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Category‐ノート:世界観

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記事「世界地図」のカテゴライズについて

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[1]のように、記事「世界地図」をCategory:世界観にカテゴライズしている人がいますが、はたして、これは適切でしょうか。同カテゴリの他の項目とくらべ、明らかに浮いてしまっています。

記事「世界観」のなかには、「世界観は個人にとって他者である世界の属性を持っているが、客観的存在としての世界とは異質であり、その意味において個人内に存在している。絶対的他者である世界の側から見れば、個人に従属している観念である」という丁寧な説明があり、これについては、だれしも異論のないところだと思います。

いっぽう、記事「世界」では、世界を「人間社会全体。限定された社会ではなく、全ての社会の集合、全人類の社会を指す」「万国の意。特定の一ではなく全ての国々ということ。報道・政治等で多用される用法」と定義しており、これまた一般的で妥当な定義だと思います。

したがって、「世界地図」をCategory:世界観にカテゴライズするのは適切ではなく、Category:世界にカテゴライズするのが妥当だと思いますが、いかがでしょうか。--Greenland4 2007年12月11日 (火) 04:50 (UTC)[返信]

  • (コメント) 「したがって」の前後で論理が飛躍していませんか?、記事「世界地図」には世界観に関する記述があり、「Category:世界観」からこの記事にたどれるように「Cateogory:世界観」にカテゴライズすることは意味がありませんか?(記事「地球球体説」は「Category:世界」ではなく「Category:世界観」でよろしいのですね?、自ら移動して頂けて手間が省けました)Sina 2007年12月11日 (火) 15:32 (UTC)[返信]

地球球体説は世界観でよいでしょうね。しかし、世界地図はいかがでしょうか。客観的存在である世界をあらわそうとしたものなんでしょうか、それとも、個人内に存在する世界観をあらわそうとしたものなんでしょうか。確かに「世界地図」には世界観に関する記述がありますね。だから、「Cateogory:世界観」にカテゴライズ…というのは、それこそ論理が飛躍しているように思うのですが、いかがでしょう。みなさんの御意見をうかがいたいです。--Greenland4 2007年12月11日 (火) 20:01 (UTC)[返信]

コメント依頼から参りました。まず、世界地図から辿る世界観の節は、記事の中の一節にすぎず、主たる記述ではありません。もう少し記述が増えるとか、それにより独立項目として分割されるかしない限り、「Category:世界観」にカテゴライズする必要はないと思います。
それよりも、気になることがあります。「世界観」の記事が参考文献は挙げられているものの、文中の注記が少ないため記事自体の検証可能性にいささか問題がありますが、いちおうこの記事の内容を前提に述べると、端的に言ってこの中で述べられている「世界」とは地理的意味での世界ではなく、哲学的な意味での世界が主です。とすると、「世界地図」の「世界地図から辿る世界観」も、あくまで古代人が地理的に世界をどう見ていたかを述べたものですから、その意味でも「Category:世界観」に入れるのは適当でないということになるのではないでしょうか。この観点から言えば、「地球球体説」や「地動説」なども、カテゴライズするのは不適当ということになります。「地動説」は宗教的迫害を受けたとされる説があり、哲学的・神学的側面も持っているわけですが、「世界観」の記事に天動説・地動説などに関した記述がない以上、カテゴライズするのには疑問が出てきます。もちろん、「世界観」の記事に上記に関した記述が加えられるならばこの限りではありませんし、カテゴリの方が、地理的意味を含んだもっと広い概念を含むとするならそれでもいいのですが、現在の定義では「世界観」の記事にリンクしただけで済ませているので、整合性が取れなくなってしまっていると思います。--Rollin 2007年12月14日 (金) 02:31 (UTC)[返信]

はじめまして、Rollinさん。Greenland4と申します。よろしくお願いします。今回は、丁寧なコメントをお寄せいただきましてありがとうございました。

地球球体説」は確かに微妙なところで、わたしも悩みました。「地動説」も「天動説」も現状では「Category:世界観」にカテゴライズされていますし、また、これらは「世界地図」とも違って、具体的な大陸海洋などを捨象して成り立っている仮説(—少なくとも唱えられた当時は—)ですので、悩みつつも「Category:世界観」にカテゴライズしました。しかし、確かにおっしゃるように、単に「世界観」といった場合は、「自然観」や「生命観」同様(それらが自然科学上ないし生物学上のテーマでないのと同様)、哲学的・倫理学的なテーマであり、地理学的ないし地球科学的な概念とはいえません。

いまは、「地球球体説」については、「Category:世界」と「Category:世界観」の二者択一で考えていたのがまずかったのかなと思い返しています。「世界観」の記事の関連項目に「世界像(de:Weltbild)」があるので、実はこれに一番近いのかもしれません。

結局、「世界観」というのは、世界をどうとらえるかという態度のことですし、人生観と結びついて、その個人の行動の指針となるものです。よって、楽天主義とか悲観主義、あるいは機械論などは「Category:世界観」にカテゴライズすることにまったく問題を感じません。しかし、記事「世界地図」のなかの「世界地図から辿る世界観」における"世界観"は、用語としても適切でない気がしてなりません。"世界観"と銘打ちながら、実は、世界観の違いではなく国力の違いや政治的立場の違いなどを取り上げているように読めてしまいます。

世界観ということばは、キリスト教の衰退期にあらわれた18世紀以降の比較的新しいことばのようですから、その意味からも、あまり拡大解釈するのはいかがなものかと思います。--Greenland4 2007年12月14日 (金) 11:10 (UTC)[返信]

  • (コメントです) 「世界地図」は地図の一種についての記事であり、世界観については主たる記述になっていないことには同意です。ただ「象の上に乗った亀の上にある世界図」等の記述がそれなりにはあり、3番目か4番目のカテゴリとして「Category:世界観」が付いていてもよさそうには思います。一方で「Category:世界観」にカテゴライズされるべき記事を、哲学分野の記事に絞るなど一定の基準を設けるならば、「世界地図」をあえて「Category:世界観」に残す必要はないと思います。「Category:世界観」と「Category:世界像?」等への分割を検討してみるとよいのでしょうか。その際には、Rollinさんが指摘された「地動説」「天動説」や、Greenland4さんが移動した「地球球体説」、その他「宇宙論」「渾天説」「蓋天説」「宣夜説」「三千大千世界」、あるいは「時空」「次元」などなど幾つかの記事についての整理が必要なように思います。「天界」は哲学的世界観で「ユグドラシル」は神話の世界のように整理できるのでしょうか?、微妙な記事もあるかもしれません。せっかく皆様のコメントを集めるならば「Category:世界観」の定義やカテゴリ構成などが整備されてよりよくなる方向で議論が進むことを祈っています。Sina 2007年12月14日 (金) 14:38 (UTC)[返信]
記事に加筆するのはすぐには難しいでしょうし、Sinaさんのおっしゃるように分割も選択肢として検討しつつ、「Category:世界観」の定義やカテゴリ構成などを整備するのがいいのではないでしょうか。その線で、具体的にどうするかを詰めたらいかがですか。--Rollin 2007年12月14日 (金) 14:54 (UTC)[返信]

(コメント)記事「世界地図」のなかに「象の上に乗った亀の上にある世界図」という記述があることは確かですが、そこに「世界観に関する記述がある」から「『Category:世界観』にカテゴリすることに意味がある」という論法にはいささか問題を感じます。同じ論法だと、「世界地図」のなかには「図法に関する記述」もあるから、『Category:地図の図法』にカテゴライズしてもよいことになります。

そもそも、世界地図というのは世界観をあらわそうとしたものでしょうか、それとも、世界をあらわそうとしたものでしょうか。わたしは、後者だと思います。世界をあらわそうとして、それが期せずして世界観があらわれたとしても、Category:世界観にカテゴライズすべき必然性はないのではないかと考えます。確かにわたしたち自身が世界を描こうとして世界地図をフリーハンドで描いたとしたら、日本が大きかったり、ヨーロッパが詳しかったり、人によってはアフリカがなかったり、、、など個人個人の世界観はあらわれてしまうでしょう。しかし、そうであっても、描こうとしたのは世界なわけです。

つまり、わたしが申し上げたいのは世界地図は個人的な世界観を表明しようとして描かれたものではなく、あくまでも世界を図示しようとして描こうとしたものであり、個人的な世界観の表明ならば、通常、別の形態(現代にあっては書籍、古代にあっては口承など)をとることが多いのではないかということです。百歩ゆずってCategory:世界観のカテゴリを貼付するのはよしとしても、Category:世界のカテゴリをはがすことについては理由を見いだせないのです。このあたり、みなさまはいかがお考えでしょうか。--Greenland4 2007年12月15日 (土) 14:26 (UTC)[返信]

Greenland4さんは、Category‐ノート:世界の歴史にて、他の利用者に"オメデタイとかナンとかいうその頭"という発言までして「Cateogry:世界史」を残すことに固執した延長で、Cateogry:世界史の親カテゴリとして「Cateogry:世界」を復活させるために「Cateogry:世界」にカテゴライズする記事を集めたかったのですよね?でも「Cateogry:世界」の定義も未だ流動的なようですし、「Cateogry:世界」に入るべき記事・サブカテゴリも選択基準がいまいち不明確なように感じています。Greenland4さんは「Cateogry:世界」の定義は明確であり、問題ないとお考えなのは存じておりますが、「Cateogry:世界」については当分の間、様子を見られては如何でしょうか?Sina 2007年12月16日 (日) 13:22 (UTC) -- ノートの過去ログ化に対処 Sina 2007年12月24日 (月) 13:09 (UTC)[返信]

Osu-mikeさんとお知り合いですか。この利用者は、利用者‐会話:Osu-mikeや投稿記録をみてもわかるように、カテゴリいじってるだけで何ら有意な編集をおこなっていない人ですよ。こういう手合いをまともに相手にするのは二重の意味で無駄が多いと感じています。執筆したり、資料を読むために費やす自分の時間がその分減るわけだし、こういう人に詳細な説明をしても有意な編集に反映されることは決してないわけですから。「Cateogry:世界」については、あなたのおっしゃるとおり、静観いたしましょう。--Greenland4 2007年12月18日 (火) 12:03 (UTC)[返信]

(追記)Osu-mikeさんに"オメデタイとかナンとかいうその頭"という発言をしたことは事実ですが、「Cateogry:世界史」を残すことに固執した延長ではないですよ。もちろん、「Cateogry:世界史」は存在すべきカテゴリだとは思いますが、それとこれとは話が別です。

  • 「世界」を一つの単位に出来ると思い込んでいるのか、それとも「世界の一体化」と言う議論が本当に成立すると思っているのであれば、それはそれで大変オメデタイ話である。

と言ったのに答えただけです。要するに「自分で調べろ」と言ったのが、そんなにひどいことなんですかね。失礼ながらOsu-mikeさんがモノを知らないのは事実でしょう。調べやすいように「世界の一体化」という記事も書いており、これでも精一杯、誠実に対応しているつもりなんですがね。--Greenland4 2007年12月26日 (水) 12:18 (UTC)[返信]

お二人とも、WP:WQTにご留意いただけるようお願いいたします。--Rollin 2007年12月18日 (火) 12:15 (UTC)[返信]
見苦しい遣り取りで失礼しました。「Category‐ノート:世界観」では「Category:世界観」以外のことには出来る限り言及しないように気を付けます。Sina 2007年12月18日 (火) 13:04 (UTC)[返信]
Category:世界観」を見る限り「世界観」は観念論に類するジャンルを扱うようだ。世界地図は歴史を振り返れば今日的な価値観で見ればオカルトに見える物もあるが、極論唯物そのもの。「Category:世界」が妥当と考える。--124.45.18.4 2007年12月23日 (日) 13:21 (UTC)[返信]

(インデント解除)124.45.18.4さん、御意見ありがとうございました(ログインしていただければ、もっとうれしいです)。わたしもほぼ同じ意見なのですが、「Category:世界」は使用しない方がいいという意見もあるようで、どうしたものかと思案中です。--Greenland4 2007年12月26日 (水) 12:18 (UTC)[返信]

(注記)議論は中断していますが、Wikipedia:削除依頼/Category:世界によりCategory:世界は削除となりましたので、ここに注記しておきます。--Rollin 2008年3月23日 (日) 14:08 (UTC)[返信]