みんなで出よう55号決定版!
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みんなで出よう55号決定版! ↓ 55号決定版! | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
出演者 | コント55号 |
製作 | |
制作 | TBSとTBS系列加盟局の持ち回り |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1969年6月10日 - 1975年9月23日 |
放送時間 | 火曜 19:30 - 20:00 |
放送分 | 30分 |
『みんなで出よう55号決定版!』(みんなででようごじゅうごごうけっていばん)は、1969年6月10日から1975年9月23日までTBS系列局(一部を除く)で放送されていたバラエティ番組である。トクホン本舗(鈴木日本堂=現・トクホン)の一社提供。放送時間は毎週火曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)。
1970年中頃からは新聞のテレビ欄で「55号決定版!」と表記されることが多くなり、そして番組自体も後に『55号決定版!』と改題した。
概要
[編集]前々番組『チータ55号』に出演していたコント55号を再度起用した番組で、日本各地の公会堂で公開生放送を行っていた。同系列局で放送の『家族そろって歌合戦』などと同様に、本番組もTBSとTBS系列加盟局が持ち回りで番組製作を担当していたが[注 1]、自社制作番組や系列内外の遅れネット番組への差し替えを可能としていたことから、放送局によっては時差ネット(時差ネット局が製作局となった場合、TBSをはじめとした同時ネット局は先行ネット扱い)になることもあった。
番組は大別して、坂上二郎の「赤忍者」コントのようなコント55号が演じるコントのコーナーと、視聴者の欠点を紹介する「55号欠点版」(タイトルのもじり)などの視聴者参加型コーナーで構成されていた。2つのコーナーの間にはトクホンの生コマーシャルがあった。
番組の終了後、コント55号は後番組の『ぴったし カン・カン』にもレギュラーパネラーとして出演した。
出演者
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放送局
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- TBS(制作局):火曜 19:30 - 20:00
- 北海道放送:火曜 19:30 - 20:00(1975年4月から同時ネット)[注 2]
- 青森テレビ:火曜 19:30 - 20:00[1]
- 岩手放送:火曜 19:30 - 20:00[1]
- 秋田放送:火曜 19:30 - 20:00[1]→ 火曜 19:00 - 19:30
- 山形放送:火曜 19:30 - 20:00(1969年12月まで)→ 火曜 19:00 - 19:30(1970年1月から)[2] → 月曜 19:00 - 19:30(1975年9月終了時)[3]
- 東北放送:火曜 19:30 - 20:00[1]
- 福島テレビ:火曜 19:30 - 20:00[4]
- 新潟放送:火曜 19:30 - 20:00[2]
- 信越放送:火曜 19:30 - 20:00[5]
- テレビ山梨:火曜 19:30 - 20:00[6]
- 静岡放送:火曜 19:30 - 20:00[6]
- 福井放送:月曜 18:00 - 18:30[7]
- 中部日本放送:月曜 18:00 - 18:30
- 朝日放送:土曜 18:00 - 18:30[注 3](1975年3月まで)
- 毎日放送:火曜 19:30 - 20:00(1975年4月から)
- 山陰放送:火曜 19:30 - 20:00[8]
- 山陽放送:火曜 19:30 - 20:00[9]
- 中国放送:火曜 19:30 - 20:00[9][注 4]
- 四国放送:土曜 19:00 - 19:30[10]
- 南海放送:火曜 19:30 - 20:00(1974年途中まで)[11]
- テレビ高知:火曜 19:30 - 20:00[12](1974年の時点では放送無し[13])
- RKB毎日放送:日曜 18:00 - 18:30[14]
- 長崎放送:水曜 18:00 - 18:30[14]
- 熊本放送:火曜 19:30 - 20:00(1974年途中まで[15])[14]
- 大分放送:火曜 19:30 - 20:00[11]
- 宮崎放送:火曜 19:30 - 20:00(1974年途中まで[15])[16]
- 南日本放送:火曜 19:30 - 20:00(1974年途中まで[15])[16]
- 琉球放送:火曜 19:30 - 20:00(1974年途中まで[15])[17]
備考
[編集]萩本によれば、1975年の沖縄ロケ(琉球放送制作)の際に天候に恵まれなかった。いつもロケの際は天候に恵まれたのにこのときはすぐれなかった。これは番組を止める兆候だとしてすぐさま降板を申し入れた。
慌てたTBSとスポンサーは慰留したものの、番組の寿命を萩本なりに嗅ぎ取ったものであったため翻意されることはなく、結局番組は終了になった。代わりに放送されたのが「ぴったし カン・カン」である。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 秋田放送・山形放送・福井放送など本番組をネットしていた日本テレビ系列局も制作に参加していたかは不明。
- ^ 1975年3月までは同時間帯で朝日放送制作番組(『部長刑事』『プロポーズ大作戦』など)を放送していたため、遅れネットだったが、関西地区のネットチェンジによる朝日放送制作番組の北海道テレビへの移行に伴い同時ネット化された。
- ^ 土曜19:00 - 19:30に自社制作のテレビドラマ『部長刑事』を大阪ガスの単独提供で放送した関係で、本来同時間帯の『お笑い頭の体操』を火曜 19:30 - 20:00にロート製薬の単独提供のまま遅れネットしていたことによる。
- ^ 腸捻転時代最後の放送だった1975年3月25日(朝日放送では1975年3月29日)放送分は中国放送制作だった(出典:東京放送『TBS50年史』149 - 150ページ、1975年3月24日 - 30日の番組表。本番組に「RCC発」の注記あり)
出典
[編集]- ^ a b c d 『河北新報』1973年7月3日 - 8月27日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b 『福島民報』1969年6月10日 - 1970年12月22日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1975年9月1日 - 9月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1969年6月10日 - 1975年9月23日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『信濃毎日新聞』1972年3月、1974年3月、1974年9月各日テレビ欄。
- ^ a b 『山梨日日新聞』1972年3月、1974年3月、1974年9月各日テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1975年3月24日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『島根新聞』1972年3月テレビ欄、『山陰中央新報』1974年3月、1974年9月テレビ欄。
- ^ a b 『山陽新聞』1972年3月、1974年3月、1974年9月各日テレビ欄。
- ^ 『徳島新聞』1974年9月テレビ欄。
- ^ a b 『愛媛新聞』1972年3月、1974年3月、1974年9月各日テレビ欄。
- ^ 『高知新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『高知新聞』1974年3月・9月テレビ欄。
- ^ a b c 『熊本日日新聞』1972年3月、1974年3月、1974年9月各日テレビ欄。
- ^ a b c d 熊本放送、宮崎放送、南日本放送、琉球放送各局は、1974年途中から火曜19:30枠は『全日本歌謡選手権』の放送に改編。
- ^ a b 『宮崎日日新聞』1972年3月、1974年3月、1974年9月各日テレビ欄。
- ^ 『沖縄タイムス』1972年3月、1974年3月、1974年9月各日テレビ欄。
TBS 火曜19:30枠 【トクホン本舗一社提供枠】 |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
突撃!ドリフターズ
(1968年12月10日 - 1969年6月3日) |
みんなで出よう55号決定版!
↓ 55号決定版! (1969年6月10日 - 1975年9月23日) |
ぴったし カン・カン
(1975年10月7日 - 1984年9月25日) |