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Wikipedia‐ノート:削除依頼/深見東州のライヴ個別記事

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「仕込み記事」「タイアップ記事」に関して

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  • コメント こちらの依頼ページ(およびノート)に、何度も私がコメントするのを快く思われない方もいらっしゃるのではないかと思いコメントを控えておりましたが、あえてこちらにコメントいたします。AKB48などにみられる「事務所と発行元のタイアップ記事or仕込み記事」に絡めたコメントがIPユーザーさんから出て来ておりますが、この「タイアップ記事」「仕込み記事」の問題は、Wikipedia上において、特に「芸能」「アイドル」関係の記事で以前から起きているものです。私、Rienzi自身が直接的ないし間接的に関わり、把握しているケースとしては、Wikipedia:削除依頼/秋元真夏や、Wikipedia‐ノート:削除依頼/特筆性のない乃木坂46メンバーなどがあります。スポーツ紙において「特集」と銘打たれた記事や、「記事の内容から見て、明らかに取材対象との間に提携・協力関係が認められる記事」などについての扱いは、Wikipedia:信頼できる情報源のノートなどで、よく話し合われるべき内容かも知れません。(少なくとも、本削除依頼に留まるレベルの内容ではないと私個人は考えます)少なくとも、「スポーツ紙の『特集』記事」や、「取材対象から独立しているかどうかが微妙な(提携・協力関係にある可能性がある)記事」の扱いについて「現状のままでOK」とは私は考えておりません。(はっきり言えば「雑誌や新聞に載りさえすれば、OK!特筆性は保証されたぜ!」ってわけじゃないと思うんです。今回の依頼対象記事に限った話ではなく・・・)--Rienzi会話2015年2月26日 (木) 15:25 (UTC)[返信]

偏見はウィキペディアのためになりません

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審議とは直接関係がありませんが、Rienzi氏の発言[1]については、見過ごせないものを感じております。報道が「某北の国の新聞報道っぽい」と感じるというところまでは、私はそうは感じていませんが、個人の主観ですからまだ理解はできます(繰り返しますが、私はそうは感じていませんし、意見そのもには賛同しておらず、「なんという例えだ」「100%偏見ではないか」は思っていますが、個人の主観による発言として理解しますという意味です)。しかし、ライブ主催者某団体の宣伝のために、ウィキペディアを利用している可能性があるなどと、以前に宣伝行為を行った団体を結びつけるのは、行きすぎではないでしょうか?(あらかじめ断っておきますが、この団体に問題があるということではなく、ごくわずかの目的外利用者に問題があったということです)。この団体の記事は、団体記事一つだけであり、他の団体ではバンバン記事が立てられているのと比べると宣伝行為はありません。一つも過去の事例がないのに、宣伝記事の乱造を行った団体の事例と結びつけるのは、偏見によるイメージ操作としか思えません。ライブ主催者の活動は多岐にわたっており、ブラインドゴルフの父と呼ばれる福祉活動、絵画や書での振興や自身の制作活動、オペラやコンサートの振興や自身の発表活動等は、それはそれ単体で評価するべきでしょう。対立する人を支持者と称し全員一括りにして、スポーツ紙を味方につけて団体宣伝をしているとか、ちょっと言ってることがおかしいと思いませんか? たとえば、神社の神主が皇族の著名人と結婚するのは布教のためですか? 新興宗教の教祖の息子がタレント活動をするのは布教のためですか? ある神社の創立者である経営者が会社経営をしたのは、布教のためだったんですか? 2002年に宗教法人として設立登記した団体この学校この学校を運営するのは、信者を増やすためですか? お寺のお坊さんがすることは、100%布教のためだというのでしょうか? キリスト教の司祭神父牧師さんの活動は、100%布教のためなんですか? 信仰を持つ人や宗教法人の代表者だからといって、宗教の枠にとらわれることのない社会活動や社会貢献についてまでも、全て自身の信仰する宗教の布教のためだなどと決めつける思想は、単なる偏見です。また、対立している編集者を、支持者と決めつけて布教行為と結びつけるのは、Wikipedia:個人攻撃はしないに抵触するのではないでしょうか(誰もそんなことをしていないのに!)。そのようにしか考えられないのでしたら、Wikipedia:中立的な観点で検討するのは無理です。お引き取りいただいたほうがコミュニティーにとって利益となるでしょう。もう少し、冷静に考えて下さい。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月10日 (火) 03:16 (UTC)[返信]

  • 返信 (ロックオン・媚・ブリタニアさん宛) まず始めに、私の「件の発言」でご気分を害されたということでしたら、お詫びを申し上げます。こちらでご指摘をいただきました件につきましては、必要に応じ、要点を整理したうえで、後日あらためてきちんとお返事を申し上げたいと思っております。--Rienzi会話2015年3月10日 (火) 03:34 (UTC)[返信]
コメント 横からすみません。ちょっと関連する話題を。深見氏に関連する記事が多々作成されている事だけは紛れも無い事実です(別に悪いとは言いません)。一般論とし申しますが、そのメディアが、第3者の立場として書いているのか、ファンあるいは信者目線なのか、カネを貰っているのか、それはわかりませんが、動機を追及する必要はないと思います。そのメディアが「深見氏後援会」とかではなく、深見氏と直接関係がなければ、独立した第3者です(言うまでもなく「たちばな」は1次資料)。もちろん記事体広告はダメですが。さて話は変わりますが、私には好きな芸能人がいます。この方を賛美している第3者出典を知っていますけど(メディアというより大ファンの目線で書かれていて、笑えるくらい独自研究です)、じゃあこれを元にそういう賛美を書くか?と言えば、絶対に書きません。その対象人物を好意的に見ている人間であれば、それが正当な評価なのか、それとも自分同様に心酔している個人的感想なのか、それがわかるからです。また、私がそういう賛美を書くと、今度は同じレベルの批判を書く人が現れるでしょうし、そうなった時「そんな瑣末な事書くな」と言えなくなります(自分が瑣末な賛美を書いていたのでは説得力ゼロです)。思うに、深見氏関連記事(コンサートなど)では、そういう賛美を掲載しているから、それを是正しようとする力が働くのではないのでしょうか?私は(企業・宗教のような営利や売名目的は別ですが)娯楽・遊びの部分(本件でいえば、コンサートやたちばな出版のキャンペーンなど)は大目に見る方向なので、うるさく言いたくありませんが、ファン目線から一歩引いて記事作成や加筆をした方が、望ましい結果になるのかもしれませんね。--JapaneseA会話2015年3月10日 (火) 13:12 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。客観的な記述を心がけてはいますが、気になった記述等は、具体的箇所をご指摘いただければ今後も前向きに検討していきたいと思っています。対立する人は全員一括りにして決めつけられるような、極端なご意見を言われると、私としても個人攻撃に感じてしまうところもありました。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月11日 (水) 04:23 (UTC)[返信]
返事が遅くなり、すみません。例えば[2](要約欄での意見のみ)や[3]のようなものです。--JapaneseA会話2015年3月21日 (土) 06:08 (UTC)[返信]

議論

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203.148.113.68氏との対話が、審議に関連がないと判断しましたので、こちらにて返信いたします。まず、203.148.113.68氏のコメントは、この審議に関連性の薄い主張でありますので、この削除依頼の場での発言は相応しくないということをご自覚いただきたいと思います。その上で、お返事いたします。週刊現代は信頼できる情報源ではありません。私は、広告の掲載数の情報源に言及もないので、「出所の不確かな素材」であり根拠が疑わしいと発言したのです。まさか、全国紙を全部自分でチェックするなど考えられませんし、情報源があるはずです。公式サイトの情報を数えたなら、はじめからそう書いてあれば出所は確かな情報となります。また、たとえば、週刊誌には600以上の数になっていますが、203.148.113.68氏がカウントした450のほうが事実だったとしたら、まったく外れています。私は根拠があって参考にならないと発言していますし、この審議には関係のない話へ脱線を続けることは、どうかおやめください。また、203.148.113.68氏のご賛同が得られるのでしたら、203.148.113.68氏と私の議論をこちらに移動するべきだと思っています。さらに、どうかお願いですからアカウント取得の上、継続的な議論へのご参加をお願いします。これは私個人の願いというよりは、議論参加者全員の願いでもあるとさえ言えます。議論移動の件とアカウント取得の件につきまして、ご一考いただければありがたいです。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月11日 (水) 04:23 (UTC)[返信]

議論2

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Floter氏のコメントが削除依頼の議論からはかけ離れてきていると判断しましたので、こちらにてコメントいたします。まず、Floter氏は根拠のなき意見を延々述べられておりますが、削除依頼の場は議論の場ではありませんので、これ以上主観的考えを披露するのはお控えください。

  • まず、「題名だけで特徴がある」「チャリティーイベント」「国際社会的福祉活動」「誰それと組んだ」「過去に実績がある」などは個人の意見であり、他人に判断基準に関する発言の停止を要請する権限は、誰にもありません。簡潔に述べた個人の意見を述べることを封じるべきではありませんので、「止めていただきたい」という要請はお門違いです。また、自分の意見に都合が良いところだけを切り取って、あたかも、自分と考えの異なる人々が、全員、「Wikipedia:独立記事作成の目安とは何の関係もない」ことばかりをいってるようなイメージの操作発言は、議論を妨害する行為ですから、速やかな停止を求めます。単に、異なる自分の意見のみを淡々と述べればよく、対立する人々を納得させようとしたり、意見を封じ込めようとしたり、停止を要請するような発言を削除依頼で延々述べるのは、明らかに行きすぎです。
  • はっきりと言わせていただきますが、「深見の記事は「特集」欄の掲載でしかなく、実例で示したように広告の可能性が高い」という意見は、単にFloter氏の主観に過ぎません。「特集」と書かれた記事が広告ではないことがあるケースが多々あるという事実を、隠蔽しないでください。
  • Floter氏の主観が不正確な思い込みであるにもかかわらず、Floter氏の主観が100%正しいという思い込みをスタートラインとして、議論を行うのはおやめください。
  • 特集と書かれていない普通の記事があることを無視しています。
  • 「>「今野良彦記者」が所属するデイリースポーツですが、HP上に文章は残っているものの、トップページから深見東州を検索すると0件です。おまけで小林旭を検索しましたが、深見の件は一切出てきません。このような扱いは、深見の件がデイリースポーツの記事として扱われていない証拠の一つ」は証拠でもなんでもなく、Floter氏の主観的考えです。
  • 「>雑誌については頁位置が本の後ろでリポート程度の扱いなので、単独記事を作るほどの分量・内容ではない」も独自な主観的見解です。『Quick Japan』、『Jazz Japan』を、読みもせずにわかったようなことを述べないでください。ページが本の後半であるなどという理由では、特筆性を否定する根拠とはなりません。
  • 「>そもそも世間から注目されているコンサート・ライブなら、芸能欄や社会欄などで事前に記事になったり、コンサート当日、もしくは翌日に記事になっているでしょう(デイリースポーツの例[10][11] [12][13])。そういう記事が一切無い時点で、世間に注目されていないと言えます。」は、単にFloter氏の主観に過ぎません。「芸能欄や社会欄などで事前に記事になった」としても、それは特筆性を示す根拠とは言いがたいでしょうし、それこそ、ほとんど事務所からプッシュがあったから載せている広告みたいなものです。事前記事なんて、テレビで言えば番宣であり、事務所のゴリ押し取材の類の記事だったりで、多くのコンサートは事前に報道はされません。(なんとかコンサートで、誰々の衣装はこんな衣装だ・・・とか、事務所から衣装の情報提供があり、それを書いただけであるというのは、誰でも予想がつくことでしょう)。「コンサート当日」も同様です。また、コンサートの翌日に記事となった実例[4]があることを無視しないでください。また、ミス日本の感想を掲載してる新聞などは、ミス日本の人にコンサート終了後すぐに感想を書いてもらうなどは不可能ですから、常識で考えて、翌日の掲載は無理です。

このように、Floter氏の意見は、ご自分が自覚していないだけで、100%根拠のなき思い込みです。事実と思い込みを混同されていますので、落ち着いて事実関係を整理なさってください。最後に、Floter氏のみが個人的見解を好きなだけいくらでも延々述べることを許され、他の人々の意見を「止めていただきたいものです」などと封じ込めようとするのは、行きすぎであるということを、再度述べさせて頂きます。どうか、今後は自重した行動をとっていただきますようお願いします。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月12日 (木) 15:37 (UTC)[返信]

  • 返信 最初に意見を言うのは自由だと言いながら、後は意見を言うのは駄目だという矛盾した内容ですね。「題名だけで-」などはWikipedia:独立記事作成の目安とは全く関係ありません。私のコメントは、Wikipedia:独立記事作成の目安で言われる「その対象と無関係な信頼できる情報源」ではない広告(深見側の依頼によるもの)だと指摘しているもので、削除するかどうかにかかわる内容です。一緒にしないでください。
    二番目以降については、実例を全く示さない「個人的主観」です。翌日? 2日後じゃないですか。ミス日本の感想なんて、20件以上のうちのわずか1件数件じゃないですか。反論にすらなっていませんし、感想が無くたって記事を書くことは可能です。コンサートの件については、市民団体のコンサートも例を挙げているのですがね。これも事務所の力ですか?--Floter会話) 2015年3月12日 (木) 22:21 (UTC)誤りを一部修正。--Floter会話2015年3月14日 (土) 15:41 (UTC)[返信]
私は、「簡潔に述べた個人の意見を述べること」は自由であるということを述べており、Floter氏のように「個人的見解を好きなだけいくらでも延々述べること」の停止を求めています。Floter氏は、他人の発言を正確に理解せずに、自分の都合の良い理解をしているから、Floter氏の意見はとくに誰への反論にもなっていないのに、反論できたと自分だけが満足している状態です。Floter氏の発言の主旨は、初めから最後まで、「自分は広告だと思った」ということばかりです。深見氏から独立した機関による第三者報道であることは事実であり、一つも広告であると証明された記事はなく、新聞社のウェブサイトで新聞社の著作権を冠して発行されていることが確認できています。一つも広告であると証明された記事はないのに、証拠だと何度も繰り返しおっしゃっていますが、証拠を提示してから断言なさってください。思い込みで同じ主張を連呼されるのは、もうこのあたりで停止していただきますようお願いします。新聞の特集記事は、広告ではない場合も多々あるという事実を隠蔽し、特集ではない深見氏の記事も多々あるという事実も隠蔽しています。過去にも深見氏が出演しているコンサートやオペラは、多々報道されている客観的事実も無視しないでください。ミス日本の感想は一件ではありませんし、虚偽を述べるのはいい加減にやめていただけませんでしょうか。スポニチは、翌日日付になる東スポと間違えましたが、コンサートの翌日報道は特筆性があるとか、翌々日は特筆性がないなどということは、どこにも書いてありません。「市民団体のコンサート」などこの審議と関係ありませんが、市民団体のコンサートは非常に広告は多いですね。コンサートホール会場でも、市民団体のコンサートのパンフレットをたくさんみますし、雑誌でもこれは広告と一見してわかる内容を良くみます。公共団体から援助金が出ている団体もあります。私の発言の主旨を正確に理解していただくために、再度述べますが、「簡潔に述べた個人の意見を述べること」は自由であるので封じ込めようとしないでください。また、Floter氏のように「個人的見解を好きなだけいくらでも延々述べること」は、削除依頼では歓迎されませんので、停止をお願いします。個人的主観を延々述べる行為は、議論を妨害する結果となり、いたずらに審議を長引かせるだけで一つも良いことはありません。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月12日 (木) 23:25 (UTC)[返信]
延々としゃべったつもりはないですし、情報が見つかったから出して説明しているだけです。私から見たら貴方たちの発言は何も示さず「自分は記事だと思った」と言っているだけですね。「新聞の特集記事は、広告でない場合も多々ある事実」って、実例を示しましたか? 納得のいく実例を示されれば、私も主張を取り下げますよ(ジャパンタイムズの件はまだ納得していないので再調査中です)。それに特集ではない記事とはどれですか(毎日新聞の記事は2日後で、全国版ではなく都内版のみと確認しているので不要です。ジャパンタイムズや雑誌も不要です)。下二つの記事は今のところスポーツ新聞しか出典がありませんが。
コンサート云々は山岡武揚さんが「各コンサートの規模、出演者の顔ぶれ、集客人数等を考慮すれば、社会的関心が強い事実を容易に理解できるもの」とあるから、「世間から注目されているコンサート・ライブなら、芸能欄や社会欄などで事前に記事になったり、コンサート当日、もしくは翌日に記事になっているでしょう」と書いたものです。別にそれが「特筆性を示す、示さない」と言ったことは無いです。あとコンサート云々についてですが、私がリンクした事例を見ていないのではないですか。「事前記事や当日のコンサート記事なんて事務所のゴリ押し」なんて書けないと思いますが。
それと今回の対象記事とは無関係なのでここに書きますが、「過去にも深見氏が出演しているコンサートやオペラは、多々報道されている客観的事実」って2014年のスポーツ新聞を除くと新聞ではそんなに見つからないですね。2014年の産経新聞の2件は自分が後援しているイベントですし、2005年のオペラは毎日新聞の後援で毎日の記事。福井新聞も後援でした。中国の新聞は調べられないので除きますと、西日本新聞の1件(これもエジプト観光局の電話番号とアクセスが載っている記事でしたが)を除くと後援しているものしか見つかりませんでした。雑誌の『ギャラリー』も産経系。別に編集するつもりはありませんが、後援以外で取り上げられた日本の記事ってありませんか。--Floter会話2015年3月14日 (土) 15:41 (UTC)[返信]
  • コメント再び、延々としゃべっておられますが、延々としゃべっておられるご自覚をまだお持ちでないということですね。Husaさんが、ジャパンタイムズの記事[5]の実例を示してくださったのに、いつまでも納得しない態度に固執するのはやめてください。Floter氏は、「特筆性の有無がはっきりしない記事については、削除は最後の手段であるべき」、「他のページへのリダイレクトにできるようなページは削除対象にならない」という方針を明示されているにもかかわらず、この削除依頼のケースのみに限って方針を逸脱し、何が何でも削除して記事を作らせないようにするなどという自説を何とか通そうとするのはやめてください。荒らされてもない記事に対して、そんな制裁を加える必要はありません。そして、Floter氏は、「要点をはっきりさせようとしてなされた、他者のささいな発言を根拠にして」、次なる攻撃を続け、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為を続けておられます。Husaさんが提示された、ジャパンタイムズの記事[6]の実例により、これは、100%記事だとわかったはずです。ほかにも、進撃の阪神巨人 ロックコンサート!! 日本武道館の毎日新聞の報道とかサンスポ記事などの紙面を見たら、写真つきですが他の記事と入り交じった構成になっていて、100%記事だとみたらわかるはずです。『Quick Japan』『Jazz Japan』『月刊TIMES』など、読んでもいないのですね。Floter氏の「>この記事についてのみ、削除後のリダイレクト作成を妨げるものではありません。今後似たような記事を作成するのを防御するためにも、記事として一端削除すべきという明確な意志を出す必要があると判断します。深見東州の頁にコンサートの節がありますから、そこに書くだけで十分です。」等というコメントにより、本来、統合以上の価値のある記事であるのは当然のことなのに、自分が気に入らない記事を今後作らせないために削除、などという削除の方針を逸脱した自説をお持ちです。そのために、延々しゃべっていつまでも納得しない態度に固執する態度は、単なる審議妨害です。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月15日 (日) 09:40 (UTC)[返信]
    • 延々としゃべっているのはそちらです。ジャパンタイムズは「特集」と本紙に書かれていなかったのでしょう?(私は別方面込みで調べている途中ですが) スポーツ新聞の特集の話などしていないではないですか。それに「毎日新聞と雑誌は除く」と書きましたよ、人の発言を全く読まれていないですね。最後のは、「特筆性がある」「統合以上の価値のある記事」とは思っていないから削除票を入れているのであって無意味です。気に入らないのではなく、Wikipediaに相応しくないと判断した結果です。--Floter会話2015年3月15日 (日) 10:38 (UTC)[返信]
      • Husaさんが提示された、ジャパンタイムズの記事[7]は紙面にもウェブにもどこにも、特集と書いてないですよ!他のジャパンタイムズの紙面にも特集と書いてないです。私はFloter氏の審議妨害の停止を求め、Floter氏による方針逸脱の正当化を指摘しているだけです。「>この記事についてのみ、削除後のリダイレクト作成を妨げるものではありません。今後似たような記事を作成するのを防御するためにも、記事として一端削除すべきという明確な意志を出す必要があると判断します。深見東州の頁にコンサートの節がありますから、そこに書くだけで十分です。」というFloter氏の発言は、方針逸脱であるということは、事実です。推測による自説を延々述べるのは、停止してください。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月15日 (日) 11:46 (UTC)[返信]

利用者:Husa会話 / 投稿記録氏は「紙面にて、100%記事と同じ体裁で広告を配信することは、禁じられています。」という主張をしています(差分:削除依頼/深見東州のライヴ個別記事)が、根拠がわかりません。そのような法律はなさそうですし、一部団体で禁じられている可能性はありますが、ジャパンタイムズがどのような取り扱いをしているかは不明です。

一般社団法人インターネット広告推進協議会「ネイティブ広告に関するガイドラインを策定」にあるように、広告を広告と明示することは「推奨」されているのですが、これはすなわち、現状明示されていない広告があり、また禁止はされていないということを示しているものと認識します。

また「普通の記事と100%同じ扱い」という評価をしていますが、そもそも、署名がないので普通の記事とは評価しません。「Legendary artists rock Tokyo, raise money for charity」についてCultureに分類されていて、他のSpecial Supplementsの記事と類似の文体(The Tokyo Art Foundation held a charity...ではじまる)であることは認められますが、それをもって、Special Supplementsの記事が広告でなく対象から独立した記事であると評価するよりはむしろ、Cultureに掲載された当該記事もまた(The Tokyo Art Foundationの)広告であることを示唆する情報と受け取ります。--T6n8会話2015年3月21日 (土) 01:39 (UTC)[返信]

  • コメント T6n8氏は、これまでの議論においても、根拠もなく「自分はそう思う」とゴリ押しし、合意形成を邪魔し続けています(Wikipedia:コメント依頼/T6n8)。「自分はこう思う」という自己流解釈を延々続けるのは、もう、いい加減にしてください。ジャパンタイムズのトップページをご覧下さい。署名があるほうが少ないです。署名がない記事をふつうの記事と表現するのは、まったく問題のない表現です。「普通の記事と100%同じ扱い」というHusaさんの発言を支持します。紙面においてもネットにおいても、Cultureに掲載された当該記事は、どう見ても記事にしか見えません。どう見ても記事にしか見えない記事について、内容を読んで自己流解釈により出典を吟味して延々、独白を続けても、「一次情報源を独自に調査したウィキペディアン自身の意見」に過ぎません。「一次情報源を独自に調査したウィキペディアン自身の意見」は、判断基準にするべきではありません。単に自分がそう思うという理由だけで、根拠もなくJapanTimesを貶める発言はやめてください。だいたい、広告か広告でないかなど、いくら、この場で第三者が自分の思ったことを独白し合っても永遠にわからないのだから、独自な調査を継続し、自己流解釈を披露し続けることは無駄です。もし、「自分は広告だと判断した」という自己流解釈で判断するとしたら、他のコンサート記事、タレント記事こそ、どこもかしこも広告だらけも同然になって大部分を除去しなければならない事態となります。T6n8氏の言葉通りなら、映画発表の記者会見だって、広告の可能性は高いということになって、なにも第三者出典に採用できなくなります。嵐のコンサートチケットが数分で売り切れたとかいうニュースだって、ジャニーズ事務所がマスコミに情報提供しないとわからないわけだから、広告の可能性が高いという話になってきます。それどころか、他のコンサート記事は、ろくな出典もなくても放置状態ですよね。音楽関連の記事の執筆に関わる者として、そんな自己流解釈による独自基準を認めることは、断じてできません。JapanTimesは、Wikipedia:検証可能性を満たし、「第三者により出版された信頼できる情報源、事実確認や正確さに定評のある情報源」という点においてWikipedia:信頼できる情報源を満たします。現状の方針からは、JapanTimesは、記事対象から独立した第三者出典として判断せざるをえません。T6n8氏の思想や自己流解釈は、ウィキペディアの方針やガイドライン以上に価値があるというのでしょうか?Wikipedia:コメント依頼/T6n8においても、批判が見られますし、T6n8氏は、議論への参加姿勢において、深く反省し、方針によらない自己流解釈を延々継続するのはやめてください。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月21日 (土) 02:41 (UTC)[返信]
  • コメント Husa様へ。「紙面にて、100%記事と同じ体裁で広告を配信することは、禁じられています。」との事ですが、私もその根拠を知りたいです。また「そもそも、広告をウェブ配信するなど、考えがたいことです」との事ですが、ウェブ上の広告など枚挙に暇がないと思います。一方、JapanTimesの分類Cultureに掲載された記事を広告として判断する場合には、「広告ではない」事を証明する必要はなく、推論ではなく「広告である」事を証明する必要があると判断します。勿論推論して意見を言うのは参考にはなりますが、最終的にその証明ができないのであれば、「広告でない」と判断せざるを得ません。なお、上の節でも申しましたが、加筆側は、仮に本物のアンチが来ても(少なくとも私はアンチのつもりはありません)、除去も削除依頼も出せないような出典と記述・記事を心がけると良いと思います。せっかくの出典が「広告では?」と疑われる事はないようにしたいものです。また記事も一回一回の公演で作るのではなく、同じツアーやシリーズは1つの記事にまとめると削除依頼が遠のく事でしょう。--JapaneseA会話2015年3月21日 (土) 05:51 (UTC)[返信]
  • コメント ジャパンタイムズのトップページのみをみて、「署名があるほうが少ない」よって「署名がない記事がふつうの記事である」という主張をされるならそれは誤りです。トップページに署名が明示されていない記事には、AP, AFP-JIJI, KYODOなどのクレジットが示されております。クレジットがない例は、広告と判断できるもの(例えば[8])しか見つかりません。Cultureにあるということは、もちろん、Special Supplementsよりは広告でなさそうにみえる要素ですので、慎重な判断が必要になります。しかし、ここで広告であるかどうかを証明する必要はないのです。現在の問題は、主題をWikiediaの記事とする特筆性が示されたか、当該記事を削除するべきかです。署名のない広告風の記事もしくは記事風の広告では特筆性の十分な証拠にはならないという評価です。--T6n8会話2015年3月28日 (土) 00:30 (UTC)[返信]
  • コメント いつものように、勝手に人の主張をねじ曲げないで下さい。「署名がない記事がふつうの記事である」という主張をしていません。「署名があるなしが、ふつうかふつうじゃないかの判断基準にはならない」と言ってるのです。全体的な評価としてふつうの記事だと評価したまでです。Wikipediaでは、「署名の明示がある記事ではないとふつうとはみなさない」などという決まりはありません。T6n8氏が自信満々に言っているこの記事は、広告とは判断できません。雑誌では、この手の記事はたくさんありますよね。でも、だからといってそれが全部広告かどうかは、判断できません。Cultureのトップページの記事[9]は、6つのうち署名の明示がないものが5つあります。その5つにはクレジットもついていません。また、その5つのほとんどは、有料会員限定で読める記事みたいです。有料会員限定で読める記事として、広告をいかにも記事のように見せた記事ばかりを配信するでしょうか? 私はそうは思いません。雑誌の渋谷の人気店ばかりを集めた特集記事が全部広告かは判断できませんし、同じく、JapanTimesが日本の人気店を海外向けに紹介した記事が全部広告かは判断できません。一般の人達が知りたいであろう情報を発信するのも新聞の機能ですし、そういう情報が必ず全部広告だなどという主張は、甚だしい思い込みです。エンターテインメントの部類に属する情報は、新聞社の公式見解というわけでもないから署名の明示はしないけれども、一般読者が知りたい内容だから署名の明示なしで配信するということは、あると思います。T6n8氏の示した記事も、Cultureの署名がない5つの記事も、たんに、新聞社が取材対象の協力を得た上で取材した記事という可能性もあります。広告と判断できるものとは、こういう内容のことです[10][11]。ケースEによる削除の要件は、「本文が検証可能性を満たさない内容や個人的内容に終始している場合(例: 個人の日記やプロフィールページのように利用したもの。)」などが該当します。『JapanTimes』は検証可能性を満たす、対象から独立した第三者出典です。また、『Quick Japan』や『Jazz Japan』は検証可能性を満たす、対象から独立した第三者出典です。その時点でケースEの削除の要件に当てはまりません。T6n8氏はその肝心な部分について無視し、瑣末な自分の思い込みをゴリ押ししてるだけです。--ロックオン・媚・ブリタニア会話2015年3月28日 (土) 06:53 (UTC)[返信]
  • コメント 先の発言についてです。ネットで探してみましたが根拠となりそうなソースは見つかりませんでした。私の発言は、新聞社に関わりを持つ人物から聞いた内容に基づく発言でした。名の通っている新聞社では、紙面にて、100%記事と同じ体裁で広告を配信することは禁止されているというか、社内的にやれないということでした。最近ですと、Web主体の媒体では、記事と広告が見分けがつかない配信もありますが、名の通っている新聞社では100%記事と同じ体裁で紙面に広告を出すことはしないそうです。同様に、記事と同じ体裁でWeb配信をすることもしないという話でした。そうした話をあわせて考えても、JapanTimesの記事[12]は、記事であるという確信を強く持ちました。また、進撃の阪神巨人 ロックコンサート!! 日本武道館の毎日新聞のような短い記事は、広告で出せるのかと聞いてみましたが、これは記事だと言っていました。ちなみに、同じ写真が複数の新聞社で使われているから広告なのかということも聞いてみました。それについては、写真撮影不可であった場合、主催者に「写真をもらえませんか」と依頼することになり、主催者が同じ写真を複数の新聞社に頒布したら同じ写真になるということではないかという話でした。そのため、写真が同じことは広告である根拠とはならず、記事を書くためにもらうこともあるということでした。なるほどと、説得力のある話ではありますが、それを示すようなソースは見つかりません。新聞記者の経験者や記者と親しい人には、暗黙の了解のようですが、そういう話はネット上などで見当たりませんね。--Husa会話2015年3月28日 (土) 18:10 (UTC)[返信]