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黒羽町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くろばねまち
黒羽町
雲巌寺の山門。 松尾芭蕉が立ち寄った寺院の一つでもある。
雲巌寺の山門。
松尾芭蕉が立ち寄った寺院の一つでもある。
黒羽町旗
黒羽町旗
黒羽町章
黒羽町章
黒羽町旗 黒羽町章
廃止日 2005年10月1日
廃止理由 編入合併
湯津上村黒羽町大田原市
現在の自治体 大田原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
那須郡
市町村コード 09406-4
面積 187.64 km2
総人口 16,208
推計人口、2005年9月1日)
隣接自治体 馬頭町湯津上村大田原市那須塩原市那須町
福島県棚倉町茨城県大子町
町の木 スギ
町の花 ヤマユリ
町の鳥 ウグイス
黒羽町役場
所在地 324-0292
栃木県那須郡黒羽町黒羽田町622
座標 北緯36度51分34.6秒 東経140度7分14.8秒 / 北緯36.859611度 東経140.120778度 / 36.859611; 140.120778
黒羽町の県内位置図
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黒羽町(くろばねまち)は、栃木県北東部にあったである。旧大田原市への通勤率は15.9%(平成12年国勢調査)。2005年10月1日、隣接する湯津上村とともに大田原市へ編入され廃止した。

江戸時代松尾芭蕉奥の細道の旅中14日もの間滞在し数々の句を残したことから「芭蕉の里」と呼ばれることもある。

地理

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歴史

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経済

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、黒羽町の篤農家は「飯島三郎、田代利祐、松本徳太郎、斎藤倉治、川島倉之助、小山忠綠、川股金次郎、増田新七、五味淵鐡次郎、鹿子畑明詰、佐藤萬壽三、屋代鶴松、磯龍太郎、浄法寺三夫、松本六六、倉井金次郎、鈴木兼太郎、秋庭為松、渋井兼廣、小室馬之助、安田六之助」などである[2]

地主

増田新七は栃木県の大地主である[3]

行政

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  • 町長:斎藤典男(閉町時)

地域

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教育

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高等学校

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中学校

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(すべて現・大田原市立)

  • 黒羽町立黒羽中学校
  • 黒羽町立川西中学校
  • 黒羽町立須賀川中学校
  • 黒羽町立両郷中学校

小学校

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(すべて現・大田原市立)

  • 黒羽町立黒羽小学校
  • 黒羽町立片田小学校
  • 黒羽町立川西小学校
  • 黒羽町立寒井小学校
  • 黒羽町立須賀川小学校
  • 黒羽町立須佐木小学校
  • 黒羽町立蜂巣小学校
  • 黒羽町立両郷中央小学校

交通

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鉄道

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道路

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バス

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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出身有名人

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経済人

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芸能人

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スポーツ選手

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出典

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  1. ^ 800ヘクタール焼きなお延焼 栃木で山火事 二千人徹夜の避難『朝日新聞』1977年(昭和53年)3月16日朝刊、13版、23面
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』402頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月21日閲覧。
  3. ^ 『日本現今人名辞典』ま58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月21日閲覧。
  4. ^ a b 『人事興信録 第5版』ま95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月24日閲覧。

参考文献

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  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。

関連項目

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外部リンク

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