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Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ11

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参考文献に挙げられている編書に収録されている作品の、著者名とタイトルを記載した上での短縮脚注参照を利用した出典明記法がわかりません。

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この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: iwaim会話2018年6月4日 (月) 17:16 (UTC)

英語版から記事を翻訳している際に出くわした問題なのですが、参考文献節に編集者の名前で短篇集のような書籍が挙げられていて、脚注で、その書籍に含まれている作品の著者名とタイトルを明記した上で編書を短縮脚注参照する場合、どのように出典Templateを使用したら良いのでしょうか。

例えば次のような編書があり、参考文献として記載されている場合:

  • Roe, Richard, ed (2015). FooBar 
    • {{Cite book|editor-last=Roe | editor-first=Richard |year=2015|title=FooBar|ref=harv}}

この書籍に収録されている John Doe 作の "hoge"という作品にたいして、それを明記して出典記述する場合、今のところ次のような書き方でごまかしています。

  • <ref>{{Citation|last=Doe |first=John| title=hoge}}. {{Harvnb|Roe|2015|p=12}}</ref>

しかし、どうも適切な記載法とは思えず、英語版のHelpをみても記載例が見つからない状態です。ご存じの方があればお教え下さい。--お天気屋会話2015年6月29日 (月) 23:18 (UTC)

  • そのような場合は、cotributionフィールドを使うのがよいでしょう。章ごとに著者が異なる書籍の一部の章や節、あるいは辞典やハンドブックの執筆項目の一部を取り上げたいときに利用できる形式です。質問の例でサンプルを書けば次のようになります。
  • 書誌情報
{{Citation|last=Doe |first=John | contribution=hoge | editor-last=Roe | editor-first=Richard |year=2015|title=FooBar|ref=harv}}
  • harvタグ
<ref>{{Harvnb|Doe|2015|p=12}}</ref>
詳細はTemplate:Citation#図書の章節や項目 (百科事典など)を御覧ください。その次の「逐次刊行物の編著記事の中の項目や章節 (寄稿や再掲、総説など)」にも、さらにややこしい例が示されておりますので、そちらも参考になると思います。--Loasa会話2015年6月30日 (火) 03:38 (UTC)
  • お天気屋さんの例をそのままテンプレートに入れて例示してしまったので、ページ情報の書き方という大事なことについての注意を忘れてました。まあこういう質問をされる位の方なら言うまでもないことだとは思うのですが。
Citationタグの方には、page,pagesフィールドを利用して、Doe,John 著の"hoge"の Roe, Richard, ed (2015). FooBarにおけるノンブル情報を書いておくべきでしょう。記事で参照している箇所のノンブルではなく、Doe,John,"hoge" が掲載されている範囲のノンブル情報です。これは通常の雑誌掲載論文と同じ考え方です。一方、harvタグに関しては、引用文献が数ページ程度の短い文献であり、文献中のノンブルまで指定する必要はないと考えられるのであれば、pフィールドは省略してもよいでしょう。長い文献で、文献中のノンブル情報も必要と考えられるのならば、Roe, Richard, ed (2015). FooBarにおける、該当個所のノンブル情報を書けばよいでしょう。--Loasa会話2015年6月30日 (火) 04:11 (UTC)
現在翻訳している“en:Northern Isles”では、"Omand, Donald (ed.) (2003) The Orkney Book. Edinburgh. Birlinn. ISBN 1-84158-254-9" という書籍を参考文献として挙げ、複数の箇所で出典を示す際に脚注内で短縮脚注参照に追記する形で対応する章の著者と章題とが記述されています(テンプレートは使われておらず、章のページ範囲は記載されていません)。Loasaさんの説明によると、参考文献節には、"The Orkney Book" だけでなく、出典として参照された個々の章もそれぞれ別個に記述する必要があるということでしょうか? "The Orkney Book" は1冊の書籍であり、この書籍の情報とページ番号さえあれば、出典の確認は可能で、個々の章題と著者名は不可欠な情報ではなく、わざわざ参考文献節へ章別に記載するのは過剰に感じます。また、各章の範囲に関する情報は英語版にはなく、原典は近隣には大学図書館にしか無いようで、私には大枚はたいて購入するしか直接当たることができず、適切に Citation を記述することは現状手に余ります。残念ですが、templateの利用に固執するならば著者名と章題は除去するしかないようです。--お天気屋会話2015年6月30日 (火) 11:36 (UTC)
  • 質問文から、出典参照したいのは特定の1人の著者による特定の1つの章のみ、と思い込んでいたのでcontributionフィールドの使いかたを御案内したのですが、そうではなくて、一冊の本の中にある複数の著者による複数の章から出典情報を、書誌情報を重複させることなく表示したい、ということなのですね。それならcontributionは使えませんがharvタグを使ってできないことはありません。
ただし、citationのフィールド情報だけを利用して、たとえば
<ref>{{harv|Doe|John|hoge|Roe|2015||p.12}}</ref>
というタグにより
Doe, John, "hoge" in Roe (2015) p.12
と表示させるような方法をお求めならばそれは無理です。
私ならこういう場合には、FooBarの書誌情報におけるrefフィールドで、harvの代わりに、アンカーとなる任意の文字列を指定します(例えばref="Foo"など)。そしてこのアンカーを利用して
{{harv|Doe, John, "hoge" in Roe (2015) |p=12|ref="Foo"}}
とします。こういう場合に限らず、文献を「著者のlastname+刊行年」で単純に参照できない場合によく使う方法です。まあ、こうするとharvタグを使う意味はほとんどないとも言えますが、このような場合のharvタグは、refで指定したアンカーを持つ書誌情報にアンカーリンクを貼るためのタグ、と割り切って使ってます。--Loasa会話2015年6月30日 (火) 12:54 (UTC)
脚注の入れ子を使ってみては?挙げられているen:Northern Islesは「 in "Omand (2003) p.○○"」で書籍提示を行っている状態、そのまま入れ子で対処してみてはどうでしょう。--toto-tarou会話2015年6月30日 (火) 16:24 (UTC)
色々と、教授いただき有り難うございます。とりあえず、{{harv|Doe, John, "hoge" in Roe (2015) |p=12|ref="Foo"}}の書き方でやってみます(“in”という英語が残るのが訳してる身としては気になるのですが)。--お天気屋会話2015年6月30日 (火) 22:46 (UTC)

ウェブサイト出典の和書的記述の可否、およびCite webのコンマ・句読点併用について

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この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: iwaim会話2018年6月4日 (月) 17:16 (UTC)

私は日本語ウェブサイトを記述するとき、{{Cite web}}の方式をほとんど使わず、独自にWikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(和書)に沿う形式で

執筆者「タイトル」発行者、発行年、閲覧日。

としています。例えば、

平成26年11月22日22時08分頃の長野県北部の地震について」気象庁、2014年11月22日、2014年11月23日閲覧。

という形です。これは不適切なのでしょうか?というのも、長野県神城断層地震でこの編集([1], [2])のような間接的指摘を受けているためです。数年の間ほぼこの方式で特に指摘を受けなかったので、少し戸惑っています。

また、{{Cite web}}の現行形式は

村上春樹 (2002年3月22日). “共生を求める人々、求めない人々-映画『A2』をめぐって”. 共同通信社. 2006年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年12月18日閲覧。

のようにコンマと句読点を併用する形になっていますが、個人的には違和感を感じてしまいます。私がCite webをあまり使っていない理由がこれです。例えばなんですが、

村上春樹 (2002年3月22日). “共生を求める人々、求めない人々-映画『A2』をめぐって”. 共同通信社. 2006年12月18日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ.2006年12月18日閲覧.
村上春樹 (2002年3月22日)「共生を求める人々、求めない人々-映画『A2』をめぐって」共同通信社、2006年12月18日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2006年12月18日閲覧。

のように、表記を揃えてもいいんじゃないかと思うんですが、みなさまはどう思われますか。--Peka会話2015年9月9日 (水) 11:17 (UTC)

  • コメント Pekaさん、こんばんは。結論から申せば、従来のままでよいと思います。
Cite系テンプレートは、便利なツールですが、強制される謂れはございません。まして、アルファベットを前提としたCiteテンプレートですので、漢字カナに用いますと、上の例のようなに変な表記になってしまいます。これで違和感なければ、その方はウィキ毒に中てられているとしか申せません。
まぁ、そのうちどこかで、表記統一に向けて話し合いを持つべきなのかもしれませんが、今は必要最低限の出典情報があれば十分、と私は考えています。--Ashtray (talk) 2015年9月9日 (水) 11:51 (UTC) 一部コメント取消し--Ashtray (talk) 2015年9月10日 (木) 12:42 (UTC)
  • コメント 基本的な書誌情報をしっかり書いていただければ、別に無理してcitationタグを使う必要はないでしょう(とはいえ、個人的にはぜひ使ってほしいと思ってますが、もちろん強要はできません)。 コンマと句読点併用の問題はおっしゃる通りで、私もかなり見た目が悪いとは思っていますが、これについては、こちらで意見を募るよりもむしろTemplate:Cite webのノートあたりでテンプレートをいじれる方に修正をお願いしてみた方がよいのではないかと思います。--Loasa会話2015年9月9日 (水) 12:20 (UTC)
  • コメントTemplate:Cite web/sandbox(現行版との差分)およびTemplate:Cite web/testcases参照。「.」(半角ピリオド)ではなく「、」(全角読点)を区切りにすることはできなくはないです。そのほか、タイトル囲みを“”→「」、authorとcoauthorの区切りを「;」→「・」なども試してあります。
  • で。「出来る」と「やる」は別です。やれば出来るからからといってやらなければならない訳じゃない。違和感というけれど、「.」と「、」が併用というのもカード式の図書目録では採用されていた記述方式ですし、そうしたものは所詮きまりごとでしかありません。
  • 必要な情報が誤認のおそれなく記載できること。この一点が満たされればそれ以上はどうでもいいと思います。「.」区切りでも「、」区切りでも、その点は別に問題とはなりえません。そういうどうでもいいことを統一するのしないのといってモメる(で、そうやってモメる人が出典をつけたり、まともに記事を書いたためしがない)とか、そういうバカげたことになるくらいなら、今のままがむしろベストです。--ikedat76会話2015年9月9日 (水) 17:18 (UTC)
  • 書き忘れ。そもそもの話のこと。テンプレートなんか使ったって使わなくたって、クドいけど、「必要な情報が誤認のおそれなく記載」できていれば何の問題もなし。文句いう奴がいたって相手をする必要すらないし、言うことを聞く必要もなし。それでもガタガタいうなら井戸端なりココなりうまく使って、1対1で相手にしないことです。どうせそういう奴ほどマトモなことはしてやしませんからね、マトモに相手するだけ時間の無駄です。--ikedat76会話2015年9月9日 (水) 17:21 (UTC)
遅くなりましたが、みなさまご回答ありがとうございます。参考にします。{{Cite web}}の改善提案をしようとも考えたんですが、今回は見送ります。--Peka会話2015年9月17日 (木) 16:03 (UTC)

とはいえ、テンプレートを使用してない例に限って

  • URLしか記載が無かったり(何を書いてあるページなのかわからない。)
  • 版元の明示が無かったり(どこの出版物なのかわからない。)
  • (最終アクセス日またはリリースの)日付の記載が無かったり(リンク切れや出典の検証に余計な手間をかけさせる)
  • 頁を「項」と書いてみたり

と出典の明記の基準に達していないものもあることも事実です。これ以上の意見は述べませんが。--CornBoard会話2015年11月6日 (金) 09:31 (UTC)(2015年11月6日 (金) 13:45 (UTC)追記)

書籍の識別コードについて

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この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: iwaim会話2018年6月4日 (月) 17:16 (UTC)

この編集のような、{{全国書誌番号}}や{{NCID}}などの書籍の識別コードの列記について意見を求めます。

{{Cite book}}のパラメータを軒並み埋めているのだと思いますが、書籍であれば基本的にISBNだけで充分だと思います。 過剰な情報は可読性を損ない、閲覧者、編集者にとって良いことはありません(特にIDは無意味な数字の羅列であり、大きく可読性を損なうように思います)。 記事のサイズも無駄に大きくなります(編集合戦の方が負担は大きいでしょうが)。 ですから書籍であればISBN以外のIDは基本的に使用を避けるべきであると思います。

過剰な情報が可読性を損なうことに異論はないと思います。 ISBNだけで基本的に充分であることの論拠としては、

もちろん規格ができる前の古い書籍にはISBNはないですし、他にもISBNがないような書籍(雑誌は除く)があるかも知れませんが、ISBNがある書籍ならばこれだけで充分だと思います。 -124.110.184.77 2016年2月10日 (水) 19:17 (UTC)

問題の編集を行なった者です。「パラメータを軒並み埋めている」とのご指摘は現にそのように編集を行なっているので、ご指摘通りです。私がこのような編集を行なっている理由としては一種のアクセシビリティの観点からです。と申しますのも、私自身がISBNのリンクから書誌情報を検索出来ると言う事を知ったのが本格的にWikipediaの編集を始めた頃(2015年の冬から春にかけて)で、それまではISBNのリンクを踏んだ事もありませんでした。なので、私としましては、ISBNのリンクを踏まなくても外部サイトに掲載されている書誌情報へ、記事からダイレクトにアクセス出来るように務めているつもりです。また、書誌情報の編集時にそれらの外部サイトに掲載されている情報を掲載する事もあるので、そう言う意味での出典としての役割も意識しながら識別コードを列記しています。
私個人の主観的な判断に基づいて編集している事なので、以上に申し上げた理由が言い訳にしかならない事は重々承知しておりますし、識別コードを列記すべきではないとの結論が得られた場合はそれに従うまでだと思っております。--知識熊会話2016年2月10日 (水) 20:51 (UTC)
アクセシビリティの観点から言えば、知識熊氏の主張の方が正論で、逆にIP利用者氏の持たれている認識には、疑問を投げかけざるを得ません。「視野が狭く乱暴で偏った主張」と言ってもいい。
各閲覧者が置かれている環境は様々ですから、題名、著者・編集者、出版年等必須の書誌情報を掲載するのは当然として、その他検索の用に供される各種識別コードを任意で記載することは、文献に当たるための手段を複数提供することにつながります。利にはなっても害にはなりません。--森藍亭会話2016年2月11日 (木) 01:34 (UTC)

まず誤解のないように確認しておきますが、題名、著者・編集者、出版年等必須の書誌情報を掲載するのは当然であり、そこは論点にしていないということです。 ISBNだけで充分という主張は、題名等すら要らないということまで主張している訳ではないということです。

さて、利にはなっても害にはなりませんとのことですが、可読性を損なわれることが害ではないということですか。それとも可読性は損なわれないということですか。 多少の害があったとしても、それ以上に利点があるのかというバランスの問題なのではないですか。 つまり、記事から直接リンクされることによって、どの程度のアクセシビリティの向上が見込めるのかということです。 自分の視野が狭いと思われるのは良いですが、どのような閲覧環境で、どの程度のアクセシビリティの向上が見込めるのか、何かしら例示してください。そのために意見を求めているのです。

もう一つ、アクセシビリティとのトレードオフとしてセキュリティの問題があります。つまり、記事からの直接リンクという形式についてです。 特別:文献資料において

ウィキペディアは以下にある登録サイトを推奨・宣伝するわけではありません。

と注意書きがされている理由についても思いを至らせるべきでしょう。 主観的な考えですが、外部サイトへ警告なしの直接リンクという形式は、国会図書館のような公的機関といえども、良いことではないと考えています。 特にアマゾンのような営利企業であれば、広告やアクセス解析など好まない人は少なくないと思います。 -124.110.184.77 2016年2月11日 (木) 15:09 (UTC)

コメント ISBNがない本なんて普通にある訳で、可能であればそれ以外のIDも付与するのは当然のことです。『国会図書館のような公的機関といえども、良いことではない』というのはだいぶ極端な思想として諦めていただくとしても、アマゾン固有のIDであるところのASINについては、「ISBNのようにワンクッション置く訳でもなくアマゾンに直リンク」という点も含めて、どちらかといえば私も否定的です。--Hisagi会話2016年2月11日 (木) 15:23 (UTC)
コメント 124.110.184.77さんが問題にしているのは、ISBNがすでに示されている書誌情報に対してほかのIDを付与することの是非のようなので、話がかみ合っていないように思えるのですが。Wikipedia:書籍情報源へのリンクがすでに用意されている場合に国会図書館への(リンク先が明記されていない)リンクを追加することはかならずしも望ましいことではない、というのはそれほど極端な意見だとは思いません。もちろん、ケースバイケースで、ISBNが示されていても他のIDに有用性がある場合もあるとは思います(今回のケースが該当するかどうかは分かりません)。本当は {{Cite web}} に display_asin といったパラメーターを追加して、ISBNが指定されている場合、display_asin が指定されていないかぎりアマゾンへのリンクを抑止する、ぐらいでもいいかもしれません。
あと、ISBN-10を機械的にISBN-13に変更してしまうのは望ましくないと理解しているのですが、どうなのでしょうか(具体的な弊害はなさそうな気もしますが)。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2016年2月11日 (木) 16:56 (UTC)、一部修正:2016年2月11日 (木) 17:57 (UTC)
そもそも1次資料である書籍そのものに記載されているのはISBNである。

この観点からの意見がないようですが、個人的には一番決定的だと思っています。 他の書籍IDはどうやって編集した内容の責任を負うのですか。ISBNを割り振るのは出版社が責任を負うでしょうが、他の書籍IDの割り振りはデータベースの作成者ですよね。

書誌情報の編集時にそれらの外部サイトに掲載されている情報を掲載する事もあるので、そう言う意味での出典としての役割

出典が出典って循環定義の印象があります。 -124.110.184.77 2016年2月27日 (土) 05:16 (UTC)

「そのIDが出典の現物に記載されているかどうか」という観点はそもそも気にする必要がない、ということです。余談ですが、ISBNが書籍そのものに記載されているとも限りませんし。(後付け付与で途中の刷からだったり、本体ではなくカバー等に記載だったり)--Hisagi会話2016年2月27日 (土) 15:33 (UTC)
コメント IDそれ自体の正確性については、たとえばCiNiiが割り当てているIDをCiNiiを参照して記載するのであれば、問題はありえないはずです。孫引きだけで済ませてしまうのは望ましくないと思います(もしかするとやむを得ない場合もあるかもしれませんが)。IDから参照されるデータベースの個々の書誌情報の正確性は気にしなくていいと思います(といった趣旨の注意書きがある点で、Wikipedia:書籍情報源のほうが望ましい、とは言えるかもしれません)
なお、上で私が書いたISBN-10とISBN-13の扱いについてはHelp:ISBNのリンクで触れられていました。実害はあまりなさそうですが、実際に付与されているほうを使用せよ、となっています。もっとも、増刷時にISBN-13に変更されているケースもあるはずなので、あまり神経質になる意味はないと思います。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2016年2月27日 (土) 16:56 (UTC)、一部加筆:2016年2月27日 (土) 17:27 (UTC)
コメント ISBNコードの10桁か13桁かは簡単に変換できるものなので、実害はほぼゼロだと思います。ただし、ごく稀にISBNの使い方を知らずに出鱈目なコードを付けていたり、違う書籍に同じISBNを使いまわしたりしている版元があります。それから、タイトルが同じだからと違う年度版の書籍でも同じISBNを使い続ける版元もそこそこ存在します。政府刊行物系の出版物、社史・市史などの書籍はISBN付いてないことの方が多いですね。そういう点ではISBN以外の全国書誌番号やNCIDもあれば良いことに越したことはないです。--UE-PON2600会話2016年2月28日 (日) 00:40 (UTC)
コメント ISBN-10の書籍をISBN-13で示すことの具体的な弊害として思いつくのは、(たとえば似た題名の書籍がたくさんあってさがしにくいなどの理由で)ISBNを実際の書籍と照合する場合、若干分かりにくいことです。978-とチェックデジットを無視すればいいのですが、チェックデジット1桁が照合に使えなくなるのは確かです。もちろん、大きな問題だとは思いません。
私自身が以前からちょっと気になっているのは、ISBNが区切られていない場合が少なからずあることです(前述のHelp:ISBNのリンクでは「読みやすいよう、ハイフンを用いてなるべくコードを区切るようにしてください」)としています。ただ、区切り位置がおかしいISBNもインターネット上の書誌情報で目にした記憶があるので、あまり徹底しようとするのはやぶへびかな、とも思っています。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2016年2月28日 (日) 03:36 (UTC)
コメント ISBNの変換については日本図書コード管理センターで変換はできます。それと、ISBNのハイフンですが、実際には版元は別として図書館や書店ではハイフン入れないで登録していることが多いので、徹底する必要はないと思います。出版社記号の区切り方が少し複雑なので、慣れている方以外はどこでハイフン入れるのか分からないでしょうから。--UE-PON2600会話2016年2月28日 (日) 03:58 (UTC)
コメント ISBNにハイフンを入れるのが望ましいと考える理由は、前述の「Help:ISBNのリンク」での記載のとおり、「読みやすいよう」にです。書誌データベース等はともかく、実際の書籍で、区切られていないISBNの表記は見た記憶がありません(もしかすると存在するのかもしれませんが)。たとえばクローズドな検索端末を利用する場合、あるいは図書館のリクエストカードに手書きで記入する場合、ISBNが区切ってあるほうが多くの人にとってはスムーズに扱えるはずで(だから電話番号も市外局番が関係ない場合でも通常区切られるのでしょう)、親切だと思います。
もっとも、読みやすいことよりは、誤った場所に区切りを入れないことのほうが重要だと思います(これも人力で照合する場合以外の具体的な弊害は思いつきませんが)。なので、すでに示されている出典にISBNを追加する場合など、参照した書誌情報に区切りがない場合にハイフンを徹底する必要はないと思っています。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2016年2月28日 (日) 12:04 (UTC)
コメント ハイフン区切りは別にどちらでも構いませんが、打ち間違えないことが最優先なので(利用する際はリンクから飛ぶなりコピペなりしてもらえば良いので)、推奨は「現物を確認しつつ、どこかのOPACとかオンライン書店からコピペしてもらう(気になるならそこでハイフン補記)」ですかね。ハイフン区切りがないと困るのは、手書きでメモをとるときとか、下の出版地の話と関連しますが出版者(出版地)の情報が不明なときに出版者コードを使うときくらいでしょうか。というか、万全を期すなら、「現物に書いてあるISBNは100%正しい訳ではないので信用しない」ってのもありますが…。--Hisagi会話2016年2月28日 (日) 12:22 (UTC)
コメント 「過剰な情報は可読性を損なう」はごもっともで、あまり沢山記さないようにする、ということは規範の1つになると思いますが、他方でdoiとかndljpのように、出典となっている電子文書に直接アクセスできるコードが記されていた方がISBNよりも便利(読者の利便性の観点から優れている)ということもあると思いますので、ISBNを絶対的なコードのように扱うべきではないと思います。--宇井木辺出夫会話2016年9月30日 (金) 09:23 (UTC)

刊行地について

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この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: iwaim会話2018年6月4日 (月) 17:16 (UTC)
  • 日本では欧米のように発行所の前に刊行地をあげる必要はない。

とありますが、あげても、あげなくてもどちらでもよいという意味なのでしょうが、刊行地がなぜ要るのか正直判りません。過剰な情報で可読性を下げているだけに感じます。

それともう一つ、刊行地とは書籍の後ろに書いてある住所ですかね? 自分が出典として挙げた書籍で、自分は刊行地を書かなかったのが、後の編集で書誌情報の追加として書かれた刊行地が手持ちの書籍の住所と違っていたのです。 手持ちは第6刷なので第1刷のときから出版社が移転したのかもしれませんが。 -124.110.184.77 2016年2月10日 (水) 20:09 (UTC)

文書の中にもありますが、欧米では複数の場所で刊行される場合があるから、ですね。手元に文献がないのではっきりとは申せませんが、刊行地が違う場合、同じ書籍でも装丁や組版等が異なる事があるそうです。日本で言うなら、『源氏物語』の例がいくらか近いでしょうか。理解できないのは、単にIP利用者氏の勉強不足です。--森藍亭会話2016年2月11日 (木) 01:46 (UTC)
  • 基本的には「出典の明記」は「検証可能性」を満たすために行うことですから、その観点で考えればいいでしょう。
日本語で書かれた文献が日本国以外で出版されるという可能性はとても低いでしょうから、普通は日本文献ではそこまでする必要はないでしょうね。しかしもしも仮に、パリの「日本出版」という出版社が『鎌倉時代の歴史』という日本語で書かれた文献を出版したとして、それを日本の国会図書館で検索しても見つからないぞ?そんな本、ほんとうに存在するのか?みたいになるかもしれませんから、そういう場合には刊行地を示す必要は出てくるでしょう。
日本でも、森藍亭さんが例示されている通り、近世以前の(ときには明治期の)文献を出典として示すような場合には、書誌情報をより詳しく記すべきでしょうね。(そういう場面は多くは無さそうですが。)
英語文献の場合には、イギリスなのか、アメリカなのか、オーストラリアなのか、はたまたインドや南アフリカなのか、とにかくどこから出ているかは出版社、著者、刊行年だけでは特定しきれないでしょうから、刊行地を示す必要は当たり前のようにある。ニュージーランドとカナダで、同じ年に同じ名前の出版社から同じ名前の著者が同じタイトルの本を出版した、ということはあり得ることです。
インターネットでの図書検索も充実してきましたから、刊行地が示されていなくても目指す図書にたどり着ける可能性は高くなってきているだろうと思いますが、ちょっと前まではそんなことはありませんでした。ISBNがあるなら、それでも目的は果たせるとも考えられますね。
ひとつ上の話題もそうですが、「出典の明記」は「検証可能性」を高めるためのものだという観点では、出典に関する情報が増えることが「過剰」だとか「可読性が低下するからダメだ」という発想には至らないと思います。基本的にウィキペディアは不特定多数が自由に編集するという前提で、一般の図書やウェブサイトよりも「出典を明記すること」の必要性が著しく高いので、出典の明記によって「可読性がいくらか下がる」ことは自然な帰趨であり、基本的に「ダメなこと」ではありません。(もちろん、程度にもよります)--柒月例祭会話2016年2月11日 (木) 03:27 (UTC)
  • コメントその地方のことを扱っている本が地方の出版社から出ているような場合は、できれば出版地を書いてください。あとは自費出版に近いもの、でしょうか。古書なり図書館なりでの入手可能性が高まるというのが一つ。対象と著者や出版社との距離感が多少掴める、一般には知られていないけれども地域では知られているような出版社や関連団体から出ている可能性が、多少可視化できます。手元にある本だと、その地域出身の明治期の有名人を追った本で、地元の専門書なども扱う書店が発行元になっているものがありますが、これなんかは出版地がけっこう大事になると思う。--Ks aka 98会話2016年2月11日 (木) 16:37 (UTC)


  • 日本では欧米のように発行所の前に刊行地をあげる必要はない。

これはWikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(和書)にある記述なので和書であることを前提としていたつもりでしたが、伝わらない書き方をして申し訳ありません。

さて、刊行地とは書籍の後ろに書いてある住所なのでしょうか。この点についてもお願いします。 -124.110.184.77 2016年2月11日 (木) 16:22 (UTC)

刊行地は、和書なら本文の後にある「奥付」に載っていますが、洋書ならそもそも奥付は普通ありませんので、標題紙(扉)に記載されています。--Hisagi会話2016年2月11日 (木) 16:27 (UTC)

地域性のある書籍が地元から出版されている場合に、刊行地の有用性については納得しました。コメントありがとうございます。

さて、刊行地は奥付に載っている住所で良いようですが、「刊行地が手持ちの書籍の住所と違っていた」と私が上で挙げたのはトムソン散乱#sunakawaです。 この書籍に刊行地として東京都目黒区が追加されていますが、手持ちの第6刷(2006年)に書いてある住所は目黒区ではありません(渋谷区です)。 NDL-OPACから調べても出版事項には東京とあるだけで、目黒区以降の住所は確認できません。

同じ編集で原著1982年という出所不明の年も追加されており、この編集そのものの正確性に疑いがあるのです。翻訳ではない書籍における原著が何を指しているのか判りませんが、仮に初版を指すとして、それも正確ではないようです(NDL-OPACから調べた所によると、初版は1965年、第2版は1973年、第3版は1999年)。

ISBNが10桁から13桁になっているので、新しい刷での住所地なのかもしれないと思い、本屋で立ち読みしたところ、どうやら目黒区までは正しいようです(下目黒三丁目以降は正確には記憶していないので不明)。 つまり、私が購入した以降に出版社(正確には出版部)の所在地が移転したということでしょう。

出版社の所在地は変化しうるのです。市区町村の合併などで変更になることも無いとは言えません。 書籍が出版されてしばらくの後にデータベースに載せられます。つまり、この段階では、出版に近い時点での情報となります。 その後に移転などで所在地が変化した場合に、データベースが更新されていなければ、新しい住所での検索はできず、意味がないどころか場合によっては害悪です。データベースが更新されていた場合に古い情報が保持されていなければ、やはり意味がないどころか害悪です。 そもそもNDL-OPACでは東京としか書かれていないが番地に意味はあるのか。もちろんデータベースはNDL-OPACだけではないのですけど。

  • 刊行地をどの住所とすべきか
    • 第1版の奥付
    • 編集に用いた刷の奥付
    • 最新の刷の奥付
    • 信頼性の高そうなNDL-OPACなどのデータベースに頼る
  • 検索における有効性

この辺りのご意見をお願いします。 -124.110.184.77 2016年2月27日 (土) 03:37 (UTC)

コメント 出版地は住所(番地まで)ではなく、都市名のみで結構です。それ以上は意味がありませんし、かえってこういった面倒なことになってしまいますので、記載しないでください。日本目録規則に従うなら、日本の出版地は、その現物の標題紙(標題紙裏を含む)、奥付、背、表紙(裏表紙を含む)に記載がある市町村名のみを表示されているまま記載します。識別上必要があるときは括弧内に都道府県名(さらに必要なら郡名まで)を補記し、市名の「市」は省略し、東京都特別区は「東京」とします。--Hisagi会話2016年2月27日 (土) 04:15 (UTC)

早速の返信ありがとうございます。 長々と書いていて番地は要らないだろうという気はしていましたが、規則があったのですね。 「日本目録規則」はどのレベルの規則なのでしょうか?公共図書館で目録の作成時に従うべき法(に準じる)レベルですか?図書館法に関連とか?

Wikipedia は私的なサイトですからこれに縛られる必要はないでしょうが、ガイドラインに書いた方が良いかどうか。 まあ私の個人的な意見は、和書で刊行地は基本的には要らないんじゃないの、というものですから、ガイドライン修正の議論に加わるべきではないと思いますが。 -124.110.184.77 2016年2月27日 (土) 04:55 (UTC)

日本目録規則に強制力はありませんが、和書用としては唯一の選択肢・事実上の標準というだけです。もちろんそれぞれの図書館・MARC製作会社で多少のカスタマイズはしていますが。--Hisagi会話2016年2月27日 (土) 15:33 (UTC)
コメント 出版地は都市名のみ記載する、というのはおそらく欧米の慣習に基づくもので、一般的に行われていると思いますが、どこかで明文化しておいたほうが親切かもしれません。あと、出版地の記載ルールをすべて明文化しようとすると相当繁雑なことになるので、(かならずしも従わなければならないわけではないが)「例外的な場合には『日本目録規則』が参考になります」、ぐらいの文言はあってもよさそうです。
実際の日本目録規則は確認していないので国立国会図書館の説明を見ると、新しい『日本目録規則』を2017年度に制定予定とのことで、もしかするとオンラインで公開されるのかもしれません)、重複する部分もあるかもしれませんが、ウィキペディア日本語版の場合の(ガイドライン化すべきだとは思いませんが)目安をちょっと考えてみました。
  • 和書でも、以下の場合は出版地を示すことが望ましい。
    1. ISBNが記載されていない刊行物。特に、政府・自治体・大学以外の刊行物で、発行所が現存しない場合。
      • 発行所が改名している場合が「特に」に該当するかどうかは投稿者の判断でよい。
    2. 東京以外の小規模な出版社による刊行物。たとえば、地方・小出版流通センターの扱いで、出版地が東京都区部以外の場合など。
    3. 日本国外で出版された日本語刊行物。
    • 上記以外の場合は出版地を示しても、示さなくてもよい。
      • 出版地を示さなくてもいい場合に、オンラインの書誌情報だけを参照して出版地を追記することはあまり望ましいとはいえないが、禁止するほどではない。
  • 出版地は実際に参照した書籍に記載されている発行所の都市名を記載する。複数の版が確認できる場合は(特定の版のみの記述を出典とするのでなければ)できれば第1版に従うのが望ましいが、こだわらなくてよい。(出版社ではない一般の企業による刊行物などもあるので、都市名だけの記載であっても移転が問題となる場合はありうる。図書館の書誌情報では基本的に個々の版を別々に取り扱うはずなので、この点については考慮されていないかもしれない。)
    • 参照したのが抜き刷り等で、実際の発行所の記載を確認していない場合、出版地は記載しないほうがいい。
  • 市町村合併等は意識せず、実際に記載されている都市名を出版地とすればいい。ただし、当用漢字定着以前の刊行物の場合は、常用漢字体や人名用漢字体に修正するほうが望ましい。
    • 現在の都市名を併記したほうが(ウィキペディアの場合は)親切かもしれないが、なくてもよい。
長ったらしくなってしまいましたが、おかしな点があれば(今後の参考になる場合もあると思うので)できればご指摘いただけると幸いです。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2016年2月27日 (土) 15:08 (UTC)
ガイドライン化までする必要はないという点については賛成です。和書で出版地を記入を勧めたい…むしろ必須としたいのは
  • 発売からしばらく経つが、NDLサーチ、CiNii Books、Worldcat に書誌データがない。
  • 出版者名でインターネット検索を行っても所在地の確認が容易でない、または同名のものが複数あり特定できない。
  • タイトルや著者名・出版者名・ISBNの出版者コードなどの情報、出典とする内容などからは出版地の推測が容易でない。または日本国外で出版された日本語刊行物。
の3点を満たしたもの…ですね。図書館に書誌データがあればそこに出版地は載ってますからまぁ大丈夫です。(Books.or.jp、Amazon.co.jp、日本の古本屋あたりは長期的な検証可能性を担保できないため、その時点ではデータがあっても対象外で) 著名かどうかは個人の経験・主観によりますし、企業の規模的には小さくても(極端な話1-2人でも)著名な出版社というのは実際ありますから、お手軽なネット検索を基準に。種類や現存するかではなく、すぐ分かるかどうか。タイトルや著者名・出版者名に出版地と同じか近い地名があればそもそも大して問題ではないです。
何らかの(当人がその資料について特別に出版地が必要だと思う)理由がなければ「記載しない」が適当だと思います。
初版に従うのが望ましい → 出典として使った版のもので。そして、古い版と新しい版がいずれも出典として使用可能なら、新しい版を出典に使うのが基本でしょう。
現在の都市名を併記 → それよりはリンクのほうが良いかと。
--Hisagi会話2016年2月27日 (土) 17:02 (UTC)

出典テンプレートに用いるパラメータについて

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連続して話題を追加して申し訳ないですが、ウェブサイトを出典とする場合のテンプレート{{Cite web}}の使い方について、意見を求めます。

私の行った編集が、「改悪を戻す」として取り消されました。 私の編集は{{Cite web}}において、作品名(work)ではなくサイト設置者(publisher)にすべきと思われる部分を移動させただけであり、どこが改悪なのか理解しかねます。

まず、私の編集が改悪であるのかという点について。 変更点とその理由を挙げると以下のようなことですね。

  1. 気体定数#fchemは作品名が「化学の広場」で、サイト設置者が「ニフティ株式会社」となっているところを、サイト設置者を「化学の広場」とした
    • ニフティ株式会社は単なるウェブサービスの提供者でしかない
    • リンク先には"Copyright(c) 2005 FCHEM All rights reserved."とあり、権利者はFCHEM、つまり化学の広場である
  2. 気体定数#gakugei気体定数#hanamiについてはサイト設置者が大学名、作品名が研究室名/学部名となっているところを、サイト設置者を大学名+研究室名/学部名とした
    • そもそも研究室名や学部名が作品名であるとは考えにくい
    • サイト設置者はインデックスページ(アドレスのスラッシュ以降を消したページ)を参考にした
  3. 気体定数#satomuraについては、サイト設置者が大学名、作品名がOPEN COURSEWAREとなっているところを、サイト設置者を大学名+OCWとした
    • OCWが作品名か否かは微妙なところだとは思うが、サイト設置者はインデックスページを参考にした

次に、再び取り消すことが適当であるかについて。 Wikipedeia がどのように利用されるかは判りません。テンプレートを機械的に読み取って利用される可能性は否定できないでしょう。 従って、可能な限り適当なパラメータを用いるべきであると考えます。私が用いたパラメータが不適当か否か、私が用いたパラメータが適当である場合、編集を再び取り消すべきか否か。

取り消した当人に聞くべきとは考えたのですが、IP利用者であることを理由に会話を拒否されました。このまま再び取り消すと編集合戦に陥りかねないですよね。 -124.110.184.77 2016年2月27日 (土) 05:03 (UTC)

コメント {{Cite web}}の解説を見ると、publisherフィールドには「ウェブサイトを設置している組織・団体・企業・官公庁など」の名前を書くことになっています。この説明は極めてあいまいで、解釈の幅や議論の余地があるところです。IP氏の編集が差し戻されたのも、この説明文に対する解釈の相違が原因でしょう。 この説明を、単純に「そのwebサイトのサーバーが所属しているドメイン(を所有する組織)」と解釈すれば、大学名などをpublisherとするのは間違いとはいえません。しかし、その解釈ではニフティジオシティーズのようなウェブスペース提供サービスに置かれているサイトの場合は、サーバーはサービス提供企業の所属ですから、publisherはその企業名ということになってしまいますが、それは明らかに不適切です。従って、「ウェブサイトを設置している」という説明は、「そのウェブサイトを主催・運営している」と読みかえるのが適切な解釈でしょう。

publisherとして何を指定すべきか、と言う問題は、そのwebページの内容に最終的な責任を持つ者は誰か、ということを考えると理解しやすくなると思います。当然、webページの内容に最終的な責任を持つものがpublisherです。これは、個々のページの著者自身である場合もあれば、その著者が属する組織である場合もあります。 ウェブスペース提供サービスの場合、法律あるいはサービス提供上の規約に反しない限り、どんな主張をしようがサイト主催者の自由だし、その主張が原因でサイトが炎上しても、サービス提供企業が非難されたり責任を追求されたりすることはまずありません。そういう責任のない組織が"publisher"ということはありえないでしょう。 一方で、(大学を除く)一般的な公的機関や官公庁、企業サイトの場合は、たとえ一職員のブログであっても、その組織のドメインに置かれている以上、組織の見解と見なされ、問題視されるような記述があれば組織自体が非難の対象になるでしょう。そういう意味で、これらの組織のドメイン下にあるコンテンツを出典とする場合は、機関名、省庁名、企業名などをpublisherとすることが適切と考えられます。

さて、本件で問題になっている大学の場合は、まさにその中間的な位置づけにあり、判断は微妙になります。原則的には大学はドメインスペースを貸しているだけであり、各学部や研究室のコンテンツについては学部なり研究室なりがそれぞれ責任を持つことになっています。大学のサイトでも、たいていは「大学の公式見解とは異なる場合があります」などと断わり書きがあります。実際、研究とは関係ない音楽だの映画だのの趣味の話題を書いている学生や教員もいます。そういう観点からすれば、大学とその研究室のサイトの関係は、ウェブスペース提供サービスの場合と同じで、大学名をpublisherとするのはおかしい、ということになります。

しかしながら、やはり大学という機関の性質上、一定の制約はあり、たとえばアダルト系コンテンツやヘイトスピーチ満載のページが大学のドメインに置かれれば、大学が非難を受けることになるでしょう。それは当り前といえますが、大学の本業たる学問、教育および研究に関する内容となると、問題は微妙になります。たとえば、大学のプレスリリースのページにある「本学の〜教授が〜を発見しました」という記事から引用する場合は明らかにpublisherは大学でしょう。しかしその教授の研究室サイトに「我々は〜を発見しました」という記事があり、それを引用するならばpublisherはその研究室であるべきと考えられます。

最近は講義ノートを公開する先生も多いですが、それを引用する場合はさらに判断が微妙になります。公開している講義ノートはたいがいその先生自身のサイトに置かれていますが、それは大学サイトだったり外部サイトだったりします。この場合はpublisherなしで、authorを先生自身の名前とすべきでしょう。ただしその著者が大学の研究者であることは確認できるようにしておかなければなりません。そうでないと、一私人が書いたものと区別がつかず、Wikipediaの出典に要求される信頼性を満たしません。 講義ノートの場合はたいがい、ノート自体はpdfファイルになっていて、それをダウンロードできる授業のページがあるはずなので、この場合はその授業のページをworkとして指定するのがよいかもしれません。

なお、大学ほど各教員の独立性が高くない高校以下の学校については、たとえ一教員がある教科の教材として私的に作ったコンテンツであっても、それが学校のドメインに置かれている限り、publisherは学校と解釈すべきでしょう。

また、ニフティなどに置かれている個人や私的なグループが運営しているサイトなどの場合、publisherがニフティでないのはもちろんですが、かといってサイト運営者の名前というのもおかしい。このような場合、サイト運営者の名前はむしろauthorとして書き、publisherは空欄とすべきでしょう。もっとも、そのような私的なサイトはWikipediaでは出典元として不適当と考えられているので、実質的にpublisherに相当するものが考えられないようなサイトはそもそも出典にすべきではない、とも言えます。

さて、長々と述べてきましたが、以上の見解に照らして、問題の編集に対する私の意見は次の通りです。

1.について
ニフティがpublisherではないというのは完全に同意します。しかし「publisher= 化学の広場」というのはどう見てもおかしい。「化学の広場」はコンテンツというかサイト名であって、これはworkもしくはtitleに相当するものです。「化学の広場」は日本化学会のフォーラム由来らしいので、publisherは「日本化学会」とすべきでしょう。たとえ日本化学会が直接運営しているわけではないにせよ、このサイトに「「化学の広場」あるいは「日本化学会」への要望や質問をする場」というフォーラムが含まれている以上、日本化学会公認の日本化学会のコンテンツの一つと考えられます。したがって、
「work=化学の広場 | publisher= 日本化学会」
とするのが適当と考えます。また、コピーライト表示を準拠として、このサイトの運営者は「日本化学会」ではなく「化学の広場」である、というのであれば、「化学の広場」とは個人なの法人なのか私的なグループなのかということが問題です。それが何であるにせよ、そのような正体不明の「主催者」の運営するサイトは、そもそもWikipediaの出典として不適当なものであり、除去されるべきです。
2.について
workフィールドに研究室名や学部名が入るのはおかしい、という意見には同意します。研究室名や学部名をpublisherにするのは適切と思います。しかし、こちらはtitleの方に問題があります。titleにはそのwebページのタイトルが入るべきであり、そのページが含まれるコンテンツの階層をworkとすべきでしょう。つまり具体的に言えば
気体定数#hanamiについては、「title= 地球大気科学 大気の熱力学」ではなく、「work= 地球大気科学 |title=大気の熱力学」に、
気体定数#gakugeiについては、「title= 気象学概説 大気の熱力学」ではなく、「work= 気象学概説 |title=大気の熱力学」とするのが適当でしょう。
3.について
微妙ではありますが、IP氏編集後の「 publisher= 京都大学 OPEN COURSEWARE」よりも、元々の「publisher=京都大学|work=OPEN COURSEWARE」の方がまだ適切と思われます。
オープンコースウェアというのは、大学がいわば「事業」として公開している「サービス」と考えられます。従って、設置者あるいは主催者の名称が入るべきpublisherの名称が「京都大学 OPEN COURSEWARE」というのは、やはりおかしいです。この場合のpublisherは大学名自体であるべきでしょう。
一方、「OPEN COURSEWARE」は大学が提供するサービスですからいわば「作品」とも言えるものであり、workフィールドに指定する対象として不適当なものとは考えられません。それでも違和感があるとすれば、「OPEN COURSEWARE」が京都大学固有のサービス名ではないためでしょう。それならば、サイトトップページのタイトル通りに「KYOTO-U OPEN COURSEWARE」すれば問題はないでしょう。したがって、
work=KYOTO-U OPEN COURSEWARE | publisher=京都大学
とするのが適当でしょう。ただし、この場合のworkとしては、もう一つ下の階層「物理気候学」の方がより適切かもしれません。大規模なWebサイトではありがちなことですが、サイトの階層構造が深いと、引用したページからどの段階まで遡った部分を"work"とするか、ということはなかなか悩ましいところです。

以上のように、IP氏の編集は一部は適切と考えられますが、一部は同意しがたい部分もあり、たとえ編集合戦の問題は考えないにしても、再度の取り消りには同意できません。もう少し意見を待って、合意の得られた部分のみ修正すべきでしょう。--Loasa会話2016年2月28日 (日) 02:01 (UTC)

先にある記述と同じ出典を用いた場合の閲覧日時の更新について

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問題が起きているわけではないですが気になったので質問します。Wikipedia:出典テンプレートで出典が明記された記述Aがあり、同じ出典を用いて記述Bを追記しようとしているとします。このとき記述Bに関わる部分は見たが、先にある記述Aに関わる部分は確認していない場合、出典の明記と引数accessdateはどうすべきなのでしょうか?

記述Aも確認したものとして同じ脚注にして閲覧日時を更新するのはよくないと思うのですが、だったら閲覧日時だけが違う出典を2つ付けることになるんでしょうか。出典が書籍なら内容は変わらないので(記述Aで発行日や版など細かく記載されているなら)同じ脚注にして閲覧日時を更新してしまってもいいかもしれません。また書籍なら版や参照したページの違いで同じような出典が複数あって然りと思います。ただこれがウェブサイトだと、1ページで構成されているものも多くページ違いでの区別はできません。ウェブサイトの版の違いは古い版がリンク切れということになってしまいます。自分が編集している範囲でこのようなケースは見たことないのですが、他の分野でこのようなことはあるでしょうか。情報・ご意見をいただきたく思います。--せちせち会話2016年6月18日 (土) 13:59 (UTC)

議論場所を井戸端に移動しました。--せちせち会話2016年6月26日 (日) 03:42 (UTC)
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会員制サイトを出典とすることについて

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想い出ぼろぼろでオリコンランキング情報サービス「you大樹」が出典として用いられていたうえ、誰もが読めるトップページではなくログインしなければ読めないページを用いていたようなので不適としたところ、差し戻されました(詳細は曲記事や私のノートページをご覧下さい)。現時点での「出典を明記する」にはこういった会員制サイトについての説明がないようなので、ログインせずに閲覧できる公的ウェブサイトのほか、書店で購入できる書籍や図書館で閲覧できる書籍などの方が有効と考えていますが、その辺を明確化して頂けると幸いです(過去ログで結論が出ているのであれば私の見落としです。申し訳ありません)。--115.65.143.186 2016年7月6日 (水) 04:19 (UTC)

コメントWP:PAYWALLWikipedia:検証可能性#文献へのアクセス)がずばり回答になっていると思います。--柒月例祭会話2016年7月6日 (水) 04:34 (UTC)

こういう方針もあるのですね。お手数をおかけしました。--115.65.143.186 2016年7月6日 (水) 04:58 (UTC)
コメント 以前の議論で言及されていたかどうかは覚えていませんが、会員制のウェブサイトの場合、サービスを終了した場合に閲覧不可になる場合が多く、しかもアーカイブ等も通常は取得できないはずなので、ケースによっては長期的な検証可能性に(物理的なメディアを出典とする場合よりも)配慮することが望ましいかとは思います。ただ、すくなくとも現時点で閲覧が可能なのであれば、出典として「不適」ではないはずです。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2016年7月6日 (水) 11:52 (UTC)
(補足)すでにKAWASAKI Hiroyukiさんがおっしゃっていただいている通りなんですが、会員制ウェブサイトは「無効」ではないのですが、IPさんがおっしゃるように「書店で購入できる書籍や図書館で閲覧できる書籍」があればさらになお良いというのは確かでしょう。どちらか一方が良くてもう一方がダメというより、それぞれに良さがあるので両方あるのが最高です。ウェブサイトの場合には、ネット環境さえあればある意味手軽に誰でもアクセスできるので検証可能性はある意味高いです。書籍の場合、入手困難な書籍というのも多々あります。反対に、たとえ入手困難でも書籍の場合にはアクセスさえしてしまえばいつでも誰でも同じ情報を検証できるのに対し、ウェブサイトの場合にはURLは一緒でも内容が書き換わってしまう可能性があります。IPさんの「書籍のほうがいいのではないか」という考え方は間違ってはいないと思いますよ。「ウェブもダメじゃない」というだけです。--柒月例祭会話2016年7月6日 (水) 12:24 (UTC)

Template:Twitter status議論のお知らせ

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Template‐ノート:Twitter statusにて、テンプレートを出典の明記のため使用する場合のdoc編集提案をしています。ご参加ください。--せちせち会話2016年8月18日 (木) 12:51 (UTC)

賛成意見を貰い、追加する内容の推敲中です。--せちせち会話2016年8月23日 (火) 14:58 (UTC)
文言を追加し、議論は終了ました。--せちせち会話2016年8月27日 (土) 02:26 (UTC)

「出典の示し方」節の改訂提案

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こちらでの議論はWikipedia‐ノート:出典を明記する/「出典の示し方」節の改訂提案に分割しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月3日 (日) 03:14 (UTC)

改名提案について議論の場が設けられていない件

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10日に、改名提案が出されてますが、全く議論の場が設けられていません。改訂の議論と同一ではないので、タグで告知するだけでなく、提案を明示し、議論の場を設ける必要があります。無提案で改名作業を行った記事では差し戻しが行われます。--Quark Logo会話2016年12月11日 (日) 14:50 (UTC)

例によって無反応のため、誤誘導を修正しました。改名議論の場はWikipedia‐ノート:出典を明記する/個別参照法です。--Quark Logo会話2016年12月13日 (火) 06:37 (UTC)
どうもありがとうございます。上での議論が固まり次第、そちらのノートで議論したいと思います。--宇井木辺出夫会話2016年12月13日 (火) 15:56 (UTC)

と句読点?

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私は先日「篁物語」という記事を作って、慣れてきた英語版ウィキペディアの規則に従って参考文献を「。」や「、」の後にしましたが、句点の位置がその後修正されました。書いている途中私も「日本語では句読点の後ろがちょっと見にくい」と思ったし、詳しく知りたいから探したんですが、どちらに書いてあるか教えていただけますでしょうか? Hijiri88会話2016年11月26日 (土) 03:12 (UTC)

私が知っているところでは、Help:脚注#スタイルと用法に解説があります。--Dwy会話2016年11月26日 (土) 05:11 (UTC)
コメントウィキペディアに限ることではなく、書物の一般的な作法として、英語(や他の印欧語)では、「I have just returned from a visit to my landlord.[1]」や「In all England,[2] I do not believe that…」と記すのに対して、日本語では「周囲二里ばかりの小島があり[3]、 」「その名を「獄門島」という[4]。」というのが通例である。というのが一般的な見解のようです。
ただし、中には「…。…、…[5]。」と「…。…、…。[6]」では出典がカバーする範囲が違うんだということで、意図的に句読点のあとにしている方がいる、ということも認知されていて、第三者が機械的に出典の位置だけ動かすのは避けるべきという見方もあります。
参考例
特に翻訳記事の場合には、原文が「a…,b…,c….[7]」となっているような場合、出典がカバーしている範囲をいちいち情報源にあたって確認したのでもない限り、ここらへんを厳密にするのは難しいですよね。この例の場合に自力でその情報源にあたってみるとc部分しか裏付けていなかった、なんてことはよくあります。--柒月例祭会話2016年12月10日 (土) 07:33 (UTC)

現地案内板

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この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: iwaim会話2018年6月4日 (月) 17:16 (UTC)

冒頭部の「現地案内板」の語句を除去しました。以前、議論なく加筆された語句であり、書籍、外部Websiteと同等に並べられ、あたかも「信頼できる情報源」に記載されているかのような文章の流れになっていたためです。--海獺会話2017年3月12日 (日) 02:52 (UTC)

冒頭部の「現地案内板」は確かに議論なく加筆された語句ではありますが、/過去ログ10#現地案内板についてにおいて事後的に議論されており、語句の除去について複数の反対意見が出ていて「検討なしに除去するのは不適であり除去するかどうかは簡単な話ではない」という話で終わっています。探した限りでは現地案内板の記述については過去ログ10での議論が最新の合意になりますから、除去するのであれば過去の議論を尊重して改めて検討する必要はあるでしょう。一旦戻されるのがいいと思います。--重陽会話2017年3月12日 (日) 03:25 (UTC)
加筆当時の過去ログは見たのですが、ご案内いただいた議論は見落としておりました。ありがとうございます。差し戻しました。--海獺会話2017年3月12日 (日) 03:33 (UTC)
上記でご案内いただいた議論で紹介されている「{{Cite sign}}」は日本語版でも使用されるようになっており、設置年月日や参照年月日を入れていくようになっていけば問題はないように感じましたので、さしあたり(文章の流れは気になるものの)、除去に関する議論などはしないこととします。お騒がせしました。--海獺会話2017年3月12日 (日) 03:53 (UTC)