増田新七
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増田 新七(增田 新七[1]、ますだ しんしち、1874年(明治7年)5月21日[2] - 没年不明)は、日本の商人(呉服商)[1][2][3]、政治家、実業家、栃木県多額納税者[4][5]。黒羽商業銀行、那須商業銀行各頭取[1][2][3]。東野鉄道、下毛貯蓄銀行各取締役[2][4]。下野印刷監査役[5]。黒羽町会議員[1]。族籍は栃木県平民[2][3]。
人物
[編集]栃木県人・先代新七の長男[4][5]。1917年、家督を相続し、前名岸太郎を改め襲名する[4][5]。呉服商を営み、傍ら銀行会社の重役として知られる[2]。趣味は読書、囲碁[5]。宗教は曹洞宗[5]。住所は栃木県那須郡黒羽町[4](現・大田原市)。
家族・親族
[編集]- 増田家
- 父・新七[4][5]
- 妻・タケ(1891年 - ?、栃木士族、岡田政之の長女)[1][2][3]
- 長男・太郎(1904年 - ?、第一相互生命保険会社員)[1]
- 二男・寿郎(壽郎[5]、1907年 - 2002年、朝日新聞社常務取締役[6])
- 三男・正三(1913年 - 2009年、京都大学名誉教授)[7][8]
- 娘[5]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『野州名鑑』742 - 743頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』ま95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月24日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第6版』ま97 - 98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月24日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』マ44 - 45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 下』マ49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月24日閲覧。
- ^ 増田寿郎氏死去/元朝日新聞社常務取締役(2002年7月5日)、四国新聞社サイト。
- ^ 『人事興信錄』人事興信所、1995年 。
- ^ “【印刷用】増田正三氏死去/京都大名誉教授 | 全国ニュース | 四国新聞社”. www.shikoku-np.co.jp. 2021年12月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 下野新聞株式会社編『野州名鑑』下野新聞、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。