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Portal‐ノート:歴史学

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誰か書いてー

運用方針

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えーと、このPortalの運用方針ですが。Portal:歴史と重複があるのはある程度しょうがないとして、例えば新規記事などで歴史的な出来事・人物などはPortal:歴史へ、歴史家・歴史学者・歴史書・歴史学用語などの記事がこちらと言う区分けで良いでしょうか?らりた 2006年6月19日 (月) 13:07 (UTC)[返信]

そうですね、そういう分けかたでいいかもしれません。私も1から10まで決めて立ち上げたわけではないので、今後のことも話し合いながら進めていければと思います。S kitahashi(Plé)2006年6月19日 (月) 13:18 (UTC)[返信]
すでにPortal:歴史があるのにこのポータルを立ち上げる理由がわかりません。利用者を、それも初めて『ウィキペディア(Wikipedia)』を利用する利用者のようになれていない人々を惑わすだけだと思います。すでにかなり形を成すものになっているようですが、再考いただきたく思います。219.97.105.61 2007年1月5日 (金) 20:46 (UTC)[返信]


「利用者を、それも初めて『ウィキペディア(Wikipedia)』を利用する利用者のようになれていない人々を惑わすだけ」とのことですが、「惑う」のはWikipedia利用歴には関係ないのでは?不慣れな方でも、多少なりとも歴史学に興味のある方ならばPortal:歴史Portal:歴史学の違いは一目瞭然(歴史と歴史学の違いは初歩の初歩です)ですし、Wikipedia熟練者でも歴史学に興味が無ければ、Portal:歴史があればPortal:歴史学は無用と思う方がいるかもしれません。熟練者以外分からないというのであれば考え直す必要があるとは思いますが、紛らわしい理由が個人の関心と見識にあるのであれば、それを理由としたポータル廃止には賛成できません。ちなみにFAQに歴史と歴史学の違いが簡単に書かれておりますので、ご覧頂ければと思います。 コータ 2007年1月7日 (日) 07:53 (UTC)[返信]

体系として

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えーと、従来から歴史物語的な叙述が気になっておりましたので、本ポータルの趣旨には賛成なのですが、ちょっと確認したいことがあります。

以前日本の歴史スタブの提案をした際の議論の流れでは、Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の歴史を新設しようという意見が出ておりました。また、S kitahashiさんからは現在の歴史スタブが膨大すぎるとのご意見も頂きました。そういう観点に立つと、現在の「歴史」分野のウィキプロジェクトもポータルもスタブも分野が広すぎると思います。歴史学を分離するのであれば、そのうち日本史、西洋史(?)、東洋史(?)なども分離する必要も出てくるでしょう。そう考えると、Portal:日本の都道府県のように、個々の分離ポータルをPortal:歴史のサブページ化することも検討すべきではないでしょうか?Portal:歴史認識と戦後処理もPortal:歴史の下位に位置づけるべきだと思います。(ただ、そうするとPortal:歴史がメタポータル化してしまうという批判はあると思いますが)

本ポータルの今後の展開や、将来の歴史分野のポータル体系についてどのような方向性で望もうとしているのか、話し合いのたたき台的なお考えがございましたらご提示下さい。--ろう(Law soma) 2006年7月13日 (木) 01:09 (UTC)[返信]

直接には歴史理論ですが、おそらくPortal歴史が逃してしまっているであろう社会史・民衆史・ジェンダー史なども射程に入ってくるかと思っています。さしあたり、読書案内を作ろうかなあと思っています。S kitahashi(Plé)2006年7月26日 (水) 21:57 (UTC)[返信]

何で?

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ログインしないと、「読書案内」見れません。--獨頭 2006年7月27日 (木) 03:08 (UTC)[返信]

こちらでログインせずにアクセスしたら、見れました。Firefoxです。環境が影響してるのかもしれません。S kitahashi(Plé)2006年7月27日 (木) 06:16 (UTC)[返信]
そうですか。今日、図書館から試したのですがやはり表示されませんでした。ちなみに自宅はXPとIE6、図書館は(多分)2000とIE6です。他の人の意見も聞きたいですね。なにが理由なのかな。--獨頭 2006年7月27日 (水) 12:38 (UTC)[返信]
私の環境からだと読書案内は問題ないですが、上の「最近の出来事」が見られません。環境はXPとSleipnilです。らりた 2006年7月27日 (水) 12:45 (UTC)[返信]
なるほど。IE系統だけがおかしいのでしょうか。後ログインしていても、外装をシンプルにするとやはり表示されません。こんなのはじめてなので、ちょっと困惑しますね。--獨頭 2006年7月27日 (木) 13:12 (UTC)[返信]

読書案内の選定について

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思うのですが、『回顧と展望』に載ったレヴェルだと敷居が低すぎて、すぐタイトルがあふれるような気がするのですが。どうでしょう。それとも一定期間ごとに入れ替えるのが前提なのでしょうか。「もっと読む」みたいに他の所に飛べればよいかな、とも思うのですが。--獨頭 2006年7月27日 (水) 12:38 (UTC)[返信]

数があふれるだろうなとは思っています。トップに表示するのはある程度の数に抑えて、サブページかどこかで詳述したほうがいいかな、といま考えています。よいアイデアがあればお願いします。S kitahashi(Plé)2006年7月27日 (木) 15:54 (UTC)[返信]
分野別にサブページ化して、それをローテーションでまわすのはどうでしょうか。欲を言えば、その時の新規記事・特集記事と連動してそれに関する読書案内が出来れば理想的だと思うのですが。あと、ISBNも付けた方が良いかと思いますが、うっとおしいような気もしますので、案内のページには書名と著者のみ記述して、他の総合索引のようなページでISBN・出版社・出版年といったデータを提示するのが良いかもしれません。もっと欲を言えば、そこで簡単な内容の紹介があれば・・・。言い出したらキリが無いですけどね。らりた 2006年7月28日 (金) 12:48 (UTC)[返信]
そうですね。それできれば大変良いと思います。東洋史なら東洋史のサブページ(ストックも兼ねる)には詳しめに古典的研究を用意しておき、テーマ変更に伴いそこからピックアップするというかたちにすれば、選択する人も楽かな、と思います。ISBNも勿論あった方が便がよいでしょう。ただ最初わたしも書籍追加したとき、プレヴュー段階では付けて紹介しようと思ったのですが、どうも行が長くなり見ずらく感じました。この点仰るとおりです。ですので、レイアウトを変えるか、ストックたるサブページの方に付けるというのはどうでしょう。階層化しすぎるという批判は有るかも知れませんが。--獨頭 2006年7月28日 (金) 14:15 (UTC)[返信]

インデント戻します。とりあえずの形で/西洋史を作ってみました。まだ色々手を入れないといけませんが。。どんなもんでしょうか。S kitahashi(Plé)2006年7月28日 (金) 17:28 (UTC)[返信]

問題ないかと思います。ただ値段は、古典研究とかが多くなるでしょうから(絶版が多くなる可能性もあり)、無くても良いかもと感じました。谷垣が消費税段階的に引き上げるとか言ってますので、その度に変更しなくてはいけなくなるというのもあります。

テーマの種類と選定方法

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希望するテーマとしては、~世紀(数100年ぐらいずつ)、社会風俗史・思想史・伝記・工具書・翻訳資料かな。テーマもあらかじめストックしておけば、回していくのが楽かと。--獨頭 2006年7月29日 (土) 01:10 (UTC)[返信]

準備中のポータルについて

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ドラフトが作成されて、異論がないようであれば、2007/02/17 10:45(UTC)から、ドラフトから正式なウィキポータルへの移行を実施したいと思いますので、よろしくお願いします。Wikipedia:井戸端 (告知)をご参照ください。--Tantal 2007年2月11日 (日) 01:51 (UTC)[返信]

(取り下げ)Wikipedia:井戸端 (告知)#ウィキポータルについてをご覧ください。少々早急に過ぎたようです。--Tantal 2007年2月12日 (月) 08:33 (UTC)[返信]

読書案内への

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この編輯から、読書案内がテンプレート呼出されなくなっていますが、なにか理由があるんでしょうか。--じゆにち 2007年5月15日 (火) 14:36 (UTC)[返信]

何の説明も無いまま独断で削除しました。大変失礼致しました。読書案内はPortal:歴史学にしかなく、本の広告に思えたからです。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかにおいて「広告の場ではありません」と明記しています。出典先の表示ならともかく本の羅列はまずいと思いました。--八代将軍 2007年5月15日 (火) 15:05 (UTC)[返信]
あの一覧は、このポータルの大きな魅力になっていました。たしかに「広告」の意味もありましょうが、有意なものだ、と少なくともわたしは感じていたので、惜しく思っています。って、ここで感想をはきだしても意味ないんですが。なにか、体裁をかえる必要があるのか。他のひとの意見をききたいです。--じゆにち 2007年5月18日 (金) 13:45 (UTC)[返信]

いま気付いたのですが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 鳥類では文献を一覧で並べていますね。それに準じるか、もしくはwikiaを利用する手も考えられます。私としては鳥類に倣うほうが楽でいい(!)のですが…。--S kitahashi(Plé)2007年6月24日 (日) 22:54 (UTC)[返信]

評価の定まった、既に著名な文献ならば広告にはならないのではないでしょうか。宣伝にならないようにローカルルールが定められていましたし、少なくとも歴史学においては、Wikipediaよりも信頼性、著名性ともに遥かに上である文献が採り上げられていたと思います。いまさらWikipediaで『歴史とは何か』や『岩波講座』を紹介したからといって、宣伝になるとは思えません。--コータ 2007年6月25日 (月) 13:19 (UTC)[返信]
中国関係のいくつかを書いた者として私見を述べれば、挙げた文献はいずれも日本で刊行されてより大分時を経て評価が定まったものばかりを選んだつもりです。宣伝にあたるとはちょっと思えません。--獨頭 2007年6月25日 (月) 23:29 (UTC)[返信]

流れとしては戻したほうがよさそうな感じですね。さしあたり削除した方に呼びかけてみました。少し様子を見て戻す方向で考えましょうか。--S kitahashi(Plé)2007年6月27日 (水) 17:14 (UTC)[返信]

便利な一覧であることは分かります。しかしポータルに貼ってあると「Wikipediaに無いから他に行け」と言われているようで、どうも腑に落ちません。ポータルは閲覧者視点で作るべきであり、もっと主要項目を増やしウィキペディア内を閲覧するように仕向けるのがポータルの役割だと考えます。メインページに全文を呼び出すのではなく、リンクとして表示しておいて「参考にどうぞ」程度でよろしいかと思います。また、ウィキプロジェクトに貼る分には問題は無いでしょう。「文献を参考に執筆して下さい」という意味あいを持たせられますから。--八代将軍 2007年6月28日 (木) 00:10 (UTC)[返信]
ウィキペディアは百科事典です。概説書でも専門書ではありません。役割が違うのです。例えば山川の『世界歴史体系 中国史』と同じ位の内容をウィキペディアの記事に書くことは正しいことでしょうか。私にはそれはバランスを欠いた行為に思えます。あくまで百科事典は大まかな知識を得るためにあるものであり、より詳しい知識を得たいならその分野の概説書、それでも満足できないなら専門書、それでも満足できないなら雑誌掲載の論文を自分で渉猟する。という段階を取るべきと思います。ですのでウィキペディアが専門書の紹介をすることはなんら不適当な行為とは思いません。むしろ推奨される行為と思います。もちろんその紹介する書物のラインナップにもよるでしょうが。らりた 2007年7月1日 (日) 13:36 (UTC)[返信]
読書案内復活させました。一、二週間議論なく経過したこと。二、ノートでの趨勢を見る限り、賛成する人の方が圧倒的に多いこと。以上の理由からです。議論が終了したとも思いませんが、賛同者の方が多いので、一度復活させた状態で論じる方が適切かと思います。--獨頭 2007年7月13日 (金) 16:59 (UTC)[返信]

Porta歴史学版「百科事典にあるべき項目」

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標題の件について、さしあたりあるべき項目100を作りました。この先バイト数や文献明記などの質を明記してチェックするとともに、量的には歴史家100などといったぐあいに(できる範囲で)拡げていけたらと思っています。列挙した項目は私が考えたものなのでご意見etcあろうかと思います。そのさいは、Portal‐ノート:歴史学/百科事典にあるべき項目100で話し合えたらと考えています。よろしくお願いいたします。--S kitahashi(Plé)2007年6月27日 (水) 17:52 (UTC)[返信]

「世界の一体化」の分割提案

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現在世界の一体化にて、「記事量が長大であるため、どうにかしよう」ということで分割提案がなされています(ノート:世界の一体化#改めて分割提案)。「分割がそもそも必要か」「そもそも百科事典的か」など根本的な話もされるかと予想されますので、みなさまご参加よろしくお願いします。--青子守歌会話/履歴 2008年3月4日 (火) 19:06 (UTC)[返信]

最終的なまとめにて、分割案の最終確認を行なっています。一応、期限は2008年5月6日 (火) 0:00(JST)となっていますので、何か問題があると思われる場合は早めに反対表明をお願いします。賛成(問題なし)の場合も、そのように言っていただけると助かります。よろしくお願いします。--青子守歌会話/履歴 2008年5月4日 (日) 17:14 (UTC)[返信]

改名投票のお知らせ

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歴史・軍事関係の下記の記事ノートにおいて、改名投票を実施中ですでお知らせします。投票有資格者による厳正な審査をお願いします。
--Yasumi 2012年2月19日 (日) 00:07 (UTC)[返信]
再度のお知らせです。ノート:小田原の役#改名投票2にて「小田原の役」または「小田原征伐」への改名再投票が実施中です。熟慮の上、投票をお願いします。--Yasumi会話) 2012年3月22日 (木) 21
16 (UTC)

スタブカテゴリ作成依頼

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歴史学と考古学のスタブカテゴリとスタブテンプレートが欲しいです。--RJANKA会話2014年12月24日 (水) 01:14 (UTC)[返信]

正式リリース提案

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Wikipedia‐ノート:ウィキポータル#正式リリース扱いとなっていた製作中ポータルの取扱いにて本ポータルの正式リリースの提案を行っています。--Asturio Cantabrio会話2015年12月5日 (土) 18:59 (UTC)[返信]

「明智光秀」での、ある出典リンクの有用性について意見募集

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記事中で、在野ながら歴史学の研究者から評価されていると思われる方の個人ブログを出典とした記述がありますが、そのブログへのリンクがMediaWiki:Spam-blacklistの対象になっています。この記載が記事の解説のうえで有用と思われる場合はMediaWiki:Spam-whitelistへの追加依頼を考えています。日本史学に詳しい方からのご意見もいただきたく、こちらでもご案内します。議論場所は、ノート:明智光秀#脚注89についてです。--郊外生活会話2020年10月14日 (水) 06:04 (UTC)[返信]

読書案内Portal:歴史学/イスラーム史の分類について

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読書案内について、2020/05/22に既存のテンプレートに沿って「イスラーム史」のページを作成したのですが、実際に作成してみるとどうにも無理があると感じます。

  • そもそも西アジア地域だけ「イスラーム」でまとめられていることから、他地域のページとの統一感が失われる
  • 東南~南アジアやアフリカ各地、イベリア半島、東欧といった境界領域で大幅な重複が生じる
  • イスラーム以前の時期の文献を挙げる場所がない

その一方で、大陸的なくくりを重視してエジプトとシリアを分けるというのも、やはり無理があります。 例えばこれを「MENA地域・中央アジア史」に修正してはどうでしょうか。 --Qsarkbir会話2021年6月6日 (日) 09:17 (UTC)[返信]

実際の学問分野が古代オリエント史とイスラーム史に分割されている以上、「古代オリエント史・イスラーム史」のような折衷的なタイトルにして通史的に理解できるような文献リストにするか、「古代オリエント史」を立ち上げて別分野として扱うかのいずれかになると思われます。参考になるか分かりませんが、"あとがきたちよみ『イスラームは特殊か』"を挙げておきます。--茂林寺たぬき会話2021年6月6日 (日) 20:07 (UTC)[返信]
確かに、特に日本では第2次世界大戦以前の伝統から「イスラーム世界」が実体的に捉えられ、「イスラーム世界」の歴史を研究する「イスラーム史」が独立した分野として扱われるとともに、それ以前の西アジアや地中海地域の歴史と切り離されてきたという経緯はあります。しかし、この「イスラーム世界」という概念自体、羽田の『新しい世界史』(2011)以降、その正当性に疑問を突き付けられているという状況があります。提示された『イスラームは特殊か』もむしろ、それまでの西アジア研究における、イスラーム以前と以後の断絶を前提とし、それ以降のこの地域の状況をイスラームと結び付けて解釈しようとする傾向を批判したものではないでしょうか。この本は、古代メソポタミアの宗教史を専門とする柴田と主にマムルーク朝史を研究している中町による、古代からヘレニズム時代、イスラームの誕生、オスマン朝期を経て現代までの連続性を打ち出そうという試みであるからです。もちろん、古代メソポタミアから現代までが直接連続するわけではありませんが、近年の西アジアの研究では、古代末期からイスラーム期にかけての歴史的連続性を強調するほうが一般的であるように思います。ドナー『イスラームの誕生―信仰者からムスリムへ』(2014)はイスラームの誕生を古代末期の西アジアの宗教的文脈から読み解いた作品として注目されたわけですし、大塚『普遍史の変貌』(2017)はイスラームの誕生以降のペルシア語文化圏の知識人が、古代の歴史をどのように捉えていたのか明らかにした作品です。小林・馬場『地中海世界の中世史』(2020)では、6世紀から10世紀にかけて地中海世界の多くの地域がアラブ勢力の政治勢力下に入っていく過程を示しています。また、蔀『物語 アラビアの歴史』(2018)でもアラビア半島の諸部族の歴史を古代から、濃淡はありますが現代まで追っています。シンポジウムや欧文の研究を加えれば、リストはさらに長くなります。また、西アジアの歴史を古代から現代まで、地域単位で記述した例も、2002年の山川出版社による世界各国史シリーズにおいて『西アジア①アラブ』と『西アジア②イラン・トルコ』という形で、すでにあります。ことさらにイスラームの誕生をもって歴史叙述上の大きな区分とするのは、今日ではあまり妥当とは思えません。それから、実際の学問分野が分割されているといっても、オリエント学会では以前から、西アジアの古代からイスラーム以降までの人文学諸分野の報告がされています。個人的な人間関係だけでなく制度的にも、イスラーム以前と以後で全く断絶しているわけではありません。
以上のことから、やはりほかの分野と同様地域単位、つまり西アジア、もしくはその周辺地域で一つのまとまりとして、その内部の各地について古代から代表的な研究を挙げていただいたほうが良いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。「東南~南アジアやアフリカ各地、イベリア半島、東欧といった境界領域で大幅な重複が生じる」という問題はそのままですし。--Qsarkbir会話2021年6月8日 (火) 09:06 (UTC)[返信]
平成30年改訂の高等学校学習指導要領解説 地理歴史編では、ユーラシア諸地域の中の西アジア世界という扱いになっているようで、地域でくくるならば「西アジア史」、もしくは西アジア・中東史の記事名に合わせるのが良いのではないかと思います。なお、イスラーム史に限らず、昨今流行りのグローバル・ヒストリーでは民族・異文化間の状況や関係性を重視するので、地域史を学ぶ資料が「境界領域で大幅な重複が生じる」ことはテーマによっては普通にありえると考えます。--茂林寺たぬき会話2021年6月13日 (日) 01:15 (UTC)[返信]
提案ありがとうございます。ほかに異論がないようでしたら、いったん「西アジア史」にする方向で調整したいと思います(少し時間がかかると思います)。その扱う範囲については、記事の冒頭で一言説明することとします。--Qsarkbir会話2021年6月13日 (日) 23:12 (UTC)[返信]
  • 賛成 変更に賛成です。その上で、以下に提案をします。
  1. 東洋史に「西アジア」があるので、その内容を変更後に移してもよいでしょうか。重複する文献は整理します。
  2. 東洋史には「中央アジア」「南アジア」「東南アジア」などもあるので、今後は東洋史が「東アジア」になり、それぞれの地域に分割するのがよいのかもしれません。その点について、ご意見があればいただけると幸いです。
  3. たとえば「宗教史」などのテーマ史を作り、その中にイスラーム史を含めることは可能でしょうか。これについてもご意見をいただければ幸いです。個人的には「経済史」「美術史」「女性史」などのテーマ史を作ろうかと考えていたところでした。--Moke会話2021年6月15日 (火) 00:40 (UTC)[返信]
  • コメント 「イスラーム史」という記事名を改めることには賛成です。名称案は「西アジア史」のほか、「西南アジア史」も有力かと思います(参照)。「西南アジア史」という名前にしておいた方が広い領域を含ませることができ、古代オリエント史・イスラーム史をどこに書くかという問題も多少解決するかと思います。ただし、「西南アジア」という言葉が分かりにくいことは否めませんので、どちらの方が分かりやすいか、また整理しやすいか、みなさまでご判断いただければ幸いです。--Gynaecocracy会話2021年6月16日 (水) 05:47 (UTC)[返信]
報告 こちらへのご報告が遅くなりましたが、議論が西アジア史への改名で一応の一致を見ており、これ以上発展も見込めないことから、Portal:歴史学/西アジア史へ改名しました。現在は改名に伴い項目名と一致しなくなった文献の移動作業を行っています。--下北ソフィア会話2021年7月6日 (火) 19:25 (UTC)[返信]