U557 (潜水艦)
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(U-557から転送)
基本情報 | |
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建造所 | ブローム・ウント・フォス |
運用者 | ナチス・ドイツ海軍 |
艦種 | 潜水艦 |
級名 | UボートVIIC型 |
艦歴 | |
就役 | 1941年2月13日 |
最期 | 1941年12月16日戦没 |
性能諸元 | |
排水量 | 水上:769トン 水中:871トン |
全長 | 67.1m |
全幅 | 6.2m |
吃水 | 4.7m |
全高 | 9.6m |
速力 | 水上:17kt 水中:7.6kt |
航続距離 | 水上:10ktで8,500海里 水中:4ktで80海里 |
運用深度 | 230m |
燃料 | 重油:113.5トン |
乗員 | 44名(うち4名は士官) |
兵装 | C35 88 mm/L45, 弾丸220発 魚雷発射管 艦首4門 艦尾1門 魚雷(最大) 14 |
U-557はドイツ海軍がかつて運用したUボートVIIC型潜水艦。
艦歴
[編集]U-557は1941年2月に就役し、キールを拠点とする第1潜水隊群に配属された。 1941年12月16日、クレタ南西にてイタリア水雷艇「オリオーネ」との同士討ちで撃沈された。 総哨戒出撃数は4回で、イギリスの軽巡洋艦ガラティアを含む7隻36949トンを撃沈した [1] [2]。
バルト海での緊急事態
[編集]U-557は就役後の4か月をケーニヒスベルクを拠点にバルト海で過ごした。 この間、U-557は航行中の事故に見舞われ、その間に搭乗員1名が死亡した[3]。 ヘルベルト・ヴェルナーはこの事故を彼の本の中で図式的に説明している。 彼は、バルト海での定期航行において、船体が制御不能に陥る緊急事態が発生したと語っている。
最初に深度142mで潜航中に船尾にて異常が発生した。 船体は大量の浸水により、バッテリーから有毒な塩素ガスが漏れ、爆発の可能性も伴う非常に危険な状態となった。 船尾から船首に重量の一部を移すため、搭乗員はバケツリレーにて海水を船首へと運んだ。 何時間にも及んだ作業の後、船首が海底に接触した。 しかし、水の重さ(約40トン)により浮上出来ず、圧縮空気の供給を使い果たしたU-557は、海底に留まった。 乗組員は機関長の指示の下、船尾と船首を素早く行き来することにより、船体を揺り動かした。 潜水艦はやがて航行可能となり、20時間後に浮上し、キールに向けて出航した[4]。