ハリー・ニルソン
ハリー・ニルソン | |
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1974年撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | ハリー・エドワード・ニルソンIII世 |
別名 | ニルソン |
生誕 | 1941年6月15日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク市ブルックリン区 |
死没 | 1994年1月15日(52歳没) |
ジャンル | |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | |
活動期間 | 1958年 - 1994年 |
レーベル |
ハリー・エドワード・ニルソンIII世(Harry Edward Nilsson III、1941年6月15日 - 1994年1月15日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。1960年代後半から1970年代にかけて、「ニルソン」名義で数多くのヒット曲を残した。代表曲に「うわさの男」、「ウィザウト・ユー」(1972年全米No.1)、「ワン」、「アローは友だち」、「孤独のニューヨーク」などがある。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第91位[2]。
来歴・人物
[編集]ニューヨーク市ブルックリンでスウェーデン系の両親の間に生まれる。音楽好きな母親と叔父の影響を受けるが、最初から音楽活動に入らず、銀行員となる。学歴を詐称して解雇されかけたが、禊として必死に働き、コンピューター部門の主任にまでなったという。1960年代初めから、勤務の間を縫って音楽活動を始める。
1964年にレコード・デビュー。1966年頃までは主にソングライターとして活動し、「ディス・クッド・ビー・ザ・ナイト」などを書いた。リトル・リチャード、フィル・スペクターやモンキーズなどのミュージシャンやプロデューサーに次第に認められる。
甘く哀愁のこもった歌声で、「七色の声を持つヴォーカリスト」と評された。ジョン・レノンに高く評価され、一時はポール・マッカートニーの代わりにビートルズに加入するなどの噂が流れたりした。
1968年のアルバム『空中バレー』でカバーした「うわさの男」が1969年の映画『真夜中のカーボーイ』の主題歌に使われヒット(全米6位)。また同年、「ワン」がスリー・ドッグ・ナイトにカバーされてヒットした。
1971年のアルバム『ニルソン・シュミルソン』に収録されたバッドフィンガーのカヴァー「ウィザウト・ユー」がシングル・カットされると、全米・全英1位の大ヒットを記録した。しかし、後にアルコールと薬に溺れ喉を痛めてからは、往年の勢いは無かった。
これまで、2回グラミー賞を受賞している。
1990年代にカムバックを目指すが、すでに糖尿病に侵されていて、果たすことなく1994年1月15日、自宅で就寝中に心不全のため死去。52歳没。
没後1年の1995年、生前彼と親交のあったランディ・ニューマン、リンゴ・スター、ブライアン・ウィルソン、アル・クーパーなど錚々たるメンバーが参加したトリビュート・アルバム「For The Love of Harry:Everybody Sings Nilsson」が発売された。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- Spotlight on Nilsson (1966年)
- 『パンディモニアム・シャドウ・ショウ』 - Pandemonium Shadow Show (1967年)
- 実質のデビュー作。このアルバムを聴いたジョン・レノンがニルソンの元に国際電話をかけ、「You are great!」と、賞賛したというエピソードは有名。
- 『空中バレー』 - Aerial Ballet (1968年)
- 1969年の映画『真夜中のカーボーイ』の主題歌として大ヒットした「うわさの男」(フレッド・ニールのカヴァー)収録。この映画の主題歌はボブ・ディランを含む数人のミュージシャンに依頼されており、ニルソンは「孤独のニューヨーク」を提出したが、映画の編集の際に仮歌として使用されていた「うわさの男」を気に入った監督の意向により、そのままこの曲が(再録音されて)使用されることになった。
- Skidoo (soundtrack) (1968年)
- ジャッキー・グリーン、ミッキー・ルーニー、グルーチョ・マルクスらが出演したコメディ映画のサントラ。
- 『ハリー・ニルソンの肖像』 - Harry (1969年)
- ヒット曲「孤独のニューヨーク」を収録。
- 『ランディ・ニューマンを歌う』 - Nilsson Sings Newman (1970年)
- シンガー・ソングライター、ランディ・ニューマンの作品を取上げ、歌った異色のカヴァー集。
- 『オブリオの不思議な旅』 - The Point! (studio album and soundtrack) (1970年)
- ニルソン自身の原作によるTVアニメのサウンドトラック・アルバム。
- 『ニルソン・シュミルソン』 - Nilsson Schmilsson (1971年)
- リチャード・ペリープロデュース。「ウィザウト・ユー」「ジャンプ・イントゥ・ザ・ファイアー」を収録。「ウィザウト・ユー」はバッドフィンガーのカヴァー曲で、ニルソンが亡くなってから1ヵ月後、マライア・キャリーのヴァージョンが全英シングルチャート1位になった(米国では3位止まり)。
- 『シュミルソン二世』 - Son of Schmilsson (1972年)
- リチャード・ペリープロデュースのロンドンレコーディング作品。リンゴ・スター、ピーター・フランプトン、クリス・スペディング、ジョージ・ハリスン、ニッキー・ホプキンスなどの豪華なゲスト陣も話題に。
- 『夜のシュミルソン』 - A Little Touch of Schmilsson in the Night (1973年)
- ゴードン・ジェンキンズを起用して、全編ストリングスを配してスタンダードナンバーをカバーしている。
- 『吸血鬼ドラキュラ二世』 - Son of Dracula (soundtrack) (1974年)
- リンゴ・スター製作による映画『吸血鬼ドラキュラ二世』のサントラ。ニルソンは主演を務めた。『ニルソン・シュミルソン』から4曲、『シュミルソン二世』から2曲ピックアップしたもの、そして新曲「DAYBREAK」の間に、ニルソンやリンゴ・スターのセリフ、そしてポール・バックマスターによるインストでつないだもの。
- 『プシー・キャッツ』 - Pussy Cats (1974年)
- ジョン・レノンとの共演作。ジョンは「失われた週末」期で、ヨーコと別居中。ふたりで夜な夜なつるんでアルコールに溺れていた時期に作られ、しゃがれた歌声で歌われていた。リンゴ・スター、キース・ムーン、ダニー・クーチも参加。
- 『俺たちは天使じゃない』 - Duit on Mon Dei (1975年)
- ヴァン・ダイク・パークスプロデュース作品。
- 『眠りの精』 - Sandman (1976年)
- 前作に続きヴァン・ダイク・パークスを迎えた作品。
- 『ハリーの真相』 - ...That's the Way It Is (1976年)
- 10曲中8曲が、ジョージ・ハリスンやアメリカ、ランディ・ニューマン、ハリー・ベラフォンテなどのカバー曲で構成されたアルバム。
- 『クニルソン』 - Knnillssonn (1977年)
- 力作アルバムだったが、発売直後にレコード会社の最大のスター、エルヴィス・プレスリーが死去し、プロモーションされなかった。
- 『フラッシュ・ハリー』 - Flash Harry (1980年)
- マーキュリーに移籍して、生涯最後のソロ・アルバム。スティーヴ・クロッパープロデュース。2013年にCD化。
- 『ポパイ』 - Popeye (soundtrack) (1980年)
- ロビン・ウィリアムズ主演、ロバート・アルトマン監督による映画作品のサントラ。
- Losst and Founnd(2019年)
- 亡くなった年に制作していた未発表音源9曲とジミー・ウェッブならびにオノ・ヨーコによるカバー曲1曲。制作に携わっていたプロデューサーのマーク・ハドソンが完成させた[3]。
コンピレーション・アルバム
[編集]- 『ニルソンの詩と青春』 - Aerial Pandemonium Ballet (1971年)
- 『パンディモニアム・シャドウ・ショウ』と『空中バレー』をもとにしたコンピレーション・アルバム。
- 『夜のシュミルソンⅡ』 - A Touch More Schmilsson in the Night (1988年)
- 『夜のシュミルソン』の続編で、アウトテイクを含んでいる。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g Unterberger, Richie. “Harry Nilsson Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. All Media Network. 2022年2月19日閲覧。
- ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
- ^ “Harry Nilsson(ハリー・ニルソン)、約40年振りの新作&『プッシー・キャッツ』45周年記念盤”. タワーレコード. 2022年10月16日閲覧。
参考文献
[編集]- アリン・シップトン 著、奥田祐士 訳『ハリー・ニルソンの肖像』国書刊行会、2017年12月28日。ISBN 978-4-336-06247-5。