い事は言えないのですが、作品の外枠については出典を付ければ逐次的な編集に問題はなく、内容については公開されなければ加筆のしようがない(=性急な編集)という事で良いのではないかなと私は考えます。
「無駄な履歴を無くす」事はそれ自体が目標というわけではありません。無駄な履歴のある記事の全面改稿は、する側にも精神的な負担となる事もありますし、される側からすれば(される側が悪いにしろ)不愉快な物であり無駄な論争を生む事もあります。こうした負担を軽減し、ある程度以上の執筆者が執筆し易い環境を整えるというところが私の目標です。--マクガイア 2009年7月26日 (日) 07:03 (UTC)
コメント散逸した文章をまとめ上げる」のは確かに執筆者の手腕を示すと思いますし、実際にそれが出来る執筆者は非常に優秀な方だと思います。ただ、前述の通り私は散逸した文章をまとめ上げるよりも一から書き下ろした方が執筆者の負担はかなり低く、こうした負担が「優秀とまではいえなくともある程度以上の執筆者」を記事から遠ざけている面があると考えていますので、そのような「手腕を見せる場」ができないようにする事が重要なのではないかなと考えています。--マクガイア 2009年7月26日 (日) 07:03 (UTC)

以下のコメントは#改定案の節より転記したものです

改めて改訂による本ガイドラインの廃案に賛成。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625の翻訳に携わっているものです。そのなかに、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625#ウィキペディアは官僚主義ではありませんという条項があり、その補足としてWikipedia:執拗で嫌らしい指摘はしない(指示の肥大化は避ける)という文書を翻訳導入しました。
この「性急な編集をしない」というのは、本ノートページで指摘されている弊害をみるにつけ、まさにルールの肥大化の典型例であろうと思います。
Wikipedia‐ノート:性急な編集をしない/改定案を拝見しました。ご苦労さまです。しかし、これは、Wikipedia:執拗で嫌らしい指摘はしない(指示の肥大化は避ける)と同様、基本方針、ガイドラインを補足するサブセットのエッセイ(私論)にしてください。してはどうでしょうか?文書の設計意図、構造、性格からしても、わざわざガイドライン以上の拘束力がある格を付与すべきものではないと思いました。そしてエッセイとしては残すが、ガイドラインとしては正式に廃案にする。
理由はいくつかあって、
  1. 「性急な編集」というのがしょせん、「特筆性」「独自研究」「検証可能性」といった基本概念に抵触するなんらかの組み合わせにすぎないこと。それなのに、わざわざ「性急」という言葉を持ち出して規定した文書内で「速報性」とは概念が違います、とか、新規概念を追加してまで利用者の編集行為を拘束しようとする意味が分からない。
  2. 「性急な編集」をもとに、「性急保護」という論争がありながらもなし崩しに試験運用され、拡大解釈に歯止めも利かず、ブロック恫喝も含む官僚主義的なコントロールツールの性格が露骨になったあげく廃案になったという経緯、弊害。これはこのノートでさんざん指摘されています。
  3. 「性急な編集」の対象がおもに「創作物を元とした逐次的な編集」と限定されたものであり、ローカルルールで対応可能なのに、全体の方針として一見網羅的にガイドラインとして拘束力をもっている。しかし冒頭は「性急な編集」が「速報的な編集」とは区別されるけど、全体としていけない、と、なんだか文書の位置づけがはっきりしない。まとめのようでまとまっていない。だったら、わざわざ弊害の多い「複合新規概念」をガイドラインで設定する必要もメリットもなく、「特筆性」「独自研究」「検証可能性」基本方針+各種ローカルルール+性急編集に関するエッセイ、で十分だろうということ。
要するに、実際に反対、不要論、弊害論がおおいのに、妙に冒頭いいわけ的な条項までつけてまで、網羅的にルールを設けて、仮想敵的な利用者を牽制するための拘束文書を乱造するのは、Wikipedia:執拗で嫌らしい指摘はしない(指示の肥大化は避ける)で忌諱されている運用のつまづきパターンそのものです。
本ガイドラインは正式に廃案の上、Wikipedia‐ノート:性急な編集をしない/改定案はエッセイとして導入しておきたければ反対はしない。しかしガイドライン以上の格と拘束力はけしてあたえない、という方向でいかがでしょうか?--114.51.15.159 2009年8月2日 (日) 21:25 (UTC)
そもそも「Wikipedia:執拗で嫌らしい指摘はしない」が示していることは、ガイドラインやプロジェクトにおいて、(常識的に考えれば当たり前のようなことまで)細かく指示を書きつらね、結果としてわかりにくくする、条文同士の矛盾などを引き起こすが手がつけられないという様なことを否定しているのであって、指示をつける行為自体を否定しているわけではないです。このガイドラインが肥大化した典型と見るのは良いでしょうが、それを是正して、簡便にしようとしている改定案に対して、持ち出す根拠としては筋違いだと思います。
あとの挙げられた理由に関しては、既に指摘され反論されていることの繰り返しなので特に何も言いません。--EULE 2009年8月3日 (月) 03:31 (UTC)
この改定案もすでに上述したとおり単なる指示の肥大化であり、簡便化にもなっていないし、条文同士の矛盾を本質的に解決したものではないでしょう。まあいずれにせよ、この改定案を優先するということは、現状のガイドラインは否定されるということ=廃案になるということであり、はたしてこの改定案をその後に据えるのが相応しい、ガイドライン以上の格と拘束力を与えるか、私案に据え置くかという議論になると思います。故に
  1. 現状のガイドラインは問題があると認識が共有されているので、さっさと廃案にする。アクティブなまま放置している意味などない。
  2. この改定案については、誰も校正、編集にいまのところ興味もまったく示していないようであるが、とりあえず、私案に据え置くか、ガイドライン以上の格と拘束力を与える価値があるか検討し、合意形成に移る。
ということになると思います。まあ個人的には、上述した理由により、基本方針+ローカルルールのサブセットのせいぜいエッセイ扱いで十分であろうと思うし、ガイドライン以上の格と拘束力を与えるコンセンサスができるはずもないだろうと、これまでの議論をみて思っています。--114.51.45.112 2009年8月3日 (月) 03:47 (UTC)
そもそも、先の議論でも触れられてますが、問題がある=廃案にする というのが暴論です。それ自体(性急な編集という概念)に問題があると言う意見のみなら、=廃案でもかまいません。が、現状の文面には問題があるが、性急な編集という概念自体に異論は無いと言う意見もあり、総じて「問題がある」という意見なわけです。現状の道路交通法だと飲酒運転について問題があるから法改正した方が良いという意見に対して、じゃあ、改正するために、ひとまず道交法を無くしますね。なんてのが、いかに馬鹿げた展開かわかるでしょうに。
別に、性急な編集自体に問題があると言っている人を否定しているわけじゃないです。だけど、後者の人間もひとくくりにして、「問題があるというのは共通認識だから廃案にしますね」は、暴論なわけです。--EULE 2009年8月3日 (月) 07:19 (UTC)

(インテンド戻す)暴論であるとは思いません。その道路交通法の飲酒運転規定のアナロジーは本件には当てはまりません。道路交通法においては、飲酒運転は社会的に有害な犯罪行為であるという広い国民の間のコンセンサスが存在しており、そこに異論は存在しません。改訂の間それをポーズすることは、社会的に悪影響があるので、効力を持続させておくべきというコンセンサスに反するので確かに問題があるでしょう。

しかしね、本件においては、あなたも最後の文章で認められているとおり、性急な編集概念自体に問題があるという利用者が多数、過半数存在し、現状のガイドラインの効力を持続させる事について、そこにコンセンサスは存在していません。廃案意見が大半なわけです。つまり、改訂案を検討する間に、現行の文章の効力を持続させておくべき=性急な編集概念を肯定し続けておくべき、というのは、この議論に限ってはあなたがた、たかだか3名の少数の見解であり、私もふくめ過半の利用者の肯定は存在せず、ここに広い合意など存在していません。

現状をみると、どうもEULEさんその他が、その性急な編集概念を肯定する少数意見を堅持するために、我々過半の利用者の性急編集概念否定論は、現状維持を押し付けられている格好となっていますね?

ここで、改定案をそちらが出され、それが文面を改訂したので、現状の文面を上書きしたいという提案があった。で、そこで我々、概念否定派は、はいそうですか、と現状維持を押し付けられたまま、ガイドラインの格と拘束力を持続させたまま、その文面を検討しなければならない義理もないし、そこに合意など存在しません。

基本、ここで何がおこっているかというと、合意もない、否定論が多数のガイドラインの効力をなんかわけがわからない理由をもって、廃止論者が受け入れており、改訂するから、それも受け入れてくれと一方的な要求を突きつけられているようなものです。

原則、合意がすでに認めれない、文面にも問題があり、それを改訂するというのであれば、一旦すべてリセットするのがフェアで前に進む方法でしょう。とりあえず、ガイドラインとしての効力は失効させ、改定案は私案として受け入れる。しかし拘束力はその時点では認められない。なぜなら合意が存在しないからですよ。

そのフェイズを経て、もし万一我々が、改定案に改訂を重ね、それにガイドラインの格と拘束力をもたせてよい、と合意形成できれば、それでよい、合意形成できなければ、拘束力をもたす合意なんぞないわけだから、私案のままです。なんか私ムリな暴論を申しておりますか?--114.51.23.241 2009年8月3日 (月) 07:51 (UTC)誤記修正--114.51.23.241 2009年8月3日 (月) 09:27 (UTC)

例え話に突っ込んできても、あまり意味は無いし、その例え話は、概念自体に問題がある方では無くて、その意義は認めるが部分的に問題があるという立場に対する物ですよ。そういう立場の人間に対して、「ひとまず廃案にしましょう」なんて提案したって、納得するわけがないでしょう?と言ってるんですよ。もっとはっきり言うと、あなたは妥協案的な提案をしているつもりなのかもしれないが、それはその立場の人間にとっては「本気で言っているのか?」と言わざるを得ない提案なわけです。まだ「性急な編集という概念自体に問題があるから、廃案を提案する」と言った方がわかる。
そして、ウィキペディアは多数決の場で無いのは言うまでもないし、廃案に賛成した人は全員が「性急な編集」それ自体に反対しているわけじゃない。読めばわかるとおり、現在進行やスタイルマニュアルに付記するのが望ましいとする立場や、あくまで文面の問題によるデメリットが性急な編集に対するメリットを超えるから廃案に賛成する意見もある。なのに、そういったものをひとくくりにして、問題があるから廃案にしましょうってのは暴論なんですよ。1か0で考えていませんか?
あと、明らかにしてなかったことに気づいたので述べておきますが、この改定案に関しては私は保留です。先に述べたように、「スタイルマニュアル(フィクション)」ができつつあり、こちらとの兼ね合いで見ていきたいので。--EULE 2009年8月3日 (月) 08:10 (UTC)
たとえ話がコメントの中心にあり、だからいかに馬鹿げた暴論かわかるか?という文章でしかなかったはずです。だから暴論であると、私はアナロジーが違うのでそうなるはずがない、と返しただけですね。
私は妥協案的な提案をしているつもりはなく、言っていることは簡単です。すでに合意も認められないガイドラインの効力がなぜ継続しているのか?それだけですね。問題があるから廃案にしましょう、というより、問題があるから改定案を出しましょうそれに効力を持続させましょう、という話の持って行き方がおかしい。改定案がすでにガイドラインの後がまとして効力を持つという前提で話を進めようとしている。どこにそんな合意が存在しますか?
すでにこのガイドラインというか、現状であれ改定案候補であれ、文面に今現在そしてこれから効力を持続させておくという合意は存在しないのは明らかなので、即刻、廃止して、改定案を私案として据え置くという処置でも方針上は何の問題もないはずですが、以下、議論参加者のコメントを募集したいと思います。
しかし、もし、合意もないのに、「今現在のドキュメント+今後の改定案の効力」を持たせておくべきという合意無視の「暴論」を主張される方がいるならば、そういう方々と方針上の対話など成立するはずもないので、やむをえず、WP合意形成の作法に則り、最終手段として多数決を明示的に行うしかありません。これについてもコメントを募集したいと思いますので、よろしくお願いします。--114.51.23.241 2009年8月3日 (月) 08:31 (UTC)
例え話自体に絡んできたから言ったのでしょうに。別に治安維持法でも尊属殺人の有無でも構わないんですよ。廃案派と改正派では前提が違うのに、それを1つにまとめて、問題があるのは共通認識だから廃案にしましょうでは暴論である。ということが言いたいだけなんですから。別にあなたの立場が暴論であると言ってるんじゃなくて、あなたの提案が暴論だと言ってるんですから、「アナロジーが違う」と言ってる時点で、全然違うんです。先に述べたように、あなたが「性急な編集」自体が問題であると考えるから、廃案を提案する。というなら、別に構いません。私は賛成しませんが、そういう立場もあることは認めますから。私は「問題があるのは共通認識だから廃案にする」という提案を暴論だと言ってるだけです。
あと、既に合意に達してないですが、ここで重要なのは「廃案とすることの合意」であって、「維持することの合意」ではないはずです。よく言うように、既に決まったことを無くすことは難しいし、そういった意味で維持派は有利であるから、公平性が上手く保たれないのは認めるところです。しかし、ウィキペディアのガイドラインが、期限付きの物で無い限り、維持することの合意がもはやできてないは、廃案とする理由にはなりません。ルールに関わっている人間ならわかるはずです。--EULE 2009年8月3日 (月) 08:54 (UTC)

(インテンド戻す)すでに、より正確な表現もしたはずですが、「問題があるから改定案を模索してそれに持続して効力を持たせ続ける」というのは認められないから、改定案を優先的に表に出すアクションを取るのであれば、それに効力を持たすことを、はいそうですかと認める事はないし、後ろに下がった現ガイドラインは論理的に廃案となる、とコメントしました。いくら、人のコメントを暴論だ暴論だとあてはまらないアナロジーで示唆したところで、それが間違っているのだから、意味はないです。

さて、後段のコメントについてですが、「維持することの合意もはや存在しないこと」=「廃案とする理由」にはならない、それが不公平ではあるが、わかるだろう、ということですか?その論理が了解できません。

すでに「既に決まったことを無くすことが難しい」なんてフェイズは、わたしのこのコメント含めてそれは先立つ議論で終わってるんじゃないでしょうかね。もうさんざん、維持派はゴネられただろうという率直な感想を持っております。そして、その結果、合意など存在しないということが明確になっている。

よくわからない理屈ですが、「維持することの合意もはや存在しないこと」=「廃案とする理由」にはならないという暴論を言われるのであれば、次にとるべき方法は多数決しかないでしょうね。だって、それは裏をかえせば、EULEさん、あなたが最後のひとりになっても、ゴネ続ければ、「廃案の合意」というものにはけして至らず、廃案は原理的に起こりえないという現象の別の言い方にすぎないからです。合意も存在しないのに、方針効力が存在するというのは、異常事態であって、それが特にたかだか3名の反対によって維持されつづけているのならばなおさらです。以下、合意形成には、今後至らない、というのがすでに明らかになりましたので、やむえないですが、WP合意形成の作法に則り、最終手段として多数決の実施を提案することとします。--114.51.23.241 2009年8月3日 (月) 09:15 (UTC)誤記修正--114.51.23.241 2009年8月3日 (月) 09:27 (UTC)

まず第一に、改定案というのは、改正するということであって、いったん廃案にして再度ガイドライン化を目指すというものではありません。また、当然のことながら、ウィキペディアのルールとして改正する時に「一度廃案にする」というルールもありません。もし、改定を改正と称することが詭弁だと思われるなら、改定でもかまいません。改定の提案をしたときに、現状の文面を廃案するというルールは存在しません。つまり、改定案は、現状の内容を廃案にして、再度合議しなければいけないという主旨の物ではありません。
あと正直言いますとね、既に多数決の論理を振りかざしている人が、もはや多数決しかないとか言われても困ります。よく言われる多数決の問題は、少数派の意見が数の論理で蔑ろにされるという物ですが、もう1つあって、多数決は選択肢を狭めてしまうというのも弊害の1つなんです。特にこういうYESかNOか選択肢の場合は。
114.51.23.241氏は、自分の意見が賛成派の総意であるかのように振る舞い(そんなつもりはないと言うなら謝りますが、私にはそう見えました)、反対派は3人しかいないなんておっしゃられてますが、じゃあ、賛成派がみな、あなたのように性急な編集の主旨自体を問題視しているのかと言えば、そうじゃない。現に最初に賛成を示したcloudberry氏は、現在進行に付随させた方が良いという意見での賛成だし、次の長月みどり氏もそうだ。114.51.23.241氏は、賛成派には代価案を用意する必要はないと言うが、それは確かにあなたの言うように主旨その物を否定しているならそうだが、このように他所へ移行させる形で廃案するというなら、当然、現在進行においた場合にはどうなるかの代価案を用意する必要がある。その考えは、反対派の考えとは相容れないものだが、かと言って、代価案を用意する必要が無いと言い切れるあなたの考えとも相容れる物じゃない。
公平性に関しては理解できないとのことですが、既に決まったことを無くすことには労力がいるから、存続派と廃案派との公平性を維持するためにいったん廃案にすべきだという提案を井戸端でも行ってしてきてください。たぶん、私より説明の上手い人がいるでしょうから。--EULE 2009年8月3日 (月) 11:32 (UTC)
ルールがあるないにせよ、あなたがなにか暗黙の了解のように主張されている、改定案を検討している限りは、どっからともなくガイドライン効力の「持続、延長、先送り」の合意が無条件に湧いてくる、という理屈はわかりようもないので、まあとりあえず、意思確認のための準備を次の節ではじめました。当然、現状文面、改訂文面ともに、どういうスタンスで捉えられているか、ある方面で合意があれば、自ずからそうすればいいし、別の方面で合意がなければそれはそれで自ずから次のステップが見えてくる事でしょう。とにかく、合意形成もないのに、わけのわからない現状維持の押しつけ、ごり押しはご免被りたいし、容認するつもりもないです。--114.51.23.15 2009年8月3日 (月) 12:06 (UTC)
ですから、「暗黙の了解のように」ではなく「暗黙の了解」であって、というか「暗黙じゃない了解」です。 必要なのは「維持の合意」ではなく「廃案の合意」です。あなたが言う少数派のごねであろうと、廃案にするのに必要なのは「廃案の合意」なんです。ここにおいて、維持派が「維持の合意」をとる必要はないです。なぜなら、それがウィキペディア上のルールだから。「ルールがあるないにせよ」なんて言葉で誤魔化さないでほしい。むしろ、あなたの言うそのルールは、ウィキペディア上の条文のいかなる根拠によって、そのような提案をされるのですか?--EULE 2009年8月3日 (月) 13:29 (UTC)
逆ですね。「なぜなら、それがウィキペディア上のルールだから」につながる、そのコメントはWP上の条文のいかなる根拠によって書いているのですか?
私が言ってるのは単純で、合意の礎を失っていることが容易に確認できるようなガイドラインの効力を維持しているのは異常な状態であるということであって、それが本質です。異常な事態を解決するには、当然その異常な事態を利用者間で認知共有し、じゃあ解決しようよ、という合意さえあれば、それですんなりいって一件落着なわけですが、実際問題は、あなたのようにゴネる人がまあ時々でますね?それは異常な事態でも、なんらかの思想的な理由により、合意状態のリスペクトよりも、異常な状態の解決を妨害する。異常な状態であっても好み維持しようとする。単なる合意の軽視です。そして「それがウィキペディア上のルールだから」とかいう具体的存在もはっきりしないもんを持ち出す。いったいそれって何ですか?本件においては、しばらく調査投票の路線で様子を見ますが、あくまでゴネて合意形成を軽視し議論妨害が続くようならば、これはこちらでは解決不能とみなし、コメント依頼にだすしかないのかな、とも考えていますが、まだわかりません。--114.51.172.190 2009年8月3日 (月) 13:51 (UTC)
逆質問をかけてくることは予想してましたけど、そこまで熱くなるとかえって損ですよ。で、「合意の礎を失っていることが容易に確認できるようなガイドラインの効力を維持しているのは異常な状態である」場合にはその如何に関わらず廃案にして良いというルールはどこにあるんですか?と聞いているんですよ。そもそも「合意の礎」なるものからして、それはあなたの論拠であってウィキペディア上の論拠じゃないでしょう。
私への逆質問に関しては合意形成を見てくださいと言いたいのですが、納得しないと思われますので、井戸端あたりで聞いてみます。もしかしたら私の方が間違ってるかもしれませんからね。あと海獺氏も指摘しているように特に可変IPであるなら、アカウントを取得された方がいいでしょう。--EULE 2009年8月3日 (月) 14:10 (UTC)

(インテンド戻す)どうぞ、井戸端での問題解決は望むところです。「その如何に関わらず廃案にして良いというルールはどこにあるんですか?と聞いているんですよ」ですがね、私は、最初に申し上げた通り、ここ1ヶ月ほど、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625の翻訳に取り組んできました。これは現在、公式方針として反映させるための最終案を固めている最後の段階です。その中の、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625#ウィキペディアは官僚主義ではありませんを概念を損なわないように注意深く翻訳編集しながら、常にあなたのような存在を頭の中で想像していたわけですね。ルールはどこにあるんですか?というのは本質的な問題ではない。常にWPでは合意が最優先される。あなたは、合意もすでに失っているようなガイドラインを自分の思想的な好みを満足させるために、その廃案のために、合意の有無ではなくて、わけのわからないルールの存在の要求や、廃案合意というあなたが最後までゴネて実現などしないと担保してしまっているアキレスの亀のような手続きを要求している。これは実質、コンセンサス軽視の妨害なんですよ。自覚はまったくないですか?--114.51.172.190 2009年8月3日 (月) 14:20 (UTC)

井戸端に投稿してきました。もし、その提案の仕方はあなたに有利にミスリードしているというなら、あなたの立場での意見を補足しておいてください。--EULE 2009年8月3日 (月) 14:42 (UTC)
(追伸)井戸端の方でも言及していますが、仮に114.51.172.190氏の論拠を認めるとしても、「合意の礎を失っていることが容易に確認できる」ということについて、現状がそうであることは認められません。それは何度も述べたように、同じ反対でも(問題がある派)でも、主旨に反対するのと、改正を必要とする(主旨は認める)というのでは立場が明確に違います。ゆえに合意の礎を失っているのと判断はできないと思うのですが、まあ意識調査なるものをはじめましたし、何より私は氏の論拠がよくわからないので、とりあえずここでは無視されても構いません。井戸端での議論結果を待ちます。--EULE 2009年8月3日 (月) 14:53 (UTC)

(お願い)イー・モバイルのIPユーザーさんへ。おそらくいろいろな文書関連にご意見をいただいていると思われますが、同じ方なのかそうではないのかが、第三者にはわかりません。こういった運営に関わる文書への議論参加は、議論参加者や、動向を見守っている利用者のためにも、アカウントの取得について考えてはいただけないでしょうか? また当面のお話し相手の方のお名前を何度も誤記されるのは、あまり礼儀に適ったことではないと思われます。議論の真剣さと同じように相手の方への最低限の配慮を冷静にお願いいたします。現在あなたとお話し合いをしているのは「EULE」さんであり「EURE」さんではありません。--海獺 2009年8月3日 (月) 09:22 (UTC)

ここまでのコメントは#改定案の節より転記したものです。

#改定案の節においてガイドラインの廃止の是非を論じる事は不適当と判断し、この節に転記しました。ご了承下さい。--cloudberry 2009年8月4日 (火) 08:03 (UTC)

Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)の素案作成のお知らせ

[編集]

上記議論においても必要ではないかという話が出ていたWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)の素案を作成いたしました。今後ガイドライン化へ向けて作業を行いたいと思いますので、ご意見などありましたらWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (フィクションの記述)までお願いいたします。--Web comic 2009年7月10日 (金) 12:13 (UTC)

 これ以上横道にそれる必要もないと思います。あなたは相手の要求を聞き入れ新しいガイドラインの基となる器を作ったのですからもうそれで十分です。あとはそのガイドラインが必要だと考えておられる方が努力して、ガイドラインとして認められるよう手間と知恵を重ねるべき問題だと思います。これ以上新しいガイドライン作りに傾くと、それが完了するまであなた自身ここのガイドライン廃案への行動をとりづらくなると思います。
 私もノート:JR東日本E259系電車でここと同じように、複数の参加者の意見を盛り込んだルールを作る作業をしましたが、結局は相手の逃げ道を作るための時間稼ぎでしかなかったなと思います。まあ相手も『検証可能で過去形で書かれた記述は問題無い』と心の中では分かっているんだと思います。そのことに触れると『無条件に反対』『議論そのものに反対』『別途議論するべき』という具合で、新たな根拠となる独自のガイドライン作りを始めましたから、結局考えることはどこも同じだなと見ていて思ったので、投稿ブロックを食らう前に書かせてもらいました。ここの廃案については全面的に賛成です。--Route78 2009年7月12日 (日) 14:50 (UTC)

改定案

[編集]

時間が空いてしまい申し訳ございませんでした。cloudberry氏のご指摘を受けまして改定案の方を取りあえずの形と致しました(改定案)。私の設計意図としましては以下の様な感じです。

  1. まず「速報的な編集」と「性急な編集」を区別し、本ガイドラインの対象を明確化
  2. 誤用に対する予防策として「速報的な編集」に対する最低限の解説
  3. 性急な編集に対する本論

御意見よろしくお願い致します。--マクガイア 2009年7月26日 (日) 06:12 (UTC)

上のマクガイア氏のコメント以下に書かれていた議論についてですが、完全に当ガイドラインの廃止の是非が話題となっていたので#廃案もしくは私論への移行提案の節に転記しました(差分)。
そして少し時間が空いてしまいましたが、改定案作成お疲れ様でした。一通り目を通させて頂きまして、前に指摘した矛盾は解消されているように思いました。ただ、現時点ではWikipedia:現在進行と噛み合っていないように感じたのと、このガイドライン自体が新しい情報を取り入れる事に対し否定的な部分を扱うためか、「速報的な編集」と「性急な編集」の違いなどといった説明をしなければいけなくなっていたりして回りくどくなってしまっている印象を受けました。個人的な意見としては『Wikipedia:最新の情報を反映させる』(一例)のような速報を歓迎する論旨の文章を作ってそこで「ただし、こういうものは例外。理由は○○。詳細はスタイルマニュアル参照。」みたいな形で説明すればシンプルで分かりやすくなるんじゃないかなとも思ったりもしますが、これはこれで骨の折れる作業になりそうですしね…。--cloudberry 2009年8月4日 (火) 09:29 (UTC)
上記の提案は素晴らしいと思いました。とりあえず、すでにコメントしたことですが「性急」という言葉をタイトルにしながら、速報とは違う、それはよい、でも性急とはこう定義される、だからダメ、という構造に根本的な欠陥があると考えますし、大方その問題意識はすでに先行議論で共有されている方が多数なのではないかと思います。
「性急な編集」という新規概念導入をガイドライン内で試みる、という手法はタイトルともども廃止してしまって、そのような最新の情報を反映させる際のガイドライン内で、ダメなパターンはこれこれ→検証可能性、特筆性、独自研究に抵触するダメ例示、各ローカルルールへの参照リンク、スタイルマニュアルとすれば、構造がしっかりするし危惧される弊害は消滅するだろうと思います。私はその文書ならば、私案ではなくガイドラインの格と拘束力をあたえることに賛成します。
あと、コメント移動お手数おかけしました。--Wp99 2009年8月4日 (火) 10:08 (UTC)
(お知らせ)理由は不明ですが、私のコメントがWp99氏により複製されていたので除去しました。また、すでに他の方より指摘されていますが、Wp99氏はLTA:FXSTとしてブロックされ、ブロック追認依頼が提出されています。--cloudberry 2009年8月5日 (水) 00:43 (UTC)
御意見ありがとうございます。まず説明不足であった部分を補足させて頂きます。
  1. Wikipedia:現在進行との兼ね合いにつきましては、原則としてWikipedia:現在進行側に丸投げし、最低限の事のみ触れるという形を意図しています。で、Wikipedia:現在進行につきましてはこれまでの本ガイドライン同様に基本方針との矛盾がありますので、これまでの議論の方向性を踏まえた「速報はOK。ただし必ず出典を。」という形に改訂する必要があると考えております。本来であればWikipedia:現在進行の改訂提案を先に出すべきではあったのですが、状況から取りあえずとしてこちらの改訂提案を優先させて頂きました。
  2. 「対象となる行動があった際の対処」はあくまで、1) 性急な編集を行なった方に対して自粛を行なう様に呼びかける、2) 記事に注意喚起のテンプレを貼る というだけに留め、差し戻しについては意図的に除外致しました。これはガイドラインとしてはあくまで「自粛をお願いする」物であり、また性急な編集そのものはしない方が好ましい物ではあっても、「何が何でも行なってはならない」という性質の物ではないためです。この辺りに差し戻しの強権を与えてしまった事が性急保護という物へと繋がったのだと私は考えています。
私としましては性急な編集を行なう方もこの方針を問題のある形で振り回す方も、「何が良くて何が駄目なのか」というところが分かってない方々だと思いますので、多少くどくてもその辺りはしっかりと説明しておいた方が良いのではないかと考えています。
Wikipedia:最新の情報を反映させるという様な物を作成するという事も反対ではありませんが、Wikipedia:現在進行の改訂で対応できるのではないかなと個人的には思います。そこに改定案を統合するというのも一つの方法としてはありだと思います。--マクガイア 2009年8月9日 (日) 07:28 (UTC)

改定案の作成お疲れ様です。私も「性急な編集」という言葉は使わない方がよいと感じました。タイムリーな編集が「検証可能性を満たしているか」ということが問題であることを明確にするべきであり、「性急な編集」という言い回しだと「タイムリーかどうか」を問題にしているように読めてしまいます。

一例として「速報的な編集と性急な編集の違い」のタイトルを「何が問題なのか」などとして、以下のように説明すればより論点が明確になると思います。

ウィキペディアは紙製の百科事典ではないため、編集がタイムリーである事自体は問題とはされず、歓迎されます(速報的な編集)。一方で、アニメや定期刊行物などが発行・放映されるたびに逐次的に編集を行う行為が、記事の成長を阻害する場合があります。このガイドラインは、創作物を元とした逐次的な編集を抑制することを目的としています。

「速報的な編集には出典を」節も、たとえば「信頼のおける情報源を出典とさえしていればタイムリーな編集は性急な編集とは見なされず、一般に歓迎されます。しかしたとえ事実であっても、出典を伴わない編集は性急な編集と見なされ、差し戻される事があります。」という部分は、「タイムリーな編集でも、信頼のおける情報源を出典とさえしていれば歓迎されます。しかしたとえ事実であっても、出典を伴わない編集は差し戻される事があります。」とした方がより明確になると思います。

また、「現在進行」もen:Template:Currentの誤訳に基づく用語であり、その後日本語の「現在進行中」と混同され、さらにこのガイドラインの「性急な編集」とも混同され、それが現在問題になっている「検証可能性を満たした予定事項を除去する」という誤用につながったという趣旨の指摘がWikipedia‐ノート:現在進行にてなされています。Wikipedia:現在進行も現在の内容ですと、タイムリーな編集を否定しており、テンプレートやカテゴリの説明ぐらいしか有用な記述がありません。一方、利用者:マクガイア殿の改定案は説明するべきことを過不足なく記述されていると評価できますが、逆に言えばこれ以上説明するべき内容はないと思います。Wikipedia:現在進行は「失効」(Template:Rejected)させて、Wikipedia:最新の情報を反映させるに改定案の「速報的な編集には出典を」節と、Wikipedia:現在進行のテンプレートやカテゴリの説明を記述すれば十分であると考えます。--伏儀 2009年8月17日 (月) 08:07 (UTC)

「創作物を元とした逐次的な編集」節は特に問題はないと思います。こちらの問題は詳しくないので、あまり助言できず恐縮ですが。--伏儀 2009年8月18日 (火) 15:55 (UTC)
御意見ありがとうございます。今週中を目標にこれまで頂いた御意見を踏まえた修正案を提示させて頂こうと思います。とりあえずのご報告だけとなってしまい申し訳ございません。--マクガイア 2009年8月19日 (水) 13:10 (UTC)

(インデント戻します)これまで頂いた御意見を踏まえ、修正案を2案提示させて頂きます。

A案
新ガイドライン「Wikipedia:最新の情報を反映させる」を作成し、速報的な編集の例外として逐次的な編集として取り扱う。テンプレート部分に付いては取りあえず現状の提案としてはさほど重要ではないと判断し、割愛致しました。
B案
Wikipedia:創作物を元とした逐次的な編集」(仮)に改名。「速報的な編集には出典を」については、「Wikipedia:現在進行」または「Wikipedia:最新の情報を反映させる」で掲載。

A案はcloudberry氏の御意見を、B案は伏儀氏の御意見をベースとしています。投票が行なわれるのであればその前にどちらか一案にまとめようとは思いますが、広く御意見を頂くため取りあえずとして両案を提示させて頂きました。

両案に共通する事としましては、1) 伏儀氏の御意見を拝見して「性急」という言葉が誤解を招いている面があるように私も思った事、2) これまでの議論から「性急」という言葉にアレルギーを示してる方がいるように感じた事、3) 「性急な編集」というよりも「創作物を目的とした逐次的な編集」と言い表した方が何が問題であるかという事を理解し易いと思った事から、「性急」という言葉を使わず、「タイムリーさの問題ではない」という形でまとめています。--マクガイア 2009年8月24日 (月) 13:41 (UTC)

修正案の作成ありがとうございます。どちらかの案を採用することを前提に議論を進めてよいと思います。もちろん自案をベースにしたB案の採用に賛成ですが、どちらの案を採用することになっても反対しません。皆様のご意見をお待ちしております。--伏儀 2009年8月28日 (金) 08:32 (UTC)
少し間を空けてしまいましたが、改めまして改定案の作成お疲れ様です。
双方の案を見させて頂きましたが、やはり自分はA案を推します。理由としては「方針上速報が許容されるべきサイトの中で、全体から見たらごく一部にしか適応されない例外を独立した形でガイドラインとしておく事に抵抗がある」というのがあります。このルールに向けられている嫌悪感はルールの意図を汲み取る事無く「このルールではこうなってる」とあたりかまわず振りかざす人の存在にあるように思えたからです。廃止されたショートカットの[[WP:KID]]ではありませんが、このガイドラインの悪しきイメージは改名してもまず消えないレベルに達しており、単独で存在する限り内容に関係なくそういう人たちの錦の御旗にされないだろうか、と不安を感じます。マクガイア氏の指摘にある「「性急」という言葉にアレルギーを示してる方がいるように感じた」というのもそこにあるのではないでしょうか。また、『Wikipedia:創作物を元とした逐次的な編集』という呼称ですと今度は逆にカバー範囲が狭すぎるのではないかとも思いました。メインカルチャーを扱う記事でもCategory:現在進行テンプレートなどで最新情報の記載について注意喚起することはありますが、仮にその呼称で運用するとしたらそういったものは今後どう扱うのかという疑問が湧いてきます。根っこが同じである部分もあるかと思いますが、これらは別の文書で切り離して説明するのでしょうか?
Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすWikipedia:サーバの負荷を気にしすぎないの様に相反する文書を設けて行き過ぎが起きないようにしている例もありますのでB案でも強く反対することはありませんが、とりあえず気になった点についてお答えいただければと思います。--cloudberry 2009年9月4日 (金) 10:27 (UTC)
(追記)上の文章の下線部分についてちょっと補足しておきます。「元々このガイドラインはサブカルチャ-記事を対象に作られたものであるにも関わらず、メインカルチャ-に対しても適用された事でトラブルを引き起こしている。本来メインカルチャ-における速報はWikipedia:現在進行等で扱う方が適当であり、今後はそうすべきではないか。」という意見が出ている事を承知の上で私はあのような質問をしております。記事全般における問題のある速報の例とその対処法を扱うならまだしも、マクガイア氏が指定した範囲だけを単独のガイドラインで注意喚起するメリットがあるのかと疑問を感じた為です。--cloudberry 2009年9月5日 (土) 08:54 (UTC)
(返答を書いている間に伏儀氏がコメントされましたが、cloudberry氏への返答として書いた文章ですのでこちらにぶら下げさせて頂きました。)
今回はB案に対する問題指摘を頂いたことから、その反論として「B案の問題のなさ」に発言が集中しておりますが、現時点として私がB案を推しているというわけではない事をまず断っておきます(逆にA案を推しているというわけでもありません)。私としては幅広い御意見をお聞かせ頂きたいと思っておりますので、提案者として現時点においてはどちらを支持するかという事の表明は控えさえて頂きます。
方針上速報が許容されるべきサイトの中で……例外を独立した形でガイドラインとしておく事に抵抗がある」との点につきましては、この「例外」に当てはまる記事が数としては非常に多いと言う点から問題はないと私は考えています。またこのガイドラインの適用範囲は上でも出てきているWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)等と大きくは変わりがないと言う点からも、これは問題とならないと考えます。
「WP:KID」はそのショートカットそのものが悪意の込められたものであり、Wikipedia:児童・生徒の方々へそのものは残っているのですから、ちょっと事情が違うのではないでしょうか。本ガイドラインを「(問題が無くなっても)嫌悪感を持っている人がいるから廃案にする」というのは「WP:KIDに悪意があったからWikipedia:児童・生徒の方々へを廃案にする」というのと同程度の事であるように思います。性急という言葉を方針内からも方針名からもなくした状態で、「イメージが悪い」というのは感情論といいますか、理論的な理由がない様に私は感じます。当初から申し上げていますように本来の目的から外れた目的外利用を理由として廃案するのはおかしいと私は考えていますし、その目的外利用を不可能にしたものについてまでその亡霊に怯えて廃案にすべきというのはもう信心の世界ではないでしょうか。
そして今回の改定案では「錦の御旗としてルールを振りかざす事」は出来ないようにしています。この改定案で出来る事は注意のみであり、その注意による啓蒙活動によって執筆者の意識を高め、害にもなる逐次的編集を無くす事を目指しています。あとはせいぜい注意を何度受けても意図的に違反を続ける方が現れれば、他のガイドライン同様にガイドライン違反の蓄積を理由としたコメント依頼からブロックへというのが関の山でしょう。改定案を根拠としてのリバート・保護・投稿ブロックと言った直接的な行動は意図的に排除しています。明記する事により意図的に悪用する輩が出る事を考えこれまでの改定案では見送っておりましたが、「リバートの禁止」を明言する事を考えても良いかもしれません。
カバー範囲の狭さについては範囲を明確化し、目的外利用による暴走を未然に防ぐという目的によるものです。修正案内に示しているように「作者の意図によりどうとでも出来る」創作作品だからこそ逐次的編集に制限をかける事に正当性が出ていると私は捉えていますので、この正当性部分がない「Category:現在進行テンプレートなどでで最新情報の記載について注意喚起する」ような場合についてはガイドラインで制限してはならないものであり、ここを制限する事は廃止理由となっている暴走を再び呼び起こすものであると考えています。以前も申し上げましたが、こうした事態に対する対応としてはWikipedia:検証可能性に加え、「百科事典にそもそも掲載すべき事かどうか」という特筆性を論点とするというあたりではないでしょうか。--マクガイア 2009年9月5日 (土) 12:46 (UTC)

cloudberry殿のご意見を拝見させていただきましたが、A案の方が適切でしょうね。

回答となりますが、B案(Wikipedia:創作物を元とした逐次的な編集)の「目的」節にて方針上速報が許容されることが明記されているので、ガイドラインに不備はないと考えます。扱う範囲が狭いというのも、このガイドラインに限らないと思います。また、「Wikipedia:創作物を元とした逐次的な編集」で扱うテンプレートは「継続中の作品」と「刊行中の漫画雑誌」くらいしかなく、それ以外はWikipedia:現在進行で扱われるでしょう。つまり、サブカルチャーとは直接関係のないテンプレートを抱え込むことになるので、2つのガイドラインで分けて扱うべきではないかと考えました。

ただ、ルールの意図を汲み取る事無く「このルールではこうなってる」とあたりかまわず振りかざす人というのは確かにやっかいな存在ですね。「創作物を元とした逐次的な編集」が単独で存在すると、ガイドラインの内容を理解せず、「ガイドラインを熟読してから編集してください」などと問題ない編集に対してリバートを実施してしまう利用者が出現するおそれは確かにあると私も思います。そもそも、「創作物を元とした逐次的な編集」については別の章に分けてあるので、2つのガイドラインに分ける必要はなかったのかもしれません。コメントありがとうございました。--伏儀 2009年9月5日 (土) 11:56 (UTC)

Wikipedia‐ノート:現在進行にて、このガイドラインの改訂について告知させていただきました。--伏儀 2009年9月5日 (土) 12:39 (UTC)

マクガイア氏より返答をいただきましたのでコメントします。
なんとなく話が噛み合っていない気がしますが、私の考えを一言で表せば「このガイドラインはいらない。だがその論旨は何らかの形で受け継ぐべき」といったものであり、マクガイア氏がA案・B案のどちらでもかまわないと思っているのであれば特に私と意見が衝突する事は無いでしょうし、仮にマクガイア氏がB案寄りの考えであったとしてもそこまで意見の食い違いが生じる事は無いと思っております。
そして、「全体から見たらごく一部にしか適応されない~」について誤解が生じている様ですが、これは記事数ではなくジャンルを指しております。JAWPの特徴としてメインカルチャーを押しのける勢いでサブカルチャーが充実している点がありますが、それとこれとは別問題だと思います。
次に、私がA案を推す理由の一つに挙げた「ルールを振りかざす人云々」についてはマクガイア氏のご指摘どおりそれを阻む工夫が施されているとは思います。しかし正直それがうまくいくかどうかは運用にこぎつけないと分からないというのが私の感想です。個人的には『歴史は繰り返される』というか、『マーフィーの法則』というか…といった印象が強いですが、私の杞憂である可能性も十分にありますのでこの点について特に強弁するつもりはありません。(マクガイア氏には受け入れがたいかもしれませんが、これは議論でどうにかなる性質のものじゃないので考え方の違いだと割り切ってもらえると助かります。)
なお、上のコメントで例に挙げたWikipedia:児童・生徒の方々へのショートカットについてですが、Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2007年10月における削除審議Wikipedia‐ノート:児童・生徒の方々へ#ショートカットを使わない運用に向けてにおける議論内容からマクガイア氏の主張は誤りだと明確に指摘しておきます。--cloudberry 2009年9月10日 (木) 09:48 (UTC)
ジャンルでありましても、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)等のガイドラインの適用範囲と大きな差はないわけですし、特に問題はないのではないでしょうか。
ルールというのはある意味振りかざすためのものですので、「ルールを振りかざす人」というのは必ず出てきます。ただ、改定案では振りかざせる方法は注意のみに限定しており、それ以外の方法(具体的に可能なのはリバートでしょう)は「ルールを振りかざす」どころか「振りかざしているつもりのルールそのものに明確に違反」しています。本改定案は強権ではなく、注意する事によって執筆者を啓蒙していくことをコンセプトとしていますが、このように「振りかざしているつもりの人」も「逐次的な編集を行なう方」と同様に啓蒙対象であると私は考えています。
「WP:KID」は悪意ある利用をされる方が居た事をきっかけとして、Wikipedia:児童・生徒の方々へというガイドラインの性質上から悪意ある使い方や「子供扱い」自体が不適切であるという合意によりリダイレクトが削除されたものであって、「悪いイメージがあるから」という理由によって削除されたわけではありませんよね。また、悪用する利用者が居たからとして、Wikipedia:児童・生徒の方々へそのものが廃案になるという事はありませんでしたよね。この事例を引き合いとして、「とにかくガイドラインを廃案にすべきだ」となるのが私にはどうもよくわからないのです。
どちらの案にするにしても問題を潰しておく事は有意義であろうと考え返答はさせて頂きましたが、B案のベースとなる御意見をお寄せ頂いた伏儀氏が「A案の方が適切」と仰っていますし、また改定案提示からそれなりに時間が経った事も踏まえまして、私としてもA案に絞るという事でよいのではないかなと考えております。--マクガイア 2009年9月11日 (金) 11:44 (UTC)
マクガイア氏もA案で話を進めるつもりの様ですので、必要な事だけ手短に言わせてもらいます。
WP:KIDの件ですが、これはマクガイア氏が2009年9月5日 (土) 12:46 (UTC)のコメントで「ショートカットそのものが悪意の込められたものであり~」とおっしゃったので論拠のリンク付きで「それは違う」と言ったまでです。私も2009年9月11日 (金) 11:44 (UTC)のマクガイア氏のコメントと同じ見解でしたが、マクガイア氏の9月5日のコメントと9月11日のコメントでは明らかに主張が異なるように見えます。そのあたりの説明は無いのでしょうか?また、その後の「イメージが悪いという理由での廃止なんてとんでもない(大意)」とのコメントについては確かにその通りでしょう。ただし、それは他の手段(Wikipedia:児童・生徒の方々へで言えばショートカットの不使用、当ガイドラインで言えば他の運営文書の適用)で補完される場合には当てはまらないのではないでしょうか。私はここでの議論参加当初より単純な廃止ではなく他の運営文書で説明する、またはその当ガイドラインをその文書に組み込む形での廃止を提唱しているのですから、その辺でマクガイア氏と意見が対立する事は無いと思いますが。--cloudberry 2009年9月11日 (金) 20:48 (UTC)修正--cloudberry 2009年9月12日 (土) 01:56 (UTC)
取りあえずご指摘に対する返答をさせて頂きます。
私としましては前々回と前回の発言で異なる事を言ったつもりはありません。「ショートカットそのものが(相手を子供扱いするという)悪意の込められたもの」と補足すれば分かり易いでしょうか。
一応私としては両案の提案者としてどちらに対する否定意見もしっかりと反論しておこうという事が前提としてあります。ただ、他の選択肢があるのであればイメージでも良いと言う点には私としては同意しかねます。今回の件であれば、「速報のガイドラインと逐次編集のガイドラインを一緒にするのと分けておくのとでガイドラインの運用上どちらが良いのか」というのが主な論点であり、やはり「イメージが悪いかどうか」というのは両案の比較の上で意味のない事であると私は思います。--マクガイア 2009年9月13日 (日) 10:55 (UTC)
えーと、コメントを読んでいて軽く目まいがしてきました。WP:KIDが相手を子供扱いする意味合いで使われ、それがショートカット廃止の原因となったのは事実ですが、先のコメントで出したリンク先のどこをどう読めば「ショートカットそのものが(相手を子供扱いするという)悪意の込められたもの」と解釈できるのでしょうか(ショートカットそのものに罵倒の意を込めて使われた、ならまだわかりますが。)。少なくとも私には不適切と判断されて削除されたWP:GAKI以外のショートカットに「そのものに悪意が込められた」とする根拠が見出せないのですが。もし納得がいかないのでしたら初版作成者の方にリダイレクト作成の意図を伺って参りましょうか?これ以上議論の本質と関係ないところでもめるのは私としても避けたいですので。--cloudberry 2009年9月15日 (火) 06:56 (UTC)
めまいですか、それは大変ですね。ビタミンBを取るといいですよ。お大事にして下さいね。
ああ、なるほど。そう受け取られていたのですか。私の意図としましては「『過去にどのような使われ方をしていたか』や『使用者の意図』などとは無関係に、『Wikipedia:児童・生徒の方々へ』へのショートカットとして使うだけでKIDという単語が『子供扱い』という悪意を示す事になり、『Wikipedia:児童・生徒の方々へ』へのショートカットであるという事だけでショートカット自体が悪意を内包している」ということを端的に言ったつもりだったのですが、確かに「制作者の意図が問題」と発言しているとしか読めませんね。私としても作成者の意図なんてどうでもいいことですし、不適切な表現でした。この点につきましては謝罪させて頂きます。
私としましてはその辺は割とどうでもいい事でして、あの場で言いたかった、「『悪い使われ方したイメージ』で削除されたわけではなく、対象ガイドラインのショートカットとしてそもそも不適切だから削除されたWP:KIDを、『イメージ悪いから改名であろうと引き継ぎは無し』の引き合いとするのはおかしい。」ということが伝わっているのでしたらそれで十分です。--マクガイア 2009年9月15日 (火) 14:43 (UTC)

さて、改定案の方は一応一案に絞ったわけですが、改めて投票は必要でしょうか? 改定案の提示から3週間以上が立ちましたが、ここまでA案に対する明確な問題指摘や改定案であっても廃止しなければならない理由は頂いておらず、議論が平行線となっているわけではありませんので、私としては投票する様な状態にあるとは思っておりません。

投票が必要ないという事でしたら、改めてWikipedia:現在進行の方での最終的な提案を行ない、新ガイドラインが運営開始され次第、こちらのガイドラインは廃止という事で良いかと思います。--マクガイア 2009年9月15日 (火) 14:43 (UTC)

なるほど、目まいにはビタミンBですか。早速ビタミン剤でも買ってきます。ところでそのコメントを読んだとたん頭痛までしてきたんですが、そういう場合には何が効くのでしょうか?(頭痛薬というベタな回答は期待しておりませんので、あしからず。)
…えー、脱線はこのくらいにして本題にいきましょう。まず投票が必要かについて私の見解をお答えします。
A案で事を進める事を前提として、もし廃止の是非について投票をするとすれば選択肢は
  1. 当ガイドラインを直ちに廃止する。(必要があれば廃止後にA案に基づく形で新しいガイドラインを作ることは否定しない)
  2. 当ガイドラインを暫定的に存続とし、その間にA案に基づいてガイドラインの整備を行い、運用可能なレベルに達したところで当ガイドラインを廃止、または統合する。
の二つしか無いと思いますが、どちらを選んでもこのガイドライン自体は無くなる事と、廃止派はおそらく遅かれ早かれこのガイドラインが無くなるならそれでいいという人が多いように感じる事から、わざわざ投票を行わずともマクガイア氏の案で通すのもアリじゃないでしょうか。私の意見だけでは不十分なら最低でも廃止を提案したWeb comic氏と投票に向けて動いてくださってたかげろん氏には意見を求めておいた方がいいかもしれません。
次に前のコメントの回答についてですが、「あぁ、考え方が違うんだな」とだけ答えておきます。正直どこまで話し合っても合意点が見出せる気がしませんが、ここに限ってはそれが議論の進行に害を及ぼすことが無さそうなので特に気にしておりません。--cloudberry 2009年9月16日 (水) 09:45 (UTC)修正--cloudberry 2009年9月17日 (木) 07:15 (UTC)

(報告)その後反対がありませんでしたので、Wikipedia‐ノート:現在進行の方での提案を致しました。--マクガイア 2009年9月27日 (日) 13:40 (UTC)

改定案まとめ後の投票について

[編集]
(コメント)投票の是非についてうやむやなまま進めるとトラブルの素になりそうでしたので、かげろん氏に投票の是非について改めて意見の表明をお願いして参りました。かげろん氏が提案を取り下げるか、一週間以上コメントが無かった場合には投票は行わないという形で議論を閉じてきます。--cloudberry 2009年9月28日 (月) 04:02 (UTC)

(コメント)改定案の方もまとまってきたようですし、そろそろ意識調査の投票をして、コミュニティの意思を確認しておくべきかと。調査投票の実施に関しては取り下げる意思はありません。--かげろん 2009年9月28日 (月) 11:47 (UTC)

素朴な疑問なのですが、現時点で投票を行なう必要性というのはどういった辺りにあるのでしょうか? --マクガイア 2009年9月28日 (月) 14:00 (UTC)
現時点でのコミュニティの率直な意見をお伺いするということです。意見が多いに越したことはありませんし、改定案も十分時間をかけて検討されたでしょう。マクガイアさんも投票自体には反対してなかったですよね(「廃止派の要請に応えて出した改定案を検討する事もせず、現段階において性急に行なわなければならないのかが疑問なのです。」との発言の「性急」という状態は少なくとも解消されてるでしょう)。あくまで調査投票なわけですから、そこまでやましく感じるものでもないと思いますが。--かげろん 2009年9月28日 (月) 14:59 (UTC)
御意見ありがとうございます。私はA案の内容なら投票無しで進めても大きく不満を漏らす人はいないだろうと思い、提案の上で投票の見送りをするつもりでしたが、考えが浅かったようです。
実際、改訂に向けての大まかな方向性は決まったのですから、その内容についてコミュニティの率直な意見を募る事は今後の改訂作業をスムーズに進める上で意義のあるものではないでしょうか。(個人的には今の改定案は自分の意見が多分に取り入れられているので、それがコミュニティからどう判断されるのか気になるというのもあります。)--cloudberry 2009年9月30日 (水) 03:43 (UTC)
もちろん最終的に必要ならば投票に反対するつもりはありませんので、改定案に反対意見が寄せられて議論が平行線になっているのであれば、投票に賛成致します。しかし改定案に対する反対意見が全く寄せられず、論争がなにも起きていない現状(普通に考えれば「問題がない」と判断されていると見るべきでしょう)において、コミュニティの意志を伺う必要性という物がどこあるのかがよく分かりません。このまま改定案が進められるのに反対なのでしたら、まず最初にすべきは反対意見を表明することであり、投票はさらにその次のステップとなるはずです。この時点での投票はWikipedia:投票の指針#調査投票の手順の1に示されている「合意に至る努力」が欠落しているように思います。--マクガイア 2009年9月30日 (水) 10:42 (UTC)
(コメント)調査投票は私と114.51.23.15のやり取りから出てきた物で、その背景を考えるなら、もはや意味の無い物です。あれは改定案が無い状態で意味があったので。
改定案が出た以上、もし投票をやるなら、それはもはや調査投票ではなく、改定案を採用するか廃止するか(あるいは現状を維持するか)を決める投票です。で、あるから、投票とは意見が割れて決まらない場合の最終手段であるので、改定案の反対者あるいは廃止派は、今のうちに意見を述べておくべきです。何の意見も述べず、いざ投票になったら反対では不合理すぎるので。これで反対意見が全く無いなら、投票を行う必要も無くなるでしょう。--EULE 2009年9月30日 (水) 11:01 (UTC)
EULE氏に確認しておきますが、あなたのおっしゃる「改定案が無い」と言うのは「改定案はマクガイア氏より出されたものの、そこから何も進んでいない」という意味で、「改定案が出た」と言うのは「改定案が作成され、そこからどう先に進めるか決まった」という解釈でよろしいのでしょうか。あなたとイーモバイルのIPユーザーが廃止の是非をめぐって言い合いになったのはマクガイア氏が改定案を出した後ですので、それ以外の解釈があるとも思えませんが一応確認しておきます。
私としてはEULE氏のようになぜそこまで必死に投票をさせまいと動く方がいらっしゃるのかが謎です。投票によるガイドラインの廃止は当ガイドラインを存続させる事が前提のB案であれば計画を一から練り直す必要があるので影響は大きいですが、新ガイドラインの制定と当ガイドラインの最終的な廃止がメインであるA案は投票で即時廃止が決まったとしてもそこまで痛手にはならないと思うんですよ。Wikipedia:基本方針とガイドラインを読んだ限り、運営文書の草案作成に特別な条件は無いようですので即時廃止に決まったら早々に新ガイドラインの制定作業に入ればいいですし、イーモバイルのIPユーザーのようにそれを正当な理由無く阻止しようとするのであればそれは無条件に荒らしとして処理してしまえばいいでしょう。
そんな感じで私は投票でどういう結果が出たとしても現在の指針が大きくぶれる事はないと思う訳ですが、「それでもいいから投票を」と言うのであれば満足のいくようにすればいいでしょうし、投票をするかしないかでもめていつまでも先に進まない方がよっぽど不毛なんじゃないかとも思います。--cloudberry 2009年10月1日 (木) 05:56 (UTC)
解釈についてはその通りで構いません。誤解を招くような言い方で悪かったです。すみません。
それで、本題の方ですが、私は逆になんでそこまで調査投票をしたいのかわからない。そもそも私は調査投票の話題が出たときは賛成でしたよ。あの時点でやるなら意味はあったので。「改定案もまかりならん」という人がどのくらいいるかを調べることは、最終的な改定案が出来る前に知ることで意味があったので。何か一時停止になっちゃいましたけどね。
しかし、何でここにきて調査投票をしないといけないのかがわからない。現時点で調査投票の結果によって何が変わるのか?廃止派が多数だったら、廃止なのか?改定派が多数だったら改定案を認めるのか?何もしないなら、何の意味も無い。だったら、もう一々そんな面倒なことをせずに、効力のある投票にした方が良い。と言うのが論旨です(「投票によるガイドラインの廃止は~」とおっしゃるが、あくまで調査投票である以上、そんな効力は無い)。
ただ、現時点でそこまでの投票をやれば、投票とは意見が割れた時にやるべきであって、少なくとも改定案に関して何の意見も無かったのに土壇場で反対とされては困る、と言うのは道理だと思います。だから「じゃー投票やろうぜ!」ってのは難しい、ってのが前回の意見です。とは言え、じゃあ、このまま改定案の合意形成をはかって終わり、と言うのも問題なので、改定案の議論には何の意見も述べず、いざ投票になったら反対してくるような人間を浮き彫りにできるのはメリットはあるかも知れません。
なぜ反対するのかといえば一番は単なる時間の無駄だと思ったからですが、もう今更時間なんて気にする必要は無いというなら、調査投票しても特に問題は無いと思います。おっしゃる通り、こんなことでまた時間の無駄をするくらいならさっさと投票した方が良いでしょう。今回、久しぶりに口を出したのも、場を引っ掻き回して無駄に時間をかけさせた一因を担った者としては、もうあんまり時間をかけて欲しくないなというのが理由でした。--EULE 2009年10月1日 (木) 07:30 (UTC)
(コメント)上のかげろん氏の意見について、マクガイア氏と同様に「投票よりも改定案の内容の精査を優先すべき」としていたGiftlists氏にも意見を求めて参りました。--cloudberry 2009年10月5日 (月) 04:10 (UTC)
こんばんは。この一連の流れのスタートは#廃案もしくは私論への移行提案節のお話で、現在実施するかどうかを検討しているのが#意識調査に向けて(仕切り直し)節のお話かと思うのですが。現状、お話し合いに参加していらっしゃる方は旗幟鮮明といいますか、既に移行提案節の時から自身のお考えをはっきり持たれている方々ばかりのようにお見受けします。で、意識調査ということですと、そうした方以外に広く意見を伺う場なのかなと思うのですが。現状、意識調査節に(提案節参加者以外で)新たに来訪された方はfrommさんのみであり、そのfrommさんは、意識調査前に簡潔なメリット・デメリットの解説がないかと訊ねていらっしゃいます。で、うーん、正直なところ議論に深く参加していない方が意識調査に気軽に参加するには、リクエストにあるような簡潔なメリデメリの解説は前準備として不可欠なのではないかなと思います。そうしたものがないと、仮に意識調査をしてもお馴染みの皆様のお馴染みの意見しか聞けない結果になってしまうような気もして、それではあまりやる意味がないかなと。--Giftlists 2009年10月6日 (火) 15:58 (UTC)

議論に参加したいと思い、先ほどからこのノートを見ているのですが、量が膨大であることもあって全体像をうまくつかめません。現在何が合意に至っていない問題なのかを教えていただければ、意見を表明することはできると思いますが…--有足魚 2009年10月10日 (土) 11:32 (UTC)

ざっとまとめると以下の様な感じでしょうか。ただし私は存続派ですので、おそらくはその立場に偏ったものとなっていると思います。廃止派の方からも補足頂けるとより良いのではないでしょうか。
  1. 「このガイドラインを根拠として、検証可能性を満たした記述の除去が行なわれている。」事を理由として廃案が提案される。
  2. 廃案理由は「ガイドラインを誤用した目的外利用」による物であり、「誤用を理由として本来の目的ごとガイドラインを廃案とするのはおかしい」と考え私が反対。本来の目的である「創作作品への逐次的な編集の抑制」という原点に戻り、誤用を禁止する形へと改定すれば廃止する必要がないと主張。
  3. 廃止派から改定案の提示を求められ、存続派の私より提示。
  4. ブロックユーザの靴下により、意識調査の投票が提案される(#本ガイドライン改定案提示後の意識調査)。該当ユーザがブロックされた後に、これを引き継ぐ形で投票の提案が行なわれる(#意識調査に向けて(仕切り直し))。
  5. 提示を求められて提案した改定案について議論する事なく、最終手段である投票を行なおうとすることに私が反対[2]
  6. 廃止か存続かという根本の方向性が定まっていないのに改定案を出した」ために議論が平行線になっているとして投票提案者が反論[3]
  7. 改定案は存続派が廃止派の求めに応じ、廃止派の意見を踏まえた上で提案した妥協案であり、これを「平行線」というのはおかしいと反論[4]。その後、反論がなかったため、頂いたコメントを元に改定案の修正作業へ。最終的に新ガイドライン「Wikipedia:最新の情報を反映させる」(仮、案はこちら)を作成する形でまとめる。この間、この案に対する反対意見や問題提起はなし。
  8. 改定案がまとまった事を理由として投票の再提案[5]。投票の理由はコミュニティの意見を募るため[6]
  9. 改定案に対する反対意見などがない現状において、最終手段である投票をする事に対して疑問を提示[7]
--マクガイア 2009年10月12日 (月) 22:08 (UTC)
マクガイアさん、ご説明いただきありがとうございます。Wikipedia:最新の情報を反映させるの作成で特に反論がないのでは、確かに投票の必要はないと思います。ここで議論するよりも、草案に移行した方がよいのではないかとも思えます。--有足魚 2009年10月13日 (火) 02:39 (UTC)

「投票すべき」とお考えのかげろん氏のコメントをお待ちしておりましたが、氏はもう1月以上WPでの活動その物をされていない様です。かげろん氏以外で積極的に「投票すべき」とお考えの方はいらっしゃらないようですし、もう投票はせずに、具体的なガイドライン整備に移っても良いのではないでしょうか?--マクガイア 2009年11月8日 (日) 00:38 (UTC)

(報告)その後反対意見もありませんでしたので、Wikipedia:最新の情報を反映させるを草案として独立させました。以降、同ガイドライン案に対する御意見はWikipedia‐ノート:最新の情報を反映させるの方にお願い致します。--マクガイア 2009年11月29日 (日) 06:01 (UTC)

本ガイドライン改定案提示後の意識調査

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114.51.23.241です。

とりあえず、/改定案提示前、後で、議論参加者の皆さんの意識はどうなのか、現時点で再確認しておく必要があると思います。 すでに、現ガイドラインは廃止意見が過半多数であり、本ガイドラインの効力の礎となる、コミュニティの合意は失われているはずです。 では新たに提示された、改定案の提示と合わせ、現状と今後をどう捉えるのか?という意思確認を再度した方がよいと考えます。

もちろん、予定しているのは調査でありなんら拘束力がないものですが、 ガイドラインの維持の正当性に合意があると認められるか否かは当然判別できるでしょう。 考えられる選択肢としては、

  • 現ガイドラインは今すぐ廃案、改定案も廃棄、検討に値しない
  • 現ガイドラインは今すぐ廃案、改定案は私案(エッセイ)据え置き、ガイドラインの格と効力は与えない
  • 現ガイドラインは今すぐ廃案、改定案は私案(エッセイ)据え置き、その後、効力がある代替ガイドライン候補として検討、校正の余地あり
  • 現ガイドラインを当面持続、改定案は最初から代替ガイドライン候補として検討、校正、ガイドライン効力を持続したまま置き換える予定

その他。。

だいたいこんな感じだろうと思いますが、いかがですか? なおより厳密な調査投票フォーマット決めとしてはWikipedia:投票の指針にガイドラインがあります。--114.51.23.15 2009年8月3日 (月) 11:57 (UTC)

114.51.23.15を含むイーモバイルのIPアドレスは広域ブロックとなり、同一人物と思われるWp99氏もLTA:FXSTとしてブロックされ、ブロック追認依頼が提出されています。よって、この節は破棄すべきでしょう。異論が無ければ、1週間後を目処に、この節を破棄します。
#廃案もしくは私論への移行提案も(もしIPアドレス者がFXST系ならば)汚染が酷いですが、私は対処しません。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年8月4日 (火) 23:57 (UTC)
(異議)ノートをざっと読んでみましたが、現状のままでは良くない(廃止の意見も含めて)という意見もそれなりの数が見られたことから、調査投票の意義はあると考えます。だれか引き継ぐ人さえいれば十分進行が可能なことですから、破棄することは投票の提案を出しなおすことを考えればかえってリソースの無駄になると考えられます(現状維持でコンセンサスが得られているとは考え難いし、どちみち調査投票はいずれは実施しないといけない段階だったと考えます)。--かげろん 2009年8月5日 (水) 00:12 (UTC)
(コメント)現状として水掛け論になっており、話し合いで折り合いをつけるのは難しいように思われますので、投票でとりあえずの指針を決める事には賛成です。ただ、個人的には一度この提案を却下して仕切り直しをした方が円滑に事が運ぶように思いますのでLuckyStar Kid氏の意見に同意します。--cloudberry 2009年8月5日 (水) 00:43 (UTC)
(コメント)反対派で水掛け論の当事者が言うのも変ですが、この現状の意識調査の方針には賛成であり、もっと言うなら調査投票とせずとも「性急な編集の主旨は認めたとしても、もはや改定を含めた措置を考えても現行では難しいから廃案とする」という論点で合意形成を狙えば、もはや「改定するからちょっと待ってくれ」と言うのを抑え込むことができて良いと思うわけです。反対派の言い分としては、特に文面の内容を理由として廃案の賛成をするのなら、反対派としては文面の改定をするから待ってくれと言う、あるいは、別のガイドラインに付随させるというなら、そのガイドラインで実際に付随されてから廃案としようとするのは、当然の行動なわけです。--EULE 2009年8月5日 (水) 02:45 (UTC)

(インデントを戻す)皆、諸手で廃棄に賛成してくれるとばかり思っていたので、意外でした。個人的には、荒らしかどうか以前の問題として、方針文書や各種ノート、井戸端などで、非ログインのまま深く介入してくる方を全く信用していないし、議論相手としても全く相手にする気は無いのです。Wikipedia:説明責任なんてガイドラインもありますし。
まあ、「引き継ぐ人が居れば利用価値がある」という意見は分からないことはないのですが、一体、誰が引き継ぐのですか? かげろん氏ですか? --ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年8月5日 (水) 22:22 (UTC)

(コメント)必要とあらば、進行役は引き継ぐのはやぶさかではありませんが。あと、たとえ可変IPが相手だからといって、「方針文書や各種ノート、井戸端などで、非ログインのまま深く介入してくる方を全く信用していないし、議論相手としても全く相手にする気は無いのです。」というのは誠実な対応ではないのではないでしょうかね。--かげろん 2009年8月6日 (木) 08:27 (UTC)
私はこのガイドラインについて直接の意見は持たないのですが、件のIP氏がFXST氏のソックパペットであるなら、彼のウィキペディア名前空間への投稿は原則としてすべて除去すべきで、その上で意識調査をしたい方は別途提案されるのがよい、と考えています。彼の相手をされた方を含め、やりとり自体は無駄でなかったとお思いの方もおられるでしょう。しかし、方針を守らない人間が方針議論に参加することの意味を考えていただければ、と思います。ブロック破りに寛容に接するのは、それ自体がプロジェクトへの冒涜的態度とすらいえると考えます。きつい言い方で申し訳ないのですが、お汲み取りいただければ幸いです。--みっち 2009年8月6日 (木) 14:28 (UTC)
あの。枝葉末節だけどさ。「ソックパペット認定されたアカウントあるいはIPの編集だから無条件でリバートして良い」とかいう発想が一定の範囲で存在しているようなのですが、「ソックパペット認定が果たして正しいのか」というあたりですでに疑問が提示されているし、あんまし単純に「除去していい」とかいうと単なる編集合戦の原因になりかねないし、ちょっとそこらへん注意してほしいのよねえ。
せいぜいがところ「ソックパペット認定されたアカウントあるいはIPの編集は、内容をチェックした上で、問題が改善されていなければそれを理由に除去してかまわない」という程度が限界で、「当然に除去すべし」とか「リバート当然」とかいう話になったらそれは違うと思うの。ブロック破りに寛容になる必要はないかもしれないが、ブロック破りであるかどうかを認定するのはきわめて難しく、かつそのチェック機能が機能してるかどうかよくわからん日本語版の現状で「ソックパペットなんだから」というのを前提とするのはかなりやばいことだと思うわけっすよ。そこらへんよろしくどうぞ。--Nekosuki600 2009年8月6日 (木) 15:51 (UTC)
Nekosuki600氏の意見はおおむね賛成できるんだけどね。でもこの114.51.23.15氏による「意識調査」節の扱いなんかは、そーいう「日本語版の現状でソックパペットがうんぬん」とか持ち出すような大きな話じゃなくて、ノイズとして放置してもいいレベルの話だと思うよ。除去なんかする必要すらないし、単純にこのまま「過去にこんな主張があったけど議論は進まなかった。理由が知りたい人は経緯を自分で調べてみようね」ということで放置しておけばいいじゃない。誰か引き継いで意識調査やりたいなら止めないけれどね(節は新規に用意して欲しいけど)。--211.3.153.134 2009年8月7日 (金) 12:37 (UTC)
(字下げ戻す)誰かが引き継ぐことには反対しませんが、話がややこしくなるので一度新規の節で仕切りなおしたほうがいいと思います。あと、破棄が節を削除するという意味なら反対します(すでにだいぶコメントが伸びているので)。--Monaneko 2009年8月8日 (土) 05:22 (UTC)

少し空けている間に何やらややこしいことになってますね。私の説明不足が原因です。申し訳ない。

つまり、Wp99氏(114.51.23.241氏と同一人物であると看做します)は長期荒らしのソックパペットとしてブロック追認依頼中であり、仮に広域ブロック明けで114.51.23.241氏が戻ってきたとしても、ホストを務めるための信頼性は失っているであろうこと。そのため、この節はあるだけ無駄となるので、除去すべきだと提案しました。みっち氏の仰るような「ソックパペットだから除去」ということではありません。
(余談ですが、ソックパペットの投稿だということのみを理由に有意義な投稿も除去し、編集合戦を起こしている人もいますが、失礼かもしれないが「バカだなあ」と思いながら眺めていたりします。こういう人とはなるべく関わり合いになりたくない)

なおこの節に関しては、除去反対意見が多数出ていることから、除去は見送ります。適当な時期が来たら、過去ログ化することはあるかもしれません。

かげろん氏が意識調査を引き継いでくださるということなので、私としてはこれ以上何も言うことはありません。仕切り直しが必要であれば、114.51.23.241氏からホストを引き継いだかげろん氏にお願いします。(なお「非ログイン者の信頼性」に関しては水掛け論になりそうなので控えさせていただきます。人それぞれ意見がある、ということで)--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2009年8月9日 (日) 21:44 (UTC)


(コメント)「性急な編集」という語は多義的な意味を持っているので解釈が難しいと考えます。多義的な意味を持つ理由は「性急」が結果に対して修飾しているので、いろいろな原因や根拠に基づく場合でも、評価して出した結果が「性急」と呼ぶにふさわしい様態であればなんでもかんでも「性急な編集」とよぶことができてしまうということです。言い換えると、このガイドラインで扱うべき原因や根拠が、現時点で網羅的に「Wikipedia:性急な編集をしない」において言及し尽くされていて、且つその原因や根拠が他のガイドラインでも重複して言及されていて重複を解消すると何も残らないことが明らかな場合に「廃止」すべきだと考えます。重複についてはすでに他の論者が説明しているとおりですので特に付け加える点はないと考えます。

一方、このガイドラインで扱うべき原因や根拠が、現時点で網羅的に言及し尽くされているかといえば異論があります。すなわち「性急な編集」が自動的に「百科事典の目標を達成するうえで悪しき行為」に該当するかとえばそうではないと考えます。「百科事典の目標を達成するうえで悪しき編集」を取り上げたときに執筆者が性急な行動をとったと評価されるケースが多数存在するというだけであると考えます。

ガイドラインの目的は「このガイドラインで扱うべき原因や根拠」を具体的に解説することにあると考えるので原因や根拠として選択する基準がはっきりしないと網羅的に言及し尽くされているかどうかを判定できません。この選択基準が十人十色でどのようにでも(つまり恣意的に)解釈できるということがややこしさや議論が集約しない原因と考えます(結果論をいじっても、結果として現れなかった原因については常に議論の網の外にあることになります。なので網羅的とは言いがたいということになります)。

「性急な編集」が悪いと評価される原因は、「簡潔明瞭な説明を妨げる点」にあると考えます。すなわち「簡素な説明を妨げる」とは、三大方針の「検証可能性」「中立な観点」「独自研究」のいずれとも関連せず、独立しています。つまり関連しているのはWP:NOTだけだと考えます。

「簡潔明瞭な説明」というのは事実を整理して、共通概念や一般概念に集約してそれを説明するということに尽きると考えます。つまりWikipediaに事実を引用するのは「何かを説明する」手段であって、事実を引用すること自体が目的ではないということです。この方針についてはWP:NOTで消去法的に言及されているだけです。

たとえば「中立な観点」では「異なる観点は併記すべき」といっていますが「すべての事実を併記すべき」といっているわけではないです。事実を利用する説明の観点を併記すべきといっているので、事実の併記は「説明の観点」を補足説明するのに不足がない最小限に切り詰めるというのが「簡潔明瞭な説明」の具体的な方法になると考えます。

あるいは、「事実の列挙だけで説明が無い」というスタイルであれば、もはや目的と手段とを取り違えているとしか言いようが無いことになります。

言い換えると「すばやく性急に編集しても」、三大方針を満足し、且つ簡潔明瞭な説明を妨げていなければ「悪い」と評価する根拠はないとも考えます。--あら金 2009年9月28日 (月) 05:17 (UTC)

意識調査に向けて(仕切り直し)

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当ガイドラインは、さまざまな論点から存廃が議論されてきました。しかし、議論は平行線をたどっているのが現状であり、妥協点も見出せていません。そこで、本節ではJaWpコミュニティ参加者各位に本ガイドラインの存廃についての調査投票を行い、今後の議論の方向性を考える有意な資料にしたいと考えます。--かげろん 2009年8月10日 (月) 01:49 (UTC)

選択肢(案)

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  • (全面廃止)当ガイドライン及び改定案を廃案とする。
  • (一旦廃止)当ガイドラインを一旦廃止とする。改定案については、私論の段階で議論をしてガイドライン化することは妨げない。
  • (改定存続)当ガイドラインを存続とする。ただし、今後は改定案をベースに改定する。
  • (現状維持)当ガイドラインは存続とする(現状維持とする)。

投票資格者(案)

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  • 編集回数50回以上、活動期間1ヶ月以上のログインユーザー。
  • 当ガイドラインの議論に参加したかどうかは不問とする。
    • 注、多重アカウントと疑わしきアカウントの投票が見られた場合はCU依頼を提出する。

投票日時

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  • 具体的な開始日時は議論の上で決めるものとする。なお、投票期間は2週間を予定。

その他

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  • 投票実施が正式に決定したら、投票の指針に基づき、投票の告知を行う。
  • お知らせ、コメント依頼なども活用してより多くの方から意識調査に参加してもらう。
  • 正式な投票は、別途サブページを作成して、そちらで行う。

コメント

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案の追加、実施日時、コメント・議論などはこちらでお願いします。--かげろん 2009年8月10日 (月) 01:49 (UTC)

  • (コメント)ガイドラインの存立の経緯、メリット、デメリットなどの簡潔なまとめページはありませんか?膨大なこのノートページやそのリンク先をすべて読むのは大変です。--fromm 2009年8月10日 (月) 01:59 (UTC)
  • (コメント)投票自体はそのうち行なわれるだろうなとは思っていましたが、「何故、改定案を提示したこのタイミングで? 」というのが率直な感想です。「議論は平行線をたどっているのが現状であり、妥協点も見出せていません」という事を理由とされていますが、私としましてはこうした状態の打破のために廃止理由とされている問題点を解決した(つもりの)改定案を提示したわけです。改定案に殆ど御意見が寄せられていない現状では「平行線」にはなっていませんし、存続派としましても妥協点の見出しようがありません。改定案であっても問題があるとお考えなのであればまずはそれをしっかりとご指摘をいただきたいです。ある程度改定案に対する議論を経た後での投票という事であれば分かるのですが、現状では提示されている「投票を行なう理由」が成り立っていないように思います。--マクガイア 2009年8月10日 (月) 12:39 (UTC)
    • (コメント)廃案にすべしという意見も一定数寄せられていた中で改定案を提出されたわけですよね。廃止か存続かでもめていた状況で改定案を出したわけです。廃止か存続かという根本の方向性が定まっていないのに改定案を出したところで議論が進まないのは当然のことだと考えます(議論の線を錯綜させるだけ)。少なくとも廃止提案から1ヶ月強議論がまとまってないという事実はあるわけですから、投票を行う理由がないという指摘は当てはまらないと考えます。--かげろん 2009年8月10日 (月) 15:09 (UTC)
      • (コメント)こんばんは。ノートが長くなっていて最初から議論を見ていませんと、流れを追いきれなくなっているかと思いますが。改定案については、廃案に賛成側のcloudberryさんが、2009年7月14日 (火) 03:17 (UTC) のコメントにおいて「マクガイア氏が改訂案を作成しているならそれを公開するのも一つの手段になるのではないかと思います」と促され、それへの応答としてマクガイアさんが提出されたものです。賛成側の方から改定案を見てみたいとの要望があって、急ぎでまとめてくださったものなのでしょうから、改定案について殆ど検討もなされないままに次に進んでしまうという流れですと、改定案を準備した側からすると、少し肩透かしな気分になってしまうのではないでしょうか。--Giftlists 2009年8月10日 (月) 15:49 (UTC)
      • (コメント)Giftlists氏に頂いたコメントの通り、私としましては廃止派の方からの要請に応える形で提案させて頂いた改定案ですし、廃止すべきという意見が一定数寄せられていたからこそ、存続派としてはその廃止派の意見を踏まえた形で、これまでの「そのままでも取りあえずとしては問題ない」という意見を改め、廃止派の意見に寄せる形での妥協点として出したものです。これをほとんど議論する事もなく、「議論は平行線をたどっているのが現状であり、妥協点も見出せていません。」とされ、「廃止か存続かという根本の方向性が定まっていないのに改定案を出した」と責め立てられるのは正直私には理解しかねます。
        そもそも「廃止」というのはあくまで「現状のガイドラインに問題がある」という状況に対する、一手段であり目的ではないはずです。そして、私としましてはそのような手段をとらなくても「改定案」という別の手段で解決可能であるという主張を行なっているわけです。その手段の内容を検討をする前に、どの手段をとるかだけをまず決める(=廃止か存続かという根本の方向性が定める)というのは、手段と目的を取り違え、廃止する事自体が目的化している様に見受けられます。
        そして、改定案に問題があるのであればその問題を指摘した上で投票を行なう方が、投票者に対しても判断材料を提供できるわけですし、何故この1プロセスを飛ばすのでしょうか? 検討する事によって不都合が生じるのでしょうか? 念のために申し上げておきますが、投票そのものについては前述の通り「そのうち行なわれるであろう」と私も考えていましたし、反対はしておりません。しかし何故、廃止派の要請に応えて出した改定案を検討する事もせず、現段階において性急に行なわなければならないのかが疑問なのです。--マクガイア 2009年8月19日 (水) 13:08 (UTC)
        • (コメント)存続派の人たちの意見を聞いていると「投票は数で有利な廃止派が自分達の意見を強引に通そうとする卑劣な行為」とでも捉えてるんじゃないかとさえ思うんですが、少なくともそうではないし、存続派にとってもメリットはあると思うんです。私はあくまで廃止派で、投票への移行も予想していましたが、単純に数で押し切ってしまえばいいと考えたのであれば「改定案を出してください」なんて言いませんよ。投票に持ち込んで強引に数で押し切るつもりならば改定案を出させないほうが自分達にとって有利なんですから。そこをあえて出すように求めた理由を考えていただきたいと思います。実際に改定案が出された事で存続派の意見にはより説得力が生まれたと思いますし、投票が行われた際にそれが判断材料とされることは明らかでしょう。投票になれば現時点でコメントに留めている人やこれまでコメントしていない人達も投票するでしょうからHimetv氏の集計はもう参考にはなりません。あそこで投じられた賛否表明がそのまま投票に反映されたとしてもわずか4票差であり、結果がどちらに転んでもおかしくないものだと思います。また、仮に存続が多数となれば以後「そんなことをしていないでさっさと廃止すべき」といったノイズに悩まされる事が無くなり、改訂作業に専念できるのですから存続派にとってもメリットはあるでしょう。このまま進めてもSpoilerと同様に泥沼化するのは目に見えていますし、もう投票で白黒つけた方がいいんじゃないでしょうか。--cloudberry 2009年8月20日 (木) 23:54 (UTC)
          • (コメント)上でも申し上げていますが、現状では投票を行なう理由とされているものが理由として成り立っていませんので(妥協点としての改定案を出した事により状況はかなり変わっており議論は平行線ではない)、何故この段階で投票を行なうのかが理解しかねるというのが私の意見です。
            cloudberry氏がそうであるとは思っておりませんが、ブロックされた最初の提案者の意図がそこにあった事は明白であると思いますし、現在投票を仕切られているかげろん氏も「廃止か存続かという根本の方向性が定まっていないのに改定案を出した」という発言をされていることからも、そうした意図の元で投票が提案されていると私は捉えております。どのように取り繕っても、投票というのは数で強引に片方の意見を押し通す物です。もちろん本当に議論が平行線を辿っているのであればやむを得ず投票をしてでも決定しなければならない状況というのはありますし、最終的に投票をすることを否定はするつもりは全くありません。しかし現状は廃止派の意見を踏まえて存続派から提案した意見に対し、「○○という理由により改定案でも問題があり、やはり廃止すべきだ」という意見は寄せられておらず、存続派の提案に対し議論を拒否して数で押し通そうとしている様に見受けられるのです。--マクガイア 2009年8月24日 (月) 13:48 (UTC)
  • (コメント)おつかれさまです。4つの選択肢の名称なのですが、「廃止」や「存続」といいましても、人によって無条件であったり条件付きであったりでご意見もさまざまでしょうから、「無条件」と「条件付き」とで分けて、以下のように変更することを提案いたします。
    • (廃止)当ガイドライン及び改定案を廃案とする。
    • (存続)当ガイドラインは存続とする(現状維持とする)。
    • (条件付き廃止)当ガイドラインを一旦廃止とする。改定案については、私論の段階で議論をしてガイドライン化することは妨げない。
    • (条件付き存続)当ガイドラインを存続とする。ただし、今後は改定案をベースに改定する。--長月みどり 2009年8月11日 (火) 18:15 (UTC)
  • (コメント)長月みどりさんの言われるように、条件付での投票が望ましいですね。ただ単に「存続」「廃止」ではマクガイアさんが改定案を提起した意味もなくなってしまう可能性もありますし。--出羽卒族 2009年8月15日 (土) 06:55 (UTC)
  • (コメント)廃止に「一旦」や「条件付」との断り書きを付ける事には、各利用者の意思表明以上の意味は無いのではないでしょうか。仮にこのガイドラインが廃止されたとしても必要だと考える人達がいれば復活させる事はできますし、投票の結果がそれを妨げることはできないと思います。「適切な内容になるまでは効力を持つべきでない」とするなら拘束力を持たない草案への格下げでも効果は見込めますし、内容を見直した上で再度のガイドライン化を図るなら、公式な方針やガイドラインの草案として提案されていない文章である私論とするよりもそちらの方が適切だと思いますが、いかがでしょうか。--cloudberry 2009年8月16日 (日) 09:09 (UTC)
    • (コメント)「廃止に「一旦」や「条件付」との断り書きを付ける事には、各利用者の意思表明以上の意味は無いのではないでしょうか。仮にこのガイドラインが廃止されたとしても必要だと考える人達がいれば復活させる事はできますし、投票の結果がそれを妨げることはできないと思います。」とおっしゃっていますが、ここで仮に条件なしの「廃止」が圧倒的多数を占めたとしましても、再作成が絶対に認められないというわけではありませんから、そういった観点からでは「廃止」という選択肢そのものが不要になってくるのではないでしょうか。みなさまのご意思をはっきりさせるためには「廃止」の選択肢も必要ですし、改定案がある以上「条件付き廃止」も含めるべきだとわたしは思います。--長月みどり 2009年8月16日 (日) 19:18 (UTC)
      • (コメント)wikipediaにおける運営文書の廃止は「失効させ、以後は歴史的文書として扱う」というものであって、関連議論もろともjawpから抹消される訳ではありませんし、一度決まってしまえば金輪際その判断が覆らないという事もありません。Category:歴史的文書Template:Historicalにも「この文書を復活させたい場合には、井戸端、コメント依頼、もしくはウィキプロジェクト プロジェクト関連文書で提案してください。」とあり、(当時の判断を覆せるだけの判断材料があれば)廃案となった文書の復活は正式に認められているのですから、「改定案については、私論の段階で議論をしてガイドライン化することは妨げない。 」というのは正式に権利として認められているものを承認しますと言っているようなものですので私は「各利用者の意思表明以上の意味は無い」と言っているのです。その上で改訂存続派の意見や行動を尊重する形で失効させるなら廃止(=歴史的文書、もしくは私論への移行)とするより草案への移行の方が適切ではないかと言っている訳ですが、何か問題がありますでしょうか?--cloudberry 2009年8月19日 (水) 02:28 (UTC)typo--cloudberry 2009年8月19日 (水) 03:39 (UTC)
        • (コメント)おっしゃることは理解いたしました。ただ、まだ改定案の議論が続いており、投票を検討する段階ではないと思いますので、投票が必要になったときに選択肢について再検討することでいかがでしょうか?--長月みどり 2009年8月19日 (水) 19:04 (UTC)