龍田神社
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(龍田比古神社から転送)
龍田神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6 |
位置 | 北緯34度36分30秒 東経135度43分30秒 / 北緯34.60833度 東経135.72500度座標: 北緯34度36分30秒 東経135度43分30秒 / 北緯34.60833度 東経135.72500度 |
主祭神 |
天御柱大神 国御柱大神 |
社格等 |
式内社(小) 旧県社 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月15日に近い日曜日 |
地図 |
龍田神社(たつたじんじゃ)は、奈良県生駒郡斑鳩町龍田にある神社。式内社で、旧社格は県社。
祭神
[編集]現在の祭神は次の通り[1]。
- 右社殿
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- 龍田比古大神
- 龍田比女大神
- 左社殿
-
- 天児屋根大神
- 外三大神
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳における祭神の記載は2座。同帳では「龍田比古龍田比女神社二座」と記載され、元々の祭神は龍田比古神・龍田比女神の2柱であることが知られる。これに関して、龍田大社から天御柱命・国御柱命の2神が勧請され、元々の祭神は忘れられたとする説等がある[2]。『大和志』では、龍田大社(三郷町立野)の本宮に対して当社を「龍田新宮」とする[2]。
歴史
[編集]社伝では、聖徳太子が法隆寺の寺地を探し求めていた際、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国平群郡に「龍田比古龍田比女神社二社(二座)」と記載され、式内社に列している[2]。
明治維新後、神仏分離によって法隆寺から分離し、境内にあった寺院関連建物は全て破却された[2]。明治4年(1871年)には三郷町立野の龍田神社(現在の龍田大社)の摂社となった[2]。大正11年(1922年)3月に龍田大社から独立し、近代社格制度において県社に列している[2]。
境内
[編集]-
境内社
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ソテツ 西株(奈良県指定天然記念物)
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ソテツ 東株(奈良県指定天然記念物)
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クス
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金剛流発祥之地碑
文化財
[編集]奈良県指定文化財
[編集]- 天然記念物
- ソテツの巨樹 - 昭和32年(1957年)6月13日指定[3]。
関連文化財
[編集]現地情報
[編集]所在地
交通アクセス
脚注
[編集]- ^ 境内説明板。
- ^ a b c d e f 龍田神社(平凡社) 1981.
- ^ 奈良県指定文化財一覧 (PDF) (奈良県ホームページ)。
- ^ 法界寺本堂(薬師堂) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
参考文献
[編集]- 境内説明板
- 「龍田神社」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
- 吉川正倫 著「龍田比古龍田比女神社二座」、式内社研究会 編『式内社調査報告 第2巻』皇學館大学出版部、1982年。