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Wikipedia‐ノート:削除依頼/梁美沙

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    • (コメント)削除票を投じるほどにも思えませんが、「ヴァイオリン物語」に著作性を認めないという考え方には到底同意できません。本項目で記述されたような事実関係を基に記述するにあたり外部サイトとここまで似たような表現を使う必然性もないでしょう。文章について、オリジナルな表現を白紙から書き下ろすように執筆工程をお変えになられますよう、お願いいたします。--スのG 2006年10月29日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
      • (再コメント)思いますに,著作物の4要件の1つとして「思想又は感情の表現であること」がありますので、事実関係の羅列は、この要件に該当しないと考えています。もちろん「ヴァイオリン物語」にも評価に関わる部分があり、その限りで著作物性はあると思います。また「編集著作物」に該当するというのは、事実(素材)の羅列の方法(選択、配列)に創作性があると考えられるからです。つまり事実関係(素材)そのものには創作性がないと考えられるのです。ですから、私の方法は、素材をピックアップし、原則として時系列で配列し、コンクール歴など似たものはまとめて項目立てをするというもので創作性ができるだけ認められないように配慮したものです。また、表現についてですが、本件で削除依頼の対象になっている文章のうち、固有名詞以外は、「始める」「入室する」「師事する」「出演する」「演奏活動を行う」「進学する」「受講する」などは一般的に使われる単語であり、言い換えが無意味であるもの、「リサイタル」「ソリスト」はクラシック音楽の分野では一般的な単語であり、やはり言い換えが無意味あるいは意味の混乱を来すものしか使わないようにしております。また、以上の単語は、類似の項目で統一的に使用しています。ですから、表現を変更することもなかなか困難です。--R-Otsuka 2006年10月29日 (日) 02:11 (UTC)[返信]
        • (コメント)ヴァイオリン物語の各項目」が著作物ではないというのは、疑問。著作物だったとしても、ここでの記述が削除相当とは思わないけど。で、事実は著作物ではないけれど、素材といってしまうと、ちょっと微妙です。一文であっても、著作物性が認められることがないわけではありません。「始める」「入室する」「師事する」「出演する」「演奏活動を行う」「進学する」「受講する」などは一般的に使われる単語であっても、ほとんどの著作物は、一般的に使われる単語から構成されているのであって、それを体言止めにするか、どういう時制で書くか、前後の文との繋がりをどうするか、といったことで「表現」は異なってきます。そしてその「表現」が著作権法の保護の対象であるとご理解下さい。個人的な印象では、百科事典の項目としては、やや文章が生硬なように感じますので、うまいこといじってもらえるとよいかと思いますー。--Ks aka 98 2006年10月29日 (日) 06:44 (UTC)[返信]
          • (再コメント)今回削除依頼の対象となった文章について、当方で「素材」と申し上げているのは、次のものです(時期、固有名詞省略)。
(何)歳からヴァイオリンを始めた。
(いつ)(どこそこの)教室、学校に入った。
(いつ)(どこそこの)講座を受けた。
(いつ)(だれそれに)教わった。
(いつ)(何とかの)コンサートに出た。
(いつ)リサイタルを開いた。
(いつから)(どんな)演奏活動をした。
これらについて、修飾をつけないで、時系列で並べたというのが問題となっている文章です。これらの素材そのもの、あるいは配列が著作権侵害となりうるということが疑問なのです。そして上記のかっこ外の「なになにをした」という部分について、自分のイメージで最も分かりやすく、かつ、くだけすぎず、また、多義性を許さないような言葉を選ぶという配慮をしたつもりです。その選ばれた言葉が殊更に「ヴァイオリン物語」で使われている言葉を引いてきたというわけではありません。問題となっている文章を修正するのはやぶさかではありませんが、客観的に見れば、修正しても文章の意味自体は変わらないのではないか、そうであればそのままでもよいのではないか、と思うのです。--R-Otsuka 2006年10月29日 (日) 07:52 (UTC)[返信]
  • (コメント)これからのR-Otsukaさんの編集活動について(ヴァイオリン奏者の記事作成はこれまでのような超速ペースでお続けになるのですよね)、文章の意味は情報源とほぼ変わらず、けれども表現は情報源と一致しないような編集を行なっていただければ少なくとも私は安心なのですけれど、いかがでしょうか。過去のことよりも、将来的なことでお願いいたします。差し出がましい物言いはお詫びします。--スのG 2006年10月29日 (日) 08:18 (UTC)[返信]
ええと、この件では、「自分の言葉」がある程度見えるので、削除とはしませんが、他の例では、かなり同一なものもあるようです。「いつ」「どこそこの」は、著作物ではありません。しかし、それらを並べて文、あるいは文章とした時に著作物となります。「文章の意味」も著作物ではありません。その意味、事実を、どう表現するかという点に著作権が発生します。なので、「そのまま」をよしとするのは好ましくなく、表現を変える事が必要なのです。ご理解の程よろしくお願いします--Ks aka 98 2006年10月29日 (日) 08:30 (UTC)[返信]
    • (再コメント)拙速でした。この分野はもともと情報のソースが少ない上、実際にその演奏を聴いたとしても、ウィキにその演奏についてどうのこうの書くことはできないと思っていますので、書くことができるのは身上経歴ぐらいしかないと思いました。とすると、本人あるいは本人の関係者が作成したプロフィールに資料が限られてきますので、それに記載されている事項をウィキに書いていました。当然、書きながら、名前を書いて、そのプロフィールにリンクを貼っておしまいでもいいんじゃないかとも思っていました。しかし、それでは百科事典にならないので、体裁を整えようと思いました。それで、限られたプロフィールからできるだけたくさんの事項を書こうという判断で書いていました。ところが、書くこと自体が少ないので、原資料とほとんど似たようなものになった、という流れでした。それと、ウィキは誰もが編集できるという原則がありましたので、私自身としては「叩き台」を提供するという考えだったのです。ですから、削除は腑に落ちないということなのです。むしろ編集してもらって本望なのに、ばっさり切り捨てられるのはおかしいのではないか、ということなのです。--R-Otsuka 2006年10月29日 (日) 09:28 (UTC)[返信]
情報源の信頼性

R-Otsukaさんの文章は、経歴のうち最低限の事実を抜粋しただけであり、語順の一致はあるものの量も少なく、削除が必要なほどの著作性があるようには感じませんでした。 ただし、「バイオリン物語」の「133:梁 美沙」は「紹介文」にかなりの部分が一致しており、紹介文を転載・改変したもののようで(差分チェカーで比較)、これがウィキペディアに投稿されていたら積極的に削除票を投じたかもしれません。

今後は、このように著作権的に安全で無いサイトを「参考」にするのはやめて、もっと信頼できる情報源、例えば音楽関連の著書や公式サイトを元に、表現も語順もオリジナルな文章を執筆していただきたいと思います。--miya 2006年10月30日 (月) 06:50 (UTC)[返信]

うん? それは論点が拡散しているような。紹介文てのはこれ[1]かな? (実際に、R-Otsukaさんがオフィシャルを見ていないことが示されるなら、著作権侵害にはならないです。念のため(。信頼できる情報かどうか、については、どうせなら第三者のまとめHPよりはオフィシャルを参考にするほうが好ましいと思いますし(ウィキペディアの方針とは異なるんだけど)、もちろん、より信頼できるものを探すことが求められますが、それは執筆姿勢の問題で、今それを持ち出すなら、削除依頼云々とは別のこととして書くのがよろしいかと。でもまあ、より信頼できる情報源を探すよう、ぼくからもお願いしておきます。--Ks aka 98 2006年10月30日 (月) 07:03 (UTC)書きすぎた気がするので修正。--Ks aka 98 2006年10月30日 (月) 12:00 (UTC)[返信]

Wikipedia:著作権侵害かもしれない記事/ヴァイオリン物語も参照下さい--Ks aka 98 2006年10月30日 (月) 18:28 (UTC)[返信]