コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

9K52 (ミサイル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
9K52 ルーナ-M
9M21ロケット搭載の9P113 TEL
種類 戦術弾道ミサイル
原開発国 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
運用史
配備期間 1964 – 現在
関連戦争・紛争 アフガニスタン紛争 (1978年-1989年), イラン・イラク戦争, レバノン内戦, 湾岸戦争, ユーゴスラビア紛争, イラク戦争, リビア内戦(2011), シリア内戦, 2015年イエメン内戦
開発史
派生型 9M21B (核弾頭) , 9M21F (通常弾頭) 9M21G (化学弾頭), Laith-90
諸元 (9M21B)
重量 2.2–2.5 t (350–390 st)
全長 9 m (30 ft)
直径 0.5 m (1 ft 8 in)
要員数 4

最大射程 70 km (43 mi)
弾頭 通常弾頭、核弾頭、化学弾頭
炸薬量

9M21B: 核弾頭 重量 500 kg

9M21G: 重量 390 kg

速度 マッハ 3
発射
プラットフォーム
8 x 8 ZIL-135 ミサイル発射車両
テンプレートを表示

9K52 ルーナ-M (ロシア語: Луна-М)は、ソビエト連邦の開発した戦術弾道ミサイルシステム。発射される9M21ロケットは無誘導でスピン安定のみである。9K52GRAUの付与した名称で、西側の付与したNATOコードネームは "Free Rocket Over Ground"のバクロニムであるFROG-7

概要

[編集]

ルーナ-Mは9M21ロケットをZIL-135 8x8 軍用トラックをベースに作られた9P113 TELに搭載したものである。このTELの特徴は9T29輸送車両(こちらもZIL-135ベース)からロケットを再装填するために用いる大型油圧クレーンが搭載されていることである。9M21は射程70 kmに及び、CEPは500から700 m である。このロケットには550 kg のペイロードがあり場合により通常弾頭、核弾頭、化学弾頭の搭載能力がある。

歴史

[編集]
サンクトペテルブルク砲兵博物館に展示される9T29TELと9M21ミサイルで構成された9K52
東ドイツの9P113 TEL
9P113 TEL

1962年10月に9M21の初期型が6発キューバ危機においてキューバへ持ち込まれた[要出典]。これらのミサイルは発射可能状態の核弾頭が搭載されていた[要出典] 。さらに70発の核弾頭が島内に保存されていた[疑問点]

ルーナはソ連の衛星国に広く配備されたほか、その他の地域にも輸出され、現在でも数多くが稼働状態にある。イラクイランとの戦争の後にエジプトと協力し9M21の改良を行い[要出典]、射程の90kmへの延長とクラスター弾頭の搭載を可能にした。このロケットはLaith-90と名付けられた[1]

ユーゴスラビア紛争においてセルビア側がこのロケットをジュパニャ[2]、1992年12月12日の首都ザグレブなどクロアチア側の都市へ多数発射し、1993年9月11日のメダク包囲戦英語: Operation Medak Pocketにおいても用いられた[3]

2003年のイラク侵攻において米軍第三歩兵師団隷下の第二旅団司令部 戦術作戦センター英語: Tactical Operations Center の David Perkins 米大佐は目標として指揮下の兵士とジャーナリストを殺傷したイラクのFROG-7[4]およびAl-Samoud 2英語: Al-Samoud 2ミサイルを指定し攻撃した。14人の兵士が負傷し主にハンヴィーなどの車両22輌が撃破ないし大破させられていた[5][6]

2011年リビア内戦においてイギリス空軍の航空機がカダフィ大佐支持の勢力が用いるFROG-7を破壊した[7]

2012年からのシリア内戦においてシリア軍が複数の反政府勢力支配地域に対しFROG-7を発射した[8]

派生型

[編集]
9M21B
核弾頭 弾頭重量500kg
9M21G
弾頭重量390kg
Laith-90
射程90kmに増進されたイラクのクラスター弾頭型

運用者

[編集]
青が現役、赤が退役済

現在も運用中

[編集]

退役済

[編集]

不明

[編集]
  • レバノンの旗 レバノン - レバノン内戦末期、シリアと対決姿勢を示したアウン派レバノン国軍に、(シリアと対立する)イラクの旧サダム・フセイン政権が供与したと噂された。射程圏内にレバノンばかりかシリアの首都ダマスカスが入る事から、レバノンおよびシリアの一部で住民の混乱が生じた。イラクがこの時期に装備の供与を行なったのは事実だが、9K52がイラクからレバノンに供与されたとは考えられていない。

出典

[編集]
  1. ^ Cordesman, Anthony: Iraq and the War of Sanctions. Greenwood Publishing Group, 1999. Page 453. ISBN 0275965287
  2. ^ “Serbs Fired Surface-to-Surface Missile at Zupanja”. FBIS Daily Report: East Europe, Issues 241-252 (The Service). (12 December 1992). 
  3. ^ Wood, John (2003). The Chance of War: Canadian Soldiers in the Balkans, 1992-1995. Dundurn. pp. 107. ISBN 1550024264 
  4. ^ Engineers quietly do job, face deadly missile strike”. Toledo Blade. 2015年12月29日閲覧。
  5. ^ "He (Lt. Col. Wesley, second in command) had gotten only thirty feet from his vehicle when a powerful Abril (sic) missile hit it dead center." Lacey, Jim:Takedown: the 3rd Infantry Division's twenty-one day assault on Baghdad. Naval Institute Press, 2007, page 243. ISBN 1-59114-458-2
  6. ^ Zucchino, David (2004). Thunder Run: The Armored Strike to Capture Baghdad. Grove Press. pp. 162 
  7. ^ UK MOD Operation Ellamy from Global Security website, 9 May 2011
  8. ^ http://aoav.org.uk/2013/syrias-dirty-dozen-luna-mfrog-7/
  9. ^ http://www.globalsecurity.org/wmd/world/dprk/missile-designation.htm

外部リンク

[編集]