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Team Honda Racing

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Team Honda Racing(チームホンダレーシング)は、SUPER GTに参戦していた本田技研工業セミワークスチームである。

概要

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2004年の全日本GT選手権(現 SUPER GT)において、トヨタ自動車陣営はトムス日産自動車陣営はNISMOが2台体制で参戦していたが、ホンダ陣営のみ2台体制のチームは無かった。[1]

この状況に対するホンダ陣営の体制強化の一環として、2005年よりARTA童夢との合同チームとして「Team Honda Racing」が誕生、2台体制で参戦することとなった。総監督はARTAの鈴木亜久里、監督は童夢の中村卓哉という体制となり、ゼッケンナンバー、車名はそのまま存続されたが、メンテナンスは2台とも童夢が行った。2006年は亜久里がF1スーパーアグリF1チームの運営に集中したいとのことで、当初監督・総監督ともに中村が指揮したが、第4戦以降、土屋圭市がARTA側の監督代行を務めている。

2007年はTeam Honda Racingを解散し、再びARTAと童夢とが単独チームとして参戦することとなった。なお、それぞれの布陣は前年と同じ。

参戦歴

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No. マシン ドライバー ポイントランキング
ドライバー チーム
2005年 8 ARTA NSX 日本の旗伊藤大輔
アイルランドの旗ラルフ・ファーマン
2位 2位
18 TAKATA 童夢 NSX 日本の旗道上龍
日本の旗小暮卓史
10位
2006年 8 ARTA NSX 日本の旗伊藤大輔
アイルランドの旗ラルフ・ファーマン
7位 9位
18 TAKATA 童夢 NSX 日本の旗道上龍
日本の旗小暮卓史
3位 8位

脚注

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  1. ^ 1999年から2002年までは、無限(現 M-TEC)と童夢とが「無限×童夢プロジェクト」として2台体制で参戦していた。2004年時点のGT500クラスに参戦していたホンダ系チームは、ARTA・童夢・中嶋企画チーム国光の4チーム。M-TECは2003年シーズン限りでGT500クラスから撤退し、2004年はGT300クラスに参戦。