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S.E.S.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
S.E.S.
基本情報
出身地 大韓民国の旗 韓国
ジャンル K-POPJ-POP
活動期間 1997年 - 2002年、2016年 - 2017年
レーベル キングレコード(韓国、1997年)
SM ENTERTAINMENT
(韓国、1998年 - 2002年、2016年 - 2017年)
VAP(日本、1998年 - 2000年
avex trax(日本、2000年 - 2002年)
事務所 SM ENTERTAINMENT
公式サイト S.E.S. Korea Official Site
メンバー Bada英語版 
Eugene
Shoo英語版

S.E.S.[1](エスイーエス)は、韓国の女性3人組アイドルグループ。韓国アイドル第1世代。1997年11月にデビューし、SMエンタテインメントとの専属契約満了となった2002年末に解散した。
グループ名は、メンバーの芸名であるSea(「パダ」とは朝鮮語で「」の意。)、Eugene(ユジン)、Shoo(シュー)の頭文字から取ったもの。

メンバー

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概要

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韓国芸能界で本格的・継続的に成功した初の女性アイドルグループである。彼女たちの成功に刺激され、Fin.K.L(ピンクル)Baby V.O.XSugarJewelry等が続々とデビューした。韓国経済危機最中の1998年には海外からの観光客誘致を呼びかけるCMに出演し金大中大統領(当時)と共演した。

1998年10月、バップから「めぐりあう世界」をリリースし日本デビュー。
2000年5月、エイベックスに移籍。『週刊少年マガジン』など少年誌のグラビア掲載や「THE夜もヒッパレ」や「恋ボーイ恋ガール」などにも出演していたが、当時はまだ韓流ブームが起きる前で韓国芸能に対する関心が低かったためにセールス的には不本意な結果に終わった。

メンバーのシューは神奈川県出身の在日韓国人3世で日本語ネイティブのため、日韓両国でV6とデュエット曲「One」を発表、またV6メンバーの井ノ原快彦主演の舞台「東亜悲恋」やデジタルフォトドラマ「NO KISS」にも出演した(井ノ原もS.E.S.の楽曲「Just A Feeling」のミュージックビデオに出演し、3人とダンスパフォーマンスで共演した[2])。所属事務所だったSMエンタテインメントは彼女達の日本での活動経験を踏まえてBoA東方神起少女時代などを次々と日本に進出させ、今日のK-POPブームの礎を築いた。ユジンはアメリカグアム出身、シューは日本出身の在日韓国人というように、海外進出を視野に入れて帰国子女をメンバーに入れる手法はSMだけでなく他事務所のアイドルグループでも踏襲されている。

S.E.S解散後、パダはミュージカル俳優とソロ歌手、ユジンは俳優、シューはテレビタレント、ミュージカルを中心に活動してきた。

2016年11月には、再結成が発表された。これは、翌2017年でS.E.Sが結成(デビュー)20周年を迎える節目の年であることを機に実現した。デビュー20周年記念プロジェクト「REMEMBER」では、収益の20%を社会貢献事業に寄付する旨も発表された[3]。 2016年12月30、31日、世宗(セジョン)大学の太陽(テヤン)ホールで単独コンサート「Remember, the day」を開催[4]。このチケットは、予約開始からわずか2分で完売した[5]

エピソード

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  • ファンクラブおよびファンの総称は「Friends」。公式応援カラーと応援用風船の色は紫[6]
  • S.E.S.の所属事務所だったSMエンタテインメントの創業者兼オーナーであるイ・スマンは当初、同事務所所属の男性グループH.O.T.を日本でデビューさせるつもりだったが、当時の韓国では兵役未了の男性が海外を頻繁に行き来することは難しかったため断念し、代わりにS.E.S.が日本進出第一号になった。
  • S.E.S.の日本進出が失敗に終わったため、イ・スマンは日本ではヒットさせるまでに時間が掛かることを痛感し、その期間を逆算して次はもっと若い歌手を送り込もうと社運を賭けたプロジェクトを起こし、その結果BoAの日本進出成功につながった。少女時代の日本デビューでは、SMはS.E.S.の失敗を教訓として、曲選びからデビューイベントの内容、時期まで慎重に吟味したという[7]
  • デビュー前は、中国語も話せるソイ英語版という女性も加えた4人組グループとし、各メンバーがそれぞれ英語、日本語、朝鮮語、中国語を話せるというグループ構成にする予定だったが、ソイが抜けたので、結果的に3人組としてデビューした。イ・スマンも、「S.E.Sは実は4人だったんですよ。中国語が出来る子も入れて4人だったんですが、デビューさせる直前に中国語のできる彼女の個人的な理由で抜けることになりました」[8] と語っていた。なお、ソイはのちに、女性グループT.T.MA(ティティマ)[9] のメンバーとしてデビューし、その後ははギタリストのチャン・ジュンソンと一緒にRASPBERRY FIELD英語版という2人組ユニットのボーカルとして活動した[10]。彼女の姉はソロ歌手のHeyである[11]
  • 日本の芸能マスコミでは、S.E.Sを当時の日本の人気アイドルグループ「SPEED」になぞらえ、「韓国のSPEED」として紹介することが多かった[12]
  • 「めぐりあう世界」「夢をかさねて」「(愛)という名の誇り」などの作曲を島野聡が手がけた関係で、同じく彼の作であるMISIAつつみ込むように…」を韓国でカヴァーしたこともある(第4集「A letter from Greenland」収録、韓国でのタイトルは『Show me your love』)。S.E.Sメンバーは、「あの曲(つつみ込むように…)が大好きで、島野聡さんとも何回も会って話をしたりして。この曲を歌うまで3年かかったんですよ」と述べていた[13]
  • 1999年頃、メンバー全員が頭を金髪にしたために、韓国KBS放送から出演禁止に指定された事があった。KBSは公営放送であることから、芸能人は若者に多大な影響力を持つため、模範的な外見であることを当時は要求していたからである[14]。その後のK-POPアイドルメンバーでは、金髪は珍しいものではない。
  • 2001年には帰国子女のユジンと在日韓国人のシュー、同じく帰国子女の神話エンディが通学していた外国人学校が韓国の大検資格を有していなかったことが発覚。ユジンは既に入学し一年通った高麗大学の、シューとエンディは合格したばかりの韓国外国語大学の入学取消という騒動もあった。合格の経緯が特殊才能保有者試験という特別枠だったため、その点でも世間の批判にさらされた[15]
  • 韓国の大手芸能事務所の一つであるDSPメディア(旧・テソン企画)は、SMエンタテインメント所属のS.E.Sに対抗する形で、女性4人組Fin.K.L(ピンクル)をデビューさせた。その後もSMの東方神起に対するDSPのSS501、SMの少女時代に対するDSPのKARAといった形で両社の競合関係が続いていたが、2010年代以降のDSPは業界内での地位がしだいに低下した。
  • 芸能評論家の中森昭夫は、「(1998年)8月末、六本木ヴェルファーレで韓国版SPEEDことS.E.Sのお披露目ライブを見たのだ。(中略)韓国語英語日本語の飛び交う近未来SF映画のような空間で唄い踊る彼女らはとびきり魅力的だった。(中略)韓国のアイドルのライブを見るなんて生まれて初めてだ」と述べていた[16]
  • 音楽ライターの石井恒は、2000年に発表した文章で、S.E.Sについて次のように述べていた。

日本人は決して心の広い民族じゃないから、アジアのスターが日本語で歌っても、お疲れさま、と思うだけ。すすんでたどたどしい日本語聴いてあげるほどヒマじゃないのよ。香港台湾中国人なら今までにアグネス・チャン欧陽菲菲テレサ・テンビビアン・スーは大ヒットを飛ばしたけど、インパクトがあったとか、すごくいい曲だったとか、それぞれ納得がいく理由がある。日本語で歌いさえすれば日本人は受け入れてくれると思ったら甘いわよ。日本人はアジア人歌手の日本語曲を簡単には受け入れない。キレイごと言ってもしょうがないわ、それが事実なんだから。韓国人ならチョー・ヨンピルケイ・ウンスクは小ヒットを飛ばしたけど、オヤジ演歌市場で売れただけ。S.E.Sは前人未踏の挑戦をしているわけね[17]

韓国のアイドルグループが日本でも高い人気を集める事例が相次いだ後世から見れば、時代を感じさせる記述である。石井は文章の末尾で「今の韓国ポップがいかにパワフルでカッコいいか日本人に教えてやりなさいよ。それができるのはあなたたちだけでしょ」と締めくくっていた。また、石井は「韓国で彼女たちは、韓国のトップ・アイドルグループのH.O.Tもいる業界最大手のSMエンターテインメントに所属。先日釜山でH.O.Tのコンサートを見たが、ファンクラブが軍隊みたいで怖かった」とも述べていた。当時は、韓国のアイドルグループ文化を日本人が少しずつ認知するようになった時期である。

  • SMエンタテインメントの後輩グループ東方神起メンバーだった、ジュンスジェジュンユチョンは、SMとの専属契約効力停止の裁判で勝訴し脱退した。この時に彼らは、13年間というSMとの専属契約期間は長すぎると主張していた。SM側は、「女子グループ『SES』は、日本のソニー・ミュージックと契約を結ぼうとしたが、専属契約期間が短いため不安定であることが問題視され、日本での活動ができなくなったことがある」「13年は円滑な海外での活動のため、メンバーらとの合意の下で結ばれた契約だ」と反論していた[18]。S.E.Sの経験が、東方神起メンバーとの長期契約につながった理由のようだ。
  • ユジンはデビュー当時から“韓国のオリビア・ハッセー”の愛称がつく美貌で人気が高く、現在でもMnet「ゲット・イット・ビューティー」の初代MCを務めるなど、ビューティ・アイコンとして認知されている。2000年代初頭というアイドルが女優に転身する例は殆ど無かった時代に、アイドルから女優へ転身し成功した1人である。現在もテレビドラマを中心に女優としての活動をメインにしている。
  • シューは2010年のインタビューで、S.E.S.時代を「華やかなとき」と表現し「当時は本当にたくさん仕事をしましたが、振り返ってみるとからっぽでした。そのときにわたしが持っていたのは、人気、ファンなど、永遠のものではなかったんですから。ですが日本でミュージカルに出演し、その状況をちゃんと乗り越え、今はとても心に余裕が出てきたので、華やかなときに戻れと言われても、そうしたいとは思いません」とコメントしている[19]
  • 2010年4月、シューがプロバスケット選手イム・ヒョソン朝鮮語版(仁川電子ランド)と結婚[20]。結婚式では元メンバー3人全員が集まったことで、「S.E.Sのプチ再結成」として話題になった[21]。同年6月23日午前2時30分に、ソウル江南の病院で男の子を出産した[22]
  • 2011年7月には、ユジンが俳優のキ・テヨン英語版と結婚した。この2人が知り合ったのは、MBCドラマ「恋人づくり」の共演したのがきっかけである[23]。7月23日に京畿道安養のソウル中央教会で行われた結婚式には、元S.E.S.メンバーだけでなく多くの芸能人も出席した。
  • パダは、ミュージカル「美女はつらいの」に2008年から主演(カン・ハンビョル役)を務めていて、数々の賞を受賞した。2011年10月8日〜11月6日に日本・大阪松竹座で行われた公演では、KARAギュリと共にダブルキャストで主演を務めた。『朝日新聞』2011年10月8日付夕刊で、パダはギュリと共にインタビューに応じたが、パダはS.E.S時代について、「当時、韓国のアイドルが日本のテレビに出るなんて大変だったし、どちらの国でも奇異の目で見られた。」「誰もいなかった時代に頑張った経験は自信になっている」と振り返った。ギュリは、「先に道を切り開いた人のおかげ、感謝している」と語った。ちなみに、パダとギュリは、同じく安養(アニャン)芸術高校朝鮮語版の出身で、専攻も同じく演劇である。
  • 2017年3月、パダが9歳年下の一般人(実業家)と結婚。全員が既婚者となった。

ディスコグラフィー

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韓国盤

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アルバム

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タイトル 発売日 販売量 レーベル
1集 I'm Your Girl英語版 1997年12月24日
61万枚
キングレコード/シンナラレコード
1998年 年間 9位 楽曲「I'm Your Girl英語版収録」
2集 Sea & Eugene & Shoo 1998年11月23日
651,331枚
シンナラレコード
1998年 年間 21位 楽曲「

Dreams Come True英語版 」収録

3集 Love英語版 1999年10月29日
770,475枚
WaWa Entertainment
1999年 年間 4位
4集 A Letter from Greenland英語版 2000年12月23日
645,713枚
IK-Pop
2000年 年間 16位
4.5集 Surprise朝鮮語版 2001年7月11日
357,896枚
IK-Pop
2001年 年間 16位
5集 Choose My Life-U英語版 2002年2月14日
406,528枚
IK-Pop
2002年 年間 11位
5.5集 FRIEND朝鮮語版 2002年11月21日
94,654枚
IK-Pop
2002年 年間 66位
20周年記念 Remember英語版 2017年1月2日
6,373枚
IRIVER

VCD,VHS

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タイトル 発売日 レーベル
VCD,VHS Dreams Come True 1999年9月18日 Sego Entertainment
VCD SES nCD 1999年12月23日 Palette Music
VHS 2000 SES First Concert 2000年6月16日 Sego Entertainment
VCD 2000 SES First Concert 2000年6月23日 Sego Entertainment

日本盤

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VAP

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シングル
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タイトル 発売日 オリコン
最高順位
販売量 タイアップ
1st めぐりあう世界朝鮮語版 1998年10月21日
37位
13,780枚
日本テレビ系「ぐるぐるナインティナイン」エンディングテーマ
Remix I'm Your Girl英語版 1998年12月10日
82位
3,090枚
2nd 夢をかさねて朝鮮語版 1999年2月21日
83位
2,470枚
フジテレビ系「そう快!ヒデタミン」エンディングテーマ
3rd (愛)という名の誇り朝鮮語版 1999年6月23日
60位
8,930枚
フジテレビ系「恋ボーイ恋ガール」エンディングテーマ
4th T.O.P (Twinkling of Paradise)朝鮮語版 1999年10月27日
56位
4,840枚
5th Sign of Love/Miracle朝鮮語版 1999年12月8日
78位
3,280枚
日本テレビ系「第78回全国高校サッカー選手権大会」イメージソング

日本テレビ系「TVおじゃマンボウ」エンディングテーマ

6th Love ~いつまでもオンジェ・カジナ~朝鮮語版 2000年4月21日
100位
2,030枚
日本テレビ系「週刊ストーリーランド」エンディングテーマ
7th 海のオーロラ朝鮮語版 2000年7月21日
映画「The AURORA 海のオーロラ」主題歌
8th Lovin' You朝鮮語版 2000年8月2日
日本テレビ系「週刊ストーリーランド」エンディングテーマ
アルバム
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タイトル 発売日 オリコン
最高順位
販売量
1集 Reach Out英語版 1999年3月10日
50位
10,290枚
ベスト Prime -S.E.S The Best- 2000年3月15日
64位
3,750枚
2集 Be Ever Wonderful英語版  2000年5月24日
93位
2,860枚
ベスト HERE & THERE - S.E.S Single Collection 2001年3月16日
DVD,VHS
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タイトル 発売日
PV集 S.E.S VIDEO CLIPS 2000年8月23日

avex

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アルバム
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タイトル 発売日
4集 A letter from Greenland 2001年6月12日
1集 SES 2001年8月22日
2集 SES2 2001年8月22日
3集 SES3 Love 2001年8月22日
5集 Choose My Life - U 2002年5月2日
ベスト BEST 2002年7月10日
ベスト BEAUTIFUL SONGS 2003年6月25日
DVD
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タイトル 発売日
PV集 BRILLIANT CLIPS 2003年6月25日

出演

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テレビ

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レギュラー

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音楽番組

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バラエティ番組

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ラジオ

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CM

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韓国

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脚注

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  1. ^ S.E.S」と表記していることもある。
  2. ^ SES - Just A Feeling-YouTube
  3. ^ S.E.S.、デビュー20周年記念プロジェクト開始へ!収益の20%は寄付『Kstyle』2016年11月23日
  4. ^ 「S.E.S.」、きょう20周年プロジェクト音源発表『WoW!Korea』2016年11月27日
  5. ^ S.E.S.、単独コンサートのチケットが予約開始2分で完売『Kstyle』2016年12月1日
  6. ^ ファン・ボヒョン「コンサート会場での風船文化」、『K-POPSTAR Vol.2』、マガジンランド、2001年6月、PP92-93。
  7. ^ 『少女時代見聞録』少女時代研究会:編、蒼竜社、2010年、p29
  8. ^ 『韓国エンターテインメント三昧』田代親世:著、芳賀書店、2000年、p52
  9. ^ http://www.kpopsfan.com/home/ttma/ttma2.htm
  10. ^ 『K‐POPパーフェクトBOOK』阿部泰之:著、イーストプレス、2011年、p80
  11. ^ 『K‐POPパーフェクトBOOK』p205
  12. ^ 韓国のSPEED“S・E・S”日本語で熱唱スポーツニッポン、2000年3月21日。
  13. ^ 『HOT CHILI PAPER別冊 K-POPバイブル2005』エイチ・シーピー、2005年
  14. ^ 『韓国エンターテインメント三昧』p55、59
  15. ^ http://www.interq.or.jp/earth/tataku/04log/060603.htm
  16. ^ 中森昭夫「アイドルは国境を超える!」『SPA!』1998年10月7日号、扶桑社、p7
  17. ^ 石井恒「S.E.S 韓国じゃカッコいいR&Bをやっているのに、何故日本人向けに上品ぶる必要がある?」『別冊宝島516号 音楽誌が書かないJポップ批評7』2000年、宝島社、p83
  18. ^ 東方神起のメンバー3人「チーム解散は願わない」『東亜日報』2009年8月22日
  19. ^ http://www.wowkorea.jp/news/FocusRead.asp?nArticleID=66643
  20. ^ http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=4&ai_id=109927
  21. ^ http://www.kntv.co.jp/news/?p=36213
  22. ^ http://www.wowkorea.jp/news/enter/2010/0623/10071856.html
  23. ^ http://www.wowkorea.jp/news/enter/2011/0511/10083657.html

外部リンク

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公式サイト

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ファンサイト

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Member

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