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Category‐ノート:世界/過去ログ6

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定義文を変更しました

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11月20日の[1]のWhiteWingさんの定義文変更により、それ以前の「このカテゴリでは世界の地域、世界各国を扱う」というものから「このカテゴリでは概念としての世界を扱う」という定義がなされ、社会の一単位という意味での世界を扱うという方向が示されました。ここでの「概念」というのは、客観的な概念という意味であり、世界観ということではないと思いますが、たとえば世界地図について[2]というカテゴリの変更もありますように、なお曖昧さが生じているようです。そこで定義文を「このカテゴリでは社会の一単位としての世界(人間社会全体、国際社会)を扱う」というふうに変えたいと思います。御意見あれば、お寄せください。--Greenland4 2007年12月11日 (火) 20:45 (UTC)[返信]

  • (コメント) 変更前よりも変更後の方がよいと思います。特に「概念としての世界」を外して「国際社会」と言葉が補われている点が分りやすく、このカテゴリの名称は「国際社会」にしてもよいくらいでしょう。あと、上の方で「質問」を頂きましたが回答するまでもない内容と思われて放置しています。もしそれでは困るようでしたら改めてお知らせ下さい。Sina 2007年12月13日 (木) 13:47 (UTC)[返信]

(コメント)放置したければしてもいいですが、「回答するまでもない」とあなたが考えた理由は何でしょうか。「回答できない」のではなく、「回答するまでもない」と考えた理由は。回答できるのなら、したらよさそうなもんですが。まあ、強制はしません。それからまあ、カテゴリ名称は「世界」の方がいいでしょうね。「世界」という概念と「国際社会」という概念では、あるいはまた、「世界経済」という概念と「国際経済」という概念では、それぞれ前者の方が広いですからね。--Greenland4 2007年12月13日 (木) 15:11 (UTC)[返信]

  • (コメント) 無駄な論争が発生しないように事前に回避したいと思います。「あなたが考えた理由は何でしょうか」とのことですが、これも放置してはいけませんでしょうか?Greenland4さんは、[3]のような態度を取ることも出来る方なので、きっとご理解頂けるものと期待しています。Sina 2007年12月14日 (金) 15:09 (UTC)[返信]

(コメント)Category‐ノート:世界観からこちらにたどり着いたのですが、このカテゴリの定義は妥当なのでしょうか。あるいは、このカテゴリの必要性はあるのでしょうか。このカテゴリは日本語版を入れて五ヶ国語版にしかないらしく、英語版(簡易英語版以外の他の言語版は読めないのでわかりませんが)は、世界地図の画像を集めたカテゴリになっているようで、日本語版のカテゴライズとは異なるものとなっており、リンクするのが不適当となっておりますが。--Rollin 2007年12月18日 (火) 12:40 (UTC)[返信]

  • (コメント)コメントありがとうございます。論点が2つにわたっていますが、ここでは、このカテゴリの定義が妥当かどうかをまず議論すべきではないかと思います。現状では、「社会の一単位としての世界(国際社会をふくんだ人間社会全体)」を世界の定義としております。WhiteWingさんの定義文変更の前は、「このカテゴリでは世界の地域、世界各国を扱う」となっていたわけですが、WhiteWingさんはこれを「このカテゴリでは概念としての世界を扱う」と訂正され、さらにCategory:社会にカテゴライズされた。この変更によって、「社会の一単位、人間社会全体という意味での世界を扱う」ものへと大きく変わったわけです。なぜ、そのように変更されたかというと、これは本人から説明をうかがっているわけではありませんので、憶測になってしまいますが、「地誌的なものはCategory:地理で、自然物はCategory:自然で扱う」という付帯説明があるからではないでしょうか。要するに、「世界の地域、世界各国を扱う」と定義しておきながら、「地誌的なものはCategory:地理で扱う」としているのは、やや矛盾しているわけです。これでは、世界にかかわるほとんど全部の記事がCategory:地理に入ってしまいます。さらに、Category:世界の地理というのもあるわけです。以前のカテゴリ定義ではCategory:世界に含めるべきものはほとんどないような状態でした。この状態であれば、確かにこのカテゴリは不要かもしれません。ただし、「社会の一単位、人間社会全体という意味での世界を扱う」ということであれば、含まれる記事はとても増えると思います。世界経済、世界政治、世界記録、世界史、世界市民主義、世界帝国、あるいは世界地誌など。個人的には、「世界」に「人間社会全体」「世の中」という意味がある以上、妥当ではないかと考えます。もし、妥当でないならば、より妥当な定義を考えていくか、あるいは、「世界の地域、世界各国を扱う」という以前の定義に差し戻すかしなくてはなりません。必要かどうかは、次の段階で検討すべき問題ではないかと考えます。「必要ではない」というところから議論が始まってしまうと、話がややこしくなる気がいたします。--Greenland4 2007年12月18日 (火) 13:51 (UTC)[返信]

(コメント)今までの経緯を拝見すると、議論の結果、主要カテゴリからはずされ未使用カテゴリとなっていたのが、議論なく定義変更されて以降、話がややこしくなってきたように思えるのですが。他言語版とカテゴライズが異なり、日本語版の中でも意見が異なるようなカテゴリは、無理に使わないという選択肢もあると考えますが、いかがでしょう。--Rollin 2007年12月18日 (火) 14:42 (UTC)[返信]

  • (コメント)御返事ありがとうございました。ただ、「議論の結果、主要カテゴリからはずされ未使用カテゴリとなっていた—」の「議論」とは、どこにあるのかよくわかりませんでした。おっしゃるように、そういう選択肢もございますね。ただ、なければないで不便な感じはいたします。少なくとも私は有用性を感じます。--Greenland4 2007年12月26日 (水) 11:53 (UTC)[返信]
  • (コメント)「議論」とは、主要カテゴリとしてのCategory:世界についてでの議論です。ここでは反対意見が出ず、「何か不具合ありましたら本ノートにてご指摘ください」とあったにもかかわらず、ノートで意見提起がないままこの編集で主要カテゴリに復帰され、この編集で定義変更されたということです。本来は、これらのような編集をする前に、ノートで再度議論するべきだったと思います。ノートでの合意なき編集なのですから、異論が出た以上はそれ以前に差し戻して再検討するのが、本当は一番妥当なやり方だと思いますが。--Rollin 2007年12月27日 (木) 01:46 (UTC)[返信]

(コメント)なるほど。よくわかりました。ただし、そこでは「主要カテゴリからはずす」というところまでは「議論」されているのかもしれませんが、「未使用カテゴリ」とすることは何ら議論されていない気がいたします。「何か不具合ありましたら本ノートにてご指摘ください」とあったにもかかわらず、ノートで意見提起をしなかったのは、確かにわたしの落ち度です。しかし、その落ち度を認めたうえで述べておきたいのは、わたしはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト カテゴリ関連#カテゴリ関連での削除依頼について非常に気になることのなかで指摘されている、

削除依頼に存続票や削除票を入れる人もいつも決まった人ばかりで、記事の執筆に関わる人が少ないことが非常に気がかりですので、削除依頼の前にコメント依頼や告知をしてもっと多くの人の意見を聞きたいですね。今、XXXさんが「削除依頼を出してコミュニティの判断を仰ぐ」と発言しました。しかし、「削除依頼を出してコミュニティの判断を仰ぐ」と称しておいて、普段記事の執筆にメインに関わっている人にはまったく気づかず、削除依頼によく票を入れる人やカテゴリばかり弄っている人が削除依頼に票を入れる傾向にあることが現在のWikipediaの現状です。さらに、長期間ウィキブレイクしている人には削除依頼の存在や記事が実際に削除されたことなど、ウィキブレイクから復活するか、ウィキペディアを閲覧するまで気づかないことです。

という、この意見にたいへん共感いたします。「カテゴリばかり弄っている人」の「編集」というのは秒単位なのです。だから、1日で何十、何百という数の記事の「編集」ができる。しかし、「記事の執筆に関わる人」「記事の執筆にメインに関わっている人」にとって、新規執筆というのは何日かに1本、まとまったものだと何週間に1本の記事しか編集ができないわけで、そうすると、カテゴリに関しては「カテゴリばかり弄っている人」の言いなりにならざるを得ないような状況があるわけです。それは実に本末転倒しています。「有意な編集」をおこなっている人が「有意な編集」をほとんどやっていない人間にあわせて記事を書いていかなくてはならないことに矛盾と憤りを覚えます。そしてまた、たかだか「1週間待ちました」という程度で、それがコミュニティの総意になってしまうことをたいへん危惧いたします(Rollinさんが、そうおっしゃりたいのでないことはよく承知していますが)。まして、「未使用カテゴリ」とするということまでは何ら合意されていないわけですし、わざわざ「未使用カテゴリ」にするために記事「世界地図」をこのようにCategory:世界をはずしてCategory:世界観に入れるのも不適切な気がしてならないのです。今後、いっそう「世界」を一体として考えるものの見方が増えてくるだろうと思いますし、それに関する記事も当然増えるだろうと思います。そうしたときにCategory:世界がカテゴリとして存在しないといろいろ不便が生じると考えます。少なくともわたしは有用性を感じます。おそらくは、そう思っている方は少なくないのではないかと思います。おっしゃるように、定義については再検討の必要があるのかもしれませんが、何せ英語版ですら定義文がありません。有用性を感じるか、感じないか、定義文としてどのような定義文が必要か、いま少し意見を募りたいと思います。--Greenland4 2007年12月27日 (木) 10:02 (UTC)[返信]

(コメント)おっしゃる趣旨は、だいたいわかりました。しかし、削除依頼のシステムは公式な方針Wikipedia:削除の方針によって決まっているのですから、それにご懸念がおありなのであれば、そちらのノートなり何なりで問題提起されたらよろしいでしょう。本カテゴリは、別に削除依頼にまで出されたわけではないですし、Category:世界観のようにコメント依頼にも出して、このノートで十分議論してみたらいかがでしょうか。他に意見を募ることについて、全く異論はありません。私個人の意見としては、本カテゴリの今までの全ての経緯を見る限り、Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの内容の三つ全てに抵触し、不適切なカテゴリではないかという気がしております。--Rollin 2007年12月27日 (木) 10:55 (UTC)[返信]