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Wikipedia‐ノート:削除依頼/有川矢九郎

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  • コメント 此の「有川矢九郎」をウキペディアに寄稿したのは、小生です。小生は、有川矢九郎の兄の有川十右衛門の玄孫にあたります。矢九郎は、十右衛門の弟で、父親の貞馨の弟にあたる「貞幹」の継目養子となっています。これらは、小生が祖父から遺された「有川家累代の家継図」に記載をされた内容を寄稿しました。矢九郎の生年月日も多くのウェブサイト等では「天保2年9月14日に誕生。」となっていますが、有川家累代の家継圖によると、文政12年(1829年)己丑(つちのと うし)9月14日生まれとなっており、享年78歳から数えると、文政12年生まれが正しいと思っております。グレゴリオ暦1829年10月11日生まれ。始 二之介、後 矢九郎。 実名は、貞實(さだみ)。明治41年10月3日死去。享年78歳。鹿児島大学図書館の古里文庫の中に「貴重書として、伊勢家文書」が多数、保存されております。その中にも、有川家の由来を含めて、保存されております。鹿児島大学法文学部五味教授が寄稿した、鹿大史学及び鹿児島女子短期大学の紀要等にも記載があります。--以上の署名のないコメントは、貞辰美誌会話投稿記録)さんが 2017年9月7日 (木) 01:57 (UTC) に投稿したものです(JapaneseA会話)による付記)。以上の内容は、削除依頼ページより転記いたしました。--Unamu会話2017年9月7日 (木) 12:37 (UTC)[返信]

有川矢九郎に関する投稿記事に関して、削除依頼が提起されていますが、このページに記載された史実の一部が、昭和19年3月5日に東京 宮越太陽堂書房から発刊された、当時の駒澤大学教授であった「横山健堂」の著書『大西郷兄弟』P434~439に【有川氏】に関する記述があります。 西郷隆盛と交流の深かった、有川十右衛門と、その弟、矢九郎に関する記述があります。

国立国会図書館との相互連携のある、公立図書館に於いても、デジタルライブラリー確認が出来ます。 貴重書である為、国立国会図書館に出向くか、相互連携のある公立図書館の端末でのみ閲覧が可能です。 小生は、原本を所持いたしております。

_ _貞辰美誌会話2017年9月8日 (金) 02:14 (UTC)[name 貞辰美誌][返信]

何度も書きましたが、あなたの投稿した文章の一部がデジタル版 日本人名大辞典+Plusの「有川矢九郎」(こちらで閲覧できます)から、語尾などを変えた程度の丸写しではないかという理由での削除依頼です。ウィキペディアにはWikipedia:原典のコピーはしないという決まり事があり、著作権のある文章を丸写し(語尾の改変程度のアレンジを含む)してはならないからです。また、ウィキペディアでは今表示されるよりも前のバージョンも読むことができるため、今読めるバージョンに丸写しがなくても、昔のバージョンから丸写しを読めなくする必要があります。--Unamu会話2017年9月8日 (金) 23:17 (UTC)[返信]