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Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ4

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方針の解釈について

[編集]

編集者が自身の支持する意見を載せるために、恣意的に都合の良い解釈を持ち込む例が見られるので、その代表的なものを挙げます。

  • 方針に明記されていない語句等の解釈は編集者の主観で決めて良く、それを否定することは行き過ぎた厳密的な解釈である。
  • 意見の形を取れば独自研究を載せても良い。
  • 自己公表物は自費出版や自社のパンフレット、自分のウェブサイトのみを指し、有名な出版社から発刊されていれば「信頼できる公刊された情報源」に当たる。
  • 誰のどのような形のものでも「事実の確認」を受けていれば、それが十分であるかないかに関係なく自己公表物に当たらない。
  • 記事の分野の専門家が誰も言わない学術的意見であっても特別な主張には該当しない。
  • 記事を消す側に記事を否定する出典を提示する責任がある。
  • 学術分野であっても査読された論文がない分野では独自研究を載せても良い。
  • 両論併記が推奨されているのだから独自研究も排除せずに載せるべきだ。
  • 編集者の多数決で支持されれば独自研究を載せても良い(あるいは、独自研究に当たらない)
  • その記事の分野の直接の専門家でなくても兄弟分野・従兄弟分野を専攻していれば専門家と見なして良く、自己公表物の使用にも全く制限がない。

これらの恣意的な解釈を防げるように、記載事項を修正することを提案します。

具体的な書き振りはここでの議論で決めて行きたいと思います。--60.37.218.150 2013年10月25日 (金) 11:47 (UTC) 誤記修正--60.37.218.150 2013年10月25日 (金) 11:51 (UTC) 一件追記--60.37.218.150 2013年10月25日 (金) 12:03 (UTC)

やはり、賛成票が対立意見を述べた人ばかりであることや、具体的なWikipediaの方針やガイドラインから理由が一切挙げられていないこと等の都合の悪い事実は伏せられているようですね。 いずれにしても修正提案はその内容で判断すべきものでしょうから、ここでの議論では関係がありません。 強いて言えば、こうした恣意的な解釈が支持者の多数決で強行されることを防ぐための提案であり、そのことに危機感を覚えていただけるなら提案に共感していただけるものと信じます。--60.37.218.150 2013年10月25日 (金) 12:03 (UTC)

コメントそれぞれにコメントしておきます。全体にウィキペディアにおける「独自研究」の意味を誤解しているような印象を受けました。--Ks aka 98会話2013年10月28日 (月) 04:46 (UTC)

  • 方針に明記されていない語句等の解釈は編集者の主観で決めて良く、それを否定することは行き過ぎた厳密的な解釈である。
    • 一般的な語句であれば、辞書的な意味と、当該分野での慣例を参照しつつ編集者間で適切な表現を探る。字義、辞書的な理解のみ、どこかでの定義を厳密に適用させることは、その編集者の主観的な「厳密さ」に過ぎない。厳密さが必要な場面もある。--Ks aka 98会話2013年10月28日 (月) 04:46 (UTC)
  • 意見の形を取れば独自研究を載せても良い。
  • 自己公表物は自費出版や自社のパンフレット、自分のウェブサイトのみを指し、有名な出版社から発刊されていれば「信頼できる公刊された情報源」に当たる。
  • 誰のどのような形のものでも「事実の確認」を受けていれば、それが十分であるかないかに関係なく自己公表物に当たらない。
  • 記事の分野の専門家が誰も言わない学術的意見であっても特別な主張には該当しない。
  • 記事を消す側に記事を否定する出典を提示する責任がある。
  • 学術分野であっても査読された論文がない分野では独自研究を載せても良い。
  • 両論併記が推奨されているのだから独自研究も排除せずに載せるべきだ。
  • 編集者の多数決で支持されれば独自研究を載せても良い(あるいは、独自研究に当たらない)
  • その記事の分野の直接の専門家でなくても兄弟分野・従兄弟分野を専攻していれば専門家と見なして良く、自己公表物の使用にも全く制限がない。

事実関係に基本的な誤解があるようなので、補足しておきます。 単なる少数意見を独自研究として排除しようとしているわけではありません。 学術書ではない一般書籍の主流学説批判本を出典として用いて良い等の誤った解釈を何とかしたいということです。 一般書籍の主流学説批判本を出典と認めさせようとする側の主張は概ね次のとおりです。

  • 「辞書的な意味と、当該分野での慣例を参照しつつ編集者間で適切な表現を探る」ことすらせず、Wikipediaの他の方針等との整合性を探る手法を独自の解釈だと批判して、編集者の主観で勝手な解釈を押しつけている。
  • 「掲載するに値する第三者の意見」であるとする主張は誰もしておらず、WP:NPOVからも根拠は挙げていない(学術分野の意見でないとした場合には記事とは無関係な人間であることには異論は出ていない)。
  • WP:RS#自己公表された情報源における「事実の確認」は十分である必要はないと主張している。
  • 彼らが掲載を希望する意見が学術的分野におけるものであることは彼らが認めており、記事の分野の専門家が誰も言っていない内容であるにもかかわらず特別な主張には該当しないとしている。
  • 記事を残せと主張する根拠を示さずに、記事を消す根拠のみを求めている。
  • 出典が必要なことに争いはないので、「常識的に妥当な推論」を逸脱したものであることにも主張の争いはない。
  • 彼らが掲載しようとしているものは、小数意見ではなく、学術書ではない一般書籍の主流学説批判本である(「相対性理論は間違ってる」と主張する本と同じ)。
    • 例えば、多世界解釈は少数意見ではあるけれど、信頼できる情報源に掲載されている。信頼できる情報源に掲載されているから少数意見の条件を満たしているのであって、信頼できる情報源に掲載されていない主流学説批判は少数意見の条件すら満たしていない。
  • 「妥当な推論」は1人も示しておらず、多数決による支持のみを根拠としている。
  • 「分野間の関わり」については誰も言及せず、隣接分野(分野の接点すら明確にしめされておらず隣接しているかどうかすら怪しいので「隣接分野」という表現も適切ではない)であるという主張しかされていない。

あと、次の2点はWikipediaの方針に関する誤解であると思います。

  • 「編集者の手が入っているため自己公表物に当たらない」と「十分でなければ確認ではない」は自己矛盾する。
  • 「事実の確認と自己公表物とは関係がない」は、WP:RS#自己公表された情報源の定義「いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物」に適合しない。

Wikipediaに持ち込んで良いのは「信頼できる公刊された情報源(WP:RS)」に載っている情報だけです。 証拠提示を緩和する例外はありますが、それは「信頼できる公刊された情報源」に載っていない情報をWikipediaに持ち込んで良いということではありません。 例外は、記事の品質向上につながらない無駄な手間を求めることを要しないとしているだけであって、記事の品質を下げて良いということではありません。 ゆえに、「信頼できる公刊された情報源」に載っていない疑いが強いものについては厳密な証拠が求められます(WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められる)。

言うまでもなく、学術分野における「信頼できる公刊された情報源」とは専門書や学術書などの査読のある権威ある情報源です(WP:RS#情報源の評価)。 一般書籍の編集者によるチェックはこれに該当しません(参考[1]「『信頼できる出版元』とは、私の理解では名前で一律に決まるのではなくて、どんな記事でどのような内容を引用するのかという文脈に依存しています。たとえば、学術的な記事では有斐閣や岩波書店がそれに当たると思いますが、時事的な記事では新聞がメインの情報源になると思います。」)。--60.37.218.150 2013年11月2日 (土) 06:51 (UTC)一部補足--60.37.218.150 2013年11月2日 (土) 06:57 (UTC)一部補足--60.37.218.150 2013年11月2日 (土) 07:30 (UTC)

例を挙げると、常温核融合において、学術的分野の意見として、フライシュマン教授やポンズ教授のマスコミ発表を出典とすることはできません。 しかし、科学界の混乱を引き起こした事件に関する事実としてなら、マスコミ発表を出典とすることは可能です(ただし、検証不可能な一過性の情報は除く)。

尚、この件を事件として記事に掲載することができるのは、科学界に大きな混乱を引き起こすほどの事件であったので特筆性があると認められるからです。 ゆえに、一般書籍の主流学説批判本を出版した事実をもって、それを事件としてWikipediaに掲載して良いということではありません。--60.37.218.150 2013年11月2日 (土) 07:08 (UTC)

IP利用者の方へ。個別記事での議論にかかる意見をお求めなのであればコメント依頼が適していますので、そちらの利用をお勧めします。。一般論として質問をし、Ks aka 98さんは一般論として(おそらく)回答をしています。その回答に異を唱えるのはかまいませんが、個別記事の事情を持ち込んで異を唱えるには適していません。--ikedat76会話2013年11月2日 (土) 07:06 (UTC)

最初に書いたとおり、「恣意的な解釈を防げるように、記載事項を修正すること」を提案しているのであって「個別記事での議論にかかる意見」は求めていません。 それに対するKs aka 98さんのご意見は「それは貴方の事実解釈誤認ではないか」というもののようでしたので、そうではないことをお伝えしたまでです。 方針の文面を議論するのに必要なことをお伝えしたまでであり、個別記事での議論をここで行なうつもりはありません。--60.37.218.150 2013年11月2日 (土) 07:13 (UTC)誤記修正--60.37.218.150 2013年11月2日 (土) 07:15 (UTC)

整理させていただくと、ここでの論点は次のとおりです。

  • Wikipediaの基本方針の趣旨は何か
  • 現行文面でそれに逆行する解釈の余地があるかないか

そして、それに対する私の意見は次のとおりです。

  • Wikipediaでは学術書ではない一般書籍の主流学説批判本は出典とできない(主流学説批判であっても、専門書や学術誌掲載論文等は出典とできる)
  • しかし、一般書籍の主流学説批判本を出典にできるかのような解釈が可能になっている

だから、文面を修正する必要があるのではないかということです。--60.37.218.150 2013年11月2日 (土) 07:22 (UTC)

コメントWikipedia:中立的な観点」のより具体的な解釈が「Wikipedia:中立的な観点/FAQ」に説明されていますのでご一読ください(特に「#様々な視点を取り入れるの節」)。同ページ内の「Wikipedia:中立的な観点/FAQ#争いのある主題についての長い記事」によると、たとえば馬の進化について扱った記事に「創造説をとる人々の一部は馬の進化があったことを一切認めない」と手短に説明を加えるようなことは、少なくとも問題ありません。
現行文面でそれに逆行する解釈の余地は無いように読めますが、もし個別ケースでそれと異なる解釈(学術書以外の異論を一切排除 or 非主流の見解を主流派学説と同等以上のボリュームで記述)が必要だという主張があれば、個別に記事のノートで議論の上、合意によって対応を判断いただけば良いと思います。もしも大多数の賛同が得られない場合には基本的に方針遵守を最優先で。
本論からは離れますが、IPの方が誤認されていると指摘があるのは、「独自研究」という用語の意味についてです。ウィキペディア用語としての「独自研究」とは、「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈など」を指します(詳細な説明は「Wikipedia:独自研究は載せない」参照)。もしもこの点に誤解があったとすると、それが原因で他の編集者との議論に齟齬を来している可能性もあり得るので、一度ご確認いただければと思います。--ディー・エム会話2013年11月3日 (日) 15:09 (UTC)

「独自研究」の定義については、その解釈に基づいて意見を述べています。 「学術書以外の異論を一切排除」を求める主張まではしていませんし、「非主流の見解を主流派学説と同等以上のボリュームで記述」に至っては私の主張とは一切関係ありません。

問題は「創造説をとる人々の一部は馬の進化があったことを一切認めない」と手短に記載されることではなく、具体的内容を詳細に取り上げ、あたかも、それが学術的に認められた仮説であるかのように記載されることです。 こうした記載をしようとする人達の言い分に対して、現状の書き方は脆弱です。 残念ながら、Wikipedia:中立的な観点/FAQでも解答にはならないようで、「主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明する」に反していると説明しても、「それならこれが擬似科学だと証明しろ」と返ってくるだけです。 「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります(WP:BURDEN)」「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり(WP:RS#出所の不確かな素材)」に対してもWikipediaが求める水準に満たない形式的な出典を提示しておいて自分たちの責任を果たしたと言い張る人達には、Wikipediaが求める水準と出典を示す責任の範囲を明示したものがなければ話が通じません。

尚、一般の人達が誤解を受けないよう補足しておくと、創造説に関して先程のような記載が認められるのは、それが特筆性要件を満たす事件となっているからです。 これは私が挙げた常温核融合の例と同じです。 一部に支持者がいるだけのことをもって同様の記載ができるわけではありません。--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 06:22 (UTC)

「科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明する」という作業は特定の誰かに課せられた義務ではなく、それを書きたい人が出典と中立性に基づいて加筆いただけばOKです。もしもその加筆を根拠無く消去しようとする人がいれば、方針の趣旨に反する行動として問題視されることになると思います。
「特筆性」は検証可能性と並んで重要な要件ですが、その出典が学術書かどうかは必ずしもその判断基準ではありません。当該の記述が特筆性を満たさないことを他の編集者に対して説明できるだけの根拠があるなら、ノートページでそれを説明して合意を形成すればOKです。もしもその合意が成り立たないとすれば、その根拠が薄弱ということです。--ディー・エム会話2013年11月4日 (月) 06:42 (UTC)

独自研究はWP:NORにて「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指す」と明確に定義されています。 「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈など」の前にその旨明記されています。 説明から「信頼できる媒体」を外された意図は何でしょうか。

また、「主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し」を無視して「科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明する」件だけを問題視される意図は何でしょうか。 つまり、「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないもの」を、あたかも学術分野で認められた仮説であるかのように書いてあっても、それを修正する側が根拠を示せと仰りたいのでしょうか。 そのような主張は、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります(WP:BURDEN)」「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり(WP:RS#出所の不確かな素材)」に適合しないでしょう。

尚、私は、出典が学術書かどうかが「特筆性」の判断基準になるとは一言も申しておりません。 「特筆性」に関する補足事項は、「一般の人達が誤解を受けないよう補足しておく」と書いたとおり、事件の記事についての補足事項であり、学術分野の記事とは全く関係のないことです。--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 13:52 (UTC)

確か、ある学説について記述する時は、通説となっている部分より少数説のボリュームが多くなることは避けるべきといったガイドラインがあったように思います。しかし、そういうのがあってもなくても、通説のほうの記述が優先されるべきなのは明らかではないでしょうか?たとえば、相対性理論は間違いであると主張する本を書店で見かけたことはありますが、これが通説ではないことは誰の目にも明らかで、もし相対性理論間違い説が通説であると主張する人がいれば、彼(彼女)にはその根拠を示す義務があると思います。
また、IPさんが太字で書いている部分は、どちらかといえばIPさんの気分に相当する部分で、はっきりとこうであるというよりは、「主観としてこう感じる」と言っているように見えます。であるならば、やはり方針を変更するというやり方に訴えるのではなく、説得するべきだと思うのですが。--しおまねき会話2013年11月4日 (月) 06:57 (UTC)
(追記)すいません、理解不足でした。IPさんは一般書籍の主流学説批判本は出典として利用できないということを主張したいのではなく、そういう本は利用できないはずなのに利用できるのがおかしいから方針を変更せよと主張しているのですね?
Ks aka 98さんが書いているように、その主張は現在の方針に当てはめると間違いであり、Wikipedia:中立的な観点は少数説が当然のごとく記述される前提の話をしています。なので、IPさんの中立的な観点の文言を利用した論争相手への主張は、やや的外れになってしまっていると思います。先のコメントでも書きましたが、IPさんがおっしゃっていることというのは、あくまでも「分量が少数説の量としては認められないレベル」ということでしかなく、相手が納得しなければ、結局このように方針そのものを変更させようとするという暴挙に出ざるを得なくなるでしょう。このような行為は、やはり問題です。
それと、先ほど最初に書いたことですが、ちゃんとありました。中立的な観点の「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。」です。疑似科学というのはその説を主張している当人たちではなく、外部からそのように指摘されるという性質を持ちます(「ネトウヨ」と同じ) なので、Ipさんのようなアプローチでは反発されるのも無理はないでしょう。なので、ここに書かれた「相対的な勢力差」を考えた編集を行うように話し合ってみてはいかがでしょうか。--しおまねき会話2013年11月4日 (月) 07:43 (UTC)

最初から申し上げている通り、私は、方針の変更は一切要求しておりません。--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 13:49 (UTC)

コメントWikipediaの基本方針では、「学術書ではない一般書籍の主流学説批判本」は、記事中では「主流学説」を主としなければならないし、取るに足らないものなら現実の勢力や影響力、話題性などから記述すべきでない説・意見もありえますが(WP:NPOV)、「出典として用いて良い」。専門書や学術誌掲載論文等による主流学説批判は、むしろ積極的に記述されるべきものです(ここでも、その勢力を十分考慮する必要がありますが)。
「Wikipediaでは学術書ではない一般書籍の主流学説批判本は出典とできない」というのは、ウィキペディアの方針上は誤りであり、これに逆行する解釈、理解の余地はありません。「出典とできる」が方針が示すものであり、そのような理解ができる文面になっているのならば修正する必要はありません。出典とできない、と読めてしまう文面が具体的に指摘されるなら、その箇所を出典とできないと誤読されないように修正しましょう。
「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」ことについては中立的観点の問題であり、その勢力差を評価する上での情報源の評価は、分野や主題によって大きく変わりますから、基本的にはノートで話し合ってください。
なおTPPは多くの分野にまたがる「協定」ですから、関連分野それぞれに専門家がいるでしょうし、われわれの社会生活に大きく関わるため、研究者ではなくジャーナリストや評論家が分析したり、意見を述べたりすることもあるでしょう。TPPの内容についての評価は、科学的な事実とは異なりますから、物理学理論や自然科学分野とは事情が大きく異なると思いますよ。
編集者が自身の支持しない意見を排除するために、恣意的に都合の良い解釈をすることもしばしば見受けられますが、これはルールの悪用やいつまでも「納得」しない態度とみなされるでしょう。--Ks aka 98会話2013年11月4日 (月) 07:18 (UTC)

学術分野に属する見解について「学術書ではない一般書籍の主流学説批判本」を「出典として用いて良い」とはWikipediaのどの基本方針に記載されているのでしょうか。 WP:NOR#何が除外されるかでは、「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」と明記されており、「信頼できる媒体」で発表されていないものはWikipediaに持ち込めないことになっています。 そして、「信頼できる媒体」で発表されていない疑いが強い例として「支持されていない主張や、関係学会に普及している見解に矛盾する主張」が挙げられ、そうした「特別な主張」には「特別な証拠」が必要と書かれています。 以上、明記された方針およびガイドラインは、「学術書ではない一般書籍の主流学説批判本」を「出典として用いて良い」とする見解と明らかに真逆の内容となっています。--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 13:47 (UTC)一部追記--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 14:48 (UTC)

一言でまとめると、方針で問われていることは「信頼できる媒体」で発表されているかどうかであり、これは特定の編集者が支持するかどうかとは全く関係のないことです。--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 13:59 (UTC)

追記します。 学術分野に属する見解については、学術分野のチェックを一切受けていない一般書籍は「信頼できる媒体」に該当しないことは明らかです(今回は引用を省略しますが必要であれば追記します)。 もちろん、学術分野に属する見解ではなく事件としての紹介なら話は別ですが、その場合は特筆性の問題があります(特筆性についてはここでの論点ではない)。--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 14:50 (UTC)

各編集者の説明内容をきちんと把握して頂きたいと思います。挙げられている記述は「信頼できる媒体」の定義ではありませんし(信頼できる情報源の定義はWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするかなど参照)、「支持されていない主張や、関係学会に普及している見解に矛盾する主張」は「念入りかつ懐疑的に調べるべき」ですが(Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められる)、それはたとえば「創造説をとる人々の一部は馬の(そして他のいかなる生物の)進化があった」といった類の非科学説でさえもその出典の有効性を排除することを意味しません(=中立性の面で書き方にバランスは求められるが記述自体は可:Wikipedia:中立的な観点/FAQ#争いのある主題についての長い記事)。
おそらくこの件で説明を重ねるべき事柄はこれ以上無いと思いますが、「Wikipedia:信頼できる情報源#概要」の趣旨を理解し「常識的感覚と編集上の判断」が伴った編集内容であれば、出典の扱い・評価について他の多くの編集者との合意を得ることはそう困難ではないはずで、もしそれが困難であるとすれば、それらが十分に伴っていないということです。—ディー・エム会話2013年11月4日 (月) 14:47 (UTC)

ディー・エムさんこそ、説明内容をきちんと把握してください。 私は、何度も、学術分野に属する見解の記事と事件の記事の違いを説明しております。 繰り返しますが、ディー・エムさんの創造説に関する主張は事件の記事として何が「信頼できる媒体」になるかの基準であるので、それは、学術分野に属する見解の記事における「信頼できる媒体」の基準にはなりません。 WP:NOR#何が除外されるかの「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」の趣旨を理解し、常識で考えてそれを事実上無に帰す解釈が成り立つわけがないことを踏まえて意見を言って頂きたいと思います。--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 14:57 (UTC)

具体例を挙げると、進化論裁判創造科学インテリジェント・デザインのいずれにおいても、「創造説をとる人々の一部」の主張は科学分野に属する見解として「信頼できる媒体」に掲載されていると認められたわけではありません。 あくまで、事件として「信頼できる媒体」に掲載されていると認められたに過ぎません。--60.37.218.150 2013年11月4日 (月) 15:03 (UTC)

もう本当にこれ以上説明しようが無いので最後になりますが、「馬の進化」についての記事が「事件の記事」だという前提で読まれていること自体(そのことだけではないですが)、多くの編集者と合意を得られる編集感覚を身につけるのは無理ですよ。そのための説明を理解する努力をされていないということなので。ウィキペディアは多数決主義ではないですが、一人を除いて誰一人支持しない方針の解釈というのはウィキペディアでは存在しません。--ディー・エム会話2013年11月4日 (月) 16:53 (UTC)
学術分野では学術雑誌などのきちんとした情報源を用いることが推奨され、一般書籍からの引用は避けた方がいいということは、この方針の「分野ごとのアドバイス」というところに既に書かれているように思います。最初に書かれたIPさんの「代表的な例」は、そのほとんどが詳しく話し合えば通用しないものだということもありますし(独自研究はたとえ正しい意見であっても排除される可能性がありますよ?)、何だか方針を読んでいるのかいないのかがよくわからなくなってきました。
「学術分野であっても査読された論文がない分野では独自研究を載せても良い。」ってありますが、査読された論文がない学術分野って何のことですか?査読された論文があるから学術分野というんですよね。たとえば、私はオカルト好きですが、査読された論文など微塵もない分野がたくさんありますが、それらを学術分野などと言ったりしません。
もしかして、IPさんは「一般書籍」を情報源として用いられることを防ぐために、学術分野かどうかよく分からない分野を学術分野に当てはめようとしているのではないですか?これまでの議論で、学術分野にこだわる姿勢は確かに常識として理解できるものですが、例としてあげられた疑似科学分野の扱いをどうするかは様々な方針やガイドラインに記されており、一見すると大きな議論になるようなものではありません。
であるならば、IPさんが本当に問題にしたいのは「学術分野であっても査読された論文がない分野」ですよね。TPPの議論で揉めたということなので、それのことでしょうか?この奇妙な主張がIPさんの主張の核心なような気がします。もし、ある特定の分野で自分にとって不都合なことがあり、それを正当化するために今回のような提案をしているなら、それらすべてについて洗いざらい話してください。
主張が一般的に納得のいくものであれば多数の支持を得られるはずですが、本当の意図を隠したままいくら抽象化した議論をされても、待っているのは「コミュニティを疲弊させるユーザー」としてブロックという結末だと思います・・--しおまねき会話2013年11月4日 (月) 23:19 (UTC)

独自研究を持ち込もうとする人の意見を私に聞かれても困ります。 たとえば、経済協定について「その協定の中身が分からないから査読された論文などない」と主張している人がいても(実際には査読された論文は存在している)、それは「学術分野かどうかよく分からない分野」である証拠とはなりません。 そもそも、一般論としての方針の文面の議論において、適用対象の分野の議論は全く意味のないことです。 学術分野に限定した基準を明記しても、その基準は、学術分野に限定しているのだから、当然、学術分野以外には適用されません。 よって、それは、学術分野に属しない記事には全く影響を与えません。 また、「自分にとって不都合なこと」「本当の意図を隠したまま」云々は誹謗中傷が過ぎます。 いくら意見で対立したからといって、そのような個人攻撃が許されるのでしょうか。

具体的な方針上の記述を挙げて説明しようと思っていましたが、それ以前の極めて基本的なことから話す必要がありそうです。 WP:NOR#何が除外されるかで「信頼できる媒体」に掲載されない「事実、意見、解釈、定義、論証」を除外するのは、記事の信頼性を担保するために必要だからであって、意味もなく厳しい規制を設けているわけではありません。 「信頼できる媒体」は、Wikipediaの記事に必要な掲載基準を設けているからこそ、「信頼できる媒体」となり得るのです。 「信頼できる媒体」に掲載できる水準に満たない「事実、意見、解釈、定義、論証」が、その「信頼できる媒体」の掲載基準を逃れることを目的として、掲載基準の低い媒体への掲載を行なっているなら、それこそがWikipediaが除外しようとしている「事実、意見、解釈、定義、論証」そのものです。 一方で、「信頼できる媒体」において公表済みの「事実、意見、解釈、定義、論証」の紹介・解説に留まり、「信頼できる媒体」に掲載されない「事実、意見、解釈、定義、論証」を全く含まない場合は、それはWikipediaから除外されるものではありません。 WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められる」が言っていることはそういうことです。 尚、「特別な主張」であっても、それが「信頼できる媒体」において公表済みであれば、それはWikipediaから除外されるものではありません。 以上を踏まえてご意見を仰っているのでしょうか。--60.37.218.150 2013年11月8日 (金) 11:27 (UTC)

ちなみに、WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるにも、陰謀論には気をつけろと書いてありますね。 誹謗中傷、個人攻撃というのは差し引いても、「自分にとって不都合なこと」「本当の意図を隠したまま」といった陰謀論では何も解決はしません。--60.37.218.150 2013年11月8日 (金) 11:29 (UTC)

補足すると、WP:NORのタイトルは「独自研究は載せない」ですし、「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」と書いていますし、「独自研究の排除」とも書かれているのだから、「信頼できる媒体」に掲載されていない「事実、意見、解釈、定義、論証」がWikipediaに持ち込めないことは議論の余地がありません。 それは、方針をどのような解釈しても同じです。--60.37.218.150 2013年11月8日 (金) 11:44 (UTC)

同様のことはBugandhoneyさんも仰っています[2]し、それに反する意見も聞いたことがありませんが、これも「自分にとって不都合なこと」や「本当の意図を隠したまま」「抽象化した議論」をされているのでしょうか。 そんなわけがありません。 Bugandhoneyさんも私も、方針の趣旨・目的に照らし合わせて自明の解釈を示しているに過ぎません。 そもそも、方針に関する編集提案に対してどうやって陰謀論を持ち込むのかこちらの方が聞きたいです。 どんなに恣意的な思惑を持とうとも、一般論として筋の通った説明がなければ提案が通る余地はありません。 逆に言えば、一般論として筋の通った説明があるならば、その裏の思惑がなんであろうとも、その説明は考慮すべきものです。 ようするに、一般論として筋の通った説明があるかないかが問題となるのだから、恣意的な思惑が入り込む余地はありません。 それなのに、説明への反論を放棄して、提案の思惑への懐疑を持ち込む理由は何なのでしょうか。 そのような行為こそ「自分にとって不都合なこと」や「本当の意図を隠したまま」なのではないでしょうか。--60.37.218.150 2013年11月9日 (土) 06:39 (UTC)

今更ながらディー・エムさんについてですが、履歴[3]を見ると、Bugandhoneyさんの意見に同意されたように見えますが、どうして今になって真逆の意見を仰るのか理解できません。 意見を変更されたなら、相手の努力不足を言い訳にして意見変更に値する理由の存在の説明を放棄されるべきではないと思います。--60.37.218.150 2013年11月9日 (土) 06:51 (UTC)

ご質問にお答えしますが、難解な内容ではないので繰り返しません。
例示いただいた履歴を含め、微力ながらコミュニティの一端として実際に文書の検討にも参加させていただいた当事者の1人として、IPさんの解釈はそれら文書の本来の意図と根本的に違っていますよとひととおりの説明をさせていただきました。その意図を真逆だと曲解している時点で、その解釈は誤りだと考えてください。--ディー・エム会話2013年11月9日 (土) 11:53 (UTC)
遅くなりましたが、私の一部発言が不適切だったことは認めます。申し訳ありませんでした。あの発言は、私自身、この議論の全体をうまく把握出来ていないのではないかという焦りから、議論の全体をかなり荒く見渡した上ででたものであったことは確かです。つまり、議論を矮小化しようという無意識の意図があったことは否定できません。ですので、ご本人からきっちりと否定されたということで、以後は問題にしません。--しおまねき会話2013年11月10日 (日) 12:42 (UTC)
IPさんのお考えはかなりよく判りました。ですが、独自研究の捉え方はやや疑問があります。独自研究とは、主として未発表の研究結果やアイディアを書き込む行為であり、さらにプラスして、発表済みの情報を「独創的に」解釈したりあるいは複数の情報を合成して特定の観点に導くような文章を創作する行為のことだと書いてあります。
「独自」という言葉の意味を考えれば、これらを独自研究とするのは何の問題もないでしょう。しかし、IPさんの書き方だと、自分が関わっていない、第三者が発表した情報も、情報源が信頼できなければ独自研究となる、と主張しているように見えますが、それはさすがに言い過ぎです。
実を言うと私も、他の方と同様に、あなたの一番最初の発言を読んだ時に違和感を覚えました。独自研究という言葉が、ウィキペディアでの定義を超えて使用されているように見えたからです。おそらく、今回書いたIPさんの意見で、違和感の正体はつかめたと思います。
ということで、最初の提案を読んでみると、「独自研究」というIPさんの独自用語が問題なだけで、特段難しいことは主張していないみたいですね。「両論併記が推奨されているのだから独自研究も排除せずに載せるべきだ。」という恣意的解釈については、おそらく、信頼度が異なるものを並べて載せても問題ないという誤解についての話でしょう。
  • 「自己公表物は自費出版や自社のパンフレット、自分のウェブサイトのみを指し、有名な出版社から発刊されていれば「信頼できる公刊された情報源」に当たる。」というのは、有名出版社という言葉から考えて非学術分野の話でしょうね。これについてはやや微妙ですね。別におかしなことは言ってません。ですが、IPさんがおかしいと思っているのならそれはなぜかと考えてみれば、おそらく学術分野の記事で、査読された信頼度の高い情報源だけ利用したいのに、有名出版社から出てる査読を経ていない一般書を使いたがる利用者がいて困っているということなんでしょう。ですが、これもケースバイケースで、学術分野なら信頼度のことを説得すればいいだけの話ですし、それは方針にも書いてあります。科学分野の場合だと一般書は避けたほうが良いということもわざわざ書かれているのですから、説得がさほど難航するとも思えません。
  • 「記事を消す側に記事を否定する出典を提示する責任がある。」は抽象的すぎます。ある部分を除去するときは、まず独自研究(方針に書かれた意味での。)であること、これは問答無用で消せますし、私もよく消しました。次に、ウィキペディア的でないこと。単純ないたずらや、都市伝説、蛇足、どうでもいい情報。これは、反発を受けた場合は方針を引き合いに出しながら説明します。記事を否定する出典を出す場合、ってどんな場合でしょうか。この書き方だと、出典もきちんと提示しているのに消されたから相手が抵抗してきたという風に読めるのですが、もしこれが情報源の信頼度の話であれば、方針を指し示すだけで良いと思います。具体的な話でないのでやっぱりよくわかりませんが・・
  • 「学術分野であっても査読された論文がない分野では独自研究を載せても良い。」このケースはよくわかりません。素直に解釈すると、学術分野に入るがまだ新しい分野で一般の出版社からこの分野に関する本が既に出版されている状況なのでそうしたものを出典として使おうとする人がいるがそれは問題である、という主張に見えます。やっぱりよくわかりません。説明お願いします。
  • 「編集者の多数決で支持されれば独自研究を載せても良い(あるいは、独自研究に当たらない)」これもIPさん用語を解釈し直すと、学術分野で一般書籍を利用することは編集者の多数が支持していれば許される、という風になるわけですね。つまり信頼度が異なる、IPさんが思っているラインより低い信頼度のものを出典として用いても良いという人がたくさんいればそれは許されるというのは変だと。たしかにそうです。ウィキペディアは多数決主義ではありません。どの程度の信頼度の情報を利用するかはその記事に係る編集者間の話し合いで決めるべきです。よって、これは話し合いで解決できる問題です。
  • 「その記事の分野の直接の専門家でなくても兄弟分野・従兄弟分野を専攻していれば専門家と見なして良く」これも話し合いで決めるべきでしょう。学術分野かどうかを限定してないので微妙ですが、非学術分野でこんなことが問題になるとは思えないので学術分野なのでしょう。普通は、同じことを言っているちゃんとした専門家の意見に置き換えられるべきですが、その分野に直接の専門家といえる人がいない、あるいはそういう厳密な区分けができないような微妙な分野の場合は、深入りすることは危険です。むしろ、全体として通説、あるいは多数説に沿っているか否かで判断し、その人だけが驚くほど独創的な主張を展開している場合は、掲載を控えたほうが良いと思います。速報的に、日々新しい情報が追加されていくような分野で、専門家と呼べるような人も、通説も決まっていない分野なら、私はそんなものはまずウィキペディアに載せるべきではないと思いますけどね。これは関係ありませんが、ウィキペディアはもっと安定した分野についての記事(歴史とか)を重視すべきで、アニメとかドラマの速報的な記事を書いている人は自重してほしいと個人的には思います。--しおまねき会話2013年11月10日 (日) 14:18 (UTC)

しおまねきさんの謝罪は受け入れました。 私も言い過ぎたことは謝罪します。 尚、ディー・エムさんは、議論放棄を宣言されたので、私はそれ以上深追いするつもりはありません。 どうぞ、ご自由にご退場されてください。

Wikipediaの「独自研究」の説明における「未発表」とは、あらゆる媒体における未発表を指すのではなく、「信頼できる媒体」において発表されていないことです。 その点、自分が関わっているかどうか、第三者が発表した情報であるかどうかは全く関係のないことです。 それは、私の独自用語などではなく、Wikipediaの三大方針であるWP:NORにも「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指す」と明記されています。

既に何度も説明している通り、「有名な出版社から発刊されていれば『信頼できる公刊された情報源』に当たる」は学術分野の記事に対する主張です。 「その分野に直接の専門家といえる人」は多数おり、かつ、「経済学者だから専門家だ」という主張もされているので、新しい分野でも厳密な区分けができないような微妙な分野でも何でもなく、学術分野の記事であることに疑いの余地はありません。 「主流学説批判本」と最初から何度も言っているのに、「通説も決まっていない」という前提と違うことをもち出されても困ります。 そもそも、既に説明した通り、個別の記事が学術分野であるかどうかと、ここでの提案とは一切関係ありません。

これも何度も説明していますがWikipediaが求める「信頼できる媒体」としての出典は全く示されていないことが前提です。 その上で記事を否定する出典を要求する行為に対する問題提起です。 Wikipediaにおいては、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります(WP:BURDEN)」「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり(WP:RS#出所の不確かな素材)」により、記事を残そうと側が「信頼できる媒体」に掲載されていることを示さなければなりません。 例外的にその責任を免除する規定もありますが、「特別な主張」である場合は免除対象となりません(WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められる)。 そうした「特別な主張」であるにも関わらず、「信頼できる媒体」に掲載されている証拠を何も出さずに、記事を否定する出典を要求する者がいるので、そうした解釈の余地がないように文言を修正する提案をしています。

現実問題として、マイナーなページに、ある主張の支持者が大挙してやって来た場合には、話し合いなど不可能です。 コメント依頼をしても、その主張の支持者しかやって来ないのに、どうやって話し合えと仰るのでしょうか。 話し合いで解決することは理想ですが、何でも理想通りに解決するなら、編集保護や投稿ブロックなどの手段は不要なはずです。 Wikipediaの方針もWP:CONも無視した多数決で合意に達したと主張する連中に対して、どうやって話し合えと仰るのでしょうか。 そうした連中に対しては、方針の曲解を封じる以外の有効な方法があるなら教えていただきたいです。--60.37.218.150 2013年11月15日 (金) 10:31 (UTC)

尚、後で気付いたのですが、「有名な出版社から発刊されていれば『信頼できる公刊された情報源』に当たる」に対しては、WP:RS#信頼性の評価にて「オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。」と明確に否定する記載があるので提案から撤回します。--60.37.218.150 2013年11月15日 (金) 10:35 (UTC)

提案の内容を誤解されたままでは話が噛み合う余地が全くないと思うので、一度話をリセットし、本提案の前提であるWikipediaの方針から話をすり合わせる必要があるようです。

  • 「信頼できる媒体」で発表されていない「事実、意見、解釈、定義、論証」はWikipediaに持ち込めない(WP:NOR#何が除外されるか)。
  • ある特定の出版社から発刊されていることだけでは「信頼できる媒体」の証拠とならない(WP:RS#信頼性の評価)。
  • 学術分野における「信頼できる媒体」とは専門書や学術誌等を指すのであって一般書籍は該当しない。
  • 主流学説に反する主張については、特に、「信頼できる媒体」に掲載された証拠が求められる(WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められる)。

ここまでは宜しいでしょうか。--60.37.218.150 2013年11月15日 (金) 11:03 (UTC)一部修正--60.37.218.150 2013年11月15日 (金) 11:04 (UTC)

コメントありがとうございます。私が理解できなかったのは、「独自研究は載せない」を読んで漠然と理解したことと、あなたが言っていることがまるで違っていたからです。私には、あなたは方針を強引に解釈してそれが当たり前であるかのように振舞っているように見えました。
ですが、改めて方針を読みなおした上で、過去ログにもあたってみたところ、あなたと同じような解釈をしている人が複数いたこと、私の疑問に対しても既に何度か議論が行われていたことが分かりました。
なので、「独自研究」に対するIPさんの解釈が一人よがりだという認識は改めます。また、そういった視点からの解釈も可能ということで私も今後あなたの意見を読むことにします。
それで、4つのポイントですが、確認しました。というより、多分ここの部分が僕の中でぐちゃぐちゃだったので、よくわからないことになってしまったんだろうと思います。お騒がせしました。--しおまねき会話2013年11月15日 (金) 13:54 (UTC)

こちらこそ分かりやすく主張を説明できずに誤解を生んで申し訳ありません。 あと、一つ忘れていました。

以上、5項目についてよろしくお願いします。--60.37.218.150 2013年11月16日 (土) 05:47 (UTC)誤字修正--60.37.218.150 2013年11月16日 (土) 05:48 (UTC)

大丈夫です。それは特に特筆性について考えるときによく目にしますから、理解しているつもりです。--しおまねき会話2013年11月16日 (土) 10:26 (UTC)

コメント ip(60.37.218.150)さま、つかぬことをお聞きしますが、もしや先日TPPのページで、TPPにはリスクがあると主張する中野剛志の一般著書からの説明を、中野教授は経済学者であってもTPPとは専攻が微妙に違うからという理由で、出典付き文章を除去しまくっって、周囲の説得をいつまでも頑固に受け付けなかったIPさんと同一の方もしくはお知り合いとかではないでしょうか? もしそうであるなら投稿ブロックの審議が出ていますし、自説に有利になるような解釈を試みるのはやめて下さい。 「そうでない誤解です。」と断言できるのであれば結構です。 ちなみに、

  • ①「信頼できる媒体」で発表されていない「事実、意見、解釈、定義、論証」はWikipediaに持ち込めない(WP:NOR#何が除外されるか)。

につきましてはその通りですが、誰もが疑わないような事実については、「信頼できる媒体」で発表されているはずですが、出典がないからというだけの理由で除去はやめて下さい。

  • ②ある特定の出版社から発刊されていることだけでは「信頼できる媒体」の証拠とならない(WP:RS#信頼性の評価)

その解釈は間違いです。 WPにおいては、図書館が扱うような流通本はすべてが多少なりとも「一応査読され、かつ信頼できる情報源である」出典という扱いになっています。 (WP:RS#信頼性の評価)で詳しく述べられているのは、文字通り「信頼性の評価」つまりそれぞれの出典が持つ権威度のお話しです。 例を出せば日経新聞の文章はすべて何とか週刊誌の情報よりも自動的に権威が高いみたいな議論はしてくれるなということです。 ですからその次の文章で信頼性はスペクトルのようにという説明になっています。 0か1かの感覚で一般書はダメ、だから除去していいということにはなっていません。 

  • 学術分野における「信頼できる媒体」とは専門書や学術誌等を指すのであって一般書籍は該当しない。

間違いです。 学術分野ではありません。 学術分野でも民俗学や経済学のようなあやふやでカオスを扱うものは、ある程度の専門家の書いた一般書が認められている慣例となっています。  自然科学と数学の分野は専門書や学術誌等を使って下さいということになっています。

主流学説が国際的に権威ある学会でコンセンサスを得ているなら、反する主張はより慎重にあるべきですが、政府の見解や官僚の作った出典は、そもそもより劣る信頼性しか持っておらず、政府の発行物というだけでは主流学説であるとは証明できません。 --Gyulfox会話2013年11月16日 (土) 20:51 (UTC)

(コメント)冒頭でJapaneseAさんが説明されている通り、ブロック審議中の案件です(Wikipedia:投稿ブロック依頼/大阪 OCN 広域)。
ですので、もし現時点でブロック実施の遅延を要する質疑を新たに提起されるのでしたら、まず当該のブロック依頼の審議にて意見表明していただくほうが良いと思います。でないと、おそらくブロック実施者の方で、結審どおりブロックをすぐに実施していいのか待ってほしいのか判断しづらいかもしれません。
ブロックの実施自体の反対・留保を主張する意向をお持ちでないのであれば、ブロックの実施に差し支えない範囲の説得程度に留め、継続的な応答を要求する詰問は控えていただいた方が現時点ではベターかと思います。―ディー・エム会話2013年11月16日 (土) 23:55 (UTC)

ちょうど懸念される事態の具体例が出て来たようです。 まず、Wikipediaの解釈の明らかな誤りについて説明します。

  • WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるにおいて主流学説批判は「『信頼できる媒体』で発表されているはず」ではないことは強く疑われる具体的事例として挙げられており「信頼できる情報源」の明示免除の例外は適用できない。
  • Wikipediaの方針には「図書館が扱うような流通本」が全て「一応査読され、かつ信頼できる情報源」に該当するとは書かれていない。
  • WP:RS#信頼性の評価は、複数の媒体の記述の衝突については一言も触れられておらず、かつ、「信頼性に足りる」かどうかの判断基準であることが明記されており、それを複数の媒体の比較基準であるとする解釈は成り立たない。
    • 「信頼性はスペクトルのように」の後は「幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります」と続いており、複数の媒体の記述の衝突について一言も書かれておらず、信頼性について単純な判断が困難であることを説明しているに過ぎない。
  • 記事を残せと主張する側に「信頼できる情報源」に掲載されている証拠を示さなければならないので、主流学説に反することの厳密な証明は求められない(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。
    • 常識的に考えれば言い掛かり的な疑義は認められるべきではないが、一定程度の疑いがあるものについてWikipediaの方針にない例外を持ち出すことはできない。
  • WP:RS#信頼性の評価には「政府の信頼性のレベルには大きな幅があり」とは書かれているが、「政府の見解や官僚の作った出典は、そもそもより劣る信頼性しか持っておらず」とは書いていない。

このように、特定の主張の支持者たちによって、明らかに誤った方針解釈をゴリ押しして、ブロック審議に持ち込むという異常事態にまで発展しております。

以下はここでの議論とは関係がないことですが、参考情報として、個別の記事についても一度だけ反論を掲載しておきます。

  • TPPのページ全体の分野は多岐に渡るが、残せと主張されている記事(および出典とされる一般書籍)の内容は、明らかに、国際経済学,貿易理論等の査読付論文が多数発表される学術分野に関するものであって「あやふやでカオス」ではない(次項も参照)。
  • 以下の一例のような、単なる「政府の発行物」ではない経済学の主流に反する主張が複数為されている[4]

以上のとおり、Wikipediaの方針がなし崩しにされようとしている実態がお分かりでしょうか。--60.37.218.150 2013年11月17日 (日) 07:09 (UTC)文献追加--60.37.218.150 2013年11月17日 (日) 07:17 (UTC)

念のため、「専攻が微妙に違うからという理由で」等、他人の主張内容を捻曲げて藁人形論法で主張を矮小化する手段が常用されていることも補足しておきます。--60.37.218.150 2013年11月17日 (日) 07:14 (UTC)


失礼ながらIPさんの投稿記録を閲覧し、他の利用者の方が言っているTPP関連の議論を一部読んでみました。
その結果、これも他の方が言う通り、この一般化された議論を続けるべきではなく、まずはIPさんにはTPP関連の議論に集中していただきたいと思います。
一部議論を拝見した限りで私の意見を言うと、IPさんの意見は一部納得がいくものがありますし、無闇に荒らし扱いされるべきではないと思いますし、ましてや投稿ブロック依頼はやりすぎだと思います。
問題は双方にあり、特にIPさんと対立している方々は、自分達が多数派なのを利用して少数派であるIPさんを「さっさと議論から排除」したがっているように見えます。ウィキペディアには「いつまでも納得しない」というのがあることは確かですが、これが適用されるのは余程の場合だけで、あくまでも議論をしようとしているIPさんに対して「いつまでも納得しない」を適用しようとするのは失礼すぎます。ここの議論で私に対する応答を読む限り、IPさんは日本語が通じない方ではないです。ただ、問題があるとすれば、議論を有利に進めるために方針を独創的に解釈する傾向があるということでしょう。こういう解釈問題は特に慎重に対応し、納得していただかなければならないと思います。
理想論と笑われてもいいですが、ウィキペディアの理念である「話し合いによる解決」を大前提とすることを関係者の方々には言いたいです。話し合いによる解決が不可能な状態は、相手側が説得に耳を貸さず個人攻撃、人格攻撃を続けるという最悪の事態に限るべきではないですか。--しおまねき会話2013年11月17日 (日) 10:25 (UTC)
(追記)上記の文章だけ読むと、IPさん側に立ちすぎているように見えるので、IPさんに対してもコメントを少ししておきます。
IPさんは、多数派の方々が、なぜ多数派なのかを理解しようという気持ちをもっていただきたいです。たとえ話をするとすぐに藁人形論法という言葉を使われていますが、なぜ多数派なの方々がそういうことを言うのか、なぜたとえ話を使うのか相手の気持ちになって考えてみてください。
自分なりの方針の解釈の仕方が絶対なのではなく、多くの方々が納得している「一般的な解釈」が存在することを理解してください。なぜあなたの解釈が受け入れられていないのかを理解した上でなければ、「私は正しい」という意見を100、1000繰り返しても多数派の方々は納得しないでしょう。「あなた方がそう考えるのは分かります。しかし、私はこう考えます。」という風に、相手に歩み寄る態度がなければ、誰も納得してくれないと思います。現状のIPさんは、自分が正しい理由をひたすら書いているだけで、自分の立ち位置を客観的に見ることが出来てないように思えます。このままだと、やがて自分の周りの世界は全部間違っているという陰謀論に陥ってしまうのでは?そういう風に部外者の私は思います。--しおまねき会話2013年11月17日 (日) 10:46 (UTC)

「方針を独創的に解釈する傾向」とは、しおまねきさんは、2013年11月16日 (土) 10:26 (UTC)の5点について「理解しているつもり」と仰られたことを撤回されるということでしょうか。 撤回されるなら、その5点についてどこが独創的解釈なのか説明していただきたいと思います。 そして、それに取って代わる「多くの方々が納得している『一般的な解釈』」とは何か説明してください。

2013年11月16日 (土) 20:51 (UTC)の投稿の、それもWP:RS#信頼性の評価に関する解釈一つ見ても、彼らは自分勝手な解釈で主張しているだけでWikipediaの方針に沿った議論などする気がないことが明らかでしょう。

  • 明記されていることは、無理矢理な解釈を持ち出して、適用を免れようとする。
  • 明記されていないことは、Wikipediaの方針の趣旨に反してでも、独自の方針を勝手に作る。

WP:RSは、その冒頭に書いてあるようにWP:NORWP:Vが上位方針であり、 WP:NPOVとは別の問題です。 だから、WP:NPOVの説明だという特別な断りがなければ、そこに書いてあることがWP:NORWP:Vに関することであることは言うまでもありません。 さらに、「信頼性に足りると前提づけることができません」と明記されているのだから、これがWP:NORの話であることは疑う余地が全くありません。 それなのに「WP:NPOVに関することであってWP:NORのことではない」という解釈はどう考えてもあり得ません。 それとも、私の主張の方が独創的解釈ですか?

一般書籍には査読制度などありませんし、図書館にも査読制度はありません。 国立国会図書館に至っては「日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する」のだから、収集・保存時に査読しないことが明らかです。 WP:NORの趣旨を考えれば、していない査読をしたことにするなんてあり得ません。 よって、図書館にある本を全て査読済と見なすなんて、当然、Wikipediaの方針には書かれていませんし、明らかにWP:NORに反します。 それとも、私の主張の方が独創的解釈ですか?

それ以前に、経済学だとご自分で仰っておきながら、学術分野ではないんだそうですよ。 ここまで来ると、もう無茶苦茶です。 何でもアリです。 明記された方針はないがしろにし、方針の趣旨に反した独自の方針を作るんですよ。 それがWikipediaの方針に合わないと指摘されたら、Wikipediaの方針に沿った議論を拒否して、ブロック審議です。 ご自分の編集方針をゴリ押しするためなら、何をやっても平気なのです。 これが極めて深刻な事態であることはご理解いただけるでしょうか。

たとえば、「専攻が微妙に違うからという理由で、出典付き文章を除去しまくっって」は完全な捏造であり、その点についても譲歩する余地がありません。 私が除去した文章は「出典付き文章」ではありませんし、Wikipediaの求める出典がないことが除去理由だと明確に説明しており「専攻が微妙に違うから」という理由で削除したことも、そう説明したことも一度たりともありません。 そのページのノートで既に論点整理していますが、それを踏まえない捏造で批判されているのだから藁人形論法と主張するのは何らおかしなことではありません。 こんな状態では、個別のページでの議論など成り立つ訳がありません。

Wikipediaにおいて最も尊重されるべきことはWikipediaの基本方針です。 WP:DEMOCRACY,WP:CON#合意は多数決ではありませんの通り、Wikipediaの基本方針に反する「多数」意見を真に受けてはいけないのです。 とくに、参加者も少なく、かつ、動員や自作自演も防げない場での「多数」については注意が必要です。 考慮すべきことはその場での意見の数ではなく、その意見の筋が通っているかです。 そして、Wikipediaにおいて筋が通っているかどうかは、それが、Wikipediaの方針にどれだけ適合しているかで決まります。 Wikipediaの方針に基づかずに、次のような主張を繰り返している限り、そこには耳を傾ける余地などありません。

  • 明記されていることは、無理矢理な解釈を持ち出して、適用を免れようとする。
  • 明記されていないことは、Wikipediaの方針の趣旨に反してでも、独自の方針を勝手に作る。

当然、Wikipediaの方針に基づいて議論されるなら、それに応じる用意はあります。 こんなことは言うまでもなく、私の解釈が絶対に正しいなどと言うつもりは毛頭ございません。 しかし、多数だけを口実にしてWikipediaの方針に反した自分勝手な主張をなさる方の言い分には決して耳を傾けてはいけないと思っています。--60.37.218.150 2013年11月17日 (日) 12:01 (UTC)

私から見れば、60.37.218.150さんのおっしゃっていることは大筋において正しいです。ただ、出典に要求される信頼性の水準は、人によって大きく認識が異なります。そして残念なことに、これまで日本語版ウィキペディアでは出典の信頼性について非常に緩やかに判断する運用がなされてきました。学術分野での大衆向け一般書の使用はもちろんのこと、大衆文化系の記事ではゴシップサイトや大衆週刊誌の類まで出てきて、私などから見れば信じられない惨状です。大体、基本のルールであるWikipedia:検証可能性でさえ、ちょっと前までは「出典のない記述は除去されても文句は言えないというルールは認めるが、本当に除去する奴は削除厨の荒らしだ」のような議論がまかり通っていました。:60.37.218.150さんは「恣意的な解釈を防げるように、記載事項を修正することを提案します」とおっしゃっていますが、はっきり言って無駄な努力です。「文句は言えません」とはっきり書いてあるのに平気で文句を言う人たちです。記載事項をどのように変えても、効果はないと私は思います。ウィキペディアはコミュニティによる共同プロジェクトですから、いくら自分が正しいと信じていても、他のみんながついてきてくれなければどうしようもありません。時には諦めも必要です。(これは正しいか正しくないかの問題ではありません。「合意」によって運営されている共同プロジェクトでは、たとえ正しいことを言っていても、他のみんなを納得させることができなければ、どうしようもありません。)
ここでの意見の相違は、それほど複雑なものではありません。むしろ、至極単純なものだと思います。
  • 60.37.218.150さんは、問題になっている記述の分野について「学術レベルの情報源」が存在すると考えておられるので、出典には当然「学術レベルの情報源」を用いるべきだと主張しておられる。
  • 他の方々は、問題になっている記述の分野について「学術レベルの情報源」の存在を認識しておられないので、(本来期待されるレベルの出典が存在しない分野における措置として)「一般書籍」でも出典として使えると考えておられる。
60.37.218.150さんとしては「出典を提示する責任は…」ということで異論があるのは分かりますが、現実的には、60.37.218.150さんの方で「学術レベルの情報源」の存在を提示してやらない限り、コミュニティの合意を成立させるのは無理でしょう。(逆に、本当に「信頼できる情報源」を提示した上でダメな情報を除去するのなら、ほとんど抵抗を受けずに情報の除去ができるのではないかと思います。)--Dwy会話2013年11月17日 (日) 12:29 (UTC)
コメントTPP関連の議論をここに持ち込みたくなかったので黙っていましたが、二つだけ。ノート:環太平洋戦略的経済連携協定での私の「『EPA/FTP分野の研究等の実績』云々の狭義の専門性の追求がwikipediaで妥当かどうか」に尽きると思います。因みに米倉弘昌北海道新聞日本共産党江田憲司などにもこの追求が必要かもしれません。[5]」という発言に対して、IP氏は「利害関係者代表、国会に議席ある政党、国の代表として経済交渉の経験のある者(元内閣総理大臣秘書官等)などを専門家として認めるかどうかと、中野剛志氏の問題は別問題[6]」と答えています。つまり米倉弘昌北海道新聞日本共産党江田憲司などの見解は、その身分・立場だけで保証され専門性は問わないということであるのなら、学術分野云々の前提は成り立たない気がしますがそこはどうなんでしょうか。もう一つ、これはWikipedia:投稿ブロック依頼提出後に発覚したことですが、中野剛志でIP氏は「作為的なトンデモ論構築の反面教材としては悪くないとしている[7]」と加筆しましたが、これは私自身『本当の経済の話をしよう』を取り寄せて確認しましたが、「作為的なトンデモ論構築」などという表現は存在せずIP氏の言葉でした。ページ数を出さなかったことについても「その点は、中野剛志氏のTPP本のような「特別な証拠」なき「特別な主張」とは違い、それと比較すれば瑣細な問題である。[8]」と発言しており、今現在ページ数はもちろん内容についても一切弁解されておりません。「作為的なトンデモ論構築」編集については荒らし(Wikipedia:荒らし#分かりにくい荒らし)と受け止められても仕方ない行為だと思います。--チンドレ・マンドレ会話2013年11月17日 (日) 16:28 (UTC)

方針のなしくずしはIPさんによってされていますよ。 以下の文章は明らかに信頼性のあるなし論ではありません。権威度に関する比較論です。

信頼性はスペクトルのように幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります。 ①一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、 ②権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。 ③政府の公表物は信頼できることも多くあります。しかし、政府の信頼性のレベルには大きな幅があり、しばしば、あからさまに情報の隠蔽を許容したり、全くのごまかしを発表したりする様な事を行って、自らの権益を保持することがあります。 ④は専門の権威に結びついた情報源など

③は①よりも信頼度が劣ります。ですが使用することも可能という論です。 ④だって信頼できる情報源として使用できます。

WPの認めているのは、出来る限り信頼のある情報源から幅広く、言及されていないものを収拾すること。 ①があれば②以下はいかなる別の情報も一切ダメという運用はやっていません。 ①レベルでabc②レベルでxyzがあれば、abcxyzであって①を理由として別の視点の情報であるxyzの情報を取り除いてはいけません。

それから中野剛志の言ってることは重商主義「つまりキャッシュや金銀に重きをおいて、2国間貿易でキャッシュが黒字は幸福、赤字は不幸という考え方」ではありません。 だからIP氏のいう事は違います。 中野剛志は社会科学における「社会システム」の博士です。 具体例的には、「農村の経済流通の仕組み」、「エネルギーの供給と消費の仕組みなど」の分野の専門家で、大学では貿易に関しても教鞭をとる学者です。 経済学において各国の事情で導入されている関税は「即悪」という理論もない。 中野剛志が述べているのは、関税の撤廃によって「農村の経済流通の仕組み」が壊れるというリスクを説明しています。(A:中野剛志はこれを大きいと評価)  それに対して日本の農業はGDP比で小さいから全然平気(B:リスクは小さいよ)という意見が出た。  Aは生産側のリスクでありBはGDPのリスクで土俵が違うもの。 

国民は自分の損得で考えるから、TPPの推進と反対で衝突するけれども、良く観察すれば論理の衝突はおきていない。 リスク説明に関してはトンデモ理論はどこにもなくて、中野剛志は「日本はガタガタになる」とか「日米が関税を撤廃しても日本の益は殆どない」とかいう表現が単に極端なだけで(そういうとこまで全部書いてしまうか、寸止め程度にするかは編集者のセンスが問われるところと思いますが)、現にリスクがある以上「特別な主張」とは言いません。--Gyulfox会話) 2013年11月17日 (日) 20:30 (UTC)--Gyulfox会話2013年11月18日 (月) 11:36 (UTC)

段落分け

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  • 項目が大きくなってきましたので段落分け。引き続きお願いします。--大和屋敷会話2013年11月18日 (月) 00:16 (UTC)
  • 中野剛志は博士号取得者で大学に職席をもっていた専門の研究者ですので、その外形性だけで十分でしょう。あとは「外部の議論の推移」を待てば宜しいです。外部で結論の出ていない学術上の話題にまで踏み込んで言及するのは速報性の問題と関わっており、百科事典の編集方針としては中立性に問題が生じます。高度に中立性が求められる論題については「偏りなく」「幅広く」「全体のバランスを配慮して」記事化してください。百科事典ですのでリアルタイムの話題にもなるべく言及すべきでしょうが、編集者間で深刻な対立がある場合には過渡的に最小限度の言及で納めるのも手だと思います。--大和屋敷会話2013年11月18日 (月) 00:23 (UTC)

IPさんの最後の発言に対して返信です。

私が言いたいことは、IPさんは間違っているとは思わないが、同時にIPさんと対立している人達も間違っているとは思わないということです。IPさんはずっと、対立相手は方針の解釈を誤っており、にも関わらず多数派として自分を否定しようとしているということを述べていますが、TPPの議論を読む限り、結局の所方針をどう解釈するかの「違い」があるだけで、そこに優劣をつけることは出来ないと思うのです。

IPさんが争っていることというのは本質的にはTPPも中野剛志も関係なく、単純に方針の解釈ですよね。議論にもたくさんの方が参加しておられるようですし、別にウィキペディアのコミュニティ全体を反映していないとは思いません。おそらくもっと人が増えても、あなたは少数派のままだと思います。なぜあなたが少数派だと思うのかということについては、漠然とした意見しか述べることが出来ません。強いて言えば、方針を「日本語として素直に読んだ結果」として出てくる解釈と違うから、という感じです。

たとえば、自己公表された情報源というものの解釈についてのIPさんの解釈は、素直に読んだ結果とは違うと思います。「誰も立ち会ってない」のが自己公表であり、その例として個人サイトと自費出版が挙げられていたら、そこに「公刊された書籍」が含まれているとは思えないんです。少なくとも、普通の方はそう解釈します。そして、実際にそうなっていると思います。独自研究についてもそうです。過去にIPさんの解釈を支持する方もいたことはいたのですが、方針名を決める議論の時、最終的には「既に公表された情報は含まない」ニュアンスの名称が採用されました。なので、独自研究は載せないの方針は、素直に読めば、タイトル含めて「既存のトンデモ」は含まないように解釈できるんです。私は、あなたの独自研究に関する解釈を否定しないと言いましたが、「多数派である、一般的な解釈である」とは認めていません。あなたがその解釈を多数派だと誤解している限り、どこにいってもうまくいかないでしょう。

思うに、説得の仕方を変えるべきだと思うんです。まずは、多数派の人の意見も「解釈の一つ」として認めることから始めないと、いつまで経っても前に進めません。 現在投稿ブロック依頼が出されていますが、それはIPさんのやり方が多数派の暴力を誘発した結果だと思います。つまり、IPさんにも責任はあるんです。IPさんのやり方は、スマートとは言えません。あなただって、自分の主張を認めさせるためにウィキペディアを破壊しようとは思っていないはずです。であれば、このような頑なに自分の解釈が正しいと言うやり方ではなく、もっと穏やかに、妥協点を見いだすという風にやったほうが良いのではありませんか?もちろん、どちらも間違っていないというのは現在の私の認識ですから、誤っている可能性はありますが、どちらにせよ、今のやり方はスマートではないということは確かだと思います。--しおまねき会話2013年11月18日 (月) 10:49 (UTC)

一部コメントを取り消し。言い過ぎました。--しおまねき会話2013年11月18日 (月) 11:23 (UTC)

Dwyさんのご意見は大いに参考にさせていただきたいと思います。 ただ、「本来期待されるレベルの出典が存在しない分野における措置」とする者に対して「信頼できる情報源」を提示するというやり方の有効性には疑問を感じます。 何故なら、投資家対国家の紛争解決において「信頼できる情報源」が多数提示されているものでさえ、一般書籍を元にした記事を消すのはケシカランと言われるのですから。

大和屋敷さんのご指摘はここでの議論とは無関係ですし、別の場所での議論とも一致していないようですので、誠に勝手ながら、返信は差し控えさせていただきます。

チンドレ・マンドレさんは主張される場所を間違えられているようです。

Gyulfoxさんの主張については、Wikipediaの方針中にない独自の主張であることは既に説明した通りです。 例えば、方針では③には「大きな幅」があると書かれているのだから、当然、①より優れる場合も劣る場合もあるのであり、「③は①よりも信頼度が劣ります」は方針にない独自解釈です。 また、①②③に続けて④が書かれているような説明の仕方ですが、実際のWP:RS#信頼性の評価には①②③は書かれていても④は書かれていません。 実際の文言は「信頼できる情報源と結びついている場合」であり、これは「信頼できる情報源」を明示している情報源を指します。 また、この4つの比較をしても、この4つのいずれにも当てはまらない情報源が「信頼できる情報源」と認められるわけではありません。 そこに書かれていることは、①②は「信頼できる情報源」として認められ、③も時には認められ、「信頼できる情報源と結びついている場合」は「確実ではない」が「信頼できる情報源」になる得るということです。 その何れにも該当しないものが「信頼できる情報源」とはなりません。 以上のとおり、これは何が「信頼できる情報源」となるかを示したものですから、WP:NORに関する記述であることは疑う余地が全くありません。 ここでの議論とは関係ないので直接の反論は避けますが「トンデモ理論はどこにもなく」は既に挙げた早稲田大学経済学部教授の説明[9]等を無視して編集者の独自の意見を並べても無意味でしょう。

しおまねきさんは、偏見を返上されるのではなかったのでしょうか。 それなのに、どうして、また、偏見が再発しているのでしょうか。 これは、もしかして、今後も同じことを繰り返すから説得は諦めろというフリなのでしょうか。

私は 2013年11月15日 (金) 11:03 (UTC)で「提案の内容を誤解されたままでは話が噛み合う余地が全くない」ことを理由に「一度話をリセットし」と言いました。 しおまねきさんは、それについても納得されたのではないのですか。 それなのに、それ以後、まだ何も説明していない「自己公表された情報源」等の話を持ち出して「議論を有利に進めるために方針を独創的に解釈する傾向がある」とは何を仰ってるのか全く理解できません。 今現在進行中の一連の議論における5項目についての話ならば分かります。 しかし、その中にないことを持ち出して「独創的に解釈する傾向」などと仰るのは偏見そのものではないですか。 相手の主張内容も確認しないうちに独創的解釈と一方的に決めつけることがしおまねきさんのやり方でしょうか。 それは偏見そのものではないのですか。 今回のしおまねきさんの主張に対しては「誰」が指す意味などに言及することで容易に反論できますが、順序立てて説明しなければ偏見を増長させるだけなので、今は遠慮しておきます(実際のそのページのノートでは言及していますが、既に理由を述べた通り、ここでは触れません)。

今現在進行中の一連の議論における5項目について言えば、これ[10]のような、どう見ても明らかな屁理屈を見ても「間違っているとは思わない」のは偏見があるからではないですか。 方針の体系的にも、通常の日本語の意味においても、方針の整合性においても、あらゆる点でその解釈が成り立たないことは既に説明しました。 屁理屈の内容とそれへの反論を全く読みもしないまま、「解釈の一つ」と認めろとは一体何を仰っているのですか。 その一連の議論の中で「独創的に解釈する傾向」が認められたのならば、そう仰ることも理解しますが、その一連の議論を見向きもしないのでは偏見以外の何物でもないでしょう。

屁理屈相手に大幅な譲歩をし、「議論を有利に進めるために方針を独創的に解釈する傾向がある」とまで言っておいて、「IPさん側に立ちすぎている」も何を仰っているのか意味不明です。 「自分の周りの世界は全部間違っているという陰謀論」云々は巫山戯ているとしか思えません。 屁理屈をゴリ押しする連中の気持ちを考えろと仰りながら方針に基づいて真面目に議論する人間の気持ちを平然と踏みにじって何も思われないのでしょうか。 「本質的にはTPPも中野剛志も関係なく、単純に方針の解釈」だと理解されながら、「TPP関連の議論に集中」と仰ることも全く意味不明です。--60.37.218.150 2013年11月18日 (月) 12:07 (UTC)

あと、ついでに。 チンドレ・マンドレさんはWP:NPSも読んだ方が良いと思います。--60.37.218.150 2013年11月18日 (月) 12:12 (UTC)

つまり、「作為的なトンデモ論構築[11]」はWP:NPSの「自分で新たに書き起こした、自らが著作権を保有する文章表現」だということですか。--チンドレ・マンドレ会話2013年11月18日 (月) 13:07 (UTC)
IPさん、あしざまにいうのは簡単ですが、それで自分が間違っていることを否定したことにはなりません。何度でも言いますよ。
信頼性はスペクトルのように幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります。
  • ①一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、(査読された論文など)
  • ②権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。(学者や専門家のテクスト、一般書など)
  • ③政府の公表物は信頼できることも多くあります。しかし、政府の信頼性のレベルには大きな幅があり、しばしば、あからさまに情報の隠蔽を許容したり、全くのごまかしを発表したりする様な事を行って、自らの権益を保持することがあります。政府の見解・発表であり、現実には殆どの場合官僚の作った文章。(またそうは書いていないにせよウィキペディアンの一般的解釈には、それを伝える信頼できる新聞・TVのアーカイブはこれに含まれている扱いになっています。)
  • ④この下には、確実ではないのですが、場合によっては信頼できる情報の提供元となります。たとえば、ウェブサイトやブログで、とくに信頼できる情報源と結びついている場合です。あるいは、大学の学科のブログは単なる個人用ブログではなく、学科の総体としての情報源とみなすべきです。(大学のブログ・ウェブサイトの情報)
これは明らかに①以外は信頼できない情報源ではないから使用不可という意味ではなくて、①>②>③>④という信頼度の説明です。③(ゴマカシ・隠蔽の可能性あり)と④(場合によって可能)は要注意であり、信頼性において①よりも劣る情報源という扱いです。④は使用されない場合もあります。 我々はIP氏が何と言おうがこの優先順位に注意して作業をします。 また、「いくつかを挙げますがそれがすべてではありません」と断り書きがしてある以上①~④以外は信用できる情報ではないから使用してはならないとはならず、事実そのような文言どこにも書いていません。 極端な話、WPは芸人のエピソードなども収録することを収録しています。 派生作品なども収録を認めています。 また経済学の理論などは、自然科学や数学とは違って、いくらでも矛盾した理論の対立がありますし、中野剛志に対する反論は、結局のところ攻撃ではあっても、双方の視点が異なっていて、論理がすれ違っている以上は相手の間違いを証明したことにもなっていません。(そもそも出してきた具体的数値がGDPだけではお話しになりません。) また誰もが疑わないような「常識」については出典がないというだけの理由で取り去らないでと明文化されている以上は、あなたが主張するような潔癖主義が通らないことを証明しています。--Gyulfox会話2013年11月19日 (火) 01:04 (UTC)
信頼できる百科事典を作ろうとしているのに、わざわざ信頼性が劣ると分かっている情報を使おうというのは、ちょっと信じられない・・・という感覚はありえませんか。「使用不可という意味ではなくて」はGyulfoxさんがおっしゃるほど「明らか」ではないでしょう。このあたりは、違う意見がありうることをお互いに認め合うべきだと思います。--Dwy会話2013年11月23日 (土) 20:09 (UTC)
  • うーん。どうもIPアドレス氏は「この学説が正しいので別の学説は間違っている」という議論をWikipedia上でなさりたいように拝見しますね。外部で信頼されている論者の意見であれば、たとえその主張が相互に矛盾していてもWikipedia上では採録可能性を満たしていますよ。中立性について軽く見られていらっしゃる気がします。中野剛志は博士号取得者で大学に職席をもっていた専門の研究者ですので、その引用を批判なさりたいのなら「ノートでご自身の意見をもって中野を批判してから削除する」のではなく、外部の信頼できる論者による批判を「加筆」すべきです。読者は博士号取得者である中野剛志よりも、どこのどちらさまとも分からないIPアドレス氏のご見識を信頼しなければならない理由は何もないのです。--大和屋敷会話2013年11月19日 (火) 02:34 (UTC)

大和屋敷さん、いつ、私が「『この学説が正しいので別の学説は間違っている』という議論」をしたでしょうか。 何度も言っていることですが、人の主張を捏造して批判するのはご遠慮ください。

チンドレ・マンドレさんのご質問はここでの議論とも全く関係ないですし、Wikipediaの方針に従うことを咎められているようなので、答える必要性が全く見当たりません。

Gyulfoxさんは、ご自分のご希望に合わせて解釈を構築するのではなく、まず、Wikipediaの方針とその趣旨を理解なさってから発言してください。

  • A「明らかに①以外は信頼できない情報源ではないから使用不可という意味ではなく」は、①②③④以外を使用して良い根拠にならず、一般書籍が自動的に「信頼できない情報源」になる根拠にもならない。
    • これらは「出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません」によって一般書籍等が自動的に「信頼できる情報源」にはできないと明言されていることを否定できない。
    • 「使用してはならない」と明記されていないことは使用して良い根拠とはならない(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。
  • B「「①>②」については明記されているが、②と③や④との比較はされておらず、むしろ、「信頼性のレベルには大きな幅があり」とされているのだから、「①>②>③>④という信頼度の説明」とする解釈は明らかな誤り。
    • ついでに言うなら、「政府の信頼性のレベルには大きな幅」は、「ゴマカシ・隠蔽の可能性」について編集者の独自判断を持ち込んで良いという意味でもない。
  • C「芸人のエピソード」は学術分野における「信頼できる情報源」の基準とは関係がない。
  • D「信頼できる情報源」における「矛盾した理論の対立」と「信頼できる情報源」の基準は全く別の問題である。
    • ついでに言えば、「自然科学や数学」に「矛盾した理論の対立」がないとする根拠もない。
  • E「信頼できる情報源」にない記事を削除するにあたって「間違いを証明」は必要とされていない(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。
  • F「誰もが疑わないような『常識』」であることは記事を残せと主張する側が証明しなければならない(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。

こんな明らかな屁理屈まで捏ねてWikipediaの方針を捩じ曲げようとされ、それを誰1人咎めないのは異常事態です。 WP:V,WP:NPOVにおいて「議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」と書かれているように,三大方針はWikipediaにおいて絶対不可侵とされているものです。 Wikipediaの三大方針が何のためにあるのか、それくらいは勉強してから物を言ってもらいたいと思います。

これでは、Dwyさんが「私などから見れば信じられない惨状」と嘆かれるのも当然でしょう。--60.37.218.150 2013年11月22日 (金) 10:48 (UTC)

  • IPアドレスさまは、当ガイドラインが不備であり信頼度にはランクがある、という主旨のご発言をなさりたいものだと理解していましたが違うのでしょうか?ですから「偏りなく」「幅広く」「全体のバランスを配慮して」引用して下さいとのみもうしあげております。IPアドレスさまの議論は個々の情報源が信頼できるか信頼できないかという個別議論を前提にしておられますので、個々の情報源の信頼度の高低についてはこのノートで議論するのではなく元記事のノートで議論なさって下さい。一般的にはその分野における博士号を取得した研究者による発言は信頼できるものとみなされます。ちがいますか?信頼できる情報源から幅広く調査し採録する。これはWikipedia:信頼できる情報源で提示されているコンセンサスです。あとは個別記事のノートで議論なさってください。ガイドライン変更の提案には及ばないでしょう。さて、あたかも大和屋敷がIPアドレスさまの発言を「何度も」「捏造して」批判しているかのように表現されておりますが、大和屋敷がそのような批判をかつてどこで受けたでしょうか?人の行為を捏造して批判するのはご遠慮ください。宜しいですか?--大和屋敷会話2013年11月22日 (金) 11:08 (UTC)

IPさんいいかげんにしてください。WPのサーバの記憶領域だって無料ではありません。あなたの主張を引用するのも勿体無いので、ABCを付けさせてもらいました。何でも逆を言えば反論できたと思わないでください。解釈の捻じ曲げはあなたがやっていることです。 都合の悪い部分をすっとばさないで下さい。

  • Aについて回答。もはやIP氏は自分が何を言ってるのか混乱されているようです。 一般書籍については自動的に全部ではなくて、学者や専門家の書いた一般書籍が可であることを私は述べています。何度も言わせないで下さい。 ②権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。(学者や専門家のテクスト、一般書など)権威づけられた専門家による公表物=自動的に彼らの書いた一般書を含みます。 また④に相当する権威と結びついたブログなども場合によって利用可です。 よってIP氏の反論は消えました。 
  • Bについて回答。 信頼性の評価にこう書いてあります。 最も信頼できるものが①、それに続くものが②、信頼できること「も」あるが「ゴマカシ、隠蔽」ありなのが③、その下にあるのが④と書かれてありますので、信頼度を比較している文章で間違いなし。 ③について扱う編集者が情報を取捨選択することは当然であり、情報の付加がないかぎり独自研究にあたりません。 よってIP氏の反論は消えました。
  • C は私は学術分野についてだけに述べたものではありません。そもそも「信頼性の評価」は学術分野だけのことではありません。 意見すれ違いによりナンセンスな議論はいたしません。 ただし付け加えればあらゆる流通本には何がしかの信頼性はあるはずです。 例えば『銀河鉄道999』のコミック本は少なくとも1次情報源としてその作品自身に言及出来る程度の信頼性程度は持ち合わせていると思われます。 ある話題Aに対して出典aが十分に権威があるならば使用でき、不足であれば使用できないという考え方だって、運用上はあながち間違いとは言い切れないとは思います。とはいえ不足か十分かはグレーゾーンがあるので、時には間違っったり、衝突することもある。そういう時はコミュニティーの出番だ。複数の意見を良く聞いて、場合によっては除去に応じたりするべきだ。 
  • Dについて解答。「矛盾した理論の対立」と「信頼できる情報源」の基準は確かに全く別の問題ですが、それならばなおさら「中立性」の「敵の為に書く」を遵守してくださいよ。三大方針はWikipediaにおいて絶対不可侵などと大きく出たくらいですから、よもや読んでないとは言わせません。知っていてグズグズ議論を引き伸ばすのは、ルールの悪用ですからいいかげん三大方針に調和しないような主張はその辺でやめにしてもらいたいものです。
  • Eについて解答。あなたが除去したものは、学者の書いた一般書であって、信頼できない情報源からの情報ではありませんでした。ただそれだけのことです。 
  • Fについて解答。Wikipedia:信頼できる情報源#事実を読めば誰も本気で疑わないような情報は事実として、出典がないう理由だけでむやみに取り去らないでと明記されています。よってIP氏の言うような根拠は消えました。--Gyulfox会話2013年11月22日 (金) 19:32 (UTC)
コメント 合理性のない反論のための反論に対して論理的な不備を逐一指摘することは無意味で、その応酬はきりがありません。
そもそも最初にIP氏が冒頭で挙げている10項目の極端な主張は、実際にはIP氏の関わる範囲ではおそらくどこにも見当たらないし、すべて現在の方針で対処可能な事柄です。それらのごく基本的な誤認を正してもらえさえすれば本来は簡単に解決可能な問題ですから、それを理解してもらうために必要な助言を提供する労力は惜しむべきでないと思います。
しかしそれらの助言を理解されるかどうかは最終的にはご本人の意識もしくは能力の問題ですから、ご自身で克服していただくしかありません。他の誰かが手助けできることにはどうしても限界があります。―ディー・エム会話2013年11月23日 (土) 01:05 (UTC)
  • 仮に「事実に基づかない意見」や「学術的に少数意見であったとしても」信頼できる論者の文献からは引用可能というのが原則です(中立性の課題は残ります)。その内容が信用するに足りないと考える場合は別の信頼できる情報源を加筆するか、あるいは論者そのものの専門性を否定する検証可能な資料を提示すべきでしょう。最後にカルトや陰謀論などから弁じられた意見については明らかに記事項目に相応しくないものであり明確に区別されるべきです(独自研究は載せない)。但しその意見がカルトや陰謀論であるかどうかを判断するのは「どこの誰とも知れない」名無しのWikipedia編集者ではなくやはり外部の信頼できる反論によるべきです。その分野の専門の博士号取得者が一貫して論じている内容であれば、その引用元が査読済みの論文であれ自主公表された書籍であれHPであれ公表媒体の違いはさほど重要ではありません(むろん差は存在します)。いずれにせよこれは当ガイドラインのコンセンサスに不備があるのではなく、あくまで該当記事で議論すべきでしょう。--大和屋敷会話2013年11月23日 (土) 08:19 (UTC)

ここは特定の方針のノートで当該の方針に係る議論をするための場所です。そうした目的に沿った誠実な議論をする気が無い利用者のために場所と時間と労力を割くのではなく、Wikipedia:保護なりWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックを利用するべきです。--ikedat76会話2013年11月23日 (土) 08:28 (UTC)

  • 確かに「私などから見れば信じられない惨状」なのですが、何の問題もないと思っておられる方々もいらっしゃるわけで、他者の意見を(たとえ絶対に同意できないものであっても)尊重するのはウィキペディアの基本です。
  • こちらで60.37.218.150さんが最初に問題提起された一般的な議論はともかくとして、中野剛志さんの著作をどう扱うかという具体的な問題については、私も60.37.218.150さんに必ずしも同意できない部分があります。TPPに付いての議論は学術的な論争というより、政治上の議論でしょうから、必ずしもアカデミックな出典を必要としないかもしれません。中野氏の著作の取り扱いについては、60.37.218.150さんが論じておられるような出典の信頼性を議論するより、むしろ、他の学者や政治家を差し置いて反対派を中野さんが一人で代表しているような今の書き方がWP:NPOV#DUE的にどうなのかとか、「中野剛志が○○と言っている」について中野さん自身の著作(ゼロ次ないしは一次資料)ではなく二次資料が要るのではないかというような議論をする方がわかりやすいように思います。(でも、そういう問題はこのページのスコープではありませんね)--Dwy会話2013年11月23日 (土) 20:09 (UTC)

Dwyさんへ。 「TPPに付いての議論」についてはここでの議論とは関係がありませんが、一点だけ誤解があるようなので、そこだけは訂正させていただきます。 あるページ全体が「学術的な論争」「政治上の議論」のいずれであるのかと、追記された記事が「学術的な論争」「政治上の議論」のいずれであるのかは全く別の問題です。 Dwyさんが仰ることはページ全体の問題であり、「TPPに付いての議論」で論じられていることは追記された記事に関する議論です。 議論に参加されるなら、その点を踏まえておいてくださるようお願いします。

「信頼できる百科事典を作ろうとしているのに、わざわざ信頼性が劣ると分かっている情報を使おうというのは、ちょっと信じられない・・・という感覚はありえませんか」については全く仰る通りであり、それを理解しない人にはWikipediaの三大方針の趣旨は理解できません。

大和屋敷 さんへ。 私は「当ガイドラインが不備であり信頼度にはランクがある」なることを一切主張していません。 「個々の情報源が信頼できるか信頼できないかという個別議論」もしておりません。 私の主張[12]ではない他人(Gyulfoxさん)の主張を元に私の主張内容を推測するという手法は止めてください。

Gyulfoxさんへ。 AEについて、②は「権威づけられた専門家による公表物」として権威づけられているかどうかを明確に問うており、権威づけられていない「学者や専門家」の公表物まで信頼できると見なして良いとする記載は一切ありません。 よって、②は「学者や専門家の書いた一般書籍」を一律的に使用して良いという意味ではありません。 この点、Gyulfoxさんも「①~④以外は信用できる情報ではないから使用してはならないとはどこにも書いていません」と書かれていることから、「学者や専門家の書いた一般書籍」も「①~④以外」である前提で主張されていたはずです。

Dについては、Wikipediaの三大方針は全て守らなければならないものであって、いずれかを守るために他に違反して良いわけではありません。 よって、WP:NPOVを口実としてWP:NORをないがしろにして良いとする主張はWikipediaでは採用できません。

BCFについては、Wikipediaの方針にないGyulfoxさんの主観的認識でしかありません。 とくにBについてはWikipediaの方針上の文言について説明済みですから、Gyulfoxさんの主観的認識をいくら並べられても意味がありません。

WP:RS#信頼性の評価には「オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。」と明記され、これを否定する方針や一般書籍を一律「信頼できる媒体」「信頼できる情報源」と見なす方針がないことは確認されました。 また、Wikipediaの方針上は「使用してはならない」根拠を示すことは求められておらず、逆に、使用して良い根拠を示さなければならないことになっています(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。

これらに異議を唱えるなら、Wikipediaの方針から具体的根拠を挙げてください。 Wikipediaの方針にないご自身の主観的認識を延々と主張されるのは、他の利用者の迷惑となりますのでご遠慮ください。 私も、他の利用者の迷惑にならないよう、以後、Wikipediaの方針にないご自身の主観的認識に対する反応は返さないこととします。--60.37.218.150 2013年11月24日 (日) 06:12 (UTC)一部追記--60.37.218.150 2013年11月24日 (日) 06:16 (UTC)さらに一部追記--60.37.218.150 2013年11月24日 (日) 06:25 (UTC)

もう反応をしないということなら、それで良いし迷惑ですからこれ以上は反応をしてもらいたくもありません。 権威付けられた専門家とは、その分野の専門家であると認められているような肩書きを得た、いわゆるその道の専門家のこと。自称だけの専門家はこれに含まれないし、宇宙理論分野に生物学の先生の肩書きが通用しないというのもあります。 しかし、その道の専門家の発信したものは信頼できる情報源となります。 彼らの書いた一般書は使用可能ということが十分にひとつのPOVになります。 IPさんはこの点について四の五の言ってる時点でおかしい。 また私は確かに①~④以外のものもあると言いましたが、だから学者の書いた一般書が①~④以外と言いましたか?勝手に捏造しないで下さい。それは②番に相当するものです。 また私はいつWP:NORつまり独自見解をして良いといいましたか?これも捏造ですね。あなたはWP:NPOVつまり敵の為に書くを遵守すればいいだけです。BCFに関する説明は十分にPOVとして認められるものであり、私の説明が独自解釈だという主張するのは勝手ですが、それで反論ができたとはなりません。 出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。については、例えば評判の良い新聞社の情報でも、広告ではお話しにならないし、通りすがりの市民のインタビューのメッセージでは専門性も分からないし、いくら日経新聞でも自動的に権威ある情報とは言わないということ。 一方日経新聞の記事に「信頼できる筋の話では・・・」となっている場合は話し合いで決めます。また「物理学者の誰々博士の話では・・・」となっている場合は、誰かさんの都合が悪くても書かれることを防ぐのは難しいでしょう。そういうことは常識だし、言われなくったって無意識に判別しているものでしょう。 ただし、日経新聞の広告であれば、某メーカーが何月何日に日経新聞にこのような広告を出したというような1次情報源に使用できるかも知れない程度の信頼性は持ち合わせていると考えるべきです。(ただし信頼性はあってもただちに百科辞典的かどうかは別ですよ。) ここで問題にしているのは、日経新聞の権威だけで、誰が言ったのかをすっ飛ばしで自動的にOKと考えるなということ。 それから、信頼性が①>②>③>④の件に関してはWPは最も信頼性の高いものを使用しますが、信頼性がいささか劣るものでも運用上は①が入手困難なことは現実問題沢山あって、入手できた②や③場合によっては④の情報源なども信頼性あるものとして活用可能としているという、ただそれだけのことです。出典が持つそれぞれの信頼性については、(無名個人のブログや専門外の人のブログなどはサブカルチャーでもアウトという)足切りはあっても○×の二元論でないことは、「信頼性はスペクトルのようである」という説明で明記されています。--Gyulfox会話2013年11月24日 (日) 12:51 (UTC)
また無駄ですのでコミュニティーの中で良く分かっていることを、分かっていない人が一々整理などしなくてもよろしい。 あなたが金科上のように口にする「独自研究の排除」は、WP:NOR#何が除外されるかにはっきりと書いてあるように、WPを悪用する連中によってトンデモ理論を書かれることを防ぐことが本来の目的であり、それだけに留まらずこれは「編集者の意見・アイデアなどの付け加えや改変・合成」に対して課せられている方針です。 学者同士の見解の相違などには課せられていません。 またある勢力にとって都合の良いものが主流学説でもなく、主流かどうかは例えばTPPが導入されて10年程度が経って、日本の農家がガタガタになるか、より発展するかそういう実証がないかぎり判断不能のものです。  

*記事を残そうとする側に「信頼できる媒体」に掲載されていることを示す責任があり、その責任が果たされない限り、記事を消そうとする側に「信頼できる媒体」に掲載されていない証拠を示す責任は生じない(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。 という解釈に関しては実質誤りであり、記事を消そうとする側に何ら責任がないのではなく、それが本当にWP:RS#出所の不確かな素材であったのかを証明するなどして、一々合意する責任があります。勝手なハードルを決めて証明と合意なしに複数回削除すれば立派に荒らしになります。 学術分野に関しては、①を使用すべきですがそれだけを認めているのではありません。 ①が入手できない場合は一般書は信頼できる情報源です。--Gyulfox会話2013年11月24日 (日) 13:35 (UTC)

とりあえずIP氏の「記載事項修正の提案」自体に誰も賛同していないので、却下で終了でよいのではないでしょうか。--チンドレ・マンドレ会話2013年11月24日 (日) 15:20 (UTC)

整理した事項と関係がないことを延々と書き連ねる行為は整理に対する妨害行為です。 なので、場所を移動させていただきます。 尚、Wikipediaの方針に明記されたことに異を唱えるなら、①方針の体系的にもあり得ず②通常の日本語の意味においても成立せず③方針の整合性もとれないご自身の主観を並べるのではなく、Wikipediaの方針の文面から根拠を挙げてください。--60.37.218.150 2013年11月29日 (金) 11:03 (UTC)

良く考えた上で、最後に、もう一度だけ、Gyulfoxさんの屁理屈について簡潔に指摘しておきます。 以後、同レベルの屁理屈については放置しますし、当然、同じことは二度言いません。 尚、以下は、主張の物事の区別がついていなかったり、日本語が無茶苦茶であったり、Wikipediaの方針にない主観であることを指摘しただけであり、個別の項目の結論に固執するものではありません。

  • 三大方針は一つを守れば他を無視して良いわけではないので、「十分にひとつのPOV」「十分にPOVとして認められる」はWP:NORに関する反論とはならない。
  • 「誰が言ったのかをすっ飛ばしで自動的にOKと考えるなということ」は反論ではなく追認になっている。
  • 既に指摘した通り「信頼性が①>②>③>④」なることはWikipediaの方針の何処にも書かれていない。
  • 「入手困難」をWP:NOR違反の理由として良いとはWikipediaの方針の何処にも書かれていない。
  • 「信頼性はスペクトルのようである」という説明は、媒体の信頼性に幅があることの説明であって、採用して良い媒体の基準とは関係がない。
  • 「信頼できる情報源」に掲載されているものがWikipediaで認められる「学者同士の見解の相違」となるのであり、「信頼できる情報源」に掲載されていないものはWikipedia上では「学者同士の見解の相違」にさえならない。
  • 学説として「主流」であるかどうかと「ガタガタになるか、より発展するか」(結果として正しいか)は全く別物。もちろん「ある勢力にとって都合の良い」かどうかも全く関係がない。
    • そもそも、学説として「主流」であるかどうかを採り上げているのは、掲載して良いかどうかの基準ではなく、「特別な主張」であるかどうかの基準としてである。「信頼できる情報源」に掲載されている非主流意見は、当然、掲載して良い。
  • 「本当にWP:RS#出所の不確かな素材であったのかを証明」しない限り「信頼できる媒体」に掲載されている証拠を示さなくて良いという解釈はWP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材に逆行する。
  • 「一般書は信頼できる情報源」とはWikipediaの方針の何処にも書かれていない。
  • Wikipediaの方針をないがしろにするGyulfoxさんこそが正に「WPを悪用する連中」であり、Wikipediaの方針をないがしろにした編集こそが「トンデモ理論を書かれること」である。

以上は、前提(この場合はWikipediaの方針の文面)と論理から導かれた帰結を並べただけであり、私が個人的にどうしたいかとは全く関係のない文面です。 ただ、Gyulfoxさんの主張のおかしな点を指摘しただけであり、私の主張について述べたものではありません。 結論先にありきで物を言っている人は、論理的帰結と主観的主張の区別がつかないようですが。--60.37.218.150 2013年11月29日 (金) 12:41 (UTC)一部追記--60.37.218.150 2013年11月29日 (金) 12:46 (UTC)


同じような主張をしても何ら進歩がないわけであって、当然ながら同じ答えが返ってくるだけであって、やるだけ無駄です。権威付けられた専門家とは、その分野の専門家であると認められているような肩書きを得た、いわゆるその道の専門家のこと。自称だけの専門家はこれに含まれないし、宇宙理論分野に生物学の先生の肩書きが通用しないというのもあります。 しかし、その道の専門家の発信したものは信頼できる情報源となります。 彼らの書いた一般書は使用可能ということが十分にひとつのPOVになります。 IPさんはこの点について四の五の言ってる時点でおかしい。 また私は確かに①~④以外のものもあると言いましたが、だから学者の書いた一般書が①~④以外と言いましたか?勝手に捏造しないで下さい。それは②番に相当するものです。 また私はいつWP:NORつまり独自見解をして良いといいましたか?これも捏造ですね。あなたはWP:NPOVつまり敵の為に書くを遵守すればいいだけです。BCFに関する説明は十分にPOVとして認められるものであり、私の説明が独自解釈だという主張するのは勝手ですが、それで反論ができたとはなりません。 出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。については、例えば評判の良い新聞社の情報でも、広告ではお話しにならないし、通りすがりの市民のインタビューのメッセージでは専門性も分からないし、いくら日経新聞でも自動的に権威ある情報とは言わないということ。 一方日経新聞の記事に「信頼できる筋の話では・・・」となっている場合は話し合いで決めます。また「物理学者の誰々博士の話では・・・」となっている場合は、誰かさんの都合が悪くても書かれることを防ぐのは難しいでしょう。そういうことは常識だし、言われなくったって無意識に判別しているものでしょう。 ただし、日経新聞の広告であれば、某メーカーが何月何日に日経新聞にこのような広告を出したというような1次情報源に使用できるかも知れない程度の信頼性は持ち合わせていると考えるべきです。(ただし信頼性はあってもただちに百科辞典的かどうかは別ですよ。) ここで問題にしているのは、日経新聞の権威だけで、誰が言ったのかをすっ飛ばしで自動的にOKと考えるなということ。 それから、信頼性が①>②>③>④の件に関してはWPは最も信頼性の高いものを使用しますが、信頼性がいささか劣るものでも運用上は①が入手困難なことは現実問題沢山あって、入手できた②や③場合によっては④の情報源なども信頼性あるものとして活用可能としているという、ただそれだけのことです。出典が持つそれぞれの信頼性については、(無名個人のブログや専門外の人のブログなどはサブカルチャーでもアウトという)足切りはあっても○×の二元論でないことは、「信頼性はスペクトルのようである」という説明で明記されています。--Gyulfox(会話) 2013年11月24日 (日) 12:51 (UTC)

また無駄ですのでコミュニティーの中で良く分かっていることを、分かっていない人が一々整理などしなくてもよろしい。 あなたが金科上のように口にする「独自研究の排除」は、WP:NOR#何が除外されるかにはっきりと書いてあるように、WPを悪用する連中によってトンデモ理論を書かれることを防ぐことが本来の目的であり、それだけに留まらずこれは「編集者の意見・アイデアなどの付け加えや改変・合成」に対して課せられている方針です。 学者同士の見解の相違などには課せられていません。 またある勢力にとって都合の良いものが主流学説でもなく、主流かどうかは例えばTPPが導入されて10年程度が経って、日本の農家がガタガタになるか、より発展するかそういう実証がないかぎり判断不能のものです。 以上--Gyulfox会話2013年11月29日 (金) 18:48 (UTC)

重要なのはここだ。あなたは結局のところ、以下のふたつの主張を粘り勝ちで認めさせてWPの解釈を改変し、以後好き勝手に振舞うことにあることでしょう。疑われても仕方がないでしょう。以下はあなたの文章、あなたの主張だ。

  • 主張その1:学術分野における「信頼できる媒体」とは専門書や学術誌等(それに準ずる物を含む)を指すのであって一般書籍は該当しない。
  • 主張その2:記事を残そうとする側に「信頼できる媒体」に掲載されていることを示す責任があり、その責任が果たされない限り、記事を消そうとする側に「信頼できる媒体」に掲載されていない証拠を示す責任は生じない(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。

つまり早い話があなたの主張の結論はようするにこうだ。専門家の書いた一般書の情報が気に入らねば思うままに削除をし、抗議に応じなくても良いことにする。 事実あなたはここに来る直前に、まさにこれを行い、現在投稿ブロックの審議が進行中だ。 あなたが一見もっともらしくウダコラウダコラいつまでも講釈してやめないのは、自分の行為の正当化でありルールの悪用です。--Gyulfox会話2013年11月29日 (金) 19:15 (UTC)

以前にも同じことを言いましたが、Wikipediaの方針の体系も方針間の整合性も日本語の意味も無視した独自の主張を展開するのはご自由ですが、整理の妨害はご遠慮ください。--60.37.218.150 2013年12月1日 (日) 11:45 (UTC)

同じような主張をしても何ら進歩がないわけであって、当然ながら同じ答えが返ってくるだけであって、やるだけ無駄です。権威付けられた専門家とは、その分野の専門家であると認められているような肩書きを得た、いわゆるその道の専門家のこと。自称だけの専門家はこれに含まれないし、宇宙理論分野に生物学の先生の肩書きが通用しないというのもあります。 しかし、その道の専門家の発信したものは信頼できる情報源となります。 彼らの書いた一般書は使用可能ということが十分にひとつのPOVになります。 IPさんはこの点について四の五の言ってる時点でおかしい。 また私は確かに①~④以外のものもあると言いましたが、だから学者の書いた一般書が①~④以外と言いましたか?勝手に捏造しないで下さい。それは②番に相当するものです。 また私はいつWP:NORつまり独自見解をして良いといいましたか?これも捏造ですね。あなたはWP:NPOVつまり敵の為に書くを遵守すればいいだけです。BCFに関する説明は十分にPOVとして認められるものであり、私の説明が独自解釈だという主張するのは勝手ですが、それで反論ができたとはなりません。 出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。については、例えば評判の良い新聞社の情報でも、広告ではお話しにならないし、通りすがりの市民のインタビューのメッセージでは専門性も分からないし、いくら日経新聞でも自動的に権威ある情報とは言わないということ。 一方日経新聞の記事に「信頼できる筋の話では・・・」となっている場合は話し合いで決めます。また「物理学者の誰々博士の話では・・・」となっている場合は、誰かさんの都合が悪くても書かれることを防ぐのは難しいでしょう。そういうことは常識だし、言われなくったって無意識に判別しているものでしょう。 ただし、日経新聞の広告であれば、某メーカーが何月何日に日経新聞にこのような広告を出したというような1次情報源に使用できるかも知れない程度の信頼性は持ち合わせていると考えるべきです。(ただし信頼性はあってもただちに百科辞典的かどうかは別ですよ。) ここで問題にしているのは、日経新聞の権威だけで、誰が言ったのかをすっ飛ばしで自動的にOKと考えるなということ。 それから、信頼性が①>②>③>④の件に関してはWPは最も信頼性の高いものを使用しますが、信頼性がいささか劣るものでも運用上は①が入手困難なことは現実問題沢山あって、入手できた②や③場合によっては④の情報源なども信頼性あるものとして活用可能としているという、ただそれだけのことです。出典が持つそれぞれの信頼性については、(無名個人のブログや専門外の人のブログなどはサブカルチャーでもアウトという)足切りはあっても○×の二元論でないことは、「信頼性はスペクトルのようである」という説明で明記されています。--Gyulfox(会話) 2013年11月24日 (日) 12:51 (UTC)

また無駄ですのでコミュニティーの中で良く分かっていることを、分かっていない人が一々整理などしなくてもよろしい。 あなたが金科上のように口にする「独自研究の排除」は、WP:NOR#何が除外されるかにはっきりと書いてあるように、WPを悪用する連中によってトンデモ理論を書かれることを防ぐことが本来の目的であり、それだけに留まらずこれは「編集者の意見・アイデアなどの付け加えや改変・合成」に対して課せられている方針です。 学者同士の見解の相違などには課せられていません。 またある勢力にとって都合の良いものが主流学説でもなく、主流かどうかは例えばTPPが導入されて10年程度が経って、日本の農家がガタガタになるか、より発展するかそういう実証がないかぎり判断不能のものです。 以上--Gyulfox会話) 2013年11月29日 (金) 18:48 (UTC)--Gyulfox会話2013年12月1日 (日) 16:14 (UTC)

重要なのはここだ。あなたは結局のところ、以下のふたつの主張を粘り勝ちで認めさせてWPの解釈を改変し、以後好き勝手に振舞うことにあることでしょう。疑われても仕方がないでしょう。以下はあなたの文章、あなたの主張だ。

  • 主張その1:学術分野における「信頼できる媒体」とは専門書や学術誌等(それに準ずる物を含む)を指すのであって一般書籍は該当しない。
  • 主張その2:記事を残そうとする側に「信頼できる媒体」に掲載されていることを示す責任があり、その責任が果たされない限り、記事を消そうとする側に「信頼できる媒体」に掲載されていない証拠を示す責任は生じない(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。

つまり早い話があなたの主張の結論はようするにこうだ。専門家の書いた一般書の情報が気に入らねば思うままに削除をし、抗議に応じなくても良いことにする。 事実あなたはここに来る直前に、まさにこれを行い、現在投稿ブロックの審議が進行中だ。 あなたが一見もっともらしくウダコラウダコラいつまでも講釈してやめないのは、自分の行為の正当化でありルールの悪用です。--Gyulfox会話) 2013年11月29日 (金) 19:15 (UTC)--Gyulfox会話2013年12月1日 (日) 16:14 (UTC)

それから、ここにいる誰も「意見」の形をとれば、独自研究を無制限に回避してよいなどとは一言も言っていませんし、WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材等にて要求される手続きには、いくら読んだところで、論文まで要求することは求められていないはずです。--Gyulfox会話2013年12月1日 (日) 16:29 (UTC)

何度も同じことを言わせないでください。 Wikipediaの方針の体系も方針間の整合性も日本語の意味も無視した独自の主張を展開するのはご自由ですが、整理の妨害はご遠慮ください。--60.37.218.150 2013年12月6日 (金) 11:58 (UTC)

Wikipediaの方針の整理

[編集]

これ以上主張が捏造されないよう、再度、問題を一から整理し直し、節も改めます。 まず、Wikipediaの方針の解釈等について、常識的なことを書きます。

  • 三大方針は全て守らなければならないものであり、いずれか一つを守ることを口実に他に違反して良いわけではない。
  • 方針に明記されていることは、その方針が改正されない限り、それに従わなければならない。
    • 三大方針は不可侵であり改正議論の余地はない。
    • 下位の方針は三大方針と整合する範囲内で改正議論の余地がある。
  • 下位の方針については、三大方針と整合が取れるように解釈しなければならない。三大方針と矛盾する下位の方針の解釈は採用できない。
  • 方針に明記されていないことは、各編集者が主観で勝手な判断をして良いのではなく、明記された方針と整合が取れるように(三大方針優先)、かつ、明記された方針を元に(三大方針優先)客観的根拠に基づいて論理的に類推しなければならない。

この常識に基づいて、方針に明確に書かれているものを先に、明確に書かれてはいないが方針の趣旨等から読み取れることが後になるよう、本件に関係するWP:NORの主要解釈を以下にまとめました。 確定的なものも上位の方針に書かれているものを先に書くようにしました。

  • 「信頼できる媒体」で発表されていない「事実、意見、解釈、定義、論証」はWikipediaに持ち込めない(WP:NOR#何が除外されるか)。
  • 出版元の権威ではなく作成過程や人々に関する検証が必要とされているので、ある特定の出版社から発刊されていることだけでは自動的に「信頼できる媒体」の証拠とならない(WP:RS#信頼性の評価)。
  • 主流学説に反する主張については、「信頼できる媒体」に掲載されていない疑いが強いので、特に、「信頼できる媒体」に掲載された証拠が求められる(WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められる)。
  • 記事を残そうとする側に「信頼できる媒体」に掲載されていることを示す責任があり、その責任が果たされない限り、記事を消そうとする側に「信頼できる媒体」に掲載されていない証拠を示す責任は生じない(WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材)。
  • 学術分野における「信頼できる媒体」とは専門書や学術誌等(それに準ずる物を含む)を指すのであって一般書籍は該当しない。

以上に記載した以外のことは私の主張ではないのでご注意願います。--60.37.218.150 2013年11月24日 (日) 11:35 (UTC)一部修正--60.37.218.150 2013年12月1日 (日) 11:45 (UTC)

極当たり前過ぎることに戻りますが、ジミー・ウェールズ氏が作ろうとしたものは百科事典であって百科ゴシップ典ではありません。 ウィキペディアの歴史を紐解くと、査読のあるNupediaが前身であり、ジミー・ウェールズ氏は、フリーコンテントであることを求めながらも、他の査読のある百科事典と同程度の信頼性も要求していたことが分かります。 故に、誰でも投稿でき、かつ、査読のないWikipediaで他の査読のある百科事典と同程度の信頼性を担保する手段として三大方針があることは言うまでもなく明らかです。 それが理解できればDwy氏の仰る「信頼できる百科事典を作ろうとしているのに、わざわざ信頼性が劣ると分かっている情報を使おうというのは、ちょっと信じられない・・・という感覚」は当然身に付くことです。 そして、一般書籍を無制限に認めたり、学術的分野において査読付き論文相当でないものを認めれば、査読のある百科事典と同程度の信頼性を担保できないことは言うまでもありません。 以上は、三大方針の文面を読むまでもなく分かる常識であり、かつ、三大方針の趣旨と驚くほど一致することです。 こんな当たり前のことを、Wikipediaの方針にない個人の主観で安易に否定できる感覚が私には理解しかねます。

原則論を消化しないうちに例外論を論じるのは時期尚早です。 しかし、次の2点のような例外については、独自の解釈が蔓延りやすいので全く触れないわけにはいかないようです。

  • 「権威づけられた専門家」「著名な専門研究者」とは何か?
  • 「意見」の形を取ればWP:NORを無制限に回避できるのか?

常識的に考えて、査読を受ける側の人間が好き勝手に書いて査読を受けていない公表物が、「査読された公表物」に「次ぎます」ということはあり得ません。 日本語的にも、査読の重要性を唱えたその直後に、査読がなくても大差ないという文章が来るわけがありません。 以上を踏まえれば、WP:RS#信頼性の評価の「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます」における「権威づけられた」専門家とは、当然、単に専門家に分類されただけの人物を指すのではなく、その人が書いたという事実だけで「査読された公表物」に次ぐと認められるほどの大人物のことを指していると読み取れます。 例えば、単に人工多能性幹細胞の専門家というだけで「権威づけられた」専門家にならないことは明らかです。 しかし、山中伸弥氏による人工多能性幹細胞についての公表物は、彼が書いた事実だけで「査読された公表物」に次ぐほどの信頼性があると考えられるならば、彼はその分野における「権威づけられた」専門家と言えます。 そして、WP:RS#自己公表された情報源における「著名な専門研究者」も同様のことを意味しているであろうことは容易に推測できます。 では、何をもって「権威づけられた」や「著名」となるかと言えば、それには議論の余地があり、何が正解かは難しい問題です。 しかし、何が間違いかは明確であり、Wikipediaの三大方針に適合しない解釈は明らかな間違いです。 何が正解かを論じるのは時期尚早過ぎるので控えておきます。

常識的に考えて、三大方針をWP:NORを無制限に回避できる抜け道が存在するのでは、三大方針を絶対不可侵とした意味がありません。 よって、「意見」の形を取ればWP:NORを無制限に回避できるとする解釈はあり得ません。 具体的な限界点をを論じるのは時期尚早過ぎるので控えておきます。--60.37.218.150 2013年11月29日 (金) 11:45 (UTC)一部文言修正--60.37.218.150 2013年11月29日 (金) 11:46 (UTC)

  • ①何が信頼できる情報源であり、何が信頼できない情報源であるかをwikipediaコミュニティは(終局的には)選択することはできません(なぜならWikipediaコミュニティを構成している編集参加者はみな平等に「どこの誰とも知れない」名無しで学術上のステイタスの証明しようのない参加者にすぎないからです)。ですからこのガイドライン(指針)が必要であり、この指針にのっとって合意を得るように努力してください。一般論でいえばその分野の専門家とされる人物やその分野の博士号取得者が一貫して論じている学説や意見については信頼できるものとみなされます。②以上はIPアドレス氏のよく分からない、内容のない主張とは関係のない、当ガイドラインに関する一般的な解説を述べております。③IPアドレス氏がもはや何に関するご意見を投稿されておられるのかまったく理解できませんが、Citizendiumという百科事典プロジェクトが存在していることをご紹介させて頂きます。--大和屋敷会話) 2013年12月8日 (日) 01:49 (UTC)注釈:ガイドライン (guideline) とは、多くの利用者に支持されている、最善の方法(ベストプラクティス)を集めたものです。編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。ガイドラインが方針と衝突する場合には、通常は方針を優先します。すべてのガイドラインはCategory:ウィキペディアのガイドラインにあります。[13][14]--大和屋敷会話2013年12月8日 (日) 02:11 (UTC)

「何が信頼できる情報源であり、何が信頼できない情報源であるかをwikipediaコミュニティは選択することはできません」と仰りながら、「一般論」で「信頼できるものとみなされます」という基準で「選択」できると仰るなら、主張が無茶苦茶です。 Wikipediaの方針やガイドラインから引用せずに、大和屋敷さん個人の主観を「当ガイドラインに関する一般的な解説」と仰られても、それは自称に過ぎません。 ここは、Wikipediaの方針やガイドラインについて議論する節であって、個人の主観を提示する場ではありません。 今後も、Wikipediaの方針やガイドラインを根拠とせずに個人の主観のみを根拠とされるならば、議論妨害と見なして場所を移動させていただきます。個人の主観のみを根拠とされている主張は議論の邪魔になるので移動させていただきました。

尚、Citizendiumの説明には「各記事に記事内容を審査する責任者をおく」と書かれています。 誰でも実名を登録すれば執筆者にはなれますが、編集者は審査を経てから採用されるということです。 かつ、執筆者が執筆された文章の採用には編集者による審査もあるので、これは明らかに査読制度がある百科辞典です。 さらに上位の巡視員が事後チェックする仕組みもあり、「大学などで専門的な教育を受けて」審査を通った「編集者」であっても好き勝手な編集ができるわけではありません。 以上のとおり、Citizendiumにおいても、「その分野の専門家とされる人物やその分野の博士号取得者が一貫して論じている学説や意見」が自由に掲載できるわけではありませんし、執筆の基準を下げているのも査読制度があるからです。--60.37.218.150 2013年12月13日 (金) 12:17 (UTC)誤記修正--60.37.218.150 2013年12月13日 (金) 12:33 (UTC)--敬称抜けの修正等--60.37.218.150 2013年12月27日 (金) 05:48 (UTC)一部修正--60.37.218.150 2013年12月27日 (金) 06:30 (UTC)

WP:BUROについても解説しておきます。 これは、「多数決で支持されれば規則を無視して良い」とするものではありません。 これは、「方針の字面の解釈に固執するあまり」、規則を守ることが目的化して、「方針の原理原則を損なう」本末転倒を戒めた文章です。 ただし、「方針の字面の解釈」が完全に否定されたわけではありません。 何故なら、方針の文面は「方針の原理原則」を「確認・文書化する」ためのものだからです。 「方針の原理原則」という形なきものを伝えるためには、それを文章化することが必要です。 そして、「方針の原理原則」を文章化したものがなければ、それを汲み取ることは不可能です。 ここで否定されていることは、「方針の原理原則を損なう」ような「字面の解釈」であって、「方針の原理原則」に沿った「字面の解釈」まで否定されているわけではありません。 つまり、「方針の字面の解釈」は「方針の原理原則」を汲み取らなければならないということです。 以下、解釈を誤りやすいいくつかの文章を具体的に説明します。

  • ウィキペディアにおける行動規範は、方針やガイドラインの文言によって創設されるわけではありません。
  • 規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください。
  • 方針やガイドラインは、むしろ、何を容認し、何を排除すべきかについてのコミュニティの既存の合意事項を、確認・文書化するものなのです。
  • 見解の不一致は、規則や手続きに固執することによってではなく、合意形成を重視した議論によって解決してください。
  • 方針やガイドラインそのものも合意の変遷に応じて変化し得るものです。

最初の一文は、それに続く一文と合わせて読めば、「行動規範」を「確認・文書化」した「文言」ではなく「行動規範」の本来の中身に従えという意味だと分かります。 つまり、「文言」が先にあるのではなく、「行動規範」の本来の中身が先にあるのだということです。 「行動規範」を「方針の原理原則」に、「文言」を「字面の解釈」に、それぞれ置き換えて読めば、「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください」と全く同じ意味の言い換えであることが分かります。

2つ目の一文は、「規則が百科事典の改善をどうしても妨げる」場合、つまり、Wikipediaの目的である百科事典プロジェクトと整合しない場合は、規則を無視しろということです。 この一文において、「百科事典の改善」が「方針の原理原則」その物であることが明らかであるので、「規則」とは、当然、「方針の原理原則」ではなく「方針の字面の解釈」のことです。 「原理原則>原理原則」では自己矛盾してしまうので、当然、「原理原則>字面の解釈」と解釈する方が正解です。 であれば、この一文も、「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください」と全く同じ意味の言い換えです。

3つ目と4つ目は、「合意>方針」を意味したものではなく、これらも「原理原則>字面の解釈」と同じ意味の言い換えでしかありません。 尚、4つ目の一文は、前提として既存の「合意」と新しい「合意」それぞれに「原理原則」と「字面の解釈」があることを考慮すれば、既存の「合意」の「字面の解釈」の「不一致」が既存の「合意」の「原理原則」で解決できない場合に新たな「原理原則」を「合意」で決めるべきとしていることが分かります。 これら文面の解釈に当たっては、まず、「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください」が、当然、WP:BURO自身にも適用されることを考慮しなければなりません。 よって、「字面の解釈」に固執して「合意>方針」を示したと決めつけるのではなく、「原理原則」を汲み取って解釈する必要があります。

WP:NPOV,WP:Vには「利用者同士での合意によって覆されるものではありません」と書かれており、「合意>方針」とする解釈はこれと矛盾します。 「原理原則」の矛盾が何の説明もなく放置されていると考えるよりは、誤った「字面の解釈」によって矛盾があるように見えている可能性を考慮すべきであり、「合意>方針」を示したわけではないとしても無理のない解釈が可能かどうかを検証すべきです。 そして、矛盾なく、かつ、無理のない解釈が可能であるならば、そちらを採用することこそが「原理原則」を汲み取る努力です。

WP:BUROは「ウィキペディアは規則主義ではありません」を説明するものであり、その文章全体も「字面の解釈」に固執するあまりに規則に従うことが目的化することを批判している内容であり、合意と方針の優先順位を説明する文章ではありません。 よって、この中で他で説明がされていない「合意>方針」が唐突に示されることは考え難いでしょう。

Wikipediaの下位の方針は三大方針を踏まえた「合意」によって形成されるものなので、 ここで言う「コミュニティの既存の合意事項」も、当然、三大方針を踏まえたものを意味すると考えることが妥当です。 よって、この二文には「三大方針の原理原則>合意事項の原理原則」を否定する意味は含まれておらず、単に「合意事項の原理原則>合意事項の確認・文書化の字面の解釈」を示しただけと解釈できます。 つまり、この二文も「原理原則>字面の解釈」と同じ意味の言い換えでしかありません。

以上のとおり、三大方針との整合性およびWP:BURO内部の文章構成等を考慮すれば、この二文を「合意>方針」と解釈することは極めて不自然です。 一方で、「原理原則>字面の解釈」を示しただけと解釈すればそうした不自然さは完全に解消されます。 であれば、当然、この場合、この二文の「原理原則」として採用されるべきは、「原理原則>字面の解釈」であることは自明です。

5つ目の一文は、「合意の変遷」について述べられたものであり、3つ目や4つ目と同様の理由により「合意>方針」という意味は含まれません。

尚、補足しておきますが、WP:DEMOCRACY,WP:CON等によれば、Wikipediaにおける「合意」とは多数決ではありません。 Wikipediaにおける「合意」は合理的理由を示して理解を得る手続きです。 よって、「多数決で支持されれば規則を無視して良い」とする解釈は論外です。 Wikipediaの方針の原理原則では「三大方針>大きなコミュニティの合意>小さなコミュニティの合意>多数決」です。--60.37.218.150 2013年12月21日 (土) 03:57 (UTC)

議論の進め方の問題

[編集]

本件のようなことは,本来、Wikipediaの方針に基づいて議論すべきことです。 そして、当然、方針の解釈は、他の方針(三大方針優先)と整合性が取れ、かつ、通常の日本語の読解としても無理がない、かつ、方針の体系的にもあり得る解釈を採用しなければなりません。

しかし、ここではそうした議論は一切行なわれていません。 方針の体系も方針間の整合性も日本語の意味も無視した屁理屈をこね回したり、藁人形論法(※1)を仕掛けたりして、印象操作を行なっているだけです。

※1:例:WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるに主流学説に反する主張は特に「信頼できる媒体」に掲載された証拠が求められると書いてあると指摘すると「主流学説以外は掲載すべきでない」という誰も言っていない意見を捏ち上げて「それはおかしい」と言い返す等 (脚注エラーのため表記方法変更)--アルトクール(/) 2013年12月8日 (日) 00:22 (UTC)

そもそも、たった一つの論文等を示せば済むだけのことなのに、執拗に証拠提示を拒むことがおかしいです。 WP:BURDEN,WP:RS#出所の不確かな素材等にて要求される手続きをそこまでして必死に拒むのは、「信頼できる情報源」に掲載されていない情報を掲載するために、その事実を誤摩化さなければならないとしか考えようがありません。--60.37.218.150 2013年12月1日 (日) 11:45 (UTC)

コメント WP:BUROでは、「ウィキペディアにおける行動規範は、方針やガイドラインの文言によって創設されるわけではありません。方針やガイドラインは、むしろ、何を容認し、何を排除すべきかについてのコミュニティの既存の合意事項を、確認・文書化するものなのです」と言っています。方針やガイドラインの文言解釈としていくら正しくても、コミュニティの合意が得られていなければ、ウィキペディアにおける行動規範とは認められません。悲しい現実ですが、仕方がありません。--Dwy会話2013年12月1日 (日) 17:18 (UTC)

結論を先に述べれば、WP:BUROで書かれていることを含めてWikipediaの方針では、三大方針の「原理原則」>三大方針に沿った合意>方針の「字面の解釈」となります。 「方針やガイドラインよって」ではなく「文言によって」である点に注意して、かつ、その後の文面との整合性を確認すれば、それは自明の理です。

WP:BUROで懸念されるとされていることは方針とガイドラインが「誤用されること」です。 だから、「方針の字面の解釈」よりも「方針の原理原則」が優先することが明記されています。 「方針の字面の解釈」には固執すべきでないとしながら、「方針の原理原則」を「損なうことをしないでください」と書かれているのだから、この文面は、形上の「文言」に捕われるな、方針やガイドラインの真意を汲み取れという意味です。

また、「コミュニティの既存の合意事項」も三大方針に沿って「合意形成を重視した議論」されたものなら、当然、それは三大方針に従っているはずです。 つまり、ここで言う「合意」とは、当然、三大方針に従っているものを指すのであり、三大方針に反するものは含まれません。 三大方針に従っているもので三大方針を覆すことはできないのだから、ここで言う「合意」は三大方針より優先される物ではありません。 よって、この文面をもって「合意」で三大方針絶対不可侵の「原理原則」を覆せると解釈することは、「字面の解釈」に基づいてWP:BUROが「誤用されること」そのものでしょう。

よって、WP:BUROでは、Gyulfoxさんがやっているような日本語も方針の整合性も無視した「字面の解釈」が否定されますが、Dwyさんが仰るような三大方針の「原理原則」に沿った「信頼できる百科事典を作ろうとしているのに、わざわざ信頼性が劣ると分かっている情報を使おうというのは、ちょっと信じられない・・・という感覚」はむしろ肯定されるものです。 という常識も数の暴力の前には言うだけ無駄という点については正しいかもしれません。 --60.37.218.150 2013年12月6日 (金) 11:58 (UTC)編集ミスの修正--60.37.218.150 2013年12月6日 (金) 12:00 (UTC)

コメント WP:BUROに「見解の不一致は、規則や手続きに固執することによってではなく、合意形成を重視した議論によって解決してください。」とちゃんとアドバイスがあるのに、なぜいつまでも無意味な主張を続けるんでしょう。あなたの方針の一部(というか多数が支持していない解釈のことですが)が、間違っていないことは分かっています。正しい解釈が存在しないように間違った解釈も存在しません。「方針が編集の妨げになるならルールを無視しろ」とまで書いてあるではないですか。方針は絶対不可侵のものではないからです。あなたがやっていることというのはこういうことです。どうやら俺の解釈は多数派ではないらしい。合意形成をしようとすれば自分の解釈を放棄するか妥協して無力化されてしまうかもしれない。だったら、そこに入る手前、「このような解釈をすることも可能」という段階で留まって相手が諦めるまで自分の主張を叫び続けよう・・・ こんな感じなんです。先ほども書いたように、あなたの解釈が間違っているとは言えません。たとえば、「一所懸命」が「一生懸命」に変化しても、それは間違いではなく日本語話者コミュニティの中でそういう合意があったと見なされるんです。一所懸命という言葉を9割の人が使っているときに「一生懸命が日本語のスタンダードです」と主張しても「何いってんのお前」と笑われるだけですが、現代日本ではむしろ「一生懸命という言葉は元々は一所懸命という表記だったんだ」と驚かれるくらい一生懸命という言葉のほうがスタンダードになっています。これは、自然な合意です。あなたは一所懸命が一生懸命に変化するまで待つつもりですか?たとえ、今議論に参加してる人を全員殺してもウィキペディアの基本的な解釈は変わらないですよ。残念ですが、先ほど強調文字で書いたとおり、今のあなたは「いつまでも納得しない」状態です。解釈というのは印象みたいなものです。洗脳や恐怖政治でもしない限りそれを変えることは無理です。あなたが何百万回自分の解釈の正しさを伝えても、それは数ある方針解釈の一つに過ぎません。多数派がなぜスタンダードになるか、それはウィキペディアが合意を重視するコミュニティだからです。数の暴力?そうでしょう。でも、小数派が多数派を支配するよりはずーっとマシです。もう一度言います。そろそろ納得しませんか。--しおまねき会話2013年12月8日 (日) 01:49 (UTC)

追記します。ウィキペディアは対話を重視し、合意によって運用されていくという基本原則があるのだから、方針に対する解釈が大多数と違うということがただちに「妥協せよ」という話になるわけではありません。必要なのは、WP:BUROに既に書かれていることですが、なぜそういう解釈をする必要があるか、それをすることによってどんな利益があるか、などのことを説明することです。
ですが、TPPの議論において既に総スカンを食らい、方針のノートページに来て抽象的な議論をしようと持ちかけているというこれまでのことを考えると、もはやそのようなことが出来る段階にはない、つまり、IPさんが無理なことを通そうとゴネているだけ、ということなのかもしれません。ウィキペディアは規則主義ではないということを考えれば、個別の議論において方針やガイドラインを無視する合意が出来ても許されることがあるのだから、個別の議論において説得を続けるだけで本当は十分なのです。そこから逃げ出したのは、自分の味方を増やすため、数の暴力に数で対抗するためなのかなと。気持ちは判りますが、無茶なことはもうやめましょう。誠実に説得する気がないのなら、あなたはもうコミュニティを疲弊させるユーザーの一員です。そうでないなら、ここでの議論を打ち切って本来の場所で議論を続けるべきです。--しおまねき会話2013年12月8日 (日) 05:13 (UTC)

しおまねきさんは、偏見を返上されるのではなかったのでしょうか。 2013年11月18日 (月) 12:07での質問[15]にどうして答えられないのですか。 誠実な回答をせずに逃げだしておいて、今更、何を仰っているのでしょうか。 「誠実に説得する気がない」のはしおまねきさんの方ではないですか。

WP:NPOVWP:Vに三大方針とは「合意によって覆されるものではありません」と書いてあるのだから、Wikipediaで有効な「合意」とは、当然、三大方針を踏まえたものであることは明らかです。 つまり、合意よりも三大方針が優先されることはWikipediaに明記された方針です。 そして、WP:BUROにもそれを否定する文言はありません。

既に説明した通りWP:BUROには「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください」と書いてあり、これは、当然、WP:BURO自身にも適用されることです。 よって、WP:BUROの「字面の解釈」を持ち出しても三大方針の「原理原則」を損なうことはできません。

「もし規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください」は「方針の字面」で始まる一文の後に書かれているものなので、これは、ここで言う「規則」が「字面の解釈」を指すことは明らかでしょう。 そして、それを無視すべきなのは「百科事典の改善をどうしても妨げる」場合、すなわち、「字面の解釈」が「原理原則を損なう」場合であることも明らかです。

さらに言えば、WP:CON#合意は多数決ではありません等にはWikipediaにおける合意は多数決ではないと明記されています。 つまり、Wikipediaにおいては「9割の人が使っている」解釈であろうとも、それは合意を得た解釈とは言えません。 Wikipediaにおける合意形成とは、何がWikipediaの「方針の原理原則」に合致しているか論理的に説明して理解を得る行為であり、多数決をもって「方針の原理原則」をないがしろにすることではありません。 既に説明した通り、このページで私の主張に反対される方は、珍妙な主張をされる方が1人おられる他は、藁人形論法のみであり、しおまねきさんご自身も何ら反論はされていません。 賛成派であるDwyさんは少し説明されていますが、反対派からはまともな反論ひとつありません。 「いつまでも納得しない」のは、説明を尽くしている賛成派でしょうか。 それとも、何一つまともな反論をしない反対派でしょうか。 「対話を重視」しているのはどちらで、していないのはどちらでしょうか。 合意形成の努力を怠っているのはどちらでしょうか。

以前にも説明しましたが、正しい解釈の存在の有無と、間違った解釈の存在の有無は全く別の問題であり、片方が真であることは他方も真である根拠とはなりません。 以前[16]にも問いかけましたが、Gyulfoxさんの主張等を読まれた上で「間違った解釈も存在しません」と主張されているのでしょうか。 それならば、Gyulfoxさんの主張がどのように「間違った解釈」でないのか擁護してみてください。 Gyulfoxさんの主張は、いずれも、「珍妙な仮定を立てれば俺の解釈は正しい」とするものであり、かつ、その珍妙な仮定を持ち出しても局所的文章の整合性も合いませんし、Wikipediaの目的や三大方針にも明らかに反しています。 「間違った解釈も存在しません」のであれば、当然、Gyulfoxさんの主張が間違っていないことも説明できますよね。 そもそも、「間違っていない」解釈と並立する「間違っていない」解釈を一つも説明せずに「正しい解釈が存在しないように間違った解釈も存在しません」と言い張るだけでは詭弁以外の何物でもありません。--60.37.218.150 2013年12月13日 (金) 12:15 (UTC)敬称抜け修正--60.37.218.150 2013年12月13日 (金) 12:19 (UTC)

「なぜそういう解釈をする必要があるか」「それをすることによってどんな利益があるか」については、Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源#Wikipediaの方針の整理の「ジミー・ウェールズ氏が作ろうとしたものは百科事典」で始まる文章で「誰でも投稿でき、かつ、査読のないWikipediaで他の査読のある百科事典と同程度の信頼性を担保する手段として三大方針があることは言うまでもなく明らか」等の丁寧な説明を尽くしています。 それらの存在を無視して「もはやそのようなことが出来る段階にはない」「無理なことを通そうとゴネているだけ」と仰ることこそが「誠実に説得する気がない」方の手口です。--60.37.218.150 2013年12月13日 (金) 12:30 (UTC)

  • 一般論でいえばその分野の専門家とされる人物やその分野の博士号取得者が一貫して論じている学説や意見については信頼できるものとみなされます。あとは個別の記事ノートで議論してください。ある編集参加者の参加態度について議論なさりたい場合はWikipedia:コメント依頼を利用することができます。--大和屋敷会話2013年12月21日 (土) 04:09 (UTC)

議論の流れとは別の議論

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議論の流れと関係ない主観をどうしても書かないと気が済まない方がいらっしゃるようなので、隔離用の節を設けました。以後、議論の流れと関係ない主観は本節の方に書かずに、こちらに書くようお願いします。--60.37.218.150 2013年12月27日 (金) 05:42 (UTC)

「議論の流れと関係ない」も「主観」も善悪に関係がない単なる事実であって、そこに侮辱する要素は一切ありません。
それを侮辱と感じるなら、それは侮辱に値する行為をやっていると自身で思っているからではないでしょうか。
つまり、他人に文句を言う前に、まず、ご自身の態度を改めるべきではないでしょうか。
それよりも、大和屋敷さんが行なわれたような「この学説が正しいので別の学説は間違っている」や「当ガイドラインが不備であり信頼度にはランクがある」や「個々の情報源が信頼できるか信頼できないかという個別議論」といった主張を捏造して批判すること[17][18]こそが侮辱行為ではないでしょうか。
他人に文句を言う前に、まず、ご自身の態度を改めるべきではないでしょうか。--60.37.218.150 2014年1月3日 (金) 08:09 (UTC)
補足ですが、こんな下らない揚げ足取りはこれっきりにしていただきたいと思います。
こんな非建設的なことに時間を割く暇があるなら、本筋の説明を少しでもしたらどうなのかと思います。--60.37.218.150 2014年1月3日 (金) 08:28 (UTC)

論点1:一般向け書籍について

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Wikipediaが百科事典であり、その目的およびその目的のために作られた三大方針に基づいて判断すべきことは今更説明するまでもない当たり前ことであり、その何処にも異論を挟む余地などないはずです。Wikipediaが百科事典であるという一言で説明が済むはずで、そのために長文での説明が必要になることなど全くの想定外です。反対派が何に反対しているのか全く理解できませんし、反対派からの説明も一言もありません。このままでは埒が明かないので、論点を整理して質問を投げかけてみます。反対派は次のどの部分に異論をがあるのでしょうか。

  • Wikipediaは百科事典であって雑学集やトリビアコレクションではない(WP:5)。
  • Wikipediaにおける「信頼できる情報源」の「信頼」とは百科事典に求められる水準(以下、「百科事典水準」)を指す。
  • 学術分野における百科事典水準の必要条件は権威の裏づけのある査読を経ていることである。
  • 百科事典水準もしくはそれに準ずる水準(以下、「準百科事典水準」)に達しない情報(以下、「非百科事典水準」)はWikipediaに掲載できない。
  • 学術分野においては、査読のない一般向け書籍として発行された事実だけをもって百科事典水準もしくは準百科事典水準と認めることはできない。

尚、あらかじめ断っておきますが、この質問の回答ではないこと、Wikipediaの目的や方針に基づかない個人の主観等、この節には記載せずに然るべき場所に記載してください。そうしたものがこの場所に記載されていた場合は、議論妨害と見なして、別の場所に移動させていただきます。--60.37.218.150 2014年1月3日 (金) 08:11 (UTC)

議論改変の差し戻し・一部発言の分離

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  • IPアドレス氏により、投稿場所の意図的な変更(これにより文脈の前後関係が破壊されてしまっています)および他の投稿者に対する侮辱発言(「落書き欄」「議論の流れと関係ない主観をどうしても書かないと気が済まない方がいらっしゃるようなので、隔離用の節を設けました。」)[19]がありましたので緊急避難的にノートでの改変をいちどすべて戻しました。--大和屋敷会話2013年12月27日 (金) 10:00 (UTC)
  • 技術的問題によりIPアドレス氏の新規の投稿内容の版[20]が復帰できておりません。文脈に影響する可能性がありますので過渡的に下記に保存いたします。適切な箇所に再編集よろしくお願い致します。--大和屋敷会話2013年12月27日 (金) 11:22 (UTC)
WP:BP#8.2項 他者の発言の改竄の何処にも「本人の同意なく投稿位置を改変することは8.2項 他者の発言の改竄にあたります」とは書かれておりません。
「いやいや、移動の際には元の話の繋がりを明示してしないと他者の発言の改竄になるぞ」という批判なら分かりますが、投稿位置を変更することが則「他者の発言の改竄」になるという主張はWikipediaの方針やガイドラインに基づかない個人の主観に過ぎません。
そもそも、他人が整理した項目をグチャグチャに入れ替えただけでなく、節を丸ごと削除までしておいて、「本人の同意なく投稿位置を改変することは8.2項 他者の発言の改竄にあたります」とは天に唾を吐いているようなものです。
尚、元々関係ない話をされているのですからそれを移動させても議論の繋がりは破壊していないと認識していますが、異議は受け付けます。--60.37.218.150 2014年1月3日 (金) 08:07 (UTC)

Wikipediaの目的との整合性

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WP:5にはWikipediaは百科事典であり雑学集やトリビアコレクションではないと明記されています(参考WP:!)。一般の百科事典が、単なる雑学集やトリビアコレクションではなく、信頼できる百科事典として成立しているのは査読制度があるからです。Wikipediaでは査読制度の代わりに三大方針を導入しました。一般の百科事典では出口に査読という名のフィルターを設けるのに対して、三大方針の一つであるWP:NORにてWikipediaでは入口側にフィルターを設けました。そのフィルターの中身は、フィルター通過済みの情報源のみの掲載を認めるというものです。Wikipediaの信頼性が一般の百科事典と信頼性であるためには、当然、百科事典の信頼性に匹敵するフィルターを通過した情報源以外は認められる余地がありません。以上を踏まえて、次の2点について検討します。

  • 百科事典の信頼性に準ずる情報源を認めるか
  • 百科事典の信頼性に準じない情報源を認めるか

前者は何が正しいか答えを出すことができませんが、後者は疑う余地のない正解があります。現実問題として、Wikipediaのやり方では,どうしても、一般の百科事典と比べて信頼性の低下は避けられません。そうした中で、最終的な信頼性に大した影響がないなら多少信頼性が劣る情報源を認めて良いのではないかとする意見も一理あります。一方で、Wikipediaのやり方で低下する信頼性を補うために、掲載を認める情報源の基準を引き上げるべきだとする意見にも一理あります。いずれが正解かについては、Wikipediaの目的や方針の文章において現実的に何処までの信頼性を要求するか明記されていないので、結論を出すことはできません。一方で、後者については、Wikipediaが雑学集やトリビアコレクションではない百科事典である以上、百科事典の信頼性に準じない情報源が認められないことは言うまでもありません。これは全く議論の余地がないことです。百科事典の信頼性に準ずる情報源を掲載する場合は、WP:BURDENWP:RS#出所の不確かな素材により、その情報の掲載を求める側が百科事典の信頼性に準ずる証拠を示さなければなりません。そうしたものは、Wikipediaの掲載基準を満足するかどうか微妙なものである以上、WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるのように、しっかり証拠を示さなければなりません。百科事典に準ずる信頼性がないものを掲載しろと仰るなら、それは論外です。--60.37.218.150 2013年12月27日 (金) 06:21 (UTC)

IP氏による一連の議論を終了とみなして過去ログ化します

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IP氏60.37.218.150の目的は、もっともらしい論を展開しつつ、最終的には自分の気に入らない記述を、学者が書いた一般書だという理由で問答無用に消し去る環境整備であるとおおむね理解されます。 これはルールの悪用ですから同じような議論を繰り返すのは無駄かつ迷惑であり、一旦議論終了とみなして過去ログ化を行います。 IP氏に言うべきはまず、過去の不適切行為を認め身奇麗になった上で、アカウントを取得することでしょう。--Gyulfox会話2014年1月5日 (日) 18:12 (UTC)