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Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/過去ログ1

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ドイツ語版の翻訳について

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ドイツ語版からの翻訳という部分が注釈付きで翻訳されていますが、ドイツ語版のルールを日本語版に導入するにはかなり多くの問題があると考えます。

まず第1に、ドイツ語版は独自にサーバーを持ち、ドイツ法のみに束縛されていますが、日本語版は米国法および日本法に束縛されるという宣言がされています。

第2に、スワヒリ語やタガログ語版から翻訳移入された場合、それが正しい翻訳であるかを判断することが多くの日本語版ウィキペディアンにとってはかなり困難です。日本語版は、日本語を理解すること、と、GFDLを読んで理解できることが一応は条件にされていますが、ドイツ語やタガログ語が理解できるかどうかは考慮されていません。

第3に、このような導入が行われた場合、全言語版のルールが無秩序に導入されまくることになり、混乱と不統一を招きます。

日本語版は、日本語版の元となった英語版のルールをまず翻訳し、異議がなければそれがルールとして通用し、日本の法令などに適合しない場合に限り、日本語版独自にアレンジして使ってきました。そのため、英語版からの新ルールの導入に対しては比較的寛容ですが、その他の言語版からのルールの導入は慎重であるべきだと考えます。

また、次のような理由で、このドイツ語版ルールの導入には反対いたします。

「ルールにこだわらない」という内容から逸脱したルールである。

私は(これまで、発言では使用しませんでしたが)このルールはWikipediaで最も重要なルールだと思っており、それはときとして著作権などにも優先する場合があると判断しています。ルールにこだわらないというルールに対して、ルールにこだわらないという以外の条件をつけることには反対いたします。

なお、私は、ドイツ語版からは一切、ルールを導入すべきではない、という考えは持っておりません。ただ、それぞれの言語版のルールのバランスはかなり異なることが予想され、一部の言語のごく一部のルールのみを断片的に導入することには反対します。Modeha 2004年12月23日 (木) 12:59 (UTC)

「ルールにこだわらない」って単なるユーモア文書だと思っていましたが、これってルールだったのですか? それとも Modeha さんのいう「ドイツ語版からルールを導入」というのは別の件なのでしょうか。少し疑問に思いましたので、お伺いしてみることにしました。--Lem 2004年12月23日 (木) 13:03 (UTC)

英語版でIP利用者による改変が何度もリバートされていることから見ても、かなり重要なルールだと考えます。冗談だとしても従うべきでしょう。ひょっとすると、Wikipediaの存在そのものが冗談だということを明記した文書なのかもしれませんが、いずれにしても、Wikipediaでは最も重要な文書の中の1つです。Modeha 2004年12月23日 (木) 14:04 (UTC)

私と Modeha さんではいろいろ理解が違うんだなあと思いましたがとりあえず明らかな間違いがあるので指摘しておきます。
  • まず第1に、ドイツ語版は独自にサーバーを持ち、
そんなことはありません。ドイツ支部は独自サーバを所有も使用もしていませんし、ドイツ語版だけのためにあてられたサーバもありません。どこでそのような情報を得られたのですか?
  • ドイツ法のみに束縛されていますが、
これも大きな誤解ですね。ドイツ語版は対象となる人の居住地(ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、リヒテインシュタイン)およびサーバ設置国(米国)法を遵守しています。ドイツ法だけというのはどのドキュメントから得た知識ですか?
日本語版は米国法および日本法に束縛されるという宣言がされています。

これはそのとおりですね。

総じて、この書き込みをみて、Modehaさんの現状認識は私が知っているウィキペディアとは随分違うのだなと思いました。どこか違うプロジェクトと混同しておられるのではないかと思います。どこからそうしたずれが生じるのかをおいておいて議論をすすめるのは生産的でないだろうと思いますので、情報を整理したのち改めてコメントしてくださることを希望します。--Aphaea* 2004年12月23日 (木) 17:04 (UTC)

そうですか、「何かウィットのきいたジョーク文書である」という見解は Modeha さんとも共有して良いということですよね? わたしは「ルールのせいで、気が立ったり、落ち込んだり、Wikiに参加したくないと感じたならば、そのルールは気にしないで進めてしまって下さい」という文章を読んで、「もしあなたがルールにがんじがらめになっていると感じ、そのことでストレスを感じるなら、すっぱりとルールを無視してしまってください。あなたの常識を働かせてください。あなたが常識にかなった理性的な行動をとるなら、それで十分物事はうまく行くでしょう」とほとんど変わらないような意味であると読んでいたので、何故 Modeha さんがこの追加分に対して「ルールの変更」というようなことを言い出されたのか、ちょっと不思議だったのです。
改めて読むと「en は無条件で受け入れていいがほかはそれではダメ」ということを表明されているのだと思い直しました。しかしもしそういう主張であるのだとしたら、「既にコミュニティとして存在する ja.wp は、しかし en.wp の子分でなければならない」と言うような内容であると理解することもあながち極論では無いように思えます。さて、これはどうしたらいいもんでしょうか……。私の杞憂であることを願っています。--Lem 2004年12月23日 (木) 17:41 (UTC)

失礼します。このノートの議論を読む限り、Modehaさんはこのページにドイツ語版からの翻訳文章を持ってくる事に対して、ルールである事、しかも日本語版の直接の元(英語版)ではないドイツ語版からのルールの文章を持ってくることに対して疑問視しているとお見受けします。
さて、私はまずこの記事(私が書き換える前の版ですが)を読んで、ルール、もしくは規則と言うかっちりしたものではなく、軽い息抜きのような文書であるという印象を持ちました。「冗談であっても従わなくてはならない」とまでの強い拘束力を持つ、金科玉条のような、もしくは日本国憲法までのような「ルール」ではなく、あくまでこの文章は「アドバイス」であると、読む側に受け取られるのならば、そこまで疑問視する事もないのではないかと思い、多少文章を編集させていただきました。
私はどの言語版からでも日本語版に有用なものであると判断されるもの(ルール)は持ってきてもいいと思います(日本語版になじむよう編集する必要はあるでしょうが)。ただこの文章のように運営に直接関わる重大なものではない類のものは、真実ルールとして受け止めるのではなく、ウィキペディアンへのアドバイスもしくはジョーク?と受け止められ、存在し続けるという事があってもいいのではないかと思いました。そう杓子定規に受け止めなくてもいいのではないでしょうか。Tekune 2004年12月23日 (木) 18:52 (UTC)

翻訳移入があまりに急だったので、事実関係の把握をする前に書いてしまいました。誤った部分(ドイツ語版はサーバーを持つ)は訂正いたします。このルールが冗談である可能性は捨てきれませんが、英語版では2002年に、10名以上の利用者が討議を行った上で制定したルールだということが、ノートの履歴から分かります。ちなみに、最初の発案者のうちの1名に、ウィキメディア財団理事長en:User:Jimbo Walesの名もあります。当時の討論はかなり突っ込んだものだったようで、「私はルールを制定する」という人がいるかと思えば「私はルールを破壊する」と主張する人もいます。「私は常識を信じる」という人への反論に、アインシュタインの「すべての常識は18歳までの経験で形成された偏見である」という語を持ち出している人もいます。全員が冗談なのかもしれませんが、アメリカの人びとなので、あまりにおおまじめにやっているので本当に冗談なのか、それとも本気なのかはよく分かりませんが。ただし、「このルールはウィキペディアの根本原則である」という主張に対しては明確な反論はないようです。ウィキペディアではほぼ全員が同一の発言資格を持ち、たとえ管理者でもルール制定にあたって一般利用者よりも大きな発言資格を持つべきではない、というのが前提ですが、いくら何でも財団理事長くらいは少しは別扱いしてもかまわないでしょう。(あとから追記。前段の「根本原則」発言は、財団理事長のものではありません)

日本語版は念のために英語版を元にしたものにいったん差し替えさせていただきます。(よく見ましたところ、ドイツ語版にはJimbo Walesに関する言及があるにもかかわらず、日本語版の訳ではそこも省略されていました)また前回はあわてて書いたので舌足らずでしたが、もしこのルールをドイツ語版を元にするのなら、残りのすべてのルールもドイツ語版準拠としないと整合性を欠くでしょう。(もちろんそれには反対します)もし、ドイツ語版からの移入が無制限に行われるならば、誰かが自分に都合のよい言語版のルールだけを抽出した、誰かの利便のためのルール体系になる可能性があるからです。Modeha 2004年12月25日 (土) 06:53 (UTC)

en:Wikipedia talk:Ignore all rules

えーと、Modeha さんは日本語版はどこかの国の子分でないといけないと仰っているようにしか思えないのですが、そしてドイツ語版の子分になるのは嫌だから英語版の子分になるんだと仰ってるようにしか私にはとれないのですが…。日本語版のアイデンティティーは存在しないということが Modeha さんの仰りたいことなのでしょうか…? --Lem 2004年12月25日 (土) 07:18 (UTC)

ウィキメディア財団がアメリカ合衆国にある以上、日本支部を作って日本国内に独自にサーバーが置かれるまではそうなるでしょう。他の言語でやっていないことをするなとはいいませんが、他言語版との整合性は考慮すべきだし、ほとんどの言語が、英語版からルールを導入しているにもかかわらず、スワヒリ語版からは積極的にルールの導入をやっていないことを考えると、英語版以外からのルール導入には慎重であるべきだと考えます。もっとも、アルーマニア語版とかはルーマニア語版からルール導入とかはやっていそうな気はしますがそれはアルーマニア語のもつ特殊性によるものでしょう。また、今ある日本語版のルールのほとんどは、英語版の訳です(法令などの都合で若干書き換えられている部分もあります)。まあ、いずれにしても独自に支部を持つドイツ語版と持たない日本語版では、英語版への依存のレベルが違いすぎるということです。Modeha 2004年12月25日 (土) 07:48 (UTC)

幾つか考えたことを書いてみます

「ルールを気にしない」について

  • ルールを気にしない、というのは優れたガイドラインだと思っています。特に一部のルールが非常に細かくなったり複雑なものになったりした場合、それを逐一覚えて遵守するのが大変だ、というようなこともあるだろうと思います。その大変さのためにウィキペディアへの参加を見合わせるようなことになるなら、本末顛倒と言えることもあるだろうと思います。また、慣行としては活発な投稿者の間で比較的確立されているように見えるけれども実際にはどこにも明文化されていない、というようなしきたりもあります。
  • 余り人が見ていない作業をする場合や、被害回復が明らかに困難なケースなら別ですが、他の人と共同作業が成立している場面なら、多少不備があっても他の人が指摘してくれる・対処してくれることでうまく行くことがあり、それで信頼関係が壊れることもないし結果として記事の執筆なり議論なりが進展する、ということであればそれでいいと思います。

他言語版からのルールの輸入について

  • 他言語版から何かを持ってくるのは、持ち込む人が「これはいい考えだ」と思うからであるべきで、「他言語版で認められているのだから当然日本語版でも認められるべきだ」という形でではないべきだと思います。
  • ウィキペディアは基本的に各言語版の自治に運営を任されているので、他言語版が何をどうしているか、というのは参考にすべきではあっても遵守するべきものではないと思います。これは英語版のルールについても同様です。
  • そこで、いろいろな言語版でやっていることをあれこれ見渡して「つまみ食い」的に少しづついろいろな工夫を取り入れる、というのは、僕は問題ないと思います。複数の言語版のルール体系を総体として把握・比較した上で日本語版のあり方を考えるというようなアプローチができれば、つまみ食いよりもいいんじゃないかとは思いますが。
  • 英語版から翻訳されたルールやガイドラインの中には、とりあえず導入してみた、という程度で、その後議論もされていないものもあると思います。そういうルールやガイドラインは、日本語版のルールやガイドラインとしてはまだ確立している度合いが低いもの、と考えるのが適当だと思います。導入した人はよいと思ったし、他に文書を読んだ人も特に問題を感じなかったけれども、その後、何かのトラブルがあったときにそのルールが参照されて解決されたというようなこともない、とうことなら、「とりあえずこういう風に決めてある」程度のものと考えていいんじゃないか、と思います。
  • サーバがどこにあるかは準拠法の問題と関わってきますから、プライバシーや著作権などにまつわるルールはサーバの位置が変われば変更しなければらないと思います。ただ、その場合であっても、明らかに違法なものと明らかに適法なものの中間に位置する行為やコンテンツなどについてどういう扱いをするかは、各言語版が自治を通じて決めるものだろうと思います。そして、法的な問題に関わらないルールやガイドラインについては、サーバがどこにあるかは余り関係がないように思います。

Tomos 2004年12月25日 (土) 16:34 (UTC)

とってもささいなことなのですが、一応メモしておきます。個人的にはジンボ・ウェールズさんは考え方の面でも言動の面でも習うところがある人だと思っていますが、その理由の一つは、彼が自分を他の参加者と平等だと考え、またそう考えるように他の人に勧めていることにあります。
もしも「これは理事長である自分の意見なのだから従え」と何かにつけて言うような理事長があれば、それが命令である分は従うほかはないと思いますが、その人に対する尊敬とか、その人の意見の重みというのはジンボさんほどには感じないだろうな、と思います。
そういうわけで、少なくとも僕の場合は、理事長の言うことだから、という肩書きによる理由ではなくて、ジンボさんという人物の言っていることだから、尊重もするし、その含みを考えてみる、と思いました。Tomos 2005年1月9日 (日) 01:17 (UTC)