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Wikipedia‐ノート:個人攻撃はしない/2017年改訂案

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いかなる場合であってもウィキペディアでは個人攻撃をしないでください投稿した人についての意見ではなく、投稿された内容についての意見を述べてください。個人攻撃は、ウィキペディアのコミュニティと、良い百科事典を作成するのに必要な協調関係に害をもたらします。投稿者個人を侮辱するコメントは誰でも除去することができます。また、個人攻撃を繰り返したり著しく酷い個人攻撃をしたりすると投稿ブロックにつながることがあります。

個人攻撃とみなされるもの

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建設的な議論と違い、何をもって個人攻撃と定義するか客観的で明示的なルールはありません。しかし、下記にあげるようなものは決して受け入れられません。

  • 人種差別、同性愛嫌悪、特定年齢層、宗教、政治、民族、国家、性的、または他の悪口など、執筆者や執筆者の所属集団に対して向けられるもの。宗教や人種、性的指向、民族性などを構成するものに対する意見の不一致は、言い訳になりません。
  • 相手の属性を理由にして、相手の意見を否定したり、信用できないとする人身攻撃。例えば「鉄道オタクのあなたが、なんでファッションについて詳しいといえますか?」。ただし、特定の記事やトピックスで見解の衝突の可能性がある場合に、利用者個人の会話ページで質問することは個人攻撃ではありません。(ただ、相手の現実でのアイデンティティについて推測することは嫌がらせになる可能性があります)
  • 対象の編集者を攻撃する目的で、外部からの攻撃や、嫌がらせ、リンクを貼る
  • 編集者をナチスや独裁者など有名な悪人に擬えること。
  • 証拠が無い上での個人への告発。重大な告発には、相応の証拠が必要です。証拠は通常、差分や内部リンクで示します。
  • 下記のようなものも含まれます
    • 法的措置をとると脅す
    • 暴力など実社会での脅威(特に生命への脅威)
    • 個人への脅威を感じさせる荒らし
    • 自分以外の編集者が政府・雇用主などから政治的・宗教的その他の制裁を受けることにつながる行為を意図的に行う、またはそうするとの脅し。この種の違反を行った利用者は長期間に渡って投稿ブロックされる可能性があります。これは発見時に管理者がただちに適用することができます。
    • 個人情報を晒すと脅すこと

これらの例は網羅的ではありません。編集者個人を侮辱したり中傷したりするのは、どんな形をとっていようと個人攻撃です。個人攻撃になるかもしれないと思ったら、相手への言及を避け、記事内容へのコメントに注力してください。

なぜ個人攻撃は認められないか

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わざとであれ、無意識であれ、記事のノートでは議論の論旨が記事の内容ではなく、個人に向かう傾向があります。この時、個人攻撃は敵愾心を煽る言動を引き出し、編集者が協力することをいっそう困難にします。

執筆者達は、しばしば自分自身の観点を中心に記事が構成されることを望んでいます。ウィキペディアでは、合理的な議論を通して、このような観点を統合することによって、より良い中立的な記事の作成を目指しています。記事を編集するすべての人は同じ大きなコミュニティの一員であり、現実世界でのバックボーンに基づく優劣はありません。

個人攻撃の禁止はウィキペディア全体に等しく適用されます。しかし、一般的な個人攻撃を行うのと同様に、過去に問題行為を行った利用者を、そのことを理由にして攻撃することも容認されません。ウィキペディアは洗練されたコミュニティを奨励しています。人々は間違いを犯すが、彼らから学び、彼らの方法を変えることを奨励されています。既に解決された過去も蒸し返すような個人攻撃はこの精神に反し、百科事典を作るという作業に害を与えます。

個人攻撃を回避する

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礼儀正しく、効果的な議論とするためには、議論を特定個人に関するものにしないことです。すなわち、論旨は個人自体ではなく、議論内容や行動に向けられたものとみなされるべきです。

見解の不一致がある場合に相手に言及することは、ただちに個人攻撃とは限りません。例えば「Yという理由によってあなたのXの記述は誤ってます」または「記事に加筆した内容が独自研究のように見える」という指摘は、個人攻撃ではありません。しかしながら、「~の記述」や「加筆した内容」という言葉が欠けると(「あなたは誤っている」「あなたは独自研究をしている」)、個人攻撃と誤解される可能性が高くなります。

争点の混乱を減らすために「この(争点の内容)を記事に挿入すると独自研究に見える」というように指摘することは特に望ましいです。同様に、個人の言動や活動に関する議論を適切な場所(例えば、利用者の会話ページや投稿ブロック依頼ページなど)で行えば、その議論自体は個人攻撃ではありません。

意見が相違する時も編集者はエチケットを守り良きウィキペディアンとして振る舞うべきです。挑発的な言動への適切な対応は、この方針に違反していると他人に告発するのではなく、記事内容の論旨に専念することです。さらに告発の正当性を提示せずに、個人攻撃を行ったと誰かを告発することも、個人攻撃の一種と見なされます。

個人攻撃への対応

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初めてや単発的なできごと

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多くの場合に、単発的な個人攻撃に対する最良の対策は、単純に無視することです。

時に個人攻撃は、議論が白熱するなどして過度に反応してしまっただけで、もともと攻撃を意図してないこともあります。さらにウィキペディア上の議論はテキストのみであるために、ニュアンスや感情がしばしばうまく伝えられず、誤解を招くことがあります。だからといって個人攻撃が許されるわけではありませんが、このような怒りや不愉快なコメントは無視して、百科事典の改善と発展に引き続き努力することが推奨されます。

個人攻撃に反応することが必要かつ望ましいと思う場合には、その相手の会話ページに丁寧なメッセージを残すことができます。記事のノートでは反応しないでください。これは問題が拡大する傾向があるためです。同様に、迫害に直面していても、敵対的かつ対立的にならないようにすることが重要です。可能であれば、単に行動の問題について主張するだけではなく、記事の根本的な問題に対する妥協点や共通点を見出すことが重要です。

ただ、特に攻撃的または破壊的な攻撃(身体的脅威、法的脅威、露骨な人種差別や性的侮辱)は無視してはいけません。即座の介入が必要とされる状況は稀ですが、管理者伝言板に報告されることがあります。

適切な議論場所(例えば利用者の会話ページや、ウィキペディアの公的な掲示板)で提議された利用者行動の議論は、それ自体が個人攻撃とはなりません。

継続的な攻撃

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中止の要求後にも、個人攻撃をやめず、継続的に行われている場合には、論争の解決に基づいて解決されることが望まれます。ほとんどの場合、編集者が協力して議論の論旨に焦点をあてれば、管理者の迅速な対応を必要とせずに、個人攻撃の問題を解決することは可能です。

個人攻撃の除去

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上記の望ましい対応をとっても、収まらないケースがあります。感情的な文章がさらに感情的な反応を引き起こして互いにエスカレートしているような場合、その感情的な部分を「隠す」ことによって状況の悪化を食い止めることは一つの手段として認められています。また、明白に極めて悪質な場合(身体的脅威、露骨な人種差別や性的侮辱)は、除去しても問題なしとされることが多いでしょう。

ただし、個人攻撃は必ず除去すべきというような公式の方針は存在しません。あくまで議論を更に悪化させないための手段であり、除去という行為そのものが状況を悪化させるのであれば、それは認められません(最良の方法はあくまで個人攻撃を無視し、議論の論旨に注力することです)。自身の会話ページにおいても済んだ議論について除去することはその利用者の自由ですが、進行中の議論において、相手の発言に手をいれることは慎重に行われるべきです。また、単純に除去するのではなく、「コメントアウトしました」「除去しました」などと、一言添えるようにし、除去をめぐるトラブルが発生しないように細心の注意を払ってください。

上記を踏まえた上でも、稀なケースが存在します。ウィキペディア利用者の非公開の個人情報が明らかにされた場合など、最も深刻な種類の個人攻撃に関しては、単純な被害のレベルを超えているため、コミュニティとプロジェクトの利益のために削除することができます。非公開情報が関係する特殊なケースでは、管理者の確認も必要である可能性があります。

ウィキペディア外での攻撃

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ウィキペディアは、ウィキペディア財団の管理下にないメディアの行動を統制することはできませんが、他の場所で編集者への個人攻撃を行うことは、誠実さを疑われる行為です。ウィキペディア外で行われる個人攻撃や名誉毀損は、特に利用者のプライバシーを侵害する形を取る場合には、特にコミュニティや、利用者間の関係に有害です。このような攻撃は、ウィキペディアにおける一般的な紛争解決のプロセスにおいて悪化要因と見なされる証拠となります。

外部リンク

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ウィキペディア利用者を攻撃する目的で、プロジェクト外での嫌がらせや攻撃、プライバシーの侵害を狙ってするリンクは決して受け入れられません。また同様の理由によってなされる外部からのリンクも許されません。このような状況での嫌がらには、ウィキペディア外での個人攻撃、プライバシー侵害、および身体的暴力への脅威などが含まれますが、これに限定されません。これは正当な批判と混同されることはまずありません。

このルールの解釈は複雑です。詳しくは「Wikipedia:嫌がらせ目的の外部サイトへのリンク」(en:Wikipedia:Linking to external harassment)を参照してください。

個人攻撃がもたらすもの

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利用者は単発的な個人攻撃を無視したり、丁寧に対応したりすることを推奨されてますが、それは個人攻撃を容認するということではありません。敵愾心を煽る言動は、コミュニティから誠意を疑われ、不当な行為だと見なされます。看過できない個人攻撃を受けたと認識した利用者は、コメント依頼やブロック依頼など、紛争解決のプロセスに参加する可能性が高く、その時、個人攻撃を行ったとされる利用者は不利な立場に立たされる可能性があります。

極端な場合には、単発的な個人攻撃でさえ、ブロックの理由となることがあります。生命への脅威と同様の重大問題については警告なしでブロックされる可能性もあります。軽い個人攻撃であっても警告されることはあり、それにも関わらず攻撃が継続すれば段階的にブロックされる場合があります。ただし、管理者はこの行為がプロジェクトに重大な影響をあたえるか不明確である場合で、かつ、それほど深刻でない状況に対しては、他の解決策で対応されることが推奨されます。継続的な攻撃は、その継続性によって被害が拡大すると見なされます。罰ではなく予防のためだけに行われるべきです。利用者が個人攻撃を継続する可能性が高いと思われる場合にブロックの妥当性が認められます。

個人攻撃と望ましい対応方法の例

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一般例

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あなたはユダヤ人(ネオナチ)だから、あなたのリンゴが身体に良いという記述は信用できない。

これは典型的な個人攻撃です(人身攻撃、対人論証)。執筆者がユダヤ人(ネオナチ)であることとリンゴの効能はまったく関係ありません。しかし、これはあまりにも稚拙過ぎて例え話にもなりません。下記のようなものならどうでしょうか。

あなたはユダヤ人(ネオナチ)だから、あなたのホロコーストに関する記述は信用できない。

一見妥当にも見えますが、これも典型的な個人攻撃です。リンゴの効能と同様に、ウィキペディアにおいて執筆者がユダヤ人(ネオナチ)であることと、ホロコーストに関する記述は関係ないからです。何故なら、ウィキペディアの記述は信頼できる情報源に基づくという大前提があるため、もしその記述が信用できないのであれば、それは「出典や論拠に問題がある」のであって、「執筆者がユダヤ人(ネオナチ)だから」ではないからです。ましてそもそも出典や論拠がないならば、それは「独自研究だから」批判すべきなのであって、「ユダヤ人(ネオナチ)だから」という理由で批判してはいけないのです。また当然のことながら、ユダヤ人(ネオナチ)だと見なすこと自体が、本人が公表してないならば、邪推によるレッテル貼りであり、許されません。

しかし、このような個人攻撃をされた方も過剰に反応するべきではありません。この場合、最良の対応方法は個人攻撃部分を単純に無視し、出典や論拠の提示を行うことです(論拠なければ独自研究だったと素直に認めるべきです)。結果として記事への成果は変わらないままに時間と労力の節約になります。ただ、この最良の対応をとった場合でも、あくまで相手が執筆者の属性に拘るようであれば(個人攻撃を繰り返す)、相手の会話ページや、コメント依頼・ブロック依頼などを利用するのは妥当でしょう。

この出典の著者は、ユダヤ人(ネオナチ)だから、あなたのホロコーストに関する記述は信用できない。

これはここに規定される個人攻撃ではありません。よくある資料批判の観点であり、「Wikipedia:信頼できる情報源」に基いて判断してください。

著者の属性が出典の妥当性判断に影響を与えることはよくあります。例えば、利害関係にある当事者の手記や、何の権威もない在野研究者の自費出版は、その著者の属性自体によって扱い(重み付け)を変えることは妥当でしょう。また、ホロコーストならともかく、リンゴの効能について書かれた書籍の信頼性評価について、著者がユダヤ人(ネオナチ)だから信頼できないとするのは不当以外の何ものでもないでしょう。

こうした資料批判の中で人種差別などを基に不適切な主張がなされる時、気分を害する場合もあるでしょうが、それは執筆者やその書籍を参照した者を個人攻撃した場合とは分けて考えられるべきです。この場合は、個人攻撃を行う者やレイシストとして告発するのではなく、適切な資料批判ができない、記事の執筆能力に問題がある者として問題視するべきです。

ユダヤ人(ネオナチ)の出典を多用するあなたは信用できない。
ユダヤ人(ネオナチ)側の観点が多いあなたは問題が多い。

これは個人攻撃と疑わしいが、断定はできないケースです。例えば「信頼できる情報源」の観点に照らして信頼できない出典を多用していると思われるのであれば、この指摘は妥当なものです。出典の妥当性を抜きにしてやっているのであればレッテル貼りです。

言われた方としては、まず「論旨は個人自体ではなく、議論内容や行動に向けられたものとみなされるべき」の原則に従い、「信頼できない出典を多用している」あるいは「中立性に反した記述をしている」「情報を無差別に収集している」という指摘と判断して対応することが望まれます。すなわち、これに対する適切な返答は「個人攻撃しないでください」ではなく、「著者がユダヤ人(ネオナチ)だからといって出典(観点)を軽視しないでください」です。それによって個人攻撃か否かではなく、出典や観点の妥当性について議論されることが望まれます。

また、言う方としても、特定個人へ向けられたものだと捉えられないよう配慮すべきです。よって適切な指摘は「Xという理由によって信頼できない出典を多用するあなたのホロコーストに関する記述は信用できない。」[1]や、「あなたの書き方だと特定の観点を推奨するようになっているので中立性に乏しく問題がある」というようにしっかりと根拠を述べた上で、かつ指摘の対象が個人ではなく記事本文にあること明示することです。そうすれば、相手の返答が「個人攻撃しないでください」ではなく、「著者が○○だからといって出典を軽視しないでください」となる蓋然性が高くなるでしょう。

あなたはユダヤ人(ネオナチ)だから、ウィキペディアへの参加資格はない。
あなたはユダヤ人(ネオナチ)だから、見つけ出して殺してやる。

これは典型的な個人攻撃である上に極めて悪質な例です。先に「最良の対策方法は単純に無視すること」「論旨は個人自体ではなく、議論内容や行動に向けられたものとみなされるべき」の原則を挙げていますが、これには当てはまりません(これまでの例はまだ「議論内容や行動に向けられたもの」と言えましたが、これらは明らかに個人だけを狙ったものです)。発見次第、管理者が裁量で投稿ブロックを掛けても問題ないですし、必要に応じて発言を除去すべき危急の事案となります。

あなたはホロコーストを肯定(否定)した記述を行ったので、名誉毀損で訴える準備がある。

これは典型的な法的脅迫です。「Wikipedia:法的な脅迫をしない」を参照してください。

あなたは個人攻撃をしている。だからあなたの私の記述への指摘に対してまともに取り合う必要はない。
レイシストの意見は一切無視します。

見過ごされがちですが、これも個人攻撃です。なぜなら、論旨とは直接関係ない相手の行為を根拠に、相手の主張を否定しているからです。

例えば先の「あなたはユダヤ人(ネオナチ)だから、あなたのホロコーストに関する記述は信用できない」や「ユダヤ人(ネオナチ)の出典を多用するあなたは信用できない。」というようなものは、それが個人攻撃と見なせる余地があっても、少なくともその発言の主旨は、出典や論拠の妥当性を確認しているものです。まして「Xという理由によって信頼できない出典を多用するあなたのホロコーストに関する記述は信用できない。」というように指摘が個人ではないと配慮までしている場合は尚更です。そこでもし指摘されたあなたが、実際に独自研究や信頼できない情報源を基に記述をしていたるであれば、それは省みる必要があります。それにも関わらず、そうした部分を無視し、指摘に反抗する方法として個人攻撃されたことを持ち出してはいけません。あくまで無視すべきなのは個人攻撃部分であって、相手の主張のすべてではありません。

もし、1つ1つは些細でも繰り返されたなど、特定個人の問題行為として問うべきレベルと考えるならば、その場合でも、相手の会話ページか、コメント依頼・ブロック依頼、管理者伝言板など適切な場所で行うべきであり、記事のノートで行うべきではありません。逆説的に、そうした適切な場で告発するレベルでないなら、そもそも指摘する必要はないのです。

穏当な表現でも本人が名乗っていても個人攻撃

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あなたは極右(極左)だから、あなたの日中戦争に関する記述は信用できない。

これは先の例を部分的に書き換えただけで、言うまでもなく典型的な個人攻撃です。では、以下ならどうでしょうか。

あなたは保守主義(革新主義、リベラル)だから、あなたの日中戦争に関する記述は信用できない。

くどいようですが、これも個人攻撃です。表現が穏当であれ、記述の妥当性を執筆者の属性に求める行為は個人攻撃にあたります。

(自ら保守主義/革新主義を名乗っている相手に対して)、あなたは保守主義/革新主義だから記述は信用できない。

これはまず相手がそう名乗っていようと、やはり記述の妥当性を執筆者の属性に求めている時点で明らかな個人攻撃です。ただ、そもそも自らの傾向や肩書きを名乗って論説しているということは、自身の主張の妥当性を、自らの属性で保証しようとしている意図がある場合があります。この時、名乗りや肩書きによる肯定的な意味付けは認めて、否定的な意味付けは「個人攻撃」として否定するのはアンフェアです。そもそも記事の信頼は出典によって生じるのであって執筆者によって生じるのではありません。問題となっている記述が執筆者の属性で不当とならないように、妥当であることも執筆者の属性で決まりません。

対人論証ではない個人攻撃

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おまえの母ちゃんでべそ

これは一般に「個人攻撃」と呼ばれることもあるものですが、通常、もっと適切な表現は「悪口」です。今までの例と明白に異なるのは、対人論証ではない(あるいは対人論証と呼ぶには稚拙)という点です。こうしたものは他にも「皮肉」「嫌味」「当てこすり」などがあります。こうした場合は個人攻撃としてこのガイドラインの規定を参照するよりも、Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:エチケットを第一に参照するべき事案です。

注釈

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  1. ^ こうした言い回しをする場合、言外においては問題となっている箇所の出典(論拠)の信頼度は不明だが、それ以外の出典(論拠)の信頼度は低いとみなされているがゆえに、その問題となる箇所の出典(論拠)の信頼度も低いと仮定されていると考えられる。そうした間接証明せずとも問題箇所の信頼度が低いといえるのであれば初めからそう述べた方がよく、あくまで執筆者個人の出典の使用に関して問題があるのであれば相手の会話ページなどで指摘するのが望ましい。