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1957年のル・マン24時間レース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1957年のル・マン24時間レース
前年: 1956 翌年: 1958
1957年のコース

1957年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1957 )は、25回目[1]ル・マン24時間レースであり、1957年6月22日から6月23日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。

概要

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ジャガーは1957年2月12日夜にブラウンズ・レイン工場が火事になり[2]、ワークスチームは撤退[2]しながらもエキュリー・エコスチームがマシンを譲り受けて参戦[2]、3,442cc[3]エンジンを積んだ仕様15号車、16号車、17号車[3]に加え、一部のDタイプに3,780ccエンジン[3]を積んだ仕様を製作して3号車4号車として投入した[3]

出走したのは54台[4][5][1]フェラーリマセラティが有力視されていた。

大排気量のV型12気筒エンジンを積んだフェラーリが4分を切る3分58秒7の周回記録を出すなど速さを見せてトップを走った[6]が、いずれもエンジントラブルでリタイヤとなった[6]

完走したのは20台[5][1]

ロン・フロックハート(Ron Flockhart )/アイヴァー・ビューブ(Ivor Bueb )組のジャガー・Dタイプ3号車[4]が24時間で4397.108km[5][4][1]を平均速度183.217km/h[4][1]で走って優勝し1955年からの3連勝を達成した。1951年1953年とあわせて優勝5回はベントレーに並び当時のメーカー最多勝タイとなった。しかしこれはジャガー全盛期最後の年であり、この後1988年のル・マン24時間レースまでしばらく優勝争いから遠ざかった。

出典

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  1. ^ a b c d e 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
  2. ^ a b c 『ワールド・カー・ガイド12ジャガー』pp.49-70「ジャガー・カーズの誕生」。
  3. ^ a b c d 『ル・マンの英国車』pp.141-144「TECHNICAL INFORMATION ON THE BRITISH CARS AT LE MANS」。
  4. ^ a b c d 『ル・マンの英国車』pp.64-67「1957」。
  5. ^ a b c 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。
  6. ^ a b 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。

参考文献

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  • 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2
  • ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8
  • 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
  • 『ワールド・カー・ガイド12ジャガー』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-105-6