KINYA (タレント)
KINYA(きんや、1949年9月6日 - )は、日本のマルチタレント。
来歴
[編集]高校時代に西野バレエ団にスカウトされて高校を中退して、金井克子の付き人を経て、由美かおるのバックダンサーとして下積み生活を送る。下積みの間、大阪で工場勤務の他、喫茶店のボーイ、クラブのホストなど、いくつ就いたかわからないほどの職業を経験、全国を放浪したこともあった[1]。
20歳過ぎで上京し、24歳で新宿二丁目にオカマバーを開店して成功を収めた。バーの客に当時フジテレビプロデューサーだった横澤彪がいたことから、1982年から『笑っていいとも!』の木曜レギュラーに起用される。コーナーの「美少年コンテスト」も企画した。同番組で共演していた松金よね子・渡辺めぐみとよめきんトリオを結成、トリオでレコードデビューも果たすと同時に、竹内まりやが詞と曲を提供し、アン・ルイスがプロデュースしたシングル「涙のデイト」で本格レコードデビュー(これ以前、1980年11月に『ああ教習所』というコミックソングのレコードを出している)。おかまキャラのタレントとして活躍した[2][1]。
2000年、当時離婚騒動でワイドショーを賑わせていた小柳ルミ子が「ぐるぐるナインティナイン」に出演した際のドッキリ企画で「小柳さんに会いたいイニシャルO・Kさん[3]」としてサプライズ出演。なお、イニシャルO・Kの意味は「オカマのKINYA」だった。 2001年頃より、静岡県にある稲取温泉の旅館でワンマンショーをスタート[2]。
2009年3月、落合博満の長男の落合福嗣、演歌歌手の広野ゆき、秋葉系アイドルのまいみんらとKINYA&ALphaというユニットを結成。CDアルバム「摩天楼ブルース」をリリース[4]。
2013年5月24日、TBSテレビ『爆報! THE フライデー』に出演。26年ぶりに渡辺めぐみと再会した[5]。2014年現在は新宿区のマンションに住みながら、前述の旅館の専属のショータレントとして働いている[2]。
出演
[編集]テレビ
[編集]- 笑っていいとも!(フジテレビ、1982年10月 - 1984年9月※木曜日担当)
- クイズ・ドレミファドン!(フジテレビ)
- オレたちひょうきん族(フジテレビ)
- ときめきプレヌーン(テレビ東京)
- クイズ!お金が大好き(フジテレビ)
- ものまね王座決定戦(フジテレビ)
- 月曜ドラマランド(フジテレビ)
- ミッドナイトin六本木(テレビ朝日)
- 暴れん坊将軍シリーズ(ANB / 東映) - 鶴次郎
- はぐれ刑事純情派(テレビ朝日)
ラジオ
[編集]- 廃盤アワー(東北放送他7局)※1982年10月から。ラジオ・テレビ通して初レギュラー[1]
- もてもてスクランブルBEGIN the OJIN(ニッポン放送)
- サウンド・ライブ・イン・ゴテンバ(アール・エフ・ラジオ日本、1983年~1984年当時、日曜日18:15 - 19:00)[1]
- 気分はごっくん 今晩ニャ!(和歌山放送、福井放送他8局)[1]
- エンドーミュージック・ショーウィンドー(TBCラジオ)
映画
[編集]- 嵐を呼ぶ男(1983年公開)
- スクラップ・ストーリー ある愛の物語(若松孝二監督作品・1984年公開)
CM
[編集]- リーダーマート
楽曲
[編集]シングル
[編集]- 涙のデイト(1982年6月25日、ポリスター) - デビューシングル
- それ行け!サマービーチ(1983年、SMS) - よめきんトリオとして
- 突然おじゃまの恋だけど(1983年、SMS)
- それ行け!よめきん(1983年、SMS)
- Let it boogie(1984年、徳間ジャパン) - 作詞・作曲は桑田佳祐[1]
- 離婚行進曲(1985年、東芝EMI)
- お出かけチャチャ(1990年、トーラス) - 安倍里葎子とのデュエットシングル
- 身代わり(1990年、トーラス)
アルバム
[編集]- KINYA & Alphaプロジェクト『摩天楼ブルース』(2009年、アルファコア)
出典
[編集]- ^ a b c d e f 明星(集英社)1984年5月号「おかひろみのRADIO WAVE」p.176
- ^ a b c 「よめきんトリオ」KINYAさんは今もオカマショーで健在 日刊ゲンダイ 2014年3月16日
- ^ 小柳の元夫である、大澄賢也のイニシャル
- ^ 落合監督の長男、福嗣くんが歌手デビュー スポーツニッポン 2009年3月7日
- ^ 「爆報!THE フライデー」 2013年5月24日(金)放送内容 価格.comテレビ紹介情報(ワイヤーアクション)
外部リンク
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