Wikipedia‐ノート:削除依頼/アトランタ
GFDL違反かどうか
[編集]まず、依頼者によって指摘されている翻訳については、当時の著作権の方針およびその運用からは言語間リンクの存在から履歴が継承されているとみなせるものとして、削除の必要はないと考えます。言語間リンクのあるすべての他言語版記事の履歴が、日本語版の履歴に含まれているという解釈です。実際には、それらの履歴すべてが含まれるわけではないですから、ノートや要約欄で必要なものに限定することで、以後の文書の使用を容易にする事が可能となりますから、このまま存続とする場合は、ノートなどでこの加筆についてはここからの履歴と推定できる旨を書いておくことが好ましいでしょう。著作権者から、より明確に自らの投稿を履歴として掲載するべきであり、以上の解釈は不適切で、権利を侵害しているという訴えがあるとしても、その時点で再度検討すれば十分ですし、またその時には特定版隠蔽など対処方法が確立されているかもしれません。--Ks aka 98 2008年9月21日 (日) 08:34 (UTC)
これまでの記述の改変ではない文書の投稿とGFDL
[編集]また、依頼者は現行文書の改変ではない、対象を同じくする新規記事の投稿を予定しているようで、巻き込まれ削除への懸念もあると拝察します。GFDLは、同じ項目、同じ対象について書かれた記述について、履歴の継承を求めるものではなくて、あくまで著作権者が、自らの著作物の使用を許諾する際に条件をあらかじめ示して契約類似のものを使用者と取り結ぶものですから、依頼者の新規投稿は、履歴を継承する必要がありません。
そのまま投稿したとしても、現在特定版削除対象として依頼されている部分が、将来削除する必要があると判断されたとして、現在依頼が出ている版の特定版削除および、それらの版にある記述が復帰された版が削除対象となりますが、きちんと履歴を見た上で対処されるなら、新規投稿の版は残ることになると考えます。ただし、この種の履歴の精査が行われるかどうかについての不安もあることかと思いますし、同じ項目であるから履歴を継承させる必要があるという意見を唱える方が出てくるかもしれません。
GFDL上は、これらは分離して扱う事が、わかりやすいのですが、メディアウィキの仕様にそのまま従うと、一連の投稿履歴の中に、異なる権利様態の文書が置かれることになります。これまでの版をどこか(たとえば「アトランタ(旧版2008MMDD)」)に移動させて、分離することで、これを避けることができます。このようにすれば、巻き込まれ削除も回避できます。この手法については、以前より議論がありましたが、積極的に受け入れるべきであるという形では合意が取れていません(詳細は古い長大な議論、議論当事者であるKs aka 98のまとめおよびそのノートを参照ください)。
この削除依頼については、履歴の分離という手法の是非、削除審議時の履歴の精査についての信頼度、新規投稿後は記述が反映されなくなる可能性が高い従来記事の扱いなどを勘案し、判断するということになると考えます。--Ks aka 98 2008年9月21日 (日) 08:34 (UTC)
- 私が本依頼を提出しているのは、あるいは他の記事でよく行っている白紙化や132人目方式による書き直しにしても、その根にあるものは1つで、まさに将来的な巻き込まれ削除への懸念からです。ありていに言えば、過去の版での問題のために、自分の版と、それ以降に編集した人の版が巻き添え削除に遭い、泣き寝入りをせざるを得なくなるのは真っ平なわけです。また、この手の案件での過去の事例では、全面改稿されていても履歴がロクに精査されず、むしろ「少なからず過去の版を引き継いでいるはず」といういい加減な理由による削除票が投じられたり(「いる」と断言できるならともかく、「はず」で削除票など投じないでもらいたいものです)、「依頼理由に同意」などと言って、その場のノリや流れで審議されているケースのほうがはるかに多いように見受けられます。ならば自分のところでそういった危険性を断ち切って、自分自身はもとより、後に加筆する人も安心して編集できるようにしたほうが良いとも考えています。現状でこの手の案件に対する審議と対処が不安定な以上、そういった自衛策を練ることは、何ら悪いことではないとも思っています。
- なお某所では、「もとの記事では分量が多いから加筆コンクールに出せないから恣意的に巻き戻そうとしている」などという憶測を述べている輩がいるようですが[1][2]、それはあり得ません。そもそもWikipedia:第2回秋の加筆コンクール/実施要綱#エントリーできる記事を読めば、執筆コンテストとは違い、エントリー時の記事サイズに上限がないことなど明らかであります。前提となっている文書もよく読まずに、そういった憶測を述べること自体が既に論外であると言えます。Yassie 2008年9月21日 (日) 14:38 (UTC)