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トニー・ウィリアムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Tony Williamsから転送)
トニー・ウィリアムス
Tony Williams
スイングジャーナル』1965年11月号より
基本情報
出生名 Anthony Tillmon Williams
生誕 (1945-12-12) 1945年12月12日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
死没 (1997-02-23) 1997年2月23日(51歳没)
ジャンル ジャズジャズ・ロック
職業 ドラマー、ミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー、バンドリーダー
担当楽器 ドラム
活動期間 1961年 - 1997年
共同作業者 マイルス・デイヴィス
トニー・ウィリアムス・ライフタイム
ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム
サム・リヴァース
ジャッキー・マクリーン
アラン・ドーソン
V.S.O.P.クインテット
パブリック・イメージ・リミテッド

トニー・ウィリアムスTony Williams1945年12月12日 - 1997年2月23日)は、アメリカ合衆国ジャズ、ジャズ・ロック・ミュージシャン、ドラム奏者、作曲家

来歴

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ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム(1976年)。左から トニー・ニュートンアラン・パスクァトニー・ウィリアムスアラン・ホールズワース
1986年

イリノイ州シカゴ生まれ。11歳のときドラム奏者のアラン・ドーソンのもとで音楽を学び、13歳からボストンの「コノリー」において音楽活動を開始し、ジョニー・ハモンド・スミスサム・リヴァースと共に活動していた。

1962年11月、16歳のときジャッキー・マクリーンにスカウトされて、ニューヨークに移った。翌1963年にはマイルス・デイヴィス・グループのメンバーに抜擢され、所謂「黄金のクインテット」[1]のメンバーとして、1969年まで在籍した[2]

ロックへの傾倒からジョン・マクラフリンラリー・ヤングとトリオ「トニー・ウィリアムス・ライフタイム」を結成して同年『エマージェンシー!』を発表。1970年にはジャック・ブルースを迎えて4人編成で『ターン・イット・オーバー』を発表した[3]。1975年にはアラン・ホールズワースアラン・パスクァトニー・ニュートンと「ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム」を結成した。

1975年春、ハンク・ジョーンズロン・カーターと共に「グレート・ジャズ・トリオ」を結成してニューヨークの「ヴィレッジ・ヴァンガード」に出演した。その直後にトニーに代わってグラディ・テイトが参加したアルバム『ハンキー・パンキー』が録音されたが、渡辺貞夫との共演盤『アイム・オールド・ファッション』(1976年)を機にトニーが復帰し、その後も存続した[4]

渡辺貞夫以外の日本のミュージシャンとの共演としては、日野皓正のアルバム『メイ・ダンス』(1977年)、本田竹広のアルバム『アナザー・ディパーチャー』(1977年)への参加もあげられる。

1976年、ハービー・ハンコックらのグループ「V.S.O.P.クインテット」に参加して人気を博した。1979年、ハバナ・ジャム (Havana Jam出演に際して、ジョン・マクラフリンジャコ・パストリアスと共に「トリオ・オブ・ドゥーム」を結成し、スタジオとライブで共演した[5]。他の共演者として、スタン・ゲッツソニー・スティットドン・プーレンミシェル・ペトルチアーニセシル・テイラーらがいた。

1985年、復活したブルーノート・レーベルに復帰し、アルバム『フォーリン・イントリーグ』を録音した。その後、マルグリュー・ミラーらとレギュラー・クインテットを結成し、殆ど自作曲ばかりを収録した一連のアルバムを残した[6]

1995年、デレク・ベイリービル・ラズウェルとトリオ「アルカナ」を結成した。

サンフランシスコに住み、1997年、胆嚢の手術の後の心臓発作により51歳で死去した[7][8]。最後の録音はビル・ラズウェルらとの「ラスト・ウェイヴ」だった[9]

ドラミング

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マックス・ローチなどの正統派スタイルからスタートしているが、1960年代中期にはフリー・ジャズ、1970年前後にはロックの影響を受けてスタイルが変化している。

高速の4ビートを得意としており、彼の加入以降、マイルス・デイヴィス・グループでは同じ曲でも年を追うごとにテンポが早くなっていくのがよくわかる。マイルスは自伝で、彼のスピードにマイルスが対抗する形でどんどんテンポ設定が早くなっていったと語っている。またマイルスは、彼は加入当初から2拍4拍でハイハットを踏まなかったので、きちんと踏めと口うるさく言ったとも語っている。

1970年代には、逆にすべての拍でハイハットを踏むようになったが、これらのスタイルはその後、他のドラマーに確実に影響を与えた[要出典]

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • 『ライフ・タイム』 - Life Time (1964年、Blue Note)
  • 『スプリング』 - Spring (1966年、Blue Note) ※1965年録音
  • 『エマージェンシー!』 - Emergency! (1969年、Verve)※トニー・ウィリアムス・ライフタイム名義
  • 『ターン・イット・オーバー』 - Turn It Over (1970年、Verve)※トニー・ウィリアムス・ライフタイム名義
  • 『エゴ』 - Ego (1971年、Polydor)※トニー・ウィリアムス・ライフタイム名義
  • 『ジ・オールド・バムズ・ラッシュ』 - The Old Bum's Rush (1972年、Polydor)※トニー・ウィリアムス・ライフタイム名義
  • 『ビリーヴ・イット』 - Believe It (1975年、Columbia) ※旧邦題『ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム』
  • 『ミリオン・ダラー・レッグス』 - Million Dollar Legs (1976年、Columbia)※ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム名義
  • 『ジョイ・オブ・フライング』 - The Joy of Flying (1979年、Columbia) ※「Morgan's Motion」にセシル・テイラー参加
  • 『プレイ・オア・ダイ』 - Play or Die (1980年、P.S. Productions) ※with トム・グラント、パトリック・オハーン[10]
  • 『フォーリン・イントリーグ』 - Foreign Intrigue (1985年、Blue Note)
  • 『シヴィリゼイション』 - Civilization (1987年、Blue Note) ※1986年録音
  • 『エンジェル・ストリート』 - Angel Street (1988年、Blue Note)
  • 『ネイティヴ・ハート』 - Native Heart (1990年、Blue Note) ※1989年録音
  • 『ネプチューンの神話』 - The Story of Neptune (1992年、Blue Note) ※1991年録音
  • 『ザ・ブルーノート・ライヴ』 - Tokyo Live (1993年) ※「ブルーノート東京」における1992年ライブ録音
  • マイルス・デイヴィス・トリビュート』 - A Tribute to Miles (1994年、Qwest/Reprise/Warner Bros.) ※with ハービー・ハンコックウェイン・ショーターロン・カーターウォレス・ルーニー
  • 『ウィルダーネス』 - Wilderness (1996年、Ark 21) ※1995年録音
  • 『ヤング・アット・ハート』 - Young at Heart (1996年、Columbia) ※日本企画。世界初DSD録音
  • 『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ゲイト』 - Live at The Village Gate (2017年、Hi Hat) ※ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム・フィーチュアリング・アラン・ホールズワース名義。1976年ライブ録音
  • 『ライヴ・イン・トーキョー 1978』 - Live Tokyo 1978 (2018年、Hi Hat) ※トニー・ウィリアムス・オールスターズ名義。「田園コロシアム」における「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」での1978年ライブ録音。ブライアン・オーガービリー・コブハムらが参加

コンピレーション・アルバム

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  • Lifetime: The Collection (1992年、Columbia) ※『ビリーヴ・イット』『ミリオン・ダラー・レッグス』を収録
  • 『dear...トリビュート・トゥ・トニー・ウィリアムス』 - Dear...Tribute To Tony Williams (1997年、Blue Note)
  • Spectrum: The Anthology (1997年、Verve) ※トニー・ウィリアムス・ライフタイム名義

ザ・グレイト・ジャズ・トリオ

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ハンク・ジョーンズロン・カータートニー・ウィリアムス

トリオ・オブ・ドゥーム

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ジョン・マクラフリンジャコ・パストリアストニー・ウィリアムス

アルカナ

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ビル・ラズウェルトニー・ウィリアムスデレク・ベイリー

脚注

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  1. ^ マイルス、ウィリアムス、ウェイン・ショーターハービー・ハンコックロン・カーター
  2. ^ 小川隆夫「トニー・ウィリアムス 60年代を回想する」『ジャズ・ジャイアンツ・インタヴューズ』小学館、2018年、141-149頁。 
  3. ^ Shapiro, Harry (2010). Jack Bruce: Composing Himself: The Authorised Biography by Harry Shapiro. London: A Genuine Jawbone Book. pp. 136-139. ISBN 978-1-906002-26-8 
  4. ^ 中山康樹「グレート・ジャズ・トリオ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」『ジャズの名盤入門』講談社〈講談社現代新書〉、2005年、216-219頁。 
  5. ^ 中山康樹「ジョン・マクラフリン、ジャコ・パストリアス、トニー・ウィリアムス/トリオ・オブ・ドゥーム」『硬派ジャズの名盤50』祥伝社〈祥伝社新書〉、2011年、118-112頁。 
  6. ^ 中山康樹「トニー・ウィリアムス/フォーリン・イントリーグ」『黒と白のジャズ史』平凡社、2011年、238頁。 
  7. ^ Oliver, Myrna (1997年2月26日). “Tony Williams; Innovative Jazz Drummer, Fusion Pioneer”. Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/1997-02-26/local/me-32683_1_tony-williams 3 March 2023閲覧。 
  8. ^ Watrous, Peter. “Tony Williams, 51, Drummer Renowned as a Jazz Innovator”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1997/02/26/arts/tony-williams-51-drummer-renowned-as-a-jazz-innovator.html 
  9. ^ “Arcana: The Last Wave”. https://jazztimes.com/reviews/albums/arcana-the-last-wave 
  10. ^ Tony Williams* – Play or Die (Vinyl, LP, Album)”. Discogs.com. June 28, 2017閲覧。

参考文献

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  • 『Swing Journal』 1998年3月号 スイングジャーナル社 (1998年)

外部リンク

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