アイ高野
アイ高野 あい たかの | |
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出生名 | 高野元成 |
別名 | MOTCHIN |
生誕 | 1951年1月12日 |
出身地 | 日本・東京都 |
死没 | 2006年4月1日(55歳没) |
ジャンル | |
職業 | 歌手・ドラマー |
担当楽器 | ボーカル・ドラムス |
活動期間 | 1967年 - 2006年 |
レーベル | キングレコード・日本コロムビア |
共同作業者 |
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公式サイト | アイ高野オフィシャル・サイト |
アイ 高野(アイ たかの、1951年1月12日 - 2006年4月1日)は、日本の歌手、ドラマー。東京都出身。ソロでは、あい たかの名義で活動していた時期あり。本名は、高野 元成(たかの もとなり)。愛称は、モッチン。
経歴
[編集]アイ高野は、東京都大田区大森出身である。1967年、「ザ・カーナビーツ」を結成。16歳で『好きさ好きさ好きさ』(1967年)が120万枚を売上、大ヒットとなった[1]。その後も『恋をしようよジェニー』[2]、『オーケイ』等のスマッシュヒットを飛ばし、GSブームを牽引した。在籍時にはイギリスのロックバンド、「The Walker Brothers」のメンバー、ゲイリー・ウォーカーとのジョイント・シングルを発表(『恋の朝焼け』。英語タイトルは『Cutie Morning Moon』)。1969年にザ・カーナビーツは解散[3]。なお、1stアルバム収録曲の『素敵なサンディー』は、1993年に「Wellwater Conspiracy」(アメリカのロックバンド)によってカバーされた[4]。
ザ・カーナビーツが解散してすぐに「エディ藩グループ」に参加するが、翌1970年に半数以上のメンバーが抜けた「ザ・ゴールデン・カップス」と合併することになり、そのままザ・ゴールデン・カップスのドラマーに収まってアルバムとシングルを2枚ずつ残す。アイは「音楽は自分にとって水や空気と同じで、音楽を辞めることは死ぬことと同じ」という考えを越川ヒロシに語るほど、音楽を愛していたという。
ソロとして、筒美京平から楽曲の提供を受けたが、自分の音楽性と合わないという理由で提供を辞退している。越川ヒロシによると、その楽曲は西城秀樹が小ヒットさせた「恋する季節」だったという。[5]1972年にザ・ゴールデン・カップスが解散した直後は「あい たかの」名義でソロ活動し、シングル『そよ風のバラード(/初恋の森)』(スウィング・ウエストのカバー)、同名のアルバム、シングル『青空よ帰ってこい(/人生進行形)』を続けてリリースしたのち、再びエディ藩グループに加わる。しかし、程なくして脱退し「ママリンゴ(ニュー・ゴールデン・カップス)」と「ミッキー吉野グループ」を渡り歩く。レコードデビュー以前のゴダイゴの、初期メンバーにも加わっている。
1970年代後半には、ロックミュージカル劇団「ミスター・スリム・カンパニー」の劇伴演奏バンド「スーパーマン」に属してアルバム『ミスター・スリム』(1976年)を発表したり、自らのリーダーアルバム『コミュニケイション - アイ高野とロックン・ロール・フレンズ』(1977年)を発表したりした。他にも、「ゴダイゴ」のドラマー浅野良治の代役[6]や、岩城こう一や中村雅俊のコンサートのバックバンド[7]などを務めたり、「竹田和夫オールスターズ」に参加したり、「アイ高野オールスターズ」を組んでライブを行ったりした。
1980年には「ブルース・クリエイション」を母体とした「クリエイション」[8]に参加。アイ高野加入時から音楽性が大幅に変化した。この時期、バンド名の日本語表記をそれまでの「クリエイション」から「クリエーション」へと変更。アクションTVドラマ『プロハンター』(1981年)の主題歌『ロンリー・ハート (Lonely Heart)』がヒット。
この頃にはソロ活動も並行して行っており、『ビッグ・トゥモロー(/アゲィンスト)』(1981年)や『シティ・サバイバル(/ビッグ・トゥモロー)』(1982年)といったシングルをリリース。さらに、パーカッション奏者として、松田優作の歌手活動(1981年)やエディ藩のソロ活動(1982年)を、クリエーションのメンバーらと共にサポートした。
1983年には特撮TVドラマ『ペットントン』の主題歌、1985年には同『巨獣特捜ジャスピオン』の主題歌をアイ高野名義で歌唱。また、MOTCHIN名義で1983年にロボットTVアニメ『銀河疾風サスライガー』の主題歌を担当するとともに、1983年~1984年にかけてはラブコメTVアニメ『愛してナイト』に関わり、藤村幸宏らと「アイ高野とビーハイヴ(BEEHIVE)」としてシングルおよびアルバムを2枚発表した(久石譲が作編曲で関わっている)。アイはGSの複数バンドのメンバーを集めた「タイガース・メモリアル・クラブ・バンド」にも参加している。
その後も、NHKみんなのうたの『ラ(LA)・ラ(LA)・ラ(LA)』を担当したり、タケカワユキヒデと共同作業をおこなった。浅野孝己との単発ユニット、親友安岡力也やSSW東ユースケとRAYSを結成したり、GS関連の企画コンサートに精力的に出演するなどの活動をおこなった。
2006年4月1日、急性心不全のため都内の病院で死去。没年55歳。告別式には、ザ・ゴールデン・カップスのメンバー3人、ジョー山中、安岡力也、真木ひでと、鈴木ヒロミツ、加橋かつみ、渡辺茂樹、岡本信、ザ・カーナビーツの越川ヒロシ、喜多村次郎、岡忠夫、ポール岡田らが参列した。
ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]- そよ風のバラード(1972年) - あい たかの 名義
- 青空よ帰ってこい(1972年) - あい たかの 名義
- ボーイ・ハント(1977年、プロモーション盤のみ)
- アイ・ウォント・アイ・ニード・アイ・ラブ・ユー(1978年、作曲を担当) - 安西マリア
- ブラザーズ・ソング(1981年、『ヨコハマBJブルース』主題歌) - 松田優作
- クリエイションのメンバーとしてバック演奏を担当。
- 横浜ホンキートンク・ブルース(1981年、クリエーションとしてバックアップ) - エディ藩
- ノー・コメント(1983年、クリエイションとしてバックアップ) - ELICA英莉花
- 銀河疾風サスライガー(1983年、『銀河疾風サスライガー』主題歌) - MOTCHIN 名義
- ロング・グッナイ(1983年、『銀河疾風サスライガー』挿入歌) - MOTCHIN 名義
- アイ高野が作曲も担当。
- プラネッツ・ベイ・ロード(1983年、『銀河疾風サスライガー』挿入歌) - MOTCHIN 名義
- ペットントン(1983年、『ペットントン』主題歌)
- ROCK TO THE MUSIC(1983年) - ジャン ケン ポー/JAN KEN POW 名義
- スペース小町(1983年、『天まであがれ! 2』主題歌) - ジャン ケン ポー/JAN KEN POW 名義
- 恋する気持ちはドーナツの中(1984年、『OKAWARI-BOY スターザンS』EDテーマ)
- おれが正義だ!ジャスピオン(1985年、『巨獣特捜ジャスピオン』主題歌)
- 懐かしきラブソング(1988年) - タイガース・メモリアル・クラブ・バンド 名義
- 君よ女神のままに(1990年、『ぼくと、ぼくらの夏』主題歌) - タイガース・メモリアル・クラブ・バンド 名義
- 好きさ好きさ好きさ(1991年、ゲストボーカルで参加) - Mi-Ke
- ブルーシャトウを君だけに(1992年、マキシシングル) - タイガース・メモリアル・クラブ・バンド 名義
- OH OH OH(1995年) - タイガース・メモリアル・クラブ・バンド 名義
- 負けないぜ!!~俺たちのメロディー~(1998年、真木ひでと版) - アダルティ 名義
- 負けないぜ!!~俺たちのメロディー~(2004年、安岡力也版) - RAYS 名義
他多数
アルバム
[編集]- そよ風のバラード(1972年) - あい たかの 名義
- 1974 ONE STEP FESTIVAL(2019年、発掘ライブ音源) - ミッキー吉野グループ 名義
- 神出鬼没 - nowhere to belong(2013年、お蔵入りになっていた1976年の録音物) - 横倉祐児
- アイ高野を含むミッキー吉野グループが全面バックアップしたボーカリストの作品。
- NEW YORK(1978年、8人のギタリストによるフュージョンアルバム) コンピレーション
- ハーデスト・デー(1981年、クリエイションとしてバックアップ) - 松田優作
- 丁度バンド名が「クリエイション」から「クリエーション」に切り替わる時期。
- ハーデスト・ナイト・ライブ(1981年、バックバンドで参加したライブ作品) - 松田優作
- Midnight Ramblerは、クリエーションのアルバムにも収録されているアイ高野が作った曲。
- グループ・サウンズ・グッディーズ VOL.2~5(1981年、G.S.ソングの新録音集) コンピレーション
- VOL.1には未収録。
- さらば愛しき女よ(1982年、バックボーカルで参加) - 内田裕也
- BLUE JADE(1982年、クリエーションでバックアップ) - エディ藩
- ネオン・シティ(1982年、ドラムで個人参加) - エディ藩
- 横浜ルネッサンス(1983年、作曲で参加) - デイヴ平尾
- ELICACY野性美学(1983年、クリエイションでバックアップ&作曲も担当) - ELICA英莉花
- 銀河疾風サスライガー オリジナル・サウンドトラック(1983年、同名アニメのサントラ) コンピレーション
- 銀河疾風サスライガーII オリジナル・サウンドトラック(1983年、サントラの第二集) コンピレーション
- OKAWARI-BOY スターザンS 音楽集(1984年、同名アニメのサントラ) コンピレーション
- PARTNER(1984年、同名漫画のイメージアルバム) コンピレーション
- 湘南爆走族(1984年、同名漫画のイメージアルバム) コンピレーション
- 湘南爆走族II 湘爆ハート☆ブレイク(1985年、イメージアルバムの続編) コンピレーション
- 巨獣特捜ジャスピオン ヒット曲集(1985年、同名ドラマのサントラ) コンピレーション
- わくわく動物ソング(1985年、同名TV番組のサントラ) コンピレーション
- 同じTBSの番組『わくわく動物ランド』とは無関係。
- WE LOVE KENTO'S(1986年、二枚組ライブ作品) コンピレーション
- グループ・サウンズ・カーニバル(1986年、ライブ作品) コンピレーション
- 優&魅衣(1987年、同名漫画のイメージアルバム) コンピレーション
- タイガース・メモリアル・クラブ・バンド(1988年) - タイガース・メモリアル・クラブ・バンド 名義
- タイガース・メモリアル・クラブ・バンドII(1990年) - タイガース・メモリアル・クラブ・バンド 名義
- Hello Everybody(2006年、ミニアルバム) - SUPER GROUP SOUNDS 名義
- 生前最後の録音曲を含む自主製作の追悼盤。
他多数
映画
[編集]- ザ・カーナビーツとして
- サラリーマン悪党術(1968年) - 長谷川役
- 爆発!750cc族(1976年) - アイ高野バンドとして
- ヨコハマBJブルース(1981年) - クリエーションとして
- ぼくと、ぼくらの夏(1990年) - ラジオディレクター
- ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004年) - 本人
テレビドラマ
[編集]- わたしは海(1978年)
舞台
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “ザ・カーナビーツのデビュー曲「好きさ好きさ好きさ」秘話”. music-calendar.jp. 2023年5月17日閲覧。
- ^ “大人のMusic Calendar|大人のミュージックカレンダー”. music-calendar.jp. 2023年5月17日閲覧。
- ^ “ザ・カーナビーツのポール岡田氏が語るGS斜陽「涙のライブ」”. NEWSポストセブン. 2024年2月14日閲覧。
- ^ “discogs-Wellwater-Conspiracy-Sandy”. Discogs. 20240215閲覧。
- ^ 「ザ・カーナビーツ物語」p.156 編著・名和宏、監修・越川ヒロシ
- ^ “GODIEGO”. www.studio-g3.com. 2024年2月4日閲覧。
- ^ “アイ高野さん、そして、ゾンビーズ、ふたりのシーズン - Ommo's”. goo blog. 2024年2月4日閲覧。
- ^ 竹田和夫のロックバンド
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 日本ロック名鑑「アイ高野」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-aitakano.htm
- アイ高野を偲ぶ(週刊朝日)https://dot.asahi.com/articles/-/2094?page=1
- 大人のミュージックカレンダー「大好きだったアイ高野」http://music-calendar.jp/2016011102
- モッチン!ありがとう(竹田和夫)https://blog.goo.ne.jp/nighthawk_1952/e/a58749a6fa26a1e2176c4ddb563c4160
- 竹田和夫インタビュー④ 最大のヒット曲になった「ロンリー・ハート」https://reminder.top/307237110/