2009-10 アトレティコ・マドリード
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2009-10 シーズン | |||
代表者 | エンリケ・セレソ | ||
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監督 |
アベル・レシーノ サンティ・デニア キケ・サンチェス・フローレス | ||
スタジアム | ビセンテ・カルデロン | ||
リーガ・エスパニョーラ | 9位 | ||
コパ・デル・レイ | 準優勝 | ||
UCL | グループステージ敗退 | ||
UEL | 優勝 | ||
最多得点者 |
リーグ: ディエゴ・フォルラン (18得点) 全大会: ディエゴ・フォルラン (28得点) | ||
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'2009-10 アトレティコ・マドリードでは、2009年-2010年シーズンのアトレティコ・マドリードについて記述する。
概要
[編集]資金不足により移籍市場での活発な動きは少なかったが、引く手あまただったセルヒオ・アグエロとディエゴ・フォルランの引き止めには成功した。シーズン開幕後はアベル・レシーノ監督による守備的な戦術が機能せず、リーグ第7節のCAオサスナ戦と続くUEFAチャンピオンズリーグのチェルシーFC戦でそれぞれ完敗したことでレシーノ監督は解任された[1]。後任はキケ・サンチェス・フローレスが務め、ホセ・アントニオ・レジェスを右サイドのウイングに抜擢したことや冬の移籍市場で獲得したティアゴ、シーズン公式戦通算28得点を挙げたディエゴ・フォルランらの活躍によって復調し、リーグ戦9位でシーズンを終えた。しかし、リーグ戦で1度も上位陣に食い込むことが出来ず、UEFAチャンピオンズリーグではグループステージで敗退した。しかし、コパ・デル・レイではセビージャFCに敗れたものの準優勝に終わり、UEFAヨーロッパリーグに関してはバレンシアCFやリヴァプールFC、決勝でフラムFCを破って大会初優勝を果たした[2]。また、このシーズンにおいてコパ・デル・レイでの好パフォーマンスから19歳のダビド・デ・ヘアがセルヒオ・アセンホに代わってレギュラーを務めることとなった[3]。
登録メンバー
[編集]注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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リザーブチーム
[編集]注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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シーズン中に退団した選手
[編集]注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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試合結果
[編集]出典
[編集]- ^ “Chelsea comfortably defeated Atletico Madrid to win their third straight group game in the Champions League.”. BBC Sport (2009年10月21日). 2023年1月16日閲覧。
- ^ “Atletico Madrid beat Fulham 2-1 to win Europa League”. France 24 (2010年5月12日). 2023年1月17日閲覧。
- ^ “La prioridad de De Gea es ser Atlético muchos años” (スペイン語). Marca (2010年1月26日). 2023年1月17日閲覧。