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Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱い

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本文を読んでの感想

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本筋とはまったく関係ないのでノートで。

  • 函を「はこ」と読めない人は個人的には日本の義務教育を受けているものとしては「いかがなものか」と思います。(日本で教育を受けたものなら高校生以上が対象。中学生以下は除外します。)
    • 理由は「日本の代表的な地名くらい覚えておけ」です。

常用漢字表にない漢字なら読めなくても威張ってていいんだ。ふ~ん。--Goki 2009年6月24日 (水) 06:28 (UTC)[返信]

(コメント)Help:ノートページ#ノートページの用途に「なお、ウィキペディアは百科事典であり、演説をする場所ではありません。一般に、記事のテーマについての自説や個人的感想を述べるため「だけ」にノートページを利用することは歓迎されていません。あくまで、主ページの記事がどうあるべきかという観点から発言するようにしてください。」(引用)と書かれているのはご存知ですよね? --あら金 2009年6月24日 (水) 11:16 (UTC)[返信]

「議論の前提となる事実」の余談

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コミュニティの判断を仰ぎたいので、要約をお願いします。また、全くの部外者を呼び込んでも意味が無いと思われるなら、「Wikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱い」に、議論が行われていることを告知し、参加者を募ることを認めて下さい。--221.28.158.5 2009年7月5日 (日) 04:14 (UTC)[返信]

なにをなさりたいのか、よくわからないのですが、コメントアウトならびにノートへの移動の是非を問うコメント依頼をしたいので、その準備としての要約作成に協力せよ、ということでしょうか。「要約」の項には事実誤認も含まれていますし、事実ではあるもののやや誘導が過ぎる表現も見られる気がしますが、どう修正しましょう。--Jms 2009年7月5日 (日) 18:39 (UTC)[返信]
コメントアウトならびにノートへの移動の是非を問うコメント依頼をしたいので、その準備としての要約作成に協力せよ、ということです。Jmsさんの判断で、より中立と思われる表現に修正して下さい。自分に不利に働きそうな事実だからといって、除去はしないで下さい。三者の間で修正の合意が得られた時点で、コメント依頼します。主張は、あくまで主張ですので、修正しないで下さい。公判前整理手続のようなものと思って下さい。--221.28.158.5 2009年7月6日 (月) 01:46 (UTC)[返信]
コメントアウトや移動を問題視するコメント依頼の準備ですので、表現の修正一つとっても慎重にならざるを得ない…もっと正確には、恐ろしくて手がだせません。事実の部分について、まず、本当に事実なのか、それともそれが判断なのか、分析していただけませんか。すくなくともわたくしの行為に関する表現は誘導的であり、外的事実からは知り得ないわたくしの内的事状態への言及を含んでいたり、因果関係にあるかどうかわからない事を因果関係にあるかの様に書いていて不適切だと思います。まず、そうした点について、より正確に分析していただけませんか。「自分でやれ」と仰るかもしれませんが、そもそも、事実以上の事を見出していることに問題があるのかもしれないと思っています。
(他人の?) 主張は修正するな、というのは理解できますが、他人の主張に反事実が含まれている場合はどうしましょう、コメント依頼する前に反事実に依存する主張は除去されていた方がコメント依頼された方もやりやすいでしょうし、それならば誤解に基づく主張も除去されている方がよかろうと思います。もちろん他人が除去するのは問題ですから、反事実や誤解を指摘するに留めることになりましょうが、もしそうした事が可能なら、コメント依頼するまでもないかとも思います。どうしても第三者の判断によって白黒つけたい、というのなら止めませんが、もし第三者の判断で納得できるなら、議論でも納得できるでしょうし、議論して納得できないなら、第三者の判断が自分の意にかなったものでないかぎり納得はできないのではないかと思うのです。--Jms 2009年7月6日 (月) 07:56 (UTC)[返信]
◆おれとしては、もう説明すべきことは説明したと考えております(主として2009年7月3日 (金) 17:28 (UTC)のコメント)。必要に応じて第三者向け説明として反論する権利は留保しますが、事実誤認の指摘も含めて、屋上屋を重ねるがごとき説明を当事者に対してする必要があるとは思わないですねえ。おれは、要するに「複雑な議論においてどのような行動が迷惑につながるのか。どういった言動が議論をぐだぐだにするのか」といったことについての認識がないor理解が浅い方なのだ、と理解しています(そして、これは珍しくもない風景ではあります)。まあ、お好きなようになさればよろしいんじゃないでしょうか。--Nekosuki600 2009年7月6日 (月) 09:11 (UTC)[返信]

こちらは論争を解決しようと、ガイドラインに従って行動しているつもりなのですが、それすらも協力して頂けないということなんでしょうか?統一について意見を述べなければ、私の述べた事実の重要性に気付いて頂けないのでしょうか?であるならば、私が適当と思われる場所に意見を書きますので、その上で、一連の書き込みが迷惑であったか判断して下さい。もし場所が適当でなかったとしても、Nekosuki600さんとJmsさん以外の方が、それを表明されるまでは、コメントアウトや移動は、ご容赦下さい。--221.28.158.5 2009年7月7日 (火) 01:46 (UTC)[返信]

それすらも協力して頂けないということなんでしょうか、と言われるとひるみますが、事実経緯は比較的単純で容易に追跡可能であること、221.28.158.5 さんが書いている「事実」が実際の事実であるかどうかは別として、221.28.158.5 さんが認識する事実はそうである、というその事実はそれはそれでコメント依頼されたコメンテーターにとっての参考となるであろうこと、この二点から、事実に関する訂正を求めることを留保しつつ、コメント依頼なさりたいならこのままでもよかろうと思っています。わたくしの主張は、既に述べたとおりですし、根本的には2009年7月3日09:19(UTC)に述べた以上のものはありませんので、追記しません。--Jms 2009年7月7日 (火) 11:42 (UTC)[返信]

判ってない人多そうだし、一応詰めでも書いとこうかね。137が書いた文は、基本方針に従っており正しい。行動指針に「ローカルルールに必ず従わなければならない」とあったとしても、「基本方針を覆すルールは他にない」とされている。仮に基本方針とローカルルールが同じ優先度だとしても、ローカルルールは、コミュニティの合意に基づき、明文化され、広く知らしめたものでなければならないが、Jmsさんの言うルールは、コミュニティの合意を得ておらず、事実以外をどこに書くのか明文化しておらず、明文化されていないのだから137が知っているはずがない。法を知らない者を、その法で裁くことはできないから、Jmsさんの書き込みは、自らも俺ルールを守らない間違いであり、基本方針に立ち返って照らせば、137が正しい。正しい書き込みを勝手にコメントアウトするNekosuki600さんの編集は間違いであり、それに抗議する137は正しい。あのさ~正しいとか間違ってるとかどうでもいいわけ。誰だって間違えるんだから。それを、自分だけはいつも正しい裁判官みたいに考えちゃうのがやばいのよ。うちらよりも、知識が豊富で頭良い人なんて山ほどいるんだからさ、その人の発言が正しいかどうかなんて、簡単に判断できるわけないでしょ?ペレリマンによるポアンカレ予想の証明が正しいか、すぐ判断できる?できないからこそ、大勢で無い知恵絞って議論するんだからさ。議論が白熱するのなんて当たり前だし、白熱するからこそ生まれる結論もあるわけで、白熱しそうだから止めましょうなんて、WPの利益を損ねてるかもしれないわけよ。悪口とかspamとかは、独断でもいいかもしれないけど、それ以外で他人の邪魔するのは止めようよ。周りが、無知で知能低そうに思えるかもしれないけどさ、その分野の専門家かもしれないし、無知だからこそ見えるものもあるわけだからさ、もっと、謙虚になろうよ。それとも、あんたたちは神様かい?--221.28.158.5 2009年7月24日 (金) 21:54 (UTC)[返信]

大まかな経緯

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Nekosuki600さんが、221.28.158.137(以下、137)とJmsさんの書き込んだ文を、コメントアウトし、137が不当であると主張している。

要約

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事実

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  • Nekosuki600さんは、事実の着眼点、コミュニティへの希望を関数への統一論者の意見と捉え、節のローカルルールに違反しており、不要な議論を誘発する恐れがある迷惑行為と判断し、コメントアウト。事実を列挙すべきかについて、精査、言及しなかった。
  • Jmsさんは、事実の着眼点、コミュニティへの希望を関数への統一論者の意見と捉え、節のローカルルールに違反していると指摘。事実を列挙すべきかについて、精査、言及しなかった。
  • Jmsさんは、137の主張以降、誤解を生じないよう文を訂正した。
  • Jmsさんは、137が書いた時期に、コミュニティに訂正を募集する文を掲載していた。
  • 137が書いた時期は、Jmsさんが列挙してから8日後である。

Jmsさんの主張

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Nekosuki600さんの主張

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137の主張

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  • 事実とその事実の着眼点、コミュニティへの希望を述べたつもりだった。
  • 関数への統一論者として意見を述べたつもりは無いので、節の暗黙のローカルルールに違反しただけで、コミュニティの判断を待たず、全ての編集を迷惑行為扱いするのは無礼であり、不当である。
  • 関数への統一論者として意見を述べたつもりは無いので、「表記は『関数』に統一すべきとする論拠」に書くのは間違いであり、書き込むのに適当な場所は他に無かった。
  • 他の百科事典の事例を述べることは、WPが百科事典としてどうあるべきかの判断材料を調査、提供することである。Nekosuki600さんの節の暗黙のローカルルールに違反した文を除去する行為は、WPが百科事典としてどうあるべきかとは直接関係が無く、ルールを盾に議論のための議論を引き起こす、迷惑行為である。
  • 「現在までの文献で用例調査をすると、「関数」が優位である。」は、優劣についての解釈であり事実ではない。このため、137が述べた事実は、実際には列挙された事実と重複しない。
  • 多数決の際に2週間を目安とすることから、137が書いた時期は適当である。

過去の議論

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表記の項目に記された射程圏外話題をこちらに移動しておきます。当該節は「議論の前提となる事実」についての確認を行う節であり、意見を記す節ではありませんので。--Nekosuki600 2009年7月3日 (金) 14:17 (UTC)[返信]

当該箇所のどこが「意見」なのか明確にして下さい。「意見」でない箇所は直ちに戻して下さい。また、「事実のみ」書けるとおっしゃっていますが、誤りがあった場合、どのように対処するのか明確にして下さい。そして、事前に明確になっていないことで非難するのは止めて下さい。--221.28.158.137 2009年7月3日 (金) 16:59 (UTC)[返信]
「関数」で統一された書籍が多数あることは、教科書の事例などからも明らかであり、当該ユニットには記されていませんがすでに議論の前提となっていたことです。
解釈・意見であると考えたのは、「既に多くの専門家の間で議論されて、反対した人がいたとしても百科事典としての合意を得られている」という推測的解釈や、「専門家や素人の視点だけでなく、百科事典の編集者としての視点でも考えて欲しいです」という意見の部分。事実関係の確認を淡々と行うべきセクションにこういう「解釈」「意見」を付け加えるのは、議論の前提としての確認のユニットで議論を引き起こしかねない迷惑な意見表明であると、わたくしは考えました。
当該ユニットは事実関係の確認用としてエッセンスをまとめるべき部分であり、事例紹介などはふさわしい場所でやるのが筋でしょう。そういう場所はないわけではなかったのですし、当該議論をちゃんと読んでいたならばふさわしい場所はすぐにみつかったはずだと、わたくしは思います。--Nekosuki600 2009年7月3日 (金) 17:28 (UTC)[返信]
既に議論の前提となっていた事実が列挙されていますが、それも不要ではありませんか?あなたが書いておかなくても良いと思われるように、書いておいたほうが良いと思う人もいたわけですが、わざわざ消すのですか?--221.28.158.137 2009年7月3日 (金) 19:58 (UTC)[返信]
合意は得られていないが出版された可能性があるからということですか?では、解釈と意見のみ取り除けば、良いことではありませんか?迷惑かどうかは、あなた一人で決められることなのですか?--221.28.158.137 2009年7月3日 (金) 19:58 (UTC)[返信]
事実も述べられているわけですが、そこは、無視ですか?列挙されたものが間違いだったときの対処法についても、回答下さい。私が、書いたことが間違いではないことの論拠となってます。「ちゃんと」とか「ふさわしい」などと言われましても、具体的にどこで書くべきだったのか言っていただかないと反論のしようがありません。--221.28.158.137 2009年7月3日 (金) 19:58 (UTC)[返信]
どこに記すのが相当だったのかがわからないのだったら当該議論に参加すべきではありません、と言って切り捨ててもいいのですが、それだと「適切な場所が示せないから回答を拒否したんだ」とかいうありがちなつっこみがありそうな気がしたので、明示しておきます。
前提を確認して更に議論をしようという流れだったので(というかそれまでの議論をまとめて今後の議論の交通整理をしようということだったので)、すぐ次にある「表記は『関数』に統一すべきとする論拠」の項目にでも書いておけばよかったんですよ。そっちに書いておけば何の問題もなかったんじゃないでしょうか。ただ、この流れからして、あなたはどうも「函数・関数問題」以前の問題を抱えているような気がします。場所を教えてもらったからといって改めてこの一連を指定の場所に持っていくなどという行いはなさらぬ方がよろしかろうと存じます。
で、「前提」の節に書くのはおかしいという指摘があったにもかかわらず修正がなされなかったので、おれは「だめだこりゃ」と判断してコメントアウト、次いでノートへの移転をしたのです。議論が長くなった際にそれまでの議論をまとめていったん交通整理をし再スタートをするなんて普通にあることだとわたくしは思います。--Nekosuki600 2009年7月4日 (土) 05:01 (UTC)[返信]
◆意見だと明確に書いたのはわたくしであり、また当該節を設けたのもわたくしなので、その点を中心にコメントします。意見だと書いたのは、最後の一文、「専門家や素人の視点だけでなく、百科事典の編集者としての視点でも考えて欲しいです。」に対してです。その前の「ここで注目すべきことは…」という文は論評であって、事実の表現の範囲を越えると思います。事実として記載されたことに誤りがあった場合は、誤りに気づいた人が、その論拠を要約欄なりコメント文なりで示しつつ直接訂正すれば良いでしょう。事前に明確になっていない、とのことですが、「議論の前提となる事実」という節題、またその直後にある「かんすう」をめぐる議論の前提となるウィキペディア外の事実を念のため列挙します。という記述からも、「かんすう」をめぐる議論の前提となる事実のみを書くことが求められているのは自明だと思います。もしわたくしが当該事実を書くとしたら、ほかの事実記載のスタイルにあわせ、漢字表記を原則当用漢字に限定し、「関数」のみで「函数」には一切言及していない百科事典が存在する (『万有百科大事典』16巻 物理 数学、小学館 1976年) などとすると思います。『学術用語集』への言及を含めないのは、それが記述対象ないし記述語彙を定めているのであって、表記について定めているわけではないからです。当該事実が「かんすう」をめぐる議論の前提となるかというと疑問だと思います、というのは、漢字表記を当用漢字に限定した時点で函数か関数かという議論は発生しないからです。移動したのはわたくしではないので、仮に戻すこと自体が適当だったとしても、わたくしが戻すのは不適当だと考えます。--Jms 2009年7月3日 (金) 17:44 (UTC)[返信]
お二方とも、丁寧な回答有難う御座います。お二方も他の百科事典についての事実は、列挙する事柄に相当しないというご意見で宜しいですか?であれば、その事実は、既にどこで述べられているか、あるいは、どこで述べるべきだったか示して下さい。それと、Jmsさん、削除におけるコメント文は、「事実」であるとは限りません。その判断はどこでしますか?それこそ「適当な」節に移動するとして、「移しました」は移せるかどうかわからず「事実」ではないので書けません。「移そうとしています」も「事実」かどうかわかりません。Jmsさんの言われるコメントが何かわかりませんが、追加の際にコメントしてはいけない根拠は何ですか?「意見」や「コメント」が同じとは考えられませんか?最初に、Jmsさんが「ここには事実のみを記し~」という文を書き込んだわけですが、この文は「事実」ですか?暗黙のルールを破った人がいるから、自分も暗黙のルールを破るのですか?私は、言葉遊びをしたいわけではなく、自分の価値観に基づく前提のみで、他人の書いた文にけちをつけたり無きものにしようとすることは、WPの精神に反していると言いたいのです。--221.28.158.137 2009年7月3日 (金) 19:58 (UTC)[返信]
「他の百科事典についての事実は、列挙する事柄に相当しない」とは述べていません。それが百科事典であれ何であれ、あらかじめ漢字表記を当用漢字に限定した時点で函数か関数かという議論は発生しないので、「かんすう」をめぐる議論とは無縁の領域にあり、したがって「かんすう」をめぐる議論の前提とはならないのではないか、ということです。『圏論の基礎』に特に言及しているのは、「函数」と「函手」、または「関数」と「関手」という「函」か「関」いずれかへの統一ではなく、意図的に組合せて使っている例がある、ということを示すためです。もし『圏論の基礎』が「函数」と「函手」、または「関数」と「関手」のいずれかの組合せを用いていたなら、函または関を用いる例の一つに過ぎませんから、「現在までの文献で用例調査をすると、「関数」が優位である。多寡の度合いには分野依存性がある。」に含まれることになります。その意味では、『万有百科大事典』もやはりここに吸収されることになります。そこに実際の実例を列挙することは、見通しの点で問題があるかと思います。「削除におけるコメント文」というのはどういう意味かわかりかねますので、もう少しご説明願えますか。「削除」と「編集除去」というウィキペディア用語の違いのため意味をとれないのかもしれません。わたくしが「ここには事実のみを記し…」と書いたのは、記述されている内容に対して直接手を加えることなしに適当な対応を促すためであって、問題となった記述について他への転記や書式の変更など適当な対処がなされれば、除去する考えでいました (ですので、Nekosuki600 さんのしてくださった移動に関して、感謝しこそすれ、問題だとは思いません)。これ (議論進行上必要なメタコメントについて、用が済めば状況に応じ除去すること) はウィキペディアにおける議事進行の上で常識の範囲だと思います。「移しました」、「移そうとしています」云々は同様に目的を考えれば必ずしも必要ではないでしょうし、特に本人による場合は目的を考えれば不要ですから、「ここには事実のみを記し…」とご本人による対応を促したのであり、それに対して御納得いただけなかったので話がややこしくなったと考えます。「Jmsさんの言われるコメントが何かわかりません」というのは、わたくしの 20090703T1744Z の記述自体のことでしょうか、それともその記述中の「コメント文」のことでしょうか。「追加の際にコメントしてはいけない根拠は何ですか?」というのは、「議論の前提となる事実」の節に意見を述べるべきではない根拠ということでしょうか、もしそうでしたら、「かんすう」をめぐる議論の前提となるウィキペディア外の事実を念のため列挙します。という記述と、そこでの記述スタイルから明らかでしょう。「自分の価値観に基づく前提のみで、他人の書いた文にけちをつけたり無きものにしようとすることは、WPの精神に反していると言いたいのです。」とのことですが、わたくしはけちをつけたわけではありませんし、無きものにしようとしているわけでもありません。議論の進行上「かんすう」をめぐる議論の前提となるウィキペディア外の事実をまとめるために設けた節に、ウィキペディア外の事実以外の意見が記入されるのはその節の目的にあわないので、意見等は他の適切な箇所で述べて欲しいとお願いしました。それだけのことです。進行する議論とは分離して「かんすう」をめぐる議論の前提となるウィキペディア外の事実をまとめた節を作った方がよい、という判断は「自分の価値観に基づく前提」かもしれませんが、自分「だけ」の価値観に基づく前提かどうかというと、あれだけ議論が展開しながらあの節について一週間以上クレームが出ていないので、議論進行上の工夫として受け入れられたものだと考えるべきだと思います。したがって、「他人の書いた文にけちをつけたり無きものにしようとすること」をわたくしは行っていませんし、あの節が「自分の価値観に基づく前提のみ」によるものでもないのですから、「WPの精神に反している」という御批判にはあたらないと思います。--Jms 2009年7月3日 (金) 20:34 (UTC)[返信]
追記。「関数」で統一された書籍が多数あることは、教科書の事例などからも明らかであり、当該ユニットには記されていませんが (Nekosuki600 20090703T1728Z) とありますが、「函」と「関」のいずれか一方に統一せず、「関数」と「函手」を用いている書籍も存在するという文の「も存在する」は「函」と「関」いずれか一方に統一した文献の存在を含意します。これと、用例では関数優位という事から、御指摘のことはすでに当該ユニットに書かれていたと考えるべきでしょう。その点が明確になる様に修正しておきました。--Jms 2009年7月3日 (金) 21:57 (UTC)[返信]
私の書いた事実が、既に節に含まれていて、重複であったということは、理解しました。しかし、Nekosuki600さんも「当該ユニットには記されていませんが」とおっしゃられているように誤解し易い記述であったことは認めていただきたいです。Jmsさんも、実際「明確になるように修正」されていて、自分にも間違いがあるのだから、私にも修正する機会を頂けないのは不公平です。まして、私は議論に全く無関係なことを言ったわけでも、spamのような記述をしたわけでもありません。
「削除」は、ウィキペディア用語に疎い私の間違いです。申し訳ありません。Jmsさんと同じ「訂正」と言うべきでした。
「Jmsさんの言われるコメント文が何かわかりません」です。「コメント文」と「コメント」と「意見」の違いを教えて下さい。英語の辞書では commentには、「意見」が含まれており、素直に解釈すれば「意見の文」も含まれると思います。訂正ではコメント文を示すとおっしゃられていますが、「訂正」には「追加」も含まれると思います。「コメント文」と「コメント」と「意見」がウィキペディア用語であり、解説されているところがあるなら、それを示していただくだけでかまいません。--221.28.158.5 2009年7月4日 (土) 05:01 (UTC)[返信]
ウィキペディアに限らず、業界用語は慣れるまで混乱しますね。慣れてしまうと便利なのですが、なかには慣れても書き間違えやすいものもあって閉口することがあります。コメント文、コメント、意見の区別は文脈に依存するので、以下は一般論ではなく、わたくしが書いた部分についての説明です。コメント文というのは、たとえば、コメントアウトした編集をご覧ください。Help:ウィキテキストにおけるHTML#コメントにある様に、<!-- と --> で囲まれた文のことをさ指しています。修正理由を要約欄で指定しきれない場合に、コメントアウトされた文として修正理由を書いておくやりかたもある、ということです。「意見」と書いたのは、「かんすう」をめぐる議論の前提となるウィキペディア外の事実に対比する意味での意見という意味で、件の議論で個々の参加者が表明する意見のことです。「コメントします」と書いたのは、より一般的な意味で「意見を述べます」というのと同義です。訂正は追加も含みます。こんなところでよろしいでしょうか。っと、重要なのを一つ忘れるところでした。221.28.158.5 さんに修正の機会は今でも開かれていると思います。あの節の意図は十分ご理解いただけていると思いますので、それに応じて修正したものを再度投稿なさるとよいでしょう。前提となる事実の節で、当用漢字による例として『万有百科大事典』だけを取り上げるのは問題なので、前提となる事実の節に書くならば他のものもどうやってとりあげるかというのを解決する必要がありますが、前提となる事実の節ではなく、他の節で意見や評論を補強するものとして『万有百科大事典』を例示するのは意見表明そのものとしては問題ないと思います。その際、Nekosuki600 さんのアドバイスをどうとるかは 221.28.158.5 さん次第だと思います。--Jms 2009年7月4日 (土) 05:52 (UTC)[返信]
コメント文などの違いについて理解しました。今後、当該箇所で書くことがあれば、理由はコメント文に書くようにします。
最後に、私は「表記は『関数』に統一すべきとする論拠」を示したかったのではありませんし、統一すべきという立場にもありませんので、その節に書き込むことは、間違いであると述べておきます。索引すらも関数に統一するのと、WPのようにリダイレクトで両方引けるのでは、立場が異なり例示すべきことと考えました。Jmsさんとの誤解も話し合いで解決できているのに、このような事情も一切聞かず、迷惑呼ばわりし、独断でコメントアウトや移動を行うNekosuki600さんに、強く抗議しておきます。--221.28.158.5 2009年7月4日 (土) 08:34 (UTC)[返信]

(インデント戻します) ごめんなさい、わからなくなってしまいました。221.28.158.137 さんと、221.28.158.5 さんが同一人物ではないのかもしれませんが、とりあえず話の流れから同一人物と仮定します (同一人物でなかったらごめんなさい)。事実として指摘されたのは「当用漢字を前提とする『万有百科大事典』には索引も含め関数しか登場しない」ということ、それについて「百科事典としての合意が得られている」という解釈が示され、さらに「百科事典の編集者としての視点でも考えて欲しい」という希望の表明があった、ということだと思います。ここから、わたくしは、「当用漢字を前提とすることが百科事典としての合意である」と 221.28.158.137 さんは考えていると解釈してしまいます。その解釈があると、「百科事典の編集者としての視点でも考えて欲しい」というのは、(221.28.158.137 さんは「当用漢字を前提とすることが百科事典としての合意である」と考えているという前提のもとで) 「当用漢字を使うのが百科事典としての合意であるのだから、当用漢字すなわち関数に統一すべき」と読めてしまいます。そういうことをおっしゃりたいわけではなく、「当用漢字を前提とする紙媒体のある特定の百科事典では索引も含めて関数に統一されているけれども、ウィキペディアは紙媒体ではないのだから、他の考え方もあるだろう」といったことをおっしゃりたかったのでしょうか。そうだとしたら、それはさすがに読み取れませんでした。--Jms 2009年7月4日 (土) 09:44 (UTC)[返信]

◆同様一通ですが。

もしもIPさんが個人として「関数への統一を主張する立場」でなかったとしても、当該情報は「関数への統一という主張を補強する情報」であり、個人の意見がどうであれ掲載すべきところは「表記は『関数』に統一すべきとする論拠」ということになるでしょう。とりあえず「表記は『函数』に統一すべき」という論者はいなかったにもかかわらずその項目にも発言はあるくらいんで。

会議などが長引いたときに、いったんそれまでの議論をまとめて、さあじゃあ次に行きましょうっていう中間まとめをやることは実社会でも珍しくはない話です。さて中間まとめが行われそれを前提として続きの議論がはじまったあとにやってきた人が「その中間まとめにはあれもはいってないこれもはいってない」とか言い出したらどうなりますか。それは迷惑以外のなにものでもないし、「中間まとめに文句を言うのではなく、現在進行中の議論でやれ」ってことになりゃしませんか。

場違いな発言に対して、その場で場違い発言を受けて議論を行ったら、議論本体が悪影響を受けます。時として破壊されるかもしれません。もともとJmsさんが応対されておられましたのでおれが口出しをするまでもないかなと思ったのですが、Jmsさんの説明で止まらず議論が続きそうになりましたので、別人が対処した方がよかろうということでわたくしが対処をいたしました。コメントアウトはあの場で場違いな議論が展開されるのを避けるためのものであり、それでもとまりませんでしたので場違いは場違いななりに議論をしたいのならばノートがありますよというご案内として移動を行いました。もともと問答無用で削除するのが相当かとも思いましたが、それなりに丁寧な対応をして差し上げたつもりです。不快感を表明されても、申しわけないのだが、お受けいたしかねます。--Nekosuki600 2009年7月4日 (土) 10:03 (UTC)[返信]

「関数への統一という主張を補強する情報」は、あなたの解釈です。統一しないべきという主張を補強する情報にもなることを説明しなければ、「表記は『関数』に統一すべきとする論拠」に書くのが間違いであることがわかりませんか?事実の解釈は一つではありません。実際、私は事実と解釈の際のポイントを書いたつもりでしたが、(合意が得られていない可能性を考慮しておらず、ポイントの体を成していないというのは、認めます。)あなたは私がどのようなつもりで書いたか確認もせず、自分の解釈のみで判断し、「場違い」な編集を行ったわけです。それについて謝罪すべきでは、ありませんか?Jmsさんの文にも、誤解される表現があり、あなたも誤解や間違いがあり、少数(一人の判断ではないとか屁理屈こねられても困るのであえてこう書きます。)の人が判断することが、危険であることは示されているのに、まだ、自分を正当化しますか?間違いを認めたくないならもう、話すことはありません。ただし、今後一切私の文をいじってはいけません。これは、お願いではなく命令です。あなたがいなくても、「他の多くの方が」私の文の良し悪しを判断してくれますから、ご心配には及びません。IPだから、私かどうかわからないということでしたら、アカウントを作りますので、区別して下さい。
「中間まとめに文句を言うのではなく、現在進行中の議論でやれ」とういことにはなりません。Jmsさんは、訂正を認めています。--221.28.158.5 2009年7月4日 (土) 13:34 (UTC)[返信]
いや、アカウントを作っていただくには及びません。「ただし、今後一切私の文をいじってはいけません」ということは「Wiki」というシステムの特性を理解していないということであり、「Wikipediaの根幹思想」への無理解ということだと思いますので、Wikipediaに無理にご参加いただく必要はなかろうと存じます(てゆーか、立腹状態なのはわかりますけど、なんだってまたそんな「Wikiの根幹にかかわるような」墓穴的科白を吐くかなあと思う。この一往復はノーカウントにしてかまいませんから、ちょっと落ち着いて考えてみてはどうかと思います。この議論についても、WikipediaやWikiの特性についても)。--Nekosuki600 2009年7月4日 (土) 13:49 (UTC)--Nekosuki600 2009年7月4日 (土) 13:54 (UTC)(補足)[返信]
義によりコメント致す。いいこちゃんやってるわたくしより、実際にコメントアウトしたり移動したりすることでかかわってしまうことを厭わない Nekosuki600 さんの方がよほど親切だと思います。そういう風にはなかなか考えられないかもしれませんが、221.28.158.137/221.28.158.5 さんにおかれましては、Nekosuki600 さんとわたくしを対比させてとらえる際には斯様な視点もあるということを御一考いただければ幸いです。もちろん、それを受け入れろと言う意味ではありません、そういう考え方もありますよ、という意味です。--Jms 2009年7月4日 (土) 10:47 (UTC)[返信]

<いったんコメントアウトしたもの/ここから>

「函」については一切触れておらず、索引さえも「関」に統一されている百科事典も存在します。以下は、その百科事典の冒頭に書かれた「解説の方法」の引用です。

(2)原則として「学術用語集」を解説の基本用語とした。(4)漢字は原則として、当用漢字とその音順表に許された範囲内にとどめた。ただし、固有名詞、歴史的用語、および慣用語などでひらがな書きでは理解しにくいものは、当用漢字以外も用い、場合により読みがな(ルビ)をつけた。--『万有百科大事典』(16巻 物理 数学)小学館 1976年

ここで注目すべきことは、我々が議論したことは、既に多くの専門家の間で議論されて、反対した人がいたとしても百科事典としての合意を得られているという点です。専門家や素人の視点だけでなく、百科事典の編集者としての視点でも考えて欲しいです。--221.28.158.137 2009年7月3日 (金) 08:19 (UTC)[返信]

    • この項には事実のみを記し、感想、事実の表現の範囲を越えた解釈、希望などは他の適当な箇所で書いていただければ幸いです。--Jms 2009年7月3日 (金) 09:19 (UTC)[返信]

そういう大事なことは、初めに書いて下さい。新たな事実を出すから、何で書いたのか説明してるのに、いちいち噛み付く理由が解りません。もっと、おおらかに考えていただければ幸いです。--221.28.158.137 2009年7月3日 (金) 13:26 (UTC)[返信]

<いったんコメントアウトしたもの/ここまで>

いきなりコメントアウトとか、どれだけ乱暴なんでしょうか?私が、何故反論したか解らないのですか?「事実のみ」しか書けないとしたら、既に列挙されている事実が誤りであった場合、何も言わずに取り消し線入れたり、削除しても良いという事になってしまいます。撤回と謝罪を強く求めます。因みに私は関数のノートでも議論に参加し、ここも今の版を全部読んでます。IPだから読んでないだろうみたいな決め付けは止めて下さい。それから、これはそれこそ事実と関係無いですから、反論はIPの会話へお願いします。Nekosuki600さんは、IPからの会話を拒絶されているようですから。--221.28.158.137 2009年7月3日 (金) 14:10 (UTC)[返信]

ノート等での指摘なしの他人の書き込みのコメントアウトや移動は間違いだと思います。しかし相手が戻してくれることを待つ間はあなたの書き込みは読まれないわけです。筋を通そうとされていると推察しますが、ここはご自分で書き戻した方が良いと思います。その際、皆さんの意見もよく検討して書き込んでください。--みや1229 2009年7月3日 (金) 23:23 (UTC)[返信]

「議論の前提となる事実」節の内容

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しばらく気が付いていなかったのですが、「事実のみ」を改めて頂き感謝します。コメント文や要約欄を読むのを面倒に感じる私にはとても助かります。本題ですが、書籍の事例は、百科事典とそれ以外では、重要度が異なると思うので、百科事典を含めたいのですが、如何でしょうか?もし、両方混在している百科事典があれば、それも併記することで、中立性を確保できると思います。また、出版した年や媒体が新しい物の方が、より参考になると思います。--221.28.158.137 2009年7月28日 (火) 17:19 (UTC) Wikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱い節より転記しました--Jms 2009年7月28日 (火) 17:46 (UTC)[返信]
本文のあの箇所で議論すべきではないことだと判断し、ノートに転記しました。
わたくし自身は分野依存性は母集団のとりかた次第で変わってしまうので誘導的になりかねない面もあり、簡潔さという観点から「議論の前提となる事実」に書くのには賛成できませんし、またレトリックに依存せざるを得ないのも「事実」としてはどうかと思いますが、議論になるのは面倒なので除去はしませんでした。百科事典について書き加えるなら、用例調査とはやや質が異なりますので用例調査とは別の条として誘導的にならない様、また簡潔となる様留意しつつ書いていただければと思います。結局のところ、その百科事典が編集方針として何を採用しているか、ということと、百科事典の販売部数 (収録図書館数で代用しても良いかもしれません) が効いてきますから、そのあたりへの言及は不可欠かと思いますが、そうなると簡潔さという点で問題がありますので、脚注を利用するなどの工夫が必要かと思います。井戸端でそこまでやるのはさすがに…とは思いますが、どうしても書くならそれくらいの工夫は必要でしょう。--Jms 2009年7月28日 (火) 17:46 (UTC)[返信]
簡潔さという観点で言うならば、両方混在している書籍のみを事例としてあげることは、誘導的です。そのような書籍があることだけ事実としてわかれば、十分な筈ですから。WPの中立的な観点によれば、例えば、「函数と書くことを主張する人がいる」と書いてあったら、「カンスウと書くことを主張する人がいる」も(そう主張する人がいれば)書くことが求められています。カンスウ派が多かろうが少なかろうが、書かなければ中立的でないのです。統一された百科事典だけを書くことが中立的でないなら、部数に関係無く、混在している百科事典を示すだけで良いのです。ですが、混在している百科事典が全く存在しないなら、それは事実ですから、中立的なのです。
場所をあちこちに移すの止めませんか?見難くなるのが嫌なら、議論が済んだら除去すれば良いと思います。(それは、「大胆な編集」として認められています。)事は二人だけの問題ではありませんから、密室状態で話しても意味が無いと思います。せめて、ノートに議論を移したことをアナウンスして頂きたいです。もしくは、訂正を全てノートで議論するということをアナウンスして頂きたいです。--221.28.158.137 2009年7月29日 (水) 15:22 (UTC)[返信]
ノートで議論するということをアナウンスすることも考えましたが、トラブルとなった前例もあり、やめました。気づいていただけないかもしれないという心配はありましたが、ログインユーザならウォッチリストで気づきますし、ウォッチリストの確認だけログインユーザで行って書くのは IP ユーザでとやれば IP ユーザでも実質上ウォッチリストは使えるということもあって、本文のあの箇所での誘導は避けました。「大胆な編集」として認められているなら、トラブルとなった場合も問題なかったのではないかと思いますが、それには同意していただけないでしょうから、安全側に振ってノートへの転記としました。密室状態というのは何を指すのか、わかりませんでした。利用者の会話ページならまだしも、井戸端のノートですから…。
「両方混在している書籍のみを事例としてあげることは、誘導的です。そのような書籍があることだけ事実としてわかれば、十分な筈ですから。」というのは、「両方混在している書籍が存在することだけ事実としてわかれば十分なので、両方混在している書籍のみを事例としてあげることは誘導的」ということだと思いますが、どう理由になっているのかわかりかねました。あるいは誘導的という意味が違うのかもしれません。「混在している百科事典を示すだけで良い」というのは、混在しているものを見つけてくる手間をかけるなら、妥当なやりかただと思います。--Jms 2009年7月29日 (水) 15:50 (UTC)[返信]
Jmsさんの主張によれば、統一された百科事典をあなたが見つけてきて併記しておかなければ、いけなかったということです。混在している百科事典が存在する保証が無いのに探すことなどできません。探すのは、中立的でないと考え、混在している百科事典が存在していることを知っている人です。大胆な編集の説明が書かれているページを読んで下さい。大胆な編集がそもそも項目に適用されるものであり、議論が進行中の文を除去することについて書いてあります。ノート荒らし辺りも読んで下さい。大胆な編集は、いつでも行えるわけではなく、五本の柱を全て満たしているときのみ行えます。--221.28.158.5 2009年7月30日 (木) 05:12 (UTC)[返信]
「Jmsさんの主張によれば、統一された百科事典をあなたが見つけてきて併記しておかなければ、いけなかったということ」という主張をした自覚はないのですが、それを含意する主張をしておりましたでしょうか。少なくとも「いけなかった」という主張をしてはいないと思います。百科事典をそれ以外の文献と別扱いするとして、「関数」を用いるもの、「函数」を用いるもの、両方が混在するもの、という網羅的調査をしないとどう議論の前提としてよいのか扱いに困るのではないかと予想しています。そこには対象読者、編纂された時代、編纂方針などもかかわってきますから、議論の前提とするための資料とするには結構な労力が必要かと思います。百科事典について他の文献とは区別して議論の前提とするなら、そうした調査をした上で、望むらくはコンパクトに表現していただけるとありがたい、と考えてはいます。--Jms 2009年7月30日 (木) 14:29 (UTC)[返信]
話を戻しますが、一つの書籍のみを記述することは、中立的な観点ではありません。あなたが主張しようがしまいが、この現実は変わりません。書籍を全部除去するか、知り得る限りの書籍を書くことを認めるかどちらかにしてください。一つでも書くなら、他の書籍を書かなければ、いけません。中立的な観点辺りのページをよく読んで下さい。--221.28.158.137 2009年7月31日 (金) 01:25 (UTC)[返信]
当該部分、すなわち、「函」と「関」のいずれか一方に統一している文献の他、「関数」と「函手」を用いている書籍も存在する (『圏論の基礎』2005年 ISBN 978-4-431-70872-8)。という文について、なぜその様におっしゃるのか、わたくしには理解できません。A の他に非 A も存在する (非 A の実例)、という事実記述文のどこに観点があるのでしょうか。A と非 A への分類でしょうか。--Jms 2009年7月31日 (金) 10:48 (UTC)[返信]
Aと非A、つまり統一書籍と非統一書籍を並べているわけですよね。非統一書籍だけ実例が書かれていて、統一書籍の実例を書かないことは、統一書籍が在る事を前提にした観点ですよね。実際、実例が無い可能性があるわけですから。在るという事を検証できないと言えば、良いでしょうか。書いていることが拙いのではなくて、一方を書いたらもう一方も書かないとバランス取れないということです。それは、どちらの数が多いかは関係ありません。数は数であって、観点で有利にも不利にもなるからです。例えば、数が小さくても昔より、割合として増えてきていたら、有利と考えることもできます。--221.28.158.137 2009年8月1日 (土) 04:38 (UTC)[返信]
それは、標準名前空間の話なので直接は関係しませんが、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料でいうところのアップルパイですね。当該部分の前にある、当用漢字に関する項と学習指導要領に関する項から表記がどちらか一方のみである書籍の存在は容易に推論できるので、実例を挙げるまでもありません。--Jms 2009年8月1日 (土) 08:10 (UTC)[返信]
そのような、ルールがあるとは知りませんでした。しかし、当用漢字と学習指導要領は、専門的だと思いますし、制定されてからの経過年数や書籍に反映されていくまでの時間など不確定要素が多過ぎます。日本人なら、小学校で習っていたからと容易に想像もつきますが、日本人でない大人もいるのですから、誰もが容易に推論できるとは、とても言えないと思います。周りの文から総合的に多そうで、在りそうだと思えたとして、日本人以外が本当に統一した書籍が在るか確かめようとしたとき、どうやって検証しますか?実際に書籍を取り寄せるわけですが、膨大な書籍の中のどれが統一されているか判りませんよ。一冊でも書いてあれば、それを探すだけで確かめられます。--221.28.158.137 2009年8月1日 (土) 15:17 (UTC)[返信]
当用漢字と学習指導要領が専門的だとお考えなら、当該箇所で当用漢字学習指導要領へのリンクも用意してありますので、そちらを御覧いただくのがよろしいかと存じます。当用漢字の項には当用漢字表自体への、学習指導要領の項には過去分も含めて学習指導要領自体へのリンクもあります。それでもなお表記がどちらか一方のみである書籍の存在を推論できないなら、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料でいうところのアップルパイが前提とする要件を満たしていないのかもしれません。--Jms 2009年8月1日 (土) 15:30 (UTC)[返信]
私の考えじゃなくて、日本人でも当用漢字や学習指導要領なんて言葉、普通の生活に使いませんよね。それを知らなければ推論できないことは、「大人なら」を満たしません。リンク貼れば良いだろうとかいうレベルの話ではありません。日本人以外の人からしたら、尚更、使われているかもわからない日本の公式文書より、実例の本の名前の方が、百聞は一見に如かずで、よっぽど調べようと思うんじゃないですか?検索で一発ですし。--221.28.158.137 2009年8月1日 (土) 18:02 (UTC)[返信]
当用漢字は廃止されてしまったのでアレですが、常用漢字や学習指導要領という言葉は説明なしに今日の新聞で使われますし、当用漢字も廃止以前は同様でしょう。普通の生活に使わずとも、一般紙を読む程度の人には常識の範囲だということでしょう。ましてやリンク先にある文書を読めばわかることですから、それでもわからんというのなら、まさしく「大人なら」を満たしていないのだと思います、たぶん違う意味で仰っているのでしょうが。「使われているかもわからない日本の公式文書」と仰るということは、リンク先を御覧になっていないということだと思いますが、「函数」と「関数」をめぐる議論では当用漢字に関する理解は最低限必要ですし、学習指導要領の変遷から得られる情報もあります。このあたりの概要は項目関数 (数学)の第二パラグラフと脚注にありますので、まだお読みでなければそちらも御覧ください。--Jms 2009年8月1日 (土) 21:02 (UTC)[返信]
日本人以外の人が、日本の新聞を読んでいると考える理由を教えてください。日本人以外の人を考慮することが、細かいことと考えるなら、「中立的な観点」の特例に拘ることも細かいことではありませんか?境界がはっきりしないなら、より安全な原則に従うべきではありませんか?私が「木を見て森を見ず」と言っているのは、まさにそういうことですよ。--221.28.158.5 2009年8月2日 (日) 02:41 (UTC) 署名補 --Jms 2009年8月2日 (日) 03:19 (UTC)[返信]
教えろとのことですのでお答えします。「日本人以外の人が、日本の新聞を読んでいる」などとは考えてもいないので、そう考える理由を問われてもお答え致しかねます。「日本人でも当用漢字や学習指導要領なんて言葉、普通の生活に使いませんよね」を受けての「今日の新聞で使われますし」ですから、新聞を読む前提となっているのは日本人でしょう。日本人でなくとも、ウィキペディア日本語版読者の大多数は、項目当用漢字学習指導要領の内容とそこからのリンク先に書かれていることから、「函数」のみを用いる書籍ならびに「関数」のみを用いる書籍の存在は容易に推論できるでしょうし、従って日本人以外の人を考慮していないかの様な指摘はあたりません。--Jms 2009年8月2日 (日) 03:19 (UTC)[返信]
221.28.158.137さんへ。あなたのコメントを読んでいてつねづね疑問に思っていることがあるのですが、いったい何について何を他の利用者に認めさせることを目指していらっしゃるのでしょうか?「議論の前提となる事実」節に追記されたことや、専門家たちがどのようにしているかをもっと謙虚に考慮するべきだ、というご主張については理解したのですが、ウィキペディアの運用に関して実際にどうしてほしいのかがよくわからないです。もし具体的にこのルールをこう変えてほしいというような提案があるならば関係するノートで改めて提議してほしいし、特に具体的な提案を伴わない話ならばここでするのはよしていただきたいです。(やるとしたら井戸端で改めて節を設けたらどうでしょうか。)というのも、この場での議論はその成果としてWikipedia:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数の作成およびLTA:LEMや(関連する提案として)Wikipedia:表記ガイド#学術用語の変更がおこなわれ、すでに一定の結論が出て関係する場所への還元が完了したといってよいでしょう。だから、ここでの議論の成果物についてなにか不満があるならばもはやそれぞれのノートで議論したほうがいいし、反対にそれらを弁護したいのだとしたらここでそんなことをする必要はもうないのです。もはやこのページはWikipedia:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数の作成とLTA:LEMWikipedia:表記ガイド#学術用語の変更に至った経緯の記録として保存しておくべき段階にあると思いませんか。(ほんとうはもっとちゃんとしたまとめを書いておくべきなのかもしれませんが。)--Makotoy 2009年7月29日 (水) 15:55 (UTC)[返信]
◆本文に書くと、続くコメントの呼び水にもなりかねず、可読性が大きく損なわれるおそれもあってノートへ議論の場を移したのですが、その点についてはどう思われますか。除去する位なら、ノートで議論を始める方が適切な場合もあるとわたくしは思います。一度目はある意味でしかたないかもしれませんが、二度目はその点についても配慮した上での本文での記述だったのでしょうか。--Jms 2009年7月29日 (水) 16:55 (UTC)[返信]

五本の柱の一つずつに照らして説明しないと、判りませんか?こういうことがあるかと思って、予め書いておいたんですが、書くことになってしまって残念です。

  • WPは百科事典です
    • 百科事典のことを述べているので、これは何の問題も無いでしょう。
  • WPは中立的な観点に基づきます
    • 出典を明記し、統一すべき/すべきでないの主張をしていないので、中立的な書き方です。
  • WPの利用はフリーで、誰でも編集が可能です
    • Jmsさんの(暗黙の)ローカルルールで支配された節に、私も書くことが可能です。
  • WPには行動規範があります
    • Jmsさんの仕事に敬意を払って情報を提供し、無礼な発言にも礼儀正しく、紳士的に答えています。Nekosuki600さんの編集や無礼や個人攻撃に対しても、編集合戦にならないよう、努めて冷静に対話を試みています。
  • WPには、この5つの原則の他には確固としたルールはありません
    • ローカルルールによって、原則が覆ることは無いということです。

JmsさんとNekosuki600さんの編集も五本の柱に照らして説明しましょうか?多分、1個か2個しか当てはまらないはずです。WPは、個人の間違いを議論する場所ですか?身の潔白を示さないと書いてはいけない場所ですか?私を悪者にすることが、百科事典に何の役に立つのですか?--221.28.158.137 2009年7月30日 (木) 12:36 (UTC)[返信]

わたくしは善悪二値判断をしてはいないので、221.28.158.137さんを「悪者にする」ことはありませんし、ましてやそれが百科事典に何の役に立つかと言われましても、困惑するばかりです。221.28.158.137さんが悪者扱いされたかの様に感じている、というのは事実かもしれませんが。なぜ五本の柱が出てきたのか、考えてしまいましたが、221.28.158.5さんの2009年7月30日05:12UTCの発言を受けてのことでしょうか。もしそうだとしたら、ノートに転記してそこで議論する、というのは大胆な編集というのとは違うのではないかと思います。ローカルルールだの俺ルールだのと言われていますが、ルールだと主張している訳ではありません。あの節を設けた意図はこういうことですよ、できれば協力していただけませんか、とお願いしているだけのことです。議論の前提となる事実のみを書いて欲しい旨を議論の前提となる事実のみを書くために設けられた節に書くのは自己矛盾である、という指摘は、当該依頼を後日除去する意図があったにしてもすくなくとも除去されるまではもっともな指摘ですから、本文で答えるわけにはゆかず、ノートへ転記の上ノートで返答しました。
ところで、「事実のみ」を改めて頂きというのを、「議論の前提となる事実」節の内容を書き換えたという意味に理解していたのですが、もしかして字義どおり「事実のみ」を改めた、つまり、反事実ないし事実以外の意見が述べられている、という意味だったのでしょうか。--Jms 2009年7月30日 (木) 14:29 (UTC)[返信]
あなたがどう判断しようが何を言おうが、WPの五本の柱に従わない編集は、一切できません。それに納得頂けないなら、今すぐ、WPの編集を止めてください。私の書き込みが五本の柱に従っていないことを示せなければ、あなたの行動を正当化できませんよ。何故ならば、悪口でもspamでもない書き込みを除去しようとすることは、「百科事典である」を絶対に満たせないからです。ついでに教えてあげるとすれば、悪口やspamを除去する行為は、「百科事典である」を満たします。何故なら、悪口は礼を欠き、spamは百科事典に無関係なので、五本の柱を満たすことができず、百科事典にふさわしくないことが理由になるからです。「木を見て森を見ず」という言葉はご存知ですか?あなたが言ってるのは、何で森の話をするの?と言っているのと同じです。木の議論をするつもりは、ありません。それは、今まで散々してきたはずですから。私も人ですので、忍耐にも限界があります。どうしても、私を論破したいのであれば、五本の柱を100回くらい読んで、重箱の隅を突付いて、高度な詭弁を弄してください。話を逸らしたがっているようですが、その程度の詭弁は、私には通じませんよ。五本の柱について、争うつもりでしたらどうぞご自由に。それ以外の話を続けるようでしたら、百科事典と無関係の編集を続ける荒らしとして報告させて頂きます。--221.28.158.137 2009年7月31日 (金) 01:25 (UTC)[返信]
別に論破するつもりなぞありませんが、正当化できないとおっしゃっているわたくしの行動とは、具体的に何のことでしょうか。「書き込みを除去しようとすること」というのは、具体的にわたくしのどの編集ですか、それとも「しようとすること」であって実際にはしていない、という意味ですか。--Jms 2009年7月31日 (金) 10:48 (UTC)[返信]

(インデント戻し)判っていて書いたんですが、冷静さを欠いた書き込みをして、申し訳ありませんでした。私が最初に百科事典の実例を述べたあとのJmsさんの記述と、このノートでの百科事典に関係しない私の細かい間違い(主に解釈)について述べた記述全部です。例えば、「そんなことは主張してない」だとか。主張してないんでしょう。ですが、Jmsさんが主張しているかいないかが百科事典にとってそんな大事なことなんですか?良いんですよ。間違いを正すことは大事ですから。ですが、本質的でない間違いを全て正していったら、時間がいくらあっても足りません。例を示してみましょう。

A: こんにちは、スイカ買ってきたから一緒に食べませんか?
B: 汗臭いから帰って下さい。
A: こんにちは、スイカ(以下略)
C: (Aに水をかける)風呂入って出直して来い。
A: こんにちは(以下略)
D: こんにちは、スイカはもう要りません。
A: こん(以下略)
E: こんにちは、旨そうなスイカだね。実は、昨日スイカ買って冷やしてあるんだよ。それを先に一緒に食べよう。汗かいただろうからシャワー浴びると良いよ。
A: ありがとう。汗臭くなってたから助かります。こっちのスイカは、井戸水で冷やしてきたから、こっちから先に食べませんか?
E: いいね、そうしよう。

さて、誰が無礼で、誰がWPにふさわしい礼を尽くしたでしょうか?何か、書いてて泣きたくなってきました。--221.28.158.137 2009年8月1日 (土) 05:18 (UTC)[返信]

コメント137氏は百科事典という他の書籍とはWikipediaとの類似性が高い書籍において用語選択の判断基準を明示していることを書き込みたいのではないでしょうか。ならば「函」と「関」のいずれか一方に統一している文献の他への加筆ではなく、別項として記載すべきだと思います。--みや1229 2009年8月1日 (土) 09:03 (UTC)[返信]

そうです。統一/非統一だけで分類できないし、非統一にも索引だけ非統一とか色々あると思うんですよね。--221.28.158.137 2009年8月1日 (土) 15:17 (UTC)[返信]
だから、用例があるかどうか、書籍があるかどうか、ということではなく、百科事典ではどうなっているかとなると、示さなければならないことが増えますよ、と言っているのですが…。--Jms 2009年8月1日 (土) 15:30 (UTC)[返信]
だから、増やしましょうと言っているのですが…。Jmsさんが全部書けなかったように、私も全部は書けません。Jmsさんが訂正を求めたように、足りないところは皆で補えば良いんじゃないでしょうか?--221.28.158.137 2009年8月1日 (土) 16:36 (UTC)[返信]
そういう、いわば中途半端なものを、どうやって議論の前提とせよ仰るのでしょうか。止めはしませんが、全部を書く必要がないものについて書いていないのと、網羅的に書かないとどう扱えばよいのか判断しにくいものとでは、事情が異なると思います。--Jms 2009年8月1日 (土) 17:24 (UTC)[返信]
「中途半端」や「網羅的」は、何か共通の基準はありますか?統一と非統一が網羅的なら、百科事典と非百科事典も網羅的だと思いますが、どうですか?この世に完全な網羅など無いと思いますが、どう思いますか?私は、統一されている百科事典の実例のみを判断材料に、合意に近い、条件付きの「統一すべきでない」という意見を出したわけですが、それでも心許ないですか?--221.28.158.137 2009年8月1日 (土) 18:48 (UTC)[返信]

(インデント戻す)137氏はまず記載しましょう。--みや1229 2009年8月1日 (土) 19:07 (UTC)[返信]

了解。そうします。--221.28.158.5 2009年8月2日 (日) 02:41 (UTC)[返信]
◆何が「中途半端」で何が「網羅的」かは、それに基づいて何を主張するかによります。条件付きの「統一すべきでない」という御意見に、統一されている百科事典の実例が判断材料としてどう効いているのかわかりませんでした。日本語の紙媒体百科事典に従うべきだ、という主張ならば、統一されている百科事典の実例のみでは判断材料とはならず、網羅的である必要があるでしょう。ここで言う網羅的はこれまでに出版されている日本語の紙媒体百科事典の全てを意味します。もし仮に「執筆時から過去10年以内」という制限をつけるなら、網羅的というのは「執筆時から過去10年以内に出版された日本語の紙媒体百科事典の全て」ということになりましょう。現時点ではそうした制限について合意がありませんので、判断材料は「これまでに出版されている日本語の紙媒体百科事典の全て」になるかと思います。国立国会図書館で「百科事典」で検索すれば、何をどれだけ参照すべきかはわかるでしょう。--Jms 2009年8月1日 (土) 21:02 (UTC)[返信]
申し訳ありませんが、私以外にも記載すべきと判断された方がおられましたので、これまでとさせて頂きます。私の意見について、言いたいことがあれば、本文の意見のところに書いて下さい。意見のところで書きましたが、私は疲れてしまいましたので、もう当分WPに書き込むことは無いでしょうが…。前提ではなく、意見についてJmsさんと議論したかったですが、残念です。--221.28.158.5 2009年8月2日 (日) 02:41 (UTC)[返信]

論点の追加などに対応して「議論の前提となる事実」を追記するのは (不幸な事情を考慮して論点追加後となることも含めて) まだわかりますが、特に議論するでもなく活発な議論の間には手を入れなかった記述について内容を大きく変更する意図は何でしょうか。明らかな誤りならいざ知らず、記録としての意味もありますので、どうしても必要なら追記で対処していただけませんでしょうか。--Jms 2009年8月2日 (日) 05:04 (UTC)[返信]