T-17 (戦車)
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T-17 豆戦車 | |
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T-17の側面図 | |
種類 | 豆戦車 |
原開発国 | ソビエト連邦 |
開発史 | |
開発者 | セミョーン・アレクサンドロヴィッチ・ギンツブルク |
製造期間 | 1926~1930年 |
製造数 | 3 |
諸元 | |
重量 | 2.4 t |
要員数 | 1 |
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装甲 | 4-10 mm |
主兵装 | 7.62 mm機関銃 ×1 |
エンジン | 空冷2気筒ガソリン 16 hp |
速度 | 16 km/h |
T-17はソビエト連邦の一人乗りの(ワンマン)試作偵察豆戦車である。
操縦手が車体前部右側の機関銃も操作した。
概要
[編集]ソ連陸軍の機械化を目的に、戦間期にソ連が開発に着手した戦車の中でも最も早い時期である、1926年に開発が始まった戦車である。
1930年12月までに機械化された装甲部隊が設置される予定であった。
当時工業化の途上にあって、「Liliput リリプット」と呼ばれる本車の製作は、非常にスローペースに進んだ。
本車は結果的にソ連が自国で初めて量産化に漕ぎつけるT-18と並行する形で製作がされていた。いずれもルノー FT-17 軽戦車を元に製作したソ連最初の戦車モデル(第一次世界大戦中に製作されたツァーリ・タンクなどを除く)である、T-16をモデルとした軽戦車である(実際は豆戦車)。
1929年末にT-18に先駆けて試作車が完成すると、1930年1月に、早速試験にかけられた。同年6月の別の試験の結果は、後のT-18よりも僅かながら優秀なものであった。
スペック面では、小型軽量である以外は、T-18との差は殆どなかったとされる。しかし車体などの生産がT-18に比べ少々複雑であり、生産にまでは及ばなかった。しかし開発プロジェクトそのものは凍結されることはなく、開発室も閉鎖はされなかった。
1930年5月、60輌の軽戦車と32輌の豆戦車からなる、最初の機械化支援旅団が創設された。
参考
[編集]- M. Svirin and A. Beskurnikov. The First Soviet Tanks, in Armada Nº 1