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デッツォーラ島根E.C

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
FCセントラル中国から転送)
デッツォーラ島根E.C
原語表記 デッツォーラ島根エスポルチクルービ
呼称 デッツォーラ島根E.C
愛称 デッツォーラ
クラブカラー  
 
  ゴールド
創設年 2001年
解散年 2020年
ホームタウン 島根県浜田市
ホームスタジアム 浜田陸上競技場
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
一般社団法人中国ウェルネススポーツネットワーク
国籍 日本の旗 日本
格付 一般社団法人
法人番号 7280005006693 ウィキデータを編集
専門分野 教育系 (スポーツ)
設立日 2012年
代表者 岡本佳大
活動地域 広島県、島根県
主な事業 サッカークラブの運営
地域スポーツの普及振興
郵便番号 697-0023
事務所 広島県広島市佐伯区利松1丁目10-38メゾン・ド・アマリリオⅡ
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デッツォーラ島根E.C(デッツォーラしまねイーシー、ポルトガル語: Dezzolla Shimane Esporte Clube、デッツォーラ島根エスポルチクルービ)は、島根県浜田市を本拠地とする社会人サッカークラブである。旧称、FCセントラル中国

概要

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2001年4月にFCセントラル中国を創設。チームは島根県で登録をしているが、元々は広島県にあったため、事務局の所在地、練習場は広島県山県郡北広島町と、ホームタウンと異なっていた。2012年から事務局が島根県浜田市に移転したことが明らかになった(後述)。2008年よりチーム名をデッツォーラ島根E.Cへ改称し、浜田市及び周辺地域をホームとする立場から、島根県全県ホームへという立場へとシフトした。

名称の由来は、ポルトガル語で「神様」を意味する「Deus (デウス)」と「やあ、ようこそ」を意味する「Ola (オラ)」とを組み合わせた造語から。これに「スポーツクラブ」を意味する「Esporte Clube (エスポルチクルービ)」をつけている[1]。エンブレムにはヤマタノオロチがあしらわれている[1]

ホームスタジアムは、FCセントラル中国時代では浜田市にある浜田市陸上競技場サン・ビレッジ浜田スポーツ広場サッカーグラウンド[注 1] を主に使用していたが、チーム名をデッツォーラ島根に改称して全県ホームを強調したことに伴い、2008年シーズンからは浜田市陸上競技場に加え、松江市営陸上競技場松江市[注 2]、サン・ビレッジ浜田スポーツ広場サッカーグラウンド・三隅中央公園陸上競技場(浜田市)、浜山公園陸上競技場出雲健康公園スポーツ広場(出雲市)、島根県立サッカー場益田市)、真田グラウンド吉賀町)などを使用しているが、後述のように2018年3月にオープンした公式サイトでの表記に従えば、現状でのホームタウンは浜田市のみと思われる。またこれら事情により、2018年については浜田市・益田市という島根県西部地域のみでの開催となっている(同じく県西部にある吉賀町は開催地に含まれない)。

2004年に石見FCを破って天皇杯決勝トーナメントに初出場して以来、同じく浜田市を地盤とする浜田FCコスモスが出場した2009年を除いて2011年までは毎年のように出場していたが、2012年には出場権を逃した(後述)。

2011年シーズンの中国サッカーリーグにて島根県勢として初めて優勝し、2007年以来4年ぶり2度目の全国地域リーグ決勝大会への出場権を獲得したが、1次ラウンドで敗退しJFLへの昇格は出来なかった。

2012年から運営形態が変わり、運営法人として社団法人が設立される予定であると、クラブの公式サイト上で発表され、その後、クラブ事務所が島根県内(浜田市)に移転したことが明らかになった。法人名は一般社団法人中国ウェルネススポーツネットワークという。また、2012年3月から公式Twitterアカウントの、同8月から公式Facebookページの運営を開始した(外部リンクの項参照)。

2012年シーズンも中国サッカーリーグを連覇した。しかし、前年に続いて出場した全国地域リーグ決勝大会では前年同様に1次ラウンドにて敗退し、また天皇杯島根県代表の座についても松江シティFCの前に惜敗したため、逃している。

2013年シーズンに向けては、2012年までサウルコス福井で監督を務めていた石田学を、新監督として招聘した[注 3][2] が、シーズン終了後に辞任している。

2014年はシーズン途中にアランが加入するなどしたが、最終的にリーグ優勝を逃し、2015年も2試合を残し、松江シティFCに優勝をさらわれている。また、2015年は天皇杯の出場権も、決勝戦で松江シティFCに敗れたことにより逃している。

2014年以降、(旧)公式サイトの更新が徐々に停滞するようになった[注 4] 代わりに、情報発信の拠点をFacebookページに移していたが、2018年3月に新たな公式サイトが開設された[注 5]。ただ、その更新は活発とは言えず、現状では情報発信の中心はTwitter及びFacebookのようなSNS中心になっている。

2020年11月28日、新型コロナウイルスの感染拡大の影響によりチームの運営が困難になったとして、中国サッカーリーグからの脱退とトップチーム解散を発表した[3]。なお、U-12チームは「デッツォーラ島根E.C」の名称で今後も活動を続けるとしている。

歴史

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クラブ名変遷

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  • FCセントラル中国 : 2001年 - 2007年
  • デッツォーラ島根エスポルチクルービ : 2008年 - 2020年

チーム成績・歴代監督

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リーグ戦

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年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 得失 監督
2001 浜田2部 優勝
2002 浜田1部 優勝
2003 島根県2部 優勝
2004 島根県1部
2005 優勝 30 10 10 0 0 75 4 71 若三康弘
2006 中国 2位 34 14 11 0 3 50 16 34
2007 2位 30 14 10 0 4 42 26 16
2008 5位 26 16 8 2 6 26 26 0
2009 6位 20 18 6 2 10 23 37 -14
2010 2位 40 18 13 1 4 60 31 29 若三康弘
2011 優勝 48 18 16 0 2 60 19 41 若三康弘[注 3]/庄司孝[注 8]/加藤賢士
2012 優勝 45 18 14 3 1 61 16 45 [注 3]
2013 2位 43 18 14 1 3 64 6 58 石田学
2014 2位 34 18 10 4 4 46 31 15 庄司孝[注 8]
2015 2位 41 18 13 2 3 42 18 24
2016 6位 23 18 7 2 9 28 33 -5
2017 4位 26 18 7 5 6 40 31 9
2018 10位 13 18 3 4 11 21 52 -31
2019 島根県1部 優勝 18 10 9 1 0 31 10 21
2020 中国 新型コロナウイルスの影響により中止 常名秀則

天皇杯

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  • 出場9回
年月日 ラウンド 会場 スコア 対戦相手
84 2004年9月23日 2回戦 松江 ○ 1 - 1
(PK 5-4)
静岡FC(静岡県)
2004年9月26日 3回戦 都田 ● 0 - 8 Honda FC(JFLシード)
85 2005年9月17日 1回戦 松江 ○ 3 - 1 JAPANサッカーカレッジ(新潟県)
2005年9月19日 2回戦 松江 ● 0 - 5 佐川印刷SC(京都府)
86 2006年9月17日 1回戦 松江 ○ 3 - 0 愛媛FCユース(愛媛県)
2006年9月23日 2回戦 福山 ● 0 - 2 三菱自動車水島FC(岡山県)
87 2007年9月16日 1回戦 島根サ ● 2 - 5 近大附属和歌山高校(和歌山県)
88 2008年9月14日 1回戦 長崎県 ● 0 - 3 三菱重工長崎(長崎県)
90 2010年9月3日 1回戦 福山 ○ 3 - 2 佐川急便中国(広島県)
2010年9月5日 2回戦 福山 ● 0 - 4 サンフレッチェ広島F.C(J1)
91 2011年9月3日 1回戦 島根サ ○ 5 - 2
 (延長)
愛媛FCしまなみ(愛媛県)
2011年10月10日 2回戦 フクアリ ● 0 - 1 ジェフユナイテッド千葉(J2)
93 2013年8月31日 1回戦 沖縄県 ● 1 - 2
 (延長)
FC琉球(沖縄県)
94 2014年7月6日 1回戦 松江 ● 0 - 5 ヴェルスパ大分(大分県)

タイトル

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リーグ戦

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歴代所属選手

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ユニフォーム

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ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd) 水色 水色 水色
GK(1st)
GK(2nd) グレー グレー グレー
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

クラブカラー

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クラブカラーは  赤、  黒、  ゴールド。

フィールドプレーヤー用の1stユニフォームの配色はこの深い赤地に背番号が縁取り無しの黒文字のため、少々背番号が視認しづらかったが、2012年シーズンは背番号の文字が白くなったため、視認性が格段に向上した。以後の年度においても背番号が見やすいように配慮がなされている。

サプライヤー

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歴代ユニフォームスポンサー年表

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年度 鎖骨 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
2011 マルハマしょうゆ - SHIGEKI ARATANI
TAX CONSULTANT OFFICE
- - 大林製材 Mizuno
2012 PENALTY
2013
2014 -/
GEEBAASON!
大林製材/
-
PENALTY/
UPSET
2015 GEEBAASON! - UPSET
2016
2017 GEEBAASON!/
W-TRY'S JAPAN
SHIGEKI ARATANI
TAX CONSULTANT OFFICE
/
Eldorado I
UPSET/
PENALTY
2018 W-TRY'S JAPAN Eldorado I PENALTY
2019 - 三和テック株式会社 ZEN W-TRY'S JAPAN
ELDORADO I
legama duro
2020

脚注

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注釈

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  1. ^ サン・ビレッジ浜田は2012年に人工芝グラウンドが設置され、再度ホームスタジアムとして利用されることになった。
  2. ^ このうち松江市営陸上競技場については、2010年にヴォラドール松江(現・松江シティFC)が中国リーグに昇格してきたこともあり、同年以降このチームのホームスタジアムとしては使用された実績がない。
  3. ^ a b c 2012年7月時点ではチーム公式サイト上に監督名の表記はなかった。以前は代表者でもあった若三康弘が監督も務めていたが、当時の若三は「総監督」という立場であった。また、若三は2011年5月29日に行われた試合(対レノファ山口戦)において行った審判および副審に対する暴言・脅迫行為が原因で、同日から12ヶ月間の公式試合出場停止の裁定を受けているため、2012年途中までベンチ入りできないという事情もあった[4]。若三はその処分完了後も監督としてはベンチ入りしておらず、2011年中からは庄司孝を監督とするような表記が各大会パンフレット等に見られ、2012年8月26日に行われた第17回島根県サッカー選手権(兼第92回天皇杯島根県予選)決勝戦の中継に於いても、庄司が選手兼監督として紹介され、インタビューも受けている。一方で、コーチ兼選手の加藤賢士を監督とする文献もあり、明確な立場の監督は置かれていなかったことが窺える。なおその後、2013年の石田学を経て、2014年からは庄司が選手兼任のまま監督となり、若三の立場は再び「総監督」となっており、ベンチで指揮を執ることもあった。しかし、2015年7月26日三菱自動車水島FC戦で、再び前述のレノファ山口戦と同様の行為を起こしたため、今度は無期限の公式戦出場停止処分となり、その後の試合では再びベンチ入りできなくなっている。なお、若三は逝去等のため2017年を最後に代表の座から退いており、2018年から2019年は常名秀則が総監督兼GMという形で代表者となっていた。2020年からは若三紫胤が代表者となっている。
  4. ^ 2018年3月現在、(旧)公式サイトは諸事情により更新を停止している。
  5. ^ 2020年7月現在、(新)公式サイトは閲覧不可となっている。
  6. ^ 但し、組み合わせの関係で2回戦から登場している。
  7. ^ 最終的には2位。但し、最終節では松江シティFCにリーグ戦に於いての初黒星を喫した。
  8. ^ a b c 第91回天皇杯パンフレットの同チームを紹介したページによると、監督としても紹介されているが、標記大会の為だけなのかどうかは不明。なお、同大会2回戦で実際に指揮を執ったのは選手兼コーチの加藤賢士。2012年は庄司が正式に選手兼監督となっている模様だが、一部文献では加藤を監督として記載したものもある。なお、2014年から2019年は庄司が正式に選手兼任で監督となっていた。
  9. ^ 本人の項にも詳しいが、籍こそあるものの指導者としての活動が多忙を極めるため、選手としての出場機会は限定され、近年では、2011年に天皇杯2回戦に、翌2012年に天皇杯島根県予選決勝戦、2015年最終節などに出場している。

出典

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  1. ^ a b クラブ紹介”. デッツォーラ島根E.C. 2019年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月26日閲覧。
  2. ^ 2013年度新監督就任のお知らせ クラブ公式サイト。2012年12月20日(現在はリンク切れにて閲覧不可)
  3. ^ 本日、CSL運営会議におきまして承認頂きましたので、ご報告致します。”. デッツォーラ島根 Dezzolla Shimane Esporte Clube (2020年11月28日). 2020年11月28日閲覧。
  4. ^ 2011年度第4回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 2011.08.03

外部リンク

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