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1981年フランス大統領選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
‹ 1974年 • フランス • 1988年
1981年フランス大統領選挙
共和国大統領 任期:1981年 - 1988年
1981年4月24日・5月10日
種類:  大統領選挙

基礎データ
投票数(第1回): 29,028,115
  
81.09%  7.1%

投票数(第2回): 30,350,568
  
85.85%  5.9%

選挙結果
フランソワ・ミッテランPS
得票(第1回): 7,505,960  
得票(第2回): 15,708,262  109.3%
  
25.86%
  
51.76%
ヴァレリー・ジスカール・デスタンUDF
得票(第1回): 8,222,432  
得票(第2回): 14,642,306  78.1%
  
28.33%
  
48.24%
ジャック・シラクRPR
得票(第1回): 5,225,846  
  
18.00%
ジョルジュ・マルシェPCF
得票(第1回): 4,456,922  
  
15.35%
ブリス・ラロンドエコロジスト
得票(第1回): 1,126,254  
  
3.88%
アルレット・ラギエLO
得票(第1回): 668,057  
  
2.30%

県別第2回投票結果
1981年フランス大統領選挙
  ジスカール・デスタン
  ミッテラン

フランス大統領

1981年フランス大統領選挙は、フランス共和国の国家元首である大統領を選出するために行われた選挙で、1981年4月26日5月10日に投票が行われた。

概要

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大統領の任期7年が満了したことに伴って実施された選挙である。5月10日に行われた決選投票の結果、社会党第1書記のフランソワ・ミッテランジスカール・デスタンを破って当選した。この結果、1958年にシャルル・ドゴール将軍によって発足した第五共和政の下でジョルジュ・ポンピドゥー、ジスカール・デスタンと3代にわたって続いた保守政権にピリオドが打たれることとなった。

基礎データ

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  • 大統領任期:7年
  • 再選制限:無し
  • 選挙方法:2回投票制
  1. 第1回投票において有効投票の過半数を得た候補がいた場合は、その候補が当選。いない場合は上位2候補が2週間後に行われる決選投票に進む。
  2. 決選投票は第1回投票における上位2候補で争われ、最多得票を得た候補が当選。
  • 第1回投票日:1981年4月26日
  • 第2回投票日:1981年5月10日

候補者

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大統領選挙に立候補したのは以下の10名である。前回選挙で共産党は社会党と共にミッテラン候補を擁立したが、78年に社共共闘が破綻したことで今回、独自候補を擁立した。

候補者 党派 備考
フランス語 読み
Valéry Giscard d'Estaing ジスカール・デスタン  フランス民主連合 UDF  大統領
François Mitterrand フランソワ・ミッテラン  社会党 PS 党第1書記
Jacques Chirac ジャック・シラク  共和国連合 RPR パリ市長
Georges Marchais ジョルジュ・マルシェ  フランス共産党 PCF 党書記長
Brice Lalonde ブリス・ラロンド  エコロジスト 
Arlette Laguiller アルレット・ラギエ  労働者の闘争 LO
Michel Crépeau ミシェル・クレボウ 左翼急進運動 MRG
Michel Debré ミシェル・ドブレ 共和国連合系 元首相
Marie-France Garaud マリーフランス ギャラド 共和国連合系
Huguette Bouchardeau ユゲット ブシャドウ 統一社会党 PSU

選挙結果

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登録有権者数と投票率
第1回投票
(4月26日)
決選投票
(5月10日)
登録有権者数 36,398,859 36,398,762
投票者数 29,516,082 31,249,552
投票率 81.09% 85.85%
無効票 477,965 898,984
有効票 29,038,117 30,350,568
候補者別得票
候補者名 党派 第1回投票 決選投票 当落
フランス語 読み 得票数 得票率 得票数 得票率
Valéry Giscard d'Estaing ジスカールデスタン  フランス民主連合 UDF  8,222,432 28.32% 14,642,306 48.34%
François Mitterrand フランソワ・ミッテラン   社会党 PS  7,505,960  25.85%  15,708,262  51.76%   当選 
Jacques Chirac ジャック・シラク 共和国連合 RPR 5,225,848 18.00%
Georges Marchais ジョルジュ・マルシェ フランス共産党 PCF 4,456,922 15.35%
Brice Lalonde ブリス・ラロンド エコロジスト 1,126,254 3.88%
Arlette Laguiller アルレット・ラギエ 労働者の闘争 LO 668,057 2.30%
Michel Crépeau ミシェル・クレボウ 左翼急進運動 MRG 642,847 2.21%
Michel Debré ミシェル・ドブレ 共和国連合系 481,821 1.66%
Marie-France Garaud マリーフランス ギャラド 共和国連合系 386,623 1.33%
Huguette Bouchardeau ユゲット ブシャドウ 統一社会党 PSU 321,353 1.11%
29,038,117 30,350,568
出典:Élection présidentielle 1981(2011年9月18日閲覧)

4月26日に行われた第1回投票では、ジスカールデスタン候補が得票率28.32%で首位に立ち、ミッテラン候補は25.85%で2位、シラク候補が18%、共産党のマルシェ書記長が15.33%と続いた。このためジスカールデスタン候補とミッテラン候補が当初の予想通り決選投票に進出し、5月10日の決選投票においてミッテラン候補がおよそ100万票余りの差をつけて当選を果たした。

ミッテラン候補の勝因としては、ジスカールデスタン大統領のスキャンダル(中央アフリカのボカサ1世から大量のダイヤモンドを送られていた事件、大統領側近が内相時代にドゴール派の有力議員の暗殺計画を事前に察知していたにもかかわらず黙殺した事件)、インフレ対策と失業対策の失敗で国民から強い反発を受けていたことなどが挙げられる。また共産党候補の得票はこれまで20%台を維持してきたが、1979年のソ連軍によるアフガン侵攻に対して支持を表明するなど親ソ路線を強めたことに対する反発が影響し、本選挙では15%台に落ち込んだ。

大統領選挙に勝利したミッテランは5月21日、正式に大統領に就任した。そしてピエール・モーロワを首相に任命し、翌日、モーロワ内閣が発足した。新内閣の発足に続く、5月23日には国民議会が解散され、6月14日と21日にそれぞれ第1回投票と決選投票が行われた(→1981年フランス議会総選挙)。

参考文献

[編集]
  • France Politique
  • ブリタニカジャパン『ブリタニカ国際年鑑』1982年度版